本土に襲いかかった敵の主力部隊は、佐々木が指揮する残存艦隊で、辛うじて撃退できた。風間の部隊も、木村の部隊も、鎮守府に戻ってきたのはその後だ。本土東海上での迎撃戦になったため、本土への被害は皆無に等しかった。
やがて、軍令部への作戦終了の報告が行われ、鎮守府にはいつもの日常が戻ってきていた。風間も、木村の補佐官としての日常に戻っており、その日も雑務に精を出していた。
「あの…提督、すみません…」
名取が司令室に顔を出してきたのは、ある日の夕刻前のことだった。
「どうした、名取。珍しいな」
木村は書類を書いていた手を止め、顔を上げる。脇机に腰掛けて瑞雲を磨いていた日向も、作業机で同じように書類を書いていた風間も顔を上げた。
「あの…由良の遺品を整理していたら…引き出しの奥からこんなのが出てきて…その…」
名取は言いながら、二通の手紙を木村の机に差し出す。
一通は木村宛になっており、一通は風間宛になっていた。木村と風間は思わず顔を見合わせる。
「遺書か」
日向の淡々とした声が、風間の耳に届く。冷たい空気が一気に降りてきたようだった。
「開けてないのでわかりません…。提督と風間大佐宛だったので、持ってきました…」
名取がそう言うと、木村は二通の便箋を手に取る。風間も席を立って木村の脇へ移動した。木村が風間宛の便箋を手渡す。名取は、頭を下げて司令室を出て行った。
「艦娘には、出撃前に遺書を書く習慣があるのか?」
木村が、表情のない日向にそう聞く。日向は、少し考えた後、手に持っていた瑞雲に視線を落とした。
「基本的に書く習慣はないな。みんな帰ってくるつもりだし、今まで沈んだ艦娘はいないのだから」
「そうか」
木村はそう言って由良が残したという便箋を見つめる。由良が何を残して逝ったのか、それは開ければわかることだった。
「…だが、これからはそう言う仲間が増えるかも知れないな。一番最初に沈んだ由良が、そう言った用意をしていたんだから」
木村は、その日向の声には応えなかった。全員無事に連れて帰ってきたい。それが木村の願いだ。だが、戦闘行為をしている以上、いつかはこういった事態が起きることは覚悟していた。それが自分の率いる部隊でなく、急遽抜擢した風間の部隊で起きたのは不幸以外の何物でもない。風間の報告を聞いても、AL列島に駐留していた部隊は明らかにMI島近海にいた部隊よりも強力な部隊だった。そこへ二戦級の戦力を突っ込ませたのだから、ある意味当然の犠牲と言えた。
「風間、開けてみるか」
沈痛な面持ちで封筒を見つめる風間に、木村はそう声をかけた。風間は、しばらく経ってから「はい」と小さく頷いた。
ペーパーナイフを取り出し、封筒の封を解く。風間が封筒の中から取りだしたのは、青いインクが乗った一枚の手紙だった。
風間大佐さんへ
大佐さんがこの手紙を見ていると言うことは、もう私はこの世界にはいないのかな。これが最後だと思うから、言えなかったことを書きます。
大佐さん。大佐さんは、もっと自信を持っていいと思う。もっと、積極的になっていいと思う。提督さんのサポートを献身的に務める大佐さんも、大佐さんらしくていいけど、大佐さんにはもっとたくさんのことが、大きなことができると思う。それは、私たち第三艦隊や、天龍たち第二艦隊でも同じ意見。みんな、提督さんがいないときの大佐さんには救われてる。感謝してる。だから、いつか、ううん、近い将来に、大佐さんには大きなことができると思う。だから、大佐さんにはもっと自信を持って、みんなを率いていってほしいの。それが、大佐さんのためで、提督さんのためで、みんなのためであるから。
私は、日向さんや夕張たちに比べて、練度も置いて行かれて、教導と護衛艦隊の指揮くらいしかできなかったけど、大佐さんの側にいれて幸せだった。もう私はいなくなってしまったけど、時々は思い出してくれたら嬉しいな。大佐さんは、身体に気をつけて、いつまでもみんなに慕われる強くて優しい指揮官でいてね。今まで、本当にありがとうございました。叶わない夢だったけど、ずっとあなたの側にいたかった。さようなら、大佐さん。最期まで、私はあなたのことが大好きでした。
長良型軽巡洋艦四番艦 由良
由良の丁寧な字は、風間に自身の思いをそう伝えていた。
ぽろぽろと、風間の双眸から涙が落ちる。
あの夜の後悔が押し寄せる。
もっと適切な艦隊配置ができなかったのかと何度も繰り返す。
だが、どんなに思い返しても、悔やんでも、あの由良はもう還っては来ない。
あの日、泣きながら海域で捜索を続ける響を収容したのは、もう夜になってからだった。いつもは淡々としていて、それでいてしっかり者だと思っていた響の打ちひしがれた姿を見たとき、自分はなんと浅はかだったのかと思い知らされた。彼女たちは確かに兵器ではある。だが、それ以前に一人の人格を持った娘たちなのだと。
艦隊が帰還してからも、鎮守府の空気は微妙に晴れないままだ。駆逐艦の教導を長く務めてくれた由良の存在は、かなり大きかったのだろう。第七駆逐隊はいつもより元気がなく、ふさぎ込むことが多くなった。第六駆逐隊は、天龍のテンションが微妙に上がらないこともあるし、由良と過ごした時間も長いため、やはり静かなままだ。由良と仲の良かった夕張は、工廠へ隠りきりになってしまった。鳥海は責任を感じて謹慎したいと言い出すし、扶桑姉妹は自身の不幸が由良を沈めたのだと嘆いた。摩耶だけが、あいつは最期まで立派に戦った。嘆くことはないと強がっていた。