『キャンプからのメッセージを読むぜ、よーく聴いてくれよ、マンドレイクの雌株さん。マンドレイクの雄株さんからのメッセージだ。《エリザベス3世から聴いた。マンドレイクの新しい株が無事増えたようで、心から安堵している。自分の生死を気にかけるなと言って家を出て、若者たちをアメリアとレイに引き渡すことを若くもないマンドレイクの務めと思っていたが、新しい株に会いたくてたまらず、ついにキャンプに合流することにしたよ。新しい株に私からのキスだけを先にたくさん贈ってあげて欲しい。ついでに言うと、もっと新しい株が増えることを願っている。小さなふわふわした新しい株も悪くない》聴いてるかな、マンドレイクの雌株さん? 雄株おじさんのことは、俺たちがちゃんと見張ってるから浮気の心配は要らないぜ』
ドロメダが抱いた小さなテディの髪の色が、ぽふん、とピンク色に変わったのを見て、怜が可笑しそうに口元を拳で押さえた。
「ですってよ、ちょっとだけ早めによその鉢に潜り込んだマンドレイクの雌株さん?」
「若い頃の夫婦間のジョークよ。アリスがシリウスに性教育の講義をする羽目になったという件は、わたくしたちの笑い話だったの・・・アリスが病院に収容されてからは、一度も口にしたことはなかったわ。小さなふわふわした株ですって? 1人目の孫の髪の色もまだ見ていないくせに注文が早過ぎるわ」
「あれはリーマスへのメッセージでしょう。仔狼でも構わないから、もっと孫を寄越せ、という」
冗談じゃないわ、とドロメダは眉をひそめた。「月足らずでお産が始まって、どれだけ心配したと思うの? 生まれてみれば月足らずにはとても見えないし」
怜がまた拳で口元を隠した。
「笑い事じゃないのよ、レイ。あなたもレンが赤ちゃんを産む時になったらわかるわ。自分が出産するほうがはるかに楽よ。こんなに気を揉んだのは生まれて初めて。モリーには重々お願いしていたわ。月足らずだから、それだけは気をつけて、って。月足らずだから! テディを見たモリーが開口一番に『2ヶ月ほどサバを読んでたようね。見事に髪まで生え揃ったハンサム・ボーイよ』髪まで生え揃った月足らずの赤ちゃんなんて聞いたこともない。婚約前に作ったとしか思えないわ」
「2ヶ月なんて長い目で見れば誤差の範囲よ。ちゃんとリーマスと結婚して、こうして無事に産まれたのだから、誤差をぐずぐず言わないで、素直に祝福なさい。ついでに言うと、わたくしはもう蓮がまともに妊娠・出産することは諦めているわよ。妊娠させてくるほうが可能性が高い気がしてきたわ。蓮が産むとしたら、卵か何かよ、きっと」
「レンなら良い父親になると思うわ。うちの婿殿よりはるかにマシ」
ドロメダは率直にそう評価している。
「財力が桁外れなのはもちろんだけれど、とても保護的な人柄ね。ニコラスおじいさま御自慢の曽孫よ。ガールフレンドたちを匿うためのセキュリティや設備に気配りが溢れているって」
「その気配りを実現する手伝いをさせられたのはわたくしよ。超技術のセキュリティ装置にドン引きして、魔法省で特許法の認可を受けさせようかと現実逃避していたら、リネンとタオルとバスローブはママと同じブランドで揃えてくれ! どうせロイヤル・ワラントがついた極上品なんだろ? それからここにママ好みの本棚つけて。キッチン用品もママ好みで揃えてね。他に何が必要?! うるさくて敵わないわ」
「とにかくママ水準のものを放り込んでおけばガールフレンドたちが満足するだろうと思ったのよ。別に間違いではないわ」
「自分はガス屋にもらった粗品タオルを首にかけて平気で歩き回るくせに」
「何その、ソシナ・タオル?」
「日本では年末とか節目には、定期的な取引のあるお店からちょっとしたプレゼントがもらえるの。カレンダーやタオルが多いわ。タオルにはお店や会社の名前や電話番号がプリントされているし、廉価な大量生産品だから、薄っぺらいものよ。わたくしの母でさえキッチンタオルとして使って、しばらくしたら雑巾にしてしまう。あれを持ち歩きはしないわね。蓮という子は、わたくしの母以上にそういうところに無頓着な子なの」
