サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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閑話21 懲戒尋問

なかなか真っ直ぐにならない髪をミセス・ウィーズリーがなんとかしようと努力しているところへ、トンクスがやって来て「いっそこういう頭にしちゃったらどう?」とヘアワックスで、マグルの少年たちがよくやるように前髪ごとツンツンと立てた。

 

「それに、そんなジャケット、今時のティーンエイジャーは着ないのよ、モリー。シャツは尋問の時にきちんとチノの中に裾を入れちゃえばいいわ。それまでは襟をこう大きく開けちゃってラフに、リラックスした着こなしをするべきね。地下鉄を使うんでしょう、アーサー?」

「ああ、そのつもりだ」

 

アーサーおじさんが地下鉄路線図とにらめっこしたまま、顔も上げずに答えた。

 

「完全に魔法を使わないやり方で出頭するほうが印象は良いだろうからね」

「だったらハリー、マグルのティーンエイジャーらしくしなきゃ。国際機密保持法を遵守して、ツンツン髪でシャツを着崩して地下鉄に乗る努力をする義務が君にはある。ね?」

 

トンクスが手早く整えたハリーの支度を上から下まで眺めて、ふりふりと頭を振ったモリーおばさんだったが、マグルのティーンエイジャーらしいファッションが国際機密保持法を遵守することになると言われては文句も言えないとばかりに溜息をついた。

 

「やあ、おはようハリー。ずいぶん元気な髪になったようだな」

「シリウスおじさん」

 

シリウスはハリーの肩をぽんぽんと叩いた。

 

「懲戒尋問の時には、レイが被告側証人として君の弁護人になる。凄腕の弁護士を雇ってやったぞ」

「ギャラは物凄い額?」

「ハグリッドのポケットマネーでやっと雇えるぐらいのトップクラスの額さ」

 

アーサーおじさんはやっと地下鉄路線図から顔を上げた。

 

「君の尋問を担当する判事はアメリア・ボーンズ。おそろしく融通の利かない人だが、その分、完璧に公平な魔女だよ。魔法法執行部長、レイのボスだ」

 

ハリーはコクコクと頷いた。

 

「だが油断はするなよ、ハリー。レイはあらゆる面で君をサポートするが、アメリア・ボーンズは違う。また、あの2人はレイのインターン時代からの上司と部下の関係で互いに深く信頼し合っているが、だからこそ尋問に手心を加えるような甘い魔女じゃないぞ」

「シリウス、そんなに脅かすものじゃない。大丈夫だよ、ハリー。未成年魔法使用制限条例は、マグルの未成年にもありそうだが、未成年の健全な育成の為にあるもので、厳罰を課すためのものじゃない。反省を促すためのものだし、君が使った魔法は守護霊の呪文だ。悪質なものではない。また、未成年とはいえ生命を脅かされる危難に遭遇した場合には魔法の使用は認められる。真摯に、癇癪を起こさず、冷静に起きた出来事を供述することだけを考えていればいい」

 

またコクコクと頷いた。

 

「だが、そうは言っても懲戒尋問に至る経緯の強引さには不審な点が多々ある。つまり、魔法省の意向だ。ファッジは闇祓い局にも圧力をかけている。キングズリーやトンクスもおおっぴらにリトル・ハングルトンの事件を証言しないように命じられてしまった。つまり、あれは例のあの人の復活などではなく、ワールドカップのモースモードルと同じ、元死喰い人の悪ふざけというのが魔法省の公式見解だ」

「魔法省の意向がそういうものだと肝に銘じて、ハリー、優等生ぶるんだ。いいかい? 癇癪は起こすなよ」

 

シリウスがハリーに向かってニヤっと笑いかけた。グリモールドプレイスにやって来てからのハリーの癇癪を面白がっているのだ。

少し感情的になり過ぎたとハリーも反省してはいるのだが、ロンとハーマイオニーだけが早くから不死鳥の騎士団本部に滞在していて、自分だけがダーズリー家に釘付けというのはどう考えてもアンフェアだ。蓮がいないことも不思議ではあるけれど、心配しているのは主にジョージとジニーで、ハーマイオニーは曖昧に「キングズクロスで、この夏はコーンウォールから出られそうにないと言っていたでしょう。何かお家の方で大事なことがあるのよ」と推測していたし、ロンは「フランスだかブルガリアだか日本だかにバカンスじゃないのか?」とシンプルに解釈していた。

 

この夏は何かがおかしい。

 

ハリーの苛立ちの原因はそこに集約される。

もちろんヴォルデモートが復活したのだ。いつも通りというわけにはいかないことはわかっている。それでも、ハリーの周りがみんな何かを隠して、何かを画策していて、何かを心配してぎくしゃく軋んでいる。

 

シリウスに訴えると、シリウスはハリーにこう言った。「慣れろ」と。ヴォルデモートが復活して、不死鳥の騎士団サイドも死喰い人サイドも、裏では活発に動いている。しかし、誰もその全体像を把握してはいない。与えられたプランを着実に実行するだけでも十分に危険なのだから、プランの全体像を把握しているとチームの全員を危険に晒すことになる。知らなくていいことには絶対に首を突っ込まないこと。これは鉄の掟だ。

 

その説明にもハリーはまだ納得してはいない。

僕の両親はヴォルデモートに殺されたんだ。僕は今までにヴォルデモートと対決したことがある。あいつは僕を敵として狙っているし、僕にだってあいつは敵だ。

戦うのは僕じゃないか。その僕がなぜ情報から遠ざけられなければならない?

 

こう考えてしまうのは思い上がりだろうか?

ハーマイオニーの言う英雄症候群というやつだろうか?

 

モリーおばさんは、ハリーを自分の息子と同じように可愛がってくれる。でもそれは、自分の息子同様に未熟で、重大な事件に関与する資格はまだないと言っているのと同じだ。

シリウスとルーピン先生は、もう少し柔軟だけど、言うことは決まって「慣れろ。ヴォルデモートの一派と戦うというのはこういうことだ」だ。

 

こういうことってどういうことだ?

