朝早く、湖のほとりを歩きながらジョージが蓮の手を握った。
「ハーマイオニーがそろそろキレちゃうわよ、ジョージ。臨床試験はリーやフレッドと済ませたら?」
「そっちはもう済んでる。俺たちの身体には無害だったから、サンプル数を増やして検討する段階だ」
まったく、と蓮は柔らかく笑った。「開店準備は進んでる?」
「ああ。ばっちり。ダイアゴン横丁に店舗も確保した。ハリーの優勝賞金のおかげさ。ハリーには感謝してる。ウィーズリー・ウィザード・ウィーズは常にハリー・ポッターを支持し、闇の魔術と戦う意志を持つ少年少女のための経営を堅持する」
「そっちの商品の開発は進んでるの?」
ジョージは顔を曇らせた。
「進んでないのね」
「俺たちには致命的に防衛術の知識が欠けててさ」
「急がなくていいと思うわ。ゆっくりでもきちんとした商品を開発した方がいいもの」
「でも、危機感はあるぜ。まともな防衛術の教授がいないってことについて考えてみたんだけど、ビルやチャーリーの頃からずっとそうらしいんだ。つまり、魔法省やグリンゴッツの若手はみんなまともな防衛術を身につけてない」
「・・・ええ、そうでしょうね」
ジョージの手に力が入った。
「下手すりゃロックハートの時代もそうだったかもしれない」
「ロックハート?」
「ああ。秘密の部屋のことだよ。マグゴナガルがずっと俺たちを守ってただろ? あれは凄かった。めっちゃクールだったぜ。無言でパンパン呪いを弾いてさ。でもロックハートはひいひい泣いて逃げたがるだけだ。賭けてもいいけど」
「賭けには懲りてね」
「ああごめん。とにかくロックハートは盾の呪文も使えないし、ロンより根性がない」
蓮は溜息をついた。
「ロンのこと、もっと公平に評価してあげたら? あなたにとっては邪魔な弟かもしれないけれど、客観的に見たらハリーのパートナーとして、普通の5年生より高い能力を持つようになっていると思うわよ。あなたたちがあんまり貶すから自分に自信がないだけ。監督生らしくすることにも萎縮しちゃってる」
「ああ。あいつは偉いと内心では思ってるよ。パーシーの馬鹿の代わりにお袋を喜ばせた。ロンはお袋を泣かせないように気をつけてる。それだけでも偉い。俺たちはなあ。3フクロウの時点でその点じゃアウトさ」
「・・・ん。わたくしもアウト、ね」
君が? とジョージが顔を覗き込む。「20世紀最年少の動物もどき。三大魔法学校対抗試合の真の優勝者だろ」
「優勝者はハリーよ」
「真の、だ。君がエントリーしてたら、誰も君には敵わなかっただろ。それで? お袋さんを泣かせたのか?」
「・・・勝手に泣いたの」
しばらく黙って草を踏んで歩いた。
「サマーホリディ、どうしてた?」
「・・・最高に退屈していたわ」
聞いたよ、とジョージが呟いた。
「何を?」
「ルーピンやシリウス、パパから。俺が君のことを心配してばかりで邪魔になるからだろうな。あと俺が成人したからかな。君ん家のこと。3フクロウの俺なんかと付き合ってていい女の子じゃないって、よくわかった」
「ジョージ・・・」
「でも好きなんだ」
シンプルな言葉をジョージは誰にともなく口にした。
「ん・・・」
「俺がホグワーツにいる間だけでいい。そうしたら、諦めるよ」
「諦めるの?」
仕方ないだろ、とジョージが自嘲した。「3フクロウだぜ。ウィンストン家らしく闇祓いになれるわけじゃないし、魔法省のビル管理だって無理だ」
「わたくしは・・・諦めたくない」
「え?」
「ウィンストン家の責務だかなんだか、そんなこと、さっさと終わらせて自由になりたい。闇祓いも魔法省も要らない。グリンゴッツの空っぽの金庫でもいい。わたくしが稼げばいいのだもの」
ジョージが首を振る。「自棄になるなよ。君は銀のスプーンを持って生まれてきた。でもさ、それは責務があるからだ。だろ? 君は優秀な魔法使いと結婚して」
「いないわ」
「そりゃ君に比べたらな。でもそれなりの魔法使いと」
「しない」
「へ?」
「ウィンストン家の血統を繋ぐための結婚なんかしない。わたくしには必要ないもの。知ってるでしょう? 生きようと思えば300年生きられるわ」
「・・・独りでか?」
蓮は頷いた。
「ウィンストン家の責務を背負う人間が常に必要なら、わたくしが死ななければいいだけよ」
