サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第4章 我が王子よ

「どうしても変身術ではなく呪文学を学びたいと言うのならば! NEWTではO優を取るぐらいの覚悟をなさい! それからミネルヴァの言葉を信じるよりばあちゃんを信じることが出来ないうちは家には入れませんからそのつもりで!」

 

ネビルを真ん中に、一番横に長いソファに並んで座ったレン、ハーマイオニー、パーバティ、ハリー、ロンは、キーンと耳に残る余韻に浸りながら、目の前で燃え上がる吠えメールの行方を見守った。

 

「・・・マクゴナガル先生が言うには、ばあちゃんは薬草学と呪文学のOWLに落ちたんだって。それで、僕の履修登録に関して『一筆書いて』そのことを思い出させてくれたらしい。あるべき孫の姿より、あるがままの孫を誇るように、って」

「確かにその通りだ、ネビル。でも、吠えメール使うなんて、いったい何をどう一筆書いたってんだろな」

 

耳の上をトントン叩いて聞こえ具合を整えていた蓮が「あ、あー、あー」と発声練習をして説明した。

 

「2年生の時、わたくしもやられたよ。スリザリンの雌トロールに殴られた時。マクゴナガルがばあばに一筆書いたせいでクリスマスの朝から吠えメールを喰らった」

「それわたしも覚えてるわ。『ミネルヴァが鼻でフンと笑う例の態度が自分に向けられると殺したくなる』とおっしゃったわね」

 

あれか、とハリーが眼鏡を拭いて呟いた。「僕は個人授業でネビルのばあちゃんが出てくるシーンを見た」

 

「ハリー、ほんと?」

「うん。薬草学が苦手だというのは本当みたいだ。2年生になってもヨモギとニガヨモギの区別がつかなくて、マダム・ポンフリーにニガヨモギをねだってた」

「ついでに言うと、呪文学に関しては、繊細な発音を間違う癖があるんだよ。去年のクリスマス休暇、ミネルヴァの実家の牧師館にネビルのばあちゃんが訪ねてきたんだ。わたくしが使ってたプレイステーションにスペシアリス・レベリオをかけて正体を確かめようとしたけど、微妙に発音が違って不発。あれは本当に助かった」

「・・・君たちと友達で本当に良かった。僕の選択に間違いはないと思える」

 

ネビルが杖を振って、コーヒーテーブルの上で燃え尽きた吠えメールの灰をエバネスコで消した。

 

「さ、他の学年はみんな授業に向かったわ。ハリー、個人授業ってどんな内容だったの?」

 

 

 

 

 

ハリーが話し終えると蓮が「気色悪い場所を思い出させるなあ」とソファに転がって唸った。

 

「ごめんな。でもレンに確かめたかったんだ。僕は君のおじいちゃんの視点だったから、君の顔色がひどいことはわかったけど、気分の悪さまでは伝わらないからさ。闇の魔術に対するアレルギーってああいうことなのか?」

「そうだよ。ばあばの記憶で鳥肌がどうこう言ってたんだろ? あの反応のボリュームをいっぱいに上げた感じなんだ」

 

ロンが身震いした。

 

「そんな体質でよくヌルメンガードに行く気になったな」

「それがね、ロン。レン、説明していい?」

「いいよ」

「レンも行く前には緊張していたし、わたしたちも具合を悪くして帰ってくるだろうから起きて温かい飲み物を用意して待ってたの。でも帰ってきたレンは平気そうだった。よく聞いてみたら、ヌルメンガードは素晴らしく近代化された収監施設だったそうよ。監視カメラが問題なく作動して、別室に待機していたダンブルドアやシメオン・ディミトロフもモニタ越しに観察できる設備が整っていたんですって」

 

ハリーが目を瞬いた。

 

「監視カメラだって? そんなの、魔法使いが集まる場所で使えるのか?」

 

使えるよ、と蓮が頷いた。「監視カメラどころか、国連本部の議場では全席にコンピュータディスプレイが設置されてて、同時通訳した字幕が流れる。その字幕は、別室にいる翻訳官たちがヘッドホンで聴き取りながら、手元のコンピュータのキィボードで入力してるんだ」

 

「・・・マグル並みの電子機器じゃないか」

「それだけじゃないのよ、ハリー。レンがアメリカで見てきた魔法族の銀行は、ATMで取引が出来て、クレジット会社も経営してるそうなの」

「まあ、アメリカは特にノーマジ、マグルとの関わりをシビアに考えるから、そういう技術が必要だった側面もあると思うけど、ヌルメンガードを見る限りでは、そのアメリカの先進技術が各国に普及し始めてるのは確かだと思う」

