サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第12章 復讐の心は地獄のように我が心に燃え

スラグ・クラブのパーティにスーザンを伴って出席した蓮はハーマイオニーの姿を見て、ぱくぱくと口を開け閉めした。

 

「レン?」

「あ、ああ、スーザン、ごめんね。はい、ストールを貸して。クローク係に預けてくる」

 

スーザンのストールを預けに行くと、クロークにはネビルが立っていた。

 

「やあレン。相変わらずカッコいいよ。それスーザンのかい? よしきた、こっちで預かろう。君のコートも」

「てか、何やってるのさ」

「バイト。有毒食中蔓の手入れした時に切った葉っぱを内緒でスラッギーに売ってたんだけど、もっと金になる手伝いをしてくれって頼まれてさ。これをあと3回もやれば、ミンビュラス・ミンブルトニアをもうひと鉢増やせるんだ。そうしたら、交配可能になる」

「そか。君の趣味にかける情熱は素晴らしいけど・・・なんでハーマイオニーの相手がアレなんだ?」

 

ネビルはスーザンのストールを受け取り、蓮のコートと同じ番号をつけて保管棚にしまった。

 

「・・・女の子ってのは、復讐のためなら手段を選ばないんだなあと、ハーマイオニーを見てると思う」

 

 

 

 

 

「過剰な謙遜は良くないね、スーザン。尤も、アメリアにもそういうところはあったから、ボーンズ家の気質かもしれない。しかしアメリアはそこから一歩二歩と踏み出して偉大な魔女になったのだ。君も、自分の可能性の輪を少しずつ広げていくといい」

 

スラグホーンは予定通り、スーザンと好意的に知己を得ることに成功した。それをスーザンの傍に立って聴きながら、蓮の目は、なぜかルーナと同伴しているハリー、穏便にパドマを連れてきたパーバティをチェックした。

しかし、ハーマイオニーが見当たらない。スリークイージーの直毛薬をハリーの金庫に貢献するほど使っていたくせに。

 

「スーザン。しばらく外しても平気? すぐ戻ってくるよ」

 

蓮はそう囁いて、さっきからひらひらと不自然に揺れるカーテンに滑り込んだ。

 

「・・・レン!」

「なにを馬鹿な真似してるんだ、ハーマイオニー。パートナーと喋りたくなくなるぐらいなら、マクラーゲンなんか誘うことないだろ」

「誰を誘おうとわたしの勝手よ、やだ、こっちに来るわ隠して!」

 

蓮の背後の重い天鵞絨のカーテンにハーマイオニーは飛び込んだ。

 

「やあウィンストン、ハーマイオニーを見なかったか?」

「君を探しながら海老や貝を貪り食ってた。どっかそこらへんにいるんじゃないか?」

「慌てて騒ぐわけにいかないな。そうだ君、成人したんだって? スラッギーから聞いたが、ゴドリックの森の狩には君が出るそうだな」

「ああ、出るよ」

「大臣を招くのかい?」

「話を聞いてなかったのか? ゴドリックの狩に魔法族は招かないんだ。マグルの貴族やセレブからチャリティとして余った金を搾り取るためのイベントなんでね」

「僕なら問題なく紛れ込める。鹿も獲物か?」

「魔法族は招かない。君は猟銃を使えるのか? 鹿には矢じゃ間に合わないぞ」

「杖でバァンさ」

「・・・繰り返しになるが、魔法族は招かないんだ、マクラーゲン。マグルに紛れ込むどころか、杖を振り回さない魔法使いを探すのが極めて困難だからね。いずれにせよ、鹿を撃つのはわたくしだ。畑に出るらしいから、少し数を減らす必要はあるけど、乱獲は認めてないからグランパの代理で見世物として3頭だけ撃つ。ヒッポグリフに乗って杖でバァンじゃなく、馬に乗って猟銃でバァン! その芸当を覚えたらしぶしぶだけど招待を検討してやってもいいから連絡しろ。鹿は撃たせないけどな。さーて、そろそろスーザンのところに戻らないとエスコート失格だ。君もハーマイオニーを探せよ。ハーマイオニーの好物はカンガルーのジャーキーだ。あっちのテーブルの下あたりが怪しい」

「テーブルの下だな、よし」

 

マクラーゲンが出て行くと天鵞絨のカーテンを蹴った。

 

