サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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閑話36 I am a God's child

いつまでそうしてるつもりだ、とハリーが溜息混じりにロンに声をかけた。

 

「おや、まだ僕と会話する気があったとはな」

「やめろ、ロン。そんな態度で何が解決するっていうんだ」

 

解決なんかしない。

それぐらい僕にだってわかってる。

 

でもこの胸の底をジリジリと焦がす焦りを、どんな言葉で表現すれば君たちは納得するんだ。

 

「まずラベンダーとのことを、きちんとするべきじゃないか?」

 

ハリーがスプリングを軋ませてベッドに雑に腰掛けた。

 

「そのうち諦めるさ」

「どうせ諦めさせるつもりなんだったら、きちんと終わらせるのが誠意だろ」

「よく言うよ。自分はチョウと別れ話をしたのか?」

「ロン・・・僕とチョウは、何も始まってなんかなかった。終わらせなきゃいけないほどのことが何も、まったく存在しなかった。たった2回キスをしただけだ。なんとなく疎遠になったわけでもない。マリエッタ・エッジコムの密告っていう重大な問題を、軽々しいものとして何事もなかったように僕に近づいてきたから、僕はその不誠実さを指摘した。なんとなくの始まりだったけど、キスだけは明確にした、そのことに対応するだけの衝突があって終わったんだ。君とラベンダーの関係と同列で引き比べるようなことじゃないだろ」

 

冷静に話すハリーに無性に腹が立って、ロンは怒鳴った。

 

「僕はこんなことのために生まれたんじゃない!」

 

突然激昂したロンに戸惑うように、ハリーが眉をひそめる。「いきなり何の話だよ」

 

「君たちさ。君、レン、ハーマイオニー。救世主気取りだ。ああ、こんなろくでもない世の中、誰だって不満だらけさ。でもこのろくでもない腐った世界が僕らの世界だ。悪かったな。気に入らなきゃさっさとマグルのおばさんちに帰れよ」

「・・・じゃあ君はろくでもない腐った世界で何をすれば満足なんだ。僕がダーズリー家に帰り、レンが日本に帰り、ハーマイオニーがマグルの歯医者になれば満足するのか。話をすり替えるな」

「なんで僕が君たちの救世主ごっこに付き合わなきゃいけないんだ」

「付き合えなんて誰が言った。ここ最近の君の態度の言い訳になるとでも思ってるのか。君がラベンダーを避けて回るせいで、僕やハーマイオニーやレン、最大の被害者はパーバティ、みんなが迷惑してる。僕らこそ君に言いたいのを我慢してる。『なんで僕らが君の悩めるティーンエイジャーごっこに付き合わなきゃいけないんだ』付き合わされてるのがどっちかわからないほど頭がどうにかなってるなら、それこそさっさと家に帰ってママのスカートにしがみついてろ。ガールフレンドに別れ話も出来ないような腰抜けにはそのぐらいしか期待なんかしてない」

 

ハリーの台詞の途中で帰ってきたネビルが「ハリー、少し言い過ぎだ」と割って入った。

 

「ネビル、悪いけど」

「こういうことは僕に任せて。下に降りててよ」

 

ネビルがハリーの肩を叩いて、部屋から追い出してくれた。

 

「悪いな、ネビル」

「僕にはそうやって気遣ってくれるのに、ハリーたちに謝れないのはどうしてだい?」

「あいつらには僕の気持ちなんかわかりっこないからさ」

「本当にそう思ってるの?」

 

苦笑するネビルの人の良さそうな顔に、ロンは思わず目を逸らした。

 

「僕から見たら、口にしなくてもわかってもらえるからこそ、不愉快な気持ちを態度に出してるように見える。気に障ったらごめん。でもさ、僕ら、もうあと2年も一緒にいられないだろ? 途中でこんな仲違いするのもなあって思うよ」

「君は平気なのか?」

「何が?」

「ハリーたちが考えてるのは、魔法界を改革することだ。大真面目にそんなバカバカしいことをやってる。君や僕の世界をバカにしてるんだぞ」

「変えなくてもいいと思うのかい?」

 

濁った声に、ロンはまた思わず振り返った。

 

