サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第7章 試練の坂

「ロンに指摘されて気づいたわ。レンのあの性格、おばさまには全然似てないの。まあ、個性ということもあるから大して気にしてなかったんだけど、ウェンディのいい加減さにそっくりなのよ!」

 

そりゃ良かった、とロンが疲れきったように項垂れた。ハリーの誤解を解くのに30分かかったのだ。

 

「ウェンディにグリフィンドールへ来てもらった理由は、クリーチャー。クリーチャーの巣穴、いえクリーチャーのプライベートな場所に、銀器のようなものが隠してあるのを見たから。銀器はブラック家の財産だろうし、いくらハウスエルフを家族の一員と認識するとしても、自分の個室に持ち込むべきものじゃないわ。でも、あの頃のクリーチャーは精神的に混迷してた。だからシリウスに言って騒ぎにする前に、他のハウスエルフに参考意見をもらいたかったのよ」

「・・・それで?」

 

ハリーもまた疲れた声で先を促した。ただでさえカップルひと組と同居という状況には自分なりに気を遣っているのだ。

 

一夜の懸案がスッキリしたハーマイオニーだけが爽やかな満面の笑顔である。

 

「ウェンディはもちろんクリーチャーのことを知ってたわ。ハウスエルフを訪ね歩いて自由を説くのがライフワークのひとつだから。ウェンディの説明はこう。主家の銀器を磨くのはハウスエルフの務め、本来は銀器磨きの部屋で磨いて、銀器を収める部屋に収めなければならない。これはわたしも理解できる。マグルの貴族もそうなの。ゴドリックの谷のウィンストン・ハウスには地下にちゃんとあったわ。フットマンが銀器を磨く作業部屋があって、その作業が終わったら執事が全ての数や仕上がりをチェックして、銀器室に収めて施錠するんですって。今はオープンハウスのために展示してあるけどね。ラテン語で一族のモットーを刻んだ素晴らしい銀器よ」

 

ハリーは唸った。「ハーマイオニー、ウェンディの話に戻ろう。ウィンストン・ハウスの銀器の展示は戦争が終わったら見せてもらうから」

 

「ごめんなさい、少し話が逸れたわ」

 

少し? とロンは賢明にも口の中だけで呟いた。

 

「でも、ブラック家には10年以上誰も主家の家族がいなかった。だからウェンディは『その状況ならば自分のスペースで作業することもあるだろう。しかしシリウスが戻ってきた以上は、あるべき形に改めなければならない』と教えてくれたの。わたしはクリーチャーの部屋らしき場所に銀器があることをシリウスに知らせるべきか尋ねた。そうしたら、それはもう面倒くさそうに『シリウスはアルミホイルと銀器の区別もつかないし、銀器でピザを食べるような人だから教えなくても構わない。それに、クリーチャーのガラクタの中にはレギュラスさまの銀のロケットがあって、そのロケットを取り上げる結果になると大騒ぎにしてしまうから、放置するべきだ』と答えてくれたってわけ。ハリー、ロン! 『レギュラス・ブラックさまの銀のロケット』が存在するのよ!」

「・・・先を続けて」

「わかったわ。ウェンディはこう言ったの。『クリーチャーはレギュラスさまのロケットから命令を受けている。本当にロケットが喋って命令するかどうかは知らない。クリーチャーにしもべの正しい在り方を教えてくださる、という表現だから、レギュラスさまをお慕いする気持ちが掻き立てられるとか、その程度の意味だと思う。でもとにかくあの通りボケた状態──ウェンディの表現よーーボケた状態だから、何が正しいとか何がまともなのかはわかってないと思う。でも、レギュラスさまをお慕いしているのは本当だから、その気持ちを尊重して放置しておくのが無難』」

「ああ、ウェンディのその名言に僕も同感だぜ。不用意に触ると大騒ぎにしちまう奴ってのはいるもんだからな」

 

それよ! とハーマイオニーはロンを指差した。

 

