蓮もハリーもロンもクィディッチの練習に出て行った。
ハーマイオニーが談話室の、暖炉の前の気に入りの長椅子で課題の手を休め、スタージス・ポドモアの逮捕と収監について考えるともなく考えていると、荒々しい足音とともにユニフォーム姿の蓮とジョージが入ってきた。
「あなたたちのろくでもないスナックボックスの中身はユニフォームのポケットには絶対に持ち込まないで! いいわね!」
ジョージの鼻先に指を突きつけて叱りつけると、憤然と床を鳴らして階段を上がって行った。ジョージは頭をくしゃくしゃと搔きむしり、ハーマイオニーの前のソファにドサっと座った。
「やあハーマイオニー」
「今度はなんでレンを怒らせたの? レンがあんなに怒るのは珍しいわね」
「ロンがあんまり下手くそだったもんだからな。全員でクァッフルのパスをしてるときにはクァッフルを落としまくり。たまに捕球したかと思ったら、ジニーの顔面にぶつける始末さ。ぶつけられたジニーが鼻血を出したからフレッドが鼻血ヌルヌルヌガーの解消剤を渡した・・・はずだったんだけど、解消剤は俺が持っててフレッドが持ってたのは鼻血ヌルヌルヌガーそのものだった。ジニーの鼻血は当然止まらず、箒の上で気を失って、ヒュー・・・」
ジョージが落下する様子を指先で示す。ハーマイオニーは思わず叫んだ。
「なんてこと!」
「ドスン! となるところだったけど、レンが間一髪で受け止めた。レンの肋骨を犠牲にしてな。急いでジニーとレンを医務室に運んできたところさ。ジニーは造血剤を飲みながら一晩入院。レンの肋骨はマダム・ポンフリーのおかげであっという間に無事繋がった。もちろん、繋がった途端に俺は怒鳴られた。あとは見ての通りさ」
当たり前だわ、とハーマイオニーは詰めていた息を吐き出した。
「鼻血ヌルヌルヌガーなんて、弟や妹を犠牲にしてまでやらなきゃいけないことじゃないでしょ」
「ロンのことは犠牲になんてしてないぜ。ジニーの件は、善意がちょっと事故を起こした、うん」
「ロンをからかうのはやめたら?」
「今日からかったのは俺たちじゃない。スリザリンだ。俺たちゃからかう気にもなれなかったよ」
「あの人、そんなに・・・?」
ジョージは葬儀にこそ相応しい沈鬱な顔で頷いた。「今年のクィディッチ・カップは諦めたほうがいい」
「まだ練習してるの?」
ハーマイオニーは僅かにお尻を浮かせた。
「いや。たぶん更衣室で葬式じゃないか? グリフィンドールの栄光よさようなら、だ」
「・・・呆れた。ロンやジニーが心配じゃないの? レンの肋骨に対する責任はロンじゃなくてあなたたちのろくでもないスナックボックスにあるのよ!」
「あれはジニーの体重が」
「ジョージ!」
冗談だよ、とジョージはソファに倒れた。「しくじったと思ってる。解消剤を投与したはずのジニーへの観察が不足していた。ロンがあんまりヘボ過ぎたもんだから」
「ジョージ!!」
「喚くなってハーマイオニー。君は馬鹿げたことだと思ってるみたいだけど、ウィーズリー・ウィザード・ウィーズにはレンも賛同してるんだぜ。ただちょっと・・・クィディッチメンバーへの投与を厳に禁ずると命令されただけさ。ああいうところはなぜかマグゴナガルに似てきた」
「賛同? ほんとに? 呆れて諦めたんじゃなく?」
「違うよ。悪戯用品の他に防衛術を組み込んだ商品を作ったらどうかとか、経営に関するアドバイスもくれる」
ハーマイオニーは虚を衝かれた。
「例のあの人の復活で、その路線は売れ筋になるはずだって。確かにそうだと思う。それに、俺も考えたんだけど、ハリーみたいにアンブリッジに反抗しなくたって、そういう商品を売り出し始めることが、人々に対するメッセージにもなる。そう思わないか?」
「それは・・・そうかもしれないけど」
