サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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閑話39 暗黒の地

黒の肘掛椅子に座って脚を組んだウィンストンが、ドラコを見つめている。感情を読ませない平坦な瞳の色をして。

 

「保って夏までだ。だから、死喰い人の侵入時に戦って死ぬつもりでいる」

「そんな・・・ダンブルドアが、死ぬ?」

「トムくんの家宝に仕掛けられた呪いでね」

 

カシャ、とグレンジャーがスクリーンに汚らしい小屋の映像を投影した。

 

「これはリトル・ハングルトン村にある、ゴーント家という、魔法族の旧家だ。サラザール・スリザリンの末裔であることは確かだが、数百年に及ぶ血族結婚のせいで西暦1600年頃には、もうホグワーツに入学する程度の魔法力を持たず、極めてスクイブに近い子孫しか生まれなくなっていた。血族結婚、ホムンクルス、そうした手段で家系だけはかろうじて続いていたけれどね。そのゴーント家には、2つの家宝と1冊の、家宝とするべき書物が残されてきた。ひとつはサラザール・スリザリンのロケット、もうひとつがぺヴェレル家の紋章入りの石を使った指輪。書物は古代ルーン語とラテン語で書かれた魔法薬のレシピ集だ。ウィンストン家では1600年頃からゴーント家の存在は把握していたし、それら家宝についても情報は有していた。当然祖父を含むウィンストン家は、そのことはダンブルドアとも情報を共有していた。詳しくは省くけれど、ゴーント家はトム・マールヴォロ・リドルの母親が生まれ育った小屋だ。自分の血族を追い求めていたトム・リドルがこの小屋に隠されていた家宝を入手する可能性は高い。そこで、わたくしの祖父やダンブルドアはたびたびこの小屋を訪ねて異変がないか確かめていたけれど、昨年の夏、マダム・ボーンズの死を契機に内戦が本格化すると考えて、それまでは手を出さなかった家宝の回収を企図した」

 

ドラコは小さく頷いた。

 

「あったのか?」

「ひとつだけ。ぺヴェレル家の石が嵌った指輪だ。この指輪には強力な死の呪いがかけられていて、不用意に指にはめたダンブルドアは、その呪いに冒された。呪文や魔法薬を尽くして、右手に封じ込めることに今のところは成功しているから、右手が変色している以外に変異が表面化してはいないけれど、ダンブルドア自身の体感では身体の中を侵食されているらしい。いずれにせよ、高齢でもある。封じ込めは一時的なものでしかない。気力や体力の衰えと共に封印は解かれ、いずれはその呪いに負けてしまうことになる」

 

命を有効に使いたいそうだ、とウィンストンはやはり無表情のまま言った。

 

「有効に?」

「先の見えてしまった命だ。療養して気力体力を温存するよりも、あと1年と決めて戦って死ぬことにした。そのことは君に伝えて欲しいそうだ」

「・・・どうしろと? 帝王の命令を遠慮なく遂行しろという意味か?」

「それでも構わない。ダンブルドアからの頼みは、死喰い人が侵入する時まで待って欲しい、ということだけだ。君にとっても悪い話ではないと思う。やるなら死喰い人の前でやったほうがいいだろう」

「ウィンストン、僕は・・・ダンブルドアを殺したいとは思っていない。いや、ダンブルドアに限らず誰のこともだ。魔法薬を作りたいだけなんだ。情けない本音だが、こんな戦争なんか放り出して、外国に行って魔法薬学者としてささやかな暮らしを守ることができれば、それで構わない。逃げてしまいたい」

 

ウィンストンは姿勢も表情も変えないまま「その本音が一番多くの人の共感を得るだろう。わたくしも同感だからね」と言った。

 

「でも・・・許さないんだろう?」

「うん。せっかく手に入れたスパイだ。ダンブルドアの命同様、有効に使いたい」

「やはり殺せと?」

「いや。伯母上にやらせろよ。ベラトリクス・レストレンジに」

「何だと?」

「ハーマイオニーたちが修理中の『姿をくらますキャビネット』で死喰い人たちが乱入してくる時には、君の伯母上も来るだろう。可愛い甥っ子が、義弟のルシウスのように失態を冒さないか不安で仕方ないはずだ。君は、事前にベラトリクスに、ダンブルドアを時計塔に追い詰めると連絡しておく。伯母上に見届けていただきたいから、伯母上の配下を連れて来てくれと伝えておくんだ。そして武装解除したり、磔の呪文をかけたり、ダンブルドアを攻撃しているところを見せてやれ。ダンブルドアはベラトリクスを道連れにして死ぬぐらいの功績を挙げて死にたいそうだから」

 

しばらくウィンストンとドラコは表情を変えないまま見つめ合った。

 

