サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第23章 試験の始まり

数日の間不機嫌だった蓮も、どんなに背を向けてもせっせとハグをするハーマイオニーとパーバティに辟易したのか、次第に刺々しさを収め始めた。

 

無論、それには極めて現実的な理由もある。

 

O.W.L試験だ。

 

まずはじめにハーマイオニーが、ハッフルパフのアーニー・マクミランによって恐慌状態に陥った。

 

「1日に何時間勉強してる? 8時間より多いか? 少ないか?」

 

8時間! とハーマイオニーは、部屋で頭を抱えた。「アーニーったら、どうやれば1日に8時間も勉強出来るっていうのかしら。わたしなんて毎日の課題に加えて3時間自分の勉強の時間が取れればいいほうなのに!」

 

時間の問題じゃないだろ、と蓮がイライラと指摘した。「先生たちの山のような課題自体がOWL対策じゃないか。自分の勉強と合わせたら、ちゃんと8時間は超えてるよ! 問題は中身だ、中身! 答え合わせばっかり3時間やっては、些細なミスに狼狽えてる時間が無駄だ!」

 

ドラコ・マルフォイの揺さぶりは、グリフィンドールの面々には全く効果がなかった。

 

「もちろん、知識じゃないんだよ。誰を知っているかなんだ。ところで、父上は魔法試験局の局長とは長年の友人でね。グリゼルダ・マーチバンクス女史さ。僕たちが夕食にお招きしたり、いろいろと・・・」

 

マルフォイ家の夕食より、ザ・クィブラーにハリーの裁判の模様を綴ったドキュメントを寄稿するほうが楽しかったのは間違いない。ネビルがはっきりと「お仕事に差し支えないように『ヴィクトリア2世』のペンネームを使ってください」と手紙に書いたにも関わらず、自分の署名記事に極めて近くしてしまった女史なのだから。

 

また、5年生の恐慌状態は、上級生にとっては格好の小遣い稼ぎだ。

 

ハリーとロンは、レイブンクローの6年生、エディ・カーマイケルが売り込んだ「バルッフィオの脳活性秘薬」を買おうとしてハーマイオニーに阻まれた。次にハーマイオニーが口を滑らせたハロルド・ディングルのドラゴンの爪の粉末に飛びつこうとしたが、それが実はドクシーの糞だったと言われ、脳刺激剤への渇望を失った。

 

蓮も決して平静を保っているとは言い難い。ハーマイオニーに没収され、ハリーに譲渡された蛙チョコカードを、ハリーを見かけるたびに要求しては、カードのお告げに従って、その日集中して勉強する学科を決めたがった。

 

「またプトレマイオスだ! 天文学はもうさんざんやったよ!」

 

毎日毎日プトレマイオスが天文学への注意を促すだけなのだが。

 

グリフィンドールの掲示板には「ウィンストンに蛙チョコカードを渡すべからず H.グレンジャー」とハーマイオニーの字で掲示が出された。

 

「なんだこれ」

「あのね、レン。あなたの蛙チョコカード占いは常に不吉だからよ。みんな知ってるの。天文学の試験という静かな静かなはずの時間に、なぜか誰かが死ぬような気がして集中出来ないわ」

「失礼だな!」

 

まったく失礼じゃない、とハリーが割り込んだ。「去年のことを思い出せよ、レン。ホグワーツ特急で君の占いはミラベラ・ブランケットを引き当てた」

 

ロンが「マーメイドに恋をした魔女で、鱈に変身して誰かにたぶん食われちまった」と補足すると、ハリーが「そうしたらクラムは鮫に変身して、ディゴリーを食いそうになり、君とフラー、つまりマーメイドの曽孫に撃退された」と解説した。

 

「あなたには内なる眼がないから解釈は明後日の方向に楽観的なんだけど、引き当てるカードは常にレン、あなたに何かを警告してるのよ」

 

パーバティが実に不吉な結論を突きつけたため、蓮は仕方なく、OWLが終わるまで蛙チョコカード占いを封印することを誓う羽目になった。

 

 

 

 

 

パニックに陥っているのはグリフィンドール生ばかりではない。

 

