サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第9章 マファルダ・ホップカーク

アパートメントの階段の踊り場で、スーザンがマファルダ・ホップカークに声を掛けた。

 

「マダム・ホップカーク、突然押しかけて申し訳ございません。少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

「・・・あなた・・・アメリアの」

「申し遅れました。アメリア・ボーンズの姪でスーザンと申します。伯母の葬儀に御参列いただいたことも、たびたびお花をいただいていることも両親から聞いています。改めてお礼を」

 

 

 

 

 

スーザンがひと通りの説明をすると、マファルダは溜息をついて頭を振った。

 

「とんでもない話だわ。レイまでが・・・もう少し思慮深いかと思っていたのに」

「マダム・・・御理解いただけませんでしょうか?」

「あなたがたの感情は理解しましょう。わたしにもマグル生まれの友人や部下はいますからね。助けられるものならという感情がないとは言えない。でも感情と現実は別よ。もうその分別がつく年齢ではないの? わたしにもわたしの部下にも生活があるわ。今の趨勢に逆らって部下やその家族全員を守る力がない以上、事を荒立てないことは、消極的ではあってもわたしなりの正義よ。あなたがた若い人の好きそうな極端な言葉を使えばね」

「いいえ。わたしは正義という言葉を振り回すのはあまり好きではありません。マダムのおっしゃることは、よくわかります。職業人としての責任、管理職としての責任を重んじる方なら、この事態に消極的な姿勢を守るべきだと選択なさることは不自然とは思いません。でも、わたしたち、いえ、わたしは! わたしはどうしても、この機会を逃したくないんです、マダム」

 

蓮は唇を尖らせ、スーザンとマファルダの間に正座して、テニスのラリーを観戦するように、2人を交互に見た。

 

「はぁ・・・こうしましょう、スーザン。あなたの親友だのボーイフレンドだの、助けたい人物の名前を教えなさい。約束は出来ないけど、アンブリッジの反応次第では、多少の数なら見逃すことが出来るかもしれない」

「そういうお願いではないんです。そんな少数を助けるだけなら・・・1人を救って100人見殺しにしてもいいと思っているなら、このレンを暴れさせれば済む話なんです」

 

うむ、と蓮は頷いた。

 

「全員が全員を救うことは出来なくても、可能な限りの人を逃すなり潜伏させるなりの手段を用意しています。強引な手段を取らず、追跡を躱して逃れた。そんな形にすれば、マダムや部下の方々にご迷惑をおかけすることはありません。わたしにも事を荒立てる気はないことを御理解ください」

「話にならないわ。可能な限りの人を救う? そんな漠然とした目的では、こちらのリスクと折り合いがつくはずもない」

「わたしなりの、最終的な目的は・・・違います」

「おおかた、闇の魔法使いの排除でしょう? そんなことは闇祓いや不死鳥の騎士団に任せるべきよ」

「いいえ。彼がどうなろうと、わたしは本当はどうでもいいんです。マダム、先ほどご紹介したように、レンは、わたしたちの大切な友人です。でも、わたしたちは危うくこの人を失いかけました」

 

突然2人から視線を向けられ、蓮はまた唇を尖らせた。

 

「レイの娘でしょう・・・でも・・・本当にあなたと同い年なの? なんだか・・・」

「今日は特に表情が幼いですね。口数も少ないので、たぶん・・・レン、緊張中?」

 

こくん、と頷いた。「あんまり、しゃべらないほうがいいよね?」

 

マファルダが目を見開いた。

 

「おしゃべりしても大丈夫よ。マダムにはわたしが説明するから。マダム、レンについて、伯母から話を聞いたことはおありでしょうか?」

「・・・レイの娘は、驚くほど大人びて優秀だと、聞いていたわ。確か3年生で動物もどきになったのでは? 年齢に見合わない高い能力があり、それをコントロールする完璧な自制心・・・いったいどういうことなの?」

「曖昧で恣意的な法律が、レンをこうなるまで追い詰めました。最年少の動物もどきとして正式に登録されたレンが5年生になる前の夏に、非公式にではありますが、動物もどきに懲役刑が適用されないことが決定されました。そうですよね?」