「だろ? なにも真正面から体当たりする必要はない。じわじわと魔法省の目を盗んで真実が浸透すればいいのさ」
ジョージは身体を起こした。ハーマイオニーは思わず尋ねてしまった。
「ジョージ、ほんとに・・・ほんとにどうしてその頭をOWLに使わなかったの?」
「言うなハーマイオニー。後悔ならとっくに済ませた。それにパーシー路線を選ばなくて正解だったとは思ってるぜ。あの世界一の大馬鹿野郎と同じような真似は絶対したくない。とにかく、レンの肋骨のことはマジで悪かったと思ってる。血の気が引いたよ。鼻血ヌルヌルヌガーも、流血豆の含有量を少し減らしたほうがいいかもしれないな」
「・・・いい加減にしないと、あなたたちのお母さまに手紙を書くわよ」
シャワーブースで腹立ち紛れにわしわしと頭から身体まで洗ってやっとさっぱりした。
家から送られてきたマグルの数学のテキストを開いていると、ハーマイオニーとパーバティが帰ってきて口々に肋骨を悼んでくれる。
「ありがとう。でも無事に治っているから大丈夫よ」
「ジョージにもフレッドにも最後通告をしたわ。今度ズル休みスナックボックス関連の事故を起こしたら、あの人たちのお母さまに手紙を書くわよって」
「死ぬ程怯えてた。ハーマイオニーが書かなくてもジニーが書くかもしれないけどね。まだ新学期が始まって1週間だっていうのに」
蓮は肩を竦め「あんまり追い詰めると、今度はロンに八つ当たりを始めるかも」と、ハーマイオニーをちらりと見遣った。
ハーマイオニーはツンと顎を上げ「それとこれとは別問題よ」と強がりを言う。
「別問題かしら。パドルミア・ユナイテッドに入団するほどのオリバーと比べちゃいけないとは思うけど、ロンはもうちょっとなんとかならないかって双子じゃなくても思うわよ」
強気なハーマイオニーも、パーバティの弁に僅かにたじろいだ。
「レン・・・そんなにひどかったの? だって・・・練習でしょう?」
「マルフォイたちのせいよ、今日は。グリフィンドールの負けだって囃し立てて、ロンの緊張を煽ったの」
「どうしてスリザリンが練習を見に来るの?」
わからない、と蓮は首を振る。「ジニーとロンを偵察に来たんじゃないかってハリーは言っていたけれど、今までそんなことはしなかったし。妙にハイだったのが少し気になるわ」
「ジニーとロンを?」
「ハリーが言うには、よ。去年はクィディッチ・カップは全面中止。まったく試合はなかった。その前の年はディメンターがいたからジニーのデビューはなかったけれど練習には参加していたわ。その前にはわたくしが正式なメンバーになった年だけれど、偵察なんて今までなかった。そしてロンは・・・」
言い淀むとハーマイオニーが眉を上げた。「ロンがなによ?」
「あー・・・言い方は悪いかもしれないけれど・・・特筆すべきキーパーではないわ。悪いキーパーでもない。背が高くて、手足が長いし、クァッフルへの反応も悪くない。でも・・・悪くない、という表現を超えるほどでも・・・」
がくりとハーマイオニーが肩を落とした。
「ゴールポストの前に誰かがいるだけでいいってこと?」
「・・・箒から滑り落ちなかっただけでも充分満足すべき場面がいくつもあったわ」
「クァッフルでパス回しするだけの練習でよ、ハーマイオニー」
「パーバティ、見に行ったの?」
「ちょっと気分転換にね。ハリーやレンがちょこちょこ励ましてたけど、耳に入ってなかったわね、あれは。スリザリンもひどかったの、それは本当。でも練習であれじゃあ、本番の試合でどんな野次が飛ぶと思う? ロンはゴールポストを放り出して逃げ出しかねない」
とにかく、と蓮は慌ててパーバティのロン評に割り込んだ。「偵察するほどのキーパーではない、それだけよ、ハーマイオニー。ハリーやわたくしやジニーの時も偵察なんてなかったわ。今年に限って最初の練習で偵察があるのが不自然だと思うの」