「長過ぎるぜ」
「責務を果たしたら自由になっていい、それだったらさっさと終わらせて自由になるわ。でも好きでもない優秀な魔法使いとやらと結婚して子供を産むことまで決められるぐらいなら、がぶ飲みして300年独りで生きればいい」
「落ち着け」
ジョージがふわりと蓮をハグして、ぽんぽんと背中を叩いた。
「君の前からはまだいなくならないよ。1年ある。それに、その後だって、ダイアゴン横丁に来れば俺はいる。ウィーズリー・ウィザード・ウィーズにな。君が望む限り、君のプラスのエネルギーになってやるよ」
「・・・え?」
「君がパトローナスを出すときには、湖のジョギングをイメージする、だろ? 俺もだ」
身体を離したジョージが杖を取り出した。
「見てろ」
ジョージが守護霊の呪文を呟くと、杖先から銀の靄が現れた。靄はすぐに蓮にとって見慣れた形になる。
「・・・誰だか知らないけれど、ずいぶん大きな犬ね」
微笑んで言うとジョージは肩を竦めた。「ウィーズリー家はイタチが多いんだけどな。俺のはやたらでかい」
だから安心しろよ、とジョージは杖を納めた。「どんな形になっても、俺は君の味方だ」
「どんな形になっても?」
「君が優秀な魔法使いと結婚しても、君は湖のジョギングをイメージしてパトローナスを出す。俺が、フローリシュアンドブロッツの店員の女の子あたりと結婚しても、俺のパトローナスはブランカの形をしてる。そういう形も可能性としてはある。3フクロウの劣等生には、それが似合いだ」
「・・・あなたは優秀よ」
蓮は湖の上を走り去るジョージの大きなパトローナスを眺めて言った。
「3フクロウだぜ?」
「フクロウの数なんかに関係なく、あなたは優秀だし、誰よりも価値のある人だと思う。でも」
蓮はジョージを見上げた。
「そういう形も、悪くないわね」
「だろ? 君のプラスのエネルギーは俺。俺はそれで満足することに決めた」
隣でパーバティが「あれを見ると女の子なんだけど」と頭を振った。「あなたと一緒にいると王子様なのよね」
「パーバティ、リータ・スキーターに毒されてるわ」
「今まで、レンがあなたを背中に庇うのを何回見たと思うの」
「あれ、レンの癖なの。わたしやジニーはレンの中では守るべき対象らしいわ」
窓から身体を離してハーマイオニーは大きく伸びをした。
「でも、ジョージとアンブリッジに感謝ね。罰則のおかげでレンが早起きしてくれるようになった」
パーバティも窓から振り返り「アンブリッジの罰則って何だと思う?」と欠伸混じりに言う。
「さあ。でも、基本的には魔法省の事務官だもの。大したことないと思うわよ。書き取りとか、銀器磨きとか」
クロゼットを開けてハーマイオニーが言うと、パーバティが「もっと陰険な罰則に1ガリオン」と不吉なことを言った。
「ハグリッドのことはもちろん好きよ。早く無事に帰ってきて欲しいわ。でも、グラブリー-プランクの授業は模範的な魔法生物飼育学だったし、OWLの年にあの先生の授業を受けることになったのは幸運だったと思う。少なくともOWLに尻尾爆発スクリュートの散歩のコツなんて問題は絶対に出ない」
4階のアンブリッジの部屋に向かいながら、蓮はぷりぷり怒っているハリーに対してきっぱりと言った。
「先生たちみたいにOWLOWLって言うなよ!」
「事実として、わたくしたちには試験が控えているの。去年わたくしとハーマイオニーがマグルのGCSEを受験したの知ってるでしょう? あれはマグルの世界では学生が必ず受けなきゃいけない試験で、あの試験の成績次第で進路が振り分けられる。それと同じよ。OWLの成績が悪かったら絶対に届かない将来があるの」
蓮は静かに言った。
「それとハリー、気持ちを鎮めて。これは誰が嘘つきだとか、僕は本当のことを言っただけだとか、そういう次元の問題ではないわ。あなたも不死鳥の騎士団のジュニアチームのメンバーのつもりなら、感情をコントロールすることをいい加減に覚えてよ。あなたの癇癪が人を危険に晒すこともある」
「君は・・・君のママはそんなこと言わなかったよ! 嘘をついているのはハリーじゃないってウィゼンガモットで大声で言ってくれた!」
法廷テクニックとしてね、と蓮は冷たく言った。「そしてその母とあなたのおかげでわたくしは大迷惑よ」
