サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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閑話40 魔法使いと魔女のタンゴ

蓮がじっと女子寮の階段を見上げて、一歩踏み出しかけ、さりげなく足を踏み替え、また階段を睨む。

 

ハリーは溜息をついて、その蓮の背中に手をかけた。

 

「もう1ヶ月問題なく階段は階段らしくしてる。自信を持つんだ。いいか、押すぞ」

「・・・待て! イメージトレーニングがまだ終わっていない! ハリー、わたくしは魔女だったか?」

「貴様はパンツ1枚で湖に潜ることができるか?!」

「できません、サー!」

「貴様は無駄毛を未処理のままバンザイ突撃できるか?!」

「わたくしに無駄な毛はありません、サー!」

「貴様は間違いなく魔女だ、この蛆虫野郎! 行け!」

 

背中を押し遣ると、蓮が肩に力を入れて階段を駆け上がるのを確かめて、ハリーはやれやれとソファに戻った。

 

「・・・それにしても、ひどいイメージ強化法ね」

「自分で自分に言い聞かせている内容らしい。レンの中でかろうじて自分が女性だと分類できる基準がアレなんだろ。僕は、恋愛とかそういう方面から自覚を持ってもらおうとしたんだけど、どれもピンと来なかったらしくてさ。海兵隊流に身体に叩き込むとかなんとか」

「君が他人事みたいに言うなよ、ハーマイオニー。トラウマを作ったのは君たちだ。ハリー任せにしないで君が責任持って手を引いて階段を上らせてやれ」

「何度もチャレンジしたけれど、それだとどうしても足が動かないの。それに・・・わたしがいなくなる可能性もあるから、自分で自己イメージを女性寄りにしなきゃと思っているみたい。ノー無駄毛宣言しながらバンザイ突撃という時点でもう女性の行動じゃない気がするけれど」

「今度のスラグ・クラブのパーティで女装させたらどうだ? ハリー、君がエスコートしてやれば」

 

ハリーはギクっとして、ロンから視線を逸らした。

 

「い、いや、それは」

「イヤなのか?」

「あー・・・レンのためだけを考えるなら、全然問題ない、けど。人に誤解されたくないっていうか」

「ロン・・・そういうやり方なら、親友よりも、もう少し距離感のある男子のほうが適任よ。女装自体は悪いアイディアじゃないけれど・・・あ、女装に慣れさせておかなきゃいけないのも確かだわ」

「なんでだ?」

 

結婚式よ、とハーマイオニーは呆れてロンの顔を見た。

 

「誰の?」

「ビルとフラーの! レンは正式にカウンテスの立場で出席することになるから、さすがに男装は無理よ。フラーのイギリスでの実家という扱いだもの。レンのお母さまがお許しにならないわ」

「うちは全然構わないけどな」

「そんなことないでしょう。モリーおばさまは由緒正しい結婚式にするために悩んでいらっしゃるそうですもの」

「我がウィーズリー家の一番近いご近所さんはラブグッド家だぜ。ラブグッド親子がメラメラ眼鏡をかけて登場する時点で、由緒正しいかどうかなんて瑣末な問題は木っ端微塵になる」

 

それもそうだな、とハリーは苦笑した。「ボーイフレンドとペアでメラメラ眼鏡をかけてるのを見ると、こっちまで気分が明るくなっていいんだけど、モリーおばさんの血圧はメラメラ高くなりそうだ」

 

 

 

 

 

行くよ、と朝食時の蓮は冷静な無表情で断言した。

 

「女装するのか? パートナーは?」

「ダンブルドア」

 

ハリーは唖然として蓮を見つめた。

 

「ダンブルドアが、スラッギー爺さんのパーティに? ダンブルドアって女装をエスコート出来るのか?」

「女装をエスコートじゃなくて、女性をエスコート、と表現してくれないか、ロン。できるよ、三大魔法学校対抗試合のクリスマス・パーティでは、マダム・マクシームをエスコートして入場しただろう」

「・・・ハグリッドよりデカいジョセイをな。まあ、それはいいとして、爺さんじゃなく、学生の中で誰かいないのかよ?」

「いきなりハードルを上げるな。普通のレディなら、家族の男性のエスコートから社交を始めるものだ。たぶん。ジャスティンが言うには。だからわたくしの場合、アメリカにいる祖父やブルガリアにいる祖父がそれに当たるけれど、学校のプライベートなパーティでそれは無理だから、ダンブルドアが立候補してくれた」