「・・・ええ。その通りよ。過渡的な対策に過ぎないから、根本的な見直しが行われる予定だった。アメリアがあんなことになって、その作業は凍結してしまったけど」

「きっとそうだと思っていました。でも、そもそもの原因は、16年前にあります。シリウス・ブラックを16年前にきちんと裁判にかけていさえすれば、その脱獄どころか、最初の投獄さえ有り得ないことでした。完璧なアリバイ証人がいたのですから」

 

マファルダは溜息をついた。

 

「認めるわ。ブラックの事件の検察官はわたしだった。レイの報告を受け、ダンブルドアやマクゴナガル先生、ルビウス・ハグリッドにも裏取りをしたの。でもクラウチに却下された。肝心のブラックも、何ら主張しなかった。そうね。脱獄の遠因は、確かにわたしの消極的な姿勢だったと言っていいでしょう」

「マダム個人というよりは、魔法界の司法の在り方そのものでは? 動物もどきなら脱獄可能だと、本気で調べたら、推測可能な資料は約50年前からあったはずです」

「え・・・」

「『地獄から来た魔女』・・・ご存知ですよね? ディメンターの冷気が効かない魔女の伝説です。伝説と片付けずに、資料室で調べたら出てくるはずです。『ディメンターの冷気が効かないとしか思えないほどの記録的な短期間でアズカバン研修をクリアした魔女』の報告書が。その人物は、レンの次に若くして動物もどきになった魔女ですから、動物への変身とディメンターの関係は、推測可能なものだったとわたしは思います」

 

マクゴナガル先生だよ、と蓮が口を開いた。「わたくしは、マクゴナガル先生から言われて動物もどきになったんだ。学校にディメンターがいたから」

 

「マクゴナガル先生が、あのマクゴナガル先生が、動物もどきなら脱獄出来ることを隠していた? そういうことなの?」

「いいえ。隠したのは、伯母です。アズカバンに泊まり込み最速で研修を終わらせるためには、1日の限界6時間の尋問をクリアしてなるべく早く動物に変身すればいいという推測を、伯母は隠しました。アズカバンに弱点があると知られたら、受刑者に生存権が認められなくなるから、隠せる限りは隠して、あらたな収監手法を確立しなければならないと思ったからです」

 

何か思い当たることがあったのか、マファルダは震える指で口元を押さえた。

 

「それは伯母のごく若い頃からの信念でした。ご存知だったのでは?」

「・・・ええ。ええ、知っていたわ。だからわたしは、不適正使用取締局に出たの。もちろん法執行部に入省した以上は、検察や判事を経て副部長部長への野心がなかったわけではない。でもわたしの場合は単なる出世欲よ。アメリアの信念に及ぶものではなかったから、道を譲ることに迷いはなかった」

「おそらくそうではないかと思いました。レンがこうなったのは、動物もどきの件ばかりではありません。わたしたちが5年生の時の教育令の連発です。アンブリッジの機嫌を損ねる出来事が起きるたびに学校は教育令により締めつけられていきました。解雇をふりかざすアンブリッジに対して、先生方は、保身の為ではなく、生徒たちのためにアンブリッジに表立った異議を唱えることが出来なくなりました。レンはその状況で、3倍濃縮の真実薬を3本、1ヶ月という短期間で服用させられたんです」

 

うむ、と蓮も頷いた。

 

「怜悧で大人びた自制心を持っていた蓮は、先生方同様に、友人たちを守るためにアンブリッジに従いました。その結果、最も症状の重い時期には4歳程度の言動まで精神が退行しました。今はリハビリの結果、強いストレスがなければ少しお行儀の悪い17歳か18歳としてやっていけるようになりましたが、強い緊張などの高ストレス下では、こうして僅かながら退行することもあります」

「・・・なんてこと・・・あなた、レイは? お母さまはどうしてアンブリッジを訴追しないの?!」

「わたくしも悪いことしたから。それに、裁判を起こしても、途中でファッジとアンブリッジが法律変えそうだし。そんなことより、わたくしがリハビリして大人になるほうがいいって」

「今は、今日はいったい何がストレスなの?」

 

わたしのことだと思います、とスーザンが苦笑した。

 

