「そ、そうよ! あたくしがウィンストンを殺したわけじゃありません! あれはウスノロの弟が勝手に」
蓮は俯きがちのまま「『勝手に』というのは弟の言い分じゃないかな。姉の人生の添え物として、能力を超えた職業を与えられた。不器用ながらそれなりにやっていこうとしたら、また姉が業を煮やして、困難な仕事を持ち込んだんだから」と言う。スーザンもはっきりと頷いた。「そうですね。ところで最初のレンの質問ですが、アズカバンに面会にはいらしたのでしょうか?」
「行くわけないじゃないの、汚らわしい!」
「たったひとりの弟と認める弟が収監されたのに?」
「認めません!」
スーザンは頭を振った。
「お母さまも認めない。お父さまも認めない。弟さんも認めない。あなたに相応しいご家族は存在しないのですね」
ちゃぷん、ちゃぷん、とアンブリッジの喉元で球体の中の水が音を立てていた。
「いつまでもそんなことは続かないよ、アンブリッジ。さて、スーザン。ちょっとだけ攻撃的な魔法を使っても構わないかな?」
「レン? 何をするの?」
「ある人物に対する記憶を消したいんだ」
「ある人物?」
口元に手を当て、唇の動きを見せないようにして、スーザンの耳にだけ「リータ・スキーター。今の情報はスキーターから聞き出したものだから、このままだとスキーターが危ない」と教えると、スーザンは目を丸くした。
「だって、レン・・・あの人・・・許すの?」
「うん。こいつに比べればマシだ。構わない?」
スーザンは口をぱくぱくさせながらも、はっきりと頷いた。「それだけなら」
ありがとう、と言って立ち上がると、蓮は自分の杖を構えた。
「慎重にやらなきゃね。根こそぎ記憶を消すんだから・・・オブリビエイト!」
グリフィンドール塔に戻る途中、マクゴナガル先生の私室の前でピーブズを見かけて「姫さまの命令よ、ピーブズ。フィルチをどこでもいいから3階以上の場所に引き付けて」と言うと、ピーブズは怯えたように飛び去った。
「アンジェリーナ!」
談話室に駆け込むと、幸いにしてアンジェリーナはアリシアたちと談笑していた。7年生もNEWTが終わった解放感で気が緩んでいるのだ。
「ね、アンジェリーナ。今、レンがアンブリッジを制圧したところなの。今ならハリーのファイアボルトを回収出来るわ。手伝ってくれない?」
「トロールのガードマンの噂は?」
「単なる噂だと思う。見てよ、この鍵束。これだけ厳重にしててトロールまで必要? どっちにしろ、トロールがいれば生臭さがちょっとやそっとじゃないんでしょ? 近づく前にわかるわ」
オーケー、とアンジェリーナは立ち上がった。「来年のキャプテンの箒かもしれないしね」
パーバティの耳にアンジェリーナが囁いて、歩き出した。
肖像画の穴をくぐり抜けると、パーバティはたまらず「ハリーなの?」と出来る限りさり気なく尋ねた。
アンジェリーナは足早に階段を下りながら「ハリーかレンのどちらかよ」と答えるが、少し残念そうに「レンがあれじゃあ、ハリーかな」と結んだ。
「わたしはどっちでも構わないんだけど、9月になったら、一番にキャプテン宛に手紙を書いてくれない? 『ジャック・スローパーをチームから外せ』って。あいつがビーター・クラブを持ってる限り、レンは練習にも試合にも出ないと思うわ」
大丈夫よ、とアンジェリーナが請け合った。「とっくにクビにしたから。来年のキャプテンはメンバー選抜からスタートね」
首尾よく地下牢からファイアボルトを奪取して駆け上がってくると、アンジェリーナが「ああ、ごめん、パーバティ。わたし、それこそクィディッチの件でマクゴナガル先生と約束があったんだわ」と足を止めた。
「アンジェリーナ、マクゴナガル先生は別の場所に・・・たぶん聖マンゴだと思う」
「え? いるわよ」
「はあ?!」
「な、なによ。ああ、身を隠して療養するとかなんとか・・・でも平気そうよ。さっき猫がスタスタ歩いてたから」
化け物、とパーバティは唸った。
スーザンを隣に座らせ、脚をコーヒーテーブルの上に投げ出して、蓮は「尋問の続きを始めよう」と、とろんとした目つきのアンブリッジに告げた。