「い、いや、僕は君を非難なんてしてないぜ?」

「レンがウェンディに確かめたの。クリーチャーがブラック家の中で一番慕っていた相手がレギュラスだったのか。ウェンディはこう答えた。アンドロメダさまとレギュラスさまでした。アンドロメダさまがタペストリーから消されてしまっても、タペストリーの焼け焦げを指で触れて涙を流すほどアンドロメダさまを慕っていた。理由は『しもべに対して正しいお振る舞いをなさる魔女だから』アンドロメダさま、つまりトンクスのお母さまは、レイおばさまの親友で、ウェンディのこともよく知ってる人よ。ハウスエルフに一定の理解と尊重を示す人なの。レギュラスもそうだったのかとレンが確かめたら、ウェンディはさすがにそれは確かめたことはないけど『正しいお振る舞いをする魔女や魔法使いを最もお慕いする気持ちは、ハウスエルフでも同じことです』って! 要するにね? レギュラスは、クリーチャーに対してきちんとした対応をする紳士だったことは確かなの。ハウスエルフだからブラック家の人々に絶対服従というわけではなく、クリーチャーは心からレギュラスとトンクスのお母さまを敬愛してるのよ! だから、レギュラスさまのロケットを手放せないの」

 

ハリーは頭を押さえた。

 

「じゃあ、回りくどいことせずにシリウスとクリーチャーに会いに行くべきじゃないか?」

「最終的にはね。でも、安全を確保してからのことよ。ウェンディはここに来られないから、レンかスーザンに連絡するわ。そして、計画をきちんと立てつつ、ウェンディにもクリーチャーの様子を確かめてもらう。ハリー、R.A.Bはおそらくレギュラス・ブラックよ。ミドルネームの頭文字がAなら確実に。そのレギュラスが、トムくんを裏切るという瞬間に誰を選ぶと思う? レンのばあばから習ったことを思い出して。あの湖に行くときに必要な条件。必ず水盤の水を御自分に飲ませるように命令なさったのでしょう? レギュラスは、レンのばあばと同じことをしたのよ! クリーチャーを連れて行き、クリーチャーに命じたの。『僕に必ず水盤の水を飲ませ続けてくれ。これは命令だ。そして』・・・『底にあるロケットを手に入れたらすぐに、おまえは逃げろ。これも命令だ』だからクリーチャーは生きて帰り、レギュラスはあの湖で命を落とした・・・わたしが立てた、一番自信のある仮説よ。この仮説をもう少し補強したいわ。安全対策を講じている時間を使って、ウェンディにお願いしてクリーチャーからの証言をもらいたい。今のハリーとシリウスならクリーチャーも好意的に仕えてくれてるけど、クリーチャー自身が筋道立てた会話を苦手とする状態だから、ウェンディでワンクッション置いて整理したほうがいいと思うの」

 

 

 

 

 

いつものように温厚な微笑を浮かべたスーザンが、げっそりした蓮を引きずって現れた。

 

「ど、どうしちゃったの、レン?」

 

気にしないで、と朗らかに答えたのはスーザンだった。「ちょっと調子に乗り過ぎたから、お仕置き3日目なの」

 

「・・・反省しました」

「ええ。自分の重大なミスは自覚出来たわね。でも『だからごはんはちゃんと食べさせて』は余計なことだったわ。あれは反省とは言わない」

 

経緯を聞いたハリーとロンが、気の毒そうに蓮の肩を叩いた。

 

「あと何日茹でジャガイモの刑なんだ?」

「ここで昼メシ食って行けよ。僕が君の分もベーコンとソーセージを焼くから。出したものを食うなとまではスーザンも言わないだろ?」

「・・・早く君たちに会いに来れば良かった。ロンドンには味方がいないんだ」

「かわいそうにな。ガマガエルのキスに耐えてまでデカいネタを掴んできたってのに」

「そもそもおばさんたち相手に妙な商売してるのはアダムスって野郎だろ? 君は巻き込まれただけだし、巻き込まれた結果、獲物を釣り上げた。君だってきっちりとデカい仕事をしたよ」

 

3人が小声で話し合っているのを冷たい視線で眺めたハーマイオニーは、スーザンに向き直った。

 