「だから良いんじゃないの。自分のことには無頓着なソシナ・タオルで、妻には最高級品。理想的だわ」
心底からドロメダはそう言った。
「成人してから性別が変わったことを我が家の婿殿が心配していたけれど、婿殿よりはいい夫・いい父親になるでしょう。わたくしはレンの将来は心配しないことにするわ。婿殿に財力は期待しないけれど、わたくしはまだドーラを振り回したことを許してはいないの。彼の弁護は受け付けないわよ」
怜が肩を竦めた。
「これからはドーラがリーマスを振り回す番よ。テディと2人でね。テディ? おばあさまのためにも頑張ってパパを振り回してあげなさい?」
「おばあさま・・・」
「他にどう呼ばせるつもり? レンは母のことを『ばあば』義母のことは『グラニー』よ。ネビルは確か『ばあちゃん』呼称はともかく、あなたはテディの祖母ですからね」
「・・・理解しているし、テディに愛情は感じるけれど、呼称についてはもうしばらく考えさせてちょうだい。それこそテッドが帰国してから、2人で考えるわ」
「おじいさまといつまでも仲睦まじくて結構ね、おばあさま?」
「その手に乗って憤慨するほど若くはなくてよ。わたくしたちは、仲睦まじく老いさらばえることに決めたの。フランスの美しい魔女に鼻の下を伸ばしていても構わないわ。どうせあのお腹を撫でてもらうのが関の山でしょうからね」
「まあ・・・ドーラみたいな好みの若いレディも世の中にはいるのだから、テッドのお腹をチャーミングだと感じる美女もゼロではないと思う」
「あのお腹を育てたのはわたくしです。この際だから言っておくわ。わたくしだって、テッドが太り始めた頃には、健康のことを考えてダイエットさせようかとは、もちろん思ったのよ? でも、コンラッドやフランクのことを思い出すと、こう・・・まあいいか、と。彼らの分まで立派なお腹になるがいいわと思ってしまうの」
「そうねえ・・・わたくしは逆。若いまま死なれてしまったものだから、自分の老化が腹立たしいの。もうわたくしよりも蓮のほうがコンラッドの享年と歳が近いの。まったく嫌になる」
ドロメダはテディを揺り籠に寝かしつけながら「そのダイヤの人は?」と初めて口に出して尋ねた。
以前から怜がたまにダイヤのアクセサリーを増やしていることには気づいていた。
「・・・こちらにも死なれたの」
「そう・・・」
「わたくしが、火の属性の魔法種族に教育されたことは話したでしょう?」
「ええ」
「その魔法種族を妻にすると夫には災いが降りかかるそうよ。夫を裁き、罰を与える恐ろしい妻。だから再婚は無しよ、ドロメダ。期待を裏切って申し訳ないけれど」
「そんな迷信で誤魔化すのはおやめなさい。別に無理に再婚を勧めるつもりなんてないわ。単に、もっと自由な生き方をして欲しいだけ。レンが成人したことで、あなたはもうコンラッドの代理の義務からは自由になったのだから、新しい出会いに心を開いて向き合ってもらいたいの。ダイヤの人が亡くなったことは残念だわ。長い交際だったでしょう? あなたは自分ではアクセサリーを買いたがらない人だから、新しいダイヤのアクセサリーを身につけているのを見るたびに、わたくしはひそかに安心していたの。ねえ、レイ、形はどうあれ、誰かと一緒に年老いていくことぐらいは自分に許したら? 鏡を見るたびに増えた皺に溜息をつくよりも、増えた皺や膨らんでしまったお腹を笑い合える人生のほうが望ましい。コンラッドはどうだか知らないけれど、アリスなら間違いなくそう言うでしょう」
「早速おばあさまのお説教?」
ドロメダは腰に両手を当てた。
「そうよ。キングズリーはどうなの? 以前から親しかったし、あなたのこともコンラッドのこともよく理解しているわ。わたくしは内心、キングズリーがダイヤの贈り主だと思っていたの。あんな無骨な顔で、ずいぶん繊細な趣味だと密かに感心していたけれど、どうやらキングズリーではないようだし。でもキングズリーは悪くないでしょう?」
怜がなぜか遠い目をして「・・・あり得ない」と呟いた。
「なんですって?」
