ギィギィと垂木を軋ませてパイアス・シックネスが吊るされている。
「・・・お、お断りします。私は確かに無能な男だが、法の重要性と独立性を侵害するわけにはいかない。アメリアやレイのような偉大な仕事は出来ずとも、彼女たちに顔向け出来ない真似をしようとは思わない」
鋭く杖が振られ、シックネスは身も世もなく泣き叫んだ。そのくせ、ロープが身体に食い込む音を聴かせながらも、やはり闇の帝王の言葉に頷こうとしない。
「無駄な反抗をするものよ。俺様の服従の呪文に抵抗出来るわけでもないというのに、なぜ苦痛を選ぼうとする」
「ぐふ・・・ふ、服従の呪文に抵抗する気骨などないかもしれないが、己の理性のある限り、職務に忠実でありたい」
アンモニア臭が鼻をつく。
帰省出来るクリスマス休暇をホグワーツで過ごすわけにはいかなかった。選びようがない。母上ひとりに全て任せてしまうわけにはいかないじゃないか。
「ふむ。天晴れな姿勢だ。俺様は忠誠を高く評価する。では楽にしてやるとしよう。インペリオ!」
失神したシックネスを吊るすロープを切ると、べちゃり、と自分の尿の中に抜け殻のローブのようにシックネスが崩れ落ちた。
ぺちゃぺちゃと下品な音を立てて、長いダイニングテーブルで下賎な者たちが食事をしている。
ドラコは出来る限り顔の筋肉を強張らせないように気をつけて、母や伯母に話し掛ける。
「無論です、伯母上。キャビネットの修理は進んでおります。魔術具のような無機物の移動ならば確実にクリアして、今は果物で実験を重ねているところです。果物が傷まない形で移動する確率が高まれば、次は小動物の実験に入る予定です」
「さっさと済ませておしまい!」
「お姉さま。ドラコは闇の帝王とそのしもべを輸送するためのキャビネットを修理しているの。万一があってはならないからこそ、より慎重に取り組んでいるのよ。そうなのでしょう、ドラコ?」
「はい、母上。急いては事を仕損じます。闇の帝王の玉体に傷ひとつつけることは許されませんから」
「ふむ。良い心がけだ、ドラコ。仕事は早いに越したことはないが、拙速な真似をする必要はない。確実な成果を期せよ」
「はっ。ありがたきお言葉」
「しかし永遠に時間をやるわけにはいかぬ。この学年が終わる前にカタをつけることだ。あちらのほうもな」
「心得ております。全ては闇の帝王の御為に」
そのマグルの女が傑作だったのだ、と下卑た笑いが響いた。「赤ん坊は困ると言いながら俺にしがみついてきやがる」
母が秀麗な眉根を寄せた。
「なんという話題でしょう。マグルの浮かれ女の話など食事中の話題とも思えませんね」
「ナルシッサ、そう憤慨するな。俺様が許可している。マグルの女の身体など、好きに貪れば良いのだ。子が出来れば穢れた血といえど魔法使いが増える。支配するしもべは多ければ多いほど良い。下働きにも出来よう」
「・・・わたくし如きが出過ぎたことを申しました。どうかお許しを」
ここは悪夢よりもひどい場所だと、ドラコは思った。
薄汚れた枕カバーを着たハウスエルフがドラコの着替えを、手を触れぬよう魔法で捧げ持って部屋に入ってきた。
「消えろ、薄汚いハウスエルフめ」
いつものように追い払おうとするが、そのハウスエルフは耳が遠いのか、もたもたと箪笥にドラコの着替えを移している。
「消えろと言っている!」
「申し訳ございません、坊っちゃま。これがあたくしの仕事ですの」
「主家の嫡子に従えぬようなハウスエルフは殺されても文句は言えない。それも知らないのか」
「よくよく存じ上げておりますわ。あたくしは主家の嫡子の命令に従っていますもの」
面倒になったのか、引き出しに衣類を素手で詰め込んだハウスエルフは、それを咎めようとするドラコに向かって長い指を振った。
「おい! むんぐ!」
