サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第1章 精霊流し

川から上がってブルブルと頭を振った蓮を、同じくびしょ濡れのドーラが杖を振って乾かした。次に2人を引っ張って日本の山奥の川までマーメイドの姿現しで連れてきたフラーのこともドーラが乾かす。

 

「普通なら国外までは《匂い》を追跡しないんだけど、ハリーの件があったからね。つけ込まれる隙は作らないようにしなきゃ」

「いーい森ね」

 

フラーが辺りを見回して言った。

 

蓮は黙って手近な笹の葉を千切り、笹舟を作る。

 

「レン、言ったばかりでしょ、魔法は禁止」

「・・・魔法なんかじゃないし。ただの笹舟。マグルだって作れる」

「あんた妙なところが器用だよね」

「ドーラお姉ちゃんが不器用過ぎるんだよ」

「レーン。英語のはーつおんが変。レディのはーつおんじゃない」

「死ぬ程ムカつく。フラーにだけは言われたくない」

 

ドーラとフラーは溜息をついて目を見合わせた。

 

「ティーンエイジャーの反抗期」

「とがーったナイフ」

「この3日間はおとなしかったから、ハリーの裁判で何か思うところがあったのかと思えば、日本まで跳ぶなんて言い出すし。わけわかんない」

 

パパがいたからだよ、と言い置いて、蓮はスタスタと上流に向かって歩き出した。

 

「おっと。どこに行くのかな? 未成年のお嬢ちゃん」

「目的地」

「だーから、もーくてきちは、どーこ?」

 

ドーラもフラーもついてくる。蓮ははっきりと舌打ちした。

 

サマーホリディの間、ベッドの中以外に蓮のプライバシーは存在しなかった。

 

コーンウォールの邸ではなく、コーンウォール西岸にあるウィンストン家の別荘、クロエのために建てた砂浜近くの「貝殻の家」という小さなコテージに監禁されたのだ。主寝室にはセミダブルのベッドが2つ。ニンファドーラ・トンクスとフラー・デラクールが交代で隣のベッドに泊まり込む。

 

「こら。舌打ちしないの」

 

昔からドーラはお姉ちゃん気取りで蓮の言葉遣いや仕草を注意するが、自分はパンク・ファッションが最近の気に入りだ。理不尽だ。

 

「パパがいーましたか? どーこに? アリーの杖もなーいです」

 

うんざりして「日本の風習。8月の特定の3日間は亡くなった家族が帰ってくる」と適当に説明した。「別に呪文巻き戻しをしたわけじゃないよ。魔法なんか使ってない」

 

 

 

 

 

着いた先にはライオンの形をした岩があった。

 

「おっ、ライオン岩だ。自然に出来たにしてはリアルだね。誰かに魔法で作ってもらったの?」

 

自分で作ったよ、とぼそっと答えた。「パパのお墓」

 

「コーンウォールに立派なお墓があるじゃん」

「・・・うるさいな。子供の頃は行けなかったからだよ」

 

ドーラはさすがに黙って蓮の短い髪をくしゃくしゃと撫でた。

 

「なんでライオンにしたの」

「パパのパトローナスはグランパと同じライオンだったし・・・マグゴナガル先生が岩をライオンに変身させるのを見たことあったから」

 

容赦なしだね、とドーラは苦笑した。

 

「それで? パパと何か話したの?」

「別に。ただそういう気分だっただけ。でも3日間過ぎたからもう帰さなきゃ」

「そっか。そのセレモニーをしに来たんだね?」

 

 

 

 

 

ライオン岩に凭れて座り、笹舟が流れて行った先をぼんやり眺めていた。

 

「・・・知ってたよ」

「なーにを?」

「グランパやお母さまに言われたこと。ウィンストン家の責務がどうとかこうとか。パパが言ってた」

 

コンラッドおじちゃまが? と隣で足を投げ出して座ったドーラが反応した。

蓮は唇を結んで頷いた。

 

「ちーいさいのに、おーぼえてた?」

「・・・パパと話した最後の話がそれだった。パパがいなくなってから何度も忘れないように思い出してたから。王子様としてイギリスの魔法使いみんなに命令しなきゃいけない。悪い魔法使いをやっつけろって命令しなきゃいけないんだって」

 

だから、と蓮を頭を反らして、そそり立つライオン岩を見上げた。「異常でしょ、4歳でこんなの作るなんて」

 