「・・・目くらましをかけてやるよ。わたくしとスーザンについて離れるな」

「恩に着るわ・・・ちなみにわたしはカンガルーのジャーキーなんて食べません」

「追い払ってやったんだ。別にいいだろ、これからもマクラーゲンと付き合うわけじゃないんだから・・・あいつの頭はあれが通常営業なのか? それともハーマイオニーって名前の犬でも飼ってるのか? テーブルの下を本気で探してる。っていうか、カンガルーのジャーキーなんかパーティに出るわけないだろ、ジョークだって気づけよ・・・やあ、スーザン、待たせてごめんね」

「レン。もう大丈夫なの?」

 

蓮は肩を竦めてスーザンの右手を取り、左腕に絡ませた。

 

「復讐の心に燃えた夜の女王が迷子になってたから救出して来たんだ。今は透明になってわたくしの背後に張り付いてる」

 

スーザンは溜息をついて、テーブル席を指した。

 

「ねえ、レン、そろそろ座らない? 靴のせいで足が痛くなってきたの。あのテーブルならわたしたちだけでゆっくり座れそうよ」

「いいね。おい夜の女王、テーブル席の一番奥に座れ」

 

透明になったハーマイオニーをテーブル席の奥に座らせ、蓮とスーザンが手前に座って、余人を拒む雰囲気を醸し出した。

 

「マクラーゲンと狩の話ばっかり出来るんだから、あなたがマクラーゲンと来れば良かったのよ。ね、スーザン? 今度からわたしにあなたをエスコートさせて」

「ハーマイオニー・・・そもそもどうしてマクラーゲンなんて誘う気になったの? レンがわたしを連れて来ることはスラグホーン先生が広めたんだから、パーバティみたいに女の子を連れて来ても良かったのに」

「しかもハリーはルーナを連れて来といてダンスフロアに放置だ・・・なんだあの踊りは」

「スーザン、構わない?」

「そうね、ハーマイオニー・・・レン、行って。ルーナをダンスに誘って。一般的なダンスに。そうしたら他の人もフロアに入れるし、あなたはルーナを上手くハリーのところに連れて行けるわ」

「夜の女王はどうする?」

「誰が夜の女王よ・・・」

「わたしはここで健気にあなたを待ってる。影と2人で。あなたの戻ってくる席をキープしておくわ」

 

しょうがないな、と小さく舌打ちして、蓮は立ち上がりダンスフロアに向かった。

 

 

 

 

 

「夜の女王のアリアねえ・・・」

 

スーザンが蓮の背中を見送って小さく笑った。

 

「おばさまがオペラがお好きなの。ビデオ・・・CD・・・とにかく、録画や録音したものがレンの家にはたくさんあるから覚えたのよ。あら? でもスーザン、あなたも知ってるみたいね?」

「伯母の趣味で。うちには伯母の部屋があるの。今はもうわたしの2つめの部屋になったけど。マグルのステレオが置いてあって、オペラのレコードがたくさん揃ってるわ。そのために我が家は電気を通したの。電気料金は伯母が支払うことにしていたから、今はその変更の手続きをレンのお母さまにお願いしてるところ」

「あなたのご両親は進歩的な方々なのね」

 

ハーマイオニーが感心して、スーザンの陰にグラスを隠しながらシャンパンをひと口飲んだとき、ジャスティンがスーザンを誘いに来た。

 

「スーザン、踊らないか? 君のパートナーはラブグッドの子守で忙しいみたいだ」

「大丈夫よ、ジャスティン。レンはすぐ戻ってくるから」

「だったら僕がそれまでここに座っても?」

「パートナーのために空席を守ってるの。ごめんなさい、ジャスティン。あなたは他の誰かと楽しんで」

 

ジャスティンは肩を竦めて紳士らしく立ち去った。

 

「・・・ごめんなさい、スーザン。わたしのために。ジャスティンはあなたとダンスしたかったんじゃないかしら?」

「そうみたい。でも今夜のわたしのパートナーは、もうあなたたちだと決めてるの」

「いいの?」

 