「お静かに。黙ってウェンディの話を聞きやがりなさい。姫さまのご命令ですよ。良いですか、ウェンディの命令は姫さまのご命令です」
主人が主人なら、しもべもしもべだった。
「姫さまは、ドラコ・マルフォイが屋敷でどのような扱いを受けているか気にかけておいでです。多少は待遇が良いとしても、モヤシ男の気取ったドラコ・マルフォイにとって自宅は今や地獄ではないかと御心配あそばされて、ウェンディをこうしてお遣わしになりました。地獄ですか? 地獄ですわね? 地獄だとおっしゃい」
ドラコは急いで首を縦に振った。喋れないのに返事のしようがない。
ハウスエルフは満足そうに頷いた。
「そうでしょう、そうでしょう。姫さまのお考えの通りですね。では姫さまからの御伝言です。『時間を稼げ』それから『必要の部屋にある魔術具を部屋ごと壊されたくなければウェンディの言う通りにしろ』というわけでひとつ命令です」
ぐったりしたドラコは力無く頷いた。もう好きにしてくれ。
「さきほどの話が気になります。マグルの女性を魔法使いが襲っているのですか?」
「・・・おそらく。子が出来るだの出来ないだのという話題だった」
「その話題をもっと引き出して来なさい。若い男として関心がある風を装って」
「関心なんかあるもんか。相手は行きずりのマグルだぞ。マグルの女などどうでもいいが、そんな女を襲いたがる奴らと僕を同列に扱うな」
「マルフォイの御高説が欲しいと誰が言いましたか。話を引き出して来いと言っているのです。明日またウェンディが襲来します。情報はその時にいただきますから、せいぜい集めておいてくださいませ」
「優秀な種子が実る畑。闇の帝王はそうおっしゃったそうだ。闇の帝王の直臣の子を孕むのだから、マグルの女には過ぎた名誉だと彼らは主張した」
「出来た子の処遇について具体的な計画があるのですか?」
ドラコは首を振った。
「計画が無いのか、ドラコ・マルフォイが聞き忘れたのか、どちらですか? 答えによっては」
ハウスエルフが肩に担いだ巨大なフライパンを振り上げた。
「す、すまん! 聞き忘れた! 聞き忘れただけだ!」
ハウスエルフが舌打ちをした。
「どぉうしてそれを聞かないのです。一番大事なところではありませんか」
不満たっぷりに「どうして」を「どぉうして」と、ことさら大袈裟に尋ねる。
「大事?」
「グリンデルバルドより危険な輩かどうかを判断するために大事なところなのです。姫さまはそうおっしゃいました。意味はわかりませんが」
「・・・グリンデルバルド? なぜ彼が関係あるんだ?」
「姫さまの中では関係があるのです。マグルの警察に被害届が出ています。被害がこのあたりに集中しているので、あたくしを遣わす際に、よくよく確かめるように仰せでしたわ」
よくわからないが、とドラコは思案した。「帝王には深遠なる計画がおありなのだろう。優秀な種子とおっしゃるのだから、そうに違いない」
「ドラコ・マルフォイはひとつ屋根の下でトムくんと住んでもまだわからないのですか? 大袈裟な言い方は彼の癖です。いちいち真に受けてどうします。単に大袈裟な言い方をしているだけなのか、計画の実態があるのかを見極めなければなりません。明日こそまともな答えを準備しておきなさい。ところでコチラを見てくださいな」
ハウスエルフが透明なツルツルする袋を出した。
「・・・なんだコレは」
「ジップロックといいます。非常に価値の高い魔術具です。袋の中の空気を押し出し、この溝と溝を合わせて、こう、ツーっと押さえてやると、ほらご覧なさい。たいへん密閉性の高い魔術具でしょう。この中に心や記憶を入れて、ツーっとやりなさい」
「・・・は? 魔術具? これが?」
魔術具です、とハウスエルフは耳を鳴らして頷いた。
「心や記憶を入れるとはどういうことだ」