「パパとママは、勇敢な闇祓いだった。まるで今と同じような、例のあの人の圧力で息苦しくなった魔法界のために戦った。これを繰り返すだけでいいのかな。僕は幸せだったと思うよ。ばあちゃんに育てられたことを僻んだりなんかしない。ばあちゃんもアルジー大叔父さんも、こんな僕を諦めずにこの歳まで育ててくれたんだ。僻むなんて有り得ないし、僕は確かに幸せだった。今だって幸せか不幸せかと聞かれたら幸せだと答える。だから、魔法界は変わる必要がない? 変わって欲しいよ、僕は。それは僕が不幸だからじゃない。僕の幸不幸に関係なく、おかしいものはおかしいからだ」

 

ロンが黙っていると、ネビルはまた仕方なさそうに笑う。

 

「僕はずっと君たちのみそっかすだった」

「・・・何言うんだ」

「1年生の時からずっと、君たちの冒険を後から聞いて感心するだけの鈍臭い奴だ。だから、ロン、僕には今の君の気持ちなんてわからない。どうして今になってそんなことを言い出すんだろう。ハリーが例のあの・・・トムくんを敵だと考えて戦おうとするのは昔からだし、ハーマイオニーやレンが魔法界の古臭さにうんざり顔をするのも昔からさ。彼女たちが成人した今、こんな流れになるのは自然な感じがする。君は僕よりも彼女たちに近い場所にいたのに、今急にみんなのことが不愉快になったのかい?」

 

僕は逆だ、とネビルは噛み締めるように言った。

 

「ネビル・・・」

「去年DAをやって、神秘部に行って。僕にも出来ることがあると思うようになった。君たちほど目覚ましい活躍じゃないだろうけど、僕は僕の出来ることでレンやハーマイオニーの役に立ちたい。去年のレンは辛そうだった。アンブリッジのせいで、みんなと一緒にDAをやれなかった。アンブリッジのスパイにさせられてたし、真実薬を飲まされてたから、万一のことを考えて、何ひとつ協力もしないし耳も貸さなかったんだろ。僕はそのレンの代わりにって思って最初は参加したんだ。もちろん代わりになんてなれるわけもないけど。レンが参加できなくて悔しい気持ちでいるなら、僕がいつまでもみそっかすでいるわけにはいかないって、気持ちだけはそういう気持ちだった」

「君、どうしてレンのことをそこまで」

「本当なら僕がレンを守らなきゃいけない立場なのに、ずっと逆だったからさ。レンは僕の両親の名付け子なんだ。入学前にさんざんばあちゃんに言われてたよ。レン・エリザベス・キクチ・ウィンストンの名をロングボトム家が預かっていることを忘れるな、ってね。ところが、僕はどうしようもなく鈍臭くてビビリで、ずっと魔法薬学ではレンの影に隠れてた。ずっとずっとずっとずっとずっと自分が情けなかった。情けないんだけど、どうにもならないんだ。なにしろ僕ときたらぶきっちょだしトロいし泣き虫だしさ。レンはあの通り、何をやらせてもたいていの男よりカッコよくてスマートにやってのける。それで、僕は決めた。レンが僕のことなんて眼中になくても、最後の最後、僕しか残らなくなってもレンの友達でいる」

 

鈍臭い僕らしく、と今度は明るく笑う。ロンは釣られて笑い、つい口を滑らせた。

 

「君はすごい奴だぜ、ネビル。僕はその割り切りが死ぬほど下手なんだ」

「そうだったっけ?」

「ああ。いつもヒーローはハリーだしな。そりゃクサりもするだろ」

「でも君はいつでもハリーを支えてきたじゃないか。君こそすごい奴だ」

「やめてくれよ。今まさに足を引っ張ってる」

「違うよ。みんなのこと、甘く見てる。君に足を引っ張られるような人たちじゃない。君がどんなに抵抗しても、君ごと魔法界を変えちゃうのがレンとハーマイオニーだと僕は思うよ。ハーマイオニーは特にね。ハリーとレンは君が自分で動き出すのを待つタイプだけど、ハーマイオニーは違う。そのうち我慢の限界に来てこの部屋に怒鳴り込んでくる。君の耳を引っ掴んで、いい加減にしろって喚き始めるよ。その前に少しは動きを見せることをオススメする。いいことを教えてあげるよ。ハーマイオニーはね、クリスマス休暇の間、ロンドンになんて帰ってない。ずっとひとりで学校にいた。そしてひとりに耐えかねると、この部屋を襲撃して・・・僕の机に座ったりハリーの机に座ったり、僕のベッドの上に立ち上がって演説したり、ハリーのベッドに座り込んで推理を働かせたりしてたんだけど、どうしても、絶対に君の机や君のベッドには触ろうとしなかったんだ」

