サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第22章 グロウプ

学校のあちこちで悪戯が頻発し、アンブリッジとフィルチはその始末に追われていた。さらに、WWWの「ずる休みスナックボックス」の顧客は相当数に上っていたらしく、闇の魔術に対する防衛術の授業はさながら野戦病院のような有様だ。鼻血ヌルヌル・ヌガーのせいで教室は常に血生臭く、誰かしらが高熱に浮かされ、誰かしらが気絶し、誰かしらが吐いていた。

 

ハーマイオニーは、それらを楽しげに見ている蓮の横顔を眺め、確かにジョージの作戦が功を奏していることを認めざるを得なかった。

 

少なくとも蓮は、今のところ瞳の色が変わるほどの怒りを感じてはいないようだし、むしろアンブリッジの校長ライフが混乱の極みにあることを喜んで、おとなしく見守っている。

 

したがってハーマイオニーとしても、東棟6階廊下に広がる携帯沼地の消し方におおよその見当はついたが、誰にも教えないことにした。かなり高度な変身術理論をもとに、いくつかの呪文を組み合わせて構成されているので、単純な発想ではとても消せないのだが、いくつかの反対呪文を正しい順番で適用すればあっさり消すことが出来ると思われる。

 

なので、マクゴナガル先生やフリットウィック先生ならば簡単に消せると思うのだが、消してやる気になる先生はひとりもいない様子だ。

それどころか、ハリーが言うには、マクゴナガル先生はシャンデリアをいじっているピーブズを見逃すばかりでなくシャンデリアの外し方まで教えたらしい。

さらに、談話室で蓮とロンがチェスをしていたら、マクゴナガル先生がやって来て「ウィーズリー、双子に携帯沼地の量産を進言しておきなさい。あれは非常事態に大いに役に立ちます」とビジネス上のアドバイスをして行った。

 

アンブリッジの抱える問題が多ければ多いほど、アンブリッジの身の安全が保証されるという逆説的な状況に、監督生のハーマイオニーとしても、「ずる休みスナックボックス」の使用を咎めることは出来なかった。

 

目下のハーマイオニーの懸案は、ハリーが閉心術のレッスンなり自主トレーニングなりをしているように思えないことと、フレッドとジョージの逃走で自分にとばっちりが来るのではないかと不安がるロンを宥めることに向いている。相変わらず太腿には蓮の頭が載っているが。

 

「ダイアゴン横丁に店舗を構えるなんて、そんなお金をどうやって工面したかも心配なんだ。あの2人、騎士団でもマンダンガス・フレッチャーとよくひそひそ話をしてたからさ。盗品の大鍋やなんかを売ってたことがバレたら、それまで僕のせいにされちまうぜ」

 

ハリーが気まずげに視線を魔法史の教科書に落とした。ハーマイオニーが怪しむと、蓮が「ハーマイオニー」と膝の上から睨む。開心術の使用について蓮の中には明確なルールがあって、ハリーの(開心術を使わなくても充分に胡散臭い)不審な態度に、半ば自動的に発動する開心術をすかさず止められてしまう。

 

もちろんハーマイオニーとしても、意識的にハリーの心を覗きたいわけではない。しかし、杖を使わず無言で術を発動出来るようになると、今度はそのコントロールが難しい。怪しい態度だと感じると、反射的に発動するのだ。

 

「なあ、レン。君はジョージから何か聞いてないか? もしかしたら君がスポンサーになったとか?」

「スポンサーがいるとは聞いてる。わたくしじゃない。アンジェリーナもお金なんか貸してないよ。ジョージもフレッドも、ビジネスの資金をガールフレンドに出してもらうような人間じゃない」

 

ロンがくしゃくしゃと頭を掻き「アンブリッジの検閲がママの吠えメールをシャットアウトしてくれないかな」と悲壮な願望を口にした。ハーマイオニーの見解では、吠えメールだけは無検閲で通すのがアンブリッジという女なのだが、ロンの儚い希望を踏みにじることは気が進まない。

 

あのさ、とハリーが重い口を開いた。

 

「なんだよ?」

「マンダンガスでも、レンでも、アンジェリーナでもないよ。僕だ」

 