ハーマイオニー、とスーザンは、ルーナを捕獲して一般的なダンスに挑戦させている蓮を見つめたまま呟いた。「いろいろな意味で伯母の遺志を継ぐことに決めたわ。レンとお母さまを守ることが伯母の遺志よ。それがある程度軌道に乗るまでは、ボーイフレンドの件は後回し。だいいち、ジャスティンとわたしが交際するには、乗り越えなきゃならないハードルが高いの。レンのエスコートを受けるのはその練習にもなるわ」

 

「・・・そうか、そういえば、彼の家はそれなりの階級のはずよね」

「フレッチリー子爵家よ。ご家族以外に、マグルの執事とハウスキーパーがいるから、フクロウじゃなく電話をかけるように心がけなきゃならないの。なにしろイートン校に通ってると執事とハウスキーパーは信じてる。彼と結婚することにでもなったら、レンと同じヒースフィールドの卒業証書が必要になるんじゃないかしら」

「そこまでイメージしてるってことは、あなたにもそのつもりがあるんでしょう? レンの相手なら気にしなくていいのに。誰もパートナーがいなくたって、最終手段としてトイレのマートルがいるんだから」

 

イメージした結果今はレンの相手をするべきだと思った、とスーザンは独り言のように頬杖をついてテーブルに俯きながら呟いた。

 

「レンやあなたの近くにいると、ジャスティンと釣り合うには、わたしからはまだマグルの上流階級は遠いということがわかるの。その部分を穴埋めしなきゃ、ジャスティンに応える気にはなれない。穴埋めするには、あなたたちの近くにいることが大切な気がする。ハーマイオニー、あなただってそうよ。今夜のパートナー選びは、あなたには珍しいエラーだったけど、基本的にあなたにはこういうことをスマートに切り抜けるスキルがあるでしょう? レンもあなたも、家庭環境がそういうクラスだから」

「一応我が家は労働者階級のつもりよ。両親とも働いてるし不動産収入はないから。でもまあ・・・パパが、レンのお父さまと同じ私立の小学校に通わせられていたことを考えると・・・ああ、それは祖父も同じような経歴らしいんだけど・・・何かしら階級を意識する家族の歴史はあるかもしれないわね。でも」

 

またスーザンの陰でシュリンプカクテルを掻き込んだ。

 

「こういうお行儀で暮らせる程度には労働者階級よ」

「どんなお行儀か見えてはいないけどね、ハーマイオニー、あなたもレンも、社交の場でエラーを取り繕うことさえスムーズに出来る人たちなの。さっきからわたしの陰で飲み物も食事もしてるみたいだけど、普通はそんなこと出来ないのよ?」

「ジャスティンはマグルの貴族になるつもりなの? そうじゃないならそんなに気にする必要はないと思うわ」

「お兄さまがいらっしゃるから、ジャスティン自身は魔法省かグリンゴッツを進路として考えてるみたい。でも、ご家族を戸惑わせるようなガールフレンドにはなりたくないの」

 

ふむふむ、とハーマイオニーは腕組みをして頷いた。

 

「その気持ちは理解できるわ。へんに引け目を感じるだけで身を引くのには賛成できないけど、多少のレッスンを積むだけで、ご家族やご親戚との関係が円滑に維持出来るのならその方がいいもの。ちなみに、円卓会議には経済界を変革するメンバーも必要よ。彼がグリンゴッツに入ったなら、是非いろいろと話し合ってみたいわね」

「・・・だからロンの気持ちも、多少は想像できる」

 

スーザンが声を落とした。

 

「女王陛下から直接お言葉をいただいて、魔法界の頂点に立つような女の子をガールフレンドにするには、自信と勇気が、想定以上に必要だと思う。ラベンダーが相手なら、必要のない自信と勇気がね」

「・・・スーザン?」

「あまりカッカしないで、しばらく時間をあげたら? ジャスティンはわたしにその時間をくれたわ」

 

レンが無事にルーナの手をハリーに引き渡したのか、スーザンが右手を挙げて合図した。

 

 

 

 

 

スーザンをハッフルパフの寮の入り口まで送り届けた蓮が、ハーマイオニーを探して彷徨わせる手を掴んだ。

 

「帰るよ」

「・・・はい。いろいろとご面倒をお掛けします」

「まったくだ。ロンを誘うわけにはいかなくなったのは理解できるけど、よりによってマクラーゲンを誘うなんて、トラブルを拡大するだけだろ」

 

手を繋いで帰る道々、蓮が唇を尖らせて文句を言う。

 