「ドラコ・マルフォイは、トムくんに隅々まで心を覗かれて大丈夫ですか? ほんのひとかけらも、不快感を感じることがないのですか? ひとかけらの不快感でもトムくんに知られたら危ないのでは? トムくんは開心術の名手です。でもこれがあれば安心。心や記憶を入れて、丁寧に空気を抜き、溝と溝を合わせてツーっとやるだけで、あら不思議。心を覗かれずに済みます」
「・・・貴様は馬鹿か」
フライパンが再び振り上げられて、ドラコはベッドに飛び上がって逃げた。
「主人が主人ならしもべもしもべだ! なぜそんなに暴力的なんだ!」
「アレは唸る正義の鉄拳です。ウェンディのフライパンは正義の鉄槌。とにかくお聞きなさい。ウェンディの命令は姫さまのご命令ですよ」
「聞く・・・聞くからフライパンは下ろせ」
「勢いよく振り下ろす?」
「すまん。そーっとだ。そーっと下ろせ、下ろしてください」
フライパンを下ろしたハウスエルフは、ドラコがおそるおそるベッドから降りて椅子に戻ろうと隣を横切ると、素早くフライパンを振りかぶった。
「うわあっ!」
「楽しくなってきました。姫さまが『ゲーセン』で『小銭を溶かす』気持ちが理解できるかもしれません」
「た、頼むから、穏便に済ませてくれ。ジップロックという高価な魔術具の説明だ。説明を頼む」
練習をするのですよ、とフライパンを肩に担いで、ハウスエルフは満足そうに答えた。
「練習?」
「心を閉じる練習です。無心になって、繰り返し繰り返し、ここをツーっとやるのです。中に心や記憶を入れたとイメージしながら。姫さまご考案の『ひとりで出来るもん--閉心術編』に使用する、非常に稀少な魔術具ですの。ちなみに閉心術のこの習得方法はやはり姫さまご考案の『キッチン用品で魔法のDIY』にも掲載されています。フローリシュアンドブロッツを探してもありません。出版する気がございませんので。ですが姫さまご考案の習得方法は確かな成果を挙げました。なにしろ姫さまは全米ナンバーワンの閉心術師ですから」
「・・・奴はいつアメリカ人になった」
「全英オープン優勝経験のある閉心術師です」
「心を閉ざすという時にオープンにして意味があるのか」
「いちいちゴチャゴチャと・・・この稀少な魔術具が要らないのならば持って帰りますが? 残り少ないのに姫さまの命令だからお持ちしたのですよ? ウェンディの気遣いは姫さまの気遣いと同じです」
わかった、と振り上げられたフライパンから頭を庇うように頭上で腕を交差させてドラコは慌てて答えた。
「その高価な魔術具で閉心術を訓練する。すれば良いんだろう」
あのハウスエルフの言葉の全てを信じたわけではないが、その日ドラコは部屋にひとりの時間が出来るとジップロックを開いては閉じ開いては閉じ、と繰り返した。
ハウスエルフは痛いところを突いた。確かに、この屋敷を地獄よりひどい場所だと考えたことなど闇の帝王に知られるわけにはいかない。
闇の帝王に滞在していただくことは名誉なはずなのだから。
「名誉だ。名誉なことだ。闇の帝王に屋敷をお使いいただくのだから、名誉なことなんだ」
自分に言い聞かせながら、ジップロックを繰り返し閉じて、本当にそんな気になってきたところで部屋を出て、応接間に屯している下賤の者のうちのひとりに「昨日食堂で小耳に挟んだのだが」と、下卑た笑みを浮かべて質問責めにした。
「つまり、子を産ませることが目的ではないのだな?」
「そうだが、なんでそんなことを今さら確かめるんだ」
「君たちにとっては今さらでも、ずっと学校で闇の帝王のご指示に従って作業をしていた僕には新鮮な情報なんだ。闇の帝王のご計画ならば、許される限りは知っておくべきだと思う。もし優秀な魔力を持つ奴隷をお望みならば、僕も名乗りを上げたいじゃないか」
