「んっ……んぅ」
寝ぼけた頭で時計を見る。
朝の六時だ、普通ならもうちょい安眠を貪っても良いのだが俺は起き上がり、いそいそと着替え、音を立てないようにそーっと階段を降りる。
「あら、双葉早いわね」
「ん、おはよ母さん」
少し髪の毛が乱れているがパジャマ姿の母さんと廊下でばったりと会う。
「毎日毎日、あんたも凄いわねえ。それに比べて一誠の方は」
「イチ兄、最近眠れないみたいだからさ、そこは勘弁してあげて」
最近、イチ兄はあんまり眠れていない。いや、眠れないと言ったほうが正しいか。
結論から言おうか、イチ兄は悪魔になった。
中二病とかではなく、マジモンのお伽話とかで出てくるあの悪魔に。
「じゃあいつも通り七時には戻るから」
「いってらっしゃい」
あの時のことを思い出しながら、俺は朝の日課であるトレーニングを始めた。
*****
「悪、魔……?」
「信じられない?」
ウィンクでもして言いそうな台詞だが笑えない。
悪魔、堕天使ときたら天使までいるんだろうなとぼんやりと思う。もうこの際、今までの常識は全て捨て去る。さようなら常識、こんにちは非常識、ってな。
「とりあえず話はまた今度ということで。あなたも疲れたでしょ?」
「えぇ、まぁ……あの、兄は」
「私が家まで送り届けるわ。そのほうが色々不都合もないでしょうし」
まぁ、確かに。
担いで行ったら街中で110番、家に付けば親になにか言われるのは明白。だったら悪魔に運んでもらったほうがいいだろう。
「お願いします」
深々と頭を下げる。
何をしたのか、彼女がどんな人なのかわからないがイチ兄の命を救ったのは紛れもないこの人だ。礼儀を示すのは当然。
「礼儀正しいわね。でもいいの? あなたのお兄さんを助けたから代わりにあなたの命をください、って私が言ったら――」
「あげますよ」
間髪入れずに言うとリアスさんが目をぱちぱちさせながら驚く。
まぁ、確かに命くださいって言って即座にあげると言ったらこうなるか。
俺が死んだら友達や両親、イチ兄……あとあの黒猫も悲しむだろう。
「怖くないの? 死ぬのよ、あなた」
「……めちゃくちゃ怖いですよ。でも、家族を失うほうがもっと怖い」
俺の言葉に耳を傾けるリアスさんは、無言で頷くと一枚の紙を渡してきた。
「これを持ってなさい」
「これは?」
びっしりと何かの文字が書かれており、中央にはアニメや漫画とかで見る魔法陣があった。紙自体は古いものようでふんわりとしている。
「お守りよ。一回だけ、あなたを手助けしてあげる」
「……使わないことを祈ってます」
金輪際、こういう方々と会いたくないが売り言葉に買い言葉、あの堕天使を挑発してしまった俺にはありがたいアイテムだ。
まぁ、ぶっちゃけ今すぐ捨てたいけどな! 悪魔からの贈り物とか怖すぎる。
「じゃあ、あなたは普通に帰ってちょうだい」
「はい……あのリアスさん」
「なに?」
もう一度深々と頭を下げて言う。
「兄を助けてくれて本当にありがとうございました」
「気まぐれよ、それにこの子は……今言うことじゃないわね。じゃ、また今度ね」
そう言うとリアスさんは地面に魔法陣を描き、消えてしまった。
そしてここでようやく思い出した。
「あれ? リアス・グレモリーって人うちの学校にいなかったっけ?」