薬草学の授業中、蓮の目の前で、10年分の試験に出てきた呪文をまとめたという単語帳を見ながら「牙つきゼラニウム」の剪定をしていたスーザンは危うくゼラニウムに指を食いちぎられそうになり、蓮の切り裂き呪文で事無きを得たが、スプラウト先生の逆鱗に触れて(「ゼラニウムを犠牲にするとは!」)5点ずつそれぞれの寮から減点された。

例年なら、減点には目を吊り上げるハーマイオニーが文句ひとつ言わなかったのは、高等尋問官親衛隊によって、グリフィンドールの点数は減らしようのないレベルに達していたからだ。

 

ハーマイオニーはそんなこと(減らしようのない減点)などより、スーザンの単語帳に強い関心を示した。

 

「10年分の試験に出てきた呪文! すごいわ、スーザン! わたしの学習にはそういう観点が欠けているの」

「視覚的丸暗記だからね」

 

蓮が言うとスーザンが「視覚的丸暗記?」と首を傾げた。

 

「つまり、スーザン、ハーマイオニーに聞いてみるといい。なになにに関する解説はどこ? って。一度興味深く読んだ本に書いてあることなら、本のタイトルとページ数、何ページの何段目のどんな挿絵の隣に書いてある、って説明してくれるから。見たことを記憶する能力が高過ぎるんだ。だから、1年生から5年生までの教科書を丸暗記して、さらにビンズ先生の授業のノートまで丸暗記しようとしてる」

「だから、あなたと違って優先順位がつけられないの」

「ハーマイオニー、あなた、天才?」

「視覚的記憶力に関しては天才に近い。ただし、肝心なときに魔法が出て来ない欠点があるんだ。例えば悪魔の罠。見れば一瞬で理解出来るし、対処法も思い出せる。なのに、ルーモスやインセンディオが出てこなくて薪を拾いに行こうとする」

 

ハーマイオニーに脛を思いきり蹴られた。スーザンが笑って「レンは本能で魔法を使うタイプね」と言った。「あなたに欠点はなさそう」

 

「重大な欠点があるわ、スーザン」

 

ハーマイオニーが重々しい口調になった。

 

「な、なに?」

「威力が強過ぎる。この前、気分転換にロンやハリーと湖の近くでみんなで勉強していたの。水辺の葦をフラミンゴに変身させるようにレンに言ったら・・・普通は1羽だと思うでしょう? 全部。1本残らずフラミンゴになって南を目指して一斉に飛び立ったわ。あれ何万羽いたのかしら」

「素敵ね、レン。まるでアフリカのヴィクトリア湖みたい。わたしも見たかったわ」

「うん。ありがとうスーザン。すごく綺麗だったよ。葦が新しく生え揃ったらスーザンにも見せてあげる」

 

スーザンと話していると、身体を覆う棘が抜けていく。

 

ハーマイオニーが隣で「そういう問題?」と言っているのも気にならない。ちなみにその時ハーマイオニーはワシントン条約について演説を始め、ロンとハリーは「そんな条約知らないぜ」と半泣きで魔法史の教科書をめくり始めた。「マグルの条約だ、安心しろ」と言うと、ハーマイオニーに「こんなときにややこしい話を持ち出すな!」と喚いていた。

 

「グリフィンドールにはスーザンみたいな潤いや感受性が足りないんだ。殺伐としてる」

「・・・あなたにだけは、それ、絶対に言われたくないわ」

 

正直な意見を述べると、ハーマイオニーが口をあまり開かずに、腹立たしそうにそんなことを言った。

 

「失礼だな。いいよ、サマーホリディ前には、大広間をプラネタリウムにしてやる」

「プラネタリウム?」

「ああ、スーザン。マグルの天文学はね、本物の夜空を見上げて勉強することは少ないんだ。その代わり、プラネタリウムという場所で天井を見上げてると、天井に夜空が映し出されるから、1時間あれば全部の季節の夜空を経験出来るんだよ。居眠りにぴったりだ」

「マグルにはそんなことが出来るの?」

「うん。楽しいよね、プラネタリウム」

 

ハーマイオニーに同意を求めると、ハーマイオニーは「それは認めるわ」と頷いた。「わたしは居眠りはしなかったけど。そんなことより、レン、そういうことが出来るダンブルドアがいないんだから、控えた方がいいわ。アンブリッジには出来ないわよ、きっと」

 