「スーザンに叱られちゃった。ロンに時間をあげると思いなさい、って」

「・・・どういう展開からその部分に至ったかはわかんないけど、スーザンなりに観察した結果だろ。素直に受け止めて参考にしろ」

「あなたはジョージが身を引くと言った時、どう思ったの?」

「最近みんなジョージのことを蒸し返すよね」

「すごく気になるテーマなのよ」

「あの時のわたくしは今とは違う人間だ。わかってるだろ。それを踏まえた上で答えるなら・・・いっそイギリスから逃げようと思ったよ。日本で弁護士になることを考えた。ウィンストンの立場が問題だというのなら、日本の弁護士になればいい。日本とイギリスに離れてしまって関係が続かないのなら、ウィンストンの件はただの言い訳だとはっきりする」

「今はどうなの?」

「アルジャーノンになったことで、全部リセットした。ママとの関係、他の家族との関係、ジョージとの関係、いったんきれいに更地にして、そこにどんな花が咲くのか楽しみにしてる。ただね、ハーマイオニー、ジョージとわたくしが付き合うには、大きなハードルがあるから、可能性は高くないと考えてるよ」

 

ハードル? とハーマイオニーは囁き声を返した。

 

「うん。率直に言って、わたくしは理想的なガールフレンドの枠から遠いキャラクターなんだ。以前のわたくしはいつもそのジレンマでジョージと揉めてた記憶がある。手を繋いでホグズミードに出かけて、マダム・パディフットの店でキスを見せびらかす。ダンスパーティへのジョージの誘いをじっと待って、ジョージの演出の準備が整ったら、そのお誘いに感激してキスをする。どれもこれもわたくしには不可能な芸当だ」

「・・・そうだったわね」

「ジョージはかなり譲歩してくれたから、わたくしもそうしようと考えはしたんだよ。以前のわたくしはね。だけど、ジョージの言葉が大きなハードルになった」

「彼はあなたに何を?」

「『俺じゃウィンストン家のレディに相応しい生活をさせてあげられない』」

 

ハーマイオニーはしばらく言葉を失った。蓮を養うつもりでいたということが衝撃的で。

 

「ジョージらしい発想だとは思う。アーサーおじさまのように妻子の暮らしを支えるのが大人の男性のあるべき姿だと刷り込まれてる。それは一般的な男性の志としては望ましいものだと思うよ。でもわたくしは逆の環境で育った人間で、わたくしはモリーおばさまのような良き妻・良き母には絶対になれないんだ。なるわけにはいかないんだよ」

 

ハーマイオニーは黙って蓮の手を握り締めた。

 

「・・・3フクロウでホグワーツ中退。そんなことは正直なところ、わたくしにはどうでも良かった。わたくしにとって生活費を誰が稼ぐかってことは、全然大した問題じゃないんだ。金庫の中に入れてしまえば、それが誰が稼いできた金貨だろうとわかるもんか。何百年分の金貨があるかさえわかんないんだ。ひいじいやじいじは世界じゃやたら高名らしいけど、日本にいる時はただの無職の胡散臭い外国人。わたくしの中には、夫に収入や地位を求める感覚が致命的に欠如してる。そんなことよりも、わたくしの社会的な活動を制限しない男性かどうかが重要なんだ」

「あなたの家庭環境を知ってるから、わたしにはそれはよく理解できるわ。でも・・・ウィーズリー家で育った彼には、難しいことかもしれない。アーサーおじさまの収入だけで7人の子供たちを立派に育て上げたモリーおばさまの生き方は尊敬すべきだと思う。アーサーおじさまだって、魔法省でトントン拍子に出世なさるタイプじゃないから、屈辱的なこともたくさんあるでしょうに、家庭では温厚で寛大なお父さまとして振る舞っていらっしゃる。素敵なご夫婦だわ。でも、それが出来る人ばっかりじゃないものね」

「うん。アルジャーノンになって、いろいろリセットした今の時点では、ジョージを好きで付き合ってた記憶はあるけど、理性的になって考えると無理の多い関係だという感想しか持てない。冷たいようだけど、それが本心だ」

 

階段を上ってしまったところで、蓮がそう言葉を結んだ。

 

 

 

 

 

部屋に戻って目くらましを解いてもらい、着替えながらハーマイオニーは蓮に問いかけた。

 

