聖マンゴに運び込まれたミスタ・ウィーズリーの容態が安定したと聞いて、ハーマイオニーは胸を撫で下ろした。
「それでハリーは?」
ロンとジニーが揃って首を振る。
「パパの病室から僕ら子供は追い出されちまってさ。それで伸び耳を使って、マッド・アイやトンクスとパパが話し合ってるのを聞いたんだ」
「ハリーの夢のおかげでパパは助かったんだけど、その夢の内容がね・・・マッド・アイの表現では、例のあの人が」
「おい!」
「マッド・アイの表現ではってことよ! つまりね、ハーマイオニー、夢の中のハリーの視点が、パパに噛み付いた蛇自身の視点だったものだから、例のあの人がハリーに取り憑いてるってことになるんじゃないかって。それを聞いて以来、ハリーはわたしたちと目を合わせたがらないし、部屋に閉じこもっちゃったの」
「そりゃ、僕らもギョッとしたけどさ、ハリーが蛇の目から見てたっていう夢の内容は昨夜校長室で聞いてたからな。超ビビるってほどでもない。だいたい『取り憑かれ』なら、ジニーのほうが先駆者だぜ。僕らが今さらそんなこと気にするわけないのにさ」
ハーマイオニーは苦笑した。
「ここしばらくハリーがレンと話したがっていたのはそのことだったのかしら」
ロンが「たぶんな」と頷いた。「確かに最近はよくうなされてたし。ハリーが言うには変な夢を見て、傷も頻繁に痛むから無関係じゃないと思うんだけど、レンの意見も聞いてみたいって。でもレンも大変だったろ? 万が一アンブリッジに知られるのも気味が悪いし、レンにあまり隠し事をさせるのも悪いからって遠慮してたんだ」
「そうね、大変だったみたい。たぶんホリディはホリディで大変だと思うけど」
「まさか学校に残らなきゃいけないのか?」
ハーマイオニーは首を振った。
「そうじゃないわ。夜の騎士バスで一緒に近くまで来たの。マクゴナガル先生が付き添って、ホリディを過ごす牧師館まで連れて行くそうよ。ね、シリウスは?」
夜には戻ってくる、とロンが請け合った。「昨夜は僕らを迎えるためにここにいたんだけど、今日はパパのことを騎士団メンバーに連絡したりするのにルーピンと出掛けてるんだ」
シリウスは快活にハーマイオニーを歓迎してくれた。
「やあ、ハーマイオニー。純血主義に汚染された我が家へようこそ」
ハーマイオニーはそのシリウスにタペストリーを見せて欲しいと頼んだ。
「タペストリー? ああ、ブラック家の家系図かい? どうしてまた。つまらないものだ」
「あのタペストリーが純血の家系を知るのに一番だと聞いたことがあって。個人的に知りたい家があるの」
ふうむ、と釈然としない顔つきのまま、シリウスは居間にハーマイオニーを連れて行ってくれた。
蓮の記憶で見た通りのタペストリーだ。焼け焦げまで同じ。
「シリウス、この人は?」
ナルシッサ・マルフォイとベラトリクス・レストレンジの間の焼け焦げを示して尋ねると、シリウスは「知りたいのはドロメダのことかい?」と怪訝な顔をした。
「そうじゃないけど・・・この人はレンと知り合いなの?」
ああ、とシリウスは軽く頷いた。「知り合いかどうか確かめたことはないが、知り合いでもおかしくない。アンドロメダ・ブラック。私の一族の中で、私が唯一信頼する従姉だ。君もよく知ってるトンクスの母親だよ。そしてレイの親友でもある。マグル生まれのテッド・トンクスと駆け落ちしたことでこの家系図から抹消された。それで? 君が知りたいのはどの純血かな?」
ハーマイオニーははっきりと答えた。
「インヴァネスのロス家」
頷いて、シリウスはタペストリーの上の方を指した。
「インヴァネスのロス家は、直系が絶えてしまった家系だ。ブラック家との縁戚関係はかなり昔のことになる」
「直系が絶えてしまった?」
「うむ。確か・・・30年ほど前に最後の当主が亡くなったのではなかったかな。さすがに私が物心つく前のことだから自信はないが。最後の当主には3人の子供がいたんだが、2人はスクイブだったと聞いたことはある。よくある話だ」
「でも1人は魔法族?」