ハーマイオニーの膝の上で蓮がハーマイオニーを見上げて肩を竦めた。絶対最初から知っていたような小憎らしい顔だ。

 

「それって、おい」

 

ロンが呆然と呟くと、ハリーは堰が切れたように打ち明けた。

 

「去年の6月に三大魔法学校対抗試合の優勝賞金をあげたんだ。何も言うなよ、ハーマイオニー。僕は後悔してない。僕にその金貨は必要ないし、フレッドとジョージのビジネスは素晴らしいと思ってる。あの2人なら絶対うまくやる。ダングから盗品の大鍋なんか受け取ったわけじゃないから、モリーおばさんがそのことを心配するなら、お金の出どころが僕だってこと、言った方がいいかもしれない。それはロン、君の判断に任せるよ」

 

 

 

 

 

「知ってたわね」

 

部屋に戻ってハーマイオニーが軽く睨むと、蓮は「たまたまだよ」とまた肩を竦めた。「わたくしがいることを忘れて、対抗試合のあと、医務室でジョージたちに賞金をあげてた。ハリーに口止めされたから黙ってただけだ。賞金はハリーのものだし、どう使おうとハリーの自由だ」

 

そんなことより、と蓮はハーマイオニーの額を指で押さえた。「開心術を垂れ流し過ぎだ」

 

ハーマイオニーは降参して両手を挙げた。

 

「あなたの自制心を尊敬するわ。杖も呪文も無しで使える魔法って怖いわね。ブレーキをかけるタイミングが難しいの」

「ハーマイオニーと開心術の相性が良過ぎるせいもある」

「そう? あなたはたいていの魔法は杖無しで使えるでしょう?」

 

そうでもないよ、と蓮がクロゼットから入浴用品を取り出した。「例えば禁じられた呪文は、杖がなきゃ使えない。あれは、強い意志を収束させなきゃいけないから、原理的に杖使いにしか使えない魔法だ。たとえリドルくんでも杖無しじゃ無理だよ」

 

ハーマイオニーは目を瞬いた。

 

「そういうものなの?」

「うん。そういうもの。だからリトル・ハングルトンで、エクスペリアームズが効いたのには驚いた。いろいろ好条件が重なったこともあるけど、ハリーの武装解除の意志が死の呪文に対抗出来るぐらい杖に収束されたのは確かだ。もしかしたら、他にも死の呪文を防ぐ魔法はあるのかもしれないね」

 

パタパタっとパーバティが部屋に戻ってきた。

 

「やだレン、お風呂まだなの? 早く入りなさいよ。明日は試合なんだから」

 

途端に蓮がしゅんと落ち込んだ。

 

「・・・あの、まだ優勝争いから脱落してはいないでしょ? スリザリンがハッフルパフに負けたから、まだどのチームも」

「理論上はそうなる。でも、問題はチームの質。ジャック・スローパーはどこに向けてブラッジャーを叩けばいいかわかってないどころか、自分で自分を叩く才能の持ち主だし、ロンは」

 

言いかけて、蓮はピタリと口を噤んだ。

 

「ロンが何よ」

 

ハーマイオニーが睨むと、蓮はじりっとバスルームに近づきながら「いや、ロンに致命的な問題はない」とあからさまな嘘をついた。「要はチェイサーが敵にクァッフルを渡さなきゃいいだけだ」

 

「今年のグリフィンドールのチェイサーは大変ね」パーバティが溜息混じりに言う。「キーパーもビーターも当てに出来ないチェイサー。孤軍奮闘だわ」

 

蓮は情けない顔で「パーバティ、空気を読め」と言ってバスルームに飛び込んだ。

 

ハーマイオニーはパーバティをジロっと見た。パーバティは「事実よ?」と澄ましている。

 

「フレッドとジョージがいなくなったから、ロンのプレッシャーも少しは」

 

ハーマイオニーが言いかけるとパーバティは「ウィーズリーこそ我が王者の大合唱がなければね」と苦笑する。

 

「あれ、ほんとにイラつくわ。でもいいのよ、わたしの幸せはロンのキーパーとしての才能に左右されたりしないんだから」

「・・・割と左右されてるように見えるけど」

 

ボソッとパーバティが言った言葉は無視した。

 

 

 

 