 

ハーマイオニーがしばらく考えて「それなら無理なく出来ると思うのね?」と確認すると、蓮はしっかり頷いた。

 

「そう。わたしも賛成よ。よくよく思い返してみると、あなたにはそのステップが抜け落ちていたのよね。一般的な貴族の令嬢なら早くからそういう形で社交を始めるものだけれど・・・初めてのパーティのパートナーが・・・嘆きのマートルだったし」

 

ハリーは思わず「マートルの呪い・・・いや、愛は後を引くなあ」と呟いた。

 

「あの時にはまさかこんなことになるとは思っていなかったけれど、今にして思えば、あれが道を踏み外すきっかけだったかもしれない。少なくとも、男装に対する心理的障壁を乗り越えてしまった。フラーの時もだ。よく考えたら、フラーがわたくしを誘ったんだから、フラーが男装するべきだった」

「・・・無理だろ。あの時の組み合わせは、あれが自然だった」

 

とにかくダンブルドアと行く、と蓮は改めて宣言した。「変身術の教授だった頃には、スラッギーのパーティに顔を出すこともたびたびあったみたいだから、スラッギーも目先が変わって喜ぶだろう。校長がいるからには、ダンスのひと組目になりそうだから・・・ハーマイオニー、男性パートでダンス・レッスンよろしく」

 

「身長が」

「よ・ろ・し・く」

 

 

 

 

 

「ハーマイオニー、右手を上げるんじゃなく、逆にしてくれないか。右手はわたくしのウェストに。うん、これでいい」

「身長差が全然よろしくありません」

「仕方ないだろう」

「じゃなくて、あなたがわたしを見下ろしている姿勢がダメなのよ。少し背を反らすぐらいじゃないと。ダンブルドアって身長どのくらい?」

「わたくしより、何センチか高い」

「・・・ヒール履いたら身長差無くなりそうね。あなたが少し縮んだら?」

「無理なこと言うな」

 

ハリーの隣で、ジニーがそんな2人を眺めていた。心臓が早鐘を打つようだ。

 

「人騒がせな人たち。もうすっかり仲直り?」

「あ、ああ。パーフェクトだ」

「あなたも付き合いが良過ぎるわ、ハリー」

「・・・そ、そうかな。僕は、 自分のためにやってるつもりなんだけど」

 

ジニーが「本気?」と眉を寄せて、ハリーをじっと見つめる。

 

「・・・僕が? 本気だ」

「だってあなた・・・」

「周りの大事な人たちには笑顔で、ハッピーでいて欲しい。それが君でももちろん同じだ。同じなんだけど。出来れば、他の奴じゃなく僕で、君がハッピーになってくれると、良いなと、思う」

 

ハリー、とジニーが蓮とハーマイオニーの喧嘩腰のダンス・レッスンに視線を向けた。

 

「な、なんだい?」

「素敵な言葉を聞いた気がするけど、あの2人のせいで台無しだわ。外に出ない?」

 

どうして鼻歌をタンゴにするのよ? とハーマイオニーが喚いた。「わたしが踊れるのは付け焼き刃のワルツだけだと知ってるくせに!」

 

「ああ・・・出よう」

 

 

 

 

 

ふわふわと芽生え始めた芝生の上に座り、後ろ手をついたジニーが「座ったら?」と微笑む。

 

「あ、ああ」

「わたしね、ディーンと別れたの。今は誰とも付き合ってない」

「そう? あー、えーと。理由を聞いても?」

「ディーンが理由で、あなたから距離を置かれるなら、もうこんなことやっていられないと思ったから」

「あ、うん・・・そうか、良かった・・・あー! いや、良くないよな。ただ、その、君と距離を置くのは、僕としてもやってられない。うん」

 

じり、と数センチ、ジニーに向かってお尻を動かした。

 

「レンとハーマイオニーのこと、好きなの」

「・・・へ?」

「本当よ。わたしの入学前に、みんなでダイアゴン横丁に行った時、あなたはロンにこう言った。『君の兄さんたちみたいな兄弟も欲しいし、レンとハーマイオニーみたいな姉さんも欲しい』覚えてる?」