*****
「いってきまーす」
「……行ってきます」
トレーニングを終えた俺はいつも通り朝ごはんを食べ、通学する。
対するイチ兄はというと明らかに絶不調の様子だった。足取りは重いし、何度もあくびをする。
しかし夜になると話は別だ。
アスリート真っ青の速度と持久力、おまけに五感もかなり上がっている。
正直、嫉妬するレベルでイチ兄の身体能力は上がっている。
本人も困惑してるが、あれからリアスさん……いや、リアス先輩からコンタクトはない。
事情を話してくれるそうだが、どうなることやら。
あとイチ兄からあの堕天使について聞かれたことがあった。
『な、なぁ、夕麻ちゃんって俺の彼女覚えてる?』
『いいや? 覚えてないな』
自分の兄が馬鹿で助かったと発言してから思った。
どうやら俺は覚えてないと早とちりしたようだがバッチリと覚えている。
本人のためだし、父さん母さんもキョトンとした顔でイチ兄を心配した……まっ、つまるところ記憶を操作されてるんだなと俺は納得した。
悪魔や堕天使がいるこの世界なら簡単に出来んだろと俺は勝手に思っている。
「つ、辛い、おぶってくれよ双葉」
「自分の足で歩け。イチ兄も早朝トレーニングすればいいのに」
冷たく切り捨てる。命はかけるが日常生活出来るなら自分の足で歩けと思う俺。
そうして談笑しながら歩くこと数十分、俺達の通う駒王学園が見えてきた。
数年前まで女子校だったため、女子の数が圧倒的に多い。
俺は家から近いから選んだが、エロの権化である兄は「女子が多いなら彼女の一人や二人出来るだろ!」と安直な理由で選んだ。
合格不可能と言われた成績で一年間の猛勉強の末、受かった兄は正直動機が不純でも誇らしいと思う。
「じゃあ昼休みに」
「了解、じゃ」
下駄箱で別れる。
イチ兄は二年、俺は一年だからな。
そして教室に入るとほとんどのクラスメートがダベってるかHRまでの短い間に睡眠をとっている。何人かの友人に挨拶し、自分の席に座って、隣の席でもふもふと朝からお菓子を食べるあいつに挨拶する。
「おはよ、小猫」
「んっ」
短く返事したと思ったらまたお菓子を食べ始める。
塔城小猫、マスコット的な扱いで一部男子、女子から熱狂的な人気を持つクラスメートだ。
なんでも小学生みたいな小柄な体カワイイヤッター!! という声があるそうで。
まぁ、お菓子をカリカリと食べる姿がハムスターとか小動物みたいで可愛い……のか?
「何か顔についてる?」
「唇に色々付いてるぞ」
隣の席になった時は驚いたもんだ。
思わず「小学生?」と言った時に繰り出されたパンチの威力は決して忘れない。避けたら当たった机が軽く凹んでいたあの小柄からどんなパワーしてんだと思ったもんだ。
にしても平々凡々、あれから何日か経ったが何も起こらない。
夢なんじゃね? と何度も思ったがポケットに入ってるあの古い紙が嫌でも現実だと思い出させてくれる。
同時にイチ兄を殺したあの堕天使がこの街にいると思うとゾッとする。
もしもまたイチ兄が巻き込まれたら、クラスメートの誰かが、親が……ぐるぐると思考がループする。
「あいてっ」
「朝からそんな暗い顔しないで」
小猫に教科書で叩かれる。
そんな暗い顔してたのか?