スーザンも思案げに、曖昧に頷いた。「わたしたち、ダンブルドアの素敵な魔法を当たり前だと思っているけど、普通の魔女には出来ないことだものね。本当は大広間を一瞬で、その、プラネタリウム? に出来るぐらいの人が校長に相応しいと思うけど・・・わたしたちは幸せだったのね。ダンブルドアの魔法をいろいろ体験出来て」

 

蓮はぽかんとしてスーザンを見つめた。

 

「な、なに?」

「ああ、いや、なんでもない。そうだね。ダンブルドアこそ、息をするように、夢のある魔法を使える魔法使いだ」

 

なぜか生暖かい目で蓮を見ているハーマイオニーに「なんだよ」と言っておいた。

 

 

 

 

 

「スーザンって、本当にあなたに必要な人材だわ」

「うるさいな」

「あなたに今までになかった物の見方を教えてくれる人よ。大事にしなさいよ」

「うるさいよもう。ほら、危ない。歩くか参考書読むか喋るか、どれかひとつを選べよ」

 

言い合いながら大広間に着く。5年生と7年生以外の生徒は、これまでのハーマイオニーたちがそうであったように、明日のことなど気にもせずにおしゃべりや食事に興じているが、5年生は緊張と動揺と悪あがきの真っ最中だ。

 

「ハーマイオニー」

 

食事の最中に気になる記述を思い出して教科書で確認しようとしたら、3回目で蓮が「食事ぐらいまともに済ませろ」と偉そうなことを言う。

 

「レン、そういう問題じゃないのよ。1点が合格と不合格を分ける分水嶺なの。今はマナーなんて」

「そうじゃない。浮き足立ってると、その大事な1点を取りこぼすって言ってるんだ。実力を測るための試験だ。浮き足立って迎えるものじゃない。どんなに早食いでも構わないから、教科書を開かずに食事しろ」

 

まったくだぜ、とロンまで蓮に味方した。「僕まで食った気がしなくなるだろ」

 

味方を求めてハリーを見ると、さっさと食事を済ませ、食後のお茶のカップを睨んで、耳に指を突っ込み、口をぱくぱくさせながら、暗記した呪文の復習に余念がない。

 

パーバティは、ネビルは、と視線を飛ばしていると、玄関ホールに続く、開け放たれた両開きの扉の向こうに、古色蒼然たる魔法使いや魔女の一群が見えて、ハーマイオニーはフォークとナイフを皿の上に取り落とした。

 

「ハーマイオニー、また」

「違うの、レン。あの人たち、そうなんじゃないかしら?」

「ああ、魔法試験局の?」

「すっげーじいさんばあさんばっかだぜ」

「アンブリッジがめちゃくちゃ気を遣ってる。いい気味だ」

「間違いないよ。グリゼルダ・マーチバンクスさんがいる」

 

ネビルの言葉にハーマイオニーはピリッと引き締まり、まるでテーブルマナーの試験を受けるみたいに、きちんとした作法で夕食を済ませた。

 

「旅は順調でした。ええ順調でしたよ! いったいわたしが何度試験官をしにここへ来ているとお思いかえ! 年寄りだと思って失礼な!」

 

ああいうところがばあちゃんと気が合うんだ、とネビルが肩を竦めた。「ちょっと耳が遠いしさ」

 

「つまりあれがマーチバンクス女史?」

 

ネビルが頷き、ハリーが「確かに裁判のときに見かけた。レン、君のママになんでいつまでも副部長なんだとか、盟友のアメリア・ボーンズと茶番みたいな裁判をやってないで2人ともさっさと判事席に座るべきだって言ってたんだ。判事席に座っちまえば判決なんか思いのままだって」と言うと、蓮は口をもにょもにょと歪めた。

 

「レン?」

「あ、ああ、いや・・・マダム・ボーンズの理想の裁判形態はそうじゃないんだ。原告と被告がいて、原告は検察、被告は弁護人という法的専門家を代理人にして厳密に事実を争う形態にしたいと考えてる。だから・・・ママはそれに協力してるだけだ」

 

怪しいな、と思ったハーマイオニーはうっかり開心術を発動しないように視線を逸らした。逸らすまでもなく、かなりわかりやすかったが。母親の職務に対する姿勢を承認し始めてはいるのだが、それを認めたくない否認の状態にあるのだ。

 

レイブンクローのテーブルを挟んだ向こうのハッフルパフのテーブルに向かって思わず手を合わせて拝んでしまった。

 