僕には僕を狙っているやつが今どこで何を企んでいるのか知る必要があるに決まってるじゃないか。

僕だって好きで「生き残った男の子」になったわけじゃない。でもなってしまったからには、戦うしかないじゃないか。

こんな風に、目隠しされて耳当てをつけられた状態にいったいどうやって慣れろと?

 

蓮と話したいな、とハリーは思った。考えてみれば、いつもヴォルデモートと戦うのは蓮と一緒だった。リトル・ハングルトンでも一緒だった。

当事者なのに情報から切り離されているのは、僕も蓮も同じ立場だ。

 

誰の言葉も素直に受け入れられなくても、蓮の言葉なら受け入れられそうな気がした。

 

 

 

 

 

「なんだって?!」

 

予定時刻よりずいぶん早く到着して、アーサーおじさんのオフィスで時間まで待とうとしていると、そこへパーキンスさんという初老の魔法使いが駆け込んできた。

 

「8時開廷? その連絡が10分前の緊急通達・・・馬鹿な」

「しかし、アーサー、急がないと。場所は下にある古い10号法廷ですよ」

「なんてことだ!」

 

アーサーおじさんはハリーの襟首を掴むようにしてオフィスを飛び出した。

 

 

 

 

 

「懲戒尋問、8月12日開廷。未成年魔法使いの妥当な制限に関する法令と国際機密保持法の違反事件。被告人、ハリー・ジェームズ・ポッター。住所」

 

自分を指している「被告人」の単語にハリーの胃袋がギュッと縮んだ。

 

アーサーおじさんは法廷のドアのところまで見送ってくれたが、関係者ではないので中には入れないと言った。裁判ではなく尋問に過ぎないのだから、正式な保護者でも被告側証人でもないおじさんがしゃしゃり出るわけにはいかない。

シリウスには保護者の資格はあるが、法廷に与える心証は決して良くないからこの場合は蓮のママに任せるのがベストだと判断された。

 

ひどく心細かった。

 

時間と場所が変更になったことは蓮のママに伝わっただろうか。

 

それに、魔法界の「尋問」って、なんて大人数を相手にしなきゃいけないんだろう。50人はいそうだ。

これは本当に「尋問」なのだろうか。ペチュニアおばさんが観ているドラマに出てくるマグルの法廷だって傍聴人を除く裁判関係者はこんなにいない。こんなにたくさん同じローブを着た傍聴人が「未成年」に対する「尋問」を傍聴するのか? もしかしたら、僕はとんでもない罠に嵌って重罪人として裁判にかけられようとしているのでは?

 

「尋問官、コーネリウス・オズワルド・ファッジ魔法大臣」

 

ハリーは呆然とファッジを見上げた。大臣が尋問官?

 

「アメリア・スーザン・ボーンズ魔法法執行部長、ドローレス・ジェーン・アンブリッジ上級次官」

 

未成年1人に対して尋問官が3人? 保護してくれる大人も無しに?

 

「法廷書記、パーシー・イグネイシャス・ウィーズリー」

 

憂鬱な気分でパーシーを見上げたとき、コツコツと硬いヒールの音が軽やかに響いてきた。蓮によく似たアルトの声も。

 

「被告側証人、レイ・エリザベス・キクチ・ウィンストン」

 

濃紺のパンツスーツに白いシルクのシャツブラウスを着て、たぶん高級なブランドの、書類が入る大きなバッグを提げた蓮のママがハリーの左後ろに立ってくれた。へなへなと膝から力が抜けていきそうで、ハリーは慌てて脚に力を入れて踏ん張った。

 

来てくれた。僕の弁護士だ。この法廷の中で唯一僕を守ってくれる大人だ。

ハグリッドが蓮のママに全幅の信頼を寄せているのが、ハリーにもよくよく理解出来た。左肩に温かさを感じる。1人で立ち向かうわけじゃない。僕は僕自身の身に起きたことを丁寧に喋るだけでいいんだ。

 

チラッと振り向いたハリーに、軽く口角を上げて頷くと、蓮のママは「間に合ったようですわね」とアメリア・ボーンズを見上げて言った。

 

「厳密には間に合ったわけではないが、緊急通達により時間を早め、場所も変更になったことを踏まえ、今回は不問にする。以後気をつけなさい」

「しかるべく」

 

蓮のママはファッジと、アンブリッジとかいうガマガエルみたいな尋問官をまるで無視している。

 

「エヘン、エヘン」

 

ガマガエルみたいな尋問官が何か言いたいらしいが、無視している。

 

「あー、レディ」

 

ファッジをまた無視して、蓮のママはジャケットの下のショルダーホルスターから取り出した杖を振り、机と椅子を出した。

 

「ボーンズ尋問官、早速ですがここで被告側書証1号証を提出いたします。書記官、配布してください」

 

パーシーを呼びつけて紙の束を渡し、自分で用意した席に立ち上がって、蓮のママは「さて、ボーンズ尋問官にお尋ねいたします」と切り出した。

 

「何か?」

「書証の通り、未成年魔法使いのための『懲戒尋問』として被告人は召喚され、こうして出頭しております。記載された尋問官の名はアメリア・スーザン・ボーンズのみ。ところが」

 

蓮のママは50人近い法廷のメンバーを愉しげにぐるっと見回した。

 

「どう見ても、成人魔法使いの重大な刑事事件の大法廷の構成になっております。また、さきほど尋問官の資格を有しない2名の名を尋問官として挙げていらっしゃるのが聞こえましたが、資格を有しない2名の質問に対しては回答の義務はございません。傍聴人として扱います。この解釈でよろしいですか?」

「いや。この書証は、わたしの手元に来たものと違っている。この法廷は、間違いなく大法廷として召集された。したがって、魔法大臣とその上級次官は尋問の資格を有する」

「かしこまりました。ではウィゼンガモット大法廷判事の皆さま、提出した書証をご確認ください」

 

ハリーは胃がひっくり返るかと思った。やっぱり罠だったんじゃないか!