「そりゃまたずいぶん嫌われたもんだ」

「君の机と君のベッドだけは知ってるからだよ。僕は女の子が自分のベッドの上にいるのは落ち着かない人間なんだ。やってるのが盛大な演説だとしても。だから懇願した。頼むから僕のベッドを降りて、ドアを開けてレディらしく訪問してくれって。そうしたら『あらこれハリーのベッドじゃなかったの?』ってさ。僕とハリーは彼女にとってベッドや机を演説台にしていい対象なんだ。手のかかる弟ぐらいにしか思ってないみたいで、僕はもうハーマイオニーが僕に対してレディらしく振る舞うのは諦めた。ところが同じ部屋の中なのに、君の机とベッドに対してだけはレディなんだ。ハーマイオニーが君を必要としてるのは間違いない。確かに僕にはハーマイオニーやレンの考えは高度過ぎてついてけてない。でもハーマイオニーの女の子らしい部分には多少の自信がある。他の子たちに比べると微かにやっと存在する部分に過ぎないかもしれないけど、男としての君のスペースを尊重しなきゃって思ってるのは間違いない」

 

 

 

 

 

よりによってバレンタインデーに、頬に真っ赤な手形をつけて夕食に現れたロンが「レン、悪い、ちょっと空けてくれ」と言ってハーマイオニーの隣の席に座ると、レンは肩を竦めて、向かいのハリーの隣に座った。

 

「どうしたの、その顔」

「ラベンダーに叩かれた」

「まああれだけ避ければね。ちゃんと謝ったんでしょうね?」

「深い考えもなく彼女と付き合ったことを謝った。別れたよ、ちゃんと。落ち着く間しばらくは君たちに迷惑かけると思うけどまあ、適当に流してやってくれ」

 

大丈夫だ、と蓮はハリーの皿からソーセージを取った。「わたくしが怒鳴って以来ラベンダーはわたくしを巻き込まなくなった」

 

「ハーマイオニー、君は?」

「え、ええ。ラベンダーの価値基準ではわたしたちよりパーバティが親友らしいから」

「そうか。それならあまり迷惑をかけない、か?」

「迷惑だなんて」

 

ハリーが蓮の背後に回り、脇の下に腕を入れ、羽交い締めするようにして椅子から持ち上げた。

 

「なんだよハリー」

「デリカシーが必要な場面だ。君はハウスエルフに部屋まで運んでもらえよ」

「うーん。食べ物ならいっぱいあるんだ。ディナーの代わりにチョコ食べてもいいな」

 

そんなんじゃ大きくなれないだろ、と父親のような説教とともにハリーが蓮を連れ出してくれた。蓮をあれ以上大きくしてどうするつもりだろう。

 

「イラついて君たちに八つ当たりした。悪かった」

「・・・イラついた?」

「君やレンに見えてるものが僕には見えない。ハリーはなんとかついていってるけど、僕には君が遠くに行ったように思えた。君のせいじゃないのに」

「どこにも行ってなんかないわ」

「そうだよな。君たちはそのまんまでいいんだ。僕がついていけばいいんだから」

 

 

 

 

 

早かったじゃないか、とベッドの上でチョコレートをバリバリと食べているハリーが目を丸くした。

 

「ハーマイオニーと中庭にでも行けってのか」

「行けばいいんじゃないか?」

「そういう扱いはしたくないんだ。まあ、腰抜けだからってのもあるけど、勢いで失敗したのにまた勢いよくハーマイオニーを振り回すのは馬鹿のすることだろ」

「だったらいい。ハーマイオニーは僕にとってもレンにとっても大事な人だ。君がラベンダーにしたように振り回そうものなら、いくら君が僕の親友でも今度こそ一発や二発じゃ承知しないからな」

