アメリアの墓に好きだったシャンパンをだぱだぱとぶっかけていると、花を抱えた少女がやって来た。
「・・・あ」
キングズリーは自分の行いを振り返り、墓参にしてはいささか粗暴だったかと反省して、軽く帽子に手を触れて「失礼」と謝罪した。「マダム・アメリア・ボーンズの旧知の友人ですが、この通りの礼儀知らずなもので。アメリアに花を捧げるのがいささか気恥ずかしく」
「伯母の・・・」
「ああ、君はスーザンか。話はよく聞いていた。学校では大変だったね」
「はあ・・・」
「これは失礼した。キングズリー・シャックルボルトだ。闇祓い局に勤務しているので、職業上は伯母上の部下だったが、新人の頃から飲みに連れて行ってもらうことが多くてね。勝手ながら友人だと思っている。たまに墓参りに来てはいるが、いつも酒だけ撒いているので、アメリアからは迷惑がられているかもしれない」
帽子を取り、少女の右手を取ってひと息に挨拶すると、目を瞬かせながらも「それは存じませんでした。いつもありがとうございます」と、存外にしっかりした返事が返ってきた。
「伯母の好きなお酒、ですか」
「うむ。ワインは好きだが、一番好きなのは、シャンパーニュのシャルドネで出来たスパークリングだ。銘柄にこだわりはないが、だいたいいつもそればかりを飲んでいた。スパークリングがなくてもシャルドネの白だな」
「知りませんでした」
「酒の好みなど幼い姪に聞かせるようなことではないから当然だ。いつも花も持たずに悪いような気もするが、私とアメリアは花を贈り合うような関係ではなかったのでね。花を捧げてもあの世から気持ち悪がられそうな気がしてしまうのだ。たまに墓が酒臭くても気にしないでくれるとありがたい」
スーザンはにこりと微笑んで、自分が手にしてきた花を捧げた。
「そんな風に話しかけに来てくださるほうが、伯母にとっても花より嬉しいのではないでしょうか。それに」
そう言って、墓の周りを指で示した。
「捧げられる花の数以上に、どなたかが訪ねてくださっているようです。きっとミスタ・シャックルボルト以外にも」
「・・・目敏いな」
アメリアの墓の周りには不思議なほど草が伸びていなかった。
花も持たず、つまり証拠を残さないようにたびたび訪れそうな素直じゃない人間に、少なくともひとりは心当たりがある。
「ミスタ? もしかして、レンが『キングズリー』と呼んでいるのは」
「私のことだ。それが?」
「・・・炭鉱はいかがでしたか?」
キングズリーは思わず笑い出した。
「なんだ。君もレンに見込まれた仲間だったか。いや、なかなか壮大な計画で驚いている。細かいところはまだこれから話を詰めなければならないが、おおむね賛成している。それが?」
「その件についての担当はわたしなので。レンが炭鉱を思いついたことを受けて賛成してしまいましたが、あまりに莫大なお金が動いてしまってどうしようかと思っているところです。おおむね賛成ということは、いずれは魔法省から補助が出ると考えていいんですよね?」
キングズリーは腕組みをした。「全面的に補填するわけではない。約3分の1というところだな。残りはウィンストン家の投資と解釈してもらいたい」
スーザンは困ったように苦笑した。
「うん?」
「思いつきを口に出すのは控えめにしないと・・・怖いことになると痛感しています」
「なかなか良い薬に目をつけたね。聞いている。君の思いつきだということも。気にすることはない。君たち若者の一存で世の中が動くわけではないのだ。若者の意見を吸い上げてそれを実行するのは我々の世代なのだから、気に病まずにいくらでも思いつきを口にしなさい。諸々の調整をするのはおじさんおばさんの得意分野だ。例えば、炭鉱の件でも、廃業された病院という骨子を君たちが持ち出してきた。レイや私は、その骨子に肉付けして、実現可能な形に収めていく。役割分担は出来ているのだ。それに」
「え?」
「君は伯母上から、職業人生のテーマのようなものを聞いていたか?」
スーザンはしばらく考えて「そう大上段に構えて話し合ったわけではありませんけど、それなりには」と頷いた。
「それがレンの『炭鉱町フル・モンティ・プラン』の骨子にあるような気がした。失礼。下品な単語だが、責めるなら命名したレンを責めてくれ。とにかく、アメリアの信念の痕跡が感じられたのだ、私には。ただの学生の独りよがりな変革案なら却下して終わりだ。しかし、君たちの変革案のあちこちに、似たようなものを感じる。先人たちが君たちを通して生きたがっているように思えるのだよ。少なくとも、まともに受け止めて検討するに値すると私は考える」