「そうね、レンやジニーの時には偵察がなかった。特にレンは1年生の最終戦でハリーの代わりにチョウ・チャンの鼻の骨を折った箒乗りだから、2年生当時のレンを偵察するならまだわかる。でもロンは」
パーバティが肩を竦めて話題を引き戻しそうになる。蓮は小さく唸って目を逸らした。
「パーバティ・・・」
「事実よ。現実を直視しましょう。アンジェリーナとレンとジニーがクァッフルを離さないのが一番よ。ジニーも意外に血の気が多いのね。ジニーが双子を怒鳴るのはロンには逆効果。妹に庇われてるみたいだもの。まあ実際に庇われてるけど。どうしたのハーマイオニー、あなたが落ち込むこと?」
蓮は黙ってハーマイオニーの肩をぽんぽんと叩いた。
月曜日の朝、ハーマイオニーは日刊予言者新聞に目を疑うような記事を見つけた。
「ホグワーツ初代高等尋問官に任命・・・あの女が!」
眠そうな顔を保ったまま、蓮がハーマイオニーの脚を軽く蹴った。
「寮で読みなさい。顔に出さないで」
ハリーとロンは明らかに怒りで顔を真っ赤にしている。
「教師に尋問? 何様のつもりだ!」
「高等尋問官様よ、ハリー、声が大きいわ。早速2回目の罰則を喰らうつもり?」
「だって、レン! こんなの!」
「ハーマイオニーが言っていたでしょう。魔法省がホグワーツに干渉するって。その第一歩に過ぎない。いちいち感情的にならないで」
あいつは邪悪な奴だ、とロンが唸るように言った。「パーシーの馬鹿野郎、なんだよ、こんな記事に得意そうに出て来やがって。目が曇ってるのはパパやママじゃない、自分のほうじゃないか。今度会うことが・・・万万が一あったなら、僕は、僕はあいつに眼鏡拭きを投げつけてやる」
ハーマイオニーは極力平然とした顔を作って、蓮に「なんとかするべきよ」と囁いた。まるで「そっちのシュガーポット取ってくれない?」とでも言っているように。
「なにを? 尋問されるのは先生たち。今の時点ではね。先生たちが今は一番困惑していると思うわ、マクゴナガル先生以外」
「・・・マクゴナガル先生だって」
「あんな女相手に尻尾を掴ませる人じゃないわ・・・生徒がしくじらない限り」
蓮の視線は、憤然と口に朝食を詰め込んでいるハリーとロンに向いていた。
「・・・最低限、コレはなんとかしなきゃ」
ハーマイオニーの囁き声の訴えにも、無理よ、と蓮は場違いに微笑んだ。
「わたくしを巻き込まないでいてくれさえすれば御の字だわ」
確かにそうは言ったが。
蓮は小さく溜息をついた。
「ああ、クィレルはいい先生だった。ちょっとした欠点があって・・・ヴォルデモートが後頭部から飛び出していたけど!」
早過ぎる。
早速罰則を頂戴したと知ったらアンジェリーナはどんな顔で怒り狂うだろう。
廊下を歩きながら蓮はさすがにハリーに注意した。
「ハリー、何度も言っているでしょう。あなたが感情をコントロール出来るかどうかの問題なの。あなたは危険な人物で、そんな人物のいるチームにはクィディッチをプレイさせないと決定することも出来るのよ、あの女には」
「できるわけない! 高等尋問官は先生たちの評価をする権利はあるけど、クィディッチに口を出すことなんて出来やしないさ! 魔法省令第23号にはそんなこと書いてない!」
「24、25、26には書いてあるかもしれない。グリゼルダ・マーチバンクスやチベリウス・オグデンの抗議の辞任の意味を理解して。ファッジは勝手な法律を作り始めたの。これまで魔法省はウィゼンガモットに法律制定の際のアドバイスを求めてきた。でも反人狼法はウィゼンガモットを通過していない。あのときもウィゼンガモットは抗議をしたわ。それでもまたやったのよ。しかも首席魔法戦士のお膝元の学校という聖域に対して。もうファッジやアンブリッジに常識を求めてはいけない。暴走が始まったと肝に銘じなさい」
