サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第8章 クリーチャーの涙

フラメル・ハウスに現れた蓮の格好を見て、ハーマイオニーが目を丸くした。

 

「なんなのその格好。まだアダムスごっこ?」

 

色褪せて擦り切れたジーンズにアロハシャツを着て、前髪を長めにしたショートカットの蓮が眉を寄せて顔を険しくした。

 

「違う。その名前は口にしないでくれ。魔法省の退勤時間になったら、尾行に出るんだ。そのための変装だよ。コーディネイトはスーザンだ。モチーフはスーザンに聞いてくれ」

「あ、その顔を見てだいたいわかったわ。現代風ロミオさんね。ディカプリオの妹みたいな顔だから」

「らしいよ。今度ハーマイオニーを沈没船の舳先で捕まえててやる。いくら電車を使うからって、マグルの男のフリしろってひどくない? そこまで真っ平らじゃないはずだ」

「寄せて上げればね。寄せても上げてもいないんでしょう?」

「胸部サポーターで押さえてある。また階段落ちしたら、スーザンの責任だ」

 

ハーマイオニーがスーザンを見ると、困ったように「背が高いから、レディースのファッションにすると、モデルみたいで目立ってしまうの。これにサングラスをかけたらなんとなく雰囲気が似てるだけで勘違いした若者風に見えるでしょう?」と説明した。

 

「そうね。あなた、変なところでスーザンに苦労をかけてるんだから、階段落ちの責任を予め押しつけるのはやめなさいよ。ところで電車って?」

「潜入に使いたい相手は、マグルと同じように電車を使って出勤しているからだよ。暖炉ネットワークを避けているらしい。それだけ用心深い人だから、魔力を使った追跡には気付かれる可能性大だ。ハリーとロンは? ウェンディはもう向こうでクリーチャーと会っているはずだよ。モニタを用意してきた。リビングで観られるようにセットする」

 

スーザンがキッチンにお茶の支度をしに向かうと、蓮が脇に抱えてきた段ボール箱を開けて小型テレビのようなものを取り出した。

 

「これ・・・」

「アンソニーがアメリカから送ってくれたんだ。遠隔で魔力を使って画像と音声のデータを飛ばす。新しい刑務所の監視装置としてテストして欲しいってさ」

 

 

 

 

 

「帝王さんに貸し出されたのですか?」

 

ウェンディの声にクリーチャーは頷いた。

 

「ハウスエルフを貸せと御下命があったのです・・・レギュラスぼっちゃまは、当時は他に数人いたしもべの中から、クリーチャーをお選びくださいました。闇の帝王がお望みなのは、年寄りのハウスエルフだと。わざわざ年寄りと指定されたのが気になるから、クリーチャーもそう思うなら他のハウスエルフを連れて行くとおっしゃいましたが、レギュラスぼっちゃまが闇の帝王のお役に立ちたいと願っておいでなのは知っておりましたから、クリーチャーが参りますと言いました。レギュラスぼっちゃまは、こうおっしゃいました。『闇の帝王のための奉仕が終わったら必ず僕のところに帰って来るんだ。命令だぞ』クリーチャーは・・・焼けるように熱くて、水を飲みたくても・・・もう動けません・・・でもレギュラスぼっちゃまの御命令があったのです」

「それはハウスエルフにとって水より大切なことです。でもクリーチャー、何が焼けるように熱かったのですか? 闇の帝王のための御奉仕とは? アイロンですか?」

「飲むこと・・・飲む、飲む、飲むことです。飲むことだけ・・・」

 

ハリーが蓮の肩を掴んだ。「行ってくれ、蓮。ここは詳しく聞かなくていい。この箇所をクリーチャーに思い出させるのは残酷だ」

 

顔が蒼ざめている。

 

蓮がハーマイオニーの使っている主寝室のバスタブからグリモールドプレイスに跳んで「飲む、飲む、飲む」と言い募るクリーチャーが映った画面の端にちらっと映った。

 

