サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第15章 誰が為に杖を振る

渋い顔でハリーが腕組みする隣でロンが「君たちは何を考えてるんだ!」と激昂した。

 

「最善の方法を模索してる。もちろんハリー、現時点では魔法薬の概要もまだ話してない。癒療水準のレシピが存在することは話してあるけど、権利者の許可が得られなかったとして、わたくしがあいつと一緒に考案することになっても仕方ないとは覚悟してる」

「・・・それはいくらなんでも時間の無駄だよな。なあ、レン、他に誰か検討してみたかい?」

「してないよ」

「だったらなんでマルフォイが最善の選択だと思えるんだろう」

 

人質がいるからだよ、と蓮が真剣な表情で答えた。「マルフォイの屋敷にトムくんは居座ってる。マルフォイ邸の周辺では婦女暴行が頻発していて、それは死喰い人の仕業だとわかってる。また、トムくんは誰か名門の血を引く純血の魔女に自分の子供を産ませたがってる」

 

「・・・母親を案じる気持ちは、あいつにもあるだろうけど、その場合、僕らにとっての人質じゃなくて、ヴォルデモートにとっての人質じゃないか? マルフォイ邸なんか知りもしない僕らより、マルフォイ邸に居着いてるヴォルデモートのほうが脅威だ」

「うん。そうかもしれない。だけど、こちら側がマルフォイ邸に出入り出来ないというのとはちょっと違う。クリスマス休暇の間、ウェンディは毎日マルフォイ邸に通ってたからね。あそこのハウスエルフは5人いて、その5人とウェンディは昔からの顔見知りだ。ドビーがまだマルフォイ家のハウスエルフだった頃からの。ハウスエルフがかなり自由に行き来できることは、このクリスマス休暇でマルフォイの頭に刷り込んである。いざとなったらハウスエルフを通じて救援を求められることは理解してる。母親を守る戦力を提供できるのはトムくん側じゃなくてこちら側なんだ」

「・・・うん。それは間違いないな。でもなあ、マルフォイか・・・ダンブルドアを殺すよう命令されてるかもしれない奴だ。あいつだって好き好んでダンブルドアを殺そうとは思わないだろうけど、正直言って僕はまだ信頼する気にはなれない」

 

そりゃそうだろ、とロンが呆れ顔で割って入ってきた。「あいつが今まで何をしてきたか考えてみろよ、正真正銘の敵じゃないか」

 

「ハリー、世の中、敵と味方に単純に分けられるのかな? この部分では対立しても、この部分では手を結ぶことって不可能なのかな?」

「理屈としてはわかるけど・・・」

「マルフォイは敵だ」

「ロン、悪いけどしばらく黙っててくれないか。僕は今レンとハーマイオニーの意見を聞きたい。ハーマイオニーはどこ?」

 

蓮は顎をクイッとロンに向けた。「ウォンウォンがなぜかいるもんだから、階段の下から2段目でUターンした」

 

「・・・ウォンウォン、ラベンダーを連れて中庭にでも行っててくれ」

「その名前で呼ぶなよ」

「ラベンダーの前じゃ呼ばないから安心しろ。ロンの見解は確認した。あとはわたくしたちで話を詰める」

「いや、これはハリーの重大事だ。僕も同席する」

「君がいるとハーマイオニーの話が聞けないんだよ! いいから中庭にでも行けよ!」

 

ドスンドスンと足を踏み鳴らすようにロンが男子寮の階段を上っていくと、ハリーが「うんざりする」と零した。

 

「なんでだよ」

「クリスマス休暇が明けてからこっち、あいつろくにラベンダーと話をしてないんだ。避けてるみたいでさ。それで僕にくっついて来る。大鍋が滾ってる間はあんなに、2匹の鰻みたいに絡まってのたうってたくせに」

「あー、すごくどうでもいい。ああ、ねえ、君、シェリル。悪いけど上に上がるなら、ハーマイオニーをわたくしたちが呼んでるって伝えてくれないか? ハリー、わたくしはロンとラベンダーの件には深入りしたくない。ああいうハイテンションな組み合わせ、周囲にいるだけで疲弊させられるだろ」

「・・・たぶんロンが醒めちゃったんだと思う。僕とシリウスはクリスマス休暇の前半はコーンウォールの騎士団本部にいて、後半は隠れ穴に滞在したんだ。あ、僕だけはね。シリウスはトンクス家でトンクスのママやパパと一緒に新年を迎えた。ロンあいつ、口を開けばハーマイオニーが今頃何してるかばっかり気にしてたんだ。ラベンダーの激烈アタックから物理的に距離が開いたらハーマイオニーハーマイオニーってもう・・・」