「だろうな。しかし、純血のパーティなどで消息を聞くような結婚はしなかったんだろう。もしそうなら、私の母親が知らないはずがない。なにせウィンストン家と同じようにマグル界の爵位持ちになるほどの名家だったから」
ハーマイオニーはぽかんと口を開けた。シリウスはそれに気づかずにタペストリーを眺めながら、記憶を掘り起こす努力をしていた。
「イングランドのウィンストン家、スコットランドのロス家といった具合に並び称される家柄だったはずだ。スコットランドのロード・オブ・パーラメントだから・・・イングランドの男爵家より少し格上というところかな」
しかしなあ、とシリウスは皮肉に唇を歪めた。「純血の家系の成れの果てなんてこんなもんさ、ハーマイオニー」
ココン、と指の節でタペストリーを叩いた。
「この通り、ブラック家の直系は私と弟だが、弟は死喰い人として、ヴォルデモートの何やら命令を受けて死んだらしい。私はこの通りのアズカバン帰りだ。従姉妹たちの中で一番上のベラトリクス・レストレンジ、こいつは今もアズカバンにいる。アンドロメダ・トンクスはまともな結婚をしたが、ブラック家の家系図からは消された。末のナルシッサ・マルフォイがかろうじて、ブラック家も認める範囲のまともな結婚だな。マルフォイ家に嫁いでルシウス・マルフォイそっくりの息子を産むことがまともかどうかは別にして。純血主義がいかに先細りの選択かわかるだろう。ロス家も似たようなものだったろうよ。最後の当主の子供の1人が血を繋いでいる可能性はある。まず間違いなくそうだろう。縁戚に相続権が移譲されたという話は聞かないからね。しかし、ロスの名を継いでいないあたり、ドロメダのような結婚だったのだろうな。もしそうなら、トンクスがブラック家の特性の七変化に生まれたように、変身術の天才が生まれた可能性はゼロではない。しかし、トンクスがブラックの名を名乗る気がないように、ロスの名を名乗る気がないとしたら・・・聞かないところを見るとそうだろう・・・相続権はともかく、絶えてしまった家系として、歴史の中に消え去る運命だ」
「・・・ロス家は、変身術の名家?」
シリウスはハーマイオニーを見て不思議そうな顔をした。
「そうだが? 学生時代に変身術を自主学習している中で何度か名前を目にしたことがあるから間違いない。君はどこからインヴァネスのロス家のことを知った?」
「名前だけ。レンがちらっと言ったから覚えていたの。でも、レンとは最近あまり込み入った話も出来なくて」
「うむ、彼女なら知っているだろう。イギリスの魔法族の紳士録ぐらいは教育されてるはずだ。それで? 込み入った話が出来ないというのは、例のアンブリッジのせいか?」
ハーマイオニーは頷いた。
「レイが珍しく取り乱して心配していたよ。彼女の唯一の弱点は娘だ」
シリウスが面白がるように笑った。
「笑い事じゃないのよ、シリウス。レンは」
「16歳の頃は誰でも大なり小なり親との関係に悩むものだ。私もブラック家を捨てたのはその年頃だった」
嫌でたまらなかった、とシリウスはタペストリーを眺めた。「このタペストリーが私を縛る檻にしか思えなかったよ」
「シリウス・・・」
「今でも大した価値のあるものとは思わない。歴史家なら喜ぶかもしれないが。しかしね、16歳の頃の反抗は、私にとって得難い友を与えてくれた。レンが母親を拒絶するならさせてやればいい」
「でも・・・」
「君は友人が理由らしい理由もなく、ただ反抗のための反抗をするような人間だと思うかい?」
ハーマイオニーは首を振る。「でもこのままは悲しいわ」
ししっ、と悪戯小僧の顔を垣間見せてシリウスは笑った。「娘にフラれまくって、コンラッドにもしなかった熱いアタックをするレイを見て笑ってやりたいね。あの人はそのぐらい経験するべきだ。言い寄られるばっかりでそのまま結婚したもんだから、女性としての努力が致命的に足りていない」
「シリウス・・・」
焦れたハーマイオニーの肩を軽く叩いてシリウスは頷いた。
「私も親としては、ああ私の場合はゴッドファーザーとしてだが、半人前だ」
シリウスは肩を竦めた。