「・・・水盤の中の液体を飲まされたんだ。たぶんその人の中の最悪の記憶や恐怖や苦痛を思い出させる液体だ。ばあばの時はそうだった。あまりの辛さに自分ひとりではじきに飲めなくなる。だから2人必要なんだ。飲ませる係と飲む係。トムは、自分がそんなものを飲む気はないから、魔法使いの命令には絶対服従のハウスエルフを貸せとレギュラスに命じた・・・そして、クリーチャーに飲ませ続けたんだ・・・」

 

姫さままた河童ごっこですの?! というウェンディの声に、ハリーは口を噤んでモニタに見入った。

 

濡れた髪をかきあげた蓮が、ウェンディの隣に座った。

 

「クリーチャー、ごめんなさい。その飲み物の話はもうおしまい。気分が悪いでしょう? ウェンディ、クリーチャーに何か温かくて甘いものを。お願いします、ウェンディさま。失礼、クリーチャー。レギュラスぼっちゃまは、優しい方だった?」

「はい・・・! とてもお優しい方でございました」

「そう言ってもらえるとレギュラスぼっちゃまはきっと嬉しいと思うよ。わたくしもね、生まれた時から、ウェンディが近くにいるのだけれど、どうやらウェンディはわたくしに満足していないらしいんだ。わたくしがどんな主人になればウェンディは満足してくれると思う?」

「魔法省の婆などに引っ掛からなければ良いのです!」

「ウェンディ、ごめん。今はクリーチャーと話しているから、また後で」

 

クリーチャーが大きな瞳からボトボトと大粒の涙を落とした。

 

「そのようなお言葉を使ってくださる方でございました。お小さい頃から! お小さい頃には、粗相もなさいます。クリーチャーめは、すぐに奥さま方に謝って始末をしようとします。レギュラスぼっちゃまは『ごめんね、クリーチャー。母上、僕が粗相をしました。クリーチャーは悪くありません』・・・ぼっちゃま、レギュラスぼっちゃま」

「なんでもかんでもクリーチャーのせいにする人じゃなかったんだね?」

「はい・・・! はい・・・」

 

ウェンディがホットチョコレートをクリーチャーに差し出した。

 

「ありがとう、ウェンディ。クリーチャー、これを飲んで。甘いから少しは楽になると思う。申し訳ないけれど、レギュラスぼっちゃまのために、もう少し質問させて欲しいんだ・・・大丈夫?」

「レギュラスぼっちゃまの御為なら!」

「飲み物を飲んだあと、闇の帝王はクリーチャーに何か言った? ありがとうとか、具合はどうだとか」

「いいえ? 闇の帝王はもうどこにもいらっしゃいませんでした」

 

ハリーが手にしていたマグカップを落として画面を睨みつけた。

 

「今日のことは誰にも言うなという命令は?」

「クリーチャーが、水を飲みたくなった時には闇の帝王はいらっしゃいませんでした」

 

ハリーは低い声で「スーザン、パトローナスで蓮にメッセージを頼む。『使い捨てにするつもりだったから口止めしなかった』だ」と呟いた。固く目を閉じて、怒りをなんとか飲み込もうとしているように見えた。

 

パトローナスのメッセージを受けた蓮は頷いてみせた。

 

「ありがとう、クリーチャー。だからクリーチャーにとっては、レギュラスぼっちゃまの次の命令が大事だったんだね? 御奉仕が終わったら、必ずレギュラスぼっちゃまのところに帰らなくてはならない」

「もちろんです。クリーチャーは帰りました」

「どうやって・・・と聞きたいところだけれど、ウェンディ?」

「説明はできませんわ。帰らなければならないから帰るのです」

「わかった、ありがとう。クリーチャー、帰ってきたクリーチャーに、レギュラスぼっちゃまはどういう態度だった? やっぱり優しくしてくれた?」

「もちろんでございます。弱ってしまって動くことも出来ないクリーチャーを寝床に運んで、綿に含ませた水を飲ませてくださいました。申し訳ないことに数日もそのような有様でございました」