フラーは目を瞬いてドーラと視線を交わし合った。

 

「悪い魔法使いをやっつけるために強くなろうと思った?」

「ん。それもあるけど。強くならなきゃ殺される」

「誰に?」

「おばあさまやおじいさま、グランパ、グラニー、あと、マッド・アイ、マグゴナガル先生、スネイプ、あと河童とか、天狗とか、飛縁魔とかいろいろ。ハグリッドは手加減してくれたけど、うっかり大岩を転がしたから、インディ・ジョーンズみたいな目に遭った」

 

そーっち?! とフラーが思わず声をあげた。「トレーニングでーしょ?」

 

ドーラが頭を振り「マッド・アイを基準にすれば納得だね」と言う。

 

「ちーいさいのに、闇ばらーいレベルのトレーニング?」

「・・・虐待だよ。何度も家出しようと思ったけど、パパと約束したから仕方ない。約束を済ませたら、あとは家出することに決めてた」

 

だからか、とドーラが小さく笑った。「将来の夢はマグル生活、でしょ?」

 

「ん。だからさ、放っといてよ。パパととっくに約束してるから、別に逃げたりしないし。約束を果たすまではね」

「あんたを見張ってるんじゃなくて護衛してるんだってば」

「ドーラお姉ちゃんやフラーより強いよ、たぶん」

 

蓮の冷たい眼差しにドーラはまた蓮の髪をくしゃくしゃとかき混ぜ、フラーは蓮の頬をつねった。

 

「みせーいねんのぶーんざいでなーまいき」

「いくら強くてもね、レン。1人じゃ切り抜けられない事態は必ずあるんだよ」

 

コンラッドおじちゃまだって強かった、とドーラは言った。「弱かったから殺されたわけじゃない。アンブリッジはパニックに陥ってた。レイおばちゃまとレンを逃したと確信出来るまでは、おじちゃまは逃げたり、下手に反撃したりするわけにはいかなかった。1人でいるとさ、手段が限られるんだよ、レン。リトル・ハングルトンでわかったでしょ? 味方の数が多ければ手段の選択肢が増える。だからあんたが強いのはわかってるけど、1人になることは避けなきゃ」

 

うんざりする、と蓮は吐き捨てるように言った。ドーラは笑って「あたしも」と答えた。「あっちじゃハリー、こっちじゃあんた。怒れるティーンエイジャーの子守が闇祓いの仕事だとわかってたら、どっかのライブハウスでDJでもやれば良かった」

 

フラーが立ち上がる。

 

「セレモニーが終わーったなら、帰ーりましょー。今日はとーくべつに、プレイステーション3じかーん許可しまーす」

 

 

 

 

 

ドーラがダイアゴン横丁のフローリシュアンドブロッツで買い集めてきた新学年の教科書とOWLの過去問題集をトランクに詰め込もうと苦心していると、母が部屋に入ってきた。

入れ替わりにフラーが出て行く。

 

「ドーラやフラーと、日本に行ったんですって?」

 

ムカつく、と蓮は呟いた。「何をしたって筒抜け」

 

「自作のパパのお墓の近くで、葉っぱで作った舟を流したって・・・精霊流し、ね」

「いけない?! フラーの魔法で跳んだし、ドーラお姉ちゃんも護衛についてたよ!」

 

声を荒げたが、母は叱ることなく、むしろ蓮を後ろから抱き締めた。

 

「ごめんね、蓮。ママは、一番大事なときにあなたの側にいなかった」

 

蓮は唇を噛んだ。

 

「ひとりでパパのお墓を作って、ひとりで何年もパパのための精霊流しをしてたのね」

「・・・別に。したかったからしただけだよ」

「一緒にいるべきだった。つくづくそう思った。来年からは一緒に行きましょう。そしてね、蓮。パパのお墓の隣に、小さなライオン岩を作ってあげましょう」

 

母の言葉の意味がわからない。

 

「・・・あなたには、本当なら妹か弟がいたの。ママは妊娠に気づいていなかった。そのぐらいにまだ小さな子だったのよ。パパのお葬式のすぐ後にママは倒れて、流産してしまった。あの頃のママは、復讐することしか考えていなかった。キリアン・アンブリッジをアズカバンに放り込むことだけ考えていたわ。そんなこと考えずに、小さなあなたの側にいて、あなたのために何が出来るかを考えるママだったなら、あの子は今頃・・・こうしてあなたと一緒にホグワーツに戻る支度をしていたかもしれない」