「純血の名家・マルフォイ家とブラック家の血を引く唯一の純血中の純血って触れ込みのてめえがマグルと番うわけにはいかねーだろ。てめえの種は、純血の魔女のために取っとけ。お坊ちゃんなんだから、我慢が大事だろ? やりたい盛りなのはわからねえじゃねえが、てめえの血や種を無駄撃ちすんじゃねえよ。そこらのガキの数なんて帝王がお気になさることじゃねえ。でも、こんだけ長くなってくるとよ、大人の男にゃあ不都合もあるんだ。ここにゃ女はベラ様とシシー様しかいねえもんだからよ。間違いがあっちゃいけねえから、そこらのマグルで抜いて来いってな寸法だ」
「なるほど。それが帝王のお考えなのか。深遠なるご計画だ」
「だろ? 純血のレディは、純血の子を産ませるために必要だから大事に取り扱うべきだ。単にやりたいだけならマグルの女で済ませちまえばいい。仮に子が出来ても、奴隷の数が増えるだけだ。誰も困らない。まあ、てめえにはそんな真似は必要ねえよ、まだな。必要が出来ても、純血の魔女をあてがってくださるだろう」
「出来れば純血が良いが、僕も一応は男だ。興味がないわけじゃない。そういう意味でも奴隷の数が増えるのは大変結構だと思う」
「言うねえ。青っちろいツラしてるけど、確かに男なら誰でもわかる話だよな」
吐きそうになりながら、ドラコは自室に戻って、再びジップロックに没頭した。
顎が外れそうなほどあんぐりと口を開けて、ハウスエルフがテニスボールのような目を見開いた。
「・・・言わなくていいぞ」
「なんて、考え無しのおたんこなすのコンコンチキの」
「言うなと言っている!」
「深読みしたウェンディと姫さまの気遣いが台無しではありませんか。そんなに何も考えていなかったなんて」
「貴様らは、どこらへんをどう気遣ったつもりなんだ。気遣いから一番遠い主従じゃないか」
「グリンデルバルドの取った戦術を参考にしたのかと、これでも一応、本気で悩んだのに・・・!」
「・・・貴様やウィンストンと話していると、僕の悩みなど無意味に思えて死にたくなるから、少しは控えるように進言してくれないか?」
「今までは無意味じゃなかったとでも?」
「・・・僕を殺したいなら、ひと思いに頼む」
ハウスエルフは溜息をつくと、ぷるりと耳を鳴らして頭を振った。
「ジップロックの練習は続けていますね?」
「ああ。ほかにすることもないからな。闇の帝王に対する敬意を自分に言い聞かせながら、開けたり閉めたりしている。それで構わないか?」
「上出来です。闇の帝王への深い尊敬をたとえ一瞬でも忘れたことを深く反省して、一心に開けたり閉めたりするのです」
「・・・貴様の言葉は非常に薄っぺらいな」
「深遠なるご計画があるので帰ります。今夜は冷えるので、姫さまがシチューをお望みなのです」
「どこがどう深遠なるご計画なのか説明してみろ・・・」
薄っぺらい言葉ばかりを駆使する主人にそっくりな気性の忌々しいハウスエルフが姿をくらますと、ドラコは疲れきってベッドに横になった。
「・・・なにがグリンデルバルドだ。ダンブルドアに敗れるような小者と一緒にするな。あんな下賤の者には教えられないご計画があるんだ」
独りごちて、がばっと跳ね起きた。「グリンデルバルドの戦術、だと?」
慌てて口を押さえてバスルームに飛び込み、ゲエゲエと嘔吐した。
あのハウスエルフめ。余計なひと言を言う。
なんて醜悪な入れ知恵をするんだ。僕はそんなことには耐えられない。
マグルの女から生まれた忌まわしい穢れた血なんかどうでもいいが、赤子を殺すことになるじゃないか。穢れた血とは一線を画しこそすれ、わざわざ利用する必要なんてない。それも赤子を。
闇の帝王はそんな御方じゃないんだ。
涙目でえずきながら、ドラコはひたすら忌まわしい思念から逃れようと必死に努めた。
ジップロックだ。ジップロックが必要だ。
切り込みを入れたかのような蛇に似た赤い瞳を向けられたとき、ドラコは軽く頭を下げて見せた。