「気持ちはすごくよくわかるわ、スーザン。たぶんシリウスの入れ知恵だと思う。不正解とまでは言わないけど、5ミリずれてる感じでしょ? お仕事を頑張ったチップでちょっとしたものを買ってくるのを微笑ましく思ってたのに、チップはチップでもいかがわしいチップだったから、こう、ものすごく裏切られた気分なのよね?」

「そうなの・・・いくらなんでも、パンツのゴムに挟まれた金貨の意味ぐらい理解できるはずだわ。そんなお金で買ってきたコーヒーを胃が痛くなるまで飲まされたのよ? しかも、シリウスに教えられて自分のミスを認識したのはいいとしても、ごはんが目的だなんて。わたしは茹でジャガイモしか食べさせてないわけでもないわ。果物やトーフは与えてる。ビタミンもタンパク質も不足はないはずよ」

「肉がないだけであの憔悴っぷり? 反省なんかしてないわ。あと1ヶ月はこのままでもいいぐらい。さ、あなたたちの話を先に聞かせて。潜入捜査はわたしたちの可愛いアルジャーノンがおばさま方に穢される以外の何をもたらしたの?」

 

 

 

 

 

「そういうわけで、マグル生まれ登録委員会のメンバーを正確に知り、適切な人物に変身してしばらく委員として活動しようと思うの。まだマグル生まれ登録委員会が具体的にどんな迫害をするかがわからないから、それを把握する必要があるわ」

 

ハリーの気遣いで蓮に与えられた肉を自分の皿に移しながら、スーザンが説明した。

 

溜息をついた蓮は、つけあわせのマッシュポテトでいじましくも皿に残った肉汁を拭うように掬って食べて、また溜息をついた。

 

それを見たロンがテーブルの下で素早く肉をパンに挟み、蓮に渡そうとしてハーマイオニーから睨まれた。

 

「ロン。躾の邪魔をしないで」

「・・・育ち盛りなんだぜ。少し肉を食わせるぐらい大目に見ろよ」

「これ以上育ててどうしたいのよ? 人間女性の平均をすでに大きく上回ってるわ」

「いや・・・細いからな。もうちっと肉をつけたほうがいい」

「少なくともあなたより腹筋はあるわ」

 

ハーマイオニーの台詞に、スーザンが目を瞬かせ、ハリーは目を逸らした。

 

「すんませんでした・・・話を続けてください」

「そ、そうね。明日、レンのお母さまがアダムスを使ってアンブリッジをおびき出すことになってるから、アンブリッジの部屋に入って、メンバーのリストを入手するつもりよ。その後は潜入の準備にかかるわ。あなたたちからの相談というのは?」

 

口を開きかけたハーマイオニーを手で制して、ハリーが説明した。

 

「こういうハーマイオニーの記憶を踏まえると、シリウスの弟のレギュラスや、その死亡前後の状況をクリーチャーに聞く必要があると思うんだ。少なくとも『レギュラスさまのロケット』がどんなものか知りたい。シリウスの家に僕の部屋を作った時期、つまり僕がブラック家の後継者に指定された時に、シリウスから僕がもらったのは、指輪だった。ブラック家の息子それぞれに紋章入りの指輪をゴブリン製の銀で作らせるものらしい。ブラック家伝来の品にロケットがあるとは聞いたことがないんだ。だから、そのロケットはブラック家とは関係なくレギュラスが入手したものだと思うし、それにしてはクリーチャーの思い入れが強いのが気になる。でも、正直なところ、クリーチャーの話は僕やシリウスでもまだきちんと理解出来ない飛躍した話が多いから、ウェンディの力が必要だと考えた。ウェンディはずいぶん以前からクリーチャーの様子を見に訪ねてくれてただろ? それにハウスエルフ独特の感性も、僕たちにわかるように教えてくれる。まずウェンディがクリーチャーと話をしてみて、主家の家族からの要求が必要な場合は僕とシリウスが同席するというのが穏当な気がするけど、レン、君はどう思う?」

 

さんせーする、と蚊の鳴くような声で蓮が答えた。「でもあしたはむり。あさってから。ウェンディがアルファイドをころしにいかないように、きをつけて」

 

あぁ、とハーマイオニーが納得の声を上げた。

 