 

蓮は唇を震わせた。

 

「・・・いまさらだよね」

「ごめんね。ごめん、蓮」

「その子が生きていたら、わたくしはあんな虐待じみた目に遭わなかった。そうでしょう? 予言を回避出来た。なんなら日本で今頃普通に高校に行ってたかも。魔法力のコントロールならすぐに出来たから、魔法学校に行く必要もなかった。こんな馬鹿騒ぎに巻き込まれることもなかったよね?!」

 

思わず振り返って大声を出した蓮を再び母はきつく抱き締めた。

 

「そうすべきだったわ。小さなあなたを連れて日本に帰って、あなたに小さな妹か弟を産んであげて、3人で普通の暮らしをするべきだった。魔法学校でも、マグルの学校でも、あなたにはあらゆる未来があったはず。いいえ、蓮。今でもあるのよ」

「遅いよ!」

「遅くなんてない。蓮、ヴォルデモートは復活してしまったし、これからイギリスの魔法界はひたひたと侵食されていくでしょう。でも・・・グランパも言ってたわね? 選ぶのはあなた自身よ。どうしてもマグルの世界に戻りたいかどうか、この1年、よく考えて。ママは魔法省を辞めた。あなたがそうしたいと言えば日本に帰ることも出来る。あるいは、ママはマグルの弁護士として、あなたはパブリックスクールでもどのインディペンデントスクールでもいいから編入して、イギリスで暮らすことも出来る。あなたの人生よ。予言のことなんて気にしなくていい。あなたに厳しい子供時代を与えたのは申し訳なかったと思うわ。あんなに可愛かったのに、こんな目をするようになって・・・」

 

母が身体を僅かに離して、蓮の顔を両手で挟んだ。

 

「ママと同じ間違いは繰り返さないと約束してちょうだい」

「え?」

「パパとの約束を果たすつもりでこれまで必死で生きてきたんでしょう? だったらママとも約束してくれないかしら?」

「・・・何を」

 

復讐のために魔法を穢さないで、と母が囁くように言った。

 

「意味わかんない」

「ママはあなたが魔女として生きることを決めても、魔法を捨ててマグルとして生きることにしても、どちらでも構わない。愛する娘であることに変わりはないわ。ママの力を全て費やしてあなたの選択をサポートする。今度こそあなたを独りにしないと誓う。でも、お願いだから、復讐は考えないでちょうだい。未来のために力を使いましょう。日本のおばあさまもグランパも、復讐のためにあなたに力を与えたわけではないの。未来のためよ。未来を切り開くためのその力を、決して復讐には使わないと約束して」

 

アンブリッジの姉がホグワーツに乗り込むわ、と母がはっきりと口にした。

 

「・・・っは?」

「闇の魔術に対する防衛術の教師として。理事にそう連絡があったの」

 

蓮は黙って視線を逸らした。

 

「蓮」

「・・・どうだっていい。防衛術なんかもともとまともな教師がいたことないし」

「約束して。復讐はしない。ね?」

「あっちが何もしないならね」

「・・・蓮」

「パパを殺した奴は死んだ。そいつのことはもうどうでもいい。そいつの姉もどうでもいい。でも、わたくしの邪魔をするなら退ける」

 

退ける、と母が繰り返した。

 

「組分け帽子が言ってた。普通の魔女になりたいなら、邪魔な奴は退けろって。わたくしはそれでグリフィンドールに組分けされた。邪魔な奴は退けていいってことでしょ」

「ちが・・・それは違うわ、蓮。絶対に違う! アンブリッジのためなんかにあなたの力を穢してはダメ! あなたがグリフィンドールに組分けされたのはパパの娘だからよ! パパの勇敢さをあなたは受け継いだ、ただそれだけよ! 勇敢な人だったの、本当に。長く続いたウィンストン家の沈黙を破って混乱を正す勇気がパパにはあった。間に合わなかっ」

 

やっぱりだ! と蓮は声を荒げた。

 

「蓮」

「わたくしの人生だとか、わたくしの選択に任せるだとか、口先だけ。結局わたくしを思い通りに使おうとしてる!」

「・・・蓮。あのね」

「出てって。学校にはちゃんと戻る。成人までおとなしくしてる。それでいいでしょ」

「ママとは約束してくれないの?」

「うんざりだ! 約束でわたくしを縛りつけて、アンブリッジの姉の前でいい子にしてろって? 別にわたくしは自分の邪魔をしない奴まで攻撃するほど馬鹿じゃない。そいつが何もしなきゃわたくしはそれで構わない! でも邪魔をするなら退ける! どこがいけないの?!」