 

両手で自分の頭を掻き毟るハリーに、蓮は同情の一瞥を投げた。

 

「醒めても滾っても構わないけど、ハーマイオニーを振り回すような真似は許さないよ」

「僕だってそうさ。そもそもラベンダーと付き合ったのだって、ハーマイオニーに対する当てつけの側面もあるんじゃないか? ハーマイオニーのほうが先にクラムとキスしたから」

「・・・あれは確かジュラ紀の出来事だった。そこらへんを走り回るティラノサウルスに追われた吊り橋効果で唇同士がくっついただけのことだ。舌は入れてないし、鰻のゼリー寄せとは次元が違うし、見せつけてもいない。15歳のキスに対抗して鰻の蒲焼になってどうすんだよ」

「カバヤキって何だ? 食い物か?」

 

美味いよ、とハリーに教えてやった。

 

 

 

 

 

そんなことをわたしに言われても、とハーマイオニーは困惑してパーバティに向き直った。

 

「ラベンダーが参ってるの。ロンに避けられてるって」

「パーバティ、わたし、ロンとラベンダーが付き合うようになってからは、ロンとろくに会話もしてないの。会話なんて出来るわけがないでしょう? ロンの口は常にラベンダーの唇と繋がったままだったんだから」

「クリスマス休暇は」

「わたしはここでひとりでクリスマスと新年を迎えました」

 

そうよねー、とパーバティが机に突っ伏した。

 

「2人の間の問題よ。わたしは無関係」

「わたしはもっと無関係だと思う。でもほらラベンダーってああいう人だから、泣いたり喚いたりの愁嘆場を演じてるの」

「あなたにじゃなくロンに向かってその愁嘆場を演じてみせれば解決する話なんじゃない?」

「レンがラベンダーを慰めたら効果あると思う?」

「ないと思う。ないと思うし・・・レンってあまり態度に出さないけど、たぶんラベンダーのこと苦手だと思うわよ」

 

パーバティが頬杖をついて窓の外を見遣った。

 

「それはなんとなくわかる。アルジャーノン以前のレンも、アルジャーノン以後のレンも、それぞれラベンダーに苦手意識がありそう。まあちょっとロンと話してみるわ」

「あなたも苦労性ね。こういうことって当事者同士が話し合って解決するものだと思うんだけど、なぜラベンダーはわざわざあなたを間に挟もうとするの? あなたもなぜラベンダーの代弁を買って出るの? わたしの知らない、明文化されないルールでもあるのかしら」

 

様式美よ、とパーバティが深い深い溜息をついた時、ドアの外から「ミス・グレンジャー、下でミス・ウィンストンとミスタ・ポッターが呼んでます」と下級生の声が聞こえてきた。

 

「はーい、ありがとう! どうする、パーバティ? あなたも行く? たぶんマルフォイの件だと思うわ」

 

パーバティも頷いて立ち上がった。

 

 

 

 

 

単なる偏見で言ってるわけじゃないんだ、とハリーは落ち着いた声で説明した。「秘密を持つってことの困難さは僕も痛感してる。少なくとも僕には向かない難題だ。あいつの場合、ヴォルデモートが自宅にいて、母親は常に一定の危険を覚悟しなきゃならない立ち位置なわけだろ? 客観的には喋ってしまっても責められないぐらいのプレッシャーがあるはずだと思うんだ。その状況で、秘密を守るかどうかまでは、ちょっと信頼出来ない気がするんだよ」

 

「そうね。あなたの意見も理解できるわ」

「でも君たちは3人ともマルフォイを信頼しようとしてる。それはどうしてだろう?」

 

パーバティが小さく手を挙げた。

 

「まずはわたしからいい?」

「うん、誰からでも」

「わたしもマルフォイが今までしてきたことを考えると、入れないほうが賢明じゃないかと最初は思ったわ。ハリーと同じ理由でね。同じ理由というか・・・入れないほうが親切だと思ったの。家族と違う主義を掲げて戦うより、家族と同じ傘の下にいられるものなら、そうさせてあげたほうがいい、巻き込まないほうがいいって。誰が正義かとか、それ以前の問題として、家族と違う主義主張ってやっぱりツラいんじゃないかと思ったわ」

「・・・うん。そういう見方もあるな」

「でも彼はもうグラついていたの。ベラトリクス・レストレンジの『醜態』っていの一番に表現した。彼にとってベラトリクスは、闇の帝王さんの腹心の部下という誇るべき存在ではもうなかった。だったらもうそこから先の判断は、決まったようなものじゃない? 早いか遅いかの違いだけよ」