「何があったか聞かれなかった?」

「聞かれました。お話し出来るようになったのは、数日経ってからでしたが。場所、入り方、小舟、亡者、飲んだこと・・・全てお話しいたしました。クリーチャーは話してはならないと言われません。レギュラスぼっちゃまは聞かせて欲しいとおっしゃいました。だからお話し申し上げました」

「うん・・・そして、レギュラスぼっちゃまは、クリーチャーにその場所にもう一度行こうと言った」

「はい」

「クリーチャーは闇の帝王と御一緒した通りに」

「いいえ。ただ行きました」

 

姫さま、とウェンディが蓮の濡れた頭をタオルで拭きながら言う。「主人が望むなら、ただ行くことができます。ヒトの仕掛ける魔法のほとんどは、ハウスエルフには関係ないのです」

 

「あ、ああ。そうだね。でもクリーチャー、レギュラスぼっちゃまは小舟が必要だとは、言わなかったの?」

「いいえ。ただ・・・クリーチャーはひとりで帰れるかとお尋ねになりました」

「クリーチャーはどう答えたの?」

「レギュラスぼっちゃまのためならひとりで帰ります。ぼっちゃまは、『レギュラス・アークタルス・ブラックが命じる。僕に水盤の水を飲ませろ。水盤が空になるまで何があっても飲ませろ。クリーチャーは絶対に飲むな。そしてロケットを持って帰れ。ひとりで帰れ。ロケットのことは、誰にも話してはならない。クリーチャーが大事に隠せ』と御命令なさいます。嫌でした。レギュラスぼっちゃまに飲ませたくないのです。でも命じられました。クリーチャーの手は勝手に動きます。岩に頭をぶつけて死んでしまいたくてもレギュラスぼっちゃまに飲ませてしまうのです」

 

ぼとぼととクリーチャーの涙がまたこぼれ落ちた。

 

「・・・そうだね。ハウスエルフだから。とても辛い仕事だったけれど、クリーチャーはやり遂げた。でも、クリーチャー、『誰にも話すな』という命令を、クリーチャーはずっと守ってきた。それなのに、どうして今は話せるようになったの?」

「姫さま」

「うん」

「クリーチャーの恥をお見せします」

 

そう言って立ち上がったクリーチャーは、着ていた枕カバーを脱いだ。

シマシマのトランクスが痩せた身体に引っかかっている。

 

「ま、さか。『ようふく』に?」

「クリーチャーはベラさまがおそろしいのです。ブラック家のしもべのままでは、ドロメダさまやシリウスさま、ハリーぼっちゃまの敵のベラさまに命じられても命令に従わなければなりません。ドロメダさまやシリウスさまやハリーぼっちゃまに知られないままなら、『ようふく』のままでもお仕えできます。ベラさまの命令は聞かずにいることができます。そう思ったら・・・シリウスさまのパンツを穿いてしまうのです!」

 

ハリーの嗚咽が聞こえてきた。ハーマイオニーも、ハンカチで鼻から下を押さえ、涙を流した。

 

「ベラさまが怖いから?」

「おそろしい、おそろしい・・・ですが、ドロメダさまやシリウスさまやハリーぼっちゃまのためにならないことをするのもおそろしいのです・・・そう考えると、毎日、毎日、毎日パンツを穿いてしまうのです!」

 

パンツは毎日穿き替えるものです、とウェンディの声が聞こえ、ロンが涙声で「本当にレンにそっくりだな」と茶化した。

 

「クリーチャー・・・クリーチャーのその気持ちを、わたくしからシリウスに話しても構わないかな? ドロメダさまやシリウスさまやハリーぼっちゃまに『ようふく』としてお仕えしたい、って。クリーチャーが家の中でもっときちんとした服を着て仕事をすることをシリウスが許してくれたら、クリーチャーはもう枕カバーやキッチンタオルで隠さなくてもいいし、シリウスのパンツを穿かなくても、クリーチャーにもっとよく似合うパンツを穿いてお仕えできる」