 

なあおい、とロンが割って入った。「何の話してるんだ?」

 

「・・・どう説明すれば伝わるのかしら」

「かけ離れ過ぎてて説明さえ難しいんだよ、ロン」

「わたしに任せなさいよ」

 

パーバティが頼もしいことを言って、ロンに向かってキャッシュカードについて説明を始めた。

 

「なるほどな。そのツルツルの板がグリンゴッツの金庫の鍵だと思えばいいんだろ? それを持ってグリンゴッツに行けばいいわけだ」

「違うの。銀行まで行かなくてもいいの。Aなんとかっていう機械にカードを入れたらお金が出てくるの」

 

大事なところが省略されてる、とハリーが呟いた。

 

「頑張って説明したんだけどね。紙幣の説明も必要だし、口座っていう概念が魔法界には存在しないから」

「わたしは入学前に、逆の意味で戸惑ったわ。レンのお母様が、口座ではなく貸金庫をイメージして、っておっしゃったから、それでなんとなく理解したの」

「魔法界はいつもニコニコ現金取引の世界だもんな。せめて小切手でも使えればいいのにとは、時々思うよ」

「あと振込。ロンドンに帰ったらそれこそグリンゴッツに行かなきゃ。スキーターも、ウチまで集金に来てくれたらいいんだけど、ママに会いたくないからウチには来ないって言うんだ。振込システムが必要だ」

「あ、そうそう。レン、わたしは何を用意すればいいのかしら。金庫の名義変更をするのに必要なものって想像がつかないの」

 

杖、とレンとハリーの声が重なった。

 

「シリウスがブラック家の金庫を僕も使えるようにする手続きで必要だったのは杖の登録だったよ」

「わたくしも。あ、でもあれは家族使用の権利登録だけなのかな。もしかしたら、名義変更には血が必要になるかも」

「血?」

「血判で拇印を捺す程度だから心配要らない。痛いのが嫌なら鼻血ヌルヌルヌガーもあるよ」

「指をちょっと切るぐらいなら構わないわ、鼻血よりマシ。でもどうして血なの?」

「魔力登録だよな、杖の登録も魔力登録の簡易版ってことだろ」

「うん。血が一番はっきりと魔力を含んでるからだと思う」

 

ハーマイオニーは僅かに顔をしかめて言った。

 

「レディ・レン、なるべく早く魔法界の経済システムの変革をお願いするわ。今のこの御時世、ちょっとした切り傷からとんでもない感染症に繋がることもあるんですからね。歯医者は指先の怪我に神経を使うのよ」

 

レンは黙って肩を竦めた。

 

 

 

 

 

魔法薬学の教室の前でハリーやロンと合流した時、蓮はうんざりした顔でハーマイオニーからルーン文字の辞書を取り上げたところだった。

 

「ちょっと! レン!」

「いきなり課題が多かったからって、休み時間にまで張り切るな。ただでさえこんなに荷物抱えてるんだから、読むのは部屋まで我慢しろよ」

 

やってるぜ、とロンが冷やかすと、ハーマイオニーは突然のロンとハリーの登場に目を瞬いた。

 

「あら、あなたたちも魔法薬学を取るの?」

「ああ。スラグホーンは良Eの生徒でもクラスに入れてくれるらしいから」

「スネイプがいなけりゃ僕たちにだって魔法薬学の才能の鱗1枚ぐらいは芽生えるかもしれないだろ」

「でも教科書や何かは?」

 

貸してくれるよ、と蓮は教室の扉を開いたスラグホーンに向けて頭をちょっと振ってみせた。

 

 

 

 

 

「なんと、なんとなんと! 紛れも無い勝利者が2人! さーて、どうしたものか。フェリックス・フェリシスはひと瓶しか用意しておらん!」

 

蓮は軽く肩を竦め「その権利はハリーにあります」と譲った。

 

「ほう?」

「わたくしは教科書の指示に従っていませんでした。曽祖父のやり方を思い出して煎じただけですから、授業の成果としてはハリーに権利があります」

「やっ! こいつは私としたことがうっかりしておった。アレクサンドル・アンドリアーノフの上級魔法薬の教科書がなければ今の職にはありつけなかったというのに。よしよし、じゃあハリー、こいつは君がしっかりと獲得したものだ」

 

 

 