黙り込んだハリーと2人、5時5分前にアンブリッジの部屋のドアをノックした。
「お入りなさいな」
甘ったるい声に僅かに眉を寄せて、すぐに蓮は平坦な無表情を作った。
「こんばんは、アンブリッジ先生」
声を揃えて定型の挨拶をすると、アンブリッジは上機嫌で用意していた机と椅子を勧めた。
特別な羽根ペンで、インクもつけずに羊皮紙に書き取りをしろと言う。「私は嘘をついてはいけない」と。
蓮は「はい、アンブリッジ先生」と答え、羊皮紙の上に羽根ペンを滑らせた。咄嗟に顔をしかめた。
「なにか?」
「いいえ、アンブリッジ先生、なんでもありません」
手の甲が疼いた。羊皮紙に一瞬浮かび上がった「私は嘘をついてはいけない」の赤い文字はすぐに消え、手の甲の傷も消えた。
「その言葉があなたがたの心に充分に染み込むまで続けてもらいますからね」
「・・・はい、アンブリッジ先生」
隣の席でハリーも黙って頷いた。
蓮はガリガリと手が動く限りのスピードで、指定された文言を羊皮紙と、連動して自分の手の甲に刻み続けた。
金曜日のキーパー選抜、と頭の中で繰り返しながら。
不愉快で陰湿な罰則だったが、ある意味で今の蓮にとっては楽な罰則でもあった。何も考えなくていい。手の甲の痛みさえ、余計な感情や思考を削ぎ落とすには役立った。
アンブリッジの部屋を出ると、ハリーが自分の手の甲を確かめ「・・・ハーマイオニーには言わないでいてくれる?」と苦い声音で囁いた。「僕、こんなことに負けたくない」
蓮は頷いた。「言わないわ。木曜日までにわたくしは、これを手に《刻み込み》たいの。ハーマイオニーがあれこれ手当てしたら台無しになる」
「無茶するなよ・・・あんなスピードでガリガリ書いてさ。僕の倍は書いたんじゃないか?」
並んで歩きながらハリーは蓮の横顔をちらっと見た。
「・・・その、ごめん。僕の癇癪が君をこんな目に遭わせた」
「別に構わないわよ。わたくしも事実を述べただけ」
「僕が言わせただろ」
蓮は小さく笑った。
「なんだよ」
「ハリー。こんなの平気よ、本当に。こんなことであの女が満足するならさせてやるわ。とにかくこの罰則をなるべく早くやり過ごすことを考えましょう」
手の甲は鋭い痛みに疼いていた。
珍しくネクタイを緩め、シャツの袖のボタンを外してだらしなく手の甲まで垂らして帰ってきた蓮は、着替えるとハーマイオニーに「ハーマイオニー、お願い」と疲れた顔で言って、後ろに手を組んで立った。
肩幅に足を開き、目を閉じている。
「お願いって・・・開心術? レン、あなた疲れてるでしょう。今日はやめたほうが・・・いいえ、アンブリッジの罰則をクリアするまでは」
「お願い。すぐにでも必要なの。わたくしは、変身術や魔法薬学、対人戦闘はかなりの訓練を受けてる。アンブリッジが武闘派なら負けない自信があるけれど、精神感応系の訓練だけは他の分野に劣っているわ。家族や家族の古い友人知人が相手だったし、幼い子供だったからあまり意味がなかった。今日のは大した罰則じゃなかったけれど、陰湿な態度に長時間晒されて精神的に疲れていると、閉心がうまくいかない可能性が高くなる。それが目的なら、今すぐにでも訓練して精度を高めなくちゃいけないの」
ハーマイオニーは思わずパーバティと顔を見合わせた。確かに弱っているらしい。いつになく饒舌に解説してくれた。
「呪文はレジリメンスよ、ハーマイオニー。こじ開けて。あなたの好奇心を満足させるといいわ」
パーバティは「わたしは席を外すわね」と部屋を出て行く。ハーマイオニーは途方に暮れた。
「レン、わたしはこんな風にあなたのことを知りたいなんて思ってないわ。あなたが話してくれる気になった範囲だけで充分だし、そういう友人でありたい、あなたが自分のことを打ち明けて頼りにするような人間に、わたし自身がなればいいと思ってる」
「頼りにしてる。だからお願いしているの。ハーマイオニーになら知られても構わない。もちろんそれが甘えにならないように抵抗はするわよ。アンブリッジに弱みを見せないためには絶対に必要だから」
「だって! 開心術なんて、得意になりたくないわ! リドルの得意な術よ!」
蓮は頷いた。静かに。「そしてハーマイオニーにもその才能がある」