「で、ですが・・・」

「ドロメダさまやシリウスさまやハリーぼっちゃまは、ウェンディのことをよく知っているから、自由なハウスエルフを嫌ったりはしない。自由なハウスエルフが主人に選んでくれたことを喜ぶと思うよ」

 

シマシマのトランクスで恥じらうように身を捩ったクリーチャーが「・・・姫さまの、お口添えを、お願いしてもよろしいですか?」と囁くように言った。「クリーチャーは・・・もう、ドロメダさまやシリウスさまやハリーぼっちゃまに飲ませたくないものを飲ませたくないのです。いくら命令されても・・・あれはクリーチャーが飲みます」

 

そのクリーチャーに「わかった。安心して。わたくしがきちんと説明するから」と言った蓮が、カメラに向かって「今日はここまでにしよう。今から帰る」と伝えた。

 

 

 

 

 

見た目はともかく壮絶な話だったね、とバスタブから帰ってきた蓮が端的な感想を口にした。

 

「・・・見た目はともかくって、あなたね。相変わらずそこなの?! わたしは涙も鼻水もまだ止まらないのに! クリーチャーは、レギュラスに飲ませることが辛くて辛くて・・・もうあんな真似をしたくないと・・・!」

「不服従の忠義ってやつだね。一大決心だったとは思うよ、もちろん。でも、あれはシリウスとハリーにとってはメリットばかりじゃないことは、冷静に検討するべき点だ」

 

わかってる、とハリーが両手に顔を埋めたまま答えた。「君がいてくれるおかげで僕はいつも助かってるよ、レン。でも、僕の気持ちは変わらない。僕とシリウスが、レギュラスと同じように正しいお振る舞いをすればいいだけだ」

 

「あー。僕までもらい泣きしちまったけどさあ。肝心の今現在のロケットのところまで話は進まなかったな」

「ぶかぶかのシマシマパンツを相手にあれ以上突っ込んだ話が出来るものなら、君がやってくれ。クリーチャーの『ようふく』問題の整理を優先したい。そのほうがクリーチャーも安心できるだろうから」

 

ハリーがモニタを示して「なるべく早く進めたいから、この映像をシリウスに見せてくれないか?」と言った。「兄弟愛はあまり感じたことないけど、弟の最期なんだから、シリウスにも知る権利がある」

 

黙っていたスーザンがソファを叩いて「座ったら?」と言った。クリーチャーを見知っていなかったせいか、特に泣いてはいないようだ。

 

「うん」

「・・・人の上に立つというのは、難しいことね」

「そうだね」

「恐怖で縛りつけていても万全ではない。クリーチャーは、ベラトリクスへの恐怖の呪縛から、自分で脱出するきっかけを得た。レギュラス・ブラックの忠誠心にはもともと陰りがあったのかもしれないけど、クリーチャーへの仕打ちが裏切りの引き金になった。トムくんは必ず破滅するわ。彼の支配は、とても脆い」

「おいおいスーザン。いずれホグワーツの王さまになろうってレンをあんまり脅かすもんじゃないぜ?」

 

ロンが冷やかすように言うと、スーザンは小さく笑って蓮を見つめた。

 

「レンなら大丈夫よ。だって・・・支配する気がさらさらない人だもの」

「そうだな。レンはホグワーツ城っていうオモチャ箱で遊びたいだけさ」

「・・・典型的な『君臨すれども統治せず』ですもの」

「まあ、目に見えるよなあ。『めんどくさいから、良きにはからえ』ってのはな」

 

人を何だと思っているんだ、と蓮が頬を膨らませた。

 

「君臨さえしてないうちに丸投げ先から真っ先に指名した奴だぜ? ハーマイオニーが『良きに計らえ』って言われる係だな、ウン」

 