 

あいつがそんなことを? とハリーが忙しく瞬きした。パーバティはそのハリーの瞳を見つめて頷く。

 

「ベラトリクスはヴォルデモートに対して女なんだと思うわ。ロドルファス・レストレンジという夫がいながら、ヴォルデモートに対して女の性を剥き出しにしている姿が醜悪に映ったんじゃないかしら」

「・・・ああ。確かにそれは・・・気持ち悪いだろう。伯母さんなんだしな・・・うん・・・気持ち悪い」

 

ハリーが自分の「伯母さん」に置き換えたのか、ぶるっと身震いして納得すると、パーバティがちらりとハーマイオニーを見る。

 

「次はわたしね。まあ、わたしの理由は単純よ。開心術で彼の心を読み取ったから。不安と失望と絶望の繰り返し。死喰い人やトムくんと顔を合わせるごとに失望が積み重なって、自分の未来があまりにもトムくんの手にしっかりと握られている不安に怯えて・・・ダンブルドアを殺すしかないと絶望していた。ダンブルドアを殺して、自分で自分の未来を閉ざしてしまわざるを得ないことに絶望していたわ。あともうひとつ。マルフォイを切り捨てるのは簡単なことよ。でも、それをしてしまうと、向こうの内部情報が手に入らなくなる」

「マルフォイが内部情報を僕らに正直に話すかな? レンからさっき聞いたけど、あいつ、閉心術の訓練もするんだろ? ハーマイオニー、君、マルフォイに騙されない自信があるのか?」

「そこは開心術師の腕の見せ所、と言いたいところだけど、わたしの腕前だけなら自信はまだないわ。でも他の要素を勘案すれば、トムくんとわたしならわたしのほうが勝つ」

「・・・は?」

「魔法で無理矢理覗き見る以前に、心を開かせたほうの勝ち。トムくんは恐怖で配下を縛りつける人よ。心の開きようがないの。そこを無理矢理こじ開けるだけの力を持っているから開心術師としても恐れられるんでしょうけど、わたしはそのアプローチは選ばない。魔法とコミュニケーションの併用を選択するわ。そうしないとマルフォイが壊れてしまう」

 

壊れかけたんだ、と蓮が静かに言った。

 

「壊れる? マルフォイの心が、ってこと?」

「うん。昨夜ね。母親と自分の命乞いのためにわたくしたちを呼び出した。その時にハーマイオニーが真正面から開心術をかけた。まったく抵抗してないように見えたけど、ハーマイオニーの手応えはどうだった?」

「ノーガードで読ませようとしたわ」

「・・・それ・・・それは意図的なものじゃないのか? 僕が引っかかったような」

 

そうだぜ、とロンが男子寮から降りてきた。

 

「・・・ロン・・・頼むから今は話を引っ掻き回さないでくれ」

「ハーマイオニー、冷静に考えろよ。マルフォイに心を開かせるために開心術とコミュニケーションを併用する? なんで君がそんなことをしなくちゃいけないんだ」

「わたしが開心術を使えるからよ」

「ロン、コミュニケーションを取る努力までハーマイオニーに丸投げするつもりなんかないよ。わたくしたちももちろんそうするんだし、クリスマス休暇にはマルフォイ邸に毎日ウェンディを派遣した」

「君は黙っててくれ、レン。僕はハーマイオニーに聞きたいんだ。なあ、マルフォイは敵だろ? 利用するためだけにあいつの心を開いてやらなきゃいけないのか?」

「やめろ、ロン」

「黙るのは君もだハリー。僕はハーマイオニーの考えを聞きたい」

 

やれやれ、と蓮は肩を竦めると立ち上がった。「ハリー」

 

「うん?」

「もう仲間内での今日のところの意見は出尽くしたと思う。解散にしないか」

「そうね。今夜はこれ以上話し合ってもぐだぐだよ。あなたが納得いくまでマルフォイとの話は進めないから安心して」

 

ハリーはイラついたように細かく何度も頷いた。

 

 

 

 

 

ハーマイオニーが部屋のドアを開けた途端に、談話室から女子生徒の複数の悲鳴が上がった。

 

「な、何なの?」

 

戸惑うハーマイオニーの脇を、歯ブラシを咥えた蓮がすり抜けて、飛び降りるように階段を駆け下りた。

 

「レン!」

 

転ばないようにハーマイオニーもついて行くと、歯ブラシを咥えた蓮がハリーを羽交い締めにして、ネビルもそれを手伝っている。

 

「何なの、どうしたの?」

 

