ハリーが顔を真っ赤にして、手にした本を床に叩きつけた。
「君たちはスキーターをコントロールしてたんじゃなかったのか! なんだよ、これは!」
拾い上げたロンが「アルバス・ダンブルドアの真っ白な人生と真っ赤な嘘」とタイトルを読み上げた。
「コントロールはレンの担当だけど、この本が出ることは、ええ、知ってたわ。ネタを提供したのはレンだもの。この件があるから、バチルダ・バグショットの安全に気を遣っているのよ」
「なんでこんなことができるんだ!」
「そう怒鳴るなよ、ハリー。怒るのは事情を聞いてからだ。ハーマイオニー、この本の目的は?」
ダンブルドアへの信仰を断ち切るため、とハーマイオニーは端的に答えた。
「・・・信仰?」
「ええ。ダンブルドアに若い頃の人間関係があっちゃいけない? 危険かもしれないけど才能ある友人がいちゃいけない? 父親がアズカバンにいちゃいけない? あなたみたいに怒る人はきっとたくさんいると思うわ。でもそれは実態を無視した空虚な信仰。こういう過去を持つダンブルドアが、それでも後年偉大な魔法使いになったという事実のほうを尊敬すべきなのに、『真っ白な人生』しか認められないのは、少し気味が悪いわ」
「気味が、悪い?」
ハリーがドサッとソファに腰を下ろした。
「わたしね、魔法界の偉人の伝記もひと通り読んだわ。でもあまり興味は湧かないの。判で押したように、若い頃から才能に恵まれ正しいことを為し、偉大になりました。そんな中身のない読み物、羊皮紙の無駄遣いね。わたしは個人的に、これはリータ・スキーターの傑作だと思う。転換点になる書物よ。これまでの読者層に合わせてスキャンダラスに書いてあるけど、結末は素晴らしいわ。『ダンブルドアはホグワーツに葬られることを望んだ。身近にいた教え子たちは彼のその願いを尊重し、魔法省の提案する記念公園案を断って、ホグワーツにひとりの教師としての永遠の眠りの場を整えたのである』こういうのが伝記よ。今までの魔法使いの伝記なんて、マタイによる福音書か何かなんじゃない?」
「君の文学論を聞く気分じゃない!」
怒鳴るなよハリー、とロンが頭を掻きむしった。
「ハリー、あなたが今怒ってるのは、ダンブルドアに失望させられたからでしょ? 完璧な人だと思ってたのに、実はちっとも完璧じゃなかった。それどころか、下手したらグリンデルバルドと一緒になって世界征服しようとしたかもしれない。少なくとも思想的にはその瀬戸際にいた。失望させられたでしょうよ。でも完璧な人なんていないの。みんな自分の中に光も闇も持ってる。あなただってそうよ」
ハーマイオニーは、ハリーの額の傷を指差した。
「おい、ハーマイオニー。そいつぁ言い過ぎだ。ハリーの傷は好き好んでついた傷じゃない。一緒にするな」
「失礼。でも撤回はしないわ。自分の中にある闇とか過去とか、ネガティヴなものを塗り潰して誤魔化して、真っ白な人生しか歩まなかったダンブルドア? それはもうダンブルドアじゃない。この本に書かれた情報は、ほとんどがダンブルドアがレンに話して聞かせたこと。レンはそれを骨子にして、グリンデルバルドやバチルダ・バグショットに裏付けを取って、さらなるブラッシュアップと執筆をスキーターに頼んだ。スキーターは渋ったそうよ。ここまでの内容を、ダンブルドアの伝記として世に出すのは自分でさえ気が引けるって。でも必要なことだからどうしても書いて欲しいと頼み込んだの」
「なんでだよ! そっとしといちゃいけないのか!」
「今度はハリー、あなたがダンブルドアの役を求められるからよ!」
ハリーが虚を衝かれて目を瞬いた。
「・・・え? 僕? なんで」