「矛盾しているぞ、ウィンストン。武装解除したダンブルドアが伯母上をどうやって道連れにする」

「君が武装解除するのは、ダンブルドアの普段使いの杖だ。ダンブルドアはもう1本杖を持っている。生まれて初めて買った杖をね」

「は?」

「今のダンブルドアが使っている杖は、1945年の決闘でグリンデルバルドから奪った杖だ。ではその時ダンブルドアが使っていた杖は?」

「・・・生まれて初めて買った杖、か」

 

そうだ、とウィンストンは頷いた。「ダイアゴン横丁で互いに選び選ばれた杖。学生時代の数々の経験を分かち合い、共に成長してきた杖。長年教壇で振り続けてきた杖、そしてグリンデルバルドを倒した杖だ。グリンデルバルドから奪った杖を使うようになったのは、校長になって繊細な魔法を必要としなくなったからだな。杖は強力な忠誠を勝者であるダンブルドアに捧げたから、校長らしい大技向きの杖だ。でも最期の戦いでは、最初の杖を使いたいと言っていた。君は、じわじわとダンブルドアを追い詰め、攻撃して、伯母上がしゃしゃり出てくる気短さを引き出せばいい。帝王への翻意は疑われない。なにしろ、ダンブルドアを追い詰める場所を先に宣言して、約束通りに死喰い人を学校に侵入させ、宣言通りの場所で戦って見せるわけだから。しゃしゃり出てくるのは伯母上が短気だから。それで通るようにしろ。いいか。君は、ダンブルドアをあっさり殺して気が済む簡単な人間じゃないんだ。父上が今アズカバンで受けているのと同様の苦痛を与えたいんだ。どうせ年寄りだ。苦痛に悶えているうちに弱る。あっさり殺すより、帝王のお気に召すよう、父上の仇を返すよう、必要以上に長くいたぶりたかったのに、無思慮な伯母上が邪魔をしたんだ。そうだろ、マルフォイ?」

 

「・・・そうだな、ウィンストン」

「ダンブルドアっていう爺さんの最後の、ちょっとした頼みだ。叶えてやりたい。本当の勝負はもっと先のことだけれど、トムくんがチマチマ仕掛けた呪いで間抜けに死ぬより、華々しく戦って死にたいんだよ、要するに。爺さんが死喰い人を少しでも減らしてくれると助かるのも事実だし」

 

ブン、と鈍い音を立てて、グレンジャーが映写機の光源を落とし、ウィンストンはそれを合図のように立ち上がって、大股に円卓の間を出て行った。

 

「マルフォイ・・・大丈夫?」

 

君こそ、とドラコは苦笑を向けた。「ウィンストンとは同室でうまくやっていけてるのか? 少し無理して大人ぶっていたが、あれ、今日はもう大人ぶるのも限界だったんだろう」

 

グレンジャーはフィルムをケースに仕舞いながら「せっせと痩せ我慢しているんだから、見ないフリしてあげて」と小さく笑った。

 

「医務室では、なかなか楽しかった。ポッターとウィーズリーに伝言してくれ。もうあのような時間は持てないだろうから」

「馬鹿なこと言わないで。わたしたちはあなたを放り出したりなんかしないわ」

「死喰い人を招き入れて、ダンブルドアが死ぬきっかけを作ったマルフォイなんかを、表立って相手にするんじゃない。円卓の魔法戦士はこれから英雄になるんだ。僕みたいな影のことはなかったことにしろ。ああ、ひとつだけ贅沢を言えば・・・もし戦争が終わって僕が生き残っていたら。国外追放にしてくれないか?」

「マルフォイ・・・」

「言っただろう。魔法薬学者になりたいだけなんだ。純血だの旧家だの、もうどうでもいい・・・言葉が通じるから、できればアメリカあたりの製薬メーカーに放り出してくれ」

 

本当に馬鹿なこと言わないで、とグレンジャーが強がって眉間に皺を寄せた。「あなたの追放先は人狼島。もう決まっていると何度も言ったでしょう」

 

「マルフォイ家の息子なんかに健康管理されたがるまともな人狼病患者がいるわけが」

「あなたの従姉の夫なら、あなたの働きで戦争が終結した暁には必ずあなたの作った脱狼薬を飲んでくれる」

 

ドラコはグレンジャーの瞳を見つめた。

 

「噂は耳に入っていたが・・・結婚、したのか?」

「まだよ」

「・・・グレンジャー・・・憶測でものを言うのはよせ。そういうのが回り回ってグリーングラスみたいな奴の耳に入るんだぞ」

「妹のほうは比較的まともなのに、ダフネ・グリーングラスはどうしてああなの?」

「知るか。ベラトリクス・レストレンジの妹だって、2人ともまともだ」

「トンクスのお母さまに会ったことあるの?」

「ああ。入学前に何度か。母上には決して、アンドロメダ伯母上を遠ざけるおつもりはなかったんだ。ただ、あちらには・・・我々を憎む理由があったのだと、今なら理解できる。昔は母上を泣かせる、血を裏切った、伯母とも呼べない伯母だとしか思えなかった」