そのハーマイオニーを突き飛ばしてラベンダーが「ウォンウォン!」と叫び、カーペットに尻餅をついたロンに飛びついた。

 

「いい加減にしろよ! 君はハーマイオニーに何をした! 問い詰めるような権利、君にだけは絶対にない!」

「ハヒー、ひゃめ、ひゃめひょ。ああ、もう! やめろ、彼女の立場がなくなる。ごめんシェリル。後から拾うからそのままで。それより首のタオルでヨダレ拭いてくれ」

「頼む、レン、止めないでくれ。僕は休暇中ずっとこいつの身勝手さにもううんざりしてたんだ。誰もかれもが君の機嫌を取る暇を持て余してると思うなよ! パパやママからもらいたかった注目を僕らに要求するな!」

「言い過ぎだ、ハリー。落ち着けって。ラベンダー、ロン連れてどっか行け。しばらく帰ってくるな。うるっさいな! 邪魔なんだよ! キィキィ騒ぐな! 騒いでる暇にウォンウォンとキスでもしてこい!」

 

硬直しているハーマイオニーの肩を抱いてパーバティが部屋に連れ戻した。

 

「な、何だったの? ハリーったらいきなりロンを殴るなんてどうしちゃったのかしら?」

「あなたと話してた間は普通だったの?」

「普通、というか。そもそも解散することになったのは、ロンがわたしの意見を聞きたがってハリーやレンを黙らせたからでしょう。だからハリーは黙って聞いてたわ」

「あなたはロンに何を言ったの?」

「なにって・・・ごく一般的なことよ。マルフォイだろうと誰だろうと、頭から切り捨てることはすべきじゃないと思ってるとか、複数の人の視点から観察することで彼の言動を真に受けて騙される危険性を少しでも減らす努力をするとか、円卓の間で話し合っていた内容について答えたわ」

 

パーバティは溜息をついて天井を仰いだ。

 

 

 

 

 

「あーあ。明日ウェンディに新しい歯ブラシ届けてもらわなきゃダメだな」

 

蓮が歯ブラシを拾い上げ、首に巻いていたタオルでカーペットを拭いていると、ハリーが「悪かった」と天井を見上げて謝った。

 

「気持ちはわからないじゃないよ。ロンはハーマイオニーに甘え過ぎだし、ハーマイオニーはロンの機嫌を伺ってばかりだし、ラベンダーはウザい。ああ、ネビル、部屋に戻っててくれないか。わたくしの他に君までハリーに付いてたってわかると、ロンがまた拗ねる」

 

そこなんだよ、とハリーが目を閉じる。「本来なら、そんな気を使わなくていいはずじゃないか。僕ら、細々したことまでロンを甘やかし過ぎてる」

 

「まあ、それはね。個性の範囲で納得出来ないか?」

「ロンが君やハーマイオニーの個性を尊重するならお互い様で済む話だ。でも現実にはそうじゃない。なあ、なんでハーマイオニーと付き合わないか知ってるか? モリーおばさんとアーサーおじさんみたいな夫婦になれる女の子がいいんだってさ。ハーマイオニーは専業主婦ってタイプじゃないし、ロスの女王となっちゃ、もう無理だろ。だから言ったんだ。アーサーおじさんとモリーおばさんみたいな夫婦になるのにハーマイオニーが働いてちゃダメなのかって。そうしたら、自分のことを、モリーおばさんがアーサーおじさんにそうするみたいにリスペクトして欲しい、そういう女の子じゃなきゃダメだ、ってそう言うんだ。要するにハーマイオニーの甘やかし方が足りないって駄々こねてるだけなんだよ」

「あれ以上甘やかせっていうのは無理な相談だなあ。ハーマイオニーがハーマイオニーじゃなくなる。そもそもジョージから聞いてる話と違うし」

 

ハリーが蓮の顔に視線を向けた。

 

「モリーおばさんだって人間だ。ジョージはそう言ってたよ。正しい妻、正しい母親、そこにこだわり過ぎて煮詰まることだってある。モリーおばさんのそういう不機嫌が原因の夫婦喧嘩は長引くし、ジョージの目から見たらおばさんは空回りしてるらしい。誰かさんたちにそっくりだと思わないか?」