「ねえ、冷静になって他人事として、マグルの常識で考えてみてくれない? たった1歳の赤ちゃんが『生き残った男の子』としてヒーロー扱いされる社会なのよ? そのあなたがこの戦争でまた活躍するわ。ダンブルドアを失って意気消沈した魔法界を『生き残った男の子』が再び救済するの。完璧な正義の味方がね」
「・・・なんだよそれ。僕はそんなんじゃ・・・いつも目の前のことにいっぱいいっぱいだ。ただパパやママのことを考えるとそうせずにはいられないことをしてきただけで、とてもダンブルドアなんかには」
「ダンブルドアの『真っ赤な嘘』に真っ赤になって怒る魔法使いたちにそう説明して回りなさい。『ダンブルドアは完璧な偉大な人だけど僕は違います』って。何人がまともに話を聞いてくれるかしらね」
「ダンブルドアと僕は違う! 僕は、僕は不完全な人間だ。君たちが一番よく知ってるだろ?! 短気で思慮が足りなくて怒りっぽくて、思い込みが激しくて、英雄症候群!」
まったくだぜ親友、とロンがだらんと長い手足を伸ばしてリビングチェアにだらしなく座った。「自覚があって助かった」
「じゃあダンブルドアは生まれた時から完璧な人間だったの?」
「・・・そ、それは」
「ダンブルドアにも、不完全な若者だった時期はある。あって当然でしょう? そのことを指摘する伝記が出版されただけ。それだけでこの騒ぎ。わたしに言わせればもはや信仰の領域ね。ダンブルドア信仰。ダンブルドアがそんな扱いを望んだとはとても思えないけど」
「ちなみにダンブルドア教会の祈りの文句は『わっしょいこらしょいどっこらしょい』だな。ハリー、君はもちっとそれらしい名言を言い遺してから死ねよ。ポッター教会じゃ、信者が全員『僕はそんなんじゃない!』って喚きながらミサに出るってのは、たまったもんじゃないからな」
しばらくハリーが俯いて黙り込んだ。
ハーマイオニーは澄まして『アルバス・ダンブルドアの真っ白な人生と真っ赤な嘘』のページを読み進めていた。
「・・・君やレンの意図は、信頼できる。でも・・・スキーターはどうなんだ? 何もやましいことはないのか? 転換点になる書物? これをきっかけに、マクゴナガル先生だのレンのおばあちゃんだの・・・他の人のスキャンダルを暴いてひと儲けする魂胆なんじゃないのか」
「ひと儲けはしたいでしょうね。させればいいと思うわよ? でもわたしは、あの人がひと儲けするために次に取る方法は、方向性が違うと思ってるけど、まあ、それはわたしの勘だからあまり当てにならないわ」
「君の勘? それでもいいけど、どういう方向性だと思うんだよ? スキーターだぞ?」
眉を寄せたハリーに向かってハーマイオニーは『アルバス・ダンブルドアの真っ白な人生と真っ赤な嘘』を振って見せた。
「前回の不死鳥の騎士団員の若者たちに関する章だけ、小説風の書き方になってる。群像劇みたいに。あなたのお母さまのことも書いてあるわよ、ロン。もちろんレンのご両親のことも、ハリーのご両親のことも」
「うちのママだって? どういう意味だよ? 事と次第によっちゃ僕もハリー側につくからな!」
「安心して。こういう一文よ。『最後の弟の死を知らされた時、モリー・ウィーズリーは崩れ落ちた。ああ、神さま、と何度も呟きながら。居合わせたレイ・ウィンストンがアリス・ロングボトムと2人でモリーをベッドに運んだが、彼女の嘆きには神さえも答えることは出来なかったのだ』あなたのお母さまの名誉に関わる表現ではないわ。でも、章がまるまるこの調子なの。まるで・・・スキーター自身の身内が前回の騎士団員にいたみたいに、各人の感情に踏み込んだ表現を使ってる。ゴシップライターらしくもない表現よ。100ガリオン賭けるとまではいかないけど、本の虫を自認するわたしの見解では、スキーターはそのうち前回の騎士団員の群像劇を本当に出版するんじゃないかと思うわ。少なくともその準備をしているか、前回の騎士団員について書こうとした時にゴシップライターの手法をどうしても使うことが出来なかったか・・・どちらかだと思う」
