部屋に戻って準備を済ますと、秘書艦で第一艦隊旗艦の電は先に司令室へ行ってしまう。私は雷と一緒に岸壁へ向かった。みんなももう揃ってきていて、後はそれぞれの旗艦である電と時雨、それに司令官を待っている状態だ。しばらく待っていると、電と時雨と司令官がやってくる。電は第一艦隊旗艦の位置へ、時雨は第二艦隊旗艦の位置へ、それぞれ並んで司令官がに正対した。
「司令官に敬礼なのです!」
電のかけ声で、全員ピッと敬礼を決める。司令官の右手が挙がって降りた。
「これから、敵根拠地攻略作戦を発動する。昨日も言ったとおり、まずは第二艦隊が先行して偵察に当たり、敵艦隊をつり上げる。第一艦隊は第二艦隊と共同で撃破するか、そのまま敵根拠地に突入するかは、状況で判断する。目的はあくまで、敵根拠地の攻略だ」
「敵地突入予定は明朝〇四一五なのです。第二艦隊は、〇三三〇より威力偵察を開始するのです」
司令官の説明の後、電が資料を見ながら詳しく補足する。全員が頷きながら聞いていた。
「近海に静かな海を取り戻すためだ。乾坤一擲、目にもの見せてやれ」
「かかれ、なのです!」
司令官の後の電の声でに全員応と返して、作戦は発動した。
「お先に行くよ」
時雨がそう言い残して、爽やかな雰囲気のまま潮たち第二艦隊を率いて出撃していく。
「よし、俺たちも行くぜ!」
天龍が旗艦でもないのに相変わらず仕切ってるけど、電旗艦の艦隊はこれで釣り合いが取れてる感じだ。全員頷いてスロープへ向かい、海に足を降ろす。沈降感が浮遊感に変われば準備完了だ。
「司令官さん、行ってくるのです!」
「戦果を期待してるよ」
優しい司令官の笑顔に見送られ、第二艦隊に遅れること五分、第一艦隊も出撃した。
夜間航行を続けながら、敵棲地を目指す。五分前に出発した第二艦隊の姿は見えないままだ。電を先頭に、天龍、龍田、雷、由良、そして私が緩い編隊を組みながら進んで行く。日付が変わる頃には、第一哨戒線の沖に出ていた。
「第二種警戒配備なのです」
「よしきた!」
電の声に、天龍が反応する。そうして、天龍と龍田が電を追い越して前に出た。私と雷が電を挟むように左右に展開する。由良が、その後を少し離れて続いた。月は西の海上に沈み、満点の星空が私たちを包み込む。まるで空が降りてきたような錯覚さえ受ける。電は時計とコンパス、艦隊速度を頼りに艦隊の位置を海図に記していく。敵棲地はもうすぐのようだ。
「第二艦隊より入電。我、コレヨリ威力偵察ニ向カフ。〇三三〇」
由良が航行を続けながらそう報告する。月明かりのない暗い海の上だが、第二艦隊はうまくやっているようだ。第二艦隊はこれから戦闘速度に加速して一気に敵棲地に迫る。巡航速度のままの私たちとは距離が離れていくだけだ。これからの私たちは、第二艦隊の動きを見ながら、行動を起こすことになる。第二艦隊の続報を待ちながら、航行は続いた。
「第二艦隊より入電! 敵艦見ユ! 重巡二、軽巡一、駆逐三」
由良が声を上げた。時間は、〇四〇〇。予定より早い。しかも、重巡と軽巡が三隻と言うことは、駆逐艦六隻の第二艦隊には荷が重すぎる相手だ。
「第二艦隊は、作戦海域Bへ敵艦を誘導してください! 第一艦隊もそっちへ向かうのです!」
電が声を上げ、天龍と龍田が頷きあう。私も雷と頷きあい、由良を見ると彼女も頷いた。