「ハーマイオニー?」

 

パーバティに「ほらパーバティ、あなたも。ハッフルパフのテーブルにブッダがいるわ。うちのアルジャーノンを成長させてくれるブッダよ」と言うと、パーバティも一緒に拝んでくれた。

 

 

 

 

 

翌日、最初の試験は呪文学-理論からだった。

 

ひと通りは正確に記述出来たはずだ。多少の漏れは誤差の範囲だろう。記述式の試験では避けにくい失点はあるかもしれないが、まずまず満足出来るはずだ。

 

しかし。

 

「『元気の出る呪文』を十分に答えたかどうか自信がないわ。時間が足りなくなっちゃって。しゃっくりを止める反対呪文を書いた? 私、判断がつかなくて。書き過ぎるような気がしたし・・・それと23番の問題は・・・」

 

視覚的記憶の天才が隣にいると否応なしに自信が砕け散る。蓮はハーマイオニーのよく動く口を手で塞いだ。「元気が出る呪文」にしゃっくりの止め方は関係ない。ないはずだ。たぶん参考書で近くに書いてあっただけだ。そうに違いない。

 

「ハーマイオニー。約束したはずだ。『過去は振り返らない』いいね?」

「『答え合わせはなし』だぜ、ハーマイオニー」

「僕たちは次の試験の準備で精一杯なんだ」

 

蓮を皮切りに、ロンもハリーもハーマイオニーに詰め寄った。ハーマイオニーはこくこくと頷いた。

 

呪文学-実技は、4人の中でトップバッターはハーマイオニーだ。グレンジャー。

 

「ウィーズリーっていうファミリーネームを呪いたくなる日が来るとは思わなかったぜ」

「わたくしも、ウィンストンではなくキクチのファミリーネームで入学すれば良かったと思ってる」

 

ハリーも「ポッター」と呼ばれ、大広間に向かった。パーバティとパドマも一緒だ。

 

「ウィーズリー・ロナルド、ウィンストン・レン」

 

大広間に入ると、フリットウィック先生から「ウィンストンはマーチバンクス教授、ウィーズリーはトフティ教授のところに行きなさい」と指示してくれた。

 

「よろしくお願いします」

 

蓮の前にゆで卵立てを差し出しながら、マーチバンクス教授はニヤリと笑ってウィンクした。間違いなく『ヴィクトリア2世』の一味を知っているのだろう。

 

理論と同じように、ほぼ完璧に近い出来だった。課題をひとつこなすごとに、マーチバンクス教授は「良い杖さばきだこと!」と力強く褒めてくれた。

ただし、ディナー用大皿を天井近くまで浮遊させ、まっすぐに元のテーブルに下ろす途中で、ロンの前になぜか大茸が生えているのに気づいて、大皿への意識が途切れ、盛大な音を立てて割れてしまったのは大きな失点になるかもしれない。

 

「ハーマイオニーには黙っててくれ」

 

ロンの悲痛な願いに、蓮は「もちろんだ」と力強く頷いた。「明日は変身術だ。過去を振り返る時間はない」

 

「君はいまさら勉強しなくてもいいだろ、変身術なら」

「動物もどき試験は実技だけだった。もちろんひと通りの理論も3年生のときに勉強してはいるけど、いちいちあんな複雑な理論や呪文モデルを覚えてるわけないだろ」

「ああ、まあな。NEWTの範囲でさえないんだよな、確か」

「だから条件はみんなと変わらない」

 

翌日の変身術-理論には問題はなかった。確実にO-優が得られる記述が出来たはずだ。

午後の変身術-実技では、ロンのイグアナが、なぜか蓮の頭の上に「出現」しようと、ロンがなぜか増殖させたケナガイタチの群れが大広間を走り回ろうと、蓮はマーチバンクス教授と自分しか世界に存在しないと思い込むことに成功した。

マーチバンクス教授が「ああ。うむ。ウィンストン。特別点は要らんかえ? ケナガイタチを集めるのに犬がいると助かる」とニヤリと笑ったので、その場でブランカに変身し、大広間を走り回ってケナガイタチの群れをロンの下に追い詰めるのを手伝った。

 

変身術は、きっと満点を超える点数でO-優が取れたという手応えを感じた。

 