「ハリーと同じ家で寝起きすることなんてほんの赤ん坊の頃もなかった。つい最近、この前の夏からだ。ハーマイオニー、レイも似たようなものなんだ。母親としては、君の母上ほどの経験を積んでいない」
開心術で見た蓮の過去の記憶に母親の姿があまり見当たらなかったことを思い出して、ハーマイオニーは曖昧に頷いた。「それはなんとなく」
「私もレイも・・・若い頃の選択ミスやどうしようもない成り行きによって、ハリーやレンを近くで見守り育てることが出来なかった。君にとってご両親は立派な方々で、必ず君を深く愛してくれるのだと思う。私もそうだよ。決して立派ではないが、ハリーのためにこの命があると自信を持って言える。レイもだ。娘を守るためなら何だってする人だ。しかし、私は長いことアズカバンにいたし、レイは娘と、日本とイギリスに離れて暮らしていた。親としては君のご両親ほどのキャリアを積んでいないんだ」
また、ぽんぽんとハーマイオニーの肩を叩いた。
「君には焦れったいかもしれないが、我々親にも成長のチャンスを与えてくれ。ハリーやレンがあまりに早く大人になってしまうと我々の肩身が狭くなる。少しは子供たちの前で見せ場が欲しいじゃないか。その点、リーマスはいいよな」
シリウスが拗ねるように唇を尖らせた。
「リーマス?」
「君たちからルーピン先生ルーピン先生と慕われて、すっかり立派な大人のカテゴリに入れてもらっている。私など、悪戯仲間扱いだ。双子が私に手紙で何を頼んできたと思う。ゲーゲートローチ量産のための嘔吐草だぞ。モリーやアーサーの目を盗んで嘔吐草の包みをフクロウに結びつけていると、自分が18歳にしか思えなくなる」
立派な髭を蓄えているくせに表情が子供っぽくて、ハーマイオニーは苦笑した。
バァン!
「えー、ケェスネース、ジョン・オ・グローツ村でぇ。お忘れものはごぜーませんかー」
「はいはい、ごぜえませんとも!」
マクゴナガル先生がただでさえ不機嫌な顔をいっそう不機嫌にして先にバスを降りた。
吹きつける雪風に蓮は目を眇め、コートの襟を立てた。
ブリテン島最北東のケイスネス、その突端のジョン・オ・グローツ村。ブリテン島最北の村だ。真冬のホリディには絶対チョイスしたくなかった。
「急ぎなさい、ウィンストン! 凍りますよ! そんなブーツなど履いてくるからです!」
怒鳴り声が激しい風に千切れていく。
「地球温暖化大いに結構! さっさとこの雪まみれの土地をどうにかして欲しいわ!」
不機嫌は吹雪のせいらしい。
「温暖化なんて嘘ね! ちっとも暖かくなっていない! ウィンストン! 黙っていると口が凍りますよ! せいぜいアンブリッジを罵りなさい!」
「・・・は?」
「あの女さえいなければ! わたくしはこの冬は! 湖水地方はホークスヘッド村のホテルで! 優雅にお茶を! 飲むはずでした!」
「ホークスヘッド?!」
「オーガスタの家です! ホークスヘッド村の外れにあります! たまにはイングランドに出向かなければ!」
「スコッツ訛りが出るからね!」
「その通り! わたくしが! ルビウスのような! 喋り方になっていたら! あの女の責任です!」
「・・・わたくしが馬鹿になったら! アンブリッジの責任だ!」
「その通り! ただでさえ扱いにくいのに! 余計にひねくれさせるなど! 無能め!」
「開心術も! 忘却術も! 下手くそ!」
「グレンジャーには! もう敵いませんよ! 下手くそ!」
「なんで知ってるの?!」
「森を! 猫が歩いて! 何か問題がありますか?! ルビウスの帰還を! 毎晩! 確かめていただけです! 無言呪文も! パチルのほうが! 数段上! あれで教師気取りとは! 片腹痛い!」
「マジ寒い!」
「地の果てです! あなただって! 地の果ての小娘です!」
「それはランズエンド岬! うちはティンタジェル!」
「どっちもコーンウォールです!」
吹雪の向こうに、うっすらと牧師館が見えた。
「ミネルヴァ! 姉さん! 相変わらずうるさいよ!」
パチパチと薪の爆ぜる暖炉の前でブーツを脱いだ。
「まったく。申し訳ないね、ミス・ウィンストン。姉はこの村育ちのくせに寒さに弱くて、冬に帰省するときには、ああやって悪態をつきながら帰ってくる悪癖がある」