そんなことはどうでもいいじゃない、とあえてあっさりとハーマイオニーは本を閉じた。
「どうでもいい? なんでだ? レンのパパのことをまたゴシップ風に書いたりしたら許せないだろ? あれはもう裁判で正式に名誉回復されたにしても、レンの家族は有名人だらけだ。そんな人たちのゴシップ本でひと儲けなんていくらでも出来る」
「こっちにはパドマ・パチルというジャーナリストの卵がいるから、対抗する本を書けと言ってレンを1週間縛り上げて貸し出せばいくらでも書いてくれるのよ。わたしやレンがスキーターを信頼し過ぎてると思うなら、そういう二の手を用意してることは覚えておいてね」
読み終えたスーザンが「意外だけど、良い本だと思う」と端的な感想を口にした。「スキーターの本だということをあえて意識せずに、ダンブルドアへの感傷を意識的に排除して読めば、素晴らしい本よ。でも、こんな本を書かせるなんて、レン、いくらスキーターでもちょっと気の毒だわ」
そう? という声がキッチンから聞こえてきて、スーザンは慌てて立ち上がった。
「レン・・・出来れば次は、こう、胃に優しいハーブティがいいわ。今日のコーヒーはもう十分いただいから」
「今朝、完璧なコーヒーだと言ったろ? 今のうちに完全にマスターする」
「・・・そ、そう・・・あ、ええと、ダンブルドアはまだ亡くなって日が浅いのよ。思い出も鮮明だし、客観的になるのは難しいわ。ダンブルドアを侮辱するなという呪いがスキーターのところには山のように届くはず」
「長いことゴシップライターをやってるんだ。慣れているよ。そんなことよりさ、せっかくのクーデター成功なのに、なんでシックネスが大臣なんだ? くっそ。計画が狂った」
蓮が差し出したコーヒーを溜息をついて受け取り、ダイニングテーブルに座って向かい合った。
「計画?」
「今回は、服従の呪文にかけられたから罪から逃れるって形を避けようって話し合っていただろ?」
「え、ええ、そうね。服従の呪文にかけられたことそのものに一定の科料を求める・・・役職の責任の重さに比例して、服従の呪文にかけられたこと自体への責任を求める・・・あ」
「まさかシックネスを大臣にまでするとは思わなかった。服従の呪文にかけられたまま大臣にされたシックネスに、大臣級の罪を要求するのはやり過ぎだ。かといって、シックネスの罪を減じるとなると、服従の呪文を言い訳にするやり口の横行を許すことになる。何か考えないと」
魔法省からの仕事帰りに自分で買ってきた、フル・モンティのマグカップから、グイっとコーヒーを飲みながら、険しい顔をする。
よくあんなマグカップで飲み物を飲む気になるものだわ、と思うが、指摘はしない。リクエストを聞かれた時に「タイタニックの映画をモチーフにしたマグカップがあれば」と答えて呆れられたからである。「沈没船でコーヒー飲む気?」と。沈没船ではなく、レオナルド・ディカプリオの顔が好きなだけだ。
ともあれ、地道な労働に無縁の階層に生まれ育った蓮にとっては仕事ぶりを評価されてチップを貰うことが新鮮らしく、毎日仕事帰りにちょっとしたお土産を買ってくるのが微笑ましいので、マグカップもコーヒー豆も豪華なフルーツセットもありがたく頂戴した。
「・・・そういう顔をすると、ロミオ+ジュリエットなのにね」
「シックネスが?」
「違います。そういえばシックネスの話だったわね。続けて」
ロミオ+ジュリエットのディカプリオの顔が一番好みである。似ているなどと蓮本人には絶対に言わないが。