「・・・笑わせるなよ。さっきぶん殴ったばっかりなのに。あいつの顔見て笑っちゃったらどうしてくれるんだ」

「ジョージとフレッドは、退学してから見ると、モリーおばさんがアーサーおじさんの愚痴を言う時の気性の荒さが実にグリフィンドール的でパパが気の毒だと言ってた。リスペクトどころの話じゃないと思うけどね。わたくしに言わせれば、ハーマイオニーも悪い。わたくしやパーバティに対しては、せっせとロンを庇う。でもロン本人に言ってやらなきゃ意味がない。ハリーとロンを2人並べて平等に接しなきゃいけないって思い込み過ぎなんだ。それこそ個性が違う以上、接し方は違うのが当たり前なんだから。自意識過剰なんだよ」

 

ハリーが溜息をついた。

 

「君のママは、パパのこと愛してるよな」

「悪口しか言わないけどね。死んで15年も経つのにまだ照れてんの。笑える」

「そういうもんか」

「なんじゃないかな。うちのママは極端な人だけど、大なり小なり、娘相手にそんなこと大真面目に言えるか恥ずかしいって思うもんなんじゃないか? そんなこと大真面目に言われたってこっちも困るし。ああ、いや、違うな。モリーおばさんは、かなり惚気るタイプらしい。ドーラお姉ちゃんもフラーもハーマイオニーもジニーも、みんな知ってる。アーサーおじさんと初めて2人で踊った曲はセレスティナ・ワーベックの『大鍋は灼熱の恋に滾り』で、今でもたまに芋の皮剥きながらひとりでこっそり踊ってるみたいだよ」

「君のママは?」

「純日本人のひいばあに育てられた、見た目以外は純日本人のママは、人前でのキスはプロポーズの日と結婚式のルーティン以外許さなかった人だ。ダンス・・・無理だろ、どんな顔して踊れるっていうんだ」

「意外だな。なんでも出来そうに見える。あれだけの美人なら、街中でのキスも様になりそうだ」

「ないないないない」

 

蓮が吹き出しながら、顔の前で激しく手を振った。

 

「パパの写真さえチェルシーの家には飾ってない」

「はあ? 本当か?!」

「ほんと。書斎の机の鍵のかかった引き出しに隠してある。エロ本扱いのかわいそうなパパ」

「君の表現のほうがかわいそうだぞ」

 

そう呆れ顔をしたハリーがしばらく黙ってしまった。じっと暖炉の火を見るともなく眺めて待っていると、億劫そうに口を開いた。

 

「ロンとハーマイオニーに揉めて欲しくないんだ・・・幸せでいて欲しい。僕の目から見たら結果ははっきりしてるのに、なんであんなに蛇行運転するんだろうな」

「悪いのはロンだけじゃない。ハーマイオニーも悪い」

「そんなことないだろ。ハーマイオニーはいつも正しいよ」

 

いつもってわけじゃない、と蓮は苦笑した。

 

「なあ」

「んー?」

「さっきはロンがいたから聞くに聞けなかったんだけど。君はもしかしてマルフォイのこと」

「恋愛感情はないよ、今のわたくしには」

 

ハリーが目を逸らして「やっぱり」と呟いた。「前のレンには少なからずあったんだな」

 

「あれば良かったのにと思ってた記憶はある」

「あれば良かったのに? どういう意味だ?」

「悲しい奴だと思ってた。昔々の馬車馬みたいにさ、こう、視界が狭められてるのが悲しい奴だなあって。才能もモチベーションもあるのに、手を伸ばす前に、熱いストーブに触った猫みたいに前脚を縮めて鼻ジワ寄せて唸ってるように見えたんだ。かわいそうだとか悲しいって気持ちは恋愛感情に似てる。日本ではそう言うんだ。だから今となっては正確にはわからない。そもそもジョージの時も最初はそれだった気がする」

「ジョージが? かわいそうとか?」

 

靴がね、と呟いて蓮は笑った。「大したことじゃないよ。それよりハリー、そんなこと気にしなくていい。マルフォイだってわかってるよ。君たちに受け入れられる可能性が低いことぐらい。ただあいつは今、こっちに向いてた針が弾けて、反動でこっちの極まで振り切れた状態だと思う。壊れてるってのはそういう意味だ。だから、ハーマイオニーもパーバティもスーザンも、いったんあいつを受け入れて観察することにした。そのぐらいに豹変したんだ。とても不健康な印象を受けた」

 

「不健康?」

「この学年が始まってからずっと死人みたいな顔色だったろ。クラッブやゴイルともそうそう一緒にはいなかった。それが昨夜は、転げ回って喚いたかと思ったら、急に憑き物が落ちたみたいに今までと正反対のベクトルに向いて頑張るって言い出したんだ。特に話し合ってはいないけど、ハーマイオニーもパーバティもスーザンも何か感じるところはあったと思う。目の前で人が壊れていくのは見ていて気持ちの良いものじゃないよ、やっぱり。引き金を引いたのが自分たちならなおさらだ」