 

「ジョンソン、ウィンストン、ウィーズリー兄、ウィーズリー妹、スピネット・・・」

 

リー・ジョーダンが淡々とアナウンスする。悪戯仲間のフレッドとジョージの自由への逃走以来、どうにも本調子が出ないのだ。もちろんグリフィンドールの優勝の可能性が極めて低いことも拍車をかけていることは間違いない。

 

ハリーが隣で、ちらっとピッチに目を向けた。ピッチ上では箒から降りたチョウ・チャンがロジャー・デイビースと笑いながら何か話している。

 

「・・・あなた、チョウとはどうなったの?」

 

どうにもなってない、とハリーがぶっきらぼうに答えた。「密告者をDAに入れたんだ。それだけならまだしも、マリエッタにも事情があるなんて庇うんだから」

 

「そう・・・」

 

割とどうでもいい展開だった。

 

「みんなそれぞれ事情はあるはずだけど、他の誰の顔にも『密告者』だなんて書いてない」

「そうね」

「あいつの母親がホグワーツの暖炉を見張ってるんだってさ。そんなの、もともとアンブリッジに逆らえない奴じゃないか。そんな奴を連れて来るなんて気が知れないよ」

 

はいはい、とハリーの肩を叩き「始まるわよ」と試合に注意を向けさせた。

 

「さて、選手が飛び立ちました!」リーが実況を始める。「デイビースがたちまちクァッフルを取ります。レイブンクローのキャプテン、デイビースのクァッフルです。ジョンソンをかわします。スピネットも・・・だがしかし来たあ! ウィンストンがデイビースのシュートを阻みました! そのままトップスピードでレイブンクローのゴールを目指します!」

 

よし、とハリーが膝の上で拳を握った。「今日はレンが本気だ。いいぞ」

 

ハーマイオニーも矢のように飛びながら、レイブンクローのチェイサーをすり抜ける蓮を見つめた。あと少し、すぐにゴールを・・・。

 

「きゃあ!」

 

ハーマイオニーは思わず叫んで顔を覆った。蓮の、クァッフルを抱えたほうの肩に猛スピードの飛来物が激突したのだ。

 

「馬鹿かスローパー! チームのチェイサーを殺す気か!」

 

リーがマイクを引っ掴んで怒鳴った。ジャック・スローパーが叩いたブラッジャーが蓮の肩を直撃したのだろう。

 

「ハリー、ハリー、レンは・・・」

 

顔を覆ったまま、ハーマイオニーが尋ねるとハリーは「クァッフルは落としたけど、箒を掴んだ手は離してない。大丈夫かどうかわからないけど落ちてはいないよ、ハーマイオニー。今ゆっくり着地する」と緊張した声で説明してくれた。「もしかしたら肩の骨をやられたかもしれない。地面に転がって苦しんでる」余計な説明までついてきた。「マダム・ポンフリーが担架を出して駆けつけた。やっぱりやられたな」

 

「大変!」

 

ハーマイオニーは観客席で立ち上がった。その時、しわがれた声が聞こえてきた。「ハリー、ハーマイオニー」

 

「ハグリッド?」

 

囁くような声に合わせて、ハーマイオニーも小さな声で聞き返す。

 

「なあ、一緒に来てくれねえか? 今すぐ。みんなが試合を見ているうちに」

「あ・・・待てないの、ハグリッド? 試合が終わるまで」

「もしくはレンの容体が確認出来るまで」

 

ハーマイオニーが一番心配している妥協点を示したが、ハグリッドはきっぱりと「ダメだ」と言う。

 

「ハグリッド、レンが大怪我したかも」

「マダム・ポンフリーに治せねえ怪我はねえ。ハリー、ハーマイオニー、今でねえとダメだ。みんながレンに気を取られているうちに、な?」

 

ハーマイオニーはピッチを見た。担架に乗せられた蓮が、近寄ってきたジャック・スローパーを蹴りたいのか、長い脚を振り上げているが、マダム・ポンフリーの杖の一振りでミイラのように担架に縛りつけられてしまった。

ハリーが溜息交じりに答えた。

 

「いいよ。もちろん、行くよ」

 

 

 

 

 