「いけないのよ!」

 

母も声を荒げた。両肩を掴まれた。激しく揺すられる。

 

「そんな荒れた気持ちで杖を振ってはダメ! わからないの?! それはニワトコの杖の妹杖なのよ?!」

「・・・だからなに」

「ニワトコの杖に対する解毒剤、ワクチン。そのために作られた杖をあなたは持っているの。どれだけの力があると思って? その杖に殺意や復讐をインストールしてはダメ!」

「わーかったよ! 杖無しでやればいいんでしょ?」

「蓮!」

「やるときは杖無しでやる。それは約束する。でもわたくしの邪魔をするなら退けることに変わりはない」

 

母はベッドに腰掛け、頭を抱えた。

 

「・・・アンブリッジは、きっとあなたの邪魔をするわ」

「それもママのせいでしょ」

「ええ、そうよ。ママが復讐心に駆られたのは事実。でも、後悔はしていない。おじいさまとおばあさまが止めてくれたおかげで、ママは魔法を穢さずに済んだ。キリアン・アンブリッジの罪は事実だったわ。ママはパパの妻としてだけでなく、法律家としても、彼の罪は罪として裁かなければならないと思った。でもね、蓮。今あなたが言ったことは間違ってる。あなたの邪魔をする人をあなたが独断で排除することは許されない。あなたにとってどんなに不愉快であっても、その感情に任せて魔法を使ってはいけないの。まさにそれが闇の魔術の入り口なのよ」

 

トランクの上に屈みこんで荷物の整理を再開した。

 

「ママに腹を立てているのはわかるわ。当然だと思う。ママはそれを受け止める。でも、あなたがママ以外の誰かを、それがたとえアンブリッジであっても、憎悪や復讐で傷つけることは認めない。あなたがアンブリッジに死の呪文を放つならアンブリッジの前に飛び出して庇うつもりよ。あんな女がどうなろうと構わないけれど、あなたが他人を殺すよりはマシ」

 

それいいね、と平板な声で蓮は応じた。「やる前にママにパトローナスを飛ばすことにするよ。ハーイ、ママ、今からアンブリッジを殺すんだけど見に来ない? って招待するわけ?」

 

「蓮」

「わたくしの平穏な学校生活のために理事の権力を使えば? ルーピン先生にポリジュース薬と脱狼薬を与えてキングズリーに変身させて送り込めば? アンブリッジがわたくしの前にいなきゃママも安心でしょ」

「・・・できることならそうしたいぐらいの気持ち。それは認めるわ。でもあなたのママであることと理事であることは次元の違う問題よ。わかってるでしょう」

 

母は立ち上がり、蓮の肩に手を置いた。

 

「ママのことが許せないのはよくわかったわ。でもママのあなたへの気持ちと願いは、心のどこかにポストイットで貼り付けておいて。あなたに魔法を穢して欲しくないの。未来のために、誰かを守るためにその力を使ってちょうだい。あなたはママの誇りよ。あなたが箒で飛ぶ姿が好き。やっと歩けるようになった頃から箒は得意だったわ。変身した姿の美しい威厳には驚いた。ひとりでパパのお墓を作って精霊流しをする優しさも。小さな可愛いあなたを、何時間見ていても飽きなかった。ここはママに似たかしら、ここはパパに似たのね、って。愛してるわ、蓮。パパとママの最高の娘よ」

 

言い置いてやっと母は部屋を出て行った。

 

 

 

 

 

明日にはホグワーツ特急に乗る日がやってくる。

 

ベッドの中で転々と寝返りをうって、考えたくもないことをいろいろと考えた。

 

「レン、眠れない?」

「・・・ドーラお姉ちゃん。ごめん、起こした?」

「最初から寝てないよ。護衛が眠ってたら意味ないでしょ。あたしもフラーもこのベッドには横になるだけ。眠らないよ」

「明日からはよく眠れるし、ウザいティーンエイジャーの子守もなくなるよ」

 

最高、と笑ってドーラは身体を起こす。

 