「魔法省に入省するまで、つまりホグワーツ時代は目立つ生徒じゃなかったはずだ。スラグ・クラブのメンバーだったという話はどこからも出なかった。それがなぜ今のような高官になれたのか。その努力の具体的なノウハウを知りたい」
スーザンは目を瞬かせた。
「レン?」
「たぶんマダム・ボーンズの参考になるよ、スーザン。こういう奴の手口は、ひっくり返すと弱味になる」
わかってることがある、と蓮は声を張り上げた。「バーテミウス・クラウチ・・・脅したね? ジュニアが死喰い人であることを知り、シニアを脅し、弟を闇祓いにした。これからいこうか」
蓮は立ち上がり、球体の周りを歩き始めた。
「バーテミウス・クラウチは賢明な人間だった。息子に対しても彼なりに愛情があった。ただ」
言いながら、蓮が微かに顔を歪め、スーザンはハッと胸を押さえた。
「父親の愛情を実感出来ないまま、ただ厳しいだけの父親にジュニアは反発した。わたくしはこの目で見て、この耳で聞いたからわかる。息子がOWLで12科目もパスしたことを話すバーテミウス・クラウチは、息子への愛情と誇りを強烈に胸に抱いていた」
「き、聞いた?」
アンブリッジが甲高い声を上げた。
「うん。クラウチがホグワーツに迷い込み、死の呪文で殺された現場を見たのはわたくしだ。その直前まで会話もしていた。正気を失っていたクラウチは、あたりの樹木に向かって幸せそうに言ったんだ。『息子がOWLで12科目もパスしてね。うん、満足だよ』って。アンブリッジ、あなたは知っていたね? クラウチの息子が死喰い人であること」
「え、ええ! 知っていましたとも」
「どこから聞いた? いわゆるスリザリンのネットワークかな?」
ガクガクとアンブリッジは頷いた。
「スリザリンを卒業した死喰い人は多い。死喰い人にまではならなくても、ちょっとした協力をするとか、間接的に死喰い人に関わる卒業生はもっと多い。そのあたりからの情報だろう?」
「そ、そうですわ!」
「脅したのはクラウチだけか? ファッジの息子が男好きだとか、魔法大臣が浮気してるとか、バグマンの賭けのトラブルとか、当時の魔法法執行部の副部長のセックスの趣味とか!」
アンブリッジが顔色を失った。蓮は片方の口角を上げた。
「コールガールを呼んで、背中をベルトで叩かれるのが趣味の副部長がいたんだよね、アンブリッジ? 副部長がコールガールを呼んだのを知って、コールガールに金を握らせてやる。ペラペラ喋る。淫売の娘だから、そういうところには鼻が利く。違う?」
「ど、どこからそれを」
「アンブリッジ・・・こういうのはあなたが思うほど秘密じゃないんだ。必ず誰かが知ってる。知ってるけど、言わないんだよ。みんなに何かしら秘密はあって、互いに慎み深くそういう部分に触れないようにやり過ごすんだから。あなたは下品にも、その秘密を本人の鼻先にぶら下げた。ただそれだけだ」
またスーザンの隣に座って足を組んだ。
「魔法省高官の後ろ暗い私生活を握り、秘密を知ってることを仄めかし、それによって地位を高めていった。認める?」
「ぐぅ・・・認めるわよ! でもそれも能力のうちですことよ!」
「下品なだけだ。でもそれだけかな」
「それだけ? それだけってなんです! あたくしに後ろ暗いところなど」
「みんながみんな、あなたの思い通りになっただろうか。中にはあなたを邪魔に思った人がいたんじゃない?」
蓮とアンブリッジは球体の皮膜越しに睨み合っていた。スーザンは気分の悪そうな表情で、しかし、目を逸らさずにアンブリッジを見つめている。
「いたでしょうよ! もちろんそういう人は、それなりの報いは受けましたとも!」
「バグマンの賭けのトラブルが新聞に出たように?」
「ええ、ええ! 日刊予言者の社長は死喰い人に金を渡していますわ! これは重罪ですからね! あたくしの書いて欲しい記事を書いてくださるのです!」
「・・・書いて欲しくない記事は載せない?」
「当然です! 魔法省に反意のある新聞など存在してはなりません!」
蓮はアンブリッジを見据えたまま、スーザン、と呼んだ。
