サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

169 / 210
第16章 世の果てに似ている

古い呪文集を閉じてハーマイオニーは小さく首を振った。

 

「そろそろ時間切れね。帰りましょう、スーザン」

 

ハーマイオニーの声に立ち上がったスーザンが鼻と口をハンカチで押さえてローブの埃を払った。

 

「・・・なかなか進まないわね」

「そうね。でも、こんなこと言うとマルフォイには悪いけど、わたし個人は進まないほうがいいと思うわ」

「・・・ええ。用途を考えるとゾッとする」

「そっちはレンとパーバティが対策してるから、なるべく時間を稼ぎたい」

「対策? マルフォイから連絡が来たら避難させるんじゃないの?」

 

スーザンの耳に「なるべく長くマルフォイをトムくんの懐に入れておきたい」と囁いた。「そのためにマルフォイに手柄を立てさせるの」

 

「手柄って、ハーマイオニー、彼が命じられてるのは」

「今夜はちょうどその件を話しにダンブルドアのところに行っているわ」

 

 

 

 

 

「儂は逃げも隠れもせぬよ」

「そういうことじゃなくてさぁ。逃げ隠れして欲しいんだ。死喰い人に見せるようにマルフォイからの攻撃をいったん受けた感じにして、姿くらまし。校長だけは校地内でも姿くらまし出来るんでしょ?」

「・・・油断も隙もないのう。儂はまだそのことはミネルヴァにも教えておらぬのじゃが」

 

ハリーから聞いた、と蓮は唇を尖らせて言った。「みぞの鏡の前でハリーを捕まえた時だ。ハリーは自分が鏡に夢中で気づかなかっただけだと思ってるけど、いくらなんでもそんなに近づく前にわかるよ、普通」そう言ってダンブルドアの先が尖ってカールした靴を指差した。

 

「ほっほっほ。儂のほうが油断じゃった。これでもういつでも校長に就任することが可能じゃな?」

「やーめーてー。そんなことよりさあ」

「蓮」

「はーい?」

「儂はもうさほど長くないじゃろう」

 

突拍子もない話に、蓮はぱちくりと瞬きして、目を見開いた。

 

「夏のバカンスを、ホークラックスの探索に費やしておったところ、まあ、見事に引っかかったわけじゃ。非常に強力な呪いゆえ、薬や魔法を尽くしても呪いが解けぬ。よってこの呪いはじわじわと儂の身体を侵食していっておる。保ってあと半年というところじゃろう」

 

蓮は真剣な表情になった。

 

「君が円卓の輪の中にミスタ・マルフォイを受け入れ、敵の情報を集めておることは知っておる」

「うん・・・ダメだった?」

「さすがは女王の剣じゃと思うておる。スリザリンとの対立や諍いの歴史を乗り越えたのじゃな」

「諍いってほどじゃないし。歴史ってほどでもない。個人的に気が合わないだけの相手だよ。助けを求められたら、もちろん助ける。対トムくん戦線のあとに魔法界を変革していく時には、敵味方問わず、犠牲を最小限にしておく必要があるんだ。バタバタ人が死んでたら、その後の政治がやりにくくなる」

 

ダンブルドアが目を細めた。

 

「そこまで考えておったか」

「うん。どちらかといえば、戦争よりその後の政治が大目標だからね。戦争はなるべくイギリスの魔法族の手でやりたいし、犠牲は最小限。これは鉄板だよ」

「なるほど賢い子じゃ。しかし、儂がもう長くない以上、ミスタ・マルフォイの手が汚れぬように考えておることがあっての。マルフォイくんの代わりに儂を殺す人材は用意してあるのじゃ」

「・・・先生を、殺すの?」

「さよう。自殺願望は特にないが、この手ではのう。より効率的な局面でこの命を最大限に活用するつもりでおる。じゃから、方法は違えど、君の目的は達成出来るように思う。マルフォイくんが儂を追い詰め、あとひと息のところで成人の魔法使いが現れて儂を殺すのじゃ。さすれば、マルフォイくんのあちら陣営での立場は保証されよう」

 

蓮は三角座りをして、唇を尖らせた。

 

「死ぬことは考えないで欲しい。わたくしはずっとずっとトムくんの虚像を、矮小化して話すようにしてきた。それはね、先生、みんなが『死を覚悟しなきゃ勝てない』って思わないようにだよ。死なずに勝てるよ」