 

 

 

 

キングス・クロス駅からイーストロンドン線。

 

隣り合う車両に飛び乗って、サングラスの中で視線だけを動かし、マファルダ・ホップカークの生真面目な横顔を眺める。

 

「どう?」

「大して遠くはなさそうだ。ほとんど姿勢を変えない」

 

案の定ランベス区に入ってじき、クリスタル・パレス駅で降りた。

 

出て行く改札を確かめると「ここまでにしよう」と蓮がスーザンに囁く。

 

「あら。どうして?」

「・・・アロハシャツにサングラスかけた若い男が、キングス・クロスからクリスタル・パレスまでついてきてさらに後ろを歩いていると、普通は気持ち悪くない? 明日はクリスタル・パレスのここから尾行だね。今日は、これからシマシマパンツ問題の整理をしに行こう」

 

 

 

 

 

映像を見終わったシリウスは、俯きがちにリビングを出て行った。

 

「・・・大丈夫かしら? クリーチャーのところ?」

「さあ。大丈夫だよ、グリフィンドールだもん。ハリー並みに泣いちゃってきまりが悪いんだろ。グリフィンドールって、こういう感動巨編に弱いんだ。スーザン泣いてなかったじゃないか」

「ハッフルパフは、ハウスエルフが隣人ですもの。たくさんのハウスエルフを見てるから・・・狡賢いハウスエルフだっていないわけじゃないの。ハウスエルフ間のイジメもある。『ようふく』も同じことよ。奴隷がその苦痛の多い立場に耐えるには、もっと下がいると思えばいいの。そうすれば意外と長く耐えられる。だから『ようふく』のハウスエルフに対するイジメは、苛烈なものにエスカレートするわ。去年ぐらいからかしら、それが変わったのは。『ようふく』と嘲り罵りを受けていた個体が『姫さま方のお友達』に変わったの。レン、あなたはウェンディからは駄河童扱いされてるけど、ホグワーツのハウスエルフが今では約半数が『ようふく』だと知ったら、ウェンディもあなたを見直すかもしれないわ」

「いやあ・・・それは甘い見通しだと思うよ、スーザン・・・悪いことはわたくしの責任、良いことはウェンディの功績。それが大原則だ」

「・・・今の諸悪の根源はアルファイド家よ?」

「うん。自分より下の地位に誰かがいるっていうのは、確かに苦難に耐え忍ぶ力を与えてくれるね。アルファイド暗殺を企画さえしないならアルファイド家を最下層に置くことには何の躊躇いもないよ。わたくしの地位が相対的に若干浮上する」

 

溜息をついたスーザンが、蓮の髪を撫でて「キュウリのサンドウィッチよりはステーキのほうがわたしの手間はかからないわ」と、味方になることを宣言してくれた。

 

そこへシリウスが戻ってきた。手には小さいサイズの白いシャツを持っている。

 

「レン。立会人になってもらいたい。頼めるか?」

「何の?」

「クリーチャーを、正式に『ようふく』とした上で雇用する。こいつが新しい雇用契約書だ」

「・・・隷属契約を新たに結ぶことには立ち会えないよ。わたくしへの苛烈な迫害が始まるのが目に見えている」

「違う。レギュラスの子供の頃の服だよ。隷属契約ではない。レギュラスのためにも、我々に改めて仕えてもらいたいと頼むのだ」

「わかった。シリウス、ペーパーナイフで構わないけれど、ゴブリン製の刃物はないかな? ウィンストンの血を使う価値がありそうだ」

 

 

 

 

 

レギュラスのシャツを胸に抱いたクリーチャーが跪いた。

 

シリウスがその前にやはり跪き、蓮の血を吸ったペーパーナイフをその肩にあてる。

 

「ウィンストンの血によって、請い願う。自由なしもべ、クリーチャーよ。我が誇り高きブラック家を守る者として、私やハリー、アンドロメダ・トンクスとその子々孫々のために、新しき契約を我々と交わされんことを。我が弟レギュラスの守護者として」