「あなたのお母さまが?」

 

毎回な、とドラコは目を閉じた。「アンドロメダ伯母上と対面する機会を設けても、すっぽかされたり、会ってくれても何を企んでいるのかと当てこすられたり、娘、つまりニンファドーラ・トンクスに近づくなら殺すと脅されたり。母上は誇り高い方だから、その場では強がって物別れに終わるんだが、屋敷に帰ると必ず泣いていらした。『ただひとりの姉と仲違いしたままでは、ブラック家の両親に申し訳が立たない』と言って。ベラトリクス伯母上がいるのにと思っていたが・・・あれではな。姉だと思えないのも無理はない。確かに、ベラトリクスよりははるかに姉と呼ぶに値する人物がアンドロメダ伯母上なのだろう」

 

グレンジャーは黙って、さっきまでウィンストンが座っていた椅子に腰掛け、ドラコから視線を逸らした。

 

「母上から一度、闇の帝王の命令をお受けして欲しくないと言われたことがある・・・『あなたひとりならまだ逃げ切れるかもしれない。ルシウスのすることにあなたまでが関わる必要はないの。お願い。これはお姉さまが、ほとんど20年ぶりに姉として与えてくださった忠告なの。母ときちんと話し合いましょう。あなたの未来について』・・・僕は、その時にはまだベラトリクスを伯母上だと思っていたから、血を裏切った者をいつまでも姉と呼ぶのはおやめくださいと答えたような気がする。でも・・・ベラトリクスからは一度も、そういう、人間らしい言葉を聞いたことがないんだ。いつでも『闇の帝王の御為』それだけだ。アンドロメダ伯母上は、僕の顔などご覧になりたくはないだろうが、少なくとも、ナルシッサの息子という僕個人のための言葉がひと言だけは存在した。今なら母上のお気持ちはお察し出来る。闇の帝王の下僕としてではなく、ナルシッサのための言葉を与えてくれる人物しか、姉とは呼べないだろう?」

「そうね。ね、マルフォイ、ドロメダおばさまは素晴らしい魔女なの。少し一匹オオカミ的なところがおありで、死喰い人だろうと騎士団だろうと、群れて徒党を組むことはお好きじゃないわ。ご自分の誇りを見つめて、じっとご自分のポリシーを磨いて守っていく落ち着いた魔女よ。そして、ブラック家を捨てたと言っても、ブラック家の誇りはお忘れではない。シリウスにお説教なさるの。『ブラック家の当主ともあろうものが、ナイフとフォークの使い方も忘れたの? 自分の主張を食事中に振りかざすのはやめなさい。紳士的な会話が出来ない人間がいくら正義を語っても信頼されないということがまだ理解出来ないの? その耳は飾りなの?』シリウスはよくレンのお母さまからも『その耳は飾りなの?!』って怒鳴られているわ。飾りなんでしょうね」

 

ははは、とドラコは笑ってしまった。

 

「ポッターがブラック家を継承することに、ベラトリクスはひどく腹を立てている。でも母上は・・・トンクス家にいくらかの財産が渡ったことに安堵しておいでだ。母上のお気持ちはまだ・・・ブラック家の末娘のままなところがあって、おそらくシリウス・ブラックがブラック家の財産を自分とポッターとで独占したという事実に対しても、そう深刻な受け止め方はなさっていない。本当はそう呑気でいられる状態でもないのだが、レストレンジ家から金が出てくるように、ブラック家からも必要なときにはどうにかなるという認識が抜けきれないのだろうな」

「あなたは? ハリーより自分にこそブラック家の財産に対する権利があるとは思わないの?」

 

ドラコは笑って首を振った。

 

