ハーマイオニー・ジーン・グレンジャー
身長5フィート5インチ(165cm)
1979年9月19日生まれ
マグルの歯科医を両親に持ち、ホグワーツ入学までマグルとして育つ
1991年9月ホグワーツ入学
1996年6月魔法省神秘部の戦いに参加
1996年9月に魔女として成人する
1997年ホグワーツ天文塔の戦いに参加
1998年ホグワーツ決戦に参加
2004年魔法省魔法生物規制管理部に入省
ハウスエルフの待遇改善、権利向上に尽力
また、人狼病患者保護政策にも携わる
2007年魔法省魔法法執行部に異動
2010年魔法法執行部副部長
2012年魔法法執行部長
2019年、39歳の時、魔法大臣となる
※史上最年少、史上初のマグル生まれの魔法大臣
ロナルド・ビリウス・ウィーズリーと結婚し、二児の母となる。
ヴォルデモートとの戦いについては多くを語らない傾向にある。曰く「ハリーに聞いてくださらないかしら。わたし、忙しいんです」
ホグワーツ魔法魔術学校校長レン・ウィンストンとは自他共に認める親友であるが、その完璧主義・容赦の無さから「無慈悲のグレンジャー」呼ばわりされる。
ホグワーツ魔法魔術学校には遊び心が多過ぎると苦言を呈することもあり、まさにその説教をしに校長室を訪ねた日に「パルプンテ!」という謎の呪文で錯乱させられたことに立腹し、ウィンストンをアズカバンに3日監禁した。
その報復に「無慈悲のグレンジャー」というタイトルの伝記を書かれたことが甚だ不本意である。
ウィンストンの母をゴッドマザー、ミネルヴァ・マクゴナガルをグランド・ゴッドマザーに持ち、スコットランドの魔法族筆頭としての魔法的権限を有すると噂される。
天才的な開心術者と評されることもあるが、本人はその評価を受け入れようとしない。理由は「無意識に術を発動させるのは未熟過ぎて話にならないから」と真顔で言う完璧主義ぶりである。
様々な功績や、高い学識により、その思想や知識・経験に対する執筆依頼は後を絶たないが、「自分の知識や経験を書く暇があれば、他の本を読みたい」と一切応じない。
唯一の著作は「吟遊詩人ビードルの物語ーー新訳」であり、ルーン語で書かれた原版から、ダンブルドアのメモを参考に直接新たに翻訳した。
マクゴナガル校長の、ホグワーツの安定した学校経営に満足していたが、「闇の魔術に対する防衛術」の試験だけはマグルのRPGのリアル復元だったのではないかとの疑いを捨てきれない。
暇だったウィンストン校長が「第2次魔法戦争の英雄たちの戦いぶりを見せてあげましょう!」と無駄に張り切って、禁じられた森を魔改造し、さらに最奥にミニチュア魔王城を建てて世界最大規模の競技を開催した際には、闇祓い局長のハリー・ポッターを差し置いて優勝した。ラスボスが校長本人だったため、誰よりも早く躊躇いなく攻撃したのが勝因だと思われる。
この決闘ならびに優勝を見守った孫から「ばあちゃんマジかっこいい!」と賞賛されたため、大臣執務室の一番目立つところに優勝メダルを飾る孫煩悩ぶりを垣間見せることもある。
ヒトと接する巨人族の中では「ハーミー」の名で知られており、毎年その集団の長から群れの祭りに招かれることを若干負担に感じている。
またハウスエルフ代表として初めて魔法議会の議員になったケニーからは「お友達!」と愛されるなど、ヒト以外の魔法族からの人気があり過ぎて、なかなか引退出来ない。
ウィンストン校長が研究に取り組んでいる間は完璧な校長であるが、暇になるとろくなことをしないのが悩みで、ウィンストンの子供たち3人がまともな政治家に育ったのは自分の影響であると断言する。自画自賛しないグレンジャー魔法大臣の唯一の我田引水である。
ホグワーツの遊び心やリアルRPGに頭を痛めていながら、強く止めることが出来ないのは、義弟にして闇祓い局長ハリー・ポッターの「平和が長く続いているのに新人闇祓いの実戦力が落ちていないのはあのRPGのおかげなんだ」という弁護があるからである。