「いや、覚えてないけど、言っただろう。いつもそんな気持ちが、僕の中のどこかにあるよ」

「それ全部が可能になる方法、あの時のあなたはわかってなかったけど。わたしも同じ気持ちだったから、よく覚えてるの。レンがジョージと結婚して、ハーマイオニーがロンと。そうなったら、山のように兄さんばかりがいることを神様に感謝します、ってお祈りしたこともあるぐらい」

 

どうしてそんな話になるのか皆目わからなかったが、ハリーはこくこくと頷いた。

 

「それなのに、あの2人からあなたが振り回されると思うと、大好きなはずの2人にまでイライラしちゃう。あなたを困らせるなんてひどい、って」

「ジニー・・・」

「レンとハーマイオニーを合わせたよりも、あなたが好きよ、ハリー」

 

僕もだ、そう呟き、そっと唇を合わせた。温かい雲の上にふわふわと漂うような心地に酔った。

 

聞き慣れた声が降ってくるまでは。

 

「中庭でいつまでもデートする馬鹿野郎を引き裂くのが僕の仕事なんだが」

「・・・見逃してくれよ、ロン」

「君が今キスしてる相手は一応僕の妹なんだが」

 

少しは空気を読んでくれない? と唇を離したジニーがロンを睨み上げた。釣られてハリーもロンを見上げる。

 

「甘い空気を読んだ上で踏みにじる快感はなかなか忘れられないぜ。まあ、今夜は見逃してやる。でもハリー、わかってるよな。僕の妹だ。遊びは許さない」

「お生憎様。そんなことになったらあなたなんかより、わたしが迷いなく自分で報復するわ。いいから早く行って」

 

ハリーはジニーの炎のような赤毛を見つめた。兄貴の手出しを許さず自力で報復。実に勇ましい。

 

「僕の人生に女性は君ひとりで充分だ、ジニー」

 

2人で1日目にしては充分な時間キスを楽しんで寮に戻った。

 

途端に甘い夢心地は吹っ飛んだ。

 

談話室に飾ってある、フレッドかジョージが使っていた古いビータークラブを肩に担いだハーマイオニーが、ハリーの代役を務めていたようだ。

 

「貴様はパンツ1枚で湖に潜ることができるか?!」

「無理です、マダム!」

「貴様は無駄毛を未処理のままバンザイ突撃できるか?!」

「全て処理済みです、マダム!」

「貴様は間違いなく魔女だ、この蛆虫野郎! 行け!」

 

ビータークラブで鋭く階段を指すと、蓮が突撃しながら叫んだ。

 

「バンザーイ!」

 

お姉さま方のおかげで帰ってくるとぶち壊しね、とジニーがハリーを見て肩を竦めた。

 

 

 

 

 

蓮がダンブルドアのエスコートで会場に入ってくると、会場がいっせいにざわめいた。隣でジニーがハリーの耳に「毎晩のノー無駄毛宣言は嘘じゃなかったみたい」と囁いて笑わせる。

 

「おいおい、この美しいレディをエスコートする幸せ者の学生は誰かと思ったら、君かねダンブルドア!」

 

淡いブラウンの髪をタイトに纏め、身体にぴたりとしたミッドナイトブルーの、デコルテラインを露わにするイブニングドレスを着た蓮は確かに綺麗だ。中身は、今は思い出してはいけない。絶対に。

 

「さよう。儂の長い長い人生で最も美しいパートナーじゃよ、ホラス」

「いやまったく前代未聞の椿事じゃないか。こりゃ良い冥土の土産だ、アルバス」

 

前代未聞は確かね、とまたジニーがハリーを笑わせた。「アレ、先月階段から拒否された魔女よ」

 

スラグホーンが合図をすると、壮大なバグパイプの音が響き始めた。

 

「おお。これは素晴らしい。レディ、アメイジング・グレイス、素晴らしき恩寵を与えると思うて儂と一曲いかがであろうか?」

「喜んで、校長先生」

 

アメイジング・グレイスをワルツにアレンジした曲はゆったりしていて、ダンブルドアにリードされた蓮が手足の長い優美さを存分に見せつけることが出来た。

 

「ミス・グレンジャー、君たちもいかがかな?」

「光栄です」

 

ハーマイオニーが死んだ目をしたロンを引きずってフロアに出る。

 

「ミスタ・ポッター、君もじゃよ」

「イエス、ヘッドマスター!」

 

小さくジニーが吹き出した。「海兵隊的階段上がりの訓練みたいな返事ね」

 