 

「被告人ハリー・ジェームズ・ポッターの手元に届いた召喚状と、実際に召集された法廷の規模に著しい相違があることがこの書証1号証により確認出来ます」

 

机をぐるっと回って、蓮のママはハリーの前に立った。

 

「大法廷の手続きに従い、被告側冒頭陳述を行います。被告人ハリー・ジェームズ・ポッターは、罪状でも明言されております通り未成年ですので、わたくしが代理人として陳述いたします。異議は?」

「ない」

「アメリア!」

「大法廷を開催した以上、これは被告人の最も重要な権利です、大臣」

「エヘン、エヘン」

「アンブリッジ、咳払いが弁論の邪魔をするなら退席していただく」

 

ガマガエルみたいな尋問官がアメリア・ボーンズを小狡そうな目で見た。

 

「去る8月2日午後9時23分、被告人は本人住所地であるサレー州のマグル居住区リトル・ウィンジング、住所地近傍ウィステリア・ウォークにて、マグルの少年ダドリー・ダーズリーの眼前であることを自覚した上で、守護霊の呪文を行使しました。この事実を争う意思は被告側にはございません。事実を認めます。ですが、未成年魔法使いの妥当な制限に関する法令C項、並びに国際魔法戦士連盟機密保持法第13条の違反に該当するものとして、この法廷に起訴されておりますことには、無罪を申し立てるものです。まずここで、ごくごく基本的な事実関係をその胸に刻んでください。同行していたのはただのマグルではありません。被告人の母親リリー・エバンズ・ポッターの姉、ペチュニア・ダーズリー旧姓エバンズの子息ダドリー・ダーズリー少年であり、被告人は魔法使い魔女であった両親の死後はダーズリー家で養育されてきました。ダドリー少年は、本人が望んでいようといまいと親子2代に渡り魔女や魔法使いの家族なのです。被告人がその母親も含め魔法族であることはとうに承知しております。国際機密保持法は、魔法並びに魔法族の存在をいたずらに非魔法族に開示することを禁ずる目的のものであり、マグルとはいえ家族には」

 

蓮のママは肩を竦めて軽い口調で言った。「知られるなというほうが無理ですわね」

 

判事たちが失笑を交わし合った。

 

「よって国際機密保持法違反については、この基礎的事実のみにて無罪を主張いたします。主眼はあくまで未成年魔法使いの妥当な制限に関する法令C項違反の容疑について。こちらにも無罪を主張するものですが、法令第7条により規定される例外的状況の適用を求めます。冒頭陳述は以上です」

 

エヘン、エヘン、とガマガエル魔女が自己主張を始めたが、蓮のママはもちろんのこと、アメリア・ボーンズも完全に無視した。

 

「ウィンストン証人、あなたの証人としての立場を確認したい。証人は被告人の保護者か?」

「いいえ、ボーンズ尋問官」

「では、後見人か?」

「いいえ、ボーンズ尋問官」

「仔細の説明を求める」

「ウィゼンガモット主席魔法戦士並びにホグワーツ魔法魔術学校校長アルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドアより、ホグワーツ魔法魔術学校理事並びに被告人の所属するグリフィンドール・クィディッチチームの保護者代表として尋問への付き添いを要請されました」

「その要請は文書として提出可能か?」

 

こちらに、と蓮のママが紙を掲げ、パーシーが進み出て来てそれを受け取った。

パーシーがそれをアメリア・ボーンズに手渡すと、片眼鏡に指を当てて確認し「この文書は被告側書証2号証として採用する」と、それをパーシーに戻した。

 

パーシーからそれをひったくったファッジが「クィディッチ?」と頓狂な声を上げた。「レディ・ウィンストン、クィディッチチームの保護者だからどうだと言うのかね?!」

 

遺憾ながらハリーも同感だ。グリフィンドール・チームにまで迷惑をかけて欲しくない。マグゴナガル先生の仕業だろうか。「うちのシーカーを退学させることは許しません!」とかなんとか騒いだのだろうか。

 

しかし蓮のママは微笑んで「グリフィンドールのクィディッチチームが重要な論点になるからですわ」と言った。

 

「皆さま、被告人ハリー・ジェームズ・ポッターは先月15歳の誕生日を迎えたばかり。学年では4年生を修了したところです。どこか不自然さを感じませんか?」

 

守護霊の呪文じゃな、と判事席で誰かが囁いた。

 

「Exactly。守護霊の呪文は4年生までに習う呪文ではございません。もちろん在学中に学ぶ重要な魔法であることは御存知でしょう。ですが、被告人はもちろん、被告人と同学年でチェイサーとして同じグリフィンドールでプレイしているわたくしの娘も有体のパトローナスを出すことが出来ます。わたくしの娘と被告人が有体のパトローナスを出したのは去る6月、三大魔法学校対抗試合の最終戦においてのことですので、ほとんどのホグワーツ生と教職員、さらにはボーバトン校ダームストラング校の選手団全員の目撃証言を得ることができるでしょう。あえて証言を集めてはおりませんが、必要ならば法廷からお問い合わせください。この2人が特別に優秀なわけでは決してありません。グリフィンドールのクィディッチチームのメンバーの大半は守護霊の呪文をマスターしております。約1年前、被告人と娘が3年生だったシーズンの最終戦において、グリフィンドールチームは全員が試合中に守護霊の呪文を使いました。このことは・・・ウィーズリー書記官? あなたも見たはずですね」

 

ファッジとガマガエルが、不意に頬を打たれたように同時にパーシーを振り返った。パーシーは耳まで真っ赤にして「・・・はい」と蚊の鳴くような声で答えた。注目を集めて恥じ入ると耳まで真っ赤になるところがロンと同じだ、と思ってギュッと胸の奥が痛んだ。