「うむ。見事じゃ。見事な女王の剣じゃ。じゃが、儂は死ぬのじゃ。そう遠くないうちに。儂には妻も子もおらぬ。寝台での最期を誰かに看取っていただくことは想定せずに生きてきた。病を得て寝台に横たわり、誰かに手を握ってもろうて最期を迎えたいというのは、我儘が過ぎよう。儂のような生き方をした者にとっては、戦いの中で捨て石になる死に方もまた幸福なのじゃ」

 

でも・・・、でも・・・と、反論しようとして出来ず、蓮は膝を抱えて文句言いたげな表情で黙った。

 

「蓮、儂が命を失うと同時に君には暫定的なホグワーツ城の主人の座が与えられる。次の校長が正式に決まるまではの。それが合図じゃ。当分の間、姿現しでもなんでも出来るぞ?」

「・・・要らないもん、別に」

「おや。アルジャーノンが眠たくなってきたかの?」

「眠くないもん」

「ではしばし儂の話に付き合っておくれ」

「・・・うん」

 

 

 

 

 

#####

 

儂は最終学年の折にはもういくつかの論文を書き、評価をいただいて出版しておった。君の縁者ニコラス・フラメルのおかげでのう。

 

よって、卒業後の進路に頭を悩ませる必要はなかった。ゴドリックの谷に帰り、バチルダばあさんのように、研究生活を送るつもりでおったのじゃ。妹の魔力が増えて、抑制に必死な母を手伝うことも出来よう。

 

しかし、既知の通り、卒業直後、卒業旅行のためロンドンに滞在しておった儂の元に、バチルダばあさんから手紙が届いた。母の死を知らせるものじゃった。儂は家長となり、弟妹の面倒を見なければならぬ。これでも、山羊と深い関係にある弟とオブスキュリアルである妹、甚だ頼りない弟妹を持つ身じゃ。在学中から覚悟してはおった。

それでものう、まだ若く、自信家の青年にその暮らしはいささか難儀じゃった。なにしろ儂の母は、娘、つまり儂の妹のことが我々兄弟の枷になってはならぬと、妹の世話を一手に引き受けておったのじゃ。詳しい苦労は息子たちに知らせずにのう。それでも弟のほうは山羊と遊ぶために休暇には必ずゴドリックの谷に帰ることにしておったし、初めて下に出来た妹のことも可愛がっておった。じゃが儂は・・・母が学問で身を立てよと言ったことを真に受けて、あるいはそれを良いことに、夏以外は自宅に帰らず、ホグワーツで研究三昧じゃった。当然ながら、母を失った妹が頼りにする兄ではなかったのじゃ。妹にとっても儂にとっても滑りの悪いぎこちない暮らし。そんな時、バチルダばあさんのもとにゲラートが滞在することになった。気性の明るい、議論好きのゲラートとの交友は、極めて強く儂を惹きつけた。夜中にふとしたことから想起したアイディアを、朝を待てずにフクロウを飛ばして意見を求める。ゲラートもすぐに返信する。ひと晩で10から15回のフクロウを飛ばしたこともあるのう。妹の世話は当然おざなりになった。

 

その時はそれでも良いと自分に言い訳をした。夏季休暇じゃ、弟がおる。妹は儂より弟に懐いておる。さらにゲラートは夏だけの滞在の予定じゃった。今はしばらく弟に妹を預け、儂はその後の長い介護生活の前に、ゲラートとの間で、大いなる目的を実現する土台となる理論を構築しよう、とのう。ひと夏だけの予定じゃからこのぐらいは良かろうと自分を甘やかした。

 

また、家長としての務めは他にもあった。領主であるウィンストン伯へ納めるべき地代家賃は滞っており、母の葬儀費用も拝借せねばならない。

ウィリアムの祖父君に当たられる当時のウィンストン伯は、ウィリアムによく似た雰囲気のおおらかな魅力のある方じゃった。「家賃や葬儀費用の借受金のことは覚えていてくれさえすれば良い。まだ若く、弟も学生なのだから、まずは生活を優先しなさい」とおっしゃった。高貴なる義務、いわゆるノブレス・オブリージュの塊のような方でのう。いつ訪ねても軍装をお召しになっておったものじゃ。あの方にとっての儂は、守るべき、さらには特別に注視すべき領民じゃった。

本来なら、そのことに感謝せねばならぬ。今は心から感謝し、さらに尊敬の念を抱いておるが、当時の儂には卑屈さが染み付いておった。借金を気にするなとは、見くびられた、無能な者として扱われた、あのような弟妹を持つ若者として憐れまれた、悔しさに歯噛みしておった。

 