「こういう場合、どうなるんだ? 服従の呪文にかけられたのは法執行部長の時だ。でも捕縛時は魔法大臣だろ? 執行部長も責任は重いけれど、大臣とじゃ雲泥の差だよ。そもそも服従の呪文にかけられるような精神力や魔力の人間が大臣なんかになるべきじゃないんだから。シックネスはもともとは法執行部のせいぜい事務係長の器だとママは言っていた。本人もそこまでしか希望していなかったんだ。ところが、マルフォイの横槍で副部長、マダム・アメリアの死で繰り上がり執行部長、で服従の呪文にかけられたまま魔法大臣。これはあんまり過ぎないか?」
この顔で魔女だなんて詐欺だと思うわ、と考えながら、一応深刻な表情で頷いてみせた。
「だろ? シックネスには救済策が適用されるべきだよ。でもそれは他の服従の呪文被疑者の言い訳封じに影響しない形にしないと・・・」
ハーマイオニーはこれに毎晩付き合っていたのだろうか。目の保養にはなるが、とんでもなく疲れることは確かである。
「そうだ、そういえばアダムスはどうしてる?」
「椰子の木の下で不貞寝をしてたら、落ちてきた椰子の実で頭を打って意識不明よ。あの人、頑丈な頭ね。フライパンで何回殴られても、起きたらまた騒ぎ出す元気があるんだから」
「中身が空っぽだと頭打っても支障がないんじゃないか? わたくしに話しかけてくる魔女たちの態度から察するに、あいつが役に立つのは頭より下半身だ」
「かは・・・あなた、魔法省でいったいどんな目に遭ってるの?!」
「今日はトイレに連れ込まれてキスされた。されるがままになっていたら、元気がないと勘違いされて解放してもらえたよ」
「・・・変身する相手はもう少し慎重に選ぶべきだったわね。まさかそんな人だとは」
いや大当たりだった、と蓮が悪人顔になった。
「は?」
「トイレに連れ込まれた相手は、アンブリッジだ。アダムスは、アンブリッジから小遣いをもらって、アンブリッジのお相手をしているらしい」
「・・・あなた・・・よく吐かなかったわね?」
「吐く前に解放されただけだよ。でも収穫はあった。アンブリッジは近いうちにマグル生まれ登録委員会の委員長になる。そろそろアダムスの社会復帰を促そう。明日までは出勤するから、ウェンディと一緒にアダムスの頭を治療しておいてくれ。退勤したら、わたくしもバミューダに跳んで、忘却術のキツいのをかけた後に魔法省ビルの裏にでも転がしておくことにする。アンブリッジのお相手はわたくしの仕事じゃない。アダムスの仕事だ」
チェルシーのペントハウスのダイニングで、ぶほ、と怜がコーヒーを吹き出した。気持ちはよくわかる。
「・・・大収穫だったことは認めるけれど、自分の娘がそんな行為と引き換えに情報を仕入れてくるなんて」
「お察しします・・・」
「最近のあの子ときたらもう・・・わたくしの天使だったはずが、なんだか悪魔に見えてならないわ。誰に似たのかしら? いくらなんでも、暴走し過ぎよね」
「す、すみません」
思わず謝罪するスーザンを遮るように手を振った怜が、コーヒーテーブルの上に伏せてある『アルバス・ダンブルドアの真っ白な人生と真っ赤な嘘』に視線を向けた。どうやらこちらでも読書中だったようだ。
「リータ・スキーターに同情する日が来るとは思わなかったわ。これ、蓮が書かせたのではなくて?」
「その通りです・・・」
「でしょうね。スキーターが好んで取り扱うにしては、影響が大き過ぎるわ。彼女はこういうスケールの大きなスキャンダルは扱わない。あくまでも、魔法省高官の政治生命を左右する程度の小さな世界のゴシップが専門のはずだもの。イギリス魔法界を小馬鹿にして引っ掻き回すだけのトリックスター・・・それが・・・」
怜は少し言葉を切ると、軽く頭を振った。
「蓮は、彼女に対して少し残酷なことをしたかもしれないわ」
「え?」