「あなたの?」

「はい。レンはもともと自分のことなら、あまり動揺する人ではありません。高い能力と完璧な自制心、その通りです。でも、自分のミスで周囲の友人たちが傷つくことをとても嫌います。この訪問は、わたしたちにとって大きな賭けで、その上、主体がわたし。レンはこの訪問には基本的に反対していました。マダム・ホップカークの政治信条もわからないのに、自分の内面を晒すような真似はするべきではないと。ですが、マグル生まれ登録委員会の性質を考えれば、政治信条が明々白々で、わたしたちの味方だと断定できる大人は、委員に選出されるはずがない。グレーゾーンの人ばかりです。その中で、手掛かりとなるのはマダムだけだと判断してここに来ました。だからレンはこの通り、緊張してしまったんです」

 

いまさら誰を責めたいというわけではありません、とスーザンは穏やかに言った。「でも、変えるべきことは変えたい。わたしも、友人たちも、みんなそれぞれに変えたいことを抱えています。わたしにとってそれは、司法システムです。収監手法、立法手順。あまりにもディメンターの性質に頼り過ぎて死刑がなし崩しに常態化したアズカバン、しかも弱点が明らかにされ、それが一部の人を束縛している中途半端な状態のままです。大臣や大臣のお気に入りの高官が好きに弄り回す立法。誰が何の法律を遵守し、何の法律によって守られるのか、曖昧過ぎて人々の安心の根幹には到底なり得ない。これでは、マダムが、消極的な政治姿勢でこれまで歩んでいらしたのはごく当然の感覚だと思います。それを非難するつもりもないし、マダムの職業人生を荒立てるつもりもありません。ですが、今のこの混乱した時局がこのまま安定してしまったら、わたしにはもう自分の信念を曲げて生きるしか道がなくなります。わたしを含めた友人たちは、それぞれの信念に基づいて、この時局の趨勢を自分たちの側に引き寄せるために手を結びました。このお願いは、そのためのものです。マグル生まれの中の個人的な思い入れの強い一部を見逃してもらって気が済む問題ではありません。どうか、お願いします。決してマダムや部下の方々に御迷惑をおかけする形は取りません。マグル生まれ登録委員会は、粛々とお仕事をなさっていただいて構わないんです。わたしたちは、知り得た情報を使って、対象者をそれとなく逃がしたいだけです。いたずらに騒ぎを大きくしないためにも、正確な情報を必要としています」

 

うむ、とまた蓮は頷いた。

 

「マダム」

「な、なにかしら?」

「わたくしは、パパが死んでから日本で育った。だから、マダムが、えーと、家族を持ちたくないのは、ママと同じだと思う。写真とか指輪とか、怖いんだよね?」

「・・・そうね」

「誰の味方かも、あんまりはっきりさせたくないのもわかる。いつ何が起きて誰が悪者にされるかわかんないもんね」

「・・・そうよ」

「マダムはわたくしたちなんか、まだ当てにならないと思うだろうから。だから、上手な歩き方を教えてください。誰に、どんな風に気をつければいいか。スーザンはさっき言ったみたいに法執行部に入るって言っている。でもさ・・・んと、今の法執行部の中でスーザンは誰に仕事を習えばいいの? だーれも大丈夫だと思える人がいない。わたくしたちは、誰に何を習って、安全な道を歩けばいいのか見えなくなったんだ。誰の言うことを聞けば大丈夫?」

 

それは、とマファルダが口ごもった。

 

「自分たちで見つけなきゃいけないんだ。この人にこんなことを教えて欲しい、こういうことならこの人に習おうって。それで、スーザンとわたくしは、マダムにマグル生まれ登録委員会の仕事を習うことにした。そう考えてくれないかな? ダメ?」

 

蓮が正座したまま、じっと見上げると、マファルダは諦めたように溜息をついた。

 

「・・・仮定の話をしましょう。どちらがわたしに変身するつもり?」

「はい!」

 

勢いよく挙手した蓮を、マファルダは胡散臭そうに見る。

 

「・・・パトローナスを出すことが必要になるわ。出せる?」

「うん!」

 

呪文も使わず、杖も振らず、ぽふん、とブランカを出した。

 

それなのに。

 

「・・・話にならないわ。あなた、まさかあなたまで法執行部に入省するつもりなの?」

「違うよ。それはスーザン。これダメ? けっこうみんなびっくりするんだけど。無言で杖無し。しかも大きい」

「・・・こんな特徴的なパトローナスをアンブリッジの前で出す? 正気なの? あなたはダメよ。無理だわ。スーザン、あなたもパトローナスは出せる?」

「は、はい」

「出してごらんなさい」

 