疲れて寮に戻ると、手早くトレーニングウェアに着替えて玄関に向かった。
「ウィンストン」
振り返ると、スリザリン寮に降りる階段の手前で、マルフォイがズボンのポケットに手を突っ込んで立っている。
「なにかしら」
「悪いことは言わない。高等尋問官に従え」
「従順にしているわ」
君にとってもそのほうが楽になる、とマルフォイは苦い顔で言った。
「は?」
「アンブリッジはスリザリンの卒業生だ。たぶん純血じゃないが・・・それでも、スリザリンに悪くはしない」
「わたくしはとっくにグリフィンドールに組分けされてしまったからその恩恵に与ることは無理でしょう」
「君の父上のことが原因で、アンブリッジの弟が死んだことはわかってる。役立たずの闇祓いだった」
「・・・父が?」
マルフォイは声を低めて「違う。役立たずはアンブリッジの弟のほうだって誰でも知ってる。つまり、僕たちの側の者ならな」と早口に言った。「でもアンブリッジはそんなことを知られているとは思っていない。だから、君や君の家族に対する感情やプランは、スリザリン生には筒抜けだ。だから言うんだ。こっちに付け、ウィンストン。ポッターたちの仲間でいる限り、あいつは手を緩めないぞ。フリでいいからこっちに付くんだ」
無理よ、と蓮は冷ややかに微笑んだ。マルフォイがカッと白い頬を紅潮させた。
「そんなことにさえ理解を示さないような奴が本当に仲間なのか? 君の命が懸かってるんだぞ!」
「いちいちそんなこと教えていないから。マルフォイ、気にしてくれてありがとう。示唆に富んだ会話だったわ」
「君は動物もどきだ。君の爪先がちょっとラインを踏んだだけで違法に出来る力がアンブリッジにはある。どうなるかわかってるんだろう?」
蓮は頷いて歩き出した。
「ウィンストン!」
どうした、と玄関の外に立っていたジョージが蓮の背後を見た。「マルフォイに絡まれたのか?」
蓮は首を振ってジョージを見上げた。「行きましょう。久しぶりに思いきり汗をかきたい気分なの」
部屋でハーマイオニーは「ドビー?」と呼びかけてみた。主人でも雇い主でもないハーマイオニーの呼びかけに応えてくれるかどうかはわからないが、試してみたのだ。
パチン
ハーマイオニーの目の前に、得意満面のドビーが現れた。
「ドビー!」
ドビーは白いシャツとちぐはぐな靴下、縮んでしまった毛糸の帽子を頭にちょこんと載せていた。
「ハリー・ポッターのお友達! 姫さまのお友達! ドビーは知っております!」
「ドビー、どうして・・・あ、確かに呼んだのはわたしだけど、まさか来てくれるとは。あなたの主人でも雇い主でもないのに」
「姫さまの一番のお友達ですから。ドビーの耳には聞こえたのです!」
ハーマイオニーは動悸のする胸を押さえた。
ハウスエルフが自分を覚えていてくれたことに不思議な感動を覚えていた。マグル生まれのハーマイオニーを、魔法界では名家とはとても言えないハーマイオニーを。
「姫さまのお友達としてではなく、あなたのお友達として、あなたにお願いがあるの、ドビー。あなたを好きに使うようで気は進まないけれど・・・それでも、姫さまとわたしにとって大事なお願いよ」
「喜んでお働きになります! ドビーは自由なしもべです! 姫さまとそのお友達にお仕えするとお喜びです!」
「あと2人、自由なしもべを知らないかしら。ホグワーツで働いているしもべの中で。ドローレス・アンブリッジ先生の命令を無視出来る自由なしもべがわたしたちには必要なの」
湖の対岸まで走ってきて、蓮は呼吸を整えた。
「ジョージ、しばらくここで待っていてくれない?」
「ブランカのお散歩だな?」
「ええ、そうよ」
校舎から見えない木陰でブランカに変身すると、ジョージを待たせて真っ直ぐに森に飛び込んだ。