「この執筆をきっかけに、スキーターが忘れようとしていた過去を振り返らざるを得なくしてしまったのかも」
それで、と怜が話題を変えるように両手を叩きあわせた。「質問は、シックネスの取り扱いと、マグル生まれ登録委員会の動きを知るための潜入相手?」
「は、はい。そうです。レンが昨夜からウンウン唸って悩んでいるのは、シックネスの件です。服従の呪文を前提として罪を不問にするというのは、ルシウス・マルフォイのような禍根を残しますから、その・・・新しい法執行部長に掛け合って、服従の呪文にかけられたことそのものを罪に問う計画でした。死喰い人側の組織であれ、魔法省であれ、いわゆる役職の責任が大きければ大きいほど、服従の呪文にかけられた責任も重いという原則です。でも、シックネスの場合、それを適用するのはあんまりではないかと」
「確かにそうね。でも、わたくしの見解では、現時点でシックネス専用の抜け道を用意する必要はないわ。捕縛したあとに、シックネス自身に問えばいい。元上司として言わせてもらうならば、シックネスはたぶん逃げようとはしないはずよ」
「え?」
「彼本来の美点ね。決して才気煥発な法律家ではないけれど、法の抜け道を求める人間でもないわ。自分の責任には自覚的だから、粛々と法の裁きを受けるでしょう。その姿勢をウィゼンガモットがどう評価するかが問題なだけ。蓮にはこう伝えて。シックネス専用の抜け道を用意することは、シックネスに対する侮辱。ついでに法執行部長の職掌には口出しするな、って」
「あ・・・は、はい・・・申し訳ありません、いろいろと・・・」
怜は苦笑して「謝る必要はないわよ」と言った。「それで、もうひとつは、マグル生まれ登録委員会? これを監視したいわけね・・・」
「はい。誰に変身すればいいかと思って」
「委員長がアンブリッジなんだったら・・・その、アダムス? 彼に変身してベッドだかトイレだかで言質を引き出して来なさい、と、ただの情報屋には命じるところだわ。その情報屋が馬鹿娘なのが頭痛のタネよ」
「です、ね」
「それが一番確実な方法。次が・・・アンブリッジの小遣い以上の額でアダムスを買収すること。もしくは、アダムスに・・・服従の呪文をかけること」
スーザンはギョッとして弾かれたように顔を上げた。
「・・・潜入捜査というのは、決して綺麗な仕事ではないわ、スーザン。本来なら成人したばかりのあなたたちに出来る仕事ではない。法執行部に入省しても、この手の捜査を指示する検察官になるまでには、相応の経験と知識が必要よ。まあ、それは今言っても仕方ない。あなたがたの保護者でもある身ですから、アダムスの買収は禁じます。その手の若者に、あなたがたのような若い女性が取引を持ちかけることは別の危険を招くから。また、服従の呪文も禁止。あなたがたが闇祓いなら構わないのだけれど、民間人ですからね。民間人からの情報や証拠の提供は、違法性のない範囲でしか認められないの。要するに、アダムスに服従の呪文をかけて聞き出した情報とそれに基づく捜査結果は全部、後々の裁判では使えなくなる。さあ、どうする?」
「・・・一番の目的は、マグル生まれの保護です。登録委員会が迫害を目的としていることは想定済みですが、どんな迫害を誰に加えるかを知りたいと思ってます。だから、登録委員会のメンバーになれればいいのではないでしょうか?」
「そうね。目的に応じた立場は、そのあたりでしょう。問題は」
「誰が登録委員会のメンバーになるか?」
正解、と怜が微笑んだ。「それを知ることが出来れば、誰に扮するべきかはわたくしがアドバイスできるわ。ただし、今度変身する相手は、アダムス程度の頭の中身が空っぽというタマじゃないわよ? 魔法省の上級職。本人もそうだし、周囲もそう。心して取り組まないと台無しになるわ」