 

「書記官に証言を求めるのは法廷の秩序に関わりますので、この先はわたくしの口からのみご説明いたします。ですが、当時ホグワーツに在学中だった人物がこの場に存在していること、彼の前で論を展開することに尻込みをしなかったことはご記憶願います。なぜグリフィンドールチームは全員が守護霊の呪文を学んだのか。なぜ試合中に守護霊の呪文を全員が同時に行使したのか。その理由は、今から約2年前に発生し、約1年前に重大な展開を見せ、つい先日結審に至った事件の影響によるものでした」

「ブラックか!」

 

Exactly! と、蓮のママは発言した判事をペンで指した。

 

「シリウス・ブラックの脱獄を受け、ファッジ魔法大臣は、ホグワーツ魔法魔術学校に警備のためにディメンターを配備することを決意なさいました。結果としてブラックはイングランド南東部ヘイスティングスの修道院跡地に逃亡中の生活の拠点を置いていたことが後日判明しましたが、逃亡中にそのようなことはわかりません。魔法大臣は生徒の安全の為にあえてホグワーツに限られたディメンターの中の相当数を配備してくださったのです」

 

判事の中でも少なくない数の魔法使いや魔女が、ファッジを嫌悪の入り混じった目で見ていた。

 

「もちろん大臣は、ディメンターに対し、厳重な命令をくだしていらっしゃいました。ホグワーツ校の敷地への侵入は厳禁です。生徒に必要以上に接近しないことがディメンターへの厳重な命令でした。そのことはこちら、理事会の議事録に記載がございます。議事録の写しを被告側書証3号証として提出いたします」

 

さて、と蓮のママはコツン、コツン、と靴音を響かせて判事席の前をゆっくりと歩き始めた。「ボーンズ尋問官を始めとして判事の皆さまは、司法研修でアズカバンに通ったことがおありでしょう。毎日毎日北海の孤島まで嵐の中を箒で飛ぶ。わたくし、あのときばかりは魔法界の司法を志した自分を罵りました。こんなひどい目に遭うぐらいならマクドナルドの店員になれば良かったと」

 

判事たちが互いの顔を見合わせて苦笑する。誰かが「ウィンストン、君がそのとき箒から落ちていれば良かったと思う輩も少なくないぞ」と冷やかした。

 

「あら残念。こう見えて箒にしがみつくことだけは得意でして。そこで、皆さまのご記憶を新しくしていただくために被告側書証4号証を提出いたします。ホグワーツ魔法魔術学校施設管理員アーガス・フィルチの当該年度の業務日誌より抜粋した、クィディッチの試合が開催された日の天候の記録です」

 

いい加減にしたまえ! とファッジが椅子を跳ね飛ばすような勢いで立ち上がった。「クィディッチだのディメンターだの、本件に無関係な話ばかりだ。私も暇ではない!」

 

蓮のママは優雅に微笑んだ。

 

「被告人が行使した呪文が、コウモリ鼻糞の呪いやナメクジの呪い、クラゲ足の呪いといった単純な嫌がらせ行為に用いられる呪文ではないからです。守護霊の呪文はその用途が限定的なものであり、なぜ、どのような意図を以って行使したかは明らかにされなければなりません。また、守護霊の呪文という若年者に困難な術を教育課程より早く習得した理由と目的は本件の根幹に関わる問題です」

 

判事たちがフィルチの日誌を回し読みしながら、またファッジを泥まみれの野良犬を見るような目で見始めた。

ハリーにもこの弁護の方向が見えてきた。蓮のママは、あの日ウィステリア・ウォークにディメンターがいたことを証明しようとしている。

 

ドスン、と音を立てて椅子に座ったファッジはひどい赤ら顔で、明らかに不機嫌の度合いがバーノン・レベルになってきた。

 

「司法研修時代のご記憶を新たにしていただけましたね? これが当時のホグワーツにおけるクィディッチの試合の日の天候なのです。この天候の中、箒を操るだけでなく、ブラッジャーを避け、クァッフルを追い、スニッチを探すのです。選手たちは安全を確信出来たでしょうか?」

 

判事のひとりが右手を挙げて立ち上がった。ひどく嫌そうに眉をひそめ、ファッジを横目に見ながら。

 

「ウィンストン、はっきりさせようではないか。これは、アズカバン島そのものの気象条件のレベルだ。一定の距離を取るどころか、ディメンターがピッチ上空にいたとしか・・・少なくともホグワーツの敷地内に侵入しなければ、あの広さだ、校舎にいるフィルチの観察でこれほどの嵐にはならん。ディメンターは校地内に侵入したのだろう?」

 

何人もの判事が頷いた。ハリーは急に心強く感じた。この人たちは知ってるんだ、と思った。ディメンターに囲まれたアズカバン島に研修に行った経験のある人たちにはわかるんだ。

 

机に手をつき、蓮のママが「わたくしの経験からもそのように連想いたします。アズカバン島に着陸する、離陸するときは、視界を確保するのも困難な嵐だったことは忘れられない経験ですから。しかし、魔法大臣から《厳重な命令》が出ていた以上、ディメンターがクィディッチピッチ上空、いえホグワーツの校地内にさえ《いたはずがない》のです」と、ハウスエルフのウェンディのように誠実このうえない表情で言った。

 