ジップロックを繰り返し繰り返し「ツーっとやる」行為をイメージした。名誉だ。名誉なことなんだ。闇の帝王に屋敷を使っていただけるなんて。バーテミウス・クラウチ・ジュニアの誉れは今まさに僕のものだ。
「ドラコ、何を考えている?」
「これは失礼いたしました。いかようにも罰してください。僕は今、帝王と食卓を囲む誉れに与りながら、魔術具のことを考えておりました」
「ほう。何の魔術具についてだ?」
「ダイアゴン横丁で数年前にチラッと見かけただけの魔術具です。なんでも、閉心術の習得に効果があるとか」
「誰から何を隠したいのだ?」
「それはもちろんダンブルドアから、例の件を。組分け帽子の機能を考えると、グリフィンドールの『血を裏切る』輩どもは、ダンブルドアをはじめとして、開心術に長けていると考えられます。油断は出来ません」
「良い心がけだ。それでこそ純血の旧家の中の旧家の御曹司である」
「はっ。ありがたきお言葉、痛み入ります」
まだだ。まだ気を抜くわけにはいかない。僕は見極めてからホグワーツに戻る。
闇の帝王が、使い捨てに出来る穢れた血の赤子を何に利用しようとお考えなのか。
もしそうなら僕はもうついていけない。父上には申し訳ないが、母上を連れて逃げよう。
この際だからウィンストンに頭を下げて、しかるべき国を選んでもらうことも検討すべきだ。こんな屋敷で良ければ好きなだけ使ってくれて構わない。僕と母上はこんな狂った屋敷に固執している場合じゃないんだ。
「それにしてもなぜ闇の帝王には妻がいらっしゃらないのだろう」
思わず独り言が漏れた。
応接間でその答えはあっさりと貰えた。
「もったいねえ話だが、闇の帝王には子種がねえんだよ。前の時は、てめえのベラ伯母さんと始終乳繰り合ってたんだが、一向に子は出来なかった」
「帝王の側に問題があるとは限らないだろう」
「アンドロメダ・トンクスもナルシッサ・マルフォイもちゃーんと産んだだろうが。ベラ様だけが出来にくい身体なのかもしれねえが、同じ親から出来た三姉妹の中で、ひとりだけ子に恵まれない体質ってこたぁ、そうたびたびあることじゃねえだろ。ま、どっちに原因があるかはともかく、子の出来ねえ女は要らんとおっしゃって、ロドルファスと結婚させなさった。それとてめえが昨日も気にしてた件だがな、マグルの女を襲って孕ませるって話もそうだ。闇の帝王のお考えでは、子は出来るはずがねえんだよ。劣等種と純然なヒトたる魔法族だからな」
しかし、とドラコは声をひそめた。「実際に、マグルと魔法族の間に生まれた者たちはそれなりの数が存在する。その点はどうお考えなんだろう。知ってるか?」
「おうよ。血を裏切る者に成り下がっちまえば、逆に血から裏切られる。魔女との間には子が出来ず、劣等種との間で子が出来るようになるって寸法さ」
「なるほど・・・そのようにして劣等種が淘汰されていくのか。実に・・・闇の帝王ほど豊かな知識を持つ人物は見当たらないものだ。それにしても、闇の帝王は不死でいらっしゃるのだから、子を成す必要はないのではないか?」
最初に子を欲しがったのはベラ様だ、と相手も声をひそめた。「帝王のお子種を頂戴しとうございます、ってな。闇の帝王は別に子を欲しがってはいらっしゃらねえ。いや、子として育てるおつもりがねえんだ。子の身体に乗り移ることが出来れば役に立つとお考えじゃねえのかな」
「な・・・こほん、なるほど、そういう深いお考えをお持ちならば、僕の伯母が闇の帝王にご迷惑をおかけしているわけではないようだ。ロドルファス伯父上を放り出して帝王のお側近くに侍ってばかりいるので、帝王にはご迷惑ではないかと心配していた」
上ずってしまいそうな声をなんとかコントロールして、ドラコはそう説明した。
我が子の身体に乗り移るだと?