「引き金を引いたと思ってるのか?」

 

引いたんだよ、と蓮は静かに答えた。

 

 

 

 

 

「敵味方でしか考えられないという部分がすごく嫌だったの。ねえ、パーバティ、わたしだって、事がクィディッチだの、パーティだの、そんなことなら譲歩したかもしれない。でもことこれに関しては無闇に意地を張ってるわけじゃないわ。それはわかるでしょう?」

「そうね・・・」

「マルフォイとわたしたちは同級生という以上の関係にない。それはロンの言う通りよ。でも同級生さえ助けようと思えないなら、剣をとっとと破壊して魔法界の何もかも放り出すようなものよ」

 

ハーマイオニーはパーバティに向かって、ロンから責められた憤懣をぶちまけた。

 

「レンが助けようとしなかったらレンをぶん殴ったわ。わたし、間違ってる? そのためにわたしがいるんじゃない? レンが自分の思い込みや偏見で突っ走ったり切り捨てたりしないように。ねえ?! 今回はレンのほうから掬い上げるって言ってきたからヨシヨシってものでしょう。違う?!」

「いや、マルフォイを掬い上げようと考えたこと自体は正しいわ。それはわたしもスーザンも認めてる。でもね、ハーマイオニー、あなたちょーっとズレてるような・・・あなただけがズレてるんじゃなくて、あなたとロンが盛大にズレてる、って感じ?」

 

苦笑するパーバティは肘を抱えるように腕組みをした。

 

「ハーマイオニーは魔法界のひとつの構成要素として今回の件を捉えてる。ロンは・・・マルフォイという個人を、ハーマイオニーという個人が、自分に依存させてまで助けようとしてるように感じたんだと思うわ」

「依存? マルフォイが?」

「まあ座りなさいよ。ヤヌス・シッキー病棟勤務のママ仕込みの仮説を披露してあげる」

 

ハーマイオニーが眉間に深い皺を刻んで自分の椅子に座ると、パーバティは話し始めた。

 

「去年のことなんだけど。どうしてレンがアルジャーノンになったかずっと考えてた。ママとも話し合ったわ。勘違いしないでね、アルジャーノンで済んで本当に良かったと思ってるのよ。でも、アルジャーノンになるように誘導したのは、あなただわ、ハーマイオニー」

「やめてよ。すっごく大変だったんだから。ヴァージンのまま育児ノイローゼになるなんて想像を絶する人生を歩んでいるわたしにまだ責任を要求するわけ?」

 

パーバティが吹き出してしまった。

 

「ちょ、ちょっとそれ、ツボに入ったわ。ものすごくあなたらしい状況・・・ヴァージンのまま育児ノイローゼって・・・将来あなたの自伝を書くときに1章まるまる使ってその苦労を記すべき。『ハーマイオニー・ジーン・グレンジャーの想像を絶する予定外の人生。第16章ヴァージンのまま育児ノイローゼ』ってどう?」

「パーバティ!」

「はいはい。要するに、レンに開心術を使いながら、親密な友人として律儀にコミュニケーションを取るあなたに、レンは代理母として依存したのよ。心の奥底で。あなたもそれに応えた。い、育児ノイローゼになる、ほど。ごめん、まだ笑える」

「レンが依存? まさか。あの人、依存って言葉から一番遠い人物よ。エベレストより高いプライドの持ち主なの。人に依存するぐらいならさっさとバミューダに引っ込んでゲーム三昧の生活を選ぶと思うわ」

「だから心の奥底で。心を取り扱う時にはそういう危険性があるってママは言ってた。そりゃそうよ。自分の気持ちなんて誰にもわからない、って背筋をピンと伸ばして気を張ってる人にとって、心を読んでなお近くにいてくれる人物がいるってことは、全身から脱力するような安堵感でしょう。ロンは直感的に感じたんじゃないの? レンの時と同じことがまた起きる、って。レンがハーマイオニーに依存するのは許せる。ロン自身がハリーを代理母にして依存してるんだから。親友なら当たり前だと思える。でもマルフォイにまですることないだろうって言いたいのよ、たぶん」

 

ハーマイオニーは「ハリーが、代理母?」と繰り返し、両手に顔を埋めて笑い出してしまった。

 

「ああ、おっかしい。じゃあ、なに、今日のハリーのアレは、わたしと同じ『ヴァージンのまま育児ノイローゼ』の爆発?」

「そうよ。ハリー自身が言ってたでしょう? 『君のパパやママの代わりを僕らに求めるな!』見事なまでのヴァージン育児ノイローゼよ」

 