「ともあれ、選手たちが強い危機感を感じたことは想像に難くないでしょう。そこでグリフィンドールチームは、全員が守護霊の呪文の習得を決意しました。最終戦の時点で有体の守護霊を出すに至った選手は多くはありませんでしたが、全員が銀色の靄状のプラスのエネルギーの放出には成功しました。上々の成果ですが、この件でわたくしが証明したかったのは、被告人はこの若さで既にディメンターのあの特徴的な宙を滑るような動きを目の当たりにし、呼吸音を耳にし、特有の冷気や絶望感を経験せざるを得なかった事実と、その対処として守護霊の呪文を習得していた事実です。被告人は知っていました。ディメンターという存在がいかに人間にとって危険なものであるか。それへの対処は守護霊しかないことを。8月2日、被告人は感じたのです。これはディメンターだ、ディメンターが僕とダドリーのすぐ近くにいる、呼吸が聞こえるほど近くに。どうしよう、どうすれば助かるだろう・・・守護霊の呪文しかない・・・これが、去る8月2日夜の被告人の頭を占めた思考の全てです」

 

エヘンエヘン、と耳触りな咳払いが聞こえ、アメリア・ボーンズが「アンブリッジ、言いたいことがあるのなら右手を挙げなさい。ないなら黙りなさい」とうんざりした声をかけた。

 

ガマガエルのような平たい顔の中の、小さな小狡い印象を与える目をいっぱいに見開いて、パチパチとわざとらしい瞬きをしながら、ガマガエル魔女は立ち上がった。

 

「ウィンストン証人、あたくし、聞き間違えたかしら? マグルの住宅地にディメンターがいたと馬鹿げた作り話を長々と聞かされたような気がしたわ?」

 

にこりと蓮のママは微笑んだ。

 

「聞き間違いではないと思いますよ、アンブリッジ尋問官。わたくしはそれを主張するために論を展開し、補足する書証を提出いたしました」

「まさかあなたほどの経験とやらがおありの方が、こんな子供の作り話に騙されるなんてね。大方その少年は注目を集めたくて嘘をついているのでしょう。魔法省はマグルの住宅地などにディメンターを派遣などいたしません!」

 

そのときハリーは背筋をぞくぞくっと駆け上る悪寒を感じた。まるで、スキーターを追い詰めて舌舐めずりするブランカが隣にいるような錯覚を感じて、少しだけ身体を離した。獰猛な肉食獣がここにいる。ガマガエル魔女が痛い目に遭わないことを祈った。

 

上機嫌と言ってもいいぐらい優雅に、蓮のママは「Exactly」と応じる。「誰かが何らかの嘘をついているのでしょう。全く同感ですよ、アンブリッジ尋問官」

 

大股に机を回ってハリーの前に立ち、蓮のママは判事たちに向かってアルトの、通りの良い声を発した。

 

「誰かが嘘をついている、それは間違いありません。魔法省はあの夜ウィステリア・ウォークにディメンターが《いたはずがない》と主張する。我々被告側は《ディメンターがいたから守護霊の呪文をあえて選択し行使した》と主張します。さあ! 最初に嘘をついたのは誰でしょう?! 《いたはずがない》場所にディメンターが《いた》ことはありませんでしたか?! 魔法大臣が嘘をつくことができない体質だとすると、論理的にはこうなります。《魔法大臣は、ホグワーツのクィディッチピッチ上空を旋回するようディメンターに命じた》ことになるのです。これもまた論理的におかしい。なぜなら《魔法大臣はホグワーツ理事会に対してディメンターを校内に入れないと言った以上、ホグワーツのクィディッチピッチ上空にディメンターがいたはずがない》から。主張と現実が二転三転しているのは被告側ですか? 今日のこの法廷をご覧ください。被告人は未成年であり、罪状の中で正確な事実関係、家族構成を踏まえれば精査に値するのは未成年魔法使いの妥当な制限に関する法令C項違反だけ。この違反に対して、被告側には懲戒尋問の召喚状を送り、判事の皆さまに対しては大法廷開催の召集をかけた。ここにもまた嘘があるのです」

 

両手を広げ、時に誰かを指差し、熱弁を振るって、蓮のママは最後にニヤっと皮肉な笑いを見せた。

ハリーは青くなった。ウィステリア・ウォークのディメンターどころか、魔法大臣の嘘を証明してしまった。

 

「我々被告側は《いた》と事実を主張していますが、それへの抗弁は《大方》や《いたはずがない》という推定の域を出ない。もしこの点を争うおつもりならば、魔法省に対してアズカバンのディメンターの、当夜の管理記録の提出を求めます」

「ばかばかしい!」

 

座ったまま、ファッジが怒鳴り始めた。

 

「何かね、君は私が嘘をついていると?! いやしくも大臣に対して何という言い草だ!」

「残念ながらファッジ尋問官、大臣という重職の全てを誰にも手伝わせずに大臣が全てご自身で処理なさるわけではありませんわね? そういうときに往々にして起きやすい些細なミスがあります。右手のしていることに左手は無頓着だったりするものですよ」

 

法廷が静まり返った。

 

蓮のママがファッジに言った言葉の真意はハリーにはよくわからなかったのだが、なぜかガマガエル魔女が口を真横にぐにぃーっと引き結び、蓮のママを睨みつけた。

蓮のママは新たな被告側書証を提出した。

 

「被告側書証5号証は被告人の従兄ダドリー・ダーズリー少年に当夜の出来事を文章化してもらったものになります。マグルに可能な限りの描写でディメンターの特性に言及しています。『あいつがアレを、杖、そうそいつを出して、何か叫んだ。銀色の何かがアレから出てきた。俺は、寒くて真っ暗で、もう2度と楽しい気持ちにも幸せな気持ちにもなれないような気分で、そしたら、もっと真っ暗になった。気がついたのは、あいつが銀色の何か動物を使って俺の身体から、黒い影を追い払った時だった』非常に読み取りにくい表現ではありますが、ディメンターが至近に存在する場合の体感を再現するに充分な説得力は認められます。こうした体感も被告人が家族に再会するサマーホリディの間に聞かせたから、どうせ作り話だと言い出したくてたまらない方がいらっしゃるようですね。被告人とダドリー少年は一緒に育ちましたが、残念ながら兄弟のように仲良く育ったわけでは決してありません」

 

蓮のママは肩を竦めた。

 