「その調子でダンスフロアでも、緊張しまくりの僕を笑わせてくれ」

 

 

 

 

 

ジャスティンがスーザンを連れて優雅にワルツのステップを踏みながら、メラメラ眼鏡カップルがマイペースになぜかタンゴを踊りながらフロアに出てくると、スラッギーの砂時計がぐるぐる回る勢いでパーティの成功を示し、スラグホーンは満足そうに足でリズムを刻んだ。

 

「ルーナったら。ワルツでタンゴを踊るなんて、器用なのか不器用なのかちっともわからないわ」

「器用なんだろ、スキャマンダーが」

「ルーナの好みにジャストフィットなのは間違いないわよね」

「間違いない。スコットランド・バグパイプのワルツで、南米アルゼンチン・タンゴ。あの2人にしか不可能な芸当だ」

「申し訳ないけどハリー、わたしはワルツが精いっぱいよ」

「問題ない。僕もさ。ジャスティンとレンぐらいしかタンゴは無理だろ」

 

次はタンゴだアルバス! とスラグホーンが調子づくと、ハリーはジニーの手を引いてフロアを降りた。それを見てロンも慌ててハーマイオニーを引きずって近づいてくる。

 

「レディ、タンゴは何がお好きかの?」

「・・・校長先生、わたくし」

「ん? 踊れるじゃろう? 魔法使いと魔女のタンゴじゃよ」

 

溜息をついた蓮が「シュニトケの、ロマノフ王朝の最期、でしたら。晩年の曽祖父がよく聴いておりましたので」と諦めたように答えた。

 

「実にアンドリアーノフ博士らしいお好みじゃ。あるかね、ホラス」

「もちろんだとも!」

「よしよし。では、レディ、お手並みのほど拝見仕ろう。ああ、ミスタ・フィンチ=フレッチリー、ミスタ・スキャマンダー、危ないので、君たちのタンゴは後ほど」

 

ドレスをたくし上げることなく、おそらくは太腿のホルダーから、裾を潜って飛び上がり、顔の脇にぴたりと静止した杖を柔らかく握り、蓮はフロアの端に姿勢を正して立った。

 

哀しげなメロディが流れ始めるとそのまま、片脚を背後に長く伸ばし、軸足を深く曲げ、杖を握った右手を心臓の前に当てて、ドレスの裾を広げる。

 

「まるで決闘だな」

 

ハリーの呟きに、ハーマイオニーが「似たようなものなんじゃないかしら。『魔法使いと魔女のタンゴ』だもの」と囁き声で答えた。

 

ダンブルドアと蓮がシンメトリーになるステップを踏み始めた。すり足のように流れるようなダンブルドアと対照的に、蓮のステップはきびきびとした躍動感に満ちている。そこへダンブルドアが杖を振ると、蓮の身体に淡い光の帯が巻きつく。その帯にターンさせられるように帯を振り払う蓮が高く杖を掲げ、自分の周りにはらはらと桜の花びらを降らせながら、バレエターンをひと振り舞った。

 

「『ロマノフ王朝の最期』だと言っていたわよね?」

「うん? ああ、確かそんな感じだった」

「・・・レンのひいおじいさまの解釈なら『終わり行く帝国皇帝の苦悩と悲哀』でしょうけれど、ダンブルドアと蓮が踊るのなら・・・『革命の苦しみ』というところかしら」

「ダンブルドアはすっかり決闘の顔だなあ」

 

ダンスのような、決闘のような2人を見て、ただ感心していたハリーだったが、ハーマイオニーが唇を噛んでじっと2人のタンゴを見つめていることに気づいた。

 

青や緑、黄色の光を放つ戒めを幾度も幾度も振り払う蓮の花びらは次第にその量を増していく。

 

「・・・買った時の、数倍にもなったかしら」

「え?」

「レンの杖よ。桜の杖だからでしょうね、一緒に買いに行った時も花吹雪だったの。もうあの時とは比べ物にならない。ダンブルドアを覆い隠してしまいそうなほどだわ」

 

なんか哀しい曲だなあ、とロンが呟いた。「タンゴってのは、もっとこう、男女が脚を絡ませるようなもんじゃないのか?」

 

「ロン、黙ってて。クライマックスだわ」

 