「いえなんでも。とにかくキングズリーとわたくしという組み合わせは、細胞レベルからあり得ない組み合わせだと了解してちょうだい」
「・・・シリウスは?」
「不肖の従弟と、未亡人の親友への心配を、まとめて片付けようとしないでくださる? シリウスの顔は、わたくしの目にはホグワーツの1年坊主にしか見えないの」
「顔もスタイルも悪くないわよ。あの子なりにブラック家の当主として、家長の責任にきちんと向き合っているわ」
「いい歳して『あの子』という表現が似合うわよね。ブラック家の当主の責任と言っても、別に大したことはしていないでしょう。ハリーの父親代わりを頑張っているのは認めるけれど」
ドロメダは椅子に腰掛けて頬杖をついた。
「まあシリウスとあなたでは無理があるとわかってはいるわ。一応言ってみただけ。近々の経済制裁に備えて、ブラック家の金庫を整理すると言い出したの。わたくし用の金庫もまだブラック家の名義のままだから、それをどう処理するか考えてくれですって」
「テッドの銀行口座があるでしょう。ポンドに換金して口座に入金しておくのが一番よ。テッドがフランスにいるから、フランスで金庫を開設させて移管することも可能だけれど、その場合、ガリオンの価値は下落してしまうわ」
「基本的には、マグルの口座に入金するつもりよ。でも即時換金出来ない品物が多いの。どうやら、わたくしの両親が、シシーの結婚を機に分家の金庫をすっかり整理してしまったみたいでね。現金の多くは3つの金庫に移して、それを持参金としてマルフォイ家の名義にしてしまったのよ。残り2つの金庫に魔法道具や財宝の類がまとめられていて、それがまるまるわたくししか使えないものらしいの。ベラはレストレンジだし、シシーはマルフォイ家。わたくしの結婚は認めていないという意思表示ではないかしら。とにかく、両親が亡くなった今現在は、基本的にわたくししか使えなくて、わたくしに何かあればシリウスが本家の当主として始末出来るという形になっているわ。でも、家名としては『ブラック』だから、わたくしが金庫を放置していると、シリウスとハリーの金庫を圧迫してしまうでしょう? 気は進まないけれど、トンクスに名義変更するか、婿殿のルーピンにするか考えなければ。わたくしとしては中身に手をつけずに娘に譲ってしまいたいから、後の面倒を回避するなら、ルーピンがいいと思うの。でもドーラはまだ床上げ出来ないし、婿殿は公の場に顔を出せない・・・」
「とりあえずトンクスにしておけば? 名前も呼びたくないほど婿殿に腹を立てているならね、姑殿」
「腹を立てているというよりも失望ね。彼のことは正当に評価していたわよ、学生時代から。人狼病を抱えていながらもきちんと教育を受けて、医学管理を受け入れて、可能な限りまっとうな人生を歩もうとする姿勢には感心していたわ。ミセス・ロングボトム経由で聞いた防衛術の教授職でも、近年にないまともな先生だというから、諸々の不穏が解消されたら、彼にも道が拓けるだろうと信じていた。でも私生活はてんでダメだと判明したのよ、よりによってわたくしの娘を巻き込んで。妻子を持つ気がない殿方が、気軽な恋の上澄みを楽しむことまでは否定しないけれど、わたくしの娘よ? シリウスの姪みたいなものよ? そんな立場の若い娘に手を出す? 手を出すなら覚悟して出して欲しかった。婚約にしてもテディのことにしても逃げ腰。人狼病は言い訳にはならないわ。人狼だから女性問題を適当に切り上げて逃げられると思うような男にはなって欲しくなかった。その失望が解消されない間は『婿殿』でも勿体ないわ」
怜が顔をしかめて耳を塞いだ。
「何よ?」
「姑殿の正論が耳に痛いの。人には逃げ道も必要なのよ、ドロメダ。あなたの正論は、リーマスを追い詰めて萎縮させるだけだから、振り回すのはお勧めしない。とにかく、トンクスでいいから、シリウスとハリーのブラック家の金庫を圧迫しないようにしてあげなさい。シリウスがブラック家本家の当主という立場に向き合うことは嬉しいんでしょう?」