「やっぱりその問題が出たのね・・・心配はしてたわ」

「うまく他のお仕事をお願いすると、そちらに集中してくれるのよ。でも暇になると、レンにダイアナ教育を始めたり、レンにダイアナに関するレポートや占星術チャートを作らせて自分はアルファイド家に仕掛けるトリカブトを探しに行こうとするの。ちなみに今日は、明日に備えてチェルシーでレンのお母さまのお世話をするようにお願いしてきたから、アルファイド家はたぶん安全だと思うわ。ハリー、ロン、レンの憔悴は、わたしのお仕置きのせいばかりではないの。ダイアナの事故死でウェンディが復讐に燃えてるせいもあるわ」

「よしきた。レン、ウェンディはしばらく僕らが頼りにすることになる。少なくともウェンディの件は心配しなくていいぜ」

「・・・ハーマイオニー、ウェンディはハーマイオニーとスーザンを、ただしいまじょだという。ハーマイオニーとスーザンのいうことならきくよ」

「あなたはどうなの。菊池家の魔力的な当主は今はもうあなたに変わったんでしょ?」

「・・・じゆうなハウスエルフだ。わたくしなんか、かっぱにそだてられたダメな子だとおもっている。かわたろうが、にほんのあちこちのまじょからキュウリをもらうのをみてそだったから、まほうしょうのばばあにきんかをもらうような子になったって・・・」

「平たく言うと、河太郎さんは日本全国の魔女、なぜか魔女限定よ、魔女のところを渡り歩いてちょっとした手間仕事を手伝ってはキュウリを貰うライフスタイルらしいの。ウェンディは、そんな河太郎さんとレンを重ねて大いに嘆いているのよ」

 

ロンが蓮の肩をぽんぽんと叩いて言った。

 

「スーザン、君の躾を邪魔するつもりはないけど、やっぱり無理だ。せめて君だけでも優しくしてやってくれ。これはちょっと痛々しい」

「そうだな。僕とシリウスも経験あるけど、ウェンディからのダメージは甚大なんだ。人間扱いされてない感じが身につまされる。シリウスは駄犬、僕は野良鹿と呼ばれて、正しいお振る舞いが出来なかった日にはドッグフードや草を食事に出されていた。駄河童のレンにはキュウリでも食わせればいいとかなんとか吹き込まれてないか?」

「だ、だから、いくらなんでもキュウリだけでは身が保たないだろうから、譲歩してるのよ?」

「君、ウェンディから洗脳されてるぞ?! ウェンディは確かに非常識なほど優秀なハウスエルフだけど、気分次第で生きる自由過ぎるところがあるんだ。正しい魔女のお振る舞いとして、レンに人間らしい生活を送る権利を与えてやってくれないか?」

 

 

 

 

 

ハリーとロンの勇気ある懇願のおかげで人間らしい食生活を取り戻した蓮は、魔法で髪を長く伸ばしてきちんと結い上げ、顔にだけ加齢魔法をかけて、かちりとしたツイードのローブを着た。

一方でスーザンはポリジュース薬を使って、アメリカから来たネイティヴアメリカンの魔女に変身して、眼鏡をかけ、黒いスーツを着た。

 

魔法省のアトリウムを闊歩する国連議長と秘書の姿に気づいたパーシーがギョッとした顔ですっ飛んでくる。

 

「これはこれは、菊池議長! 本日はどのような御用件でしょう? あいにく大臣は視察に出ておりますが、私でよろしければ」

「両親に感謝することも知らない若造の下級事務官に案内してもらうほど耄碌した覚えはないわ。知らないなら教えてあげるけれど、イギリス魔法省の元闇祓い菊池柊子よ。ここは古巣ですもの。自分の用件ぐらい自分で処理するわ。失礼」

 

そう言って、背筋を伸ばし、振り返りもせずにエレベーターに向かうと、職員たちは一斉に道を譲った。

 

乗り込んだエレベーターに、やはりパーシー同様エレベーターガールを買って出ようとした魔女には、スーザンが杖を突きつけた。

 

「国連とイギリスの緊張関係をご存知ないようですね。議長をイギリスの魔女と同じエレベーターに乗せるわけにはいきません。警備上の問題です。悪しからず」

 