「我が家の恥だが、グレンジャー、母上は莫大な持参金を持ってマルフォイ家に嫁いで来られた。ブラック家の金庫3つがマルフォイ家に贈られたんだ。ブラック分家の祖父母には、3人の娘がいて、その3人それぞれに持参金として持たせるべく、金庫を用意してあった。しかし、ベラトリクスの素行を嫌がっていた祖父母はレストレンジ家に嫁ぐ際に持参金を持たせなかった。貴婦人の結婚ではなく獣の番いが増えただけだとおっしゃったそうだ。アンドロメダ伯母上の結婚は、唐突なマグル生まれとの駆け落ち。やはり持参金を持たせるわけにいかないと当初はお考えだったようだ。しかし、ニンファドーラ・トンクスが七変化として生まれたと聞いたのをきっかけに、この結婚は許すべきだと考え直して何度も会おうとなさったが、伯母上はブラック家を捨てたの一点張りで、金庫ももちろん受け取ろうとしなかった。だから、母上の結婚に際しては姉2人の分まで持参金を持たせることになさった。ご自分たちに万一のことがあっても、母上がその持参金からアンドロメダ伯母上をお助け出来るようにと。ところが、その金は父上が魔法省の役人たちを買収して、マルフォイ家の地位を高めることに費やされた。いくら僕が恥知らずでも、これ以上ブラック家から金を貰うつもりはない。それこそ、母上と僕、まあ、出来れば妻子。そのぐらいを養う収入を魔法薬学者として稼ぎ出せれば、それでいい。というか、そういう単純な暮らしをしたい。日に日にレストレンジ家に対する負債が膨らんでいるんだぞ。その負債さえなんとか帳消しに出来るなら、もうそれで充分だ。ブラック家にまで借金を増やしてたまるか」

「・・・ちょっと。ベラトリクスがトムくんを引き連れてあなたの屋敷に居座っているのは、レストレンジ家が経費を負担しているのではなくて、マルフォイ家の負債にされているの?」

 

ドラコは頷いた。

 

「笑える話だろう?」

「全っ然笑えないわよ、マルフォイ! 今すぐどうにかしてあげるわけにはいかないけれど、そのことはわたしの頭の中にしっかり焼き付けておくわ。戦争が終わったら、何がなんでも帳消しにする方法を考える。むしろ再出発の費用分ぐらい、レストレンジ家から毟り取る方法を考えなくちゃいけないわね」

「君は実に・・・馬鹿正直でまっとうな人間だな。君こそ、スコットランド魔法族の王族入りした魔女だぞ。帳消しだの毟り取るだの、下世話なことを考えるな」

「スコットランド魔法族の王族の魔女は、わたしの知る限り法律家2人なの。下世話なことを取り仕切るのが習性よ」

 

ドラコはその言い草に少し笑って立ち上がった。

 

「NEWTやOWLの邪魔にならないタイミングを選んで命令を出してくれ。それまでは、魔力減衰薬に全力を尽くす」

 

 

 

 

 

ウィンストンが変わった。いや、変わろうとしている。

 

大広間で遠目に見て、ドラコは改めて思った。

 

くしゃっと手櫛で癖をつけていた短い髪を、きちんと梳かして、綺麗な分け目をつけて整え、サイドはぴたりと後ろに撫でつけているし、以前のように完璧なネクタイを締めている。

背筋を伸ばして、真っ直ぐに歩き、席につくとフクロウから新聞や雑誌をいくつか受け取って、食後のお茶を飲む時に、それらに目を通す。

 

無理をしているのだろう、と呆れて、ズキンと胸が痛んだ。

 

無理でもなんでも、しなければならないのだ。ダンブルドアがいなくなるのだから。ダンブルドア亡き後の魔法界の屋台骨を支えることがどれほどの重労働なのか、考えたくもない。

 

逃げたいのは僕だけじゃない、とドラコは唇を噛んだ。僕なんかよりもっと逃げたがって当然の奴がいる。

 

大広間を出るところで、フレッチリーと一緒になった。

 

「やあ、マルフォイ」

「ああ。一限から講義か?」

「いや。図書館に行く。君は?」

「僕もそのつもりだが、何をしに?」

「僕には魔法界での後ろ盾が少ないからね。グリンゴッツに就職するのに論文をいくつか課されるんだ。その評価が低いとアウト。魔法界の経済について知識が足りないのに論文だなんて、ハードルが高いよな」

「グリンゴッツに固執しなければ・・・魔法省なら、試験成績が一番物を言うぞ」

 

フレッチリーが声を潜めて「円卓の魔法戦士、経済担当を目指しているから、ここはやはりグリンゴッツだろ」と囁き、ニヤッと笑った。「だいたい、レンがあれだけ無理してるのに、そう呑気にしていられるかい?」

 

「やはりそう思うか」

「思うね。クリスマスの社交では、1時間も猫を被っていられなかったんだ。御母上から今にも皮を剥がれそうな目で睨まれていても自由奔放にやっていた。今は恐怖の御母上もいないのに、あれだけ紳士らしく振る舞っている。女子寮の階段から拒絶されたのがよほどショックだったのかな」

 

ドラコは「そうだろう」と鼻で笑ってみせた。「ホグワーツの長い歴史の中でも、女子寮の階段から拒絶された魔女の話は聞いた試しがない」

 