そのような家庭の雑事のあとは、決まってゲラートとの手紙のやり取りが激しくなったものじゃ。その中で、儂はホグワーツ校長になる考えを打ち明け、ゲラートは新大陸への移住を打ち明けた。

教育への熱意があったわけではない。権力を握ることが目的じゃった。ホグワーツ城の主人となれば、魔法族として頂点に立つことになる。まだ魔法大臣、魔法省が立ち上がって間も無い時代じゃ、魔法大臣ではなく王になることが、儂にとって権力の頂点に該当した。

ゲラートは、ヨーロッパではもう自分がどれほど努力しようとも認められることがないと理解しておった。ゲラート本人に悪気はなかったかもしれんが、ダームストラング校が頭を痛めるほど、不適切な魔法を気軽に使う男じゃった。

そこで儂らはすべてを分かち合うことを誓った。ゲラートと共に新大陸に移住し、英国にない魔法を英国にもたらし、さらにそれを磨き上げることが出来れば、儂は極めて優秀な魔法使いとしてホグワーツに迎え入れられよう。そうなれば、ゲラートもイギリスに来て闇祓いとして優れた魔法使いとなる。端っこの島国であってもヨーロッパの一部じゃ。ゲラートを追放したヨーロッパに凱旋するというわけじゃな。

 

2人でおれば世界の頂点に立つことができる。2人してそのような夢を見た。幼い夢じゃ。

 

その夢を打ち砕こうと、弟が儂らが語らう部屋に入ってきた。今日こそはひと言言ってやるという気迫を肩にも腕にも脚にも込めて。

妹をひとり置いて行く気か、と問われた。現実に引き戻され、儂とゲラートは非常に不快な興奮を覚えた。

置いては行かぬ連れて行く、と答えると、また弟が言うた。兄の都合で妹の環境をコロコロ変えて良いと思っているのか。そのような暮らしに耐えられる状態だと思うのか。我々兄弟は、まず妹を守らねばならん。天下国家を語る前に、妹を看ろ。

 

山羊と遊んでばかりの愚弟から突きつけられた正論じゃよ。返す言葉もない。

しかし、ゲラートは違う。彼の弟の正論ではないし、アリアナは彼の妹でもない。また、当時のゲラートには友人の家庭の事情を斟酌する気遣いが欠けておった。これまた若さゆえの無知から来るものじゃな。

気分を害したゲラートは杖を出し、弟もそうした。儂もじゃ。弟を傷つけさせるわけにはいかん、ゲラートのことも傷つけさせるわけにはいかん。このようにして三つ巴の決闘が狭い家の中で始まった。呪いが飛び交い、家が激しく軋みを立てる。アリアナにとって、いかほどの恐怖であったろうか。

アリアナが部屋に駆け込んできた時、アレもやってきた。黒い暴風じゃ。

まだ当時はオブスキュロスの存在は知られておらなんだ。我々は何が起きたかわからぬまま、黒い暴風に巻かれた中で思いつく限りの魔法を放った。

 

・・・全てが通り過ぎたとき、妹は事切れて倒れておった。

 

この夏の経験が、長いこと儂を支配しておった。権力、いかぬ。権力を持とうと欲するとき、家族という最も基本的な義務を忘れる男じゃ。恋、愛、結婚、いかぬ。熱病に浮かされては人を犠牲にする男じゃ。

 

教師になったのは、贖罪のつもりじゃった。清廉な生き方をするために儂は教師になることを決めた。

 

じゃがのう、蓮。

後悔はしておらぬが、感情という点において、儂は空虚な人間なのじゃよ。贖罪と義務のために生きてきたのじゃ。

今の儂はいくらか感情を取り戻しておる。君やハリーが、心から血を流さんばかりに傷つき、それでも熱き血に揺り動かされ、荒波を掻き分けて成長する姿に、儂も揺り動かされた。

死期がある程度--1年に満たぬ余命とわかった以上、何かせずにはおられぬ。蓮、儂はトムの毒で死にたくはないのじゃよ。君たちの戦いのために死にたいのう。君たちの役に立つ形で死にたい。

 

わかってはくれぬか。

 

 

 

 

 

#####

 

ぼんやりしたまま、ふらりと校長室を後にした。視界が霞んで揺れている。

 

部屋に入った瞬間に、意識が途絶えた。

 

 

 

 

 

きぃ、と間の抜けた音を立ててドアが開いたので、蓮だろうと思って振り向くと、そのまま、糸が切れた人形のように、膝をつき、右肩を下にして、蓮が崩れ落ちた。

 

「レン?! ちょっと! どうしたのレン!」

「ダンブルドアが」

 