「・・・やめて」
「リドルはあの時、大喜びだったの。なんだこれは、穢れた血の分際で精神感応系魔法に最適な血が流れている、こんな血を持ってさえいれば僕はこんなクソったれの日記帳無しにチビのジニーからあらゆる秘密を盗み出すことができたのに」
「・・・やめてよ、レン」
「無意識に開心術を行使してきたんだろう」
「・・・ちが」
「自分が人にどう思われるか、気にして、気にして、それが開心術の才能の開花に繋がった」
「やめてったら!」ハーマイオニーは思わず蓮に杖を突きつけた。蓮はハーマイオニーの記憶を見たのだと思った。湧き上がる怒りを込めて叫んだ。「レジリメンス!」
不意を突いたせいか、一気にハーマイオニーの中に蓮の記憶が流れ込んできた。
はぁっはぁっはぁっ、と小さな子供の荒い息遣いが聞こえる。小さな手が棒きれを握り締め、ライオンに追われて山中を逃げているのだ。
ぐ、と抵抗を感じた。
視界が歪んでいく。シルク張りのスクリーンを巻き上げるように、視界が歪み、狭まっていく。
「・・・誰の、仕業かは、教えない」
額に汗を浮かべて蓮が抵抗する。
「誰がやったの、こんなこと! レジリメンス!」
思わず杖に魔力を叩きつけた。
小さな手が、そっと土の中に杖を置いた。どこかそのあたりでちぎってきたような野の花と一緒に。ポタポタと杖に涙が落ちた。
ぐい、と目を擦って、小さな泥だらけの手が杖に土をかけていく。
また視界が歪む。
ハーマイオニーは蓮の記憶から弾き出された。
荒い息を吐きながら、床に大の字になった蓮が「・・・パパの杖よ」と呟いた。
「お父さまの? 魔法使いの杖は普通は一緒に埋葬するものじゃ」
「わたくしが大きくなったら使うって言って、取っておいてもらったらしい。あまり覚えてないけれど」
怠そうに身体を起こした蓮は「ハーマイオニー、疲れたでしょう」と床に胡座をかいた。
ハーマイオニーは、自分の身体を重く感じる、と頷いた。
「やっぱり2回ね」
「・・・続けるつもり?」
「ええ」
「レン、わたし、本当に」
わかってるわ、と蓮は苦笑した。「ハーマイオニーが人のプライバシーを魔法で覗きたがる人間だなんて、わたくしは思っていない。リドルとは違う」
「だったら、わかるでしょ? わたし、自分でもレジリメンスが身につきやすいとは思う。それはわかってるけど、追求したくないの、こんな能力」
ダンブルドアもよ、と蓮はハーマイオニーを見つめた。
「え?」
「リドルは開心術の名手よ、確かに。でもそれはダンブルドアも同じ。魔法法執行部やウィゼンガモットにも開心術の得意な人はいるわ。精神感応系魔法の中でも開心術は司法部門、忘却術は魔法事故惨事部の仕事よ。魔女として得意分野を増やすだけ。安心して。ハーマイオニーが開心術を身につけることは不死鳥の騎士団ジュニアチームの戦力強化になるわ」
「レン・・・」
「久しぶりに魔力を絞り出したら、お腹空いちゃった」
蓮は自分の机の上にハーマイオニーとパーバティが運んでおいたディナーのナプキンを取った。
誰かがミミズ腫れの手をさすっている感触に飛び起きた。
「だ・・・ウェンディ」
「姫さま、こんな傷をお作りになって」
ウェンディが珍しくテニスボールのような瞳に涙を浮かべている。
「ウェンディ、どうして」
「姫さまはお嫌です。ですが奥さまは姫さまの様子をお知りになりたいのです」
「黙っていなさい。ノー、治癒もダメよ、ウェンディ。お母さまには、姫さまはいつも通りに眠っていたと報告するの。いいわね、ウェンディ」
「姫さま・・・ウェンディの主人は今はまだ奥さまですわ」
「あなたから真実を絞り出すことはしようと思えばあの人には出来るでしょうね。もしそれをしたらますます軽蔑するだけよ。とにかくわたくしの言う通りにして」
ウェンディは大きな涙の粒を浮かべて蓮を見上げた。
「・・・悲しませてごめんなさい、ウェンディ。でも、お願い。どうしても知られたくないの」
頷いた弾みでウェンディの大きな瞳から、大きな涙の粒が転がり落ちた。
パチン、という音とともにウェンディは姿くらましをした。
ウェンディの涙を枕元のティッシュで拭き取り、蓮は唇を噛んだ。
ウェンディには簡単に言える言葉が、なぜ人間相手には口に出せないのだろう、と思った。