「あまり言ってやるなよ。あ、ロルフ、アンソニーに先に行くと伝えておいてくれないか」

「そのアンソニーはさっさと掻き込んでとっくに図書館に飛んで行ったよ。君ほど優雅な奴じゃないんでね」

 

ロルフ・スキャマンダーが、奇抜なサングラスをかけて階段を駆け上がる。

 

「なんだアレは」

「メラメラ眼鏡、だったかな。ルーナ・ラブグッドのボーイフレンドに立候補した。授業中以外はメラメラ眼鏡をかけて1ヶ月過ごせたら付き合ってくれるらしい」

「・・・変わった組み合わせ同士でうまくいくといいな。ゴールドスタインも何か目標が?」

「あいつは国際関係担当者として円卓会議に参加希望だ。ゴールドスタイン家は半分ぐらいはアメリカに移住した一族で、アメリカの親戚からさんざんイギリス魔法界について批判されることに我慢ならないらしい。スキャマンダー夫人がアメリカのゴールドスタイン家出身だから、スキャマンダー夫人からいろいろと聞いているのもあるんだろう。とりあえず国際魔法協力部に入省して、いずれ国連に行きたいそうだ」

 

そうか、と頷いてドラコは図書館に向かってぶらぶら歩き出した。

 

「マルフォイ。無理難題にあまり頭を痛めるなよ」

「そう見えるか?」

「見えないが、スーザンが君なんかを心配していると僕が面白くない」

「ボーンズに言ってやれよ」

「僕はこれでも見栄っ張りでね。余裕のあるところを見せていたい人間なんだ。あ・・・クラッブたちだ。じゃな」

 

穢れた血め、とクラッブが床に唾を吐いた。

 

「ドラコ、何を話してた。フレッツと」

「フィンチ=フレッチリー。せめてフレッチリーのほうだけでもまともに記憶したらどうだ。罵る時に名前を間違うようでは馬鹿にされるだけだぞ」

「何を話してた」

「穢れた血の分際であくせく勉強する意味がないと教えてやった。スタン・シャンパイクの代わりに夜の騎士バスの車掌にでもなればいいだろうと思ってな」

「近ごろ・・・ドラコ、夜に何をしに出かけてるんだ」

「何度言えばお前らの頭に入るのかわからないが、闇の帝王からの御命令がある。その遂行の為に、日夜頭を使っている」

「俺たち抜きでか」

「今僕は頭を使っていると言わなかったか? お前らに頭があったことがあるか?」

 

疑うだけの頭はあるらしいな、と思いながらドラコはゴイルに答えた。

 

 

 

 

 

「闇の帝王のためだからって、そこまでやるの?」

 

図書館からの帰り道、ダフネ・グリーングラスに捕まった。

 

「何の話だ」

「ウィンストンよ。彼女が医務室に入院してる間、あなた何度も見舞ったそうじゃない?」

「そうだが? 何か問題があるか?」

 

こんなこと言っちゃダメらしいけど言わせてもらうわ、とグリーングラスは皮肉に唇を歪めた。「あなたがウィンストンを落としても、闇の帝王に取り上げられるってことぐらいはわかってるんでしょうね?」

 

「当然だ。僕としてもそのほうがありがたい。イカれたウィンストンの子守を一生続ける気なんてさらさらないからな」

「あれ演技よ」

「なに? 君がイカれたと言い出したんだろう」

 

5年の終わり頃には確かにイカれてたわ、とグリーングラスは皮肉でなく真面目に言った。「でも6年になってからは、たぶん、イカれたフリをしてるだけね。あの女、瞳の力が強いの。瞳を見ればイカれてるかどうかぐらいはわかるわ。悪いこと言わないから、闇の帝王の言いつけを馬鹿正直に守るんじゃなく、もうちょっと上手く立ち回りなさいよ。帝王とウィンストンに利用されるだけ損よ」

 

「帝王には全て差し出す。利用していただけるのは光栄なことだ。それにしても、ウィンストンが僕を利用する? 馬鹿なことを言うな。以前ならともかく、今はそんなことを考えつくような頭はしていない。典型的なグリフィンドールだ」

「男ってほんとバカ」

「バカでもなんでも構わないが、いずれにしろ、僕がウィンストンに近づくことは帝王の御命令だ。回避することは出来ない。日和見のグリーングラス家の者にはわからないだろうけどな」

 

グリーングラスはその皮肉を鼻で笑った。

 

「闇の帝王はね、ドラコ、あなたたちを利用してるだけなの。忠誠とやらを捧げて、あなたたちがいったいどんなありがたいものを頂戴したかしら? そのことに気づいたときにはもう胸まで泥沼に浸かって抜け出せなくなってるわ。それがまだわからないんだから、やっぱりバカばっかりよ」

 

奇遇だな、グリーングラス。ウィンストンもグレンジャーも同じことを言うよ。

 