「眠れないなら話でもしてよう。レンのこと」

「わたくしの?」

「レイおばちゃまがぐったりしてた。たぶん泣いたね、あれは」

「そのお説教なら聞かない」

 

ドーラは蓮のベッドに入って横になる。

 

「お説教なんかしない。あんたはね、レン、今までがいい子過ぎた。あたしはそれが心配だったから、今日の親子喧嘩にむしろ安心したよ」

「軽く言う・・・」

「今年はOWLイヤーじゃん。NEWTクラスに進むのをOWLの成績で制限する教科が多いから、将来何になるかは考えておいた方がいいよ」

「どうせ闇祓いなんでしょ」

 

ドーラは軽く笑って「レンは闇祓いには向かないと思う」と言った。

 

「向かなくても」

「闇祓いなんて結局は公務員なんだよ」

 

天井を見上げてドーラは呟いた。

 

「大臣様の御意向には逆らえない。悪いことは言わないから、闇祓いだけはやめときなよ」

「・・・闇祓い、イヤなの?」

「最近はちょっとね。不死鳥の騎士団に入ってるから、それでバランス取れてる感じかな。魔法省の中はめちゃくちゃだよ。ファッジが自分に都合の悪い奴はどんどん遠ざけてる」

「遠ざけられちゃったんだ、うちのママ」

「いや。たぶんマルフォイから金を貰って遠ざける約束してたのに、おばちゃまのほうが先にとっとと辞めたんじゃないかな。何か失態を押し付けて辞めさせるつもりだったんだと思う。そうすれば、復職出来なくなるからね。ところが、おばちゃまはハリーの裁判で・・・逆に魔法省が信頼出来ないというイメージをウィゼンガモットの爺さん婆さんたちに植え付けた。実はとっくに辞職願を提出済み。これじゃ失態を押し付けるのは難しい。もともとウィゼンガモットの判事になる資格はあるから、法執行部を辞めても、ウィゼンガモットの魔法戦士としての復職の目ははっきりくっきり残った。法執行部に復職するか、ウィゼンガモット判事になるか、何年かのうちにそうなるよ」

 

ふ、と蓮は笑った。

 

「どした?」

「・・・日本に帰りたいなら一緒に帰るなんて言ったくせに、結局そうなんじゃん」

「そうだね」

 

相槌を打ってドーラは黙った。たまらず、蓮は口を開く。

 

「あの人は自分の娘よりイギリスの魔法界が大事なんだよ。別に構わないよ、そんなこと。ママがいなきゃダメな年でもないし、1年我慢すればすぐ成人だし」

「うん」

「変に反抗して人生狂わせるのは馬鹿みたいだからホグワーツは卒業する。でもそのあとは、好きにする。ひとりでやってく」

「・・・何をして?」

 

静かなドーラの問いに、蓮は黙らされた。

 

「レン、ひとりでやってくには仕事が必要だよ。マグルの大学に行くのなら学費も生活費も必要だから、奨学金を貰うとか何か方法を考えなきゃいけない。口で言うのは簡単だけど、実行するのは簡単なことじゃない。うちのママはね、あたしを妊娠してホグワーツを退学して、パパと結婚した。ブラック家からの援助はもちろんゼロ。パパの収入だけでやってくしかなかった。NEWTは受けてたし、成績も良かったけど、ホグワーツを卒業してなかったから、きちんとした仕事はママにはなかった。ブラック家のお嬢さまだったママにとって、グリンゴッツの金庫がガラ空きの光景なんて初めて見る光景だったと思うよ。レンも見たことないでしょ。広いんだよ、金庫。中身が無いとさ」

 

ドーラが楽しげに話す。

 

「今日、レイおばちゃまに頼まれてあんたん家の金庫に行ったらびっくりしたよ。あたし、あんな大量のガリオン見たことなかったからさあ。向こうの壁が見えないって何だよって思った。たぶんブラック家の金庫もそうなんだろうけど、ママは一言もブラック家の金庫のこと言わなかったな。家を捨てるって、あの金庫を2度と振り返らないことなんだよね。アンドロメダ・ブラックはその決心をしたんだ、18歳で。改めてうちのママを尊敬した。それで幸せだって言えるんだもん。普通の顔して。ガラ空きの金庫でガリオン数えながらだよ。教科書代足りる? って聞いたらギリギリ足りそうね、って笑って言うんだ。パパが働いてくれるおかげよ、幸せねって。レン、あんたはアンドロメダ・ブラックになれるかな」