「さて。その・・・なんだ・・・事は・・・」ハグリッドは大きく息を吸う。「つまり、俺は近々クビになる可能性が高い」

 

ハーマイオニーはハリーと顔を合わせ「だけど、これまで持ち堪えてきたじゃない」と遠慮がちに言った。「どうしてそんな風に思うの?」

 

「アンブリッジがニフラーを部屋に入れたのは俺だと思っとる」

「そうなの?」

 

ハリーの無邪気極まりない質問に、ハグリッドは憤慨した。

 

「まさか、絶対俺じゃねえ! ただ、魔法生物のことになると、アンブリッジは俺と関係があると思うっちゅうわけだ。俺がここに戻ってからずっと、アンブリッジは俺を追い出す機会を狙っとったろうが。もちろん、俺は出ていきたくはねえ。しかし、本当は・・・特別な事情がなけりゃ、そいつをこれからおまえさんたちに話すが、俺はすぐにでもここを出ていくところだ。トレローニーのときみてえに、学校のみんなの前であいつがそんなことをする前にな」

 

ハーマイオニーとハリーの抗議を、ハグリッドは巨大な片手を振って押しとどめた。

 

「なんも、それでなんもかんもおしめえだっちゅうわけじゃねえ。ここを出たらダンブルドアの手助けが出来る。騎士団の役に立つことが出来る。そんで、おまえさんたちにゃグラブリー-プランクがいる。おまえさんたちは、ちゃんと試験を乗り切れる」

 

ハグリッドの声は震え、掠れている。

 

「俺のことは心配ねえ。ええか、どうしてもっちゅう事情がなけりゃ、こんなこたぁ、おまえさんたちに話しはしねえ。なあ、俺がいなくなったら・・・その・・・これだけはどうしても・・・誰かに言っとかねえと・・・なにしろ俺は・・・おまえさんたちの助けが要るんだ。ロンやレンにもな」

 

「僕たち、もちろん助けるよ」ハリーが即座に答えた。「何をすればいいの?」

 

それからまた15分、3人は黙って歩いた。

不意にハグリッドの手が伸びて、止まれと合図する。

 

「ゆーっくりだ。ええか、そーっとだぞ」

 

 

 

 

 

一晩の入院を余儀なくされてしまった。肩の骨はめちゃくちゃな状態、いわゆる複雑すぎる複雑骨折であるため、いちど骨抜きにして、また新たに骨を生やす骨生え薬を飲むことになる。奇しくも2年生のときのハリーと同じ状態だ。

 

骨抜きの魔法をかけられ、身動きもままならない寝台に横になっていたら、そっとスーザンが医務室に入ってきた。

 

「怪我の具合はどうなの、レン?」

「今は怪我はしてないよ、肩が骨抜きにされただけだ。もうしばらくしたら骨生え薬を飲む。そうしたら一晩の入院で済むよ」

「あなたが運ばれてすぐにお見舞いに来ようと思ったんだけど、マダム・ポンフリーの治療の間にお邪魔するより、試合結果を知りたいだろうと思って」

 

蓮はしばらく考えた。試合結果を知りたくないと思うのは初めてだ。

 

「レン?」

「なんでもないよ。ありがとうスーザン。レイブンクローが勝った?」

「グリフィンドールよ!」

「・・・・・・はい?」

「今年のクィディッチ・カップもグリフィンドールが獲得したの!」

 

ベッドの隣の丸椅子を持ってきて、スーザンはそれに座り、微に入り細に入り試合の様子を語ってくれた。

 

「・・・レン?」

「スーザン、クィディッチ好きなんだね」

 

蓮が柔らかく笑って言うと、スーザンは少し顔を赤らめて「観るだけよ」と言った。

 

「グリフィンドールの練習まで観に来てたじゃないか」

「それは・・・」

「それにしても、ハーマイオニーもパーバティも冷たいよね。友達の肩の大怪我に無関心だ。筋肉つけてるから、今もこうやってなんとか形を保ってるけど、右肩の骨がないんだよ? 骨がぐちゃぐちゃになるぐらいの大怪我だ」

 

唇を尖らせた蓮に、今度はスーザンが苦笑した。

 

「さっき言ったでしょ? 今日はロンがヒーローだったの。ロンを讃える行列の中にいたんじゃないかしら。そっちが一段落したらきっと来てくれるわ」

 