「わかってるよ」

 

どさ、とベッドに倒れて、枕に顔を埋めてから「悪かった」と言った。

 

「ああ」

「マルフォイに、薬、作らせるのか?」

「そうだな。賭けになるけど。あいつに切り札を持たせるのはこっちだ。そう思わせる材料は多いほうがいいし、魔法薬学に優秀な奴であることは間違いない。僕はママの薬を完成させられる、レンはマルフォイの前に豪華な餌を見せてやれる、マルフォイは・・・」

「あいつは死喰い人なんだぜ?」

「なあ、ロン。単純なことなんだ。敵とか味方って話じゃなく、もっと単純に考えてみないか。敵はヴォルデモートだ。死喰い人だって本気であいつに心酔してるのが何人いるかな? 逆らえないから従ってる奴、頭が悪過ぎて目先のつまらない悪事やり放題が楽しくて仕方ない奴、そんなのが大半じゃないか? あいつにそれ以上のどんな未来を用意できる? 自分自身の未来さえろくに考えたことのない爺さんなのに。少しでもまともな感性がある奴は、恐怖や保身から仕方なく従ってるだけだと思うんだ。少なくともマルフォイ家の忠誠はもう期待できないと僕は思う」

 

ロンはハリーに顔を向けた。

 

「神秘部の戦いのあと、僕とハーマイオニーは逃げ遅れてアトリウムで奴を見た。僕らを追ってきたルシウス・マルフォイも見た。ヴォルデモートはルシウス・マルフォイに公衆の面前で繰り返し繰り返し磔の呪文をかけて苦しめて、ダンブルドアやレンのばあばが現れたら空を飛んで逃げた。苦しむルシウス・マルフォイを置いて。だからルシウス・マルフォイはアズカバンさ。ヴォルデモートの命令遂行に失敗して、人前で苦しめられて、最後は置き去り。でもまだマルフォイ家に死喰い人を引き連れて住み着いてる。どれだけ恥知らずなんだって思わないか?」

「まあな。逆らえないからだろうけど、とんでもなく迷惑だってのは、確かだ」

「マルフォイ自身かマルフォイの母親が、こっそりヴォルデモートを裏切ることは不自然じゃないんだよ。こちらはそれを利用すればいいんだ。ヴォルデモートみたいなやり方じゃなく。恐怖じゃなく、未来を餌にして操るんだ」

 

餌かよ、とロンは鼻を鳴らした。

 

「ああ。まあ、レンとハーマイオニーのことだから、ヴォルデモートを倒した暁には、マルフォイがそれだけ役に立っていたら、マルフォイの努力次第でマルフォイ家の威厳を取り戻せるように努めるとは思う。利用してポイ捨てって柄じゃないからな。それは気に入らないか?」

「気に入らないってわけじゃない。急にマルフォイを味方に引き入れるようになったのが、わけがわからなかった。それだけさ」

「話を聞いてみると、全然急じゃなかったんだ。マルフォイはたぶんずっとレンのことが好きだった。思ったことないか?」

「・・・あるよ。あいつ、ウィンストンを止めろ、死なせる気かって去年は喚いたからな。あの時、もしかしてって思った」

「うん。必要の部屋の前でアンブリッジに捕まったときには、僕だけじゃなくレンもその場にいたのを見て泣きそうな顔になった。関わるなって言ったのに、って。レンにあいつなりに必死で忠告したことがあるんだと思う。だからかな、僕はあいつのことを完全な敵だとは思えないんだ。敵というより、ヴォルデモートの被害者に見える。違う陣営にいても、必要なところでは手を結ぶに足る相手。そんな感じなんだ」

 

だからハーマイオニーまであいつを信用するのか、とロンは渋い顔になった。

 

「ハーマイオニーの親友を守ろうとした男だからな」

「ぁ・・・そういう意味か」

「それにさ、ロン。思い出してくれ。僕とジョージのせいでレンはアンブリッジのスパイにされた。なあ、アルジャーノン症候群になったそもそもの原因は、僕とジョージなんだよ」