「・・・別に・・・そこまで、極端なことするつもりないし」

「そっか。ウィンストン家の金庫、菊池家の金庫、フラメル家の金庫。好きに使える金庫がたくさんあるからね、あんたには。どれかひとつぐらいは貰って、そのうえで《ひとりでやってく》わけだ。それはそれでアリだよね」

 

蓮は僅かに顔をしかめた。

その言い方をされると、何か自分がひどく甘えた人間に思えるではないか。

 

「ママはさ、トンクス家の金庫に少しずつガリオンが貯まっていくのが幸せだって。最初はほんとに空っぽ。フラメル家に保証人になってもらって、トンクス家の金庫を確保した時点では中身はゼロだった。だからさ、パパが働いて稼いできたお金しか金庫にはないんだ。それが幸せだって。パパが働いて、ママが節約して、トンクス家の金庫に少しずつガリオンが増えていく。パパとママのトンクス家の歴史が目に見えるのが幸せだってさ」

「ドロメダおばさまは料理も掃除も、家事魔法の名人だからね」

「ホグワーツ在学中に必死で勉強したんだよ・・・ブラック家のお嬢さまが家事魔法なんて見たことあるわけないじゃん。全部ハウスエルフ任せだよ。でもパパと出会って、パパと絶対結婚したいと思ったし、もしパパとうまくいかなくてもブラック家は出たい。そう思ったから、そのために勉強して覚えられることは全て覚えたんだって。今のレンぐらいの年の頃から。OWLイヤーっていうのは、そういう年齢だよ、レン」

「え・・・」

 

ドーラが明るく「ヴォルデモートのことなんか抜きにして自分の未来について考えなよ」と言う。

 

「そんなこと・・・」

「ぶっちゃけたこと言うとさ、ウィンストン家の責務なんか簡単だ。テキトーな校長と大臣を任命しちゃえばいい。それで終わりでしょ?」

「・・・それしか、言われてはいないけど」

「あとは不死鳥の騎士団とかダンブルドアがなんとかすればいいんだ。レンはそんなことより自分のことを考えなよ。ひとりでやってくつもりなら尚更。マグルの勉強も、大学入学資格試験レベルなら独学じゃ厳しいでしょ? レイおばちゃまの学生時代の勉強量も半端なかったらしいよ。確かローディーンスクールの卒業資格を持ってるけど、Aレベル試験でローディーンの卒業生並みの成績取らなきゃいけなかったからね」

「・・・知らないよ、そんなの」

「知らないままじゃダメじゃん?」

 

何かが胸にグサッと刺さった。

 

「そろそろ寝な。あたしは明日はハリーのほうの護衛につくから朝早く出掛けるけど、このことは言っておきたかったんだ。魔法界の馬鹿騒ぎ、確かにそうだよ。あんたが巻き込まれたくないのもわかる。パパとの約束だけ済ませたら自由になりたい気持ちもね。でも、まんまと巻き込まれてる。それはね、ひとつにはあんた自身が自分の未来のことを真剣に考えてないからだ。考えてないから流されるんだよ、レン」

「・・・考える暇なんて」

「なかったと言うならそれは違う。ハーマイオニーは考えてる。ハリーもロンも。そりゃただの理想論や憧れのレベルかもしれない。でもあんたにはそれさえない」

 

言いたいことだけ言って、ドーラは隣のベッドに戻って行った。

腹立ち紛れにそれに背を向けて、ギュッと目を閉じた。

 

 

 

 

 

フラーと母とグランパとグラニーの付き添い姿現しでキングズクロスに着いたのは、ホグワーツ特急の発車時刻のずいぶん前だった。

 

みんながそれぞれ手にしていた荷物をさっさとカートに載せて無言で歩き出した。

 

「レン」

 

母の声に「あとはひとりで平気。じゃあね」と言い捨てて、早足になる。

 

「ダメだ」

 

グランパが蓮の襟首を掴んだ。

 

「家族にどんなに腹を立てていても、ホグワーツ特急に乗るまでは独りにするわけにはいかないよ」

「・・・じゃ勝手にすれば」

 

囲まれて10番ホームに着くと、母が「ハーマイオニーとロンにおめでとうって言うのよ」と小さな声で言った。それから「思い出すわ。ママが監督生のコンパートメントに行ったら、パパがいたの。びっくりした」と続けた。

 

