サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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閑話1 新たな秩序

姿現しでホグズミード村の外れに降り立った怜は、きりっと奥歯を噛み締めた。

 

「あの毛むくじゃらの酔っ払いの大男。今度という今度は、正座させて説教してやる!」

 

娘と同じ長い脚を、いつになく大股に踏み出した。

 

「いったい何度このわたくしに化け物ペットの弁護をさせる気よ!」

 

ガシャン! とホグワーツの校門を開いた。すでにダンブルドアに連絡しておいたおかげで校門は開錠してある。

 

そのまま足早に禁じられた森の方に向かって歩き出した。

 

 

 

 

ぽふん! と生意気にも怜に向かって仔ドラゴンが火を噴いた。

それをジロリと睨みつけ、怜は正座させたハグリッドに「それで」と釈明を促す。

 

「んだから、ちぃっとばかり酒が過ぎたかもしれんが、とにかく賭けで勝って、おれはこの子を手に入れたっちゅう・・・」

「その時点でドラゴンの卵だと認識していた?」

「おうとも!」

 

ダン! とテーブルに拳を叩きつける。「威張るな!」

 

「いいこと、ハグリッド。ワーロック法により、ドラゴンの飼育・孵化・卵の密輸は禁じられているの。厳に、厳しく、厳密に禁じられているわ。あなたには相手がドラゴンの卵を持っていると知った時点で通報する義務があったの。言い抜けたいのならば、ドラゴンの卵だと認識していちゃいけないの。孵化して初めて知ったから慌てて通報した、という形に収めるのならばね」

 

ハグリッドは大きな体を、もじもじと動かした。

 

「そりゃあ、ちいっと無理かもしれん・・・」

「なぜ。今日孵化したばかりでしょう? 法律上のアドバイザーに相談の上通報した、で話は通るじゃない」

「それが、そのぅ・・・マルフォイの息子に、見られた、かも、しれんのだ」

 

怜は、はあ、と息を吐いて右手で額を押さえた。

 

「よりによって」

「おれが全部悪い! 蓮はちいとも悪くねえ!」

「卵の時点でわたくしに連絡しなかったのは、あの子の判断ミスよ」

「いんや、そういうことじゃねえんだ。マルフォイの息子は蓮をつけ回しちょる。無理もねえ、おまえさんに似てあんだけの美人だ、ぽーっとなっとるガキどもはいくらでもいらあ。蓮はマルフォイが見たと思った途端に飛び出していって、忘却呪文をかけようとしたが、おれが止めた。あの子の杖は普通の杖じゃねえってダンブルドアが言いなさったからな」

 

怜は腕組みをして「それで」と眉を険しくした。

 

「そ、それで?」

「ハグリッド、あなたが悪い男じゃないのは、わたくしもよく理解しています。ただ、ドラゴンに手を出すには善人過ぎるわ。甘いの。蓮を使って、マルフォイの息子に顔色一つ変えずに忘却呪文をかけるぐらいのことが出来ないなら、ドラゴンなんかに手を出すんじゃないわよ!」

「お・・・おまえさん・・・」

「ドラゴンの密輸をするような人間はね、ハグリッド、そういう人間なの。あなた、アラゴグの時だってそうだったんじゃないの? ねえ、あなたにアクロマンチュラの幼生を渡したのは、誰だったか忘れたの?」

 

ハグリッドはぶるぶるぶるっと身震いした。「だ、誰からそれを」

 

「わたくしが誰の娘か忘れるほど耄碌したの?」

「おれは柊子にだってミネルヴァにだって言ってねえ!」

「あらそう。でも、それを調べるのが菊池柊子とミネルヴァ・マクゴナガルよ。とにかく! マルフォイの息子の記憶を消していないなら、どうするかを考えなきゃ」

 

 

 

 

 

ダンブルドアが「ほっほっほ」とにこやかに笑った。「それは災難じゃったのう」

 

校長室の深紅のソファに座って足を組んだ怜は、こめかみをヒクっと引きつらせた。

 

「ダンブルドア。わたくしが義母に来た手紙に気づかなかったら、どうなっていたかお分かりですわね? それにしては、ずいぶんと呑気な」

「うむ。君には度々ハグリッドが迷惑をかけておる。まことに申し訳ない」

 