「・・・そう言ってくださると、嬉しいです」
「もちろん、学生たちが変革案を提出してくること自体、大人たちの力不足だ。謙虚に受け止めなければならない。本来なら、恋でもして浮かれているべき年頃なのに、重い荷物を背負わせている」
スーザンが僅かに頬を染めて、顔を背けた。気になったが、デリケートな単語のせいだろうと察して、キングズリーは少し考え、話題を変えた。
「炭鉱町の帰りに面白い町に立ち寄った。君は知っているかな。グレトナ・グリーンという町だ」
「え、ええ。行ったことはありませんけど。伯母の口癖によく出て来ました」
「なんだ、知っていたか。アメリアによく言われたものだ。私はいまだに独身なのでね。『ぐずぐず悩むよりさっさとグレトナ・グリーンに駆け込め』とね。自分こそいつまでも独身だったくせに、人のことをそうやって簡単に片付けようとするのがアメリアの癖だったのだが、いざ本当のグレトナ・グリーンに行ってみたら、18世紀や19世紀の話ではないか。運転手のレイにおそるおそる『何があろうとも誤解しないで欲しいのだが、単なる観光の目的でグレトナ・グリーンに立ち寄ることは可能だろうか?』と決死の覚悟で申し出て、ものすごく妙な顔をされてしまった。平気な顔をして車を向けてくれたので、私のほうが緊張したというのに。グレトナ・グリーンで延々と18世紀のイングランドのマグルの婚姻法について講義されて、アメリアに恨み言を言いたくなったよ。それで今日はここに恨み言を言いに来たというわけだ」
スーザンが小さく笑い「身分違いの恋のご経験が?」と冗談交じりに尋ねるので、キングズリーは肩を竦めた。
「さてそれはどうだろう。ひとつだけ言えることは、勇気を出せなくて正解だったということだね。アメリアの口癖を真に受けていたら、とんだ恥をかくところだった」
「伯母には、意外にロマンティックなところがあるんです。家にある伯母の学生時代の本棚には、マグルの女性向けのロマンティックな物語がいくつかあります」
「君もそれを読んだのかな?」
「え? ええ。レンやハーマイオニーには内緒にしてくださると助かりますけど、実は何度も読み返しています」
内緒? とキングズリーは目を丸くした。「なぜ?」
「あの2人の批評というか感想を聞くと台無しになる物事は割と多いんです・・・」
「よく理解できた。グレトナ・グリーンで民法の講義など聞きたくないと思うのと同じだな?」
「たぶん・・・」
思わずキングズリーは笑い出した。
「意外なところで実に親子よく似ているのだな。そして君は、アメリアの意外なところをよく理解しているようだ」
「そんなことは・・・身内ですから、手がかりが多いというだけで」
「そう謙遜する必要はない。だがまあ・・・そこから先は似ないほうがいい」
「え?」
「君は、アメリアと違って、グレトナ・グリーンに駆け込む勇気を持つべきだと思ったのだ」
スーザンの表情に、キングズリーはしばらく沈黙した。
何かとんでもなく不味いことを言ってしまった気がする。
「あ、あー。今のは単なる譬え話だ。深く考えないで欲しい。そうだ! レイが言うには、1920年代に婚姻法が改正されてからは、グレトナ・グリーンに行かずとも両性の合意があれば婚姻は成立するようになったのだ。それまでは、結婚許可証だの、結婚予告だのが必要で、したがって世間から認められない恋の成就は極めて困難なことだったらしい。世間が認めなければ結婚予告を出した時点で横槍が入って結婚許可が下りない結果になるからだ。しかし! 今はそのようなことはない! ないので安心したまえ! スコットランドの鍛冶屋など必要なくなった! たとえマグルの貴族とだって自由に結婚が・・・なぜ泣く?!」
これだから若い女性は苦手だ。キングズリーは慌ててスーツのポケットからハンカチを取り出して、スーザンを墓地の隅のベンチに座らせた。
「・・・キングズリー、あなたって・・・すごくピンポイントで、言っちゃダメなこと言うわね」
怜が溜息交じりにしみじみと言った。
「何が悪かったか教えて欲しいのだが」
「わたくしだって、スーザンの個人的な事情は知らないけれど・・・まあ、その流れなら普通は・・・世が世ならグレトナ・グリーン婚を考えるタイプの恋愛をしているということでしょう。悩んでいるのよ、かわいそうに。そのデリケートな部分を、こんな厳ついおじさんに言い当てられたら泣きたくもなるわ」