 

 

「聞き違いじゃないでしょうね? ハリー、あなた、誰かが書き込んでいた本の命令に従ったの?」

 

ジニーがハリーを問い詰め始めた横で、ハーマイオニーは腕組みをしている蓮に目を留めた。

 

「どうしたの?」

「この書き込みだよ。これはダームストラングで教えるやり方なんだ」

「そうなの?」

「うん。わたくしが6歳の時にひいじいは死んだけど、ママはもっと長いことひいじいの研究室で魔法薬を作って一緒に過ごしてた。それで、ホグワーツの上級魔法薬の教科書よりもひいじいの書いた本のやり方のほうが効率的な魔法薬もいくつかあるって言って、夏にひいじいの書いた本を読まされたんだ。今日、わたくしはそのやり方でやってみたんだよ。催眠豆のあたりは、自分でもなんとなく覚えてる。刻むんじゃなく潰すんだ」

 

胡散臭げだったハーマイオニーの教科書に向ける視線が和らいだ。

 

「つまりこれは、誰かが勝手に書き込んだ怪しげな代物ではなく、ダームストラングとは言え、正規の魔法学校で採用された教科書の記述に沿ったものなのね?」

「生ける屍の水薬に関してはね。他のは未検証だから保証書は書かないよ」

 

ダームストラングの教科書、という単語に対してハーマイオニーは明らかに警戒を解いた。

 

逆にロンが眉をひそめてパラパラとページを最後まで追った。文句をつける箇所を探すかのように。

 

「なんだぁ、こりゃ。『半純血のプリンス蔵書』ってサインしてある」

 

 

 

 

 

「君のパパの教科書じゃないのか? 君のパパは闇祓いだった、つまり上級魔法薬学を履修したはずだし、プリンスだ」

 

ハリーとロンは、教科書が怪しげな代物ではないと、そんなことを主張し始めた。

 

「それに、君が言ったんじゃないか。君のママのおじいちゃんのやり方だって。君のパパはガールフレンドである君のママから聞いたやり方を教科書にメモしたんだ」

 

蓮は疑わしげに首を傾げた。

こんなに細かな字でちまちまと教科書に書き込みをするというのは、父のイメージと違う。

 

「違うわ」

 

実の娘よりきっぱりとハーマイオニーが宣言した。

 

「レンのお父様の字じゃないもの。こんなにちまちました字を書く人じゃないのよ。もっとこう、ゆったりしたスペースに、ひと言かふた言適切なメモを取る感じなの。パパ宛の手紙はきちんとした文章だったけど、それに混ざっていたメモはそんな感じよ」

 

蓮は感心して頷いた。

 

「さすがハーマイオニー。確かにパパはそんなイメージだった」

「娘がコレなのよ? 単語しか覚えていないせいで魔法史の成績だけ残念になる人」

「・・・その解説は余計だ」

「それにウィンストンなら半純血とは表現しないよな。国籍がバラバラなだけで純血だ」

 

ロンの言葉に、また蓮は首を傾げた。

 

「違うのか?」

「純血の定義については疑問なんだ。魔法生物という広い意味では確かに純血なんだけど・・・割と人間じゃない遺伝子も入ってるような・・・」

「じゃあ半純血かい?」

 

ハリーが膝を進めてきた。

 

「うちのパパのような生物のことは、半純血とは表現しないと思う。半純血っていうのは、マクゴナガルみたいな意味合いなんだ。片方の親が純血の魔法族で、もう片方はマグル。マグル生まれってこともあるけど、一般的には純血の魔法族とマグルの間に生まれた子が半純血だ。うちのパパが自分のことを『半純血のプリンス』と自称するっていうのは・・・端的に言って、キモい」

「へ?」

「なんというかこう・・・過剰な自己顕示欲が漂って来ない? アイ・アム・ロード・ヴォードゥモールに通じるセンスなんだよ。パパはそういうタイプじゃない。ママと付き合うために、ディナーの時間にダンブルドアに土下座して髭を抜かせてくれって頼むような人なんだ。自称プリンスがそんな真似するわけないだろ」

 

ハリーとロンが顔を見合わせて、ぷっ、と吹き出した。

 

「君のパパ、なかなかやるな」

「やっぱり僕の叔父さんたちの仲間だっただけある」

 

蓮の隣でハーマイオニーがまた不安げに「半純血のプリンス」の教科書を睨んでいた。

 

 

 

 

 

バァン! と夜の騎士バスがホグワーツ正門前を飛び出した。

 