 

クリーチャーはおいおいと泣きながら「お受けします! お受けします、シリウスさま!」と叫んだ。

 

「クリーチャー。もうこれで安心だよ。シリウスやハリーのためにならない命令だと思ったら嫌だと言える。シリウスやハリー本人からの命令でもね。ベラトリクスも怖がらなくていい。ベラトリクスはクリーチャーの首を刎ねることは絶対に出来なくなる」

「そうだな、クリーチャー。ブラック家の古の魔法契約書を探し出すのを手伝ってくれないか? 私がそれにサインすれば完璧だ。ブラック家の血を引く者がウィンストンの血によって護られた者を傷つけようとすれば、すれば・・・レン、どうなるのだ?」

「さあ・・・グリーングラスは契約の茨に縛られてどうとかこうとか・・・」

 

スーザンが溜息をついた。

 

「自分の血を使う前に思い出してね。命までは奪わないけど、茨の縄で拘束されるそうよ。数分から数時間。それはウィンストンの魔法力次第。つまりレンの魔力が強ければ強いほど、ベラトリクスの拘束時間が長くなるわ。クリーチャーは安心して逃げられる」

「だそうだ、クリーチャー。古の魔法契約書を探そうではないか」

「はい、シリウスさま! 喜んで!」

 

 

 

 

 

翌日、蓮とスーザンが迎えに来てくれたので、グリモールド・プレイスに安心して向かうことが出来た。

 

ハリーがシリウスと力強くハグをする足元に、真っ白な子供のシャツにピシリと糊を利かせてネクタイを締めたクリーチャーが革靴まで履いて立っている。

 

「クリーチャー、素敵な執事のようだわ。すごく似合ってる」

「もったいないお言葉です、ハーマイオニーさま」

 

シリウスが全員をリビングに案内しようとすると、クリーチャーがいそいそと先に立ってドアを開け、深くお辞儀をした。

 

「心境の変化でここまで変わるのね」

 

ハーマイオニーが思わず呟くとスーザンが「レンによると、日本では、トラディショナルなパンツをぎゅっと締めることが大切なんですって」と笑った。

 

「は?」

「なんだったかしら? フンドシ? 結ぶタイプの下着だから、一大事の前には、それを締め直すと表現するらしいわ。だからあの人、パンツが気になるらしいの。パンツが緩いとか、パンツを穿いてないのは言語道断なんだ!って」

「・・・まさかわたしたちにまで紐で結ぶパンツを穿けなんて言い出さないでしょうね?」

「紐かどうか・・・現代の下着で構わないそうよ。現代の下着で構わないから、常にきちんとした下着でいるべきだし、決戦や儀式の日には新しいものを身につけるべきらしいの」

「あんな顔してるくせに、とんでもないところに日本人気質を持ち出すのね・・・」

「菊池家の魔女の鉄則だそうよ。穢れを祓うのが使命だから、大勝負の日には朝から冷たい水で身体を清めてから新しい下着を身につける。これが菊池家の魔女だ! って力説してた。3大魔法学校対抗試合の最終戦の日も、実はそうしてたらしいの。万が一死んだ時に恥ずかしい下着なんて絶対嫌だから。本人は自分の気の持ちようだから、人に強制するつもりはないと言ってるけど、わたしは一理あると思うわ。穢れを寄せつけない精神力を高める意味で、何かそういう習慣があるのは悪いことではないはずだから。菊池家の魔女の凛とした雰囲気って意外とそういうところから来るのかもしれないわね」

 

ハーマイオニーはソファに座ってスーザンの耳に囁いた。

 

「ひいおばあさま、日本の魔法大臣でいらしたひいおばあさまもかしら?」

「その方が一番その傾向がお強かったらしいわよ。戦争が始まってからサンフランシスコ講和条約の締結まで、重要な会議の日には必ず新しい下着で、いつでも戦うなり自害なり出来るように、って。その方に育てられたわけだから、おばあさま以降も、大なり小なり同じ習慣をお持ちじゃないかしら」