スーザンが杖を抜き「エクスペクト・パトローナム」と唱えて猫を出すと、マファルダは満足そうに頷いた。

 

「スーザンなら合格ね。わたしに変身するのがスーザンならこの話を受けてもいいわ」

「えー?」

「あなた・・・えーと、レン、あなたには不可能な任務だし、法廷の緊張感はあなたの症状に良い影響を与えるとは思えない。あなたが将来どんな職業を目指しているかわからないけど、捜査向きの人材でないことは確かだわ。いとも簡単に無言呪文、しかも杖無しで、あれだけのパトローナスを使役する才能そのものは賞賛する。でもあれでは・・・潜入中にパトローナスを使う必要があるたびに名刺をばら撒くようなものでしょう。あなたは何かほら、もっと派手なことをなさい。ね? それがいいわ。ウィンストンの代名詞だけど、闇祓いなんて絶対に無理よ? 悪いこと言わないから、司法は諦めて」

「そ、そこまで言うのお?」

「・・・まさかレイがなれるとでも言ったの? 優秀な子だったのに、そこまで親馬鹿に?」

「いや・・・なりたいって言ったこともないよ。ママは、将来何になれとも言わない」

 

マファルダは目に見えて安堵の表情を見せた。

 

「良かったわ。レイはいずれ法執行部長になるべき人材よ。アメリアやわたしとはタイプが違うけど、優秀な法律家ですからね。ただ、あの容姿にウィンストンの名前、菊池家の魔女らしい潔癖でストレートな政治姿勢。どれも一介の官僚としてはどうしても目立ち過ぎるから、出来るだけ早い出世をして、政治力を利用できる立場に立ったほうが良い子ね。それなのにもう・・・寄り道迷い道が多い・・・! 研修時代の指導官がアメリアだったものだから、アメリアが甘やかしてしまったのよ。さっさと副部長にしろと言っても、弁護士の経験を積んでからでいいだの・・・やっと真面目に副部長になったかと思ったらさっさと休職するし。お母さまに伝えておきなさい。わたしに娘たちをけしかける暇があったら、執行部長になる準備をしなさいと」

「・・・はい」

「よろしい。スーザンが変身して潜入するという条件で、2人を当分の間預かって教育しましょう」

「いー? わたくしまで?」

「こういうことは2人一組が基本中の基本よ。不満なら要求を撤回しなさい」

 

蓮はスーザンに助けを求める視線を向けたが、スーザンは小さく笑って「よろしくお願いします」と頭を下げてしまった。

 

 

 

 

 

蓮の訴えに怜は渋い顔をした。

 

「・・・誰にでも、苦手な先輩っているものなの」

「パーソナルデータは知らないとか言ってたけれど、割と知っていたでしょ!」

「知りませんでした。ただこう・・・インターン時代から、アメリアより厳格な先輩で。副部長時代には顔を合わせるたびに、わたくしが手掛けた裁判での手法に関して叱られるのよ。マファルダは、基本に忠実であることを最良と考える人なの。わたくしはどちらかと言えば、個別の事件の特性を端的に示して早い結審を狙う癖があるわ。どちらの手法も間違いではないけれど、教育や訓練として考えると、マファルダのほうが適任よ」

「教育! 訓練! スーザンだけじゃなくわたくしまで?!」

「それは当然でしょう。スーザンを潜入させてあなたはその間何をするつもり? マファルダは変身を承知しているから見張りは必要ないとでも?」

 

スーザンが苦笑して「そこまで疑いはしませんでした」と言った。

 

「そうね。マファルダという個別のケースでは、それでもなんとかなるけれど、パートナーが潜入している間、もうひとりは不測の事態に備えて待機しておくべきなのよ。そういったノウハウがない状態なのだから、素直に訓練されて来なさい」

「はい」

「あの人怖いもん。わたくしのパトローナス見ただけで『話にならない』ってバッサリ。『悪いこと言わないから司法は諦めて』って! なりたいなんて言っていないのにさあ!」

 

怜はこめかみを押さえて「あのパトローナスではね」と呟いた。

 

「ママまで?!」

「その点ではわたくしも捜査や調査には向かないの。上級事務官は法廷からの指示で補足捜査や調査を行うことも多いから、あの頃は苦労したわ。至急支援要請をしたくても、自分の特徴的なパトローナスを出したら張り込みが台無しになるとか・・・学生時代には考えもしなかった苦労が多くて。龍のパトローナスに変わった時には、ダンブルドアからはものすごく褒められたのに、まあ、使えないったらないのよね、アレ」