「由良さんは水偵を敵棲地へ放ってください! 敵棲地が空なら、全力で敵艦隊に当たるのです!」
「了解よ」
電の声に頷き、ようやく白み始めた空に向かって由良は水偵を解き放つ。単機の水偵は高度を上げ、やがて藍色の空に溶けていった。
「第一艦隊、最大戦速なのです!」
「おっしゃあ! 俺たちが行くまで持ちこたえろよ!」
電の声に、天龍が反応する。艦隊の最大戦速は天龍型の三十三ノットに合わせる形で進んだ。私たち特Ⅲ型には、まだ少し余裕がある。やがて、暁の空に立ち上る黒煙が見えた。戦闘はもう始まっているようだ。
「第二艦隊! 損害を報告してください!」
電は進みながら、連絡を試みる。激戦中の時雨たちにそんな余裕があるだろうかとは思いながらも、味方や敵の損害状況では、作戦行動も変わってくる。
「索敵機より入電。敵棲地周辺に深海棲艦はいない模様」
「時雨から入電よ! 味方の損害は、朧中破、若葉小破、潮小破。綾波と白雪は軽微な損害だって! 敵は駆逐二を撃沈したわよ!」
由良と雷が声を上げる。敵棲地が空だと言うことは、今の相手に全力で当たれると言うことだ。
「敵艦隊の左側面へ突っ込むのです! 単縦陣で右舷砲雷撃戦、用意なのです!」
「初弾充填忘れんな!」
電と天龍の声が響く。私たちは旗艦先頭の単縦陣へ陣形を切り替える。電、天龍、龍田、由良、雷、私の順だ。交戦中の海域へ近づいていくと、もうかなり乱戦状態になっていた。お互い旗艦を守りながらの撃ちあい。膠着してダメージだけが重なっていく感じになってる。このままじゃ、確かに危なかったかも知れないな。状況を変えるには、今しかない。
「軽巡の皆さん、初弾砲撃お願いするのです! 敵の注意をこっちに引き寄せます!」
電が声を上げた。もう一方ここにいるぞの合図弾だ。それで、第二艦隊への攻撃が緩めばいい。
「龍田と由良はそのまま待機してろ! 俺がやるぜ!」
天龍が隊を少し離れて前に出る。艤装の主砲が砲撃位置に固定された。
「っけー!」
かけ声と共に、十四センチ単装砲が火を噴いた。距離はまだ遠いから、本当に威嚇だけだ。それでも、敵艦隊の軽巡に至近弾となる水柱が上がった。敵艦が一斉にこちらを振り向くのがわかる。
「突撃するのです! 重巡の射程を抜けるまで、重巡の主砲には気をつけてください!」
電が声を上げたのが、合図だった。射程の長い天龍、龍田、由良の主砲が一斉に火を噴く。私たち特Ⅲ型三隻は、その脇を掠めて一気に加速し肉薄攻撃を試みる。第二艦隊も時雨を中心に動ける艦が攻勢に転じた。時雨の放った魚雷が、敵駆逐艦一隻にとどめを刺す。重巡の射線をくぐり抜け、ようやく十二・七センチ砲の届く距離まで侵入した。三隻とも、主砲を放ちながら、重巡に肉薄する。狙うのは、魚雷での一発轟沈だ。その内、重巡の主砲の一撃が雷を直撃した。
「きゃあっ!?」
「雷!」
電と私は慌てて振り返る。吹っ飛ばされた雷は、まだ沈んではいない。
「あたしのことはいいから行きなさい! 魚雷を叩き込んでくるのよ!」
立ち上がりながら、雷はそう叫ぶ。私と電は頷きあうと、更に重巡との間合いを詰めた。第二艦隊や天龍たちからも、砲撃が続く。とても長いと思われた時間が過ぎて、魚雷の必中距離まで潜り込んだ。
「なのです!」
一足先に、電が魚雷を放つ。緩い放物線を描いた後、六本の魚雷は海中に沈み、一気に本来の猛々しい姿を現しながら目標へまっすぐに進む。加えて、他の艦からの援護射撃も続いているから、魚雷に構っている暇はないだろう。やがて、重巡の内一隻から大きな水柱が続けて上がった。命中だ。