「幸いにしてグリーングラス家は純血だから、帝王も厳しい処遇にするおつもりはないが、高いところに引き立てていただけるとは思うな」

「高いところとやらに引き立てていただくために人生と財産を棒に振るほどプライドを捨てたことがないのがわたしの自慢なの」

 

アンドロメダ伯母上もきっとそういう方なのだろうな。

 

「・・・ドラコ、そんな瞳を見せちゃダメよ。バレバレだわ」

「は?」

「泥沼から足を抜きたくてたまらないのは、日和見のわたしにでもわかる。なるべく上手く足抜けしなさいよ」

「君は・・・人の瞳を観察する癖でもあるのか?」

 

あるわよ、と忌々しげにグリーングラスが呟いた。

 

「なぜ」

「あのね、化粧で大事なのはアイメイクなの。ほんとに忌々しいけど、ウィンストンもグレンジャーも、ノーメイクであの顔よ? なんでノーメイクでいられるかっていうと、瞳! 瞳の力が強いの! そのことに気づいて以来、化粧はアイメイクに力を入れることにしたのよ」

「よくわからんが、苦労が多いんだな。それで、僕はどういう瞳をしていればいいんだ?」

「・・・苦労なんかしてないわよ! いちいち腹の立つ・・・わたしの努力の逆をすればいいのよ」

「君の努力がよくわからん」

「・・・サイテー男・・・っ! まず基本的なこと、人の目を真っ直ぐに見ない。上からじゃなく、下から上目遣いに見る。要するに、この逆よ」

 

グリーングラスが腰に手を当て、いくらか顎を突き出し、相手を見下ろすような角度からドラコの瞳をじっと見つめた。

 

「それから、と。この逆もあるわね」

 

今度は不意に真っ直ぐに背筋を伸ばして立ち、顎を引いて真っ直ぐにドラコの瞳を正面から捉える。

 

「・・・なるほど。これは誠実そうに見えるものだな」

「闇の帝王相手に誠実になってどうするのよ。怯えていればいいの、それ以外求められてないんだから。あと、わたしは『誠実そう』じゃないわ。わたし基準では『誠実そのもの』なのよ、お間違えなく」

「・・・了解した」

「形から入ることは不誠実でもなんでもないわ。形から入って中身が追いついていけばいい。わたしはそう思って努力してきたの。ウィンストンにスペシアリス・レベリオをかけられたその日から。寸暇を惜しんであの女の顔を観察してきたのよ」

「・・・そ、そうか」

「最近はまたなんだか無理して肩肘張ってるけど、イカれたフリしてダラけていたほうが可愛げがあったわ。あんなスカした顔してるくせに瞳が必死過ぎ」

「君は・・・意外とウィンストンが好きなのか?」

 

グリーングラスは、また腰に両手を当てて、ドラコを傲然と見下ろした。

 

「世界の常識を教えてあげるわ。このダフネ・グリーングラスは、ウィンストンのことが死ぬほど嫌いなの。いいわね?」

「・・・りょ、了解した」

 

 

 

 

 

昼間に空いた時間を見つけて、必要の部屋に行く。『姿をくらますキャビネット』の修理の進捗を確認するためだ。

 

床の埃が消えてしまうほど足繁く通って修理をしてくれているらしい。

 

「・・・必死にもなるさ、グリーングラス」

 

ドラコのためにグレンジャーとボーンズが手を汚している。死喰い人を学校に招き入れるための作業をもう何ヶ月も続けているのだ。

 

「お綺麗な正義の側にいればいいものを」

 

あいつらの正義は、どこまで広くて深いのやらわかったものではない。これでは逃げたくても、どこに逃げればいいかさえわからないではないか。

 

その場に腰を下ろし、ポッターの母親が遺したという論文に目を通す。もう覚えてしまっているのだが、必ず原典に目を通してからその先を考えることにしている。

 

才能ある魔法薬学者を母親に持ちながらどうしてポッターには魔法薬学の才能がないのだろうな、といつも思う。

 

これはおそろしく画期的な魔法薬だ。

 

精神疾患以外にも広く使うことが出来る。魔法族の病は大なり小なり魔力の乱れを招いて、完全治癒に時間がかかるのはそのせいだ。

ウィンストンが薬剤を吸入していたあの吸入器を使って厳密に管理すれば、この魔法薬は風邪だの下痢だので寝込む期間を半分に出来る。

 

国連から届いた代替素材のリストと照らし合わせ、ぶつぶつ呟く。

 

「・・・ルーマニアの植生は、ほう、ヨーロッパブナの原生林があるじゃないか。だったら、ポルチーニ茸のような外生菌類が期待できるはずだ。さらに、ヒグマ、か? ヒグマの冬眠穴に魔力的に強靭な・・・待てよ。冬眠しないヒグマのほうが強靭な素材が・・・これは比較する必要があるな。えーと次は」