ケンタウロスが思い思いに過ごしている開けた空間に着くと、変身を解いた。
「・・・ウィンストンの姫君か。何用かな?」
「わたくしと、わたくしの友人2人が鍛練のために森を必要としています」
「鍛練は学校でなされば良い」
「学校ではできないのです。父を殺した者の一族が学校に対する支配を強めました」
「女王の代理人を殺した・・・ヒト以外の魔法種族に対するヒトからの宣戦布告だった。ああ、誰かは知っている。アンブリッジ、確かそういう名だった。同じ名を持つ者が、今また姫君を害する計画を立てていると?」
「目的はわかりませんけれど、今の状況ではわたくしを害することが容易です。わたくしと友人2人は身を守る術と隙をついて攻撃する術の訓練を必要としているのです。ですが場所がありません。夜間に校内を歩けばそれだけでもわたくしの命に関わるのです。森しかありません。もし場所を提供してくださるなら、寮のわたくしたちの部屋からその場所まで、ハウスエルフに頼んで姿現しで連れてきてもらいますから、森の他の場所は決して穢しません」
良かろう、と尊大にケンタウロスの長は頷いた。
「ウィンストンの姫君、ハグリッドの愛し子よ。多種族への礼を知る姫君がおいでとは喜ばしい。訓練地は学校から遠いほうが良かろう。我々で用意しておく。明日の夜からでも使えるように」
3人のハウスエルフを見て、パーバティはギョッとしたようだった。無理もない。初めて見るときにはお世辞にも愛らしいとは言えないのがハウスエルフだ。馴染んでみれば可愛く思えるのだが。
「ドビー、お友達を紹介してくれる?」
「はい、ハーマイオニーさま。私はドビー、自由なしもべです。こちらはウィンキー、自由になりたくなかったしもべです。不本意ながら『ようふく』にされました。その後、もとのご家族が全員お亡くなりで、やっと自由なしもべになる気持ちを固めました。そちらがケニー、まだ若くてホグワーツ研修中ですが、好奇心旺盛でダンブルドアに『ようふく』になっていいか聞きに行きました。研修中の身だったのでまだどの家族にも仕えたことがありません。正真正銘の自由なしもべです!」
「わかったわ、ありがとうドビー。それで、一応パートナーを決めようと思うの。ウィンキーはレンがいいわよね。ウィンキー? 姫さまにお仕えするのよ、自由なしもべとして。どうかしら」
「姫さまにお仕えするのはハウスエルフの誉れですわ・・・その・・・ご主人様は、悪い子でした。ご主人様の罪を、あたくしが代わりに償いたいとお思いですの」
蓮は首を振り、ウィンキーの前に跪いて視線の高さを合わせた。
「隷属していたのだから、ご主人様の罪を償う必要はないわ、ウィンキー。ご主人様が悪い子だったとわかってくれるのならそれで充分よ」
ウィンキーは真新しい清潔なメイド服の白いエプロンの裾で涙を拭った。
ハーマイオニーはそれを確かめ、ホッと息を吐いてからドビーを振り返った。
「ドビー、あなたは菊池家のウェンディの次に自由に目覚めたしもべよね。自由なしもべとしては最先端に近い信頼出来るしもべだわ」
「はい! ハーマイオニーさま! ドビーは自由をお離しになりませんです!」
「ドビーにはパーバティをお願いしたいの。パーバティ、ドビーよ。ハリーを殺しかけるほど心配して、秘密の部屋の事件を解決する手助けをしてくれたハウスエルフなの」
パーバティは頷いて、蓮を真似てドビーの前に跪いた。
「はじめまして、ドビー。パーバティよ。あなたが森への案内人ね、よろしく」
「はい! パーバティさま! 姫さまのお友達!」
そしてケニー、とハーマイオニーは若いハウスエルフの前に跪いた。「正真正銘自由なしもべのケニーにはわたしのお友達になって欲しいの」