オブスキュリアルを意図して産ませるという着想が否定されたと思えば、今度は余計に厭わしい着想が登場した。
「・・・優れたお考えだ。僕には見当もつかなかった。いずれにせよ、闇の帝王はスリザリンの末裔でいらっしゃる。帝王の座を譲る必要がなくても、スリザリンの血を残していただくことは喜ばしいな」
「明日ホグワーツに戻るから、明日からはもう来るなよ。貴様はどうも・・・軽率だから」
「あたくしのミドルネームは『慎重』ですわ」
「ミドルネームより先にファミリーネームをつけろ」
「ウェンディ・ザ・慎重。そんなどうでも良い話はしなくて良いのです。姫さまに報告するべき情報はありますか?」
ちょっと待ってくれ、とドラコはトランクの中にしまい込んだジップロックを取り出した。中に羊皮紙が入っている。「これに書いてある。読んだら燃やすように伝えてくれ」
ジップロックごと受け取ったハウスエルフは、スカートから新しいジップロックを取り出して渡した。
「ホグワーツに戻ってからもこの訓練は続けなさい。お母さまとご自分の身を守るために、闇の帝王から心を隠す技を身につけるべきです。あなたの任務の遂行にも役立ちます」
「どっちの任務の話だ」
「両方です。殺意を漲らせてダンブルドアの前に立っているようでは、ダンブルドア殺しは成功しません。姫さまの円卓会議の一員としては、生き延びることも重大な任務です」
「円卓会議とやらを了承した覚えなどない」
「ウィンストンの剣が抜かれてもそう言えますか?」
「だったらいつ抜くんだよ!」
つい怒鳴ってしまった。階下に聞こえていたら問題になるというのに。
「頼む、ウェンディ・ザ・慎重。ウィンストンに伝えてくれ。今すぐ剣を抜いて、国連の軍を呼び込んで、彼らを殲滅して欲しい。もう耐えられないんだ」
円卓を挟んで、向こう側に蓮、ハーマイオニー、スーザン、パーバティが立っている。
「今すぐは無理だよ、マルフォイ」
「ああ。馬鹿なことを言った。忘れてくれ」
「忘れるのは生憎苦手なんだ。そこで君をひとつテストしようと思う」
「テスト?」
「君とお母上を助け出しに行くなら、こちらも身体を張るんだ。口約束じゃ困る」
「・・・なんなりと」
「スパイになれ」
ドラコは目を見開いた。
「馬鹿な・・・出来るわけがないだろう。闇の帝王のお力は強大だ。僕如きが出し抜くなど」
蓮が手を挙げて、傍らに「ハーマイオニー」と呼びかけた。
ハーマイオニーは小さく頷くと、ドラコの眉間をじっと見つめる。
急にキリで刺されたような鋭い痛みを覚えて、ドラコは額を押さえ、その場に跪いた。ハーマイオニーが顔色を変えて「本当なのマルフォイ!」と叫んだ。
「なんでもする・・・頼む、なんでもするから、僕たちを助けてくれ・・・」
「少し待て。まだわたくしたちには状況が理解出来ていない。ハーマイオニー、説明してくれ」
「いい? 本当に良いのね、マルフォイ?」
膝を抱えて座ったドラコは震えるようにガクガクと頷いた。
「マルフォイから読み取った情報は2つ。ひとつ目。死喰い人たちがマグル女性をレイプして回ってる。とても無責任なやり方で、性行為を強制してるの。結果的に魔力を持つ子が生まれても奴隷として使うから、何も心配せずに好きなだけ楽しむように許可を与えているわ。ふたつ目。トムくん自身が子供を持つことも諦めてはいない。ベラはまだトムくんの子をなんとかして生みたがっている。トムくんには、愛情を注ぐ対象として子供をもうける気はない。一種のホムンクルスよ。レンの微調整が原因かどうかわからないけど、容貌が異質なものになりかけてる。そこで新しい肉体、器を得て、その肉体を纏うために、自分とベラの間に子供を欲しているの。そういう解釈でいいのよね、マルフォイ」