ジニーがぴしゃりとロンを黙らせたところで、蓮が大きなステップでダンブルドアに迫り、その腰を抱くようにして、最後の一音でダンブルドアを倒し杖を額に突きつけた。

 

ハーマイオニーが静かに呟く。

 

「古い皇帝は、ついに新しい皇帝に倒されたわ。まるでオペラみたいな決闘だった」

 

ブラーヴォ! とスラグホーンが頭上で拍手しながらフロアに上がっていき、蓮と2人でダンブルドアを抱え起こした。

 

「ひさびさに完璧な魔法使いと魔女のタンゴを見た。いや大したもんだ。今時の魔女がこれほどのタンゴを見せてくれるとは。博士から習ったのかね?」

「はい、スラグホーン先生。曽祖父は南米を旅行中にブエノスアイレスでタンゴを覚えたのが自慢でしたから」

「しかし、こいつはアルゼンチン・タンゴではない、コンチネンタルだよ、ミス」

 

蓮は苦笑して「タイトルに惹かれたのでしょう」と言うと、杖をひと振りして桜の花びらを消してしまった。

 

「ホラス、何を隠そう、ミネルヴァと柊子に決闘を教えたのはこの儂じゃよ。レディがこの程度の決闘の型を教えられておるのはわかっておった。高い芸術性のほうは、ロシアの血じゃな。柊子ならともかくミネルヴァとではこうはいかぬ」

「ほれほれ、教え子自慢は私の専売特許だ、アルバス。飲み物でも飲んで年寄りの冷や水を癒して来い。ミス・ウィンストン、アルバスをエスコートして座らせておやり。さーて、皆、今宵は良いものを見せてもらった。ダンブルドア校長とミス・ウィンストンに盛大な拍手を! そうしたら、お次は・・・最近また流行りの、リベルタンゴだ! 魔法使いと魔女のタンゴでも、男女のタンゴでも構わんよ、楽しく踊ろうではないか!」

 

 

 

 

 

「踊らぬのかね、ハリー」

 

ダンブルドアと並んで座ったハリーは、ダンブルドアのグラスに冷たいレモン水を満たして、肩を竦めた。

 

「パートナーがレンから魔女のタンゴを教わりに行ってしまったので。校長先生、あれは、決闘ですか?」

「今宵の場合は、決闘を擬した舞であったのう。いろいろじゃよ。男女のカップルが花のような魔法を捧げ合うタンゴも、儂が若い頃には流行っておった」

「花のような魔法?」

 

ほれ、とダンブルドアが杖でフロアのハーマイオニーを示すと、ハーマイオニーはロンの周りに青い小鳥を飛ばせている。残念ながら、トラウマを刺激されたロンの表情がロマンスを台無しにしていた。

 

「儂らの若い頃は、独身の若い男女が愛や恋を言葉にするのははしたないと言われておったのでな。魔法を捧げて恋心を示すのが一般的なやり方じゃった」

「どうせなら、校長先生もレンに花のような魔法を捧げてくだされば良かったのに」

「挑戦されては後には引けぬでな」

「挑戦?」

「ロマノフ王朝の最期、じゃよ、ハリー。ロシア帝国の終焉の曲を選んだのじゃから、年寄りへの挑戦、そして、後は引き受けた、と示してくれたのじゃ」

 

ダンブルドアは自分の額をちょんちょんと指で示した。

 

「あ、ああ!」

「個人授業を受けて、もうすっかりわかったのじゃな?」

「はい・・・でも、うん・・・出来れば死にたくはない、ですね」

「ホグワーツではのう、ハリー。儂を信じる者のところにフォークスが舞い降りると決まっておるのじゃよ」

 

ハリーはニヤッと笑った。

 

「しかし、実に嬉しいものじゃ。魔法使いと魔女のタンゴに付き合ってくれる生徒がおるというのは、楽しいものじゃよ。それもフロアいっぱいに。美しい眺めじゃ」

「レンみたいに魔法使いと魔女のタンゴを踊れる学生、他にいそうですか?」

「ホグワーツではのう・・・ボーバトン校では舞踏会が続けられておるようじゃから、かなりの使い手もいよう。ダームストラング校も、三大魔法学校対抗試合には身体能力の高い男子ばかりが来ておったが、ロシアの音楽に強い誇りを持つ学校じゃからして、タンゴとはいかずとも音楽に魔法を載せることが得意な生徒も多かろうて。決闘など時代遅れの嗜みと言われて久しいゆえ、生徒たちに真に美しい決闘を見せられなんだことは、儂の心残りじゃ。個人的な鍛練として友人と杖を交える生徒は幾組か思い出せるのじゃが・・・残念なことに、美しさよりも強さを意識せざるを得ぬ時代じゃ。蓮とのデモンストレーションが、この場の学生たちの心に残ってくれることを祈るばかりじゃな」