テニスボールのような瞳をいっぱいに見開いた若いハウスエルフは、魔女たちがこぞってハウスエルフに跪いたことに恐縮していた。
「は、ハーマイオニーさま! とんでもないことです!」
蓮の目の前でウィンキーが「姫さま」と長い睫毛を瞬かせた。
「なにかしら、ウィンキー」
「ゴブリン製の剣をお持ちではありませんか?」
蓮は眉を寄せて「今はまだないわ」と答えた。「それは成人しないと手に入らない」
ウィンキーはふるふると首を振った。
「ウィンストンの剣でなくても構いません。あたくしとケニーはまだドビーほど自由に馴染んでいらっしゃらないのです。ゴブリン製の刃物を従える姫さまとそのお友達に仕えたくお思いですの。そうすれば、ダンブルドアにだって秘密は漏らしません。それがしもべですわ」
蓮はハーマイオニーとパーバティを迷うように見た。ハーマイオニーは複雑な顔をしていたが、パーバティはドビーに素直に尋ねた。
「どうかしら、ドビー? ウィンキーの提案をどう思う?」
「ドローレス・アンブリッジは悪い魔女です! ですが、ホグワーツの先生でいやがりますから、ドビーたちは今のままでは言うことをお聞きになるしかないのです・・・ウィンストンの血があれば秘密はお漏らしすることができなくなります! もちろん姫さまが痛い目に遭うのはよろしくありません! ですが」
ドビーは大きな瞳に大きな涙を浮かべた。
「ドビー?」
「姫さまはもう血を流されました! 包帯をちょっと取って、かさぶたをちょっと毟れば、ウィンストンの血がちょっとだけ流れます!」
ハーマイオニーがハッと息を呑んだ。パーバティがドビーの大きな瞳を覗き込んで確かめる。
「ちょっとだけで足りるの? どくどく流れるほどじゃなくても? 鼻血ヌルヌルヌガーがあればすごい勢いで鼻血を搾り取ることも出来るわよ? 痛くないし」
「・・・人を何だと・・・」
「パーバティ、あれよ! レンのペーパーナイフ! ウィンキー、ペーパーナイフでも構わない?」
ウィンキーは勢い良く頷く。
「ゴブリン製の刃物ならなんでも構わないのです。それに儀式を考えるとペーパーナイフの大きさがしもべにはぴったりですわ」
蓮は溜息をついて立ち上がり「ウェンディ」と呼んだ。
パチン
「姫さま!」
「・・・来てくれてありがとう、ウェンディ。これも・・・」
そう言って部屋の有様を指し示す。「今からお願いすることもお母さまには秘密にして欲しい。わたくしのゴブリン製のペーパーナイフを持ってきて。日本のおじいさまから貰ったナイフよ。チェルシーに置いていたから、倉庫の荷物の中にあると思う」
かしこまりました、とウェンディは優雅に礼をしながら姿をくらました。
「見ましたか、ケニー! あれが自由なしもべの礼儀作法でいらっしゃいます!」
ウェンディの掌を返した態度にまた溜息をついて、蓮はウェンディの帰りを待った。
パチン
「こちらでございます、姫さま。ゴルヌック1世が鍛えたナイフですから充分でしょう・・・このしもべたちに、儀式を?」
蓮は頷き、手に巻いた包帯を外し始めた。すかさずウェンディがそれを代わる。
「儀式の手順は覚えていらっしゃいますの?」
「まったく。必要になるとも思わなかったし」
「ウェンディがお導きいたします。このかさぶたですわね。少し痛いですよ」
カリっとかさぶたを剥がされた。蓮は僅かに顔をしかめ、傷の周りを指で強く押して、血を滲み出させた。「私は嘘をついてはいけない」とアンブリッジに強要された文字が血の色に浮かび上がる。
思ってもみない強い怒りが胃の真ん中に湧き上がった。
ーーこのわたくしに、傷をつけた
ハーマイオニーが蓮の顔を窺った。「あなたって、怒ると目の色が薄くなるのね。うちのパパが言ってた、喧嘩騒ぎなんかで教室の蛍光灯が割れたりするときには絶対にコンラッドの目の色が変わってたって。お母さま似なのに、そういうところがお父さまに似ているのは不思議ね」