そこへマダム・ポンフリーがビーカーにたっぷりと入った薬を持って現れた。

 

「さ、骨生え薬です。今日はかなりの苦痛があると思いますから我慢なさい。あら、保護者のグレンジャーとパチルは? いないものは仕方ありませんね。ではミス・ボーンズ、ウィンストンをしばらく宥めておあげなさい。誰かがついていないと眠れない質ですからね。さらに骨生え薬の苦痛にはひとりで耐える根性が今はありません」

 

 

 

 

 

嘘でしょう、とハーマイオニーは思った。土塁かと思ってしまうほど大きくて、その全体像は見えないが、部分的に見える限りではヒト型をしている。

 

巨人だ、絶対に。

 

「ハグリッド、話が違うわ・・・誰も来たがらなかったって言ったじゃない!」

 

ハグリッドとマダム・マクシームのフランス冒険旅行の結果は「巨人の協力は得られない。死喰い人側についた」というものだったはずだ。

巨人族のひと群れがイギリスに渡ってきたとして、魔法省の理解無しに安全な居住地を用意することが出来ない以上は、戦力低下を憂うよりも、ハーマイオニーとしては胸を撫で下ろしたというのが正直なところだ。

 

なのにハグリッドは「連れて来なきゃなんねえかった」などと言う。

 

「俺にはわかっていた。こいつを連れて戻って、そんで・・・少し礼儀作法を教えたら・・・外に連れ出して、こいつは無害だってみんなに見せてやれるって!」

 

泣きそうな声で訴えるハグリッドに、ハーマイオニーは金切声を上げた。「無害! 礼儀作法を教える?! わたしがレンひとりを躾け直すのにどれだけ苦労しているか! 無理よハグリッド!」

 

一応人間の蓮の子守もひと苦労だというのに、よりによって巨人に礼儀作法を教えるだなんて。フィレンツェの忠告の意味を痛感した。巨人に礼儀作法を教える無駄な試みに対する忠告だったのだ。

 

目の前の巨大な生き物が、眠りながら大きく唸って身動きした。ハグリッドが大きく腕を振り回して「静かに」と合図をする。

 

ハーマイオニーもさすがに眠れる巨人の目を覚ましたくはなかった。

 

 

 

 

 

めきめきと身体の中に骨が生えてくる。筋肉を押し分けて骨が体内に根を伸ばす痛みに、蓮は脂汗を流し、歯を食い縛って耐えている。

 

スーザンが心配そうに額の汗を拭いてくれた。

 

「お子様用に飲み易く薄めましたから、1/3の濃さしかないのですよ、ウィンストン。ひと瓶分を飲み干すには、あと2回です」

 

絶望と苦痛に、蓮は気を失った。

 

一方、談話室の「ウィーズリーは我が王者、クァッフルをば止めたんだ」の大合唱を抜け出したパーバティは、医務室に急いだ。いったいどこに行ったのかハーマイオニーが見当たらないが、医務室に運ばれた蓮をいつまでもひとりにしておくわけにはいかない。

 

医務室のドアを開けると、スーザンが押し殺した声で「パーバティ!」と呼んだ。

 

「スーザン、レンについててくれたの?」

「パーバティ、どうしたらいい? レンが気を失ってしまって・・・マダム・ポンフリーは苦痛に耐えかねたのだから、ベッドに転がしておけばいいとおっしゃるし、あと2回お薬を飲まなきゃいけないのに・・・起こさなくていいのかしら?」

 

おろおろと動揺するスーザンの肩をぽんぽんと叩いて、パーバティはきっぱりと言った。

 

「スーザン。我がホグワーツ魔法魔術学校のモットーは、眠れるドラゴンを起こすべからず、よ。このまま転がしておきましょう」

 

 

 

 

 

夜中に苦しむ蓮に付き添っているのは、今のハーマイオニーにはむしろ気楽な作業だった。

 

ロンが、まるで箒から下りたばかりのように、わざと髪をくしゃくしゃにして、有頂天になっているのに調子を合わせることに比べれば、はるかにマシだ。

ハリーと2人で明日まで黙っておくことにしたが、グリフィンドールの今夜の浮かれ騒ぎに付き合う元気は根こそぎ禁じられた森に落としてきた。

 