「悪態でも吐いていなければ顔が凍るではありませんか。なんということです、ロバート、紅茶にブランデーなど!」
「凍る凍るとさんざん騒いだじゃないか。身体を温めるにはこいつが一番だ。さあ、ミス、こちらへ」
促されて蓮がダイニングに入ると、広いダイニングルームの隅にデスクトップコンピュータがあった。きちんとコンピュータデスクにセットされている。
「君が、えーと、なんだったかな、そうだ、マグルだ。マグルのカリキュラムを勉強するのにはコンピュータを使って欲しい。コンピュータ通信で受けられる講座を手配しておいた。君の学力のレベルがわからないから、失礼になったら申し訳ないが、一番基礎的なレベルだ。もちろん基礎をきちんと手ほどきしてもらうことは独学よりも有効だと思う」
「あ、ありがとうございま・・・すぅ?!」
胡散臭いものを検査するように目を眇めながら、杖でコンコンとコンピュータを叩き始めたマクゴナガル先生を見て、蓮は飛び上がった。
「やめてミネルヴァ、マジやめて!」
コンピュータを抱くように身を投げ出した蓮にマクゴナガル先生は眉をひそめた。
「なんです蓮、頓狂な声を」
「電子機器に魔力はダメ絶対!」
「これが電子機器ですか」
なるほどなるほど、と頷き、しげしげと眺め回した。その様子にロバート氏は溜息をつく。
「そういうことなら、姉さん、電子機器は家の中にいくらでもあるよ。その杖を振り回すのは控えてくれ」
ダイニングの暖炉のヒーターだろ? キッチンの電熱器だろ? テレビに、プレイステーションに、電話に・・・とロバート氏が数え上げた。
「ロバート! 誰がそんな贅沢を許したのです!」
「まったく贅沢じゃない。姉さんの表現を借用するならば、この地の果てにおいて人間らしい最低限度の生活を送るための設備だ。私も兄さんも暇じゃない。この家を維持するために帰ってくるたびに薪割りなんかするわけにはいかないからね」
蓮はコンピュータを抱いたままコクコクと頷いた。薪割りなんか勘弁して欲しい。
「プレイステーションはサービスだ。16歳の女の子にこの『地の果て』で『マグルの女子学生らしい最低限度の生活』を維持するには、そのぐらいは必要だろう。私の大学の学生たちは徹夜でプレイしているよ。レン、君がテレビゲームを嫌いでなければいいが」
「大好きです!」
「蓮!」
「姉さんの注文だからね。『地の果てでマグルの女子学生らしい最低限度の生活を送る設備を整えなさい』だ」
「わたくしの学生時代にそんなものはありませんでしたよ! だいいちこの子も充分に地の果ての出です! ランズエンドですよ! 文字通りの地の果てではありませんか!」
「・・・違うし。コーンウォールはコーンウォールでも、ティンタジェルだし」
「姉さんたち魔女が棒切れを振り回してる間に、マグルはICチップを開発した。おかげで地の果てでも凍えることなく冬を越すことができる。弟2人がマグル、しかも片方はエディンバラ大学で工学を教えているというのに、姉さんは親友の孫に1945年の地の果ての生活を強要するのかい? ティンタジェル! まったく地の果てじゃあない。ジョン・オ・グローツと一緒にしたらアーサー王が気を悪くする」
マクゴナガル先生が杖を握り締めてわなわなと震えている。返す言葉がないらしい。
「エディンバラ大学?」
蓮が呟くと、ロバート氏はパチンとウィンクした。
「私はロバート・マクゴナガル・ジュニア。マクゴナガル姉弟の末っ子のマグルだ。エディンバラ大学理工学部で情報工学を教えている。君がマグルの電子機器に通じているようでなによりだよ、レン」
「・・・牧師様だったのでは?」
「ああ。必要があれば牧師もやるが、なにしろこんな地の果てだ。ほとんど信者はいない。息子たちが都会に出て行けば年老いた親たちを都会に引き取る。頑固に村に居座る年寄りの誰かが死んだときだけこの牧師館で葬儀を執り行う。パートタイムの牧師さ」
肩を竦めるロバート氏の前で、蓮は安堵のあまり、へなへなとコンピュータに身を伏せた。助かった。キリスト教原理主義者の巣窟の心配だけは無くなった。