「ところで、どうしてパトローナスが必要なんでしょう?」

 

スーザンの質問に、怜は僅かに躊躇った。

 

「・・・アンブリッジのオフィスは地下10階、つまり大法廷のあるフロアね。ということは、マグル生まれ登録委員会は、大法廷を使うことが想定されている。大法廷にだけは、ディメンター配備が可能なの。そして、アンブリッジは・・・どういうわけかディメンターを使いたがるのよ・・・気が合うのではないかしら」

「ディメンターと、気が合う、ですか? パトローナスで身を守るわけではなく?」

 

アンブリッジがパトローナスを出したという話は聞かないわ、と怜が苦笑した。「でも、なぜかあまり影響を受けないの。まったく受けないことはないでしょうけれど、彼女にとっては、ディメンターから受ける不快感よりも、ディメンターに怯える被疑者を見て得られる優越感のほうに価値があるから、パトローナスを出さなくても、彼女なりのエネルギーはそちらから得られるのではないかしら。そもそもアンブリッジ自身がパトローナスを出さなくても、法執行部員でないアンブリッジが単独で法廷を維持することはないから、周りの人が必ずパトローナスを出してくれるわけだし」

 

なにそれ、と蓮が眉を寄せた。「優越感なら、パトローナスを出して威張っているほうがユーエツカーンって感じしない?」

 

「だから・・・察しなさい」

 

スーザンは頷いた

 

「レンの事件の時に聞いた生い立ちや性格を考えると、出せなさそうな・・・」

「そういうこと。確かなことではないから、あまり意識しないほうが良いと思うわ。でも、アンブリッジがディメンターを使いたがることは認識しておくべきね」

「アダムスとよろしくやってるのに幸福感はないの?」

「アレはもう、愛とか幸福という問題ではないでしょう。私生活は知りたくもないけれど、社会生活はとにかく貪欲な出世欲のイメージね。出世欲自体は健全なものよ。でも出世欲の満たし方が独特過ぎて、どの程度の達成感や充実感が得られるのか、わたくしには推測さえ出来ないわ。パトローナスを出すために必要なプラスのエネルギーだと断言は出来ない」

 

ふうん、と蓮は鼻先で頷いたが、スーザンは深刻な表情で「協力者抜きでは手に余るということが実感できました」と何度も頷いた。

 

「そうでしょう? 委員会名簿の時のように通りすがりにサッと済ませることと、一定期間一定の交流をすることとでは、必要なスキルがまったく違うの。パトローナスの件を別にしても、この仕事にはスーザンのほうが向いていると思うわ。瞬発力よりも、地道に腰を据えて取り組むことですもの」

「・・・そうですね。伯母の家の資料を見ていて驚きました。シリウスの3年前の無罪判決の要因は、16年前にマダム・ホップカークが公判請求記録を残していたことと、それをクラウチが却下した記録、それと、ペティグリュー襲撃事件をウィゼンガモットを通した有罪判決にしなかったことが大きく働いていたと思って・・・まさかそんなに長いスパンで考えることができるのかと」

 

む? と蓮が首を傾げるが、無視された。

 

「もちろんマファルダが全てを予測出来ていたわけではないわ。特に4年前の公判請求中にクラウチが疑わしい死を遂げることなんて、誰も予測出来ることではないから。でも、16年前にマファルダが強引に裁判に持ち込まなかったことは、後年に正式な無罪判決の可能性を残すためだったことは事実よ。あの当時、強引に裁判にかけたとしたら、おそらく結果は、ポッター家襲撃事件への関与については無罪、ペティグリュー襲撃事件に関しては有罪だったでしょうね。ペティグリュー襲撃事件はとにかく物証が不足していた。肝心のペティグリューの遺体さえ存在していなかった。ポッター家襲撃事件の無罪は、ペティグリュー襲撃の強い動機と判断される可能性が高かったわ。マファルダはそれを回避したの。無裁判の判決を撤回することに対してはウィゼンガモットは寛大よ。でも正式な裁判でウィゼンガモットが1度出した判決を覆すことをとても嫌う。状況が落ち着いて、新たな物証が出た時に改めて無罪判決を掠め取るには、無裁判にしておくのが有利だと判断したのが、マファルダの消極的ながら適切な策だったわ。こういう姿勢がマファルダの特徴よ。あえてグレーなままにしておくことも、時には必要だと考える人。わたくしには、そういう気長な姿勢がまだ足りないの。当時も、頭では理解していたけれど、それはもう歯痒かったわ。鼻っ柱も強かったから、内心ではわたくしが担当検察官を買って出て、強引に心証を引き寄せればペティグリュー襲撃事件の無罪判決の目も出るかもしれないとさえ思った。それをマファルダからこっぴどく叱られたものよ。そんなやり方がいつも通用すると思ったら大間違いだ、って。そんなことに腹を立てる暇があったら、ブラックがアズカバンで生き延びるために何かしなさい。チョコレートを差し入れするとか、頻繁に友人として面会に行くことで気力を支えるとかね。頭に血が上っている上に、ポッター事件のアリバイ証人であるあなたは客観性を欠いた最低の検察官。その自覚さえ持てないのか、って」