チン、とエレベーターのドアが閉まると、蓮は深々と溜息をついた。

 

「レン、気を抜かないで。いくら顔が似ていても、緊張感のない菊池柊子議長は、加齢したレンにしか見えなくなるわ」

「申し訳ございませんでした」

 

大法廷のある地下10階に降りたところで、紙飛行機が飛んできた。

開くと「標的はウィン部屋に入った」と日本語で書いてある。

 

「オルブライト、反人狼法を起草した馬鹿を脅しに行くわ。ついて来なさい」

「は。アンブリッジ国際関係部署長ですね」

「わたくしの娘やその舅の話ではね。国連に御挨拶もいただいていないけれど、一応は」

「ウィンストン大魔法使いもお気の毒です。母国からの支援の一切ない中での大魔法使い職など、アメリカではとても考えられません」

「わたくしが闇祓いだった時代にはイギリスでも考えられない話だったわ。そろそろイギリス魔法省には害虫駆除が必要ではないかしら。ずいぶんと馬鹿が増えたようだから」

 

遠巻きにしている魔法省職員を見回して、蓮が目を細めた。

 

「菊池議長。こちらでしょうか? プレートの肩書きが違うようですが、お名前は確かにマダム・アンブリッジとなっております」

「・・・マグル生まれ登録委員長・・・また妙な肩書きね。構わないわ、入りましょう」

 

蓮が先に立ってドアを開けると、秘書官らしい魔女が自分のデスクで枝毛切りをする格好のまま、呆然と蓮を見上げた。

 

「あの・・・」

「失礼。あなたはアンブリッジの秘書官とお見受けしますけれど、取り次いでいただける? 国連の菊池柊子と言えばわかるでしょう」

 

蓮がそう優雅に告げても、秘書官は動かないまま、ただ瞬きを繰り返す。

 

「秘書官。無礼な態度を改めて仕事をなさい。議長はアンブリッジ委員長との面会をご希望です。奥が委員長のオフィスですね?」

「そ、そうですけど・・・あ! す、すみません! しばらく休憩だと言われてたので! 委員長も休憩のため不在にしております。機会を改めていただけるようでしたら、面会予約を入れさせていただきますが」

 

蓮はわざとらしく溜息をついた。

 

「国際部長が代わって1年ご挨拶をお待ちしていたけれど、1枚の着任挨拶カードもなく、わざわざイギリスまで足を運んでみれば、アポイントメントを取れですって? 秘書官のあなたの仕事ぶりを見ればアンブリッジも暇なのはわかるわ。どうせそのあたりで遊んでいるのでしょう。呼び出しなさい。奥で待たせていただくわ」

 

ツカツカと事務所を突っ切っていくのを、慌てた秘書官が遮ろうとするが、スーザンがすかさず「あなたはアンブリッジ委員長に速やかに連絡を入れなさい!」と叱りつけた。

 

「で、でも・・・」

「秘書業務のマニュアルは学んでいないの? 自分の上司より高位の来客が不意に訪問した場合の対応は基本中の基本よ。速やかに上司に連絡を取り、あと何分で上司が戻るか伝えた上で、失礼のない場所でお待ちいただくようお願いするのです。失礼のない場所は、ここでは委員長のオフィスしかないわ。いいわね。アンブリッジ委員長のお戻りの時間を確実に確認なさい」

 

泣きそうな顔の秘書官をスーザンが突き放してドアを閉めると、蓮が和紙にルーン文字を書いて息を吹きかけた。

 

鼻歌を歌いながら立っている蓮の手元に、パサリと紙束が届くと、また鼻歌混じりにそのジェミニオを作って、オリジナルの紙束に杖先でルーン文字を書いて飛ばすと、何事もなかったようにデスクに収まった。

 

蓮からジェミニオを受け取り、自分のブリーフケースに仕舞ったスーザンは、事務所に続くドアを開け「まだですか」と厳しい声を出した。

 