「私がいったい何をした?!」
泣きたいのはこちらのほうである。
「ちなみに、アメリアの若い頃の愛読書はジェイン・オースティン。アメリアのあの口癖は、オースティン文学に影響されたせいよ。真に受けたのはたぶんあなただけだと思うわ。先日、やたらギクシャクしながら下見だのなんだの言ってグレトナ・グリーンに立ち寄らせたけれど・・・下見ならデンマークやスウェーデン、アイスランドあたりに行きなさい。あなたの結婚は、イギリス国内ではグレトナ・グリーンでも受け付けていません」
「私のことはいい! 結婚を考えるような深い仲になったことはないのだ」
怜は複雑そうに微笑んだ。
「・・・なんだ?」
「それは個性なのかしら、それとも男女の違い?」
「何がだ?」
「アメリアはあっという間に、グレイスとの同棲を始めたなと思って」
出会って1週間後にはグレイスの家に転がり込んだのよ、と肩を竦めた。
「それからずっと。自分のアパートメントや御実家にはそれなりに顔を出していたけれど、基本的にはグレイスの家に住み着いてしまった」
「不服があったのか」
「それほどはっきりしたものではないけれど・・・あまり良い気持ちはしなかったわね。ほら、わたくし、当時はコーンウォールで義父母と暮らしていたから、アメリアの部屋に泊まりに行くのが息抜きだったの。息抜きの場所がなくなったんだもの」
「ストレートに言うと『アメリアとグレイスの同棲に嫉妬した』だな」
「・・・ねえ、キングズリー、あなたはストレート過ぎてスーザンを泣かせたのよ、間違いなく」
こめかみを押さえて言う怜に首を傾げた。
「率直なところが美点だと言われて育ったのだが」
「ハッテン場以外ではもう少し婉曲な表現を選んでちょうだい。特にスーザンのような若い女性に対しては。政治家になるという自覚を持ちなさい」
「どこでそんな単語を覚えてきた?!」
「マグルの弁護士ですもの。トイレで逮捕されたクライアントぐらい何人もいるわ」
キングズリーは深い溜息をついてお茶を飲み干した。ティーポットの中の渋くなったお茶をお代わりして、本題に戻ることにした。
「グレイスとの同棲はアメリアの一種の逃避だと私は考えているが、嫉妬するぐらいならなぜきちんとした関係にならなかったのだ?」
「・・・また・・・ねえ、キングズリー、その率直さは公衆トイレまで仕舞っておいてくれない?」
「君相手に礼儀正しい会話をしていると丸め込まれるからダメだ。どうなのだ?」
怜はキングズリーから顔を背けた。
「レイ。答えなさい。君と私の信頼関係に関わる」
「どうしてよ」
「もう過ぎたことだ。過ぎたことでさえも率直に話してくれない法執行部長とは、仕事上のパートナー関係になれない。私の認識では、大臣の次席は、次官ではなく法執行部長だと考えている。いわば副大臣だ。ウィゼンガモットと大臣の間に立つ法執行部長を全面的に信頼して仕事をしたい。よって、これまでに気になっていた君の私生活の謎は整理しておきたい」
怜は溜息をついて、テーブルに頬杖をついた。
「スキーターやアンブリッジに足を掬われたくはないのだ、レイ」
「フィジカルな関係は一切なかったわ」
「あればいいと思っていたか?」
「誘われたら、断らなかったでしょうね」
「君からは?」
「キングズリー・・・わたくしには、亡くなったとは言え夫がいて、子供がいるの。選択権はアメリアにあると思っていたから、わたくしからは何も言っていないし、していない。これぐらいで勘弁してくれないかしら」
「考えていたのだが、アメリアは理想的な相手ではなかっただろうか。結婚することは出来ないが、それはむしろウィンストン家からすれば好都合だろう。君は伯爵夫人のまま、コンラッドの妻としての務めを果たし、個人的な関係はアメリアと共有する。そういう可能性を2人で検討したことは?」
ないわ、と怜が断言した。
「アメリアも?」
窺うようなキングズリーの目を見て、怜が小さく笑った。
「キングズリー、アメリアは、グレトナ・グリーンに行きたかったの。そして、わたくしには、それだけは出来なかった。それが全てよ」
ホグズミードの空は低く垂れ込めた雲のせいでひどく陰鬱な気配を漂わせている。
よりによってマダム・パディフットの店が本日のキングズリーの持ち場で、頭の上を小さなエンジェルが飛び回っている。