「スローパーの奴、殺してやる」

「スポーツの試合に怪我は付き物です。いちいち殺害予告をしないの」

「あんな無能にビーター・クラブを持たせるべきじゃない」

 

それには同感だが、人材の不足に頭を悩ませていたアンジェリーナには酷な注文だ。いずれにせよ。

 

「来年度は誰がキャプテンになるかわからないけど、アンジェリーナの卒業に優勝で華を添えることが出来たんだから良しとしましょうよ。来年度のキャプテンが絶対にスローパーを追放するわ。きちんと選抜する時間があれば、アンジェリーナだって、ビーター・クラブでブラッジャーじゃなく自分を叩けるスローパーなんかチームに入れなかったわよ」

「うぐ・・・アンジェリーナを責めるつもりはない」

 

固く絞った濡れタオルで、汗の浮いた蓮の顔をゴシゴシと拭った。イヤイヤをするが、まだ右肩の骨が不完全なので身動きは不自由だ。

 

「ロンのプレイ、どうだった?」

 

ハーマイオニーがそっと尋ねると、蓮が歯軋りするように「ロンのプレイを見てる暇なんかなかった! 最初にデイビースからクァッフルを奪ってシュート体勢に入ろうとしたときに、クソったれのスローパーのブラッジャーに襲われたんだ! ロンのプレイのことだったらこっちが聞きたいよ!」と唸った。

 

「そ、そうだったわね」

 

慌てて蓮の顔をまたゴシゴシ拭こうとすると、蓮が不審げに眉を寄せて「なんで見てないんだ」と唇を尖らせた。

 

「レン」

「医務室に運ばれて、骨抜きの魔法かけられて、しばらく休んで、それから1回目の骨生え薬を飲まされるまで、来てくれたのはスーザンだけだ。スーザンは、ハーマイオニーもパーバティもグリフィンドールが大喜びだろうから仕方ないって言ってたけど・・・本当は試合なんか見てなかったってこと?」

「レン、それには深いようで全然深くない、見方によっては深いところもあるかもしれない事情があって」

「ジョージの真似なんかしなくていいよ」

「とにかく、2回も話したいことじゃないの。明日まで待って。まだロンにも話してな」

 

蓮の瞳を見て、ハーマイオニーは口をぎゅっと閉じた。薄明かりでもわかるぐらい、はっきりと瞳の色が変わっている。

 

「ママはいつもそればかりだ」

「れ・・・」

「運動会も卒園式も入学式もバスケの試合も、なんにも来ない。うちのママだけだよ、そんなの」

「レン、落ち着いて。ハーマイオニーよ」

「うるさい! 箒に乗ってる姿が好きだなんて嘘ばっかりだ! クィディッチの試合なんか観たことないくせに!」

 

パリン! と遠くの花瓶が割れた。

 

「さ、三大魔法学校対抗試合の最終戦にはいらしたでしょう? グランパもグラニーも、もちろんお母さまも」

「グランパとグラニーはフラーの家族の代わり。ママはシリウスとルーピンをハリーのために連れて来ただけじゃないか!」

 

どうしよう。

アルジャーノン発作のダークサイドだ、これは。

 

「レン、落ち着いて、ね? お母さまにはどうしても外せないお仕事が」

 

言いかけてハーマイオニーは唇を噛んだ。こんな言葉、きっと蓮はうんざりするほど聞いてきたに違いないのに。

 

「いいよもう。お仕事行けよ」

 

左手でキルトを掴んで、蓮はハーマイオニーに背を向けてしまった。

 

「レン・・・」

「来るな。ママなんか要らない」

 

蓮の背中に向かって、無力な言葉を絞り出した。

 

「要らなくても、ここにいるわよ」

「消えろ!」

 

パァン! と医務室の窓ガラスが全部、外に向かって砕け散った。

 

ごくりと息を呑む。

 

怖い。今までの人生で、一番怖いと感じている。蓮の攻撃性を目の当たりにしたのは初めてだ。禁じられた森の特訓でさえ、決闘という形からはみ出さないようにルールを守っていた。