微かに目を開け、そう掠れた声で呟いて、またカクンとハーマイオニーの腕の中で意識を失った。

 

「どうしたの・・・ってレン!」

 

ラベンダーの部屋を訪ねていたパーバティが異変に気付いて飛び出してきた。

 

「何があったの?」

「わからないわ。熱があるみたい・・・。とにかく、帰ってくるなり倒れたの!」

「今夜は校長室に行ってたはずよね?」

「さっき、ひと言だけ、ダンブルドアの名前を口にしたわ」

「ダンブルドアとは、ディスカッションをするだけだったはず。少なくとも今まではそうだった・・・とにかく、こうしてても仕方ないわ。医務室・・・は少し不安ね、マクゴナガル先生の部屋に運びましょう。マダム・ポンフリーに往診してもらえるわ」

 

 

 

 

 

「知恵熱でしょう」

 

マダム・ポンフリーは簡単な診察をして、ダンブルドアに状況を確かめに行くと、戻ってくるなりそう宣言した。

 

「はい? だってこんなに熱が高く・・・」

「ダンブルドアによれば、ダンブルドアの人生を話して聞かせたそうです。それを受け止めるのにエネルギーを使っているので、目を覚ましているリソースが足りないのですよ。知恵熱です」

「こまっしゃくれてはいますが、まだ17歳、精神年齢は行ったり来たりのローティーン程度ですからね。あの爺さんが遠慮なく自分の人生をぶち撒けたのなら、受け止めるのは大変でしょう。わたくしでさえ、そのような昔話はお断りです」

「頭を冷やしてやりながら寝かせておけば治ります。一応解熱剤を出しますから、パチル、医務室に取りに来てください。液状なので寝たまま飲ませられます」

 

ああ! とハーマイオニーが声を上げた。

 

「び・・・っくりした。何よハーマイオニー」

「あの・・・マダム・ポンフリー、最近寝る前に時々飲ませていたお薬があるんですけど、それは関係ありませんか?」

「薬? わたくしは出した覚えがありませんが・・・念のため確認しましょう。空き容器でも構いませんから持っていらっしゃい」

「はい。たぶん2回分くらいはまだあったと・・・」

 

呟きながらハーマイオニーは駆け出した。

 

 

 

 

 

「この薬は、スラグホーン先生のものですね?」

「は、はい」

「またこういう小遣い稼ぎをして・・・まったく。ああ、グレンジャー、パチル、この薬は原因ではありません。スラグホーン先生は、こういう軽易な常備薬の範囲のものを調合しては、小遣い稼ぎに売ることがあるのです。さすがに生徒に売りつけたことはありませんから、大方、ウィンストンの疲れを癒してやるつもりでストックから分けてくださったのでしょう。これに効果があったのなら、あなたがたでも調合出来ますから、常備しておいても構いません。ちょっとしたサプリメントですね。でもまあ、この薬を使うのは就学前の子供です。その年齢なのですから、知恵熱で間違いありません」

「あ・・・そうですね」

 

問題は、とマクゴナガル先生が両手を腰に当てて仁王立ちになった。

 

「用法を聞くどころか、何という薬かもわからないものをホイホイ口に突っ込むあなたがたの愚かさです!」

 

 

 

 

 

#####

 

夢を見ていた。

長く不安な色を残像に残す種類の夢だ。

 

沼地の真ん中をくねくねと続く一本道を歩く。

黒い革のコートを着て、黒いワークブーツを履いている。

歩いても歩いても沼地を抜けられない。

たったひとりで、いつまでもどこまでも歩いている。

 

 

 

 

 

#####

 

薄く目を開けると、ハーマイオニーとパーバティの顔が見えた。

 

「パーバティ」

「了解」

 

頭が持ち上げられて、唇に吸飲みのようなものをあてがわれ、甘くとろりとした液体が流し込まれる。

 

 

 

 

 

#####

 

オールを差し出す。

 

「先生、掴まって! 先生! 先生!」

 

何度呼びかけても、ダンブルドアの手が持ち上がらない。沼地から無数の亡者の手が生え、ダンブルドアの四肢を引いている。

 

「先生!」

 

 

 

 

 

#####

 

左右色の違うオッドアイに見下ろされている。

 

ああクルックシャンクスだ。

 

しわがれた声で鳴く。ハーマイオニーを呼んだのだろう、視界にハーマイオニーが映った。

 

冷たいタオルで顔を拭かれた。

 