「3フクロウもホグワーツ中退も悪戯用品店もあなたにとっては問題じゃないのよね」

「そうだね」

 

タイを解いて蓮が頷く。

 

「じゃあ、ジョージの発想の転換ひとつで問題は全部解決するということなんじゃない?」

「それだけじゃないよ。わたくしはホグワーツの教授になるつもりだ。既婚の教授の比率の少なさを考えると、家庭生活に無理があると推測出来る」

「そうよね。マクゴナガル先生だって若い頃はおきれいな方だったと思うんだけど独身だし」

「・・・結婚してるよ」

 

ハーマイオニーは脱ぎかけたドレスローブを床に落とすほどに驚愕した。

 

「離婚はしてないから結婚してるって表現で間違いはないと思うけど。わたくしが4歳だったかな、そのぐらいの時に結婚したし、ホグズミードに家を持ってる。結婚して数年でご主人は亡くなった。有毒食中蔓に刺されてね。だから未亡人と表現すればいいのかな」

「ど、どうしてまたその歳まで独身で」

「ミネルヴァにはわたくしが喋ったとは言うなよ。初めてのボーイフレンドは故郷のジョン・オ・グローツの青年だった。今のわたくしたちぐらいの頃に知り合ったんだ。グラマースクールの同級生のボーイフレンドとしてね。名前はミスタ・マクルーハン。マクルーハン青年はガールフレンドの友人に数回会ううちに恋をしてしまった。ミネルヴァもだ。マクルーハンはガールフレンドと別れてミネルヴァと結婚することを考えるようになった。ところが、ホグワーツを卒業して帰省したミネルヴァは魔法法執行部への入省を控えてた。悩んだ末に、ミネルヴァはマクルーハンを捨てることに決めた。ジョン・オ・グローツ村でマグルを装って暮らしていくことは自分には出来ないししたくない。マクルーハン青年との結婚はミネルヴァにとっていわゆる墓場だったんだ。でも彼を捨てたことはミネルヴァの中では自分でも許し難い罪だった。法執行部で仕事に生きようと決めた。ところが!」

 

蓮はシャツのボタンを全部外したまま、後ろ向きにベッドにダイブした。

 

「と、ところが?」

「法執行部の研修で指導官だったミスタ・ウルクァートから求婚されたんだ。ミネルヴァの人生最大にして最後のモテ期。不器用界の前女王ミネルヴァは、魔法省を突然退職して、ホグワーツに逃げ込んだ」

「ちょっと! マダム・マクシームは混血だからだっておっしゃったわよ?!」

「それはミネルヴァ本人が公式設定として広めた言い訳だ、言い訳。本人を見てみろよ。混血で出世が望めないなんて理由で戦うのをやめるような性格か?」

「・・・そ、そう言われてみれば、違う気もするけど」

「ミスタ・ウルクァートに惹かれてもいたんだろ。でも、ミスタ・マクルーハンを捨てた自分が許せず、新しい恋をした自分も許せず、ホグワーツでグリフィンドールの寮監になって結婚しない理由にしたんだ。ミスタ・マクルーハンが心臓発作で亡くなるまで。ミスタ・マクルーハンが亡くなると、憑き物が落ちたのか知らないが、ミスタ・ウルクァートの通算50回目ぐらいの求婚を受け入れて結婚した」

 

かちゃかちゃとベルトを外しながら蓮が説明する。

 

「まあ、ミスタ・マクルーハンが親友のボーイフレンドだったっていう罪悪感もあったんじゃないか? ミセス・マクルーハンは、ミネルヴァが魔女と知っても、魔女の友人たちごと受け入れる人だった。今はアル中だけど、不死鳥の騎士団の婆さん連中の協力者って人だ。ある意味人格者。だからさ、ジョン・オ・グローツ村で、親友の目と鼻の先で結婚なんて出来なかったんだ。それはそれでさっさと切り替えてミスタ・ウルクァートを受け入れればいいのに、それも自己嫌悪から許せない。あの人、マジめんどくさい人なんだ。ママと同じぐらいめんどくさい」

 

靴ごとズボンを脱いで放り投げる。それを拾って、代わりにスウェットパンツを顔に向かって投げやりながらハーマイオニーは溜息をついた。

 