はあ、と怜は溜息をついた。

毎度のことだ、いちいち腹を立てるのもバカバカしい。

 

「して、解決の手段を講じてきたのであろう? 君のことじゃからの」

 

ええ、と怜は長い髪をかき上げた。「基本的には子供たちが手段を講じていましたから、それを利用します」

 

すでにドラゴンキーパーに連絡済みであること、迎えが来る計画があることを説明する。

 

「ですが、マルフォイの息子に見られた可能性があるということでしたから、念のため、禁じられた森の最奥に、ドラゴンの営巣地痕を偽装してきました。最悪の場合は、野生のドラゴンが禁じられた森で産卵し、それをハグリッドが監視していたことにします。危険生物の営巣中は、魔法生物規制管理部に連絡するより、刺激しないことが優先されるという判例がありますから、この場合も適用されるでしょう。そして、ドラゴンは育児放棄します。放棄された卵のうち、破壊されていなかった一個を森番が確保し、ドラゴンキーパーに連絡した、という流れならば希少な魔法生物保護の観点からの理解が得られますわ」

 

ダンブルドアはウムウムと頷いて聞いている。

 

「蓮は君より、コンラッドに似ているのかの。ハグリッドのドラゴンを君なら容認せんじゃったろうに」

「夫に似ているというより、わたくしの母に似たのですわ。ハグリッドがドラゴンの卵を入手するという不自然さに気付いて、情報を引き出すために、あえて手伝ったのでしょうね。ダンブルドア、あの子たちは、もうケルベロスの宥め方を聞き出しましたわよ」

 

初めてダンブルドアがこめかみを押さえた。

 

「ルビウスは、ドラゴンと引き換えに喋ったのかね?」

「まさか。彼がそういう人間じゃないことはお分かりでしょう。ただ、お酒を飲みながら賭け事をして、賭けが好調であることに気を良くして巧妙な質問に乗せられたのです。この手段は、アクロマンチュラの件を連想させます」

「うむ」

「ハグリッドは、ホッグズヘッドで初めて会った怪しげなフードを被った男だと言いますが、わたくしには、ハグリッドをよく知る人物の手口に思えますわ。例えば、過去にハグリッドを言いくるめてアクロマンチュラの幼生を引き受けさせたような形で、ハグリッドを知る人物」

 

ダンブルドアがキラリと眼鏡を光らせた。「ルビウスが言ったのかね?」

 

怜は肩を竦め「ハグリッドとあなたの今の態度で確信が持てましたわ」と言った。

ダンブルドアは深く息を吐いて、背の高い校長の椅子に背を預けて、腹の上で両手の指を組んだ。

 

「のう、怜よ。君はなぜウィゼンガモットに戻らぬ」

 

怜が眉を寄せて「どういう意味でしょう」と尋ねた。

 

「アメリア・ボーンズが君を待っておるぞ。君のその法律知識、法廷センス、理性的判断力、どれをとっても魔法法執行部になくてはならぬものじゃ。ルビウスの専属弁護士にしておくのは惜しい」

「それはどうも。ですが、おかげさまで、マグル界の弁護士としてそれなりのクライアントも抱えていますから、魔法省でのお仕事は本来なら必要ありませんの。ウィンストン家の立場上、籍は置いておりますけれど」

「コンラッドのことがあって、君が魔法界に見切りをつけつつあるのは理解出来る。あの混乱した時勢のまま、形を変えることも出来ぬ法律ばかりじゃ。じゃが、なぜ戦わぬ」

「わたくしにそれをおっしゃる前に、なぜダンブルドア、あなたは魔法大臣の職を固辞なさるのです」

 

ダンブルドアが顔の前の蝿を払うように手を振った。

 

「儂は、弱い人間じゃ。俗物じゃよ。権力の座に近づくべきではない。じゃが君は」

「わたくしもですわ」

 

怜が微笑んだ。「あのままウィゼンガモットにいたら、わたくし、いったい何人をアズカバンで殺したことか」

 