「それはもちろんそうよ。純血主義だとか闇の魔法使いだとか、近年になってペタペタ貼り付けられたレッテルはともかく、ブラック家そのものが長年魔法界を支えてきた名家のひとつであることは確かなの。これからの大変革の時代を生き残ってもらいたいとは思っているから、シリウスが腰を据えて当主の責任を引き受けてくれるのは理想的よ」
「だったらそのためにもシリウスに協力なさい。なんならトンクス家の金庫を増やして、しばらく預かってもいいぐらいじゃない? ブラック家は海外金庫は持っていないでしょうし、マグル口座もないと思うわよ。経済制裁が直撃するタイプの一族だわ」
そうねえ、とドロメダは溜息をついた。
「ドーラの時にはわたくしもまだ若くて意地を張っていたから、あえて振り返らなかったけれど、テディがこうして七変化に生まれたのを見ると、ブラック家との絶縁には思うところがあるわ」
「そうでしょうね」
「七変化の先祖の記録でもあれば、テディがこの能力を使いこなす助けになるかもしれないとか・・・文字通りの老婆心ね。でもこの顔でグリンゴッツに行くのは、正直なところものすごく気が進まない」
「わたくしで良ければ同行するわよ。わたくしのこの顔を引き連れて、ベラトリクスじゃないという証明書にしたら?」
おうふ・・・と怜が金庫の扉に凭れて呻いた。
「なに? どうしたの」
「さすがブラック家。超ブラックな財宝をお持ちね。くらくらするわ」
ドロメダは金庫を見回した。
「あなたのお母さまやレンみたいな体質、あなたにもあるの?」
「これでも菊池一族の魔女ですからね。蓮ほどひどくはないけれど、感じるものはある。ねえ、この金庫の整理は諦めない?」
「冗談じゃないわ。今日一日で終わらせるわよ。モリーに何日もドーラとテディの世話を頼むわけにはいかないのだから。あなたが使い物にならないのなら、外に出て座ってなさい」
「・・・いえ、そこまでではないけれど。せめて超ブラックなお宝を、その白い布に包んで違う宝箱に仕舞っておけば、動き回るのに支障はないと思う」
「だから、その超ブラックなお宝はどれなの?! どうせどれもこれもブラックなお宝よ?!」
ドロメダは途方に暮れて金庫の高い天井まで積み上がった「お宝」を眺めた。
「ちょっと待って。感じ取れないかどうか試してみるから・・・あー・・・あれだわ。一番上の、あれ。金色のカップよ。あれを包んで隠してしまって」
頭を抱えた怜が指差すお宝の山のてっぺんに、確かに小さなカップが見えた。
「あれね? アクシオ! って! きゃああああああああああ!」
金色のカップが、雪崩のように大増殖して迫ってくる。
「あつっ! 痛い! 何したのよドロメダ!」
「知らないわよ! 扉開けて! 出ましょう!」
雪崩に押したくられながらも、なんとか隙間ほど扉を開けて、外に出ると、ずががががん! と扉の内側に更なる雪崩がぶつかる音が聞こえてきた。
「何なの、この悪質な仕掛けは!」
両手を腰に当てて扉に向かって憤慨するドロメダの足元に座り込んだ怜が「さすがブラック家。ウルトラ・ブラックね」と呟く。
「いくらブラック家でも、わたくしが子供の頃はあんなものはありませんでした! ベラの嫌がらせか何かよ、間違いなく!」
「・・・麗しき姉妹愛ですこと。あ、これなら触れる」
脱出の際に一緒に転がってきたカップのコピーを怜が拾い上げた。
「嫌だ、触るのやめなさいよそんなもの」
「ドロメダ・・・これ見て。この紋章・・・」
カップの表面に刻まれた紋章を改めたドロメダは「あら、ハッフルパフの紋章ね。懐かしい。ドーラの学生時代のネクタイを思い出すわ」と口にして、怜と見つめ合った。
「・・・よね?」
「蛇ならともかくどうしてブラック家の金庫にアナグマの紋章が?」
「とりあえず・・・今日のところは、名義変更して帰らない? もうここ、触らないほうが良いと思う。嫌な予感しかしない。レイブンクローのダイアデムに触ってぶっ倒れたことがあるの。創始者のお宝なんて絶対にろくなもんじゃないわ。その時に妊娠が判明して、ミネルヴァおばさまとダンブルドアから大目玉だったのだから。妊娠中になんてものを拾ってくるんだ、って。知らなかったのだから仕方ないじゃないの」
