サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第5章 女王

ジャケットの内側のショルダーホルスターから杖を抜いた蓮が、その杖を握った右の拳を心臓の上に当て、片膝をついて頭を垂れた。

 

「レン・エリザベス・キクチ・ウィンストンと申します、ユア・マジェスティ。どうかお見知りおきを」

「もうひとつの我が国との結び手として、あなたがその父祖の如く、祖国の礎とならんことを願います」

 

蓮の頭をそっと撫でるように触れて、女王は促して立たせた。

 

「さあ堅苦しいご挨拶はおしまいよ、レン・エリザベス。ウィリアムの若い頃よりハンサムだこと。でもちょっと悪さが過ぎて執行猶予だったのですってね? 無事にこうして会えて本当に良かったわ。さ、あちらでお茶にしましょう。ミス・・・そうそう、ミス・グレンジャー、あなたもこちらへいらして。レン・エリザベス、ミス・グレンジャーをエスコートするのよ」

 

ふぅ、と息を吐いたハーマイオニーに左腕を差し出しながら、蓮は「だから心配要らないって言ったろ?」と自慢げに笑って見せた。

 

 

 

 

 

「とても厄介なことになっているようね、魔法の国のほうは。ウィリアムはそれでアメリカへ行くことになったのだとか?」

 

蓮は「ご心配をおかけして申し訳ございません、陛下」と落ち着いて応じた。

 

「英国の魔法の国は、世界的に今どういう位置付けにあるのかしら。ウィリアムは調子の良いことしか言わなかったけれど、ずいぶん急に渡米したでしょう? どうも怪しいものだと思いますよ?」

「陛下、失礼ながら、心臓の強靭さに御自信はおありでしょうか?」

 

女王は厭わしげに顔の前で手を振る。

 

「大して強靭ではないけれど、今ので覚悟は出来ました。さ、正直に説明してちょうだい」

「はい。世界的な位置付けというお尋ねですが・・・古くから魔法界が存在する国としては最低の地位にあります」

 

ハーマイオニーの心臓のほうが鷲掴みにされた気分だ。

 

「レン!」

「静かに。陛下、我が国の魔法界は、長く豊かな歴史を誇ってまいりました。ですが、その反面、新しく善きものを探求する意欲を忘れかけたまま、古さの中に澱んだ溜まりが腐臭を放ち始めたのが、この40年あまりの概要です。内政に一喜一憂し、外交に注力することを忘れ、太陽の沈まぬ英国の中にありながら、海の外への冒険を恐れました」

 

女王は真剣に蓮の瞳を見つめている。

 

「海の外の存在すら忘れた愚かな者たちが、恐ろしき疫病を患う者たちを我が国から遠ざけんと定めた法律により、諸外国に疫病を流出させました」

 

きつくきつく眉を寄せて、女王の顔が険しくなる。それにも怯まず、蓮は結論を口にした。

 

「諸外国は、英国魔法界の破滅を願っております」

「・・・つまり、ウィリアムはその状況をなんとか調整するためにアメリカへ渡ったの?」

「はい。ですが、無論、英国の内政の安定が無ければ、祖父の努力も空手形に終わるでしょう」

「当然のことね。それで、あなたはずいぶんと覚悟を決めて、わたくしにありのままの姿を話して聞かせてくれたのでしょう? 何が望みなのかしら」

 

蓮は、すっと立ち上がり、杖を振って「アクシオ」と静かに呟いた。

 

ハーマイオニーの髪を揺らし、金の鞘に納められたままの剣が蓮の顔の横に、忠実な猛禽のように並び立った。

 

その剣の柄を握り、鞘を支えて、再び片膝をついた蓮が剣を捧げ持つ。

 

「近年中に、わたくしにこの剣を抜く許可を賜りますよう、伏してお願い申し上げます!」

 

 

 

 

 

「この剣を抜くことの意味をあなたはわたくしよりは理解しているはずね」

「はい。エリザベス2世女王陛下の名代として、新たなる政治秩序を再建することと心得ております」

 

出来ますか、と女王が立ち上がった。

 

「必ずや」

「これを抜く以上、世界最低の国のままでいることは許しませんよ?」

「承知いたしております」

「魔法族もまた我が国の民です。犠牲を弄ぶことも許しません。犠牲は最小限、100年200年と続く秩序を打ち立てる自信があるのですね?」

 

その時、蓮がハーマイオニーに向かって、にこりと微笑み、隣に来るよう手招きした。

ハーマイオニーは、蓮の左隣に並んで同じように跪く。

 