「この世の終わり、みたいな顔してた」
「……まぁ色々あってな」
言っても仕方ないし、信じてもらえないだろう。
それに小猫とはただのクラスメート、友人……じゃないかもしれないがそこまで深い仲でもないしな。
「不安なのはわかる、部長ももうそろそろと言ってる」
「……おい、ちょっと待て、それってどういう」
そんなとき、丁度先生が入ってきてHRになってしまった。
さらに運の悪いことに休み時間、小猫はどこかに行ってるか女子に囲まれて話かけられなかった。
****
「結局、わからずじまい……か」
放課後になると名前の通り猫のように姿を消してしまう小猫を追いかけることを諦め、俺はトボトボと校内を歩く。
イチ兄は早々と友人たちとエロDVDを見に行ってしまった、とクラスメートの人から聞いた。
これ幸いに小猫を探していたのだが、前述したとおり諦めたのでたまには散歩と校内を歩いている。
「はぁ……なんもねーな」
聞こえるのは運動部の声だけ、ほとんどの生徒が帰っているらしく。校内は静まり返っている。
……久々にあの黒猫のとこ行こうかなぁ、猫缶買って。
そんなことを考えていた時、前から歩いてくる人がいた。
「あら、お久しぶりですね」
「ん……あっ、どうも」
ニコニコとした笑顔を絶やさずこっちに挨拶してくるのは、三年の姫島朱乃先輩だ。
些細な事で知り合って以来、何かと気にかけてくれる優しい先輩だ。
ちなみにリアス先輩と合わせて二大お姉さまとかなんとか言われているらしい。
「どうしたんですか? こんな時間に」
「いや、ちょっと散歩を」
「あらあら、私もご一緒しても?」
ずいっと体を近づけてくる姫島先輩に思わずたじろぐ。
そりゃ大和撫子を体現するほどの美しさと……その豊満なバストで近寄られたらそりゃたじろぐ。てかなんでこの人は事あるごとに俺の近くに来ようとするんだ。
「い、いやそろそろ帰るんで」
「あら奇遇ですね、私もそろそろ帰ろうと思ってたんですわ」
誰か助けて、と叫びたい。
いやそりゃこんな美少女と一緒に下校とか男冥利に尽きる。駄菓子菓子だ……間違えただがしかし、姫島先輩と帰ったなんて知られた日にゃクラスメートどころか全学年から吊るしあげられる。
ただでさえ、子猫と仲良くしてるなんて理不尽な理由で一回えらい目にあったこともある。
ここは穏便に、なおかつ安全に帰ってもらおう。
「え、えっと友達が――」
「いませんよね?」
「用事があるんで――」
「そこまでお付き合いします」
「急病な――」
「看病いたしますわ」
「許して?」
「一緒に帰りましょう」
NOOOOOOOOOOOOOOOOO!! と心のなかで叫ぶ。
何なの今日は!? びっくりするほど粘られるよ!? いつもだったらニ、三回断ったら「あらしょうがないわね、また今度」で終わるのに。
「くすっ、ちょっと虐めてみたくみたくなったの。そんな顔したらまたしたくなっちゃう」
「じょ、冗談が過ぎますよ、ホント」
巷で言われてる姫島朱乃は天使という奴らに見せてやりたい。この人、根っからのドSですよ。困ってる顔が大好きな女王様ですよ……まぁ、その小悪魔みたいな笑顔が一番可愛いんだけど。
「本当に一緒に帰ってもらえませんの?」
「周りの目が怖いんで……」
ふぅと一息つくと姫島先輩は舌を出す。
「残念、振られてしまいましたわ」
「……あーと、ごめんなさい。今度何か奢りますから」
「本当!?」
近い近い近い顔が近い、あとふわっとした匂いが鼻腔くすぐってヤバイですはい。
「本当ですの!? 嘘じゃなくて」
「本当! 本当ですから近い! 近いですよ!」
何を刺激したのかわからないが目を輝かせて、ブンブンと腕を振る姿は普段の姫島先輩から想像できなかった。
「約束しましょ? 指切りで!」
「指切り……?」
その言葉に妙な既視感を持つがすぐに消え去る。
なんだろ……なんか忘れてるような。
「はい、ゆーびきりー」
「げーんまーん」
自然と小指と小指をつなげて指切りする。まるで何度もやってるような風で。
……指切りなんてここ何年もやってないはずなんだがな。
そんな俺の反応だが体と口はしっかりと動く。
「「嘘ついーたらかみなーりおーとす! ゆびきった」」
しっかりとシンクロする声に笑ってた姫島先輩もハッとした表情になる。
「え、っと、その」
「ゆび、切りしましたから……」
「えっ?」
俺は反転すると全速力で下駄箱目掛けて走る。
「また今度―!!」
姫島先輩の返事も聞かずに走り去る。
走って走って、家の前まで走りきって気づいた。
「……上履きやん、これ」
ヒロインは朱乃……うん、きっとそうメイビー(書き溜め見ながら)