「レイ、レイ、落ち着きなさい。レイブンクローのダイアデム? 『失われたダイアデム』のこと? いつそんなものを拾ったの?!」
「だから、パンドラとゼノの結婚式よ! モリーのご近所さんの! レイブンクローの談話室を借りて披露宴をしたのよ。クリスマスホリディに! せっかくホグワーツの校内に入れたのだから、試すだけ試してみようと思って、必要の部屋で適当にアクシオを唱えたら、足元に飛んできたの!」
「レーイ! 落ち着きなさい。それ以上喋らないの。名義変更して帰るわよ。名義変更だけはゴブリンの首を絞めてでも完遂するわ!」
「レディとドロメダおばさんだ」
隣の老婆の声にハリーは新聞から顔を上げた。
「パンドラ! 名前の通りのパンドラだったわ! レイブンクローの談話室で披露宴なんて!」
「レイブンクロー時代の親友でしょう。亡くなった後にそんな風に罵るのはやめなさい。彼女の事故でゼノは打ちひしがれてしまったの。とても見ていられなかった」
「わたくしがどれだけパンドラの実験的呪文の被害を受けたと思うの?! ねえ?! 実験的呪文の事故の可能性なら1年生の時からさんざん指摘してきたわ! どうしてビンズ先生の授業中にわたくしの顔の前で小爆発が起きるかわかる?! 可能性?! 優しすぎる表現よ! 常に事故だったわ、わたくしを巻き込んで!」
老婆はクツクツと押し殺した笑い声を立てて、ハリーの耳に「ルーナのママの話だ。レンのママは、ルーナのママの親友で、実験的呪文に巻き込まれてエライ目に遭ったらしいぜ」と解説してくれた。
「そうみたいだな。でも、レンのママもトンクスのママも、あんなパーカーとジーンズを着て首にタオルを巻いてると、めちゃくちゃ若々しく見える。確か今日は、トンクスのママの金庫整理に来てるはずだけど、もう終わったのかな?」
「終わったんじゃないか? 薄汚れてるぜ」
「先にシリウスの家に行ってみるか。整理と手続きが終わったら来るはずだ」
わたくしは断言するわ! と怜の声が響いた。「ブラック家こそがこの世のパンドラの箱よ!」
薄汚れたパーカーにジーンズ、首にタオルを巻いて、顔のあちこちに火傷らしき傷をつけた怜が、ソファに横たわったままパンドラとブラック家を罵っている。
「いったいどこのマグルの引越しに駆り出されたんだ、2人とも。それともファイア・クラブの飼育小屋の掃除のアルバイトでも?」
似たような格好のドロメダにお茶を出しながら、シリウスが顔をしかめた。
「わたくしに使えと言って寄越した分家の金庫を整理して、トンクスに名義変更しようと思ったのよ。名義変更だけは出来たわ。整理は不可能だった」
「シリウス、わたくしはね、この世でホークラックスというブラックなお宝ほど嫌いなものはないの。あんなものがあるとわかっていたら、いくらドロメダの金庫とは言え、決して近寄らなかったわ!」
「レンと似たようなアレルギーをこの人も持ち合わせていたらしくて。一番怪しげなカップを退けろと言うから、アクシオで呼び寄せようとしたら、カップの雪崩が起きたの。それで、レイブンクローのダイアデムという悪夢のような記憶を刺激されたようで、パンドラ・ラブグッドを罵ったり、ブラック家を罵ったり、八つ当たりも甚だしいわ。いつも抑制的な態度でいるから忘れてしまっていたけれど、この人、想定外の出来事が起きると途端にワガママになるのよ。レーイ! あなたももう孫が出来ておかしくない年齢よ。おとなげない態度は改めなさい。シリウス、そういうわけだから、金庫の件は報告したわよ。名義変更したから、あなたがたがブラック名義の金庫5つまるまる使えるわ。それから、ハリーとロンに伝えて。ハッフルパフのカップは、ベラの嫌がらせとしてわたくしの金庫にある。とても高いお宝の山の上にあるけれど、アクシオは使えないから、他の手段を講じたら連絡して、と」
「・・・ドロメダ、君もまだ動揺してるみたいだ。ベラの嫌がらせ? ベラにとっては君のほうが嫌がらせをしたことになるぞ」