そのまた翌日の薬草学は理論も実技も、とりあえず全ての薬草を健やかに巨大に育てるにはドラゴン糞の堆肥を入れておけば間違いはないという方針で乗り切った。幸い、先日スプラウト先生が牙つきゼラニウムを授業で扱わせてくれたおかげで、こいつが指に食いつく性質を持っていることはわかっていたので、十分な注意をもって取り扱うことが出来た。

 

 

 

 

 

防衛術-理論で、ハーマイオニーは不本意ながらアンブリッジの授業が自分に有利に働いたことを認めざるを得なかった。教科書を隅々まで繰り返し読むという、ろくでもない授業は(とても授業と言えたものではないが)ハーマイオニーの脳に鮮明な映像となって焼き付けられ、どの設問にも、まさに教科書通りの回答をすることが出来た。

しかし、業腹ではあったので、防衛術-実技で試験官だったマーチバンクス教授が、企み顔で「守護霊の呪文が出来れば満点になるが、挑戦してみるかえ?」と挑発してきたとき、その場にアンブリッジがいても構うものかと、カワウソのパトローナスを出現させて、マーチバンクス教授とトフティ教授に挨拶させることに成功した。

 

古代ルーン語では手痛いミスをした。エーフワズをアイフワズと勘違いして、防衛と訳してしまったのだ。

 

「なんてこと!」大いに嘆くハーマイオニーの隣を歩きながら、蓮が「・・・アンブリッジが何か喚いてる」と眉をひそめて立ち止まった。

 

「え?」

 

あたくしの脚を食いちぎろうとしたわ! フィルチ! とキンキン声が聞こえてきた。

 

「フィルチがアンブリッジの脚を堪能したがった?」

「気色悪い想像させるな。どうせ妙な生き物だろ。食いちぎれば良かったのに」

「ドアは新しくしたはずよね? 伝説の『ウィーズリーの穴』はもうないはず」

 

ニフラーよ! という叫びを最後に、蓮がハーマイオニーの腕を掴んで、大股に歩き出した。

 

「レン! エスコートするなら、わたしの脚の長さも考えてよ!」

「早くここから離れたほうがいい」

 

足早にグリフィンドール塔に急ぎながら「ニフラーはヤバいんじゃなかった?」と蓮が囁いた。「確かハグリッドがやったと思い込んでるって言ったでしょ」

 

一瞬にして、ハーマイオニーの顔から血の気が引いた。

ニフラー=ハグリッド=解雇=巨人の図式が頭の中をぐるぐる回る。

 

「ハリーたちに教えなきゃ」

「うん。でもハーマイオニー、最悪の場合、グロウプは引き受けるよ」

 

階段の途中で、蓮がそう囁いた。ハーマイオニーは首を振り「あなたに押し付けようなんて思ってないわ」と主張したが、蓮が「うん。でもわたくしが引き受けるのがベストであることに間違いはない。一度だけ『ハーミー』がわたくしを紹介してくれるだけでいい。森のことはわたくしの担当だ」と笑みを浮かべた。

 

「レン・・・」

「ケンタウロスの敵意を鎮めて、ハグリッドとグロウプが森でうまくやっていくことは大事なことだろ? ケンタウロスを説得する人間が必要だ」

「あ、あなたまで森で巨人を飼育するつもり?」

 

言い合いながら談話室に入ると、試験のなかったハリーとロンは気分転換のつもりかチェスを楽しんでいる。

 

「飼育なんて言うな。共生だよ。イギリスにアレはもういないけど、グロウプだけはやってきた。だったら、安全に暮らせる場所を提供するべきだし、それが周囲の各魔法族に受け入れられるように調整しなきゃ」

「レン、デラクール家の血を引くあなただから、そう考えるのも無理はないけど、グロウプが松を引っこ抜くのを見てないからそんな綺麗事が言えるのよ」

「だから松を引っこ抜かないように頼まなきゃいけないだろ! デラクールは関係ない。アレを危険だと決めつけるのは、ヒトたる魔法族の傲慢だよ。森はあらゆる魔法族が互いにルールを守って共生するべき場所だ。ケンタウロスとアレの間には相互理解が必要だ。ハーマイオニー、ハウスエルフの権利は拡大したいけど、アレは排斥したいのか? そんなの偽善だ」

 

ぽかんと口を開けてハリーとロンが見上げている。

 