「お小さい頃はそうではなかったのですよ、ハーマイオニーさま」
ウェンディがそう言って蓮の目を掌で隠した。
「姫さま、落ち着いてくださいませ。しもべたちに儀式をなさらなくては」
ペーパーナイフに蓮が乱暴に傷を擦り付ける。赤い血が白い刃面にかすれた。
パーバティとハーマイオニーの見守る中で、ペーパーナイフはスゥっと蓮の血を吸い込み、次の瞬間、カッと光を放った。
ハーマイオニーとパーバティは知識として知っていたとは言え、目の前でゴブリン製の刃物が強者の血を吸い込む場面を初めて見て、目を見開いている。
3人のハウスエルフは驚愕にわなわなと震え、慌てて両膝をついて手を身体の前に交差させ、頭を垂れた。
「姫さま、姫さまに従う者は?」
「・・・ウィンキー」
「ではウィンキーの肩に剣を当ててくださいませ」
蓮がそうすると、ウィンキーがビクっと身体を震わせた。ハーマイオニーが「ちょっと待って、ウェンディ。隷属は」と足を踏み出すと、ウェンディはパタパタと耳を鳴らして首を振った。
「ご安心くださいませ、ハーマイオニーさま。隷属の魔法で縛ったのではありません。誰が真なる女王であるか、ハウスエルフの血が感じただけでございます」
ウェンディの説明にハーマイオニーは黙って頷いた。
「姫さま、ウェンディの言う通りに繰り返してくださいませ。『ウィンストンの血によって宣言する』」
「ウィンストンの血によって宣言する」
「『其方は新たな秩序を体現するしもべとなれ』」
「其方は新たな秩序を体現するしもべとなれ」
「『わたくしの騎士として』」
「わたくしの騎士として」
途端にウィンキーが咽び泣いた。
「姫さまの仰せの通りに! あたくしは自由なしもべのままで姫さまの騎士となりますわ!」
ウェンディは小さく頷き「姫さま、ナイフをハーマイオニーさまへ」と言った。
蓮はペーパーナイフをハーマイオニーに渡し、ウィンキーを立たせた。
「ハーマイオニーさまも姫さまと同じように、しもべの肩に剣を。はい、そうですわ。復唱してくださいませ。『ウィンストンの友として宣言する』」
「ウィンストンの、友として、宣言する」
「『新たな秩序のために働くしもべとなれ』」
「新たな秩序のために働くしもべとなれ」
「『我が友として』」
「・・・我が友として」
ケニー、とドビーが促すとケニーは瞳いっぱいに涙を溜めてハーマイオニーを見上げた。
「喜んで! 喜んでお友達になります! 姫さまのお友達のお友達です!」
同じことをパーバティがドビーに繰り返し、ウェンディはもう一度蓮の目の辺りを撫でて「目の色にはお気をつけくださいませ」と小言を言って帰った。
ハウスエルフたちを仕事に戻し、ハーマイオニーが「さて」と腰に手を当てた。「ひとまずこれで良し」
「ハーマイオニー」
蓮が手の傷にガーゼを当て、紙テープで貼り付けようと苦心しながら微かに抗議した。
「こんなことまでしなくても」
パーバティが蓮の手当を手伝おうと手を出しながら「あら必要よ」と軽い口調で言う。
「必要?」
蓮は眉をひそめた。
「ホグワーツ初代高等尋問官に対抗するにはね」
「レン、わからない? 魔法教育の場、いわば聖域に魔法省が干渉する。それを阻止するには、古代魔法の力で締め出すのが一番よ」
「よくわからないけど、これでハウスエルフが味方になったことは確かだわ。アンブリッジにだって口を割らない味方。わたしたちにはそれが一番必要でしょう」
レン、とハーマイオニーがニヤっと笑った。
「な、なんでしょう、か?」
「ホグワーツ初代高等尋問官の配属に対抗して、こちらには、『ホグワーツ城の姫さま』が誕生したの。ケンタウロスに認められ、ハウスエルフを騎士に持つ『ホグワーツ城の姫さま』よ」