またガクガクと頷く。
「お、伯母上で成し得なかったことだ。同じ相手と同じやり方はお選びにならないだろう。違う相手と同じやり方、同じ相手と違うやり方、違う相手と違うやり方。いくつか考えられるが、一番危ないのは母上だ。伯母上と同じ高貴なるブラック家の血が流れている。伯母上の不妊は闇の印のせいかもしれない。だとしたら、同じ血が流れて、闇の印を持たない母上をまず試そうとするんじゃないだろうか・・・頼むウィンストン! 助けてくれ!」
「君は何を差し出すんだ?」
「え?」
「わたくしたちには至急、優秀な魔法薬学者が必要なんだが、君の頭脳と才能を以って薬学方面からのアプローチでこの戦争に参加しないか?」
「は、母上のことは」
「最終的には助けるよ。現段階で全面戦争は無理なんだ。武器が揃ってなくてさ。まあ、それに・・・君の伯母上であれ母上であれ・・・トムくんとの子作りは不可能なんだ。目の当たりにしたのはハリーなんだけど、トムくんには・・・ついてるべきものがついてない」
ドラコが目を瞠った。
「わたしとスーザンとで、あなたが修理させられていたキャビネットは修理する。数日あれば引き継ぎ完了でしょう。その後、あなたには魔法薬の調合や研究に入って欲しいの。癒療目的水準の魔法薬のレシピは完成してる。それをさらに強化した薬を作って欲しい。まず研究を重ねて、レシピの完成。そうしたら、あと数人の人手を用意して、必要量プラスαを生産する。あなたがそのチームリーダーになるのよ」
「引き継ぎは完了しても、毎朝必要の部屋のキャビネットの状態はチェックしとけよ。家から尋ねられた時によくわかりませんじゃ通らないぞ」
「た、頼む、ウィンストン、グレンジャー、ボーンズ、パチル。僕には余裕がないんだ。魔法薬の研究どころじゃない。闇の帝王の玉体に不備があって普通のやり方では子が出来ないということは、なんとか飲み込めた。それなら次はホムンクルスだろう? 母上の手首から先を煮立った大鍋に切って落とす。ワームテールがそうだったように。そんな、そんなことに、そんなおぞましいことに母上の手を差し出すわけにはいかない」
「だからさあ・・・君は何を差し出すんだってさっきから聞いてるじゃないか。今までさんざん醜い争いをしてきた君とわたくしたちとの間に信頼関係なんかないだろ。信頼関係はこれから作るんだ。だから、最初の取引はイーブンにすべきなんじゃないか? 手首から先を切り落とすのなら、ベラが君の母上を押し退けて立候補すると思う。トムくんのためなら、ベラってなんでもしそうじゃんか。母上が心配なのは当たり前だけどもう少し頭使えよ。そういえば、母上の心配が無くなるとなると、わたくしたちに頭を下げる必要もなくなるね。トムくん専用娼婦付き宿屋をやってればいい」
頭をフライパンで叩かれたような気分になった。「娼婦付き宿屋、だと?」
「違うとでも思ってんの? 由緒正しいマルフォイ家は、そこまで落ちぶれてんだよ。気づいてなかったのは君らだけだ」
「娼婦は金銭を受け取るのよ、レン。ベラは自分からトムくんに金を払ってる。娼婦に失礼だと思わない? ビジネスとしても成立してないわ」
「・・・それは、そこに愛情があるから。レンのお母さまは、トムくんへのベラの恋情で情状酌量に持っていこうとなさったことがあるわ。もう有名な話だと思うの」
「トムくんにさんざん貢いでつきまとって、子供を産みたいとねだって、結局産めなかったもんだから、ロドルファス・レストレンジに中古品として払い下げ。割と有名な話よね。ブラック家、レストレンジ家、マルフォイ家。名家の名前が次々に地に落ちて泥に塗れたわ」