「陛下、ミス・ハーマイオニー・ジーン・グレンジャーは、スコットランドの『もうひとつの国』の筆頭、ロス家の指定後継者でございます」

 

ハーマイオニーの脳内では「聞いてないわよ!」と小さいハーマイオニーがパニックに陥って大暴れを始めたが、あまりのことにどんな反応も出来なかった。

 

「祖父ウィリアムが与太物語にお聞かせ申し上げたかもしれませんが、イギリス連邦王国の『もうひとつの国』にはふたつの歯車が必要となります」

「存じておりますよ。ホグワーツ城の主人と魔法大臣ですね」

「わたくしども2人が、それぞれイングランドとスコットランドのウィンストンとロスの長き沈黙を破り、ホグワーツ城と魔法省の両輪となって、新しき秩序の礎となります。どうか・・・魔法界の恥を忍んで、忠心より伏してお願い申し上げます! どうかわたくしどもに、陛下の名代となりますことをお許しくださいませ!」

 

蓮は涙声を誤魔化すように、声を張り上げて最後まで言い切った。

 

「あなたがたは、それで良いのですか?」

 

ハーマイオニーは思わず顔を上げた。蓮は泣いてしまったことを恥じているのか、顔を上げようとしない。

 

「ミス・グレンジャー?」

「女王陛下、レディ・レンが言い忘れたことが少々ございます」

「なにかしら?」

「わたくしどもは、このたびのこの誓願をお聞き届けくださったのちには、もう二度とこのような失態で王室の皆さまを煩わせることのないよう、この剣を各々の胸に秘めて後、魔法界の円卓の魔法戦士たちの前で破壊いたします」

 

ばっ、と蓮が顔を上げた。

 

「ハーマイオニー、知って・・・」

 

わかるわよ、と蓮の手から剣を取った。

 

「いつか誰かがなんとかしてくれる・・・恥ずかしながら、魔法界にそのような甘えがあったことが、このような事態に至った最大の要因でございます。この剣を破壊することで、もう後はない、自分たちが英国魔法界の未来を切り開くのだと、強く誓わなければ、この逆境を乗り越えることは困難でしょう。ですが、陛下、ウィンストンとロスは、英国王室への忠誠を決して忘れることはございません。わたくしどもの命ある限り、たとえこの剣を破壊しようとも、陛下の御英断を胸に、英国の世界に誇る魔法戦士として、新しき秩序のために働くことを、今ここにお誓い申し上げます」

 

並んで頭を垂れた2人の上で、女王が溜息をついた。

 

「このような若いレディたちに、そこまでの覚悟をさせるとは、なんと情けない・・・あなたがたに、英国の『もうひとつの国』を任せるならば、17歳のレディが金輪際、このような事態の始末をつけるために剣を手に取ることのない国を作ると誓いますか?」

 

 

 

 

 

夜の騎士バスのシートを倒して、冷えたタオルを目を覆うようにかけたまま脱力している蓮の脚を蹴った。

 

「少しぐらい心の準備をさせておきなさいよね」

「・・・ごめん」

「わたしがロス家の指定後継者っていうの、いまだによくわからないんだけど」

「ミネルヴァ、ママ、ハーマイオニー、の流れ・・・わからないくせに、大きく出たよね?」

「剣を破壊するつもりなんだろうな、とはわかっていたわよ。あなたの考えそうなことぐらいね。他力本願を根本的に叩き直すために剣を破壊する、だけどそのまま放り出すのは無責任、ウィンストンの剣無しで魔法界を支える、即ち、自分がホグワーツ校長、同時にグレンジャー魔法大臣。ここまではわかってたわ。ロス家まで引っ張り出すとは思わなかったけど」

「・・・最初はそんなつもりはなかったんだ。ミネルヴァやママとはロスの魔法的権限はハーマイオニーに、って話し合いは済んでるけど、今日言うつもりはなかった」

 

それで? と蓮の靴を蹴りながら促した。

 

「陛下の雰囲気、かな。直感的に、思ったんだ。わたくしひとりが背負うってカッコつけても信じないだろうなって。でも、イングランドとスコットランドが2人揃ってれば、まだマシだと思った」

「正解だったみたいね」

 

うん、と蓮が掠れ声を発した。

 

 

 

 

 

「レディ・レン、レディ・ハーマイオニー、顔をお上げなさい」

 

心臓が破れそうなぐらい激しく鼓動を打っている。

 

「このような申し出があることは、予想していました。首相は、頭がおかしいとわたくしに思われることを恐れてか何も報告はしませんが。歴代の首相全員がそうですからね。わたくしはウィリアムを通じて『もうひとつの国』の出来事を承知しているので、朝食会の席上などで無邪気にそうした事件について質問しては、歴代首相が赤くなったり青くなったりするのを見て溜飲を下げてきたものです」