 

ロンは跳ね起きた。

 

「まさか。まさかレンがそんなこと言ったのか?」

「言ってないし、考えたこともないと思う。でも、僕もジョージも、その責任は感じてる」

「あ、ああ、それなら、わかる。確かに君たちにしてみれば責任を感じないわけにはいかないよな。悪いのはアンブリッジだったにしても」

「僕ら、責任を感じてはいたけど、どうすることも出来なかった。真実薬を飲まされてたレンが万一に備えて、僕らの秘密から距離を置いたからだ。その時期にレンにアンブリッジの情報を流したのがマルフォイだったんだよ。動物もどきのレンがアンブリッジの罠にかけられて処刑されることのないように、アンブリッジをちやほやして、魂胆を聞き出し、レンに流したんだ。そんな奴のことを、単純に敵だと思えるかな。ハーマイオニーからそれを聞いて、僕ももう敵だと思えなくなった。味方っていうほど信用は出来ないけど、完全な敵でもないんじゃないか?」

 

ハリーの言葉に、ロンは仰向けになって腕で顔を隠した。

 

「癇に触る奴ではあるけどな」

「それは間違いない」

「ジョージは何やってんだろうな」

「さあ、それは・・・今のレンとは、ボーイフレンドとして交際することは無理だし、どこにもぶつけようがないことだろ。最初のきっかけを作ったんだから。ジョージだってどうすればいいかわからないと思うよ。とにかくさ、マルフォイを信用する必要はないけど、マルフォイを使うことには合理的な理由があるってことは認めてくれないか?」

「・・・わかったよ。マルフォイのことは、好きにしろって。僕には経緯が理解出来なくて騙されてるように思えた。それだけだ」

 

そうか、と頷いたハリーが手元の羊皮紙にカリカリと何か書きつけた。

 

「何書いてるんだ?」

「姿現しのレッスンに参加するからな。申込書だ。君は?」

「忘れてた」

 

ロンは立ち上がり、自分の机でガリガリと申込書に必要事項を書き入れた。

 

 

 

 

 

姿現しのレッスンでは、蓮は全て一度でクリアして、つまらなそうに椅子に腰掛けている。

 

「相変わらずすごいな、レン。僕はまた眉毛を忘れちまって今日は失格だ」

「うん。わたくしは4年生の時に水中で特訓したんだ。髪をまるごと湖に忘れてきたときには心臓が止まるかと思って慌てて取りに戻った」

「8分の1マーメイドだと便利だな」

「人間でも不可能じゃないと思うよ。ハリーを連れてリトル・ハングルトンから戻ってきたんだから。人間に不可能だったらハリーはバラバラ死体になってただろ」

「地上でさえバラバラ死体になりそうだぜ」

 

ロンが顎で示すと、ハリーがスタート地点の輪の中に左脚を忘れてしまったところだった。

 

「ロン」

「ん?」

「頼みがあるんだ、ハーマイオニーのこと」

「なんだよ?」

「今すぐ付き合えとか、キスしろとは言わないけどさ、ハーマイオニーの支えになってやってくれないかな。ハーマイオニーには君が必要だ」

 

しばらく黙って、慎重派のハーマイオニーが輪の外でイメージトレーニングを繰り返すのを眺めた。

 

「君やパーバティじゃダメなのか」

「人間は、ちゃんとそれぞれに特別な存在だ。わたくしやパーバティも必要だろうけど、ハーマイオニーの中の君のための場所を埋めてやることは出来ない」

「そんなもんがあるのかな」

「あるよ。わたくしの中にだって君のための背番号があって、君がいない限りそれは永久欠番なんだ」

 

しょうがないな、とロンは蓮を見ないで、顎の先で簡単に頷いてみせた。「チョコレートひと箱で手を打とう。大量に持ってるんだろ?」

 

 

 

 

 

蓮からもらったチョコレートひと箱をポンとベッドに投げ出して、監督生らしく見回りに行ったロンが部屋に戻ったとき、ハリーから熱烈なキスをされた。

 

ゾゾっと鳥肌が立つ。

 