たまらなくなって机に突っ伏して呼吸器が痙攣するほど笑ってしまった。

 

「ところで、ジップロックって何? なんだかすごい魔術具らしいけど」

「魔術具なんかじゃないわよ・・・どうせレンが、今回はウェンディも一緒になって悪ノリしただけ。マグルのキッチン消耗品よ・・・使いかけの食材を入れて密封する袋・・・マルフォイがあまりに気の毒でとても真実は言えないわ」

「そんなので閉心術を? ああ、密封するというイメージを定着させるため?」

 

そうね、とハーマイオニーは窓の外を眺めて頬杖をついた。「レンの魔法の訓練は、物心つくかつかないかのうちに始めたから、わたしに比べると、イメージを重視する傾向が強いわ。今回は殊更、理屈よりなにより閉心させることが最優先だと思ったんでしょう」

 

「開心術師としてはどう思った?」

「マルフォイが閉心しなかったからでもあると思うけど、スッカスカ。拍子抜けするぐらい手応えがなかったわ。自主訓練だけじゃ間に合わない気がする」

 

そりゃそうだよ、と言いながら蓮が戻ってきた。「本来なら閉心術は向かないタイプだ」

 

「おかえり。ハリーとロンは?」

「ロンはまだ。ハリーが落ち着いたから引き上げてきた」

「結局何が原因だったの?」

「ハーマイオニーをシェリルが呼ぶ前、少し話してたんだけど、ロンとラベンダーには休暇で物理的に距離があっただろ? それでロンの愛がハリーに一極集中しちゃったらしい。要するに付き纏われてたストレスだ」

 

部屋着のパーカーを脱いで、Tシャツ姿になった蓮が「うぇー」と顔をしかめてポケットから歯ブラシを取り出し、ゴミ箱に捨てた。「ハーマイオニー、余分な歯ブラシ持ってないか? 明日の朝の歯ブラシがない」

 

「あるわよ。歯医者仕様で良ければ」

「ウェンディが届けてくれたら返すよ」

「返さなくていいから、口の周り洗って来なさい。歯磨き粉がついてるわ」

 

パーバティが「ロンとラベンダーのことは、ハリー、何か言ってた?」と声を掛けると、新しいタオルを首に掛けて「知ったことかー」と大股にバスルームに向かった。

 

「冷たいわよ、レーン」

「はーふぁひぃ、わらくひ・・・ひょっほまふぇ」

 

歯磨きをやり直すのはいいんだけど、とハーマイオニーは苦笑した。「どうしていちいち喋ろうとするのかしらね」

 

歯磨きをやり直し、顔を洗った蓮が戻ってきて、ベッドの上で胡座をかいた。

 

「パーバティ、わたくしはロンとラベンダーが付き合うことはどうでもいい。好きにすればいいと思ってるよ。でもあのくっつきっぷりは、公害のレベルだ。あれだけくっつき合っていたいなら、ふたりきりの場所を選んで移動するべきじゃないか? そして、さらに迷惑なことに長持ちしないときた。それもまあどうでもいい。でも、ラベンダーに飽きて別れたいなら、さっさときちんと別れるべきだ。しれーっとわたくしたちの会話に割り込んできて自分の意見を振り回す前にね。そしてラベンダー。なんだあの女。状況が見えてないにもほどがある。わたくしやネビルはハリーを止めて、いったん2人を引き離して頭を冷やさせようとしてた。ロンのためを思うなら、ラベンダーこそ率先してロンを引っ張り出すべきじゃないか? その場でわんわん泣いて悲しみを表現してどうする? 何か意味があるのか? なんであの女はいつもいつもいつもいつも無意味なことにエネルギーを使うんだ。それもひとりでエネルギーを浪費すればいいものを必ず他人を巻き込む。あいつの将来の仕事ならわたくしが決めてやる。泣き女だ」

「バンシー?」

「違うよ。アジアのとある文化圏では、泣けば泣くほど故人を悼んでいると考えるから、葬式で泣く職業がある。あいつにぴったりだろ。せいぜい毎日泣いて暮らせっつうの」

 

ハーマイオニーが急いで割って入った。「それって日本の文化? 感情豊かな文化よね?」

 