「レン! ハグリッドはいずれグロウプにガールフレンドを見つけて来るつもりなのよ?! 禁じられた森にアレのファミリーが出来たらどうするの!」

「ヒトやケンタウロスと共生できるアレのファミリー、悪くないじゃないか。とにかく、一度グロウプにわたくしを紹介したら、あとは任せろ」

「どうしてそうやってひとりで背負うのよ!」

「グロウプと関わるのはイヤなんだろ?!」

「あなたひとりで背負うのがイヤなのよ! 何でもかんでも秘密にして! その結果がアルジャーノン発作だわ!」

 

「ちょ、ちょ、ちょっと落ち着けよ。な?」ロンがハーマイオニーの腕を引き、ハリーが蓮を引っ張った。

 

「いったい何があった。グロウプのことならまだ心配ないよ」

 

ハリーの言葉にハーマイオニーは「誰かがまたアンブリッジの部屋にニフラーを入れたわ。アンブリッジが騒いでた」と答えた。

 

「大丈夫。落ち着け。ハグリッドは今、授業中だ。女の子にだけ実習させて、男には見学させてるから、たぶんユニコーンの授業をやってる。アリバイはあるし、ニフラーは出て来ない」

 

ロンがハーマイオニーの腕を掴んだまま、説得するように言い募った。

 

「アンブリッジがおとなしく証拠のあがるのを待つと思うの?! ハグリッドがやったと決めつけたら、その思い込みだけで権力を振りかざして解雇するに決まってるわ! なのにレンったら! 自分ひとりでグロウプのことはなんとかするなんて!」

「レン、それは良くないよ。確かにグロウプの件には君が必要だ。でも、英語を教えるのは『ハーミー』の方がきっと上手いし・・・えーと・・・『ハーミー』の方がグロウプの好みのタイプだ」

 

なんてこと言うのよ! とハリーを詰り、ロンの腕を振り払って、ハーマイオニーは女子寮に駆け込んだのだった。

 

 

 

 

 

まあ座れよ、とロンが言い、ハリーとチェスを再開した。

 

「実に愛らしい性格の女の子だ」

 

ロンはそう言いながら、クィーンを進め、ハリーのナイトを叩きのめした。

 

「レン、本当はわかってるんだろ? ハーマイオニーは君を心配してるんだよ」

「あれでもな。まあ、試験のプレッシャーもあって、わけわかんなくなっちまってるけど、それは間違いない」

 

どさりと肘掛椅子に座り、蓮は「わけわかんないのはこっちだ」と息を吐いた。

 

「ハウスエルフの『姫さま』への懐きっぷりだとか、フィレンツェを君が連れてきたことだとか、そういうのを見てれば、魔法種族に対して君が特別な影響力を持ってることはわかる。ハーマイオニーが言うほど、何でもかんでもみんなに話せない事情があるだろうってこともな」

「僕らはそれで納得して君を信頼出来るけど、女の子は違うだろ? チョウとマリエッタなんて、トイレにも一緒に行くぐらいベッタリだ」

「ハーマイオニーと一緒にトイレに行けばいいってのか?」

 

肘掛椅子の中で胡座をかいて、蓮がブスッと応じると、ハリーが「ハーマイオニーにだけは話してやれよ」と顔を上げ、すかさず「制服でそのポーズはやめろ」と言った。

 

「なあ、レン。ハーマイオニーに謝れよ。話せる範囲と話せない範囲があるって納得させればいいんだ。あいつ、口うるさいのは確かだけど、それっくらい世話焼きなんだからさ。悪気はないんだ。うるさいけど」

 

ロンが顔を上げないまま言ったが、なぜか耳まで赤くなっている。

 

がしがしと頭をかきながら、蓮は立ち上がった。

 

「わかったよ。謝ればいいんだろ」

 

 

 

 

 

イライラしながら着替えて机に向かい、来週の最初にある魔法薬学の試験のための参考書を開いて、ハーマイオニーは両手に顔を埋めた。

 

あんなことを言うつもりではなかった。

 

蓮を責めたいわけではない。むしろ、蓮が責務を分かち合うほどに成長していない自分が悪いと思っている。ハーマイオニーに同じ秘密を背負う力がないから、蓮が何もかも秘密にしなければならないのだ。

アルジャーノン発作を起こしても口を滑らせないほどに深いところで閉心してまで。

 

しかし、蓮を見ていると痛々しくてイライラする。

 