「説得力ある話だけど、パドマには言わないようにしましょう。菊池家の魔女の下着習慣を全世界に公開するわけにはいかないわ」

 

小さく笑い合っていると、クリーチャーを先頭にウェンディと蓮が全員分のお茶を運んできた。

 

 

 

 

 

じゃあ始めよう、とハリーが向かいの椅子にちょこんと座ったクリーチャーに笑いかけた。

 

「クリーチャー、僕が質問するけど、もちろん君が答えたくないなら答えなくていい。命令したいんじゃない。協力して欲しいんだ」

「はい、ハリーぼっちゃま」

「君は洞窟の中の湖から、レギュラスさまの命令通り、ロケットを持って帰ってきた。そうだね? この家に?」

「はい。クリーチャーが隠せと命じられておりましたから、クリーチャーの寝床に包んでおりました」

「今も?」

 

クリーチャーの耳がペタンと萎れた。

 

「・・・申し訳ございません。今はもう、ないのです」

 

おそらく「なんだって?!」と喚きたかったのであろうハリーは、拳を握り締めて、数回深呼吸した。

 

「それは、どうしてだろう? 僕には君が迂闊なことをするとは思えない。大事なレギュラスさまの、大事な命令だからね。君はずっとロケットを大事にしていたと思うんだ」

 

ところが、クリーチャーはふるふると首を振った。

 

「クリーチャー?」

「あれは、おそろしいロケットでございました。クリーチャーに、おそろしいものを見せるのです。首を刎ねようと迫ってくる御方や、岩の間に倒れたまま朽ちていくレギュラスさま、アンドロメダさまが日夜マグルに辱しめられ・・・今はもうそれは幻だとわかっております。あのロケットが見せた幻です。お邸にひとりになった最初の頃も、幻だとわかっておりました。だからクリーチャーは、ロケットを・・・壊そうとしました。何度も何度も何度も。竈門の火で焼いたり、ゴブリンのナイフを突き立てたり、暖炉に放り込んだり。ですが、ですが、必ずクリーチャーのところに戻って来ます。そして幻を見せ続けます。ただただ、レギュラスさまの御命令の御力を感じるばかりでございました。いつしか、クリーチャーは幻の区別がつかなくなりました・・・2年前まで」

 

2年前、とハリーが呟いた。「不死鳥の騎士団がいなくなるまではそうだったんだね?」

 

クリーチャーは頷いた。

 

「騎士団の皆さまがいなくなってから、クリーチャーのアタマは少しだけスッキリしました。そして、あのおそろしいロケットが、無くなったことに気がついたのです」

 

スネイプかな、とハリーがハーマイオニーを見たが、ハーマイオニーは軽く首を傾げた。代わりにクリーチャーに尋ねた。

 

「クリーチャー、アタマがスッキリしたあなたは、ロケットがなくなったことの他に、何か気づいたことはないかしら? 騎士団として出入りしていた人が、何か悪いことをしたり、あなたをきつく脅したり。その時期に何かなかった?」

「あのコソ泥めが・・・何度か銀器室から銀器を盗んだコソ泥めがおります・・・申し訳ございません、ハリーぼっちゃま。クリーチャーめは、あのコソ泥がロケットを盗んだのならいい気味だと思ってしまったのです」

「いや・・・いや、クリーチャー、君は何も悪いことはしてない。盗んだのはコソ泥だ。おそろしいロケットがなくなったことで、君のアタマがスッキリした。悪いことなんて何もなかったよ、クリーチャー。ただ、せっかくだから、もし覚えていたらでいいんだけど、コソ泥の名前を教えてくれないかな?」

 

クリーチャーはきっぱりと答えた。

 

「マンダンガス・フレッチャーでございます、ハリーぼっちゃま」


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