しかし、ハーマイオニーは震える脚を叱咤するように、椅子から立ち上がった。このままにはしておけない。

 

風邪をはらんだカーテンがあちこちで膨らむ。

 

「レン」

 

蓮の頭を抱え、骨が生えている最中の右肩を避けて、胸を抱くように腕を回した。

 

「あなたを愛してる。あなたが何をしても、朝までここから動かないわ」

「触るな!」

 

しかし、今度は何も破壊しなかった。しばらくハーマイオニーの腕の中でジタバタ暴れ、ガラスが割れたことで駆けつけてきたマダム・ポンフリーに問答無用で口をこじ開けられ、鎮静水薬を飲まされる間、ママを罵り続けただけだ。

 

鎮静水薬を飲まされて、一瞬のうちに気絶するように眠ったのを確認して、やっとハーマイオニーは蓮の身体から離れて、崩れるように椅子に座った。

 

「やれやれ」マダム・ポンフリーはつまらなそうに杖を振りながら、あちこちの窓ガラスを復旧している。「ウィンストンの子守は骨が折れますね、グレンジャー」

 

「はあ・・・まあ、実際に骨が折れているのは本人ですから」

 

祖母とミネルヴァが悪いのですよ、とマダム・ポンフリーが呟いた。「子供の心の傷になるような鍛え方をしたり、真実薬の深刻な影響下にあるといくら言っても聞かずに過度のプレッシャーをかけたり。まったくわたしの友人にろくな魔女はいない。地雷をひとつひとつ撤去するのが面倒だから、真実薬の後遺症を利用して全部爆発させてしまおうなどと大雑把なことを言い出すのですから。爆発で怪我人が出たら、わたしが忙しくなるというのに」

 

ハーマイオニーの顔から血の気が引いた。

 

「・・・地雷を爆発?」

 

マダム・ポンフリーは最後のガラスの復旧を済ませると、嘆かわしげに「そうです」と頭を振った。

 

「順調に爆発しているようで何よりです」

 

絶対にこの人も頭おかしい、とハーマイオニーはマダム・ポンフリーを見つめた。バジリスクの毒を手に入れるためにバジリスク退治に参加しただけあって、基準が大幅にズレている。

 

「も、もっと穏便な方法は・・・」

「マグルであれば、母子でカウンセリングを受けるなど考えるところでしょうが、ウィンストンがある程度バランスの取れた人格を取り戻すことが最優先ですからね。少々手荒な真似をしても、成人前に母親との関係を根本的に改善しなければなりません。心配は要りませんよ。ミネルヴァがいますからね。ウィンストンにとっては祖母同然のミネルヴァが近くにいることが、それなりの安心感を与えていることは間違いありません。そうでなければ、アンブリッジ先生に真実薬を飲まされていた時期に暴発していたでしょう」

 

 

 

 

 

「ひとり連れて帰って、森の中に隠してた?」

 

ロンの顔から勝利の美酒の酔いが抜け落ち、蓮は片手を広げて顔を覆い「マジか」と唸った。

 

「まさか」ロンは否定すれば現実も変化するとでも思っているかのように、頭をゆっくりと振った。「まさかそんなこと、しないだろう?」

 

「したんだよ」

 

ハリーがきっぱりと言い、ハーマイオニーが説明した。「グロウプは約5メートルの背丈の、小柄なおチビちゃんよ。6メートルもの松の木を引っこ抜くのが好きで、わたしのことは、ハーミーって名前で知ってるわ」

 

「ハーミー・・・」

「ハーミー・・・」

 

ロンと蓮が呆然と復唱した。

「は、はは」とロンは不安を誤魔化すように笑った。「それでハグリッドが僕たちにして欲しいことって・・・」

 

「・・・英語を教えること。うん」

「正気を失ってるな」

「そう思いたくなるような案件だけど、僕たちは約束してしまったんだ」

 

問題はまだあるわ、とハーマイオニーは言った。「ケンタウロスが強い反感を持ってるの。こんな状態で、ぐ、グロウプのところまで安全に通えるかどうか」

 

「ケンタウロス族は仔馬、つまり未成年は罰しないってハグリッドは言ってたけど、僕とハーマイオニーは青年になりかけてるって見抜かれてる。出生証明書で未成年であることを証明しながら森に通わなきゃいけないぐらいに微妙な線だ」