 

 

 

 

 

「季節を考えろ。熊の起床時間はもう過ぎた。確かにアナモタズは強靭だが、アナモタズを狩る季節ではないし、わたくしの専門は鹿だ。熊には近寄りたくない。ましてヒグマ? それもアナモタズ? 君はわたくしに死ねと言っているのか?」

 

ウィンストンが険しい表情でドラコを睨む。

 

「待て。なぜ君が狩る前提になっている? アナモタズとは何だ」

「日本では冬眠しないヒグマのことをそう呼ぶ。森林山岳地帯では餌に乏しくなって、人里近くに来て、下手すると人を襲って食害する凶暴なヒグマだ」

「詳しいな」

「ば・・・祖母はもっと詳しい。以前日本魔法省に頼まれて北海道でアナモタズ狩をしたことがある。あ、その時の熊胆が家にあるかもしれない。取り寄せてみるか?」

「ユウタン?」

「ヒグマの肉や内臓は古来からアジアでは薬種商が取り扱う秘薬扱いだ。頭骨や血液も使う。一般的には消化薬として胆嚢を乾燥させたものが流通していた。祖母が狩ったアナモタズは・・・冬山登山をしていた大学生3人を襲って殺した奴で、身長3メートル、体重は370キロの雄。そのぐらいの強さだから、臓器の含有魔力はかなりのものだと思う」

「しかも乾燥させてあるんだな? 乾燥するとさらに濃密に凝縮される・・・それを取り寄せてくれ!」

 

無理よ、とグレンジャーが溜息をついた。「ヒグマ素材の国際的売買はワシントン条約違反だわ」

 

「まあ、ウチにある熊関係素材は全部やるよ。一番強力な魔力減衰薬を作るだけなら、ウチにある熊素材で試作を繰り返す量にはなるだろ。実際に製薬メーカーに回す段階になったら・・・熊素材は使えないな」

「なぜだ」

「イギリスの熊は絶滅したからだ。全部輸入に頼るしかないし、輸入はワシントン条約で禁止されている」

「パディントンにはいると聞いたが」

 

いません、とグレンジャーがこめかみを押さえた。

 

「マルフォイ。パディントンの熊は『暗黒の地ペルー』からやってきて民家に住み着いた特殊な闇の魔法生物だ。世界に1頭しか存在しない。悪いことは言わないから、パディントンの熊のことは忘れろ。そうだなあ・・・明日の昼間なら時間が取れるから、日本の家からいくらかヒグマ素材を取って来よう。その含有魔力を測定してみてくれ。使えそうならもっと持って来る」

「もし熊素材が強力な魔法薬に使えるとわかったら・・・マルフォイ、戦争終結後には論文を発表するべきよ。マグルの漢方薬と魔法薬の融合、アレクサンドル・アンドリアーノフ以来の快挙だわ。そういえば、アンドリアーノフ博士は熊素材をお使いにならなかったの?」

 

ドラコは思わず身を乗り出した。

 

「使わなかった。日本の一部地域では、熊を神と考えて、熊の骨や肉は神からの恵みと認識する。曽祖父は、自分自身ロシア正教会の敬虔な信徒として、他の宗教も尊重すべきだという考えの人だったから、神の、つまり聖遺物で魔法薬を作るという考えに抵抗があった。あと・・・あんまり日本語を深く理解していたわけではないから、ウチの近くの山にいるツキノワグマと、北海道にいるヒグマの区別がついていなかったみたいだ。曽祖父の育ったロシアでは熊といえばヒグマだ。陸上最強の生物はヒグマで、何があろうともそんなおそろしい生き物に近づきたくないと言っていた。自分の娘がヒグマ狩を依頼されるような恐怖の魔女だと考えると眩暈がするから、自分の前では熊の話題は禁止だと駄々を捏ねていた記憶がある」

「・・・ヒグマ狩とはそんなに大変なのか?」

「正確な予測と武装、狩猟チームを整えていればまだしも、ってところかなあ。狩る気満々できちんと準備した、専門のハンターの仕事だね、本来は」

 

ドラコは腕組みをした。

 

「君がさっき言ったアジアの薬種の中には、ヒグマだとか、強力な捕食生物から出来る素材が他にもあるのか?」

「全然詳しくないから断言はしないけれど、あると思う。虎とか蛇とか。人間からだって素材を取ることがあるぐらいだから、狩の対象となる生物からならまず素材として使ってはみるだろう」

「それを片端から検査してみたいな」

「・・・どれだけの種類があるかわかったものじゃないから、それは生き延びてからのライフワークにしてくれ」

 

