敵棲地はもぬけの空になっていたが、陸戦隊の到着まで由良と時雨と私で海域を警備することになった。せっかく確保した橋頭堡だ。再び奪われては苦労が水の泡になる。
「よかったわね。第六駆逐隊勢揃いして」
由良に言われ、頷くことしかできない。
あれから、暁は電たちに付き添われて鎮守府へ戻っていった。朧のように意識がなかったわけではないから、私と同じく、簡単なチェックだけで配備と言うことになるんだろう。
「僕ら白露型にも、姉妹が来てくれないかな。響たちを見ていると、少し羨ましいよ」
時雨もそう言って笑いかけてきた。
「これから、こんなことはいくらでも続くから、心配することはないわ。私たち長良型軽巡も、その内六隻全部揃うわよ」
「そうだね」
由良の声に、時雨は達観したように言って目を伏せる。それが、私たち艦娘なんだろうという時雨なりの解釈だと、私は感じた。
北をはるか望んでも、鎮守府のある本土は見えない。南には、まだ奪還できていない果てしない海が広がっている。これから、まだまだ激戦が続くんだろうな。
警戒を続けながら待っていると、日が変わった頃本土から派遣された陸戦隊が朝潮に護衛されて到着した。
「隊長の風間祐平少佐です。敵地奪還、ありがとうございました」
陸戦隊を率いてきた若い隊長は、そう言って私たちに敬礼をしてくれた。やってきたのは、女性がほとんどだ。中に隊長も含めた数人の男性が含まれている程度。妖精も多数いる。この人たちが、これからこの根拠地を守っていくことになるんだ。測量や土木工事から始まって、人がまた暮らせるようにしながら。
「提督さんから連絡があったわ。響ちゃんと時雨ちゃんは、空の輸送艦を護衛して鎮守府に戻りなさいって」
朝食を採っていると、由良がそう電信の紙を持ってやってきた。対面で食事を採っている時雨を見ると、にっこりと笑う。
「入れ替わりに、誰か来るの?」
「既に追加の施設部隊が鎮守府を出発したそうよ。護衛には白雪ちゃんと綾波ちゃんがついてるわ」
「ならよかった」
「それまでは、私と由良さんで、陸戦隊の皆さんをお守りします!」
朝潮の飯粒を飛ばしながらの力強い声に、由良と時雨が苦笑いを浮かべていた。
由良と朝潮に見送られ、私と時雨は第九、第十九輸送艦を護衛しながら、鎮守府へと向かう。元々根拠地以外には熱帯雨林が広がっているだけの島だったから、帰りの輸送艦は空船だ。それでも、貴重な資材である軍の輸送艦なので、護衛はきっちりやる。航海は至極順調だ。輸送艦の巡航速度は、私たちの巡航速度よりもかなり遅い。その日の夕刻が迫ってきていた。
「響。前後を変わろうか」
艦隊の前を護衛巡航していた私に、時雨が後ろから上がってきて声をかける。別に、私はこのままでも問題ないんだけどな。
「じゃあ、陽が落ちるまでおにぎりでも食べながら巡航しよう」
時雨はそう言いながら、私に陸戦隊が作ってくれた弁当を渡す。中は、おにぎりが二つと、たくあんが二切れ入っていた。
「ねえ、響。みんなに助けられる前のこと、覚えてる?」
おにぎりを食べながら、時雨は突然そんなことを聞いてきた。どういう意味だろう? 電たちに助けられる前の記憶…は、ない。その前というと、もう艦だった頃の記憶だ。ソ連で私に優しくしてくれた老技官の顔を思い出す。
「そんなことを聞いて、どうするんだ?」
「ちょっと興味があってね。僕も全く記憶がないんだけど、僕たちはどこから来て、どこへ行くのかなって。ほら、人は母親の胎内から生まれて、大きくなって、やがて年老いて死んでいくだろ? 僕たちは、いきなりこの姿のまま、艦娘として存在したから不思議でさ」
そう言って、時雨は指先に残った米粒を舌ですくい取る。その表情はいつもと同じで、あまり深いことを聞かれている気がしない。でも、それは私たちの深いところでもあるんだ。
救われたところからいきなり始まる記憶。
艦だった頃の記憶。
これは共存している。
響、である私以外の私が存在しているのか。
それとも、この身体は作り物か何かなのか。
自分の中に、答などない。
「響は、興味ない?」
「ないはずはない。でも、そんなことは考えたことがなかったな」
私の答に、時雨は納得したように頷く。
「そうだよね。僕もよくわからないんだ。僕は誰なのか、僕は本当に駆逐艦時雨なのかってね」
水平線に近くなっている夕陽を見ながら、時雨はそう言う。少し笑みを浮かべた、いつもの柔らかい表情だ。
「でも今は、やることをやるしかないか。深海棲艦との戦いが終わって、平和になったら全部わかるかも知れないし」
そう言ってから、時雨は微苦笑を浮かべる。「つまらないことを言ったね」とも言った。
その時雨の問いかけは、澱になって心の内に残った。
私や暁、朧のように海で救われた艦娘と、電や龍田のように、工廠で建造されて生まれた艦娘。その違いはどこにあるのか。私たち艦娘と、護衛している輸送艦の操艦をしている女性技官たちは、何が違うのか。
しばらくの間、答えの出ない問答を一人で続けていた。
でも、やっぱり答えはどうやっても出なかった。
私たちは、知らなさすぎたし、知らされていなかったんだと気づくのは、もっとずっと後のことになる。
この時は、任された船の護衛に気持ちを戻した。