「や、やめろ、ハリー! 気が狂ったのか!」

「ああ、ロン、悪い。レベッカかと思って」

「誰だよそれ?! とにかく離れろ! しがみつくな!」

「レベッカ・マクダウェルさ! ハッフルパフの4年生なんだ。なあ、僕たちうまくいくと思うか?」

「知るか!」

 

ハリーを引き剥がしたロンは、ハリーのベッドの上に蓮からもらってきたチョコレートの箱が転がっているのに気づいた。

 

急いでそれを脇に抱え、ハリーを置いて部屋を飛び出し、談話室まで駆け下りると、女子寮の階段下から「レン! ハーマイオニー! このチョコレートは何なんだ!」と叫んだ。

 

 

 

 

 

頬を染めてレベッカ・マクダウェルへの思慕を語るハリーを押さえつけたロンは、ハーマイオニーに「わかったか?」と尋ねた。「やめろハリー! 僕はレベッカじゃない! 吸い付くな!」

 

蓮は顔をしかめて杖を振り、ハリーを縛ってくれた。「キモい」

 

「他人事みたいに言うなよ。君がこうなってた可能性もあるんだからな」

「わたくしはいろんな薬に耐性があるからなあ。でも知らない名前のカードだったから念のために避けといたんだ」

「それを僕に食わせる気だったのか!」

「忘れてた」

 

ロン、とハーマイオニーが真剣な顔になった。「たぶん愛の妙薬に似た薬だと思うけれど、こんな有様になるのはおかしいわ。専門家に相談しましょう」

 

「スラグホーンのところだな。縛ったまま連れて行こ・・・吸い付くな!」

「いないんだよ、スラグホーン。週末のパーティのための仕入れに行ってるんだ。ディナーも欠席だったろ」

「じゃあスネイプ・・・余計に毒を飲まされそうだな・・・マル・・・マルフォイ、か?」

「嫌なのはわかるわ。無理にとは言わないし、マダム・ポンフリーにまず診せてからでもいいと思うけど」

 

ロンはタコのように唇を尖らせて迫ってくるハリーを見て「一刻も早く治せる奴ならもう誰でもいい。ハリーにケツのヴァージンを奪われかねない危機的状況なんだ」と呻いた。

 

 

 

 

 

「やめろポッター! 気が触れたのか!」

 

魔法薬学教室でローブを翻し、マルフォイは机に飛び乗って逃げた。

 

「あ、え? マルフォイ? どういうことだ? ロン、ハーマイオニー、レン! 君たちは僕をレベッカのところに連れて行くって言ったじゃないか!」

「・・・何を言っている? 誰だそれは」

「わたくしがバレンタインにもらったチョコレートを食べたらこうなった。知らない人からのチョコレートは食べずに避けておいたんだ。ロンが欲しがるから、その山から適当に取り出して渡した」

「それを僕がベッドに放り出して見回りに出て、帰ってきたら、ハリーがこの有様だったんだ」

「そのチョコレートがコレよ、マルフォイ。手荒でもいいからハリーをどうにかして。すごく視界の暴力だと思うの」

 

蓮とハーマイオニーの後ろに隠れたマルフォイに、ハーマイオニーがすかさずチョコレートの箱を手渡した。

 

「調べてみる。調べるからポッターを取り押さえておいてくれ。僕はポッターとキスなんかしたくない」

「気が合うじゃないか、マルフォイ。僕は不意打ちでされちまってまだ鳥肌が立ってる」

 

気の毒に、と呟いたマルフォイが試験紙にチョコレートを擦り付けた。「バレンタインにもらったんだな? おそらく愛の妙薬に近いものだが・・・ウィーズリー、君の兄貴たちの店でそんなものを売っていなかったか? 愛の妙薬そのものじゃない。もっと軽いものだし・・・香料が使ってある」

 

「そのレベッカ・マクダウェルって奴を殺してくる。わたくしに香水入りのチョコレートを食わせる気だったのか」

「あ、あったわ。魔女向けの商品ラインナップの中の売れ筋商品、確か・・・ワンダーウィッチ惚れ薬? 香水じゃなかったわ、レン、殺害予告には値しない」

「それだ。スリザリンでグリーングラスがザビニのカップと間違ってゴイルのカップに入れて騒ぎになった。1日でまともになったが・・・ここまでの効力ではなかった。バレンタインから日数が経って変質したのか、分量が多過ぎたか・・・おいポッター、手を出せ。違う! そっと握るのはやめろ気持ち悪い! 脈だ、脈を測るんだ! そうだ・・・手首を上に向けて・・・」