「はっ・・・」

「ウィリアムが渡米してからはレディ・レイが連絡役を引き受けてくれました。明晰な方ね。あまり長居はなさらないけれど、魔法界の事件がニュースで報道される時の見抜き方を教えてくれたので、首相が隠していても、概ねわかるようになったのよ。そうした観察の結果、ウィンストン家だけにこの責任を背負わせることを危惧していました。もう、一貴族が大鉈を振るって片を付ける時代ではないだろうと思います」

「はっ・・・力及ばず」

 

ですが、と女王は蓮の謝罪を断ち切るように声を張り上げた。「あなたがたは、わたくしの想定以上のプランを呈示しました。イングランドとスコットランドが堅い契りを結んだ上で、王権の象徴たる剣を捨て、国を支える両輪となるプランです。やってごらんなさい」

 

「陛下・・・お許しを・・・」

「許します。わたくしの名代として、ウィンストンの名のもとに、トム・マールヴォロ・リドルを打ち倒すことと、新たなるホグワーツ城の王、新たなる魔法大臣の任命を、あなたがたに許します。ですが、同時に堅く誓いなさい。もう二度とこのような失態は許しません! 本当なら、あなたがたにこのような厳しいことを言いたくはありません。魔法大臣、前魔法大臣、ホグワーツ城の王を首相を通じて呼び出して、厳しく追及したいところですが、それをしてしまうと、あなたがたがやりづらくなるでしょう。ですから、わたくしは首相には知らぬフリを通すとします。その代わりに、あなたがたの誓いを受け止めます」

 

女王は、ハーマイオニーの手から剣を取り、蓮の肩に当てた。

 

「レディ・レン・エリザベス、我が国の誇る魔法戦士として、新しき秩序のために剣を抜き、城を守りなさい」

 

蓮は杖を取り出して、心臓の上に当てた。

 

「我が父祖の名に懸けて、お誓い申し上げます。必ずや」

 

女王がハーマイオニーの前に移動して、肩に手を添えた。

 

「レディ・ハーマイオニー・ジーン・グレンジャー」

「はい」

「我が国の誇る優れた魔女として」

 

女王が左手を上げて、ダウジング街の方角を指で示した。

 

「あそこに君臨なさい。小さく貧しき魔法の生き物に至るまで、あなたの愛を捧げるのです」

 

ハーマイオニーは目を細めてダウジング街のシルエットを見遣った。それから杖を取り出し、蓮と同じように心臓の上に当てた。

 

「お約束いたします。必ず。必ず、小さく貧しき魔法の生き物に至るまで、あまねく陛下の思し召しを届けることを」

 

 

 

 

 

グリフィンドール塔にたどり着いたのは消灯時間ギリギリだった。

 

「つっかれたー。腹減ったー」

「スタン・シャンパイクが気を利かせてマクドナルド経由してくれたんだから、もうちょっとよ。ほら、ちゃんと歩いてったら!」

 

蓮の背中を押して肖像画の扉をくぐると、パーバティとネビルが見えた。

 

「いいからおまえらもう寝ろ! 出てくんなよ!」とロンが男子寮の階段に向かって他の生徒たちを追い立て、同じことをハリーが遠慮がちに女子寮の階段から2メートル手前で「僕たちだけにして欲しいんだ。レンとハーマイオニーの成人だからね」と訴えている。

 

その4人が並び、寮が静かになると、ハリーが「どう、だった?」と遠慮がちに口を開いた。

 

ハーマイオニーと目を見合わせた蓮は、唇の端をくっと上げて、コートの中に隠すように抱えてきた剣を高く掲げた。

 

「女王陛下の許可は出た!」

 

ハリーとロンが雄叫びを上げて蓮に飛びつき、短い髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。「やったぜ! 認めてもらえたんだな?! 君が大臣を任命していいんだな?!」

 

「うわぁ! 落ち着けってば! すぐにとはいかないよ!」

「わかってるよそんなの! 慎重にならなきゃいけないんだろ! でも今夜ぐらい楽しもうぜ!」

 

ハーマイオニーは、その騒ぎをよそに、落ち着いてキャリーケースから3本のシャンパンを出してネビルに渡した。

 

「振って、ネビル」

「ハーマイオニー、でも」

「いいから振って!」

 

 

 

 

 

肖像画の扉の「太った婦人」の前で、ミネルヴァは咳払いをした。

 

