艦これ その海の向こうに明日を探して   作:忍恭弥

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由良の想い

 それからの日々は、訓練と任務で過ぎていく。MI組は訓練に余念がないが、AL組は護衛や哨戒についている艦娘が多いため、訓練より毎日の業務の方が忙しかった。そうして、由良も近海での対潜哨戒や、南西への船団護衛任務などをこなしている内に、作戦実行日は刻一刻と近づいてくる。鎮守府内の空気も、いつもと違ったものに変わっていった。

「明日以降の哨戒任務は五十鈴と第二駆逐隊に変えるぞ」

 二十七日の夕方、哨戒任務の報告に行くと、木村は別れ際、由良にそう告げた。翌々日の二十九日は朝日と若葉、初霜の出撃日であり、由良たちも大湊に移動する予定の日だ。

「あっ、はい」

 由良は思わず少し上ずった声を返してしまう。

「明日くらいゆっくり休め。電隊も明日は休ませる。明日が終われば、作戦完了まで休みなしだからな」

 そう言って、木村は年相応の笑顔を由良に向けてきた。その木村に、由良も思わず笑顔を返してしまう。秘書艦の日向も微笑で頷いていた。日向の奥に見えている作業机の主は、不在だった。

「風間は岸壁にいるはずだ。はまゆきの様子を見ているだろう」

 木村は由良の視線に気づいて、そう笑う。由良はさっと頬を赤らめた。そのまま、敬礼の姿勢を取る。

「それでは、失礼します」

 由良はそう言うと、敬礼の姿勢で不動になる。木村の返礼が終わるのを待ってから、由良は司令室を後にした。

 巡洋艦寮へ戻る道すがら、木村が言ったように岸壁へ顔を出してみた。司令艦はまゆきと、輸送艦おがの巨大な船体が遠目にも見える。司令艦は、深海棲艦からの最初の攻撃の時に生き残った現代の駆逐艦の名残だ。その主兵装である六十二口径七十六ミリ単装速射砲も、高性能二十ミリ機関砲も、シースパロー短SAMやハープーンSSMといった対空対艦ミサイルでさえ全く深海棲艦には効果を与えられなかった。多くの艦が撃沈され、こうして生き残った艦がその通信能力の高さから司令艦として第二の艦生を送っている。それでも、個艦としての防御力も攻撃力も皆無に等しいため、艦娘による護衛は必須だった。由良は、岸壁で休むはまゆきの脇まで近づいてくると、その船体に触れた。かつての由良に比べると一回り以上小さく、夕張と同じくらいの船体は、鋼鉄の塊でものは言わない。それでも、かつての自分と同じ様な何かが宿っているのではと思えるのだ。

「由良たちが護るから、大佐さんを護ってあげてね…」

 由良は瞳を閉じてそう呟く。その言葉を誰も聞いてはいない。と思っていた。

「由良じゃないか。どうかしたのかい?」

「うひゃああああっ!」

 風間の声が背中から聞こえて、思わず飛び上がるようにして由良は振り返った。その顔は真っ赤だ。

「たたたたた…大佐さん…?」

 その視線の先には、作業服を着た風間が不思議そうな顔をして立っていた。

「えと…今の…聞こえて…」

「はまゆきがどうかしたのかい?」

 動揺してどもる由良に、風間は全くいつも通りの笑顔を返してきた。その笑顔がいつも通り過ぎて、由良はまだほてる顔のまま、風間に向き直った。

「私は…はまゆきを激励に来ただけで…。大佐さんは?」

 由良は思わずそう言ってしまう。嘘は言っていないと自分に言い聞かせた。

「僕も似たようなもんさ。上官として、整備をしてくれてる乗員の激励にね。今日はこれくらいしかできないから」

 風間はそう言うと、はまゆきの船体に由良と同じように触れた。

「はまゆきは、何か応えてくれたかい?」

「何も…。だって、この子はまだ生きてますから。私たち艦娘とは違って、艦として現役です」

 由良は、もう一度はまゆきの船体に触れ、そう言う。その表情は、遠い過去に思いをはせるようでもあり、歳の離れた妹たちを慈しむようでもあった。風間は、その由良ににっこり笑う。