「伯母は、それに対しては・・・?」

「マファルダと同意見。もう少し言い方は優しかったけれど。でも、アメリアとマファルダの違いは、アメリアは厳罰主義の排除の必要性を指摘してくれたことね。無裁判で収監されたのはなにもシリウスだけではないわ。魔法界が冷静さを取り戻し、これまでの判決を見直すべきだという風潮に変われば公判再請求ができるから、まずはそのために働きなさい、って。尊敬すべき偉大な先輩2人に諭されて、わたくしはヤケになって働いた。そして・・・一段落ついた時、グレたのよ。言われた通りにしたけれど、魔法界は何も変わっていませんから、もう魔法省辞めます、マグルの弁護士で充分です。その時にはマファルダは不適正使用取締局に異動していたのに、すっ飛んできたわ。馬鹿な拗ね方をするのはやめなさい。気に入らないならあなたが執行部長になってから辣腕を振るえばいい。アメリアにも、この馬鹿を副部長か何か、逃げ出せない地位に縛りつけるべきだわ、って。アメリアは頭が痛かったと思う。それで出された条件が、シリウスの公判再請求をする時には副部長になること。そのために、弁護士業の傍ら、最低限の法執行部の業務を担当してもらう。出生証明書の偽造とか、そのあたりよ。わたくしはもう諦めていたから、ハイハイと適当なことを言ってやり過ごしていたのに・・・あの馬鹿が脱獄してきたわ・・・」

 

あらら、と合いの手を入れたら睨まれた。

 

「あの時のマファルダとアメリアの勝ち誇った顔は一生忘れないわね。マファルダからはこう言われたの。『今回こそはブラックを無罪にしないとディメンターのキスよ。無理や無茶はこういう時のために取っておく最後の手段なの』アメリアからは・・・『誰かさんの入れ知恵のような気がしてならないが、ブラックは脱獄と未登録の動物もどきという罪を重ねたな。こんな面倒な被疑者を無罪にする無茶な芸当は副部長さんに頼むしかあるまい』ああ、今思い出しても割と腹が立つわね。とにかく、未熟な新人時代を握られている先輩というのは、そういう存在なの。やることなすこと見透かされているものだから、敬して遠ざかっていたい相手よ」

「シリウスやリーマスにとってはママがそうだね!」

「・・・スーザン、なんだかまたアルジャーノンが生えてきたような気がするけれど、マファルダの前でもこうだったの?」

 

スーザンは苦笑して「もっと幼くなってました」と答えた。「だからこう、得意満面に杖無しの無言呪文でパトローナスを披露してしまって・・・マダム・ホップカークが、レンではダメだと判断なさったのは、パトローナスの独特さばかりではなく、レン本来の優秀さをまだご覧になってないからだと思います」

 

「悪いこと言わないから、闇祓いも検察官もとにかく司法は諦めてもっと派手なことしろだってさ! わたくしを司法に向いてるだなんて、レイはそこまで親馬鹿なの?! って驚愕してた」

「馬鹿ではないけれど親ではあるから断言するわ。マファルダは知らないうちに適切な人材を選定した。あなたね、ディメンター配備のアンブリッジの大法廷では、真ん中で卒倒するわよ」