「あなたの言う『めんどくさい』って、もしかしてそういう意味なの?」

「そういう意味がどういう意味かはわかんないけど、ミネルヴァ、めんどくさい。ママ、死ぬほどめんどくさい。ハーマイオニー、言うと殺されるけどめんどくさい」

「こう・・・手がかかって付き合いきれない、とかじゃなく?」

「なんでわたくしがミネルヴァやママやハーマイオニーに手間暇かけなきゃならないんだよ? 逆だろ? みんながわたくしのお世話係だ。あ、靴はそこらへんに放り込んでいいよ。ドレスローブも丸めといて。ウェンディが回収に来る」

 

ハーマイオニーは蓮のパンツから外したベルトをビンと鳴らした。

 

「・・・ベルトは?」

「ドレスローブと一緒にテキトーに・・・って、うわあっ!」

 

ビチィ! と蓮が飛び退いたキルトの上にベルトが風を切って叩きつけられた。

 

「殺す気か!」

「わたしの悩みやその他諸々の心情に対する配慮の欠如は、鞭打ちに値するわ。あなたに『めんどくさい』って言われるたびに傷ついたのよ!」

 

 

 

 

 

いちち、と蓮がシャツの背中を気にしながら階段を下りると、ロンとラベンダーが階段を遮ってキスに没頭していた。

背後からパーバティの溜息が聞こえる。

 

「はーいはいはいはいはい。引っ付きたきゃ通行の妨げにならない場所を選べよー」

 

わざと割り込んで引き剥がしながら、蓮が下りて行った。

 

「あ、ご、ごめんな、レン」

「ロン、わたくしはチャールズとダイアナの離婚で、やっと爽やかな朝を楽しめるようになったんだ。朝っぱらからチャールズとカミラが愛を囁き合う音声を聞かされるような拷問の経験があると、朝っぱらから舌を使うキスを目の前で見せられたくないと心底から思うようになる。部屋にダイアナを置いてきて本当に良かった。チャールズとカミラのキスシーンをダイアナに見せるほどの残虐趣味は無いからね」

 

ラベンダーには伝わっていないが、ロンには皮肉が伝わったようで、恥じ入るように耳を赤くした。パーバティがラベンダーと腕を組んで肖像画の扉をくぐり抜ける。

 

「君が誰と付き合おうが君の勝手だ。でも、うちの子に見せつけるような愚劣な真似を今後も続けるつもりなら、骨身に沁みる制裁の必要性を感じている」

「わ、悪かったよ。ラベンダーを階段下で待ってただけなんだ、ほんと。たまたまちょっとそういう雰囲気になっただけなんだ。それにハーマイオニーならそんなに気にしやしないさ。僕のことなんか何とも思ってないんだし」

「わたくしに冠せられたありがたい称号を君にやろう。この『にぶちん』が!」

 

やだレンまだそんなところにいたの? という声が聞こえると、ロンは長い脚をもつれさせるようによろけながら、寮を出て行った。

 

「いたよう。夜の女王をマクラーゲンから守る騎士が必要だと思ってね」

「あらありがとう。でも大丈夫よ。適当にあしらって距離を置くわ。背中は大丈夫?」

「ちっとも大丈夫じゃない。ヒリヒリしてる。マダム・ポンフリーに診てもらうわけにもいかないから、昼休みにハーマイオニーとパーバティとで治療法を見出してくれ」

「どうして? マダムならすぐに」

「・・・親友の孫に、裸の背中をベルトで叩かれて喜ぶ趣味があるとわかったら、あの人なら回覧板を回して笑い者にする。そしてわたくしにはばあばから吠えメールが届く」

 

顔をしかめた蓮がハーマイオニーを睨むように見下ろし、気の毒に思いながらも、朝から合わせ鏡で背中の状態を確認した時の情けない顔を思い出して笑いが止まらなくなってしまった。

 

「・・・自分でやっといて、よくそれだけ笑えるな」

「ご、ごめんなさい。昨夜のパーバティの顔も見ものだったけど、今朝のあなたの顔ったらもう・・・あら、おはよう、ルーナ」

「おはよ、ハーマイオニー・・・ウィンストン、背中痛いの?」

「痛くないよルーナ、おはよう」

 

必死の澄まし顔でルーナとジニーのために大広間の扉を開ける蓮を見て、ハーマイオニーはやっとここ最近の溜飲を下げた。


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