「そうか。明日から、こいつの護衛もしっかり頼む。二百名の乗員の命を預かる大切な艦だ」

「はい」

 風間の言葉に由良は頷き、またはまゆきの舷側を見上げた。託された命の重さを、もう一度噛みしめながら。

 

 AL作戦組は、いくらかの緊張を漂わせて、その日の夕食を終えた。いつもは周りを茶化してばかりの漣も、表情がいくらか硬い。曙の方がいつもと変わらないつんとした空気を漂わせているくらいだ。そんな第七駆逐隊の様子を見ながら、由良は食堂を後にした。部屋に戻ると、天龍の代わりに第十八駆逐隊を率いて船団護衛に出た名取の姿はない。部屋は静謐に包まれていた。由良は急須に作ったお茶を湯飲みに入れると、机の上に置いて便箋とペンを取り出した。しばらくの間、そのまま窓の外の暮れきらぬ空を眺めた後、おもむろにペンを走らせていく。青いインクの丁寧な文字が、便箋に由良の思いを残していく。時間をかけて書いたものを封筒に入れると、由良はその封筒を自分の私物入れの一番奥にしまい込んだ。

「…少し早いけど、寝ようかな」

 由良は誰もいない部屋でそう呟くと、寝間着に着替えるためにセーラーを脱ぎ捨てた。

 

 時間は、ゆっくりとそれでも確実に流れていく。部屋のベッドでごろごろしていた由良は、結局眠れないまま日付変更線を超えていた。蓄光式の目覚まし時計で時間を確認した後、由良は諦めたようにベッドを出る。いつもの服に着替えると、ゆっくりとした足取りで部屋を出て行った。巡洋艦寮の廊下は死んだように静かで、AL作戦組の中でも特にテンションの高い天龍と摩耶の部屋も、今日は思った以上に静かだ。その静かさが返って不気味な気さえする。由良はそんなことを考えながら、出口へ歩いた。

 外へ出ると、晴れた夜空には夏の星座が降るように浮かんでいる。海に近い陸地での経済活動が崩壊した今、夜間照明を減らした鎮守府の空も、目に入る光は少なく暗い星までよく見えた。天の川が空に流れ、ベガとアルタイルがその対岸でお互いを見つめている。由良は巡洋艦寮を出たところでしばらくその空を眺めた後、ふっと本館の方へ目をやった。司令室の明かりはまだついているが、その私室区画にある風間の部屋の明かりもまだついていた。

「大佐さん、部屋にいるんだ…」

 由良は呟くと、少し逡巡した後、その足を本館へ向けた。

 本館の廊下も既に照明が落とされており、いつもより気を遣いながら、由良は二階へ上がっていく。佐官将官の私室は二階だ。その中で風間の名札のかかる部屋のドアの隙間から明かりが漏れていることを確認して、由良は思いきってそのドアを小さくノックした。しばらくの時間があってから、少し怪訝な顔をした風間が細く開けたドアから顔を出す。

「由良…?」

「あの…、眠れなくて…。少しお時間いいですか」

 顔を上げることができず、意図しない上目遣いになって由良はそう聞く。風間は一瞬考えたようだったが、「入りなさい」と由良を招き入れ、ドアを閉めた。

「こんな時間にどうしたんだ…と言いたいところだが、眠れないんだな」

 風間は苦笑いを浮かべながら、由良にそう言う。由良は照れたように笑いながら頷き、目の端に入った机を注視した。演習駒が並べられており、艦隊行動のシミュレーションをしていたのは明白だ。由良は、その中から自分の名前の書かれた駒をおもむろに取り上げる。