「違う。日本人をバカにすんな。わたくしは8分の1しか日本人じゃないけど日本育ちなんだぞ。わたくしとラベンダーに何か共通点があると思うのか?」

「ないわ、ね・・・そうそう! 8分の1といえば、マーメイドも8分の1ね!」

「・・・ハーマイオニー」

「はい」

「そ・れ・が、何なんだよ?! そうだよ、フランスのひいばあはマーメイドだ。ついでに言うと、フランスのひいじいだって人間かどうか怪しいよ。それが? それが? とりあえず人間の形で生まれてきたから人間やってるだけですけどそれが何なんですかー?! 尻尾でも鰭でも生えてりゃ良かった。そうしたらこんな面倒くさい立場にならずに済んだんだ」

 

ハーマイオニーはパーバティと顔を見合わせ、ラベンダー・ストレスで退行した蓮を、スラグホーン謹製魔法薬で寝かしつけることにした。

 

 

 

 

 

スーザンがガラスの小瓶を振った。

 

「色や匂いに特徴的なものはないけど・・・レン、少し迂闊じゃない? 魔法薬で痛い目に遭ったのに、何の薬かわからないまま飲むだなんて」

 

ハーマイオニーとパーバティが、初めてその可能性に気づいたらしく飛び上がった。

 

「そ、そういえば・・・」

「何も不調はない? 副作用とか。ごめんなさい、レン、あなたがグズるとめんどくさいからついつい飲ませてたわ」

 

なんともないよ、と蓮はつまらなそうに言う。「じゃ、スーザンも知らないんだね。今朝になって2人が魔法薬が残り少ないって言うから思い出したんだ。わたくしは1度しか飲んだ記憶がないのに」

 

「知らないわ、ごめんなさい。でも・・・ハーマイオニーもパーバティも・・・寝かしつけの苦労は大変かもしれないけど、せめて魔法薬の正体は確認してあげてね」

「はい、スーザン様。まったくもっておっしゃる通り」

 

これなら問題はない、と入室してきたマルフォイが、すいっとスーザンの手からガラス瓶を抜き取ると、試験紙らしきものに垂らして請け合った。「調合して癖のある匂いや味を消してアルコールを飛ばしているが、薬草酒のようなものだ。これがどうかしたのか」

 

「スラッギーからもらったんだ。もらった夜に飲んだ記憶はあるけど、そのまま忘れてた。そうしたら、この2人が、わたくしにたびたび飲ませてたことが発覚した」

「だって、これを飲ませると寝かしつけが楽なのよ。だからつい」

「不調があったらいけないと、2・3日は気にしてたけど、異変が見受けられないからそのまま忘れて」

 

スーザンとマルフォイが溜息をついた。

 

「大したものじゃないから良かったが、無味無臭の魔法薬にはより注意を払うべきだ。真実薬だって無味無臭じゃないか。無味無臭の魔法薬にはろくでもないものが多いんだ」

「そうね。意図して無味無臭にする時点で、後ろ暗いものであることが多いと思うわ」

「幸いこれは君たちが活用していた通り、癇の強い子供にひそかに飲ませるために無味無臭にしてあるものだが、この薬だと偽って無味無臭の毒薬を飲ませることも考えられる。しかし、ウィンストン、君にはこれが効いたのか? 魔法睡眠薬のほうが薬効が顕著なはずだ。使ったことは?」

「魔法睡眠薬は数ヶ月常用してたから、あまり効かなくなったんだ。始終眠くなるし」

「ふーん・・・そのあたりはアジア人の体質が強いのかもな。ユーラシア大陸の東の方では、調合よりも、薬草による薬効を求める傾向が強い。確か日本の魔法学校では魔法薬学は薬草学とイコールなんだ。非常に奥深い学問らしいぞ。患者の体質によって薬草を使い分ける」

 

漢方かしら、とハーマイオニーが蓮を見た。

 

「知らないよ。マルフォイ、こいつのレシピを知ってるか?」

「ああ。明日書き出してきてやる。グレンジャーとパチルの苦労を軽減してやるんだろう?」

 

ハーマイオニーがおそるおそる「マルフォイ、調合して持って来てくれる? わたしちょっと魔法薬学に自信喪失中なの」と訴えたが、当のマルフォイから冷たく「ダメだ」と却下された。

 

「ハーマイオニー・・・マルフォイに信頼を示すのはいいけど、もう少しレンを大事にしてあげて」

「そういうことだ。僕から食べ物や薬を受け取ろうなんて考えるな。僕に悪意がなくても、僕はスリザリンの寮にいるんだぞ。ウィンストンを狙うために僕の所持する素材に手をつける奴がいないと言い切れるのか」

「・・・はい」

「パーバティもよ」

「・・・はい」

「2人で調合しろよ」

「どさくさまぎれに偉そうなこと言ってないで自分でしなさい」

 

却下された蓮が頬を膨らませた。


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