「あ・・・」

「親の口から指摘されるよりは、よその人から言われたほうが効果的だから。ただまあ、しばらくマファルダから基礎を仕込まれることは悪いことではないわ。2人ともがんばって来なさい。特にレンは・・・確かにスーザンを危険な目に遭わせるなと言ったけれど、マファルダはそういう人だから、あなたはまず落ち着きなさい。アルジャーノン部分が縮んだら、もう少し評価を上方修正してもらえるでしょう」

 

 

 

 

 

通勤経路や普段の習慣、魔法省内の対人関係などをスーザンが教わっているのを後目に、蓮はバスルームの掃除をさせられていた。

 

「おわりましたー・・・」

 

どれどれ、とバスルームの検査に来たマファルダは満足そうに頷いた。

 

「こんな馬鹿みたいに大きな魔法力には使い道がないと思ってたけど、力仕事には最適ね。明日はガス台を磨いてもらうわ。今日の次の課題は、アダムスの取り扱いについてよ」

「ぅえ? あいつにはもう関わるなって、ママが」

「またあの子はそうやって・・・まあ、親の気持ちとしてはそういうものかもしれないわね。でもダメ。アダムスを使えるのはわたしにとっても便利だわ。そういう相手の情報を提供してもらったからには利用させてもらう。わたしにも、多少のメリットがないと」

「・・・掃除したじゃん」

「潜入を許すリスクの対価が風呂掃除?」

「・・・すんません。ていうかさ、オンビンが一番なんでしょ? アダムス使わなくてもオンビンなんでしょ?」

「わたしはそのような表現はしていない。言葉は正確に認識しなさい。人の弱みは握っておきたいの。いつ何に使えるかわからないでしょう。アダムスがいれば少なくとも4人の弱みが握れるわ。あなたが相手の名前を知っているなら、まずそれを教えなさい」

「知らないよ。オバさんだった。でもオフィスならわかるよ。清掃係だったから」

 

マファルダは深い溜息をついた。

 

「オフィスがわかるなら相手の名前をチェックできるじゃないの。どれだけ無駄なことをしたと思うの! 明日庁舎の各フロアの図面を持ち帰ってくるわ。あなたはそこから、4人のオバさんのオフィスを図示しなさい」

「・・・はひ」

 

この人こわい、と蓮は思わず身を縮めてしまった。

 

 

 

 

 

「わたくしの占星チャートには女難の相が出ていると思う」

 

ボーンズ・アパートメントに帰宅して遅い夕食を作っているスーザンの背後のダイニングテーブルに突っ伏して、そんな失礼なことを呻いている。

 

「その女難が誰を示しているか定かではないけど、女難の相のおかげでまともな夕食を食べられることは忘れないでね」

「忘れていない。スーザンから貰ったプレゼントが原因でマートルから水をぶっかけられたことも」

 

そういえばそんなこともあったわね、と思い出した。

 

「なんというか、あなたって、力のある女性から可愛がられるタイプなのよ。悪いことじゃないわ。自分では災難だと思っていても、結果的にそれによって成長させてもらってるんだし」

「・・・風呂掃除でか?」

「言われたでしょう? 大魔力があるからと、なんでもかんでも魔法で解決できると考えるのは思い違い。大魔力がなくても頭を使えば物事は不必要な波風を立てない」

「・・・風呂掃除にか?」

「レン? あまり駄々をこねるようならウェンディを呼ぶわよ? あなたやハリーがこれまで潜り抜けてきた試練とはまた違うアプローチが必要な問題もあるということ。それは今回わたしが担当する。あなたの才能は今のところ出番待ちだから、マダムのお手伝い」

「才能? 魔女タラシと河童技能だろ、どうせ」

 

それよ、とスーザンはオタマで蓮を指差した。「あなたの女難の相はつまり、人タラシということなの。ダンブルドアのカリスマ性とは違う意味で、人心を動かすことができるのよ。お風呂掃除に拗ねずに、それを誇って。マダムは言い方はキツいし、ストレートに味方だという言質を与えてくれないけど、ちゃんとあなたにタラされてます。説得の最後のひと押しはあなただったわ。でもあなたの能力を測りかねているから、まずは簡単な雑用を割り振っただけ。これに耐えられなければあなたは失格なの」

 

「うがー」

「ほら、出来たわよ。テーブルの準備して」

「・・・はい」

 

文句を言う割に、こき使われても素直に従うところは蓮の美点である、とスーザンは内心苦笑した。


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