「なあマルフォイ、レベッカは僕を避けてるのかな?」

「落ち着け、脈が乱れる。安心しろ、彼女は心変わりなんてしてない。君に夢中だ・・・ウィーズリー、そこの棚から僕が言う素材を出してくれ。グレンジャー、大鍋に火を入れてくれ。ウィンストンは・・・いいからポッターを縛ってろ。気が散るから猿轡も頼む」

「任しとけ」

 

手早く簡単な解毒剤を調合したマルフォイが、蓮に跨られて身動き取れないハリーの口に解毒剤を流し込んだ。

ロンはひそかに棚からくすねてポケットの中に仕舞ったベゾアール石を握りしめて、ハリーの様子を見守った。

 

「あれ・・・え・・・僕・・・ってうわあ! レン、なんて格好してるんだ!」

「跨るのは得意なんだ。それより正気に戻ったのか? レベッカなんとかを殺してきていいか?」

 

ぐったりしたハリーが「ああ。まさにそういう気持ちだけど、殺すのはやり過ぎだ」とまともになって答えた。「とにかく僕から降りてくれ」

 

「ロンが怯えてるんだ。ケツのヴァージンを狙う気はまだあるのか?」

「死んでも嫌だ!」

「さっきマルフォイの唇を奪ったけど、次は舌を入れたくならないか?」

「レン! 君は僕を恥ずかし死にさせる気か!」

「よくやったマルフォイ、ありがとう。ハリーがすっかりまともになったみたいだ」

 

乱暴な問診を済ませた蓮がハリーの腹の上から立ち上がると、ロンもハーマイオニーもマルフォイも椅子に崩れ落ちるように座り込んだ。

 

「ウィーズリー、兄貴たちに言っておけ。分量と賞味期限の告知を厳密にしないと被害者が増えるぞ」

「身をもって痛感した。とにかく、ありがとな。おまえは僕のケツの恩人だ」

「そうだなあ。そしてマルフォイのファーストキスの相手はハリーだ」

「ウィンストン、そこに座れ。説教だ。言っておくがポッターはファーストキスの相手なんかじゃない」

 

ブスっとした蓮に全員で説教すると、それぞれの寮に引き上げた。

 

 

 

 

 

部屋に戻ったハリーはベッドにうつ伏せに転がり、枕で頭を隠した。

 

「頼むから何も言うな、ロン。全て忘れてくれ」

「馬鹿になんかするわけないだろ。フレッドとジョージに欠陥商品のクレームをつけてやるよ。まあこのぐらいで済んで良かった。ハーマイオニーが責任持って、レンがもらったプレゼント類は検査の上で処分するらしい」

「それにしても、よくマルフォイのところに連れて行ってくれたな。信用ならないのに」

 

なんでだろな、とロンはことさら軽く言い、ハリーのベッドにベゾアール石を放り投げた。「一応こいつはくすねて待機してた。ただ・・・君の状態は、笑えるけど、命に別状がある風でもなかったし、スラグホーンは留守。マダム・ポンフリーだとマクゴナガルに筒抜けだろ。スネイプとマルフォイだったら、マルフォイのほうがまだマシな気がした」

 

「なんだ・・・ベゾアール石?」

「たいていの毒に対する解毒作用がある・・・だろ? 解毒剤と偽って毒を飲ませたとわかったら、すぐに君の口にこいつを突っ込むつもりはあったんだ。必要なくて本当に良かったよ」

 

こういうやり方でもいいよな、とロンは呟いた。

 

「ワンダーウィッチ惚れ薬がか!」

「違う。ポケットにベゾアール石を持ったまま、マルフォイの手を借りるってことさ」

「・・・ロン?」

「まるきり信用なんかしないけど、まるきり遠ざける必要もないなって・・・少なくとも、あいつは僕のケツを救った」

 

言うな! と叫んだハリーはまた枕をかぶってしまった。


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