 

 

 

 

「・・・おそろしいな、これは」

 

ドラコが熊胆の検査結果を記入した羊皮紙を差し出すと、パチルが興味深げに手に取った。

 

「効能を打ち消し合う素材は今のところ見当たらない。上級魔法薬水準でも、かなりの確率で効能強化素材として使える」

「アーユルヴェーダでも熊由来生薬は使うの。マルフォイ、これは本当に大発見よ」

「アーユルヴェーダ? まだ新しい魔法薬学があるのか?」

 

コン、とドラコの額に紙飛行機が飛んできた。

 

「落ち着けマルフォイ。言っただろう。生き延びてからのライフワークに回せ。アーユルヴェーダなんかまともに勉強していたら一生かかっても終わらない。パーバティ、たまにマルフォイの相談に乗ってやってくれ。東洋的なアプローチと魔力減衰薬は相性が良さそうだ。わたくしよりパーバティのほうがたぶん詳しい」

「いや、日本とインドは違うから、どちらもだ!」

 

パチルが苦笑して「そう大した違いはないわよ、マルフォイ」と肩を竦めた。

 

「え? そうなのか?」

「インドで生まれた哲学が、回り回って日本に届いた。そこからそれぞれ医学や薬学の概念が育った。根っこが同じなんだよ」

「東洋では、魔法も医学も薬学も根っこは同じなの。だから、インドでも日本でも、比較的、魔法族はマグル相手の仕事をしているわよ」

「は?」

「インドの伝統医学を実践する医療従事者は魔法族が多いし、日本の宗教寺院の主人は魔法族が多い。魔法という単語を使わないだけだな。欧米の魔法族が嘆くほど、東洋の魔法族は隠れ住んではいないよ」

 

ドラコは頭を叩かれたような衝撃で弾かれたように立ち上がった。

 

「な、では、国際魔法族機密保持法は?!」

「だから『俺様が魔法を使ってやろう、はっはっは!』なんて言わなきゃいいだけだよ。『今年も農作物が豊かに実りますように』って祈りを捧げながら、畑や田んぼに魔法で豊かに水を送れば、マグルも一緒に『実りますように』って言う年中行事になっている」

「インドもね。体調不良を訴えてきた患者に、わざと大袈裟なおまじないをして、ちょろっと魔法を使って気分良くして謝礼をもらって帰すだけ。胡散臭いとかインチキとか言って受け付けない人もいるけど、そんな人のこと、別にムキになって相手しなければいいじゃない?」

 

ボーンズも驚いたように目を瞠っている。

 

なんだそのいい加減さは、とドラコは思った。

 

「マグルから迫害されたりは、しないのか?」

「迫害どころか、大きなシュラインを守ってきた魔法族は爵位を与えられていた。貴族制度があった時代には」

「よく効く民間療法師だと評判になれば、大富豪だって1年待たせてがっぽり謝礼をお支払いいただくわ」

「グレンジャー、君には驚きはないのか?」

 

グレンジャーが首を傾げ「欧米の歴史と東洋の歴史を知っていれば、欧米のマグルと魔法族の関係がどこで歪み始めたかわかるもの。不思議でもなんでもないわよ」と、逆に不思議そうに答えた。

 

「・・・同じイギリスに住んでいるのに、マグルにはその知識があるのか?」

「もっとすごい知識がある。マルフォイ、君の祖先のことなら、マグルも知っているんだよ・・・気の毒だが、マルフォイ家の祖先は・・・サルなんだ」

 

 

 

 

 

奴のからかい癖は実にタチが悪い、とドラコがボヤくとボーンズは小さく笑って「ありがとう、マルフォイ」と礼を言った。

 

「何の礼だ?」

「あなたをからかう時は、レンが楽しそうだもの」

「僕は迷惑しているぞ。グレンジャーがいなかったら、危うく身投げするところだった。君はショックではなかったのか?」

「進化論のことなら伯母から聞いていたもの。うちの伯母は、法律家だったでしょう? だからかしら、機密保持法の遵守は、マグル避け魔法に依存するものではなくて、マグルと同程度の教養を身につけることから始まるという考え方の人だったの。だから・・・『くまのパディントン』の絵本も・・・一応読み聞かせてもらっていた、わよ?」

 

待て、とドラコはボーンズの肩を掴んだ。「暗黒の地ペルーで作り出された空前絶後の闇の魔法生物ではないのか? 絵本?」

 

「・・・マーマレード好きの紳士的な熊が引き起こす楽しい騒動の物語よ」

「・・・奴は! どうして息をするように、無意味な嘘をつくんだ?! 悪魔とは奴のことではないのか?」

 

ドラコは頭を抱えて地団駄を踏んだのだった。


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