「今は違うであろう。もうそろそろ戻ることを考えても良くはないかの? 儂もまだウィゼンガモットで一定の発言力は有しておる。君が変えたいと願うことにいくばくかの協力は出来ると思うがの」

 

ウィゼンガモット、と呟いて、怜はふふっと笑った。「わたくし、ウィゼンガモットなど視野に入れてはおりませんわ」

 

「なんと?」

「アズカバンが変われば、自動的にウィゼンガモットが変わりますもの」

「・・・アズカバンを、どう変える? 確かに忌まわしい看守に守られた孤島じゃが」

「その忌まわしい看守には、致命的な弱点がございます」

 

ダンブルドアが顔色を変えた。

 

「奴らに弱点があるじゃと?」

「ええ。彼らの放つ絶望の冷気は、すべての生物に通用するものではありません。所詮、脆弱な杖使いの成れの果ての姿ですわ」

「杖使い・・・じゃが、ハウスエルフも収監され、獄死しておるがの?」

「ハウスエルフは、仕える主人を失った時点で弱り始めます。ディメンターはそれをほんの少し後押しするだけ。試しに動物を入れてみてくださいな。さほど弱りはしないかと。万が一、杖無しで変身できる動物もどきが収監されたら、脱獄の危険性は極めて高くなります」

 

なんと、とダンブルドアが呟いた。「君は、魔法法執行部の新人研修のときに気付いたのかね?」

 

「ええ。わたくし、不完全ながら動物に変身出来ますので」

「・・・ミネルヴァは何も言わなんだ」

「マクゴナガル先生は、魔法法執行部では鉄の女と言われていらっしゃいます。伝説ですわ。アズカバンでの新人研修を、1週間の泊まり込みで一気に終わらせたと。わたくしは、そのことにヒントを得ましたの。杖を奪われ、ディメンターの冷気に満たされた環境で、果たしてどれだけの人間が、杖無しで変身することが出来るかを考えれば、あえて指摘するほどのことではありませんもの」

 

ダンブルドア、と怜が組んだ膝の上でゆったりと両手の先を合わせた。

試すようにダンブルドアを見つめる。いっそ挑戦的に。「ヴォルデモートと雌雄を決するとき、彼を生かしておきますか?」

 

「なんと?」

「ヴォルデモートを捕縛し、尋問し、証拠を固め、裁判にかける間、彼を生かして収監出来るシステムがあります?」

 

ない、とダンブルドアは断言した。

 

「だから、コンラッドは殺された、違いますかしら? バーテミウス・クラウチの無茶な方針によって、無能な闇祓いを増員し、彼らに訓練を受けた闇祓いと同等の職権を与えた。だからコンラッドは殺されたのですわ。バーティ・クラウチがそのような手段に出た理由はただ一つ。強大な闇の魔法使いを収監出来る確実な手段がないからです」

「・・・確かに」

「わたくし、ヴォルデモートを生かして裁判にかけるときには、ウィゼンガモットに戻ります。わたくしの考える新たな秩序は、そこから始まるのです」

 

ダンブルドアは青い瞳を潤ませた。

 

「君は・・・」

「ダンブルドア、闇の魔法使いを殺害して事を済ませる時代は、もう過去の遺物なのです。魔法を穢した者に魔法使い・魔女として死ぬ名誉は与えません。彼らの嫌悪するマグルとして獄中生活を送らせることが肝要なのですわ」

 

やれやれ、とダンブルドアが首を振る。

 

「儂はいささか年を取り過ぎた」

「何を今更。わたくしだって、もう自分の後継について考えておりますのに」

「後継?」

「アズカバン、ひいてはウィゼンガモットを変えたあとは、そういつまでも権力の座に居座るつもりはありませんので」

「・・・君にこき使われる人材が気の毒じゃな」

 

ダンブルドアの微笑を受けて、怜は立ち上がった。

 

 

 

 

校門に向かい、つかつかと背筋を伸ばして歩いていく怜の後ろを、猫背のフィルチがついていく。

 

「古の盟約を、ウィンストンはまだ覚えておるということか」

 

魔法界が混迷の極致にあるとき、ウィンストンは新たな秩序を打ち立てる宣言をする。

それは、魔法族ではもう知る人の少ない、マグル社会との古い古い盟約なのだ。


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