「サマーホリディに帰宅してホグワーツでの出来事を楽しく語り合うような関係ではない。そう、ダドリー少年は、杖という単語すら使いたがらないほどなのです。果たして被告人は、ディメンターに包囲された約1年間の思い出をこの家族に打ち明けたでしょうか? とんでもない。被告人のサマーホリディはいつも、学校から持ち帰ってきた荷物を階段下の物置に詰め込むことから始まるのです。魔法使いの少年がリトル・ウィンジングに暮らしていることが絶対に近所の方々に知られないように、ダーズリー家は国際機密保持法を徹底して遵守するご家族ですから、被告人はホグワーツのことは家族にも話しません。話してもわかってもらえないし、監獄の看守が学校を包囲していた、幸福感を根こそぎ吸い取られるような気持ちになったなど、自らの弱みを打ち明けるようなことはなかった。なのになぜダドリー少年はディメンターが近づいてくるときの感覚的な特徴をこれほど明確に証言出来るのか、答えはただひとつ。ディメンターがその夜、リトル・ウィンジングのウィステリア・ウォークに存在していたから。これ以外に合理的な説明は存在しない!」

 

有り得ぬ! とファッジが立ち上がり、怒りに頬の肉を痙攣させていた。

 

「なぜ有り得ないと断言なさるのでしょう、大臣」

「ディメンターは、あー、ホグワーツを警備した約1年間を除けばだが、アズカバンから離れることはない」

「6月に大臣が三大魔法学校対抗試合の最終戦のあと、ホグワーツを訪ねていらした折には、ディメンターが大臣の警護として校内に立ち入ったという記憶と記録がございますが、これは?」

「あー、それと、あれと、以外には有り得ないと言っているのだ!」

「ずいぶん気軽にディメンターをアズカバンから連れ出していらっしゃるという印象を持っておりますわ。失礼、これはわたくしの個人的な感想です。記録から削除してくださいませ」

 

腕組みをして芝居っ気たっぷりに蓮のママはコツコツと靴音を響かせた。

 

「しかし、不思議なことです。守護霊の呪文を選択し、行使したことには、その場にディメンターさえ存在していれば、納得出来る合理的な経緯の説明が出来るのに、大臣はディメンターは完全にコントロールされていると仰る」

「そのとんでもない嘘つきの少年が嘘をついているに決まっていますわ!」

 

再びガマガエルが立ち上がり、甲高い声で勝ち誇るように言った瞬間、ハリーは「もうやめたげて!」と蓮のママの袖を引きたい衝動と戦った。

 

「Exactly!」蓮のママはガマガエルを鋭く指差す。「誰かが、嘘を、ついて、いるのですよ! アンブリッジ尋問官」繰り返し繰り返し繰り返し執拗にアンブリッジを鋭く指差し続けた。

 

「ディメンターは完全なコントロール下にあるわけではない。彼らの性質を利用して看守の役割を任せてはいますが、彼らの渇望が満たされないことが続けば自ら餌を求めることもあり得る。そういう説明でホグワーツに侵入した件は説明出来ます。それならばウィステリア・ウォークにディメンターが彷徨い出ることも可能性としてはあり得ます。しかし、完全なコントロール下にあるのなら、誰かがそのように命じたのです」

 

すぐにウィゼンガモット法廷メンバーに向き直る。

 

「皆さまも嘘の被害者です。お手元の被告側書証1号証をお確かめください」と言った。

 

「誰かが嘘をついている。被告人は《懲戒尋問》のために魔法省に出頭したのです。成人魔法使いの凶悪な刑事事件を裁く大法廷の被告人になるためではない! 未成年の魔法使用制限令違反は大法廷召集に値する事件ですか? ハリー・ポッターは、無関係のマグルに対して無意味な嫌がらせ行為として魔法を行使しましたか? 学校が教えることのない違法な魔法でしたか? どれも違う。1号証のタイトルは『懲戒尋問』」

 

蓮のママは右腕を身体の前で大きく弧を描くように回した。

 

「この光景のどこが未成年に対する懲戒尋問ですか? 大法廷の被告人席に、被告側証人の同意もなく未成年を座らせることが法に適っているとでも? 大臣はディメンターは完璧にコントロールされていると仰る。つまり、大臣のディメンターは、大臣の命令がなければホグワーツのクィディッチピッチ上空には決して飛来しないらしい!」

 

何人かが笑いを堪えているのが見えた。

 

「誰が、というのはもはや議論の余地もないでしょう。どこが嘘なのか、その謎は残りますが、それは本法廷の扱う事件ではありません。嘘をついているのは、ハリー・ポッターではないのですから」

 

被告側第1証人の論証を終わります、と蓮のママが静かに締め括った。

 

ガマガエルが爬虫類や両生類めいた、小さな飛び出た目で蓮のママの後ろ姿をじっとりと見つめていた。

 

続いてハリー本人に対する尋問官からの尋問が開始された。

胃袋の表と裏がひっくり返ってしまうんじゃないかと張り詰めていたときと違い、ハリーは落ち着いて答えた。尋問官が落ち着いて質問してくれる限りは。

 

なにしろファッジとガマガエルときたら、ハリーがろくに答えもしないうちから嘘つきだと決めつけ、次の質問に移ろうとするのだから、ウィゼンガモット法廷メンバーからの不満は、蓮のママが右手を挙げて「Objection!」と異議を申し立てる声が必要ないほどだった。

 

効果としては逆効果だ、と他人事のように思う余裕さえ出てきた。

ハリーは落ち着いて「はい尋問官、僕はその時」と話し出そうとしているのに、もう次の質問だ。自分たちの主張を印象付けるためにハリーの回答など必要としていないのはよく理解出来たが、印象で勝負する段階はもう蓮のママの圧勝でセットポイントを獲得している。ここはハリーの供述をきちんと聞いているという姿勢を見せながらハリーの表現のミスを誘うべき場面のはずだ。

 