「何回乗っても慣れないわね」

「ミネルヴァでさえ『ろくな乗り物ではない』って言うんだから、その感想に間違いはない」

 

金曜日の授業を終えると、ハーマイオニーは蓮と連れ立ってロンドンまでの帰路についた。

 

よろけながら座席にたどり着き、シートに深く腰掛けると、やっとひと息つく。

 

「えーと、明日は朝からグリンゴッツね。あなたはウィンストン家の金庫の名義変更とスキーターへのギャラの引き出し。わたしは、フラメル家の金庫の名義変更。夜はうちの両親も合流してディナー。日曜日がバッキンガム・・・緊張するわ」

「いつもすまないねえ」

「お行儀よくしてよ? 付き添いと言ってもバッキンガムでの振る舞いなんて、経験したことないんだから」

「そんなのわたくしだってないよ。えーと、何て言ったかな、デビュタント・・・うん、デビュタントだ。本来なら、貴族の娘のデビュタントは、陛下への謁見に始まって、1週間ぐらい自分ちのタウンハウスの舞踏会や、招待された舞踏会のハシゴをしてたらしい。今でもやってる人はいるらしいけどね。幸いなことに、うちには200年か300年御令嬢が生まれてないからデビュタントのノウハウがないんだ。だからそんなの無理してやらなくてもいいだけまだマシだろ? でも、魔法界と王室の連絡係って意味で陛下との顔合わせは必要。ただそれだけだよ」

 

それが責任重大ではないか、とハーマイオニーはうなだれた。

 

「王室との連絡係はウィンストン家として、首相官邸には? あ、キングズリーがいるから良いのかしら」

「首相との間で魔法界についてレクチャーするのは、当然魔法大臣だよ。キングズリーは首相の護衛のために秘書官として官邸詰めをしてるんだ」

「ええ? じゃ、首相はファッジやスクリムジョールに会ったことが」

「あると思うよ。シリウスの脱獄とか、三大魔法学校対抗試合とか、トムくん復活とか、ほら、夏にテムズ川の新しい橋落ちるの見たじゃん、ウチで。あれも結局トムくんたちの仕業だったんだから、首相に連絡しなきゃいけない案件には事欠かなかったでしょ」

「三大魔法学校対抗試合まで報告するの?」

 

蓮はこともなげに頷いた。

 

「ドラゴンやスフィンクスをイギリス国内に連れて来ただろ。輸入の報告義務のある魔法生物なんだから、競技のためとは言え、そりゃ報告するよ」

「ねえ、あなた本当に大丈夫なの? 女王はご高齢よ。魔法界の話なんか聞かせて、心臓発作なんてことになったら」

「首相よりは慣れてると思うよ。20世紀の半分くらいは女王やってた人だし、グランパが面白おかしく説明してきただろうから」

「面白くもおかしくもない事件だってあったはずよ」

「うん。だから慣れてるって、きっと」

 

しばらく蓮がうたた寝をしたので静かにすることにした。数分で目を覚ました蓮が大きく伸びをする。

 

「ねえ、ハリーのあの教科書、どう思う?」

「今までのことを考えたら心配するのはわかるけど、卒業生の誰かが置いてった中古の教科書ってことで良くない?」

「それならそれで構わないの。ただハリーの入れ込みようとか、半純血のプリンスっていう名前とか、何か不安なのよ」

「ああ。まあ、ハリーもちょっとムキになり過ぎだね。今までの魔法薬学では実力を発揮できたとは言い難いから、あの書き込みに依存してる状態なのかな」

「ジニーが嫌がってるのはまさにその部分なの。あの日記帳に対して依存的になっていた自分を連想させるから、すごく心配しているのよ」

 

んー、と蓮は腕組みをして首を傾げた。

 

「少なくともわたくしのアレルギーは出てないよ」

「あ・・・」

「それが安心材料になるかどうかはわかんないけど、あの教科書そのものが闇の魔術具ってことはないと思う。ただ・・・」

「なに?」

「スリザリン生の持ち物だった可能性は低くない。スリザリンは、ずっとスラッギーじいさんが寮監だったし、次がスネイプ。魔法薬学には力を入れる学生が比較的多いと思うんだ。それと『半純血』って表現かな。血統にこだわりがあるのはやっぱりスリザリン的だ。わたくしたちだって、意味は知ってるけど、半純血だの混血だの、いちいち使い分けたりしないだろ。『半分はちゃんとした純血だ』って意味を強調したがってる感じがする。それはスリザリン的特徴じゃないかな。うちのパパじゃないと思うんだよねー」