「その娘のくせに監督生になれないようじゃダメだね」

「レン・・・」

「ハーマイオニーとロンにはちゃんと言うよ。御愁傷様って」

 

9と3/4線の柵を抜けると、そのままホグワーツ特急の乗車口にカートを寄せて、次々に荷物を放り込んだ。一刻も早く独りになりたかった。

 

黙って特急に乗り込み、手近なコンパートメントに荷物を運び入れると、ブラインドを下ろして溜息をついた。

 

壁のフックに黒のジャケットを掛け、内ポケットの杖だけを取り出して、対面のシートの上に靴を脱いだ脚を投げ出した。

 

どのぐらい経っただろうか。誰かがコンパートメントに入ってきた。

 

「空いてる?」

 

聞き覚えのない女の子の声だ。

 

「・・・空いてるわ」

「ありがと」

 

女の子は蓮の脚越しにブラインドを開け「パパ!」と声を張り上げた。見たくもないのに、家族がまだそこにいるのが見えて、顔を背けた。

 

「ルーナ、良かったね、まだコンパートメントが空いてた。そうだ、紹介しよう。パパとママのレイブンクローの同級生だ。レイだよ。レイ、僕たちの娘だ、ルーナという」

 

蓮は顔をしかめたが、ルーナと呼ばれた女の子は蓮と母の顔をしばらく見比べて、窓越しに母と握手をしたようだった。

 

「はじめまして、レイ。ルーナ・ラブグッド」

「ハイ、ルーナ。レイブンクローは楽しい?」

「ん。まあまあかな」

「ルーナ、来月号が刷り上がったらまた送るからね」

「スタビィ・ボードマンの記事は続けたほうがいいと思う。無実の罪に問われた悲劇のミュージシャン。あ、パパ、ごめん、友達が眠いみたいだから、ブラインド下ろす」

 

ルーナと呼ばれた女の子には、鋭敏なデリカシーが備わっていた。息を吐いて姿勢を楽にすると、耳に蕪のイヤリングをつけた女の子がじっと蓮を見つめていた。

 

「・・・あたし、あんたのこと知ってる。ほんとならレイブンクローに来るべきだったって、みんな言ってるよ。あんたがチームにいたらレイブンクローが毎年優勝するのにって」

「それはどうも」

「今の人、あんたのママでしょ?」

「どうやらそうらしいわね」

「鏡は見ないほうがいいと思うな。ママの顔を見たくないなら」

「ナイスアイディア。そうするわ」

「あたしルーナ・ラブグッド。レイブンクローの4年生」

「レン・ウィンストンよ、ルーナ」

 

2人は社交的な握手を交わした。

 

 

 

 

 

ネビルが来て、ジニーが来て、ハリーが来た。

 

「うわ、5人だと狭いな。レン、脚」

「よけたわよ」

「大丈夫よ、ハリー。わたしがレンの向かいに座るわ。ネビル! その変なサボテンをどうにかしてよ!」

「ミンビュラス・ミンブルトニアだよ」

「名前なんかどうでもいいから!」

「ハリー、蛙チョコカード」

「まだ懲りないの? ろくな結果にならないじゃないか毎年」

「いいから」

「ダメだよ。今年は荷物の中に仕舞われちゃったんだ。トンクスが魔法でパックしてくれたけど、トンクスの仕業だから何がどこにあるかめちゃめちゃ怪しい」

「家事魔法をトンクスに頼んじゃダメだって一夏付き合ってまだわからないの?」

「痛感してるけど時間がなかったんだよ! ていうか君トンクス知ってるの?」

「トンクス? ニンファドーラ・トンクス? ばあちゃんの知り合いの娘だ! 七変化なんだって。知ってる? 七変化!」

「知ってるからサボテンどけてったら! 刺さってる!」

「ごめん、ジニー! でもサボテンじゃないよ、ミンビュラス・ミンブルトニアだ。すっごいんだよ、こいつ!」

「ネビル、そのサボテンを部屋で育てるつもりなら、えら昆布は海に返してくれよ」

「湖で育つかどうか実験したらどう?」

「レン! えら昆布を殺す気かい?」

 

なんだか嬉しそうにルーナが笑った。「賑やかすぎるぅ。グリフィンドールっていつもこんな?」

 

「こんなもんじゃないわ、ルーナ」

 

真面目くさってジニーが言い、蓮はやっと普通に笑い声を上げたのだった。


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