「いけないかしら?! くれてやっていいのなら、あんなもの今すぐベラの口に突っ込んでやるわよ?!」
シリウスはたじたじと後ずさった。
「わ、わかった。ハリーとロンなら、実はもう来ている。変身が解けるまでハリーの部屋にいるのだ。呼んでくるから、頼むから落ち着いてくれ」
逃げるように居間を出るシリウスの背中を睨んで、ドロメダは憤然と腕組みして脚を組んだ。
「テディを抱っこするのも気が引けるような得体の知れないものをわたくしの金庫に入れるなんて嫌がらせ以外の何だと言うのかしら!」
「入れたのははるか昔の話よ。そんなことより、どうしてわたくしはいつもいつも望みもしないのにホークラックスなんかに遭遇しなきゃならないの?! 必要の部屋でアクシオ! そんなことで手に入るだなんて思わないでしょう?! 蓮はマートルのトイレで拾ってくるし! 今度はドロメダの金庫! 嫌だ、ドロメダ、テディを抱っこする前に塩を入れたバスタブで身を清めるべきよ。今思い当たったわ! 蓮のアレルギーが、わたくしはおろか母よりもひどいのは、きっとあのせいよ! 妊娠中にホークラックスに触れたからだわ! テディに触れる前に身を清めなさい。絶対にそうすべきだと思う」
「だからどうして今になってそんな大事なことを思い出すの! わかっていたら中身の整理なんかせずに名義変更だけでさっさと帰ったのに!」
「狂犬が金庫に保管したという推理は聞いていたけれど、まさかあなたに転がり込んでくるようなお粗末な金庫だなんて思わないわよ! 最深部金庫だと思っていたわ! 昔から馬鹿だ馬鹿だと思っていたけれど、あなたのお姉さまの脳味噌はいったい何で出来ているの?! 蟹味噌か何か?!」
「そんな上等なもののはずがないでしょう! ああもう腹が立つ! シシーがマルフォイ家に持って行けば良かったのよ!」
あのう、とハリーの声が聞こえて、ドロメダはとりあえず怜の顔にクッションを載せて口を塞いだ。
「失礼。見苦しいところを見せてしまったわね。シリウスからどこまで聞いていて?」
「ドロメダおばさんの金庫にハッフルパフのカップがあったって・・・」
ドロメダは頷き、本日の一部始終を説明した。
「そんなわけで、正当な手順ではベラトリクスでさえも手出し出来ない状態にしてあるわ。名義が変わったから、あなたやシリウスでもダメ。もちろん、取り出すときにはわたくしに連絡してくれたら、喜んで協力しますからね。コピーがやたらと増殖しているけれど、このおばさまを連れて行けば本物は識別できるはずよ」
「・・・おばさん、大丈夫ですか? 具合悪くなったりしますよね?」
「・・・蓮ほど顕著に現れることはないから大丈夫よ。でも、ハリー、なんだったら、狂犬にひと泡吹かせてやりたくならない?」
「レイ!」
怜はソファに転がったまま、パーカーの腹のポケットからカップのコピーを引っ張り出した。
「ブラック家の最深部金庫にこれを恭しく飾っておくのはいかがかしら?」
ブラック家の当主シリウス・ブラックはインタビューに答えて言った。
「ああ、実に迷惑している。我がブラック家を狙い撃ちにするかのような制裁だからな。しかし、そんなことを今更嘆いても仕方があるまい。幸いにして、私と従姉アンドロメダ・トンクス以外に権利者がいない状態なので、財産の整理は順調に進んでいる。中には無論、目を疑うような宝物もあるが、こうした品々は最深部金庫に預け入れることにした。国連がいかに強硬な制裁措置に及んだとしても、イギリス魔法界屈指の名家の最深部金庫に手を入れるには時間がかかるだろう。その間に、このような馬鹿げた事態の収拾がつくことを祈るばかりだ」
記者も、シリウス・ブラックとアンドロメダ・トンクスが連れ立ってグリンゴッツを訪れ、約1日かけていくつかの金庫から、貴重な財宝と思われる厳重に封印された木箱をいくつもゴブリンに運ばせている場面を目撃した。
あのシリウス・ブラックといえど、ブラック家の誇る財宝を捨て置くことは出来ないということであろう。げに宝の前には、いかなる主義主張も霞むものである。