「な、なに?」
「これは模擬裁判だ。判決は?」
「・・・レン」
「判決は?」
「ギルティ、有罪よ」
うん、と蓮は微笑んだ。
「このようにして、わたくしの父の名誉を踏みにじったんだ」
「レン・・・」
「それは弟のためでさえなかった。弟は自分の道具に過ぎない。使い物にならない道具がアズカバンで壊れるのは、むしろ好都合。そうなんだろ、アンブリッジ!」
蓮が怒鳴ると、そうよ! とヒステリックな喚き声が返ってきた。
「どこがいけないの?! 弟の学費を出したのはあたくしよ! 父にだって、お金の不自由はさせなかった! あたくしの人生の厄介ごとだったけど、あたくしは義務は果たしたわ!」
「自分でそうしたんだろ! 自分の血統を偽るために父親を社会から切り離した。まだ権力が不足していたから『合法的に』殺すことが出来なかっただけだ!」
「そうよ! 今ならあたくしは上級次官よ! あたくしが真実、あたくしが正義なの! 今ならあんたの父親抜きで弟を殺せるわ! ポッターにそうしたようにディメンターを送りつけるだけよ! 別にあんたの父親でなくても良かった! 悪いけど、ちょうど良かったのよ! 拷問された闇祓いのロングボトムと秘密めかした会話なんてするからいけないの!」
蓮の目の色が変わった。
パァン! と巨大な水風船が弾け飛ぶ。
「レン!」
「・・・立て」
押し殺した声で蓮が言い、取り上げてあったアンブリッジの杖が飛んでアンブリッジの目の前に転がった。
「おまえにとって、ヒトの命は実に安いものだ。その安い命を賭けて勝負してやる」
「あたくしの命に魔法省は高い価値を認めているわ!」
「そうかな? 所詮代わりの利く命だよ、アンブリッジ。魔法大臣に媚びを売る職員ならいくらでもいる。昨夜の闇祓いたちもそうだろう」
アンブリッジが杖を掴み、蓮は構えた。
「やめて、レン!」
「スーザン、避難した方がいい。これでも魔法省の上級職になれる人間だ。決闘の場にいるのは危険だよ」
ルールを決めよう、と蓮は片方の唇の端を上げた。
「る、ルール?」
「わたくしは、自分の杖で許されざる呪文を使えないんだ。だから、おまえの杖を奪う。おまえは杖を奪われないうちにわたくしを殺せ。弟にさせたことと同じことをすればいい。83回の磔の呪文と、死の呪文だ、アンブリッジ」
ガタガタと震えながら、スーザンは蓮を見つめていた。
「やめて! やめて、レン!」
「スーザン、危ないよ! ほらアンブリッジ! 簡単な盾に弾かれる程度のクルーシオしか出来ないのか?!」
アンブリッジは狂ったように「クルーシオ! クルーシオ!」と杖を振っている。
ソファの陰に身を隠して、スーザンはカチカチと歯を鳴らした。
14年前の事件の再現だ。
伯母に聞いて絶句した。83回の磔の呪文、そして最後に死の呪文。僅か数分の間に。
なんて残酷な、恐ろしい、凄惨な事件だったろう。
そう思っていた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ。こ、殺すしかないわ。知り過ぎた。ボーンズは構わない。怯えきってるわ。少し脅しつけてやれば」
むくむくとスーザンの中に反感が湧き上がる。
こんな女に屈するつもりなどかけらもない。
磔の呪文が一方的に飛んでくる中、身を低くしてソファの陰からジリジリと踏み出した。
「ひとりごとか、アンブリッジ! ほら!」
蓮の杖から武装解除の光線が飛ぶ。間一髪でそれを弾いたアンブリッジはすかさず「クルーシオ!」と叫んだ。
キィン! と蓮の盾がそれを弾く。
「母親に似て腹立たしい子!」
「おそろいだね、アンブリッジ! あなたも母親に似て下品な人だ!」
キィンキィン! と連続して呪文が弾かれた。
「あなたの母親が何を隠してるか知らないけど! 大方、ボーンズと関係があるんでしょうよ!」
「はあ?」
スーザンは目を見開いた。
「レイ・ウィンストンをアメリアは重用し過ぎるわ! 独身のアメリアと未亡人のウィンストン! いつもいつもくっ付いて! 浮いた話もない!」
「男より仕事が好きな人だからね!」
キィン!