「響も行くのです!」
電に頷いてから、少し位置を変える。電が命中させた重巡はいずれ沈没は免れないだろう。ならば。敵もこちらの意図に気づいたようだ。押っ取り刀で敵の主砲が至近弾を放ってくる。
無駄だね。
特Ⅲ型は伊達じゃないんだ。
私は水柱をかいくぐりながら、腰の魚雷を放った。そうして、一気に電のところへ離脱する。もちろん、砲撃を続けるのも忘れていない。魚雷の戦果は、すぐにわかった。巨大な水柱が崩れた後、そこにはもう敵重巡の姿はなかった。
「軽巡は俺たちに任せろ!」
「よく頑張ったわね」
「絶対逃がさないからー」
私たちを追い抜いていく天龍、由良、龍田。もう後は見なくてもわかる。私たちは雷のところへ急いだ。その背後で、轟音が響いた。
「全ての敵艦を撃沈し、戦闘終了を確認したのです。〇四五〇なのです」
電が、周囲の状況を見ながら打電する。私は、その間に雷を助け起こした。
「大丈夫か?」
「このくらい平気よ。鎮守府に戻って入渠すれば、なんてことないわ」
気丈な笑みを浮かべてそう言っているが、さすがに重巡の一撃は重かったようで、艤装はボロボロだし、背を伸ばせないくらいの痛みはあるようだ。振り向くと、第二艦隊も相当の被害が出ているようで、全く無傷なのは時雨だけ。中破状態の若葉はいつも通り淡々としているけど、朧と潮はお互いを支えるようにしているし、綾波と白雪もホッとしたのか、海面にしゃがみ込んでいた。打電が終わった電が時雨に状況を確認しに行っている。
「おい! 特型の駆逐艦だぞ!」
私たちの背後で、天龍の声が上がった。私と雷は一気に振り返る。誰かがまた、海の底から助けられたのだろうか。
「行ってきなさいよ。あたしは平気だから」
雷はそう言って私に笑いかける。少しの距離だが動けないくらいのダメージなんだな。
「行ってくる」
私は雷の肩をそっと外すと天龍たちのところへ急いだ。目の前で倒れているのは、私と同じ艦内帽を被った、黒い髪の少女。私たち特Ⅲ型と同じセーラー服。左の襟に付けられた「Ⅲ」のピンズ。
間違いない。
間違いようがない。
「暁!」
私よりも先に、後ろまで来ていた電が声を上げた。
そうだ、私たち特Ⅲ型の長姉でもあり、第六駆逐隊の旗艦でもあった、暁型の一番艦、暁だ。
私を、キスカから大湊まで曳航してくれた、背伸びをしたがる姉。
大湊で見送ってから、どれだけの時間が流れたんだろう。
雷が、電が見届けた最期から、どれだけ経ったんだろう。
その暁が、目の前にいる。
もう会えないと思っていたから、自然に目頭が熱くなる。
「雷! 暁なのです! 暁が…!」
電も、声をひっくり返らせて雷を呼ぶ。もう最後は涙声だ。電はそう言いながらも動けない雷を連れてくるためにこの場を離れた。遠くで聞こえる雷の声も、気丈なままだが湿っている。雷も嬉しいんだろうな。
そっと、暁の手を取ってみた。
元の鋼の船体ではないから、温かい。
私の手に気づいたのか、うっすらと暁が目を覚ました。
「…響?」
まだぼんやりとしている暁の目が、私を認識する。その声を聞いて、もう押さえられなくなった。私は、袖で目元を何度も擦ってから、やっと口を開く。
「おかえり、暁…」
もう後は、声にならなかった。