艦これ その海の向こうに明日を探して   作:忍恭弥

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目を冷まして

 明けて大晦日の朝を、僕は司令室のソファの上で迎えた。目を覚ますとしんとした冷たい空気が司令室を覆ってる。僕に自分のコートを掛けてくれたこの部屋の主は、見当たらなかった。

 僕は提督のコートを畳むと、のそのそと起き出して小さな鏡で自分の顔を見た。泣きはらした目元が腫れて酷い顔だ。これじゃあ、みんなに泣いてましたって言ってるようだ。

「よう、時雨、起きたか?」

 出し抜けにドアが開いて、提督が颯爽と入ってきた。いきなりだったから少しびっくりした。

「う、うん。昨日はありがとう。僕、あのまま寝ちゃったんだね」

「さすがに白露や春雨のいる部屋まで抱えて戻すのもどうかと思ったから、悪いとは思ったがソファで寝てもらった。身体痛くないか?」

 提督は苦笑いをしながら、僕に湯気の立つマグカップを渡してくれる。中身は、コーンスープだった。

「インスタントで悪いがな、この部屋寒いから温まるぞ」

「ありがとう」

 そうお礼を言ってから、僕はマグカップに口をつける。ほんのりと甘い温かさが喉を下っていく。

「昨日の続きじゃないが、俺がここの司令官をやってる限り、お前は自由だ。下命された任務以外は好きにしてくれていい。秘書艦を外れたいなら、それでも構わないぞ」

 提督は同じスープを飲みながら、優しい表情でそう言ってくれる。

「ううん。海風にも春雨にも、この場所は譲らない。提督の筆頭秘書艦は僕だから」

 提督の横を離れちゃいけない気がする。この人は、僕を僕であろうとしてくれるから、僕も全力で応えたい。それが、きっと僕のためにもみんなのためにもなると思うから。

「そりゃあ光栄だな。でも、ちゃんと息抜きはするんだぞ」

 提督はそう言って最後は苦笑いを浮かべた。頑張りすぎるなってことだよね? この人のために頑張らなくて、誰のために頑張るんだろう。でも、過ぎたるは及ばざるがごとしってやつなのかな。

「ありがとう。時々は提督と一緒に岸壁でサボらせてもらうから」

「おっ、いいな。時雨も一緒に釣りするか。時雨がいたら水上航行できるからタモ網いらねえもんな。助かる」

 提督はそう言って笑う。また、いつもの子供みたいな笑顔だ。その笑顔がすっと胸の奥に入ってくる。ああ、溜まってた澱はずいぶん出たんだ。そこを、提督の優しさが埋めてくれてる。

「僕は釣り具の代わりじゃないよ?」

 そう言って、僕も笑った。本当に軽く、なにでもないことだけど、その冗談が楽しかった。

 

 やがて、提督は年末の激励にと鎮守府の各部署を回り出した。僕はその間、司令室で留守番を仰せつかった。表向きの理由は不測の事態に備えてってことだけど、その間に腫れた目元なんとかしろってことなんだろうな。窓からそろっと外を見ると、僕が不在でも餅搗きの用意は春雨と海風が中心になって進めてくれてる。司令室の大きな鏡餅はもう飾ってあるから、明日からのお雑煮用に使う分をつくだけだ。僕はハンカチを湿らせると、ソファで横になって目の上に載せた。冷たい感触が清涼さも伴う。目を閉じて横になっていると、昨日起きた色んなことが浮かんでは消えていく。

 農村や漁港の人たちの笑顔。

 それを取り戻した僕たちの手。

 その人たちの感謝の気持ち。

 佐々木大佐との間にあったこと。

 逃げ出したいくらい辛かったこの一年。

 それでも確かにあったと思う、佐々木大佐との信頼。

 バニラ湾沖夜戦で起きたこと。

 提督の優しい声。

 今思うと、嵐の中を単艦で航行しているようで、先も見えず、帰り道もわからないまま進んでた。五月雨を、鎮守府のみんなをただ救いたくて、佐々木大佐に差し出した僕の身体。執拗に僕の肌を求めた佐々木大佐はもういない。いつも暴力を振るって、時々反抗する僕を鎮めようとしてた。でも、その狂犬のような振る舞いの底に、いい知れない弱さがあったのを僕は知ってる。きっと、僕しか知らなかった佐々木大佐の弱さ。その弱さが、僕との約束だけは護るという姿勢になってたと思う。僕以外の誰にも手を触れないという、最初の約束というか、契約。結果として、僕は僕の存在で佐々木大佐を僕に縛り付けることができた。それ以来、威圧的なのは変わらなかったけど、誰も佐々木大佐の被害者はいない。僕は当初の目的を果たしたんだ。五月雨を、他の姉妹艦を、この鎮守府で働く全ての人を、佐々木大佐の魔手から護るって言う。でも、その代償として僕は佐々木大佐とお互いを縛りあうことになった。結果的に、僕は僕一人でできる佐々木大佐からの要求を全て飲んだ。心を殺さないとできないこともたくさんあった。いつか、僕は心を殺して、佐々木大佐だけを見るようになってた。姉妹艦とも、最低限度の接触以外はしなかった。自分で作った佐々木大佐の檻の中に、僕も入って佐々木大佐と過ごした。いつの間にか、それが当たり前だと思うようになってた。僕は、佐々木大佐への贄なんだって、素直に思い込むようになってた。逃げ出したいと思う日もあったけど、みんなが幸せになればいいと思ってた。でも、それは、バニラ湾沖夜戦で佐々木大佐が戦死して唐突に終わったんだ。感情の整理ができない僕に、江風は僕は幸せにならなきゃいけないって泣いた。佐々木大佐への依存が確かにあった僕に、江風の声は正直堪えた。でも、提督がここへやってきて、夕立もやってきて、提督が空気を入れ換えた鎮守府で、僕はいつの間にか前のように笑えるようになってた。それは、前からここにいる姉妹艦も同じだった。優しい提督が、みんなを佐々木大佐の呪縛から解き放ってくれた。それは、僕も同じだった。提督は、僕を優しく見守ってくれた。適度な距離を空けて、心地いい居場所を作ってくれた。

 ああ、そうか。

 僕は、提督の側にいたいんだ。

 好きだとか、そんなのはわからないけど。

 だから、佐々木大佐との間にあったことを知られたくなかったんだ。

 軽蔑されるかも知れない、嫌われるかも知れないって怖かったんだ。

 でも、提督はそんな僕も認めてくれた。

 辛かったなって言ってくれた。

 もう、肩肘張って頑張らなくていいんだ。

 僕は、僕のままで。

 


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