蓮、ハーマイオニー、スーザン、パーバティが口々に言うと、ドラコの顔から血の気が引いていった。
「あ、あれが、伯母上のあの醜態が知れ渡っているのか?! 本当か?! 本当なのか?!」
「ベラにそれを隠すようなレディらしい慎み深さがあるとでも思ってんの? ろくに出自もわからない男に入れ上げて、人目も憚らずつきまとうベラに、本当にブラック家の血が流れてるのか不思議なぐらいだ」
「出自もわからない・・・?」
「わたくしたちは知ってるけどね。マルフォイ、トムくんは純血のほぼスクイブと、マグルの父親から生まれた先祖返りの半純血の魔法使いだ。片方は純血と言えば純血だけど、何百年にも渡る血族結婚でほとんどスクイブ化してた。君らが崇め奉ってるあいつは、その君らが足で踏みつけにする穢れた血とほとんど同程度にしか魔法使いじゃないんだよ」
ドラコは頭を抱えて、その場を転げ回った。
「ぅああああああっ!」
涙を流し、喉が張り裂けんばかりに叫び、床を叩いて羞恥にのたうった。
「落ち着いたかしら?」
ボーンズの差し出したハンカチを握り、重い身体を引き起こして、なんとか椅子に座った。
パチルがお茶を差し出してくれた。それをひと口飲んだのを確かめて、椅子に座って足を組んだ蓮が「回答は? 君は何を差し出す?」と横目でドラコを睨む。
「僕の持てる能力のすべてだ。存分に使ってくれ」
「途中でイモ引くなよ」
「地獄の釜の底まで連れて行けよ」
グレンジャーが蓮の表情を確かめて、ドラコに向き直ると口を開いた。
「ブラック家、レストレンジ家、マルフォイ家の名が地に落ちたとはいえ、ブラック家にはハリー、マルフォイ家にはあなたという次世代がいるわ」
ドラコは小さく頷き、真っ直ぐにグレンジャーを見つめた。
「ありがとう、グレンジャー。僕の口から言わせてくれないか」
「・・・ええ」
「マルフォイ家は僕が再興する。僕個人は、純血を保つことに一定の意義はあると考えているが、数百年にも及ぶ血族結婚のおぞましさの前ではいささか霞んでしまう。軽々に決めつけて良いものとも思えないので、この問題は一時棚上げにする。目下のところ、僕には闇の・・・いや、リドルだ、リドルを打ち倒すことが最優先の課題だ。これ以上魔法族を引っ掻き回されたくない。純血主義を捨てる決意までは出来ない僕だが、主義主張をいったん横に退けて、目前の困難を乗り越えるという一点において君たちと一緒に全力を尽くしたいと思っている。もし君たちが、今までの僕を許してくれるなら、の話にはなるが」
ニッと蓮が笑った。グレンジャーは肩を竦めてドラコを見つめる。
「許すも許さないも、単なる主義主張の違いよ。それにわたしもある意味では純血主義なの」
ギョッとしたようにドラコがグレンジャーを見返した。
「ハンサムなマグルと結婚するなら嘘をつく必要があるけど、ハンサムな魔法使いとなら嘘のない関係が築けるとは考えているわ。血統にはこだわらないけど、魔法使いかどうかにはこだわると思う」
「あ・・・ああ、そういう意味か。その観点からも、一理ある。ハンサムに限定する意味は理解できないが。それでだ、スパイとは具体的に何をすればいいんだ? 特別な訓練は必要か?」
んにゃ、と蓮が眠そうに目を擦りながら答えた。
「ウェンディにやらされたようなことを、それとなく続けてくれればいい。訓練といえばあれが訓練だった。あとは閉心術だな。ジップロックはいつも持ち歩けよ。閉心するイメージを補う御守りだ。あとやっぱりジップロックでイメージ強化トレーニングだな」
「わかった。ずいぶん高価な魔術具だと聞いている。それを2つも、すまない。いずれこの恩は返す」
ダン! とグレンジャーが蓮の足を骨も砕けよとばかりに踏みつけた。