 

蓮が「わーかったよ」と不貞腐れた声を上げた。

 

「レン?」

「わたくしが行けばいいんだろ」

「そんなこと! レン、そうじゃないんだ、引き受けたのは僕なんだから、僕も行く。むしろ僕が行くんだよ。ただ、安全な方法を今のうちに考えておきたいと」

 

ないよ、と蓮は荒々しく立ち上がって、足音高く女子寮に帰って行った。

 

「ハーマイオニー?」

「・・・昨夜、ちょっとした爆発があったのよ。その・・・わたしが試合を見ていなかったから、小さい頃のトラウマが刺激されたというか」

「今のも、何かトラウマに障った?」

「たぶん・・・レンはお家にいろいろな責務があるでしょう? だから、魔法界の面倒事を押し付けられるという意識が強いから・・・ね」

 

ハリーとロンが深い溜息をついた。

 

「レンもどうにかしなきゃいけないな」

 

ハリーが呟いた。

 

「どうって、どうするんだよ?」

「わからないけど、すごくマズいよ、これ。レンの能力は半端じゃないんだ! 君たちも知ってるだろ? 今まではそれがプラスの方向に働いてたけど、マイナスに働いたらどうなる? たぶん、ヴォルデモートなんか目じゃないぐらいの闇の大魔女誕生だぞ?!」

 

そうなる前にきっと身内に殺されるとハーマイオニーは思ったが、それはもちろん最も避けなければならない未来だ。

 

「レンが闇の大魔女になったら面倒なことになるな。なんかこう・・・ザ・死喰い人! みたいなわかりやすい悪役は作らないだろ。あんなお揃いのフードとか、一番嫌がりそうだ」

「ああ。一見善良な普通の人が実は! って感じで勢力を伸ばすはずだ」

「いや待てよ。基本的に面倒臭がりだから、闇の勢力なんか作りそうにないな。むしろあの馬鹿魔力で目障りな奴を全員ぶっ殺して、アヴァロンの島あたりに全力で魔王城を築きそうだな」

「そこにハーマイオニーやパーバティやスーザンを閉じ込めて、仲の良いハウスエルフも連れ込んで、毎日女の子の膝枕でプレステ三昧の引き篭もりだ」

 

勝手な予測を立てながら考え込んだハリーとロンは「別に悪くないな」と無責任な結論に達した。

 

「目障りな奴はレンがぶっ殺す」

「レンはそれ以上の面倒臭いことはしない」

「ママ代わりの女の子数人とプレイステーションを与えておけばおとなしく引き篭もる」

「悪くないんじゃないか?」

 

ちょっと、とハーマイオニーは低い声を出した。「あなたたち、少しは真面目に考えてよ。その『ぶっ殺す』が問題でしょう? 友達にそんなことさせたいの?」

 

冗談だよ、とハリーが笑って言う。「別にさせたいとは思わないけど、アンブリッジぐらいはいいんじゃないか?」

 

「ハリー!」

「僕はレンがアンブリッジを殺しても友達でいる自信はあるよ。君は?」

 

ハリーにじっと見られて、ハーマイオニーは言葉に詰まった。

 

怖かった。昨夜の医務室で感じた恐怖をハーマイオニーはまだ忘れてはいない。しかし。

 

「・・・友達よ、もちろん。でも」

「させたくはない、もちろんさ。レンは、たぶん正気に戻ったら自分のしたことに自分が傷つきそうだからね」

 

ハリーがそう言って苦笑した。「アンブリッジなんかどうされたって自業自得だけど、そのせいでレンが傷つくのは避けるべきだと思ってるよ」

 

「どうせ今日不機嫌なのも、昨夜医務室で荒れたんなら、そのせいだろ。ハーマイオニー、君に八つ当たりしたことで、自分で自分にイラついてるんだ。せいぜい機嫌をとってやれよ」

 

茶匙1杯の感受性とはとても思えない推察をロンが肩を竦めて述べた。

 

妙に的確なことを言うハリーとロンに、ハーマイオニーは思わず「あなたたち、何か変なものでも食べたの?」と尋ねてしまったのだった。


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