「大佐さんも、心配で眠れないのね」

 微苦笑を浮かべながら、由良は言う。風間も苦笑いを浮かべていた。

「預かってる命の数と、君たち艦娘の命の重さ。それを考えると準備はしすぎるほどでも足りない気がしてね」

 風間はそう言うと、机に歩み寄って陸地の一点を指す。

「最後は、陸上型の敵棲姫と戦うことになる可能性が高い」

 そう言う風間に、由良はこっくりと頷く。陸上型の棲姫には魚雷が効かない。由良のような軽巡洋艦や駆逐艦は、随伴艦の掃討がメインになる。主役は戦艦、重巡、空母だ。

「わかってる。大佐さんや陸戦隊のみんなに、敵は近づかせない」

 由良はそう言うと、自分の名前の書いてある演習駒をぎゅっと握る。そうしてから、『はまゆき』と書かれた駒の前に、演習駒をそっと置いた。風間は、その由良を見て優しく笑う。本来なら、まだ十代の少女であるはずなのだ。その双肩に乗っている使命の重さは、指揮を執る自分と比べても遜色ないだろう。開け放した窓から、夜の風が入り込んで、由良の長い髪を揺らした。机の演習駒を見つめるその佇まいは、美しいなと純粋に思いもするのだ。

「…さ、由良も部屋に戻って休んだ方がいい。僕もこれを片付けて横になるよ」

 そこまで自覚して、風間はそう由良に声をかけた。由良が少し驚いたように顔を上げる。こんなにすぐに追い出されるとは思っていなかったようだ。

「ほら。巡洋艦寮までは送っていこう」

「あ、その…。えっと…」

 由良はしどろもどろになりながら、長い髪をいじる。由良はしばらく葛藤していたが、意を決すると扉の前に歩いて行き、扉を背にしてその鍵をかけた。

「由良?」

 由良の行動を訝しんで、風間が由良に歩み寄りながら声をかける。由良は、風間の靴が視界に入ってきたところで顔を上げた。

「大佐さん」

 その声に、風間の歩みが止まる。

「戦いの前に、私を女にしてください」

「由良…」

 風間は由良の突然の言葉に虚を突かれた。だが、由良の表情は思い詰めたものでもなければ投げやりなものでもない。だからこそ、無碍にできないと悟った。

「…それはできない」

「どうして…ですか…?」

 由良の表情が揺れる。拒絶の言葉は、由良の心を乱していく。

「今の僕と由良は、指揮官と指揮下の艦娘と言う関係だ。だからこそ、君をどうこうすることはできない」

 風間の表情は真摯だった。由良の表情がゆっくりと崩れていく。

「そう…ですよね。私…余計なこと…言いました…」

 由良の背中で、カチリとドアの鍵が外れる音がする。

「でも」

 風間の声に、由良の顔が跳ね上がる。

「それは今という状態だからだ。二人共退役すれば、何の障害もない」

 そう言って、風間は由良に笑いかける。

「お互い生き残って、戦い抜いて、無事に退役できたらもう一度聞くよ。その時は僕もちゃんと応えよう」

「大佐さん…」

 由良の顔に、崩れたままではあるが笑顔が戻る。

「今日はもう戻りなさい。大湊までの護衛も頼んでるんだから」

「了解です!」

 ぴっと敬礼を返す由良は、瞳の端にうっすらと涙を浮かべていた。

 由良は敬礼を解くと、静かに風間の私室から出て行く。正直なところ、誰かに見られたら風間の評判が悪くなりそうな状況だ。そのまま滑るように廊下を抜けて、本館から出て行く。星が降りそうな夜空は相変わらずで、海風は優しく由良の頬を撫でた。

「…絶対、みんなで戻ってくるんだ。大佐さんも、由良も」

 きゅっと拳を握りながら、由良は静かに巡洋艦寮へ戻っていく。

 風間は、窓から小さくなっていく由良の姿を見届けた後、カーテンを閉めて演習駒を片付けだした。

「まさか、由良にあんなストレートなこと言われるとは思わなかったな」

 微苦笑を洩らしながら、由良の名の書かれた駒を手に取る。由良が自分を好く思っていてくれていることは気づいていた。だが、自分は二十代半ばの大人であり、由良にとっては直属ではないにしても上官だ。いろんな面でも艦娘であり十代半ばの少女である由良の好意は憚られた。だが、である。無事にこの戦いを戦い抜けば、由良もその頃には大人の女性になっているだろう。そうして、民間人同士になってしまえば、何も憚ることはないのだ。

「僕も頑張らなきゃな…。みんなを、一人も欠かさずに連れて帰ってくるんだ。中将のように…」

 そう呟いて、由良の演習駒を箱の中に戻した。

 


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