それも確かだ。

 

そっと部屋に誰かが入ってきた。きっと蓮だ。ふわりと香るのは、ウェンディが洗濯した衣類の香りだ。

 

「その・・・ごめん」

「何のことよ」

「つい乱暴な言い方した」

 

そんなことじゃないわ、とハーマイオニーは背中を向けた。

 

「ハーマイオニー・・・」

「別に謝ってもらおうなんて思ってないもの。グロウプのことをわたしに任せようとか、協力してなんとかしようとか思えないのは、あなたのせいじゃない。わたしの力が足りないからよ」

「ちが・・・そんなこと思ってないよ。ただ・・・動物になれないなら森の大半はヒトにとっては危ないんだ。それにケンタウロスが機嫌を損ねているなら、なおさらだよ。単なる役割分担だと思ってる」

「あなたが役割を勝手に決める役割分担よね」

 

ハーマイオニー、と蓮が情けない声を出した。きし、きし、と床板の音が聞こえる。

 

「ハーマイオニーにならどんな記憶を見られてもいいって言ったじゃないか」

「やめて。レジリメンスで覗き見したいわけじゃないわ。話して欲しいだけ。でもいいの、わたしの力不足なんだから」

「違うよ!」

 

そう言って、蓮がハーマイオニーの背中にしがみついてきた。

 

「記憶を見てくれた方がいいんだ。わたくしの言葉じゃ、説明できないんだから」

「・・・は?」

「ハーマイオニーが求めてるのは、わたくしの感情まで含めた共感とか、そういうのだと思うけど、そんな英語、知らないんだよ」

 

思わず振り返ると、蓮はその場に跪いて、無防備な姿勢を示してみせた。

 

「2歳になってすぐにパパが死んで日本に預けられた。それからずっと魔法のレッスンだった。日本語と英語とブルガリア語、それからたまにフランス語。シメオン・ディミトロフは興奮するとブルガリア語だし、クロエ・デラクールはフランス語だ。近所の人や学校の友達は日本語。祖母やグランパは英語だ。ハーマイオニーみたいに上手く感情を言葉にできないんだ。ヒトを拒絶したいわけじゃないけど、センシティブなことを表現するにはボキャブラリーが足りない」

「レン・・・」

「見ていいよ。むしろ見て欲しい」

 

蓮の瞳が懇願するようにハーマイオニーを見上げていた。

 

 

 

 

 

パパに抱っこされて「おそうしき」に行くのはもう4回めだ。今日は、ドーラおねえちゃまはお墓の近くには来なかった。ドロメダおばちゃまが泣いているから、近くには行けないみたいだ。

 

「だれのけっこんしき?」

「違うよ、蓮。お葬式だ」

「ママ、さんせい?」

「違うよ、蓮。怒る、だ。賛成じゃない」

 

パパやママの黒の、おそうしき用のドレスローブは嫌いだ。いつもママは泣くし、パパはジョークを言わなくなる。

 

「見てごらん、蓮。ウィーズリー家の男の子たちはみんなお利口にしている。蓮も今日はお利口にしなきゃな」

 

いち、にい、さん、よん、と大きな順に数えて、不思議なことに気がついた。

 

「パパ。4と5は、どっちが4で、どっちが5?」

「ん? ああ、ウィーズリーズを数えてるのか。4と5は双子のキューピッドさ」

「キューピッド」

「パパとママが結婚したのは、あの双子のキューピッドのおかげなのよ、蓮」

 

ママが耳に小さな声で教えてくれた。そして、我慢できなくなったみたいにハンカチを口元に押し当てた。ふぇびあん、と小さな声が聞こえる。

 

悲しいのかな。

 

みんながたくさんいるのに、どうして悲しいのかな。

 

「もう会えなくなるとわかっていたら、こないだの賭けは譲ってやったのにな」

「かけ」

「・・・やめてよ。蓮が変な言葉を覚えるじゃない」

 

会えなくなる。かけができなくなる。だから悲しいのかな。

 

場面が変わる。

 

「おそとに行きたい」

「ダメよ、蓮。パパとお約束したでしょう? パパが一緒じゃないとお出かけはダメ」

「パパ強いから?」

「そう。パパは強いから、パパが一緒ならお出かけしてもいいの」

「じゃ、今度のおそうしきまでガマンだ」

 