「も、申し訳ございません。紙飛行機は飛ばしましたが、返事がまだ」

「はあ・・・仕方ありませんね。上司のオフィスで人を5分以上待たせる場合、業務上の機密に触れないよう、ドアを開けたままにして、飲み物ぐらいはサーブするものです。このドアは開けておきます。今回は飲み物は結構。委員長ともなれば、あなたひとりが秘書官というわけでもないでしょう。他の委員に連絡を取って代わりに対応してもらうなど臨機応変に対処なさい」

 

こっわーい、と内心思っているがにこやかに笑った蓮がスーザンの肩を叩いた。

 

「オルブライト、そう威嚇しなくても良いわ。そんなことより、どうせそのあたりで遊んでいるのに返事も寄越さないようでは、戻りがいつになるかわかったものではないわよ。わたくしもそう暇でもないし・・・そちらの不慣れな秘書官に怒鳴り散らして気の毒な目に遭わせかねない女なの。そうならないように、オルブライト、あなたがこの場をどう収めるべきか、彼女の代わりに判断してあげて」

「かしこまりました。秘書官、議長はアンブリッジ委員長不在と伺い、滞在先に戻ります。あなたは、我々を奥に通さず、きちんと滞在先のアドレスを受け取りました」

 

スーザンが「レイ・エリザベス・キクチ・ウィンストン」の名刺を渡した。

 

「議長のお嬢様の御自宅です。議長はアンブリッジ委員長に対してたいへん御不快に思われている御様子で、労働者階級のアンブリッジ委員長に御自分から面会予約を入れることを拒否なさいました。優秀な秘書官であるあなたは丁重に対応しましたが、議長のお怒りは解けず、国連との関係悪化を危惧して紙飛行機を飛ばしたのです。理解できましたか?」

 

秘書官は蒼ざめた顔で名刺を捧げ持ち、コクコクと頷いた。

 

それを確かめた蓮は、廊下に出るドアを勢いよく開けた。

 

「帰るわよ、オルブライト。大臣が代わったばかりで真面目にオフィスにいる時期を見計らってわざわざ足を運んでやったのに、いったいどこをほっつき歩いているのかしらね、あのガマガエルときたら!」

「アンブリッジ委員長はガマガエルに似ておいでなのですか?」

「そっくりよ。脂をたくさん溜め込んでいそうなところまでね。そうそう、オルブライト、あなたにはまだプレゼントしたことがなかったわ。日本の成田山のガマガエルの脂は杖の手入れにとても良くてよ」

「遠慮いたします。国連議長に対するアンブリッジ委員長のこの非礼を連想させるガマガエルの脂など不快なことこの上ありません」

「あっははは! 確かにそうね! でも、あなたに是非あのガマガエルを見せてあげたいわー。そうしたらあなたのその鉄面皮が笑いで歪むところを、3年の付き合いで初めて見られるかもしれなかったのに。いやだ、そう考えると余計に腹が立ってきたわ、オルブライト。英国首相に面会予約を入れてちょうだい。ガマガエルの巣をロイヤル・エアフォースに空爆してもらいましょう」

「おそれながら議長、ロンドン市民を巻き添えにしてしまいますので、賛成致しかねます。首相も同じ御意見かと。すぐ近くに首相官邸があるのですから」

 

廊下の端に避けた職員たちの真ん中を堂々と突っ切って脱出した。

 

ガマガエルガマガエルと繰り返す会話のせいか、何人かの職員は腹や口を押さえて身をよじって肩を震わせていた。

 

 

 

 

 

チェルシーのペントハウスで着替えてリビングに落ち着くと、スーザンは「やり過ぎじゃない?」と蓮をたしなめた。「国連議長があんなに軽妙な会話をなさる人だなんて」

 

なさる人なのよ、と答えたのは怜だ。

 

「まさか・・・」

「わたくしも下級職員に変身して見ていたけれど、蓮の演技は完璧だったわ。信じられないかもしれないけれど、ああいう人なの。優秀なミズ・オルブライトの監視が無ければあんなものよ。うちのアルジャーノンが順調に女の子として育って年を重ねた感じでしょう? 発音は綺麗だけれど口が悪くて傍若無人」

 

その時、電話が鳴った。

 

「はい。ウィンストンでございます。ああ、マダム・アンブリッジ。母ですか? ええ、先ほど秘書官と戻ってまいりましたけれど、代わりましょうか?」

 