「ミネルヴァ・マクゴナガルの弟はもうひとりいる。やっぱりマグルだが、近々ここに帰ってくると思うよ。姉さん、レンの部屋は昔の姉さんの部屋を用意しておいた。姉さんはマルコム兄さんの部屋を使うといい。私の部屋だったところには、ミセス・マクルーハンを泊めている。主寝室に交代で私と兄さんが泊まる。いいね」
マクゴナガル先生(姉)がピクリと眉を上げた。
「マクルーハン? もう来ているのですか?」
「昨夜からね。静かな客だ。スコッチさえ与えておけば」
「・・・ミセス・マクルーハン? マグルの方ですか?」
さんざん杖だの魔力だのと口にしてしまった、と緊張する蓮に、ロバート氏は高笑いした。
「マグルだけど安心していい。不死鳥の騎士団婆さん支部の協力者でね。姉さんたちが杖を振り回すのには慣れている。ただし、レン、君はミセス・マクルーハンにはあまり近付かない方がいいな。吐き出す二酸化炭素で酔っ払ってしまいかねない」
婆さん支部、と蓮は目を瞬いた。
「婆さん連中が集まって何を企むのか知らないけどね。とにかくここは不死鳥の騎士団婆さん支部の本拠地になった。私と兄は夏からずっと週末ごとにこの地の果てに来て、いずれ集会を開く婆さんたちが凍死しないように設備を整え直すことを命じられたというわけだ」
「ロバート! 誰が婆さんですか!」
「自覚の有無は別にして客観的には婆さん連中で間違いない。こんなに大きい孫がいて可笑しくない年齢だ。兄さんも心配していたよ。婆さん連中を地の果てに集めておいて、健康に障るようなことがあってはならないとね。トイレにもヒーターを設置しておいたけど、絶対に、いいね、絶対にスイッチを切ってはダメだ。年寄りの死因のトップランクはヒートショック。暖炉で温められた居間から寒風吹き荒ぶトイレに行くときに倒れるんだからね」
トイレ、とマクゴナガル先生が目を剥き出した。「トイレを温めてどうするのです?!」
「脳血管の発作予防だ」
「そんなものはウィスキーを飲んで血管を拡張していれば」
「そういう先史時代的な発想が一番良くない」
ふくく、と蓮は笑い出した。ミネルヴァ・マクゴナガルがやり込められている。もしここにジョージがいたら、ロバート氏のことを「スコットランドの偉人10人」にカウントするに違いない。
与えられた部屋で荷物を整理したあとにベッドに横になった。
いつの間にか眠っていたらしい。電話の呼び出し音で目が覚めた。
ピーっと留守番電話に切り替わる信号音が聞こえた。
「こちらジョン・オ・グローツ村唯一の牧師館、マクゴナガルです。残念ながらチビのロバートはグレン・フィナン辺りで火のようなウィスキーを飲んでいる。そんな裏切り者のゴナガルの息子に御用の方は合図のあとにメッセージを残してくれ。スリー、ツー、ワン、ファイア!」
グレン・フィナン辺りのファイア・ウィスキー、と復唱して蓮は苦笑した。マクゴナガル姉弟の末っ子にはどうやら姉の分まで遊び心が備わっているらしい。婆さん支部であることをマグルにわからないように表現している。
軋む階段を降りていく。
「ミネルヴァなら学校にけえった」
居間に足を踏み入れるや否や、嗄れた声が聞こえた。
「けえっ・・・あ、ミセス・マクルーハンでいらっしゃいますか? わたくしは」
知ってらあ、ときついスコッツ訛りで、ミセス・マクルーハンは応じた。「いちいちなめぇを言うんでねえ小娘」
「・・・はい?」
古ぼけた毛玉だらけのカーディガンを何枚も重ね着したミセス・マクルーハンは丸まった背をさらに丸めて、居間の暖炉の火を掻き起した。
「自己しょぉかいなんざしなくたってぇ、ここに集まる婆ぁどもならあんたのこたぁ知ってら」
「そ、そうです、か」
「いちーち上品ぶって挨拶なんかすんでね。あんた、あたしがヴォルデモートの奴さんだったらどうすんでえ。変身する薬でも飲んでたらよう」
それは、と口ごもる蓮をギロっと睨み「こんだからガキどもを関わらすんでねぇって言うんだ。ちいとも用心てもんを知らねえ。14年めえにさんざん若えもんが殺られちまったのはこんだからだよ」と唇を歪めた。