「・・・そういうことになりますね。今日これからアダムスの治療に向かいます。レンの仕事が済んだら合流して、強い忘却術をかけてからアダムスを解放という予定です。明日からまたしばらくレンと準備を進めたいと思います」
待って、と怜が片手を挙げた。
「はい?」
「ひとりであなたをその手の若者に会わせるのはアメリアに申し訳が立たないわ。わたくしも行きましょう」
「あ、それなら大丈夫です。ウェンディがずっといてくれますから。その・・・フライパンを構えて」
怜は顔を押さえて呻いた。「こっちはこっちで、なんて無茶をするのかしら・・・」
この人だけには無茶とは言われたくないわ、とスーザンは震える膝にグッと力を入れた。
「答えなさい、坊や。アンブリッジとの素敵な関係はいったいいつから?」
「ひっ、し、知らねっす! 俺そんなことっぐっくうううう」
「わたくしが聞きたいのはそういうありきたりの台詞じゃないことぐらいわかりなさい。いつから?」
片手であっさりと襟首を捻って首を絞めながら、尋問は開始された。
「は、入ってすぐっす」
「あなた、ああいうタイプが好み?」
「ま、まさか! でもまあ暇な仕事だし。小遣いは悪くねーし。あんま顔見ねー体位なら萎えねーし?」
「そう。1回1発トイレだけ?」
「いや。オフィスっす。俺の当番があの女の在室にかち合えば1発。清掃してるはずの時間内に済むんで。だいたい週1でかち合うかなあ。かち合わなかったら、ゴミ箱ん中にピンク色の紙が入ってるっす」
「へえ。週1のルーティンが満たされなくなるとたまらなくなって呼び出し?」
「そすそす。地下二階の副部長のオフィスで」
「・・・は? 自分のオフィスを使えばいいじゃないの」
「俺もそー思うんすけど、せっかくの危険を冒すならウィン? ウィンなんとかって人の澄ました顔を思い出しながらヤリてーって言うんで。あそこずっと空き部屋なんす」
「その空き部屋の副部長のオフィスでもヤルことは同じでしょう」
「同じって言えば同じすけど、俺あれはちっと苦手」
「なによ? あなたみたいなのでも苦手にするほどの行為なの?」
「マジ、ドン引きっすよ! あの淫乱女もきっとこんな真似をしているんだわとかなんとかひとりで妄想して、全裸っすよ?! 全裸になってデスクの上で脚おっぴろげ。それまともに見たら萎えますって!」
「・・・聞かされたわたくしも、持ち合わせのないはずのモノが萎えたわ、今、完全に。昇進することにもう迷いがなくなった。あなたからアンブリッジを誘うことは?」
「ウィン部屋に?」
「・・・そこに限らず、行為に。例えばお小遣いに困った時には、ねえ?」
へへ、とブライアン・アダムスが下卑た笑みを浮かべて頭を掻いた。
「あるのね。誘い方や場所、時間は?」
「時間は向こうの都合す。俺は仕事サボってウィン部屋でひたすら金の顔を想像して萎えねーよーにイメトレ」
「つまり・・・あなたが決まった合図を送ると・・・ウィン部屋に呼び出すことが出来るのね?」
「うす。朝イチであの女のオフィスに、マークをつけた俺のネームプレートを置いとくだけ」
「どういうマークよ?」
「やらしーマーク」
耐え難くなったのか、怜が1発殴った。
「なにすんだよ!」
「ねえ、ブライアン。わたくしが近いうちにあなたにお小遣いをあげるわ。金貨3枚でどう? アンブリッジがいくら払っているか知らないけれど、金貨3枚プラス、アンブリッジからのお小遣いが手に入るんだから、ウィン部屋で3発ぐらい頑張れるわよね?」
「・・・多くね?」
「金貨が?」
「回数が!」
「・・・まあ萎えたら元も子もないわね。こうしましょう。1時間アンブリッジをウィン部屋に押さえておきなさい。ウィンなんとかの澄ました顔を凌辱する妄想をさせながら」
「りょ? リョージョクってなんすか?」