蓮が受話器を受け取って菊池柊子と名乗ると、キンキンと甲高い音が微かに漏れてくる。蓮は顔をしかめてそれを遮った。

 

「アンブリッジ。あなた自身がどれほど偉くなったと勘違いしているか、わたくしは存じませんけれど、国連議長の立場では、わたくし、これまでどの国の魔法省上級職員に対してであれ、自分からアポイントメントを取ったことなどないの。魔法大臣に対してもです。イギリス以外の各国からは魔法大臣の交代や国連関係部署長の交代に際して、先方からご挨拶をいただくのが通例よ。わたくしから魔法大臣への連絡を入れる場合は、武力を背景にした決議事項の通達、いわば宣戦布告の扱いを要しますから、あなたの言う『気軽にご連絡』というわけにはいかないわ。あなたのおかげで気軽にご連絡してもいいなら喜んでさせていただきたい気分になったけれど、うちの娘や秘書官に睨まれているから、それは無理なようね。個人的? 個人的にわたくしからあなたに連絡を入れる? そして食事をする? 困ったわ、アンブリッジ。わたくし、これまでの人生において、労働者階級の者と個人的に食事をするためにわたくしから連絡を取った経験がないのよ。は? ウィゼンガモットのアンブリッジがどうなさって? では、英国紋章院の発行する家系図を当家の執事に提出していただけるかしら。執事は今、ブルガリアのダームストラング校長の住まいにオフィスを構えているから、そちらに送っていただければ構わなくてよ。では、失礼」

 

怜が口元を拳で隠して肩を震わせながら顔を背けている。

 

電話を切った蓮が「本当に送ったって、どうせじいじは『意味がわからん!』って喚いて終わりだ」と舌を出した。

 

「ごめんなさい、スーザン。菊池家に執事なんていないのよ。蓮が今言ったのは、わたくしの父のこと。なぜかダームストラングで校長をしているものだから。ちなみに、こういう高慢ぶった、相手に通じない皮肉も大好きな母なの」

「・・・ママ。それはどうでもいいけれど、ウェンディ遅くない? 地下二階の監視はもう終わったはずだ」

「アルファイド暗殺計画のことならもうしたいようにさせておきなさい。ハロッズの株はこれ以上下がらないのだから」

「ママ・・・まさか、買ったの?」

「フレッチリー子爵にお勧めいただいたから、ええ、買ったわ。気長に持つには良い銘柄だし、せっかくの底値だもの。ウェンディによる暗殺が成功して多少の変動があっても、もとが底値の銘柄なら一喜一憂するほどのことではないでしょう」

「だ、誰の名前で?」

「当家の御当主様の名義に決まっているわ」

 

蓮が頭を抱えてソファに倒れた。

 

「わたくしがハロッズの株を買ったなんてウェンディに知られたらどうしてくれるんだよ!」

 

 

 

 

 

魔法不適正使用取締局次長から局長に昇格したマファルダ・ホップカークのオフィスに関して、蓮が腕組みしながら思い出していた。

 

「たぶん局長のオフィスに移るんだろうけれど、マダム・ホップカーク自体は真面目な人だと思うよ」

「あなたの、いえ、アダムスの顧客ではないのね?」

 

スーザンが疑わしげに確認すると、蓮は首を傾げた。

 

「・・・たぶん。わたくしが掃除に入った時にはマダム・ホップカークは不在だったんだ。でも、オフィスを見回した限りでは、真面目な人のような気がする」

「ねえ。真面目に考えて。マダム・ホップカークがアダムスの顧客だったら、あなた、今度はアダムスからお小遣いをねだられるかもしれないのよ?」

「わたくしなりに真面目に考えているよ。たくさんの人のオフィスを見てきたけれど、オフィスを見るだけで人となりのイメージってのは伝わるんだ。とにかくゴテゴテ飾り立てる人とか、家族の写真をやたらあちこちに飾る人とか。逆に、法執行部の刑法関係の人のデスク周りには、個人的な人間関係を示すものが一切ないとかね。マダム・ホップカークは・・・検察上がりなんじゃないかなあ」

 