まったくだ。スーザンは深く深く頷いた。伯母に浮いた話を期待するのが間違いだ。
「ああいやらしい!」
「どっちがだ! 開心術をそういうことに使ってるんだろ、どうせ!」
「他に何に使うのよ! クルーシオ!」
最低、とスーザンは呟いて立ち上がった。蓮がそれに気づいて叫ぶ。
「ダメだ、スーザン!」
「あなたは魔法を穢してるわ!」
スーザンは怒鳴った。
「魔女の面汚しよ!」
「うるさい! クルーシオ!」
キィン! と魔法が弾かれた。
「スーザンに手を出すな。スーザン、逃げて」
蓮が矢継ぎ早にアンブリッジの足元に魔法を撃ち込んだ。
「はっはーん! お優しいこと! お仲間が苦しむほうが辛いのね。可愛いところがあるじゃない!」
「あなたには仲間がいないから理解出来ないだろうけどね。スーザン、早く」
「だって、レン!」
「逃げて! こいつ!」
思わず目を閉じる。蓮の展開した盾に磔の呪文の色がぱあっと広がる。
「先生、早く!」
パーバティはマクゴナガル先生の手を引いて焦れていた。
「ぱ、パチル、わたくしは昨夜4本の失神呪文をまともに喰らったのですよ! 少しは労わりを」
「油断し過ぎです! 胸にまとめて4本! 盾1枚で防げたはずですよ。とにかく早く!」
「ぐぅ・・・老醜です、まったく不覚でした!」
焦れたパーバティが玄関ホールの真ん中で喚いた。
「ああもう! ドビー!」
パチン!
「パーバティさま!」
「ドビー、悪いけどウィンキーとケニーにも手伝ってもらって、マクゴナガル先生をアンブリッジの部屋に運んで! わたしは先に行くから!」
「かしこまり!」
パチン!
「パチル! よりによって、ここに放置ですか!」
「すぐに介護係が来ます!」
マクゴナガル先生を置いて、パーバティは駆け出した。ああ試験明けのディナーを食べてないな、と思ったが、あとから部屋に運んでもらおうと頭を振った。
バァン! パン! キィン!
アンブリッジの部屋から、甚だ穏便でない音が聞こえてくる。
「きゃあっ!」
悲鳴まで。
「スーザンに当てたな?!」
蓮が叫ぶ声と同時に、部屋に飛び込んだ。
身体を丸めて床に転がるスーザンに駆け寄った。「レン、やめなさい!」
蓮の肩から靄のようなものがゆらゆらと立ち上る。
「やめて・・・レン」
弱々しい声でスーザンが制止する。靄の色がはっきりと見えるようになった。エメラルドグリーンの輝きだ。
腰を落として、杖を持った右手を前に突き出し、左手に拳を握って肩より高い位置に構えた姿は、本気で攻撃するときの蓮の構えだ。
「やめなさい、レン」
「やめない」
そう言うと、唇を引き結び、鮮やかな杖さばきでアンブリッジから杖を奪った。
「レン・・・おねがい、やめて・・・わた、わたしなら、へいき」
全然平気そうではない。パーバティはスーザンを引きずってソファの陰に動かした。
「・・・何回クルーシオを発動したっけ、この杖?」
自分の杖をホルダーに収め、そう呟く。スーザンがパーバティの腕に縋り付いた。
「パーバティ、止めて。次は死の呪文だわ。止めて」
パーバティは息を呑んだ。
再び蓮が構える。腰を抜かしたアンブリッジに真っ直ぐに杖先を向けて。パーバティはソファの背を乗り越えた。
パチン! パチン!
ついに蓮が叫んだ。
「アバダ・ケダブラ!」