「・・・語彙・・・ブライアン、あの女がウィンなんとかについてどんな妄想をしているか教えて」
「若い頃にクラウチを咥え込んで検察入りした? とか? よくわかんねーけど、なんかいろんな偉い人とヤリまくって出世したらしーっす」
「アンブリッジの妄想の中ではね。まあどうでもいいわ。あなたは、アンブリッジをこう言って刺激するの『そのウィンなんとかって奴、どうやって誘ったのかな? 体位は? どんな台詞で?』具体的な妄想を1時間楽しませてあげればいいわ。たまに指先で手伝ってでもやれば1時間くらいあっという間よ」
「・・・いやあ・・・けっこーツライっすよ・・・どーせあの女みてーなオバちゃんっしょ? 俺のオカズにはなんねーし、あの女を1時間直視すんのって、マジゴーモンッぐっうっうんぐっ!」
「死んでも言っちゃいけない台詞を吐いたわね、坊や」
襟首を捻り上げると、腹に膝蹴りを入れた。
「うぐおほっうえっげっ」
ウェンディ、と怜がウェンディを呼んだ。
「はい奥さま」
「魔法省ビルで馬鹿正直に働いている馬鹿娘を連れて来てちょうだい。この馬鹿みたいな顔に変身していると思うけれど、あなたなら見つけられるわね?」
「もちろんですわ! 行ってまいります!」
ウェンディが姿くらましをすると、怜がアダムスを再び引き立たせた。
「いくら馬鹿でも入省時の高官の顔と名前ぐらいは覚えておくものよ、アダムス」
バキン、と顔を殴りつける。
「スーザン。この手の奴に女性が交渉して、ある危険を排除するには、手を出したら殺されると死ぬほどビビらせること。だから、あなたや蓮がこいつと接触するのは以後禁止」
「は、はいぃ!」
アダムスの顔が腫れ上がり、反射的に「ウィンなんとかは、アンブリッジよりは美人です」と泣きながら答えるようになった頃、やけにすっきり爽やかな青年がウェンディに連れられてやって来た。
人間って外見より中身が大事だわ、と心底思う。ポリジュース薬を飲んだのだから同じ外見のはずなのに、蓮がアダムスの顔で下卑た笑みを浮かべたことは一度もない。
「な、何やってんのさ」
「黙りなさい。さっさとその作業服を脱いでこの馬鹿に着せて。あなたの今回の潜入捜査はおしまいよ。数日後に1時間確実に、アンブリッジがひそかにオフィスを留守にする機会を作るわ。あなたとスーザンはその機会に、仕事をしなさい。わかったらその忌々しい作業服を脱ぎなさい!」
ピッと飛び上がった蓮がぱっぱかと盛大に作業服を脱ぎ捨てる姿を見て、アダムスは腫れ上がった顔で「へあ? 俺?」と呟いた。
その顔を蹴りつけた怜は「ウェンディ、蓮に着替えを持ってきて」と命じると、もう一度殴った。
「その空っぽの頭に叩き込んであげるわ。よーく聞きなさい。あの青年は、この1週間、あなたの代わりに魔法ビル管理部で働いていた闇祓いよ。殺人事件絡みの捜査中なの。あなたがペラペラ謳ってくれたおかげで次の作戦に移ることができる。わたくしのゴーサインで、ウィン部屋にアンブリッジを誘い出し、1時間気持ち良くさせること。馬鹿でも出来る仕事ね?」
「は、はひっ」
「約束通り、金貨3枚払ってあげるから仕事はきっちりやってもらう。殺人事件の捜査がかかってるんだから、あなたみたいなのがアンブリッジに余計なことを喋ると、次に消されるのはあなたよ。あの青年は今週、アンブリッジとの1発をヤッていないから、あなたが誘えばアンブリッジは喜んで出てくるわ。脚の間にぶら下げているものぐらいは役に立てなさい」
「死ぬ気で勃てるっす!」
「単語が違う気がする!」
最後に1発殴ったところを、ボクサーショーツ1枚になった蓮が必死になって止めた。
「ま、ボス、やり過ぎ! 殺しちゃいます!」
「その汚らしい身体で抱きつかないで! 鳥肌が立つわ!」