正解よ、と怜が口元で微笑んだ。「だから選んだの」

 

「だから、ですか?」

「シビアな事件を経験した司法上級職は、とても警戒心が強いわ。家族の存在は弱みになりかねないから。子供や配偶者の写真を飾ることはしないし、仕事中は婚約指輪や結婚指輪を外している。警察部隊や闇祓いには技能表彰を受けることがあるけれど、そのメダルや表彰状さえ飾りたがらない人も多い。もちろん狭い社会のことだから、隠しきれるものではないけれど、家族への愛情をアピールすることは徹底して避ける傾向が強い。独身のままの人も少なくないわよ。キングズリーもアメリアもそうでしょう? マファルダについても、わたくしが知っているパーソナルデータは3つだけ。レイブンクローの卒業生、独身、アメリアと同期入省の親友」

 

蓮が顔をしかめた。

 

「そんなんじゃ変身してもうまくいかないよ。他に誰かいないの? 調べたってボロを出すタマじゃないじゃないか」

「そうよ。だから、調べてボロを出すことは期待できない。スーザン、あなたなら、どうする?」

「わたし、ですか?」

「蓮じゃなく、あなたになら出来ることがあるかもしれない」

「・・・アメリアの、姪だから?」

 

怜は頷いた。

 

「いつか話したことがあるわね。あなたは、アメリアの若い頃と、声や雰囲気がとてもよく似ているの。マファルダに誠意を込めてお願いすることは、あなたになら出来る。あなたに出来なければ、蓮はもちろんのこと、わたくしにも無理だわ」

 

ダメだ、と蓮がスーザンの前に腕を伸ばした。「ホップカークの政治信条もわからないのに、危険過ぎる」

 

「あなたは黙りなさい。いいこと、スーザン? アメリアとマファルダは同期入省の親友、そしてある意味においてライバルだった。検察官になったのは同時。つまり能力が拮抗していたの。でも、検察官が全員判事になり、副部長になり、部長になれるわけではない。同じくらいに優秀だった2人のうち、1人は司法部門の別部署で能力を発揮することになった。アメリアは最終的にウィゼンガモットを志していたから、マファルダが別部署を選択した。これはわたくしがアメリアから聞いた話。蓮が今言った政治信条。この件については、わたくしの経験則として・・・死喰い人側でないことを、80%は保証するわ。パーソナルデータをオープンにしたがらない検察上がりの人が誰を警戒しているかを考えればわかるでしょう。アメリアの同期入省よ。マファルダが経験したシビアな事件の大半は死喰い人絡みだわ。今現在の政治信条まではわからない。人は環境の変化に対応していかなければならないから。マグル生まれ登録委員に選出されたことをどう認識しているかもわからない。アンブリッジとどのような関係にあるかもわからない。でもね、アンブリッジが委員長を務めるマグル生まれ登録委員会のメンバーの中に、アダムスのような脳味噌サイズの人間がいるはずはない。不死鳥の騎士団員もいない。明白にアンブリッジと敵対している人がいるはずもない。マファルダしか、手掛かりとなる可能性を指摘出来る人物はいないのが現状よ。蓮の要求はそもそも不可能な要求。政治信条が明白で、安心出来る人物なんているはずがない組織なの。上級職を拉致監禁、1週間か2週間潜入して、気が済んだら忘却術をかけてポイ。そんなことをしたら大変なことになるわ。1週間か2週間の記憶の空白の原因を調べ始めるでしょうし、マグル生まれの魔法使いか魔女の仕業と判断して、いっそう苛烈な迫害を始めるかもしれない。だからこそ『説得』する必要がある。説得がうまくいかなかった時点で忘却術を使えば、時間の空白が小さくて済むから、誤魔化しようもある。説得してしまえば、潜入後に取り繕うことは任せられる。1人を助けて100人を見殺しにするつもりなら、強引な手段を使えばいい。でも100人を助けたいなら、丁寧に内部協力者を作る必要があるわ」

 

スーザンは頷いた。

 

「スーザン!」

「やります。説得する時には、蓮について来てもらってもいいですか? 説得に失敗した場合に備えて、わたしより強く忘却術を使える人が必要ですから」


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