サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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閑話52 是も非も超え

険しく眉を顰め、ドラコは苛立ちを載せて杖を振った。

汚ならしい悲鳴と呻きの中、襟首を掴んで「何を見張っていた、この馬鹿者!」と押し殺した声で罵る。

 

《ウィンストン》と《グレンジャー》を見張っていたはずの死喰い人を魔法の縄で縛り上げ、引き摺るようにだだっ広い空虚なダイニングに連れ込んだ。

 

「我が君。大変なる失態をご報告申し上げます」

 

 

 

 

 

一部始終を聞いたトムは、人間離れした長い指を顎先に当て「ふうむ・・・」とひと声発した。

 

ドラコは膝をつき首を垂れ、目を閉じて、胸の中に忌々しい役立たずの死喰い人への怒りを募らせる。

 

「いかなる罰も甘んじて」

「いや・・・良い・・・ドラコ・・・俺様は、貴様を高く評価する・・・デルフィーニアの誕生は、貴様の手柄だ・・・さよう・・・小娘どもの身柄を押さえておくにも、時期尚早では、あったのだ・・・今しばらく泳がせてやっても、良い」

「・・・はっ」

「俺様は、完璧なものを好む・・・完璧な舞台を、好む。まずは、ベラトリクスの手を癒してやれ」

 

我が君、とベラトリクスが咽び泣く。止血もしない右手首で撫で回したせいで血にまみれた赤子を抱いて。

 

「はっ。かしこまりました」

「治癒が済めば、新たな右手を授けよう・・・ルシウス」

「・・・は」

「グリンゴッツは、後にいたせ・・・最も厳重なる金庫に保管しているならば、させておけば良い・・・俺様は、他にすることが、ある」

「何なりと・・・」

「ダンブルドアが、あの穢れた血の小娘に遺した遺品・・・くだらぬ御伽噺と申した者がおるが・・・ビードル、そう、ビードルの物語。ダンブルドアの意図がわかる者はまだおらぬのか・・・? それを確かめる目的もあった・・・答えられる者が、おれば・・・失態は、免じてやろう・・・」

 

頭を垂れたまま、ドラコは口を開いた。

 

「畏れながら申し上げます、我が君。ビードルの物語の中に納められている『3人兄弟の物語』が目的ではないかと、愚考いたします」

「ほう、ドラコ・・・学校で存分に学んでいるようではないか。聞かせよ」

「はっ。我が君は、死を超えし御方。その闇の帝王に比する力を手に入れる手段として、死の秘宝を、示唆したのではないかと。『3人兄弟の物語』は、死の秘宝を指し示す物語にございますれば」

 

ほう、とトムが蛇のような目を僅かに見開いた。

 

「その物語の3人兄弟に、それぞれ秘宝が授けられます。ニワトコの杖、蘇りの石、透明マント。この3種の実在を信じて探索を続けている者も少なくないと聞きます」

「実在するのか?」

「ニワトコの杖と思しき杖は、歴史に度々現れてまいります。あとの2つは、浅学の身にはわかりかねます。探索を続ける者の間では、この3種を全て手にせし者は死を制する者と考えられておりますので、ダンブルドアは闇の帝王に比する力を求めて探索を続けていたのやもしれません。それを引き継がせるならば、グレンジャーが相応しかったのではないかと愚考する次第」

 

死を制する、とトムが呟いて首を傾げた。「それが、穢れた血に相応しい、と?」

 

「書物を読ませるならば、グレンジャーが適任。古代ルーン語にも長けていると聞きます。死の秘宝を手にする者は、ポッターかウィンストン。それがダンブルドアの計画かと」

「ふうむ・・・ポッター、か。ポッターは何をしているのだろうか。セブルス、セブルスをこれへ。ああ、ドラコ、伯母上の手首を癒してやるが良い」

 

立ち上がったドラコはベラトリクスに近寄り、軽く杖を振った。自分が使っていたはずの揺り籠を出現させると、ベラトリクスに促す。

 

「伯母上。姫君をこちらへ。お部屋に運ばせます。母上、お手伝いいただいても? 僕が伯母上のお手を治療しますので、姫君の世話をする者をお選びください」

 

母がハッと顔を上げた。

 

「もしくは、母上御自身が、姫君の婢女として」

「・・・喜んで。闇の帝王の玉の如き姫君のお世話は、この母がお引き受けしましょう。ご安心くださいませ、お姉さま」

 

 

 

 

 

「こんな屋敷では、まともな子は育ちませんよ、ドラコ」

 

ベラトリクスが薬で眠ってしまうと、母が声を殺してドラコに迫った。

 

「お姉さまも子を産み育てることができる人ではないわ。わかるでしょう。産湯だとか産着だとか頭に浮かびもせずに、裸の赤子を血まみれにして撫で回すだけ、何時間も」

「僕はそれでも構いません。こんな忌々しい生き物を飼う趣味は、僕には、ない。だが闇の帝王の姫君だ。その辺に転がしておくわけにはいかないでしょう。少なくとも誰かが世話をしなければ死ぬ生き物だ」

「お姉さまがひとりで世話をして、その世話が行き届かずに死んでしまうのが