「・・・ありがと。何時?」

「夜の10時。ちなみにあなたがダンブルドアの部屋から戻って丸1日経っているわ」

「そか・・・」

「起きるの?」

 

もぞもぞしていると、ハーマイオニーがそう言って身体を起こしてくれた。

 

「はぁ・・・迷惑かけたね。ごめん」

「迷惑というより心配。何があったの?」

「パーバティは?」

「ラベンダーの部屋よ」

 

そか、と少し考えて「ん」と前髪をかきあげ、額を差し出した。

 

「記憶を読むの? 負担にならない?」

「だいじょぶ。音声にしたくないし」

 

しばらく目を閉じて、ハーマイオニーが自分の額を当てて、そっと魔力を流し込むのを感じた。

 

ハーマイオニーの開心術は、決闘中でなければ、水が砂地に染み込むように自然な形をしている。

 

額を離したハーマイオニーが、喉の奥につかえたような声で「これは、もう、仕方ないわ」と呟いた。「みんなにはどうする?」

 

「話さないほうがいいと思う。ああ、でも、マルフォイにだけは、余命だけは教えておいたほうがいいかな」

「マルフォイにやらせるの?」

「そうじゃないよ。ハーマイオニー、人を殺せば魂は傷を負う。ダンブルドアはそれを望んでない」

「でも誰かに依頼しているでしょう。その人は傷を負ってもいいの?」

 

たぶん、と蓮はしばらく考えて答えた。「ダンブルドアは、その人に杖を遺すと決めたんだ」

 

「杖?」

「うん。死の杖、宿命の杖、ニワトコの杖だよ」

 

 

 

 

 

#####

 

「これこれ。そう泣くでない、アルジャーノン。君の本体はもう成人したレディじゃからの」

 

うー、と歯を食いしばって堪えようとするが、涙と鼻水が止まらない。

 

「君に良いものをあげよう。こちらへ・・・ああ、いかん、闇のものを始末せねば来られぬのじゃった」

 

ダンブルドアは立ち上がり、机を回って来て、蓮の前に膝をついた。

 

「負け癖つきまくりのダメ杖を君にやるわけにはいかぬ。じゃが、負けたことのない杖を君に遺そうと思う。この杖は、君が禁じられた呪文を放つ際に使いなさい。君の桜の杖より弱いので、君の渾身の魔力を通したら砕け散るかもしれぬが、致命的な結果を招くことはなかろう。また、君の桜の杖を穢さぬためにも便利な1本じゃ」

「こ、これも、先生の杖?」

「さよう。儂がゲラートを倒した時の杖じゃ」

「禁じられた呪文は、もう使わないよ」

 

使わねばならぬ時が来るかもしれぬ、とダンブルドアは厳しい顔をした。

 

「い、いやだ」

「蓮。良いか? 辛い役目を人に預けてはならぬ。誰かがそれをせねばならぬのなら、自らがその重荷を背負いなさい。トムと君、ハリーはどちらに殺されることを選ぶじゃろう?」

「いやだ!」

「回避出来るなら回避しなさい。しかし・・・備えておくのじゃよ」

「いやだ・・・したくない。他に方法があるよきっと」

「さようじゃな。あるかもしれぬ。しかし・・・見つけられないまま、その選択を迫られるかもしれぬ。備えておくのじゃ」

 

したくない、と歯を食いしばって絞り出した。それを聞かないふりでダンブルドアが杖のセールスを始めた。

 

「艶のある黒檀、芯にはなんとセストラルのたてがみを用いたお買い得の1本じゃ。今ならワックスセットも付いてくるぞ? ん?」

「ワックスセットは持ってるから要らない・・・その分安くして! ハリーを殺せとか言うな!」

「・・・友の命を敵に預けるか?」

「しない!」

「ハリーはトムと共に生きると言うたかの?」

「言ってないけどハリーは死なせない!」

「ミス・グレンジャーならどうであろう。君が敵の手にかかって殺されるぐらいなら・・・殺してくれるのではないか? 泣きながらでも良い。震えても良い。じゃが、友の命を敵の手に渡さぬために、その道を選ばねばならぬ時には・・・この杖で為すのじゃ。君は女王じゃ。悲しみを人に預けてはならぬ。自らが背負うのじゃよ」

 

曽祖母の言葉を持ち出され、蓮の全身から力が抜けた隙に、左手に握らされた。

 

「どうして・・・」

「儂は柊子を預かった教師じゃ。そのぐらいはのう」

 

杖を握った蓮の左手を、どす黒く変色した右手で軽く叩いて「さあ、部屋に戻ってゆっくりおやすみ」と呟いた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。