 

蓮が眉を寄せてボヤいた。

 

「ハリーたち、何度もそこに戻ろうとするのよね」

「うん。あんなにマメに書き込みするタイプじゃないと思うんだ。ママから聞いたことを書いたってことにしたいらしいけど、うちのママはボーイフレンドに魔法薬学のコツを教えてあげるような人じゃないよ。あの知識がママの頭から出てきたものだというのに不自然さは感じないよ、確かに。闇雲に効率的な調合を探ってる試行錯誤の痕跡がないから、ダームストラング流の魔法薬学の知識を持つママが関わってるというアイディアは悪くない。でも・・・ハーマイオニー、うちのママがボーイフレンドに魔法薬学のコツをあんなに細かく教える人だと思う?」

 

ハーマイオニーは小さく笑って首を振った。

 

「それには同感よ。わたしもあなたもそうじゃない? あなたは特に。ジニーに箒のメンテナンスや箒飛行の技術を教えるのには熱心だけど、それって可愛がってる下級生には、っていう限定版よね。あなたのご両親は、うちと一緒で同級生なんだから、細かく教えてあげたくなる対象じゃない気がするわ」

「でしょ? わたくしの身に置き換えて考えても、あんなに細かく教えることはしないと思うんだ。その意味では『半純血のプリンス』って記名がなければ、ハリーのママが怪しいって言いたいぐらいだよ」

「ハリーのお母様?」

「うん。ハリーのママとうちのママ、寮と学年が違う割には親しかったみたいなんだ。特に魔法薬学に関して。スラッギーじいさんも、ハリーのママのことを引き合いに出して褒めてたろ? 卒業してすぐに結婚して、ハリーがお腹に出来たから、職業についたわけじゃないけど、在野の魔法薬学者っていうのかな。魔法薬の新薬開発を志す人だったみたい。ハリーに手がかからなくなったら本格的に研究を始めるつもり、みたいな手紙をやり取りする関係だった。だから、一瞬ハリーのママの教科書じゃないかと思ったけど、サインからすると違うからハリーには言うなよ?」

 

 

 

 

 

「半純血のプリンス? 何なのそのもって回った名前は」

 

案の定、母は大仰なサインを嫌った。

 

「だからさー、ママ、誰かにひいじい流のやり方を教えたことない? その教科書に書いてある書き込み、ひいじい流の調合なんだ。催眠豆の潰し方とか撹拌回数とか」

「身の回りの何人かには教えたわよ。アリスやドロメダにはたいていのことは教えたわね」

「そうやって教えた中に、半純血のプリンス、って自称しそうな人いなかった?」

「いないわね。リリーやセブには初級クラスしかアドバイスしてないから違うはずよ」

「あ、そっか。学年が割と離れてるんだったね。じゃあやっぱりパパ?」

 

母は溜息をついた。

 

「あなたのパパの魔法薬学のセンスは極めて残念なものでした。自分の教科書通りの調合さえ記憶しようとせず、明るいスミレ色になるはずの魔法薬が、泥水色になる始末。確かにボーイフレンドだったことは事実だけれど、ママは泥水製作者にひいじいの魔法薬のスキルを教える無駄な時間は使ったことがありません」

 

ものすごく納得できる論理だ。

 

「だいいち・・・半純血のプリンス? パパがそんな名前を教科書に書いたなんてあり得ないわね。ウィンストン家の役割は知っている人は知っていたし、聞かれたら否定はしなかったけれど、自分で自分のことを王子様だなんて言う柄じゃないわ。それにパパのどのあたりが半純血なの? 遺伝子が人間かどうかも怪しいのに。ママはあなたが生まれたとき、尻尾も鰭も生えていないことを真っ先に確かめたのよ」

「デスヨネー」

「ハリーが赤の他人の教科書の書き込みに依存していることは、まあ、あまり褒められた話ではないけれど、彼が魔法薬学に意欲的になること自体は悪いことではないわ。あなたが目を通した限り、魔法薬に関する書き込みはひいじい流だったのでしょう?」

「うん。それは確かだよ。ひいじいが書いたダームストラングの教科書のやり方だった」

「だったら半純血のプリンスさんは、教科書以外に参考書という形でひいじいの本を持っていたのでしょう。教室に持ち込むわけにはいかないから、前夜に予習として教科書に書き込みをして、それを持って実習する。そういうやり方をする人は少なくないわよ」