「あらミネルヴァ、あの子たちならもうつぶ・・・眠りましたわよ」

「あなたにも振る舞われたようですね?」

「姫さま2人の成人のお祝いなのよ、ミネルヴァ。今日ぐらいはやかましい小言は抜きにしてあげてくれない?」

 

扉をくぐり抜けたミネルヴァは腰に手を当て、顔を押さえて俯きがちに頭を振った。

 

ぐしゃぐしゃに乱れた髪、解けかけたネクタイ、ジャケットをどこに脱ぎ捨てたのか、ベストの下から尻尾のようにシャツを垂らした放蕩王子が、シャンパンのボトルとマクドナルドの袋を抱えてソファに転がり、鼾をかいている。

その足元の床にはハリーとロンが大の字で、ハリーはうつ伏せ、ロンは仰向けで、やはり鼾をかいている。

パーバティと2人でコーヒーテーブルに突っ伏した、ふわふわのくせっ毛を見つけて思わず「あなたまで放蕩してどうするのです」と呟いた。

 

トン、トン、トン、と男子寮の階段を下りてきたネビルは「やーばい。飲み過ぎたかなぁ。トイレでちょっと寝ちゃったぁ」と言いながら、蓮が抱えたボトルを取り上げようとした。

 

「ん! とるなぁ!」

「ひとりじめしすぎ!」

 

それを放置して、ミネルヴァはハーマイオニーを揺り起した。

 

「ウェンディじゃないわよ、レン。用はウェンディに」

「グレンジャー、静かに。周りを起こさないよう、静かに起きなさい」

 

ミネルヴァの声が聞こえた瞬間、ものの見事にパチッと目を開けて、ハーマイオニーは固まった。

 

「今夜ぐらいはお咎め無しにします。あなたには話がありますから、ついていらっしゃい」

 

 

 

 

 

ミネルヴァの部屋に入ると、ハーマイオニーは急いで手櫛で髪を整えてから、示されたソファに座った。

 

「バッキンガムの肖像画のひとりから連絡がありましてね」

「あ、ああ。バッキンガムにも肖像画を送り込んであるんですね」

「当然です。蓮のことですから、あなたにはろくに説明していなかったのではありませんか?」

 

ハーマイオニーは小さく笑った。

 

「もう慣れました。それに、なんとなく予想していましたから」

 

ミネルヴァは眉を上げた。

 

「ウィンストンの剣のことです。破壊するつもりだろうな、と。自分が引き受けて済む範囲までなら、レンは平然と引き受けて、澄ました顔をしていたと思います。でも・・・今の時代、問題が多過ぎて、自分ひとりじゃ済まないから、責任を先送りにしないためには、破壊しようとするだろうなと」

「それに付き合わされることに異存はないのですか?」

「付き合わされる、と本気で思ったことは一度もありません。ハリーのトラブルでも、レンの企みでも。結局、わたしが放っておけないだけなんです」

「ロス家のことについては?」

 

ハーマイオニーは肩を竦めた。

 

「魔法的権限だけのことですよね? ロード・オブ・パーラメントの地位を再興するとなれば、さすがに無理ですけど、魔法的権限を有して、ホグワーツ城をどうにかする魔力の提供というだけなら、なんとかなりそうな気がしています」

「ふむ・・・非常にざっくりした認識ではありますが、今のところはそれで良いでしょう。ウィンストン家と違い、ロス家のほうは、これから段階を踏まなければなりません。まずは、わたくしが、不本意ながら、一時的に、ロス家の直系相続人としての手続きに入ります。それが完了したら、怜を指定後継者にして権限移譲を行い、その次が怜からあなたへの権限移譲です。ウィンストンの剣ほどわかりやすく見栄えのするものではありませんが、レガリアも一応あります」

 

ハーマイオニーは、じり、と後退りかけた。

 

「いえ、え、さすがにわたしの血じゃ、ゴブリン製の金属は反応しないと思います、よ?」

「問題なく反応すると推定しています」

 

さ、とミネルヴァは立ち上がった。「ウィンストンとパチルを起こして部屋に引き上げさせなさい。朝まであのままにしておくわけにはいきません」

 

ミネルヴァに背中を押されて、ハーマイオニーは慌てて「先生、心の準備のためにヒントを!」と訴えた。

 

「ウィンストンの剣は魔法界の旧家の中では知られた存在です」

「そうですね」

「ですが、それが抜かれたことは公式にも非公式にも、一度たりともありません」

「そうだったんで・・・え?」

「ヒントはここまでにしましょう。さっさとパチルとウィンストンを片付けなさい」

 

無情にもドアは、ハーマイオニーを追い出した途端に閉まった。

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