ボーンズ・アパートメントで、並んでソファに座らされた蓮とスーザンは、仁王立ちの怜から1時間のお説教を喰らっている。
とにもかくにも、蓮が蓮の姿に戻ってくれて安心である。主に怜の精神安定のために。
「自分たちで調査を行うことは良いわ。でも、アンブリッジとの関係が発覚した時点で、速やかにわたくしかキングズリーに報告するべきだった。あなたがたの手に余る問題かどうかぐらいは見極めなさい!」
「・・・はい」
「特に蓮。あなた、アンブリッジ以外にも誰かに何かされているのではなくて? あの手の輩のすることだわ。ものすごく怪しい」
蓮が突然ソファの上に正座した。
「されたのね」
「わたくしからは何もしていない。意味がわからなかったから。ただ、その、何人かの魔女のおば、お姉さんがお金を、くれました・・・なぜか、地下二階の空き部屋を使える日には連絡してって・・・」
「・・・つまり、あの馬鹿は、アンブリッジ以外の魔女のことも、かつてのわたくしの執務室に連れ込んで小遣い稼ぎをしていたわけね・・・まあ幸いなことにわたくしが次に魔法省に復帰する時には執行部長室だから、この悪夢は忘れることにするわ。それで、蓮、そのお姉さんたちからもらったお小遣いを出しなさい」
「え・・・」
「え、じゃない! いわば男娼なのよ、アレは! あなたがもらったお小遣いは、男娼に支払った前金! そんなお金、アダムスにくれてやりなさい!」
蚊の鳴くような声で蓮が「もうない、です」と答えた。
「・・・この馬鹿娘。何に使ったの?」
「お昼休みにケバブ屋でたくさん串を買って食べたり。あと、マグカップとかコーヒー豆とか」
スーザンは、自分の中に何か冷え冷えとした怒りが広がるのを感じた。
「捨てましょう。マグカップも、コーヒー豆も。そういうお金で買ったものなんて見たくもないわ」
「そうね、スーザン。そうなさい。あなたがたが盗んできた委員会名簿の中から、わたくしが次の変身相手を決めます。こんな忌々しいことのない人物を選択するためにも、潜入捜査に関しては、毎日わたくしかキングズリーに報告することを義務付けます。いいわね?!」
「はいっ!」
お話が済んだのならお風呂に入ってきて、とスーザンは厳しく命じた。
「は?」
「・・・なんだか生理的嫌悪感で、あなたからダニが湧きそうな錯覚を覚えるわ。アダムスのロッカーに仕舞ったことのある衣類は全部捨てて。この家に、あの馬鹿の痕跡は塵ひとつ残さないで」
「それは健全な感覚よ、スーザン。でもああいう輩を情報屋に使わなければならない仕事もたまにはあるわ。今のうちにやり方を身につけるのは悪くない。もちろんわたくしの指示に従った上でね」
「はい。おっしゃる通りにします。蓮はさっさと行って」
「・・・ママはともかく。スーザンまで怒っているから・・・」
「チップをもらったなんて嘘をついたからよ! がんばってお掃除をしていたらチップをくれたから美味しいものを買ってきた、ですって? 何をどう頑張ったって言うの!」
「掃除はちゃんとしたよ。掃除をがんばっているからお小遣いをあげる、って言われたのは本当だ」
「魔法ビル管理部の職員はね、蓮、サービスパーソンではないから、チップなんて受け取ってはいけないの。清掃労働に対する対価は賃金として魔法省から支払われているわ。現に大半の人からはチップなんてもらわなかったはずよ。どうして受け取ったの」
「いや、ちゃんと言ったよ。こういうお金は困ります、って。そうしたら・・・『あら、今度はそういう趣向なのね、悪くないわ』ってキスされて、お尻のポケットとか、パンツのゴムとかに・・・」
スーザンは無表情で客間を指差し「とにかくお風呂! 毛穴から変な空気が出なくなるまで出て来ないで!」と命じた。