艦これ その海の向こうに明日を探して   作:忍恭弥

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時雨の涙

 弾薬と機関用の燃料の補給を受け、第一岸壁に赴くと、もうすでにみんな待っていた。淡々とした若葉以外は笑顔で迎えてくれる。

「遅くなった」

「じゃあ行きましょうか」

 司令官からの訓示もなく、由良の声でスロープから海へ足を下ろす。沖の方で今日護衛予定の輸送船が見えた。全部で五隻。制海権を失っている今、民間での航海や飛行は難しく、軍の徴用船を私たちが護衛しながらの航海が比較的安全といえた。それでも、船団護衛に割ける艦娘の数はまだ少なく、丸腰の船団は深海棲艦に襲われる危険を冒して航海を続ける。深海棲艦に通常兵器は通用しないから、私たちの持っている武装のみがその一矢となり得た。

 単縦陣で進む輸送船団と少し間隔を開けて、私たちも周囲で散開しつつ警戒しながら進んだ。陸地を右手に見ながら、島伝いに西南方面へ進む。初日は何事もなく終わった。夜間航行も続けるようなので、私たちも警戒を怠らず進む。輸送船の速度に合わせて進んでいるから機関は無理をしていないし順調だ。満点の星空の下、物資を満載した輸送船との旅は続いた。

 順調すぎる航海は、翌日の夕方、南西のP諸島のL島に到着して一旦終わった。鎮守府とは違う密度の濃い空気が、ここは南西だと教えてくれる。

「一休みして補給を受けたら、油槽船六隻の船団を護衛して鎮守府へ戻ることになったわ」

 港の休憩所で休んでいると、司令から届いていた電報の紙を持って、由良が指揮所から笑顔で戻ってきた。

「はは…。ちょっと寝ておきたかったけど休憩なしかあ」

 時雨が苦笑を浮かべながら、由良の声にそう応える。

「状況は逼迫しているんだ。仕方ないな」

「そこまで慌てなくてもいいわよ。油槽船の準備はまだ済んでないんだから」

 腰を浮かそうとする若葉に、今度は由良が苦笑して止めに入る。

「二三〇〇出港予定よ。それまでは食事を採ったりしながらゆっくりしましょ」

 由良の声に対して若干不服げに見える若葉に、時雨が微苦笑を噛み殺していた。

 食事を済ませ、燃料の補給を受けると、若葉などはさっさと仮眠に入ってしまったが、どうも眠れそにない。部屋を見渡すと、由良も横になっているようだ。照明のないうす暗い部屋は、夜だというのに温かい風と波音だけが流れ込んでくる。ふと、時雨がいないことに気づいた。私は、若葉と由良を起こさないようにそっと部屋を抜け出すと、岸壁へ歩いて行く。そこには、思った通り時雨の小さな背中があった。

「響?」

 足音に気づいたのだろう。時雨が少し驚いたように振り返った。

「こんなところでどうしたんだい? 若葉も由良も眠っているぞ」

 私はそう言いながら、時雨の横に腰を下ろす。月明かりに照らされるだけの海は、暗く柔らかなセルロイドのようだが、月明かりの映り込んでいるところだけはビロードのように見えた。

「疲れてるけど、眠れなくてね。響もだろう?」

 時雨は微苦笑を浮かべるとそう言った。全くその通りだ。眠れないのは私だけじゃなかったんだな。

「ここには何度か来たことあるけど、毎回そうなんだ。このL島の港は、最終目的地でもあったから」

「最終目的地?」

 私は何のことかわからずに時雨の顔をのぞき込む。そこには、いつもと違う時雨の表情があった。いつも明るく笑みを湛えているような穏やかな表情ではなく、今にも壊れてしまうそうなくらい、悲しい顔。

「そう。僕たち西村艦隊の」

 そう言って、時雨は目を伏せる。

「この先のスリガオ海峡で、西村艦隊は僕を残して全滅したんだ。山城、扶桑、最上、満潮、山雲、朝雲…。艦のみんなは、今でもこの海の底で眠ってるはずなんだ」

 つ…と時雨の頬を滴が伝う。いつもの穏やかな表情はもう完全に崩れていた。

「この海を見るとね、今でもこうやって涙が止まらないんだ。最後尾にいたから僕は助かっただけ。誰も助けられずに、一人で逃げ出すしかなかった」

 そう言いながら、時雨は瞳を伏せる。大粒の涙がまた頬を伝い、時雨のスカートを濡らす。私は黙っているしかない。坊ノ岬沖でも、私は触雷で大破して、朝霜に呉まで連れて帰って貰って、結果として生き延びた。私を連れて帰ってくれた朝霜は、機関故障で動けなくなり、艦隊から落伍しているところを真っ先に狙われ、誰にも知られずに沈んだんだ。時雨も、生き残ったとはいっても、すぐあとの輸送船団護衛任務で撃沈されてしまっている。

 ちら、と時雨を見ると、涙こそ流しているものの、その表情はしっかりしていて、もう崩れきるようなことはないようだ。その涙は、まだ海の底に眠る僚艦たちへの供養なのかな。死に場所を得られなかった私としては、正直に羨ましい。

「つまらない話をしたね」

 時雨の声で、私は弾かれたように時雨を振り向く。時雨はごしごしと拳で涙を拭うと、赤い目のまま私に笑いかける。その笑顔の方がいたたまれないな。時雨は強い。私なんかよりもずっと。

「二人共こんなところにいたのね」

 声に私と時雨が振り返る。由良がいつの間にかやってきていた。束ねた髪がゆらゆらと夜風に吹かれて揺れている。

「時間?」

 立ち上がりながら、時雨がそう聞く。由良は微笑いながら首を振る。

「時間まではまだあるわ。若葉ちゃんはまだぐっすりよ。起きた時に二人の姿が見えなかったから、目覚ましついでに探しに来ただけ」

 由良はそう笑う。その笑顔に曇りがないのは、この海に何も感じるところがないからなんだろうか。

「僕はちょっと顔を洗ってくるよ」

「いってらっしゃい」

 立ち上り駆けていく時雨を見送りながら、由良は小さく手を振り、私を振り向いた。

「驚いた? 時雨ちゃんはこの海に来ると、いつもこうなのよ」

 そう言う由良の瞳は、時雨に対しても、私に対しても優しさを浮かべてる。由良は、時雨のようなことはないんだろうか。喪った仲間を思って泣くような。

「不思議そうな顔してるわね」

 由良はそう言うとニッコリ笑う。そんなに顔に出ていたかな。

「私はみんなより比較的早くに沈んだから、そういうのはないわ」

 そう言うと、由良はいたずらっぽく笑う。

「…と言うより、考えないようにしてるって方が正しいかしら。一番先に見送られるのも、結構辛いもの、あるからね」

「そんなものなのか…」

「他の艦のことは知らないけど」

 そう言って由良は前髪をかき上げる。由良にも、何かしら思うところはあるようだ。私だけではないんだな。時雨も、由良も、何かを抱えて、それでも前を向いてる。私も、いい加減前を向かないとな。この新しい世界の雷や電がそうしてるように。

「響ちゃん」

 声をかけられ、私は由良を見上げる。

「帰るわよ。みんな一緒に」

 そう言って、由良はにっこりと笑う。その笑顔には曇りがなくて、私は思わず視線を落としてしまった。


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