「・・・は? 予習? 何それ?」

 

母はまた溜息をついた。

 

「半純血のプリンスさんを見習って、教科書に書き込みをするぐらいの努力をしてちょうだい。偉大な魔法使いや魔女のお顔に髭は描かなくていいから」

 

 

 

 

 

「というのがママの名推理だ」

 

グリンゴッツのソファに座った蓮の説明にハーマイオニーは深く納得した。

 

「わたくしもそう考えるのが一番自然だと思うよ。ちょこちょこと魔法薬に無関係な自作呪文みたいな落書きもあったけど、魔法薬の調合に関してだけ言えば、ひいじい流の調合っていうだけで特に問題はない。学校に帰ったら、ハリーとロンにそう説明しよう。ジニーにも。でも、自作呪文みたいなものは、効果がわからないんだから安易に真似しないほうが良いと思うけどね」

「そうね。魔法薬学に関してだけは、ハリーがやる気になっていることは良いことなんだし」

 

言いながらハーマイオニーはそわそわと財布の中身を確かめた。

 

「・・・アレクサンドル・アンドリアーノフ著の上級魔法薬の本ならうちにあるよ。ロシア語だけど」

 

見透かされてバツが悪くなったハーマイオニーは「英語に翻訳してあるものが欲しいの」と、ツンと顔を上げた。

 

「わたくしが目を通して、英語で読み上げてやるよ。ついでに世界最初の脱狼薬の調合設計に関する論文も」

「・・・お願いするわ」

 

 

 

 

 

グレンジャー家と合同での誕生日のディナーは、チェルシーの家が会場だ。

 

フランスの祖母が送ってくれたシャンパンで乾杯すると、父が蓮の前にプレゼントを差し出した。

 

「わ。ありがとう、ドクタ・グレンジャー」

「おじさんで構わないよ。いいから開けてごらん」

 

蓮は勢いよく頷いて、立方体に近い黒いケースを包み紙から取り出した。

 

「すっごい。すごいね、おじさん。これパーフェクトだよ」

「ボーイズサイズだから、レディの手首には少々存在感があり過ぎるかもしれないが、君の普段のファッションになら馴染みも良いと思ってね」

「ありがとう、ございます。これなら毎日つけられるよ」

 

早速手首に装着しようとした蓮が、腕時計の裏に目を留めて動きを止めた。

 

「・・・おじさん、どうして」

「君の名前が王子様の名前だということは、コンラッドと私が共有する思い出のひとつなんだ」

 

ハーマイオニーの母も微笑んだ。

 

「モネの『睡蓮の池』という絵が、2人のお気に入りだったそうなの」

 

怜は頷いた。

 

「蓮というあなたの名前は、確かにその絵からイメージしてパパが選んだ名前よ」

「おじさんとコンラッドは小学生の時に先生に連れられて美術館に行った。モネの展覧会か何かだったのだろう。他の絵のことは覚えていないが。『睡蓮の池』の前でジーっと2人して眺めていたら、先生が教えてくれたんだ。『この花は、東洋では花の王子様と呼ばれてる』とね。泥の中に力強く根を張って、大輪の美しい花を咲かせる」

 

怜が「花中の君子、と日本語で呼ばれるの」と、テーブルの上に指を滑らせて、日本の文字らしき動きをして見せた。

 

「・・・そうなんだ。パパが言ってたことが書いてあるみたいで、びっくりした。ありがとう。本当に大事にします」

 

蓮はくっきりとした笑顔を見せて、それを左手首につけて見せた。

 

刻む言葉を決めた両親がハーマイオニーに手紙を寄越し、ハーマイオニーが蓮の目を盗んでルーン語に翻訳した言葉が書いてあるはずだ。

 

『泥の中より咲け、我が王子よ』

 

「いやあ、良かった良かった。ハーマイオニーにルーン語への翻訳を頼んだのは良いが、私たちではそれが正しいかどうか判断しようがないから、不安だったんだ」

「そうね。最初はラテン語にするつもりだったけれど、せっかくだから魔法族らしい祈りを込めた言語にすることにしたの。ね、ハーマイオニー」

「ちゃんと訳したってば。失礼ね」

 

蓮はディナーの間、ちらちらと左手首に視線を走らせては、口元をむずむずさせていた。

 

よほど気に入ったらしい、とハーマイオニーと父は、蓮がデザートを取りに行った隙に、お互いに小さくサムズアップした。


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