やっとハリーは大人たちがなぜ繰り返し、癇癪を起こさず冷静な態度を取るように言ったのか理解出来た。

 

被告側第2証人として出廷したフィッグばあさんのターンでは、さすがにファッジやガマガエルを押し退けてアメリア・ボーンズがポイントを取り返した、かに見えた。

フィッグばあさんのボキャブラリーは、マンダンガス・フレッチャーを罵るときはあんなに豊富なのに、アメリア・ボーンズの片眼鏡の奥から見つめられる冷たい視線や口調の前では途端に勢いをなくした。

それでも蓮のママは冷静に座っている。ハリーもなんとか真似をして冷静に座っているふりをした。

 

しかし、フィッグばあさんは仕事をやり遂げてくれた。

 

ディメンターの外見の描写や感覚的な表現が豊かでなかったからこそ、フィッグばあさんが「起こったこと」を語るのに余計な修飾はまったくなくリアルで、アメリア・ボーンズでさえ否定的なコメントのしようがなかった。

 

「被告側証人、最終弁論を」

 

蓮のママが静かに立ち上がった。

 

「被告側の主張の要旨は皆さまの胸に十分な印象を残したことでしょう。しかし、我々は印象を議論のテーブルに載せるわけにはまいりません。事実を問うのが法廷です。8月2日の夜、マグル居住区であるウィステリア・ウォークに、2体のディメンターが存在した。この事実が、被告人の無罪の根拠となります。なぜならば、法令第7条により、例外的状況においてはマグルの前で魔法を使うことが可能と規定されているからに他なりません。魔法使い魔女自身の生命、もしくは同時にその場に存在するマグルの生命が脅かされる場合において、未成年が魔法を行使して自身の生命を守ることはもちろん、マグルの前で魔法を行使してそのマグルの生命を守ることも認められているのです。被告人は、決して従兄ダドリー少年と親密な友情で結ばれてはおりません。しかし、人道的に見て、ディメンターが人間に覆い被さる事態に対して守護霊の呪文で対処出来ると知りながら、未成年だから魔法を使わないことにしようと考える魔法使い魔女が果たしてそれほどたくさんいるものでしょうか? 後に起こるこうした面倒事など頭に浮かびもせず、なんとか必死で杖を振り、3回目にやっと有体の守護霊を出現せしめ、通りかかった成人のスクイブに励まされてその場を切り抜けた。不自然な点は見当たりません。被告人が守護霊の呪文を予習する必然性は先に述べた通りです。被告人が、あの特徴的な冷気を予め体験していたことも先に述べた通り。これらは書証4号証で提出いたしております。また、アラベラ・ドーリーン・フィッグ証人の目撃証言と書証5号証の示す事態の推移と被告人本人の供述に致命的な齟齬が見当たらないこともご確認いただくことが可能です。我々はこのように、事実を積み上げ、ウィゼンガモット法廷に提出いたしました。もちろん謎は残されています。ディメンターがなぜマグル居住区を2体も徘徊していたか。ですが、この点は被告人はもちろん、被告側証人であるわたくしにも答えようのないことです。被告人が嘘をついていると2名の尋問官は繰り返し主張なさいました。しかし、その根拠は提示されておりません。《大方目立ちたがりなのだろう》《ディメンターがそんなところにいたはずがない》これは根拠となる事実ではありません。単なる推定でしかなく、魔法大臣とその上級次官は15歳の少年1人をこのような場で、単なる推定をもとに嘘つきだと指弾したのです。大法廷をあえて用意して。いったい何のために? 嘘つきハリーを懲らしめるためなら、懲戒尋問で充分です。そのために懲戒尋問という軽度の司法システムが存在します。殊に未成年、成人の近い少年たちは確かに生意気で、鼻持ちならない態度に出ることもあります。それはわたくしも母親のひとりですから、よく理解出来ます。親に嘘をつくこともある。友達に大袈裟な自慢をすることもある。見栄を張るためにちょっとした悪事の自慢をすることもあるでしょう。ですが、それをいちいち大法廷で裁きますか? 未成年の嘘を懲らしめるために大法廷が必要ですか? この大法廷を召集しておきながら、何ら書証も物証も証人も示さずに主張が通ると思い込んでいらっしゃる方には申し訳ありませんが、大法廷を用意したのは大きなミステイクだと申し上げます。我々は我々の提示出来る限りの事実を証人並びに書証として謹んで提出いたしました。ハリー・ジェームズ・ポッターは嘘などついていない。ウィゼンガモットの魔法戦士の方々の知識と経験、良心の前で被告人は真摯に8月2日の出来事を開示しました。このうえは、被告人ともども粛々と評決を待つことといたしましょう。最終弁論を終わります」

 

 

 

 

 

無罪判決が出て弁護人と握手を交わしていると、照れ臭さに顔がにやけてしまう。

 

何人かの判事がハリーと蓮のママの肩をぽんと叩いて法廷を後にした。「相変わらずあなたの法廷は楽しいわ、ウィンストン。マグルの裁判ドラマを見てるみたい。あなたの事件は全部大法廷にして欲しいぐらいよ」ととんでもない激励まであった。ハリーは2度と蓮のママのお世話にならないことを祈ろうと思った。被告人席は真っ平御免だ。また別の判事は心配そうに「奴には気をつけろよ、ウィンストン。過去の遺恨があるのはわかるが、アメリアの後任は君であるべきだ。奴につけ込まれるな」と忠告して行った。

 

「あの、おばさん」

「おば・・・いえ、なんでもないわ、何かしら?」

「レンはどうしてますか? 僕ら3人は一緒にサマーホリディを過ごしてるのに、レンとは連絡もつかなくて」

 

蓮のママは苦笑して「気にしないでみんなで残りのホリディをお楽しみなさい」とハリーの背中を軽く押した。「わたくしが送っていくわ。アーサーはたぶんベスナルグリーンの逆流トイレの処理に向かったはずだから」