 

残っています、とハリーは力を込めて言った。

 

「そうかの?」

「はい、少なくとも、僕の中にははっきりと。ただ・・・凄過ぎて真似出来そうにないとは思いますけど。あんな桜の嵐を呼ぶことは、僕には無理だ」

「ハリー、君と蓮の魔法は種類が違うのじゃよ。君の魔法は戦うことに特化しておる。デモンストレーションには向かぬであろう。しかし、力強く真っ直ぐな、良い魔法じゃ」

「そうでしょうか」

「でなければ、呪文巻き戻し効果を引き出すまでヴォルデモートの杖と魔力を繋げてはおられぬ。ハリー、杖とは非常に不思議なものなのじゃ。対になる杖は、生き物のように運命を絡ませ合う。まさにタンゴを踊るのじゃよ。無論、そのタンゴは、持ち主の魔力によってなされる。じゃから、杖が使い手を選ぶ、と表現される。自分にタンゴを踊らせる使い手を選ぶわけじゃ。違う方向から考えると、杖と使い手のタンゴが、人生とも言える」

 

その方向のほうが僕は嬉しい、とハリーは苦笑した。「ヴォルデモートとタンゴを踊るより、柊の杖とタンゴを踊っていたいです」

 

「それほど惚れ込む杖を持ったことは、君の幸せのうちのひとつじゃな」

「はい。本当にそうだと思います」

「ヴォルデモートには、自分の杖と最後までタンゴを踊る気はないであろう」

「・・・はい」

「それは君にとっての福音じゃよ、ハリー」

 

ハリーは黙って、しかし深く頷いた。

 

「遠く高き理想を頭の片隅に意識して、己れの足元を見なさい。理想に振り回されてはならぬ。己れの手の中の杖を信頼してタンゴを踊るのじゃ」

 

ダンブルドアが片足で床を叩いた。

 

「今この場所。常にそこに自分の魂の芯があると意識することが何より肝要なのじゃよ」

「・・・今、ここ」

「恋をすることは素晴らしいことじゃ、ハリー。愛する人と共に過ごすとき、君の魂はまさにその場所に力強く生きておるはずじゃな。理想を追うあまり根無し草になってはならぬ。魂の戻る場所を常に腹の底から感じていなければならぬ」

 

持ち重りのする黒く硬い荷物を抱えさせられたような気持ちになったが、ハリーはやはり頷いた。

 

 

 

 

 

うー、と談話室のソファの上にクッションを積み上げ、その上に裸足の足を投げ出したイブニングドレス姿の蓮を見つけて、ハリーとジニーは顔を見合わせて溜息をついた。

 

「パーティの時のレディがまた行方不明になったな」

「ハーマイオニーは、ロンと?」

「たぶんね」

 

仕方ないわね、とジニーが蓮の傍らに、両手を後ろに組んで仁王立ちになった。

 

「プライベート・ウィンストン!」

「・・・イエス、マダム・・・ジニー、今はちょっと足が疲れて」

「口答えしていい身分か、プライベート・ウィンストン!」

「ノー、マダム。わたくしは無価値な蛆虫野郎であります」

「口答えが許されないなら、まずイエスと言え!」

「イエス、マダム!」

「まだ階段をひとりで上がれないお嬢ちゃんか、この蛆虫野郎!」

「イエス! ノー、マダム!」

 

自棄になったのか、蓮が大声を出した。

 

「だったらさっさと部屋に戻るんだ、ウィンストン!」

「イエス、マダム!」

 

飛び上がって駆け出した蓮の背後からジニーがまた怒鳴った。

 

「上官に靴を持たせる気か、ウィンストン!」

「イエス! ノー、マダム!」

 

素早いUターンで戻って、両手に靴を片方ずつ引っ掴んで素早く階段を駆け上がって行った。

 

見事だ、とハリーは笑って拍手を送った。振り返ったジニーは肩を竦め「そろそろノー無駄毛宣言からも卒業するべきじゃない?」と言った。


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