「・・・はい。未熟でした。ご指摘ありがとうございます」
ミセス・マクルーハンは苛立たしげに火搔き棒を蓮に向けた。
「あんたぁ、イングランドの上品なお嬢ちゃんのはずがグレちまってこんな地の果てに追いやられちまったんだろ?」
「はい・・・そういうこと、です」
チッとはっきりした舌打ちが聞こえた。
「・・・ちいともなっちゃいねえ。口のきき方ってもんは」
やれやれ、とロバート氏がエプロンのポケットに手を突っ込んでダイニングから現れた。「ミセス・マクルーハン、我が家にお招きした由緒正しいアーサー王子に余計なことを要求しないでくれよ。あんたがレンの分まで下品だから彼女はこれでいい。いいね?」
「小僧っこは黙ってな。あたしゃ心構ぇってぇもんを」
「余計なことを言うようなら、その小僧っこ特製のステーキは無しだ」
ミセス・マクルーハンは黙ってしまった。蓮としては、ミセス・マクルーハンよりもロバート氏の婆あしらいの巧みさを是非とも学ぶべきだと思った。
ミセス・マクルーハンにステーキとマッシュポテトのプレートを与えて追い払うと、ロバート氏は蓮を広いキッチンの隅に設えたテーブルに案内してくれた。
「ずいぶん広いキッチンですね」
「そりゃあ、牧師館だからね。昔は葬式だミサだとここで大量の料理をしなきゃいけなかった。今は家族やミセス・マクルーハンみたいな来客のためにしか使わない。ダイニングは正直なところ無駄なスペースだ」
蓮はダイニング越しに居間の様子を確かめて「あの」と口を開いたが、続ける言葉に困る。ロバート氏はそれを察して苦笑した。
「ミセス・マクルーハンかい? 彼女は姉さんのグラマースクールの同級生でね。ご主人に先立たれて、ひとり暮らしなんだ。しかしあの通り健康状態に深刻なリスクを与える生活習慣の人だから、この牧師館に誰かが、つまり私か兄のどちらかが帰っているときにはなるべく泊まってもらうようにしている。そういう関係上、婆さん支部の留守番役にちょうどいいからと、姉さんが騎士団に巻き込んだ。姉さんの仲間たちのことは若い頃から知ってるから、魔女に対して余計な偏見はないよ。まあ、見ての通り偏屈な婆さんだが、たまに鋭いことも言わないわけじゃない」
「そうです、ね」
「ミセス・マクルーハンほどになれとは言わないが、確かにレン、君はもう少しくだけたほうがいいかもしれないね。頭のてっぺんから爪先まで育ちの良さが滲み出ている。私個人としては悪いこととは思わないが、この冬の君の設定からすると、そのままホグワーツに戻るのはちょっと怪しまれるかもしれない。君は非行少女に交じってクリスマスを過ごすわけだから、休暇明けには多少嘆かわしくなっているのが自然だろう?」
蓮は黙って頷いた。
「どの程度が許容範囲なのかは、マグルである我々には判断出来ないから君自身が塩梅しなければならないが、そういうちょっとした努力を積み重ねることは確かに大事だね。ああ、ミセス・マクルーハンほどになるのはどう考えてもやり過ぎだよ」
「はい・・・ところで、マク、いえミネルヴァは」
呼び出しがあったそうだ、とロバート氏は苦笑した。
「心配は要らない。たぶん食事を作ることから逃げたのさ」
「食事・・・」
「君さえ良かったら食事は自分の好きに済ませることにしないかい? ミセス・マクルーハンもミネルヴァもそういうところはまったく当てに出来ない。実は私もそのタイプでね。読書をしたり、コンピュータを扱っていると食事の時間なんて忘れてしまうことが多いんだ。もちろん冷蔵庫の中の物や小麦粉の類は好きに使っていい。キッチン用品も適当に使ってくれ。今日は吹雪だが、晴れ間を見計らって雑貨屋に行けば、何かしらインスタントな食べ物を売ってる。外食は観光客向けの実に冴えないレストランがあるが冬の間は休み。ファストフードはフィッシュ&チップス屋が1軒あるきりだが、たまには悪くない」
もちろんです、と蓮は頷いた。そういう気軽な食生活は望むところだ。
想像していたよりも快適なホリディになりそうだった。