キッチンでガラスの割れる音が聞こえた。

 

「ママ?」

 

ママがコップを割ったんだ、きっと。

 

『ひどいわね。お葬式でしか外に出してあげられない』

 

ハーマイオニーには意味がわからない言語だ。

 

コップを片付けたママがリビングに来てくれた。抱っこして「お葬式じゃないお出かけを楽しみにしましょう。お葬式はね、蓮、楽しみにしちゃダメなの。永遠にお別れするためのセレモニーだから」と言う。

 

「おわかれ?」

「そう。バイバイよ」

「えいえん?」

「ずーっと。電話も出来ないし、お手紙も出来ない。パトローナスも来ない。ずーっと会えなくなることなの」

「しゅっちょう」

「出張してもパパは帰ってきてくれるでしょう? そうじゃなくて、お葬式のあとは絶対に帰ってきてくれなくなるの」

 

小さな指を折って数えた。

 

「えどがー、へんりー、ぎでおん、ふぇびあん? いち、にい、さん、よん。よんの人がぜったいかえらない?」

 

ママがぎゅっと抱き締めた。

 

また場面が変わる。

 

「アリス! アリス!」

 

ママは叫びながら走る。お腹のあたりで抱えられているので苦しい。

 

「あなたがしっかりしなくちゃ、ネビルはどうするの?!」

 

ハーマイオニーはハッとした。これは、ネビルの両親の事件なのだ。

 

ひんやりとした廊下をストレッチャーが走る。よくわからない魔法薬の入ったフラスコやビーカーやスポイトが乱舞して、虚ろな眼をした「フランクおじちゃま」と「アリスおばちゃま」に薬を投与するけど、まったく様子は変わらない。

 

会えなくなるのかな、と思う。またおそうしきなのかな。ママが泣きながら騒ぐので、パパが抱き締めた。パパの胸に顔を押し当てて、ママは泣くのをガマンしている。

 

また場面が変わる。

 

ウェンディと2人、板張りのひんやりする部屋にいる。大きな白い蛇が話しかける。これはハーマイオニーにも理解出来た。意識に直接語りかけているからだろう。

 

「ここにいなければならない。姫の父に異変が起きた。母に心配をかけぬようにな」

「パパはしゅっちょうするっていったよ」

「早く出張から帰ってくればよいな」

 

そこへ、蓮によく似た祖母が入ってきた。

 

『ばあ!』

『蓮。パパは・・・勇敢だったわ。誰よりも勇敢に、苦痛に立ち向かって、死んでしまったの。もう帰ってこないところに行ってしまった』

 

言葉は日本語だと思うが、蓮の意識がぐるぐる回っているのがわかる。

 

ぜったいかえらない。

えいえんのおわかれ。

おそうしき。

 

「パパは、5の人?」

 

 

 

 

 

開心術を終えると、蓮の額に汗が滲んでいた。

 

「さすがハーマイオニーだ。深いところを見に来たね」

 

こういうわけなんだ、と蓮は立ち上がり、ローブを脱いだ。「言葉を覚えるべき時期に、2歳の子供に相応しくない事件ばかりが起きたし、ただでさえ、何ヶ国語も入り混じる生活だ。しかもパーセルタング付き。この白い蛇がしばらく話相手だった。パーセルタングは楽なんだ。意識と意識で会話するから。わたくしと祖母はパーセルマウスだから・・・父が死んだことを理解するのは簡単だった。祖母と理解し合うことも簡単だ」

 

しゅる、とネクタイを解いて、ハーマイオニーに背を向けて着替え始めた。

 

「グロウプのこと、別にひとりで背負いたいなんて思ってないよ。ただ・・・なんて言えばいいかな・・・あらゆる魔法種族が、お互いに譲り合って暮らすことを大事にしたいんだ。厄介ごとみたいに思ってる感じだから、それはちょっと、って思ってる。もちろんこの価値観を押し付けるつもりはないし、巨人を恐れるのは当然だ。だから、平気なわたくしがやればいいと思った。それだけだよ」

 

それに頷きながら、ハーマイオニーの意識は違うところに向いていた。

 

「あなたのお母さまも、パーセルマウスなの?」

「・・・違う」

 

Tシャツ姿になった蓮が、泣きそうな顔で呟くように答えた。

 

「だから、わからないんだ、ハーマイオニー。あの人が何を考えてるのか」


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