言いながら、2人で法廷の外に出たところで、ファッジとルシウス・マルフォイが立ち話をしているのを見つけてしまった。

 

「やあ、これはこれは守護霊ポッター殿」

「おとなげないわね、マルフォイ。大臣とのお話なら通路じゃなく大臣執務室でもどこでも場所はあるでしょう。邪魔よ」

「レン、君は相変わらず肩で風を切って魔法省を歩けると思っているようだが」

「辞めたわよ」

「ふぁっ?」

 

奇妙な声を上げたのはファッジだった。

 

「辞めたぁ? 辞めたとは報告を受けていないが」

「辞表はアメリアに提出しておりますわ、大臣。受理するかどうかは後日連絡すると言われております。まだ連絡はありませんが、辞表を提出した8月5日以降、副部長のオフィスには立ち入っておりません。依願退職ではなく、無断欠勤で懲戒免職になるならそれでも構いませんから」

「しかし、しかしだね、君。えー、君が法廷に現れたのは、オフィスで連絡を受けたからでは」

「わたくしの弁護士としての顧客はダウジング街にオフィスをお持ちの方々が多いものですから。たまたまですわ」

 

辞めた? 蓮のママが魔法省を?

 

「おばさん、魔法省を辞めたって」

 

背中をそっと押されながらハリーが尋ねると蓮のママは「ジャガーの中で話すわね」と微笑んだのだった。

 

 

 

 

 

「何ですって?!」

 

ハーマイオニーが金切声を上げた。

 

「そうなんだ。びっくりだろ? レン、それで大変なのかな?」

「いやだハリー、ウィンストン家には十分な財産があるし、レディ・ウィンストン自身はマグルの弁護士資格もお持ちだから経済的な心配はないわ。そうじゃなくて、魔法法執行部の副部長でさえファッジの圧力の下では仕事がしづらくなったということだと思う。それってすごく、こちらにとって不利なんじゃない?」

「そういえば、ファッジとマルフォイはまだ繋がってた。法廷の外の通路で話し込んでたんだ。たぶん今、レンのママはシリウスたちにその件を知らせてると思う」

「それで、レンに連絡がつかないことは何だって?」

 

ハリーは力無く首を振った。

 

「最近の様子は教えてくれた。毎日むっつりして海で泳いでばかりいて、ママとろくに会話もしないみたいだ。僕ら、レンと話したいんですって言ったけど、新学期が始まったらゆっくり話すといいわって。レンにはレンで、ひとりで考えなきゃいけないことがあって、それから逃げてるだけだから放っといてあげて欲しいって」

 

ハーマイオニーは溜息をついた。

 

「ハーマイオニー?」

「逃げてる・・・逃げてるのね」

「君、何か知ってるの?」

「直接聞いたわけじゃないわ。ただ、レンにマグゴナガル先生が話してるのを少し聞いただけ。あとパパから少し」

「君のパパ、そういえばマグルなのになんでレンのパパと親友だったんだい?」

「マグルの小学校でクラスメイトだったの。ウィンストン家は代々、王室か首相官邸の護衛官として送り込まれる闇祓いを輩出するのですって。ホグワーツを卒業したらマグルの大学に行きながら闇祓いの訓練生になるの。だから、ホグワーツ入学前にはマグルの小学校でマグルの学問に馴染むようにするらしいわ。で、マグゴナガル先生がレンに、成人までもうすぐだからサマーホリディには進路について御家族と必ず話し合いなさいっておっしゃっていたの。レン自身は日本の大学に行くつもりでいるはずだけど、ウィンストン家にそういう暗黙のルールがあるのなら、それとぶつかってるのかもしれないわね」

 

へえ、とハリーは呟いた。「闇祓いか。かっこいいな」

 

「アンブリッジって・・・パーシーが言ってた奴だ。感じが良くて優秀だってさ」

「ああ。大臣室の上司なんだろ? 上級次官、だったかな」

「どこかで聞いた名前なのよね・・・」

「だからパーシーの件で出てきた名前だろ?」

 

ううん違う、とハーマイオニーは考え込んでしまった。ハリーはロンと視線を交わし、肩を竦めた。ハーマイオニーがこうなってしまうと、結論が出るまで答えを教えてはもらえない。

 

「なあ、進路指導、何て答える? 今年はOWLイヤーだから進路指導、絶対あるだろ?」

「うーん、僕、闇祓いとかどうかな、って。すごく難関なんだろうけど、キングズリーやトンクスやマッド・アイ、だろ? 僕の周りに一番多い職業は闇祓いだからさ。イメージしやすい」

 

ロンは頭をガシガシ掻いた。

 

「闇祓いかあ。僕はどうしようかなあ。パーシーがさ」

「うん?」

「パーシーがあんな風に家を出ちゃって、ママは参ってるだろ。パパも」

「・・・うん」

「フレッドとジョージは、君も知ってる通り、ひとりあたり3フクロウだし・・・ウィーズリー・ウィザード・ウィーズを起業するって決めてる。パパもママも、もうそれは諦めてるよ。どこかに就職できる成績じゃないし、下手な店に雇われて、オーナーに振り回されるよりは自分たちの店を持ったほうがマシだ。でもさ、起業して上手くいく保証はないから、心配はしてるだろ」

「もちろんそうだろうな」

 

ロンは「だから僕は、なるべくパパやママに心配かけたくないんだよ」とベッドに寝転んだ。

 

「とりあえず魔法省とかグリンゴッツ、安定路線を目標にしたらどうかな」

「やっぱそう思うだろ? でもNEWTクラスに入ることを考えると、結構難関だぜ」

「実際に就職するのはずっと先だけど、OWLでフクロウを稼いでおくのはマイナスにはならないよ。おばさんも喜ぶ」

 

ロンは「ああ」と声を出した。「ハーマイオニーと蓮が頼みの綱だな」

 

ハリーは深く深く頷いたのだった。


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