そして目の前には、浮かれに浮かれたニンファドーラ・トンクス。
「リーマスったら、頑丈な地下室のある家でなければ、満月の日には別居するなんて言うの。頑丈な地下室付きの家なんて、いったい家賃がいくらかかると思ってるのかしら?」
「それは仕方ないことだろう。満月の日の対応を検討しておかなければ、人と共には暮らせないのだ」
「聖マンゴに勤務してる友達に渡りをつけてあるわ。脱狼薬は確実に手に入るの」
「それは大事なことだ。よくやった。しかし、万が一を考えて、隔離状態を作っておく必要は忘れるべきではない」
今、ニンファドーラとリーマスは結婚の予告期間である。
「マグルの法律で結婚するのか?」
「そうよ。トンクスのおじいちゃんとおばあちゃんが納得するように。民事婚だけど、ちゃんと登記所に両親と祖父母を連れて行って宣誓するの。リーマスがそう決めたのよ。でもマグルの結婚って、ホント大変。独身の証明から必要になるの。結婚予告なんてするんだから、そんな証明要らないと思わない?」
キングズリーは忌々しげに頭の上のエンジェルを追い払った。こいつらなど、ニンファドーラの頭上を舞えばいいのだ。
「正式な結婚の手続きを踏むことがリーマスの誠意だ。文句を言うものではない」
「はいはい、わかってます。だからリーマスには言わないわよ。それに、今はそれどころじゃないの。メイド・オブ・オーナーだけは頼むのよ。リーマスのベストマンにシリウスが立候補しちゃって引かないから。普通は姉妹らしいけど、わたし、ひとりっ子でしょう? 姉妹らしい続柄って言ったらよりによってレンしかいないの。どうしよう? レンに何の皮をかぶせたらいいと思う?」
「・・・なぜ私に聞く?」
「会う人みんなに聞いてるわ」
キングズリーは溜息をついた。
「官邸に勤務する若者の結婚式に出席したことはある」
「頼りになるわ、キングズリー!」
「・・・宗教婚だったからかもしれないが、花嫁と揃いのドレスを数人の花嫁付き添いの若い女性が着ていた。花嫁の呪いを姉妹や友人たちが分散して引き受けるためだそうだ」
「・・・つまり、レンにド派手なウェディングドレスを着せて、わたしが普通のスーツ姿なら、呪いは全部レンが引き受けるのね?」
「・・・なんでそうなるのだ。レンにも普通のスーツを着せていればいいだろう。ドラァグクィーンを連れて結婚する気か? だいいち、レンはウィーズリー家の結婚式にもブライズメイドとして出席するはずだ。心配しなくても、民事婚ぐらいなら持ち合わせの猫の皮を被って誤魔化せるだろう」
あっちは盛大になりそうね、とニンファドーラが苦笑した。
「羨ましいのか?」
「特にそういうわけじゃないわ。わたしたちには向いてない」
「卑屈になっているのか?」
「違います。単なる事実として言っただけ。わたしにはリーマスがいれば充分よ」
しばらく思案して、キングズリーは口を開いた。
「スコットランドに、グレトナ・グリーンという町がある」
「何よ、藪から棒に」
「黙って聞け。私からの結婚祝いだ」
ニンファドーラがやっとおとなしくなった。
「18世紀、19世紀にはイングランドの若いカップルの駆け落ちのメッカだった。家族に反対されてもなお諦めきれない若者やその恋人は、夜を徹してスコットランドまで駆け抜け、湖水地方の僅か10キロ先にあるグレトナ・グリーンの鍛冶屋を目指したのだ。スコットランドの法律でなら正式に結婚出来るからだ。牧師も要らない。鍛冶屋が証人として結婚証明書にサインしてくれさえすればいい。追っ手を振り切り、家族にも財産にも見向きもせずに、ひたすら愛する人と結ばれることだけを考えてイングランドを駆け抜けて行った。現代ではもはや陳腐になった伝説かもしれないが、私はそうは思わない。本当の意味で、あらゆる障害を物ともせずに結ばれることは、意外に難しく出来ている。いまだにグレトナ・グリーンに辿り着けない者はたくさんいるのだ。トンクス、君たちの結婚は、素晴らしく、望ましい形を取った。私はそう思う。よくやった。君の愛は、リーマスの頑なな心を溶かした。賞賛に値する。君たちのグレトナ・グリーンに辿り着けたのは、君の愛と忍耐があったからこそだ。誇っていい」
また頭上に舞い戻ってきたエンジェルをパタパタと手で追い払った。
「あなたって、意外にロマンティストよね」
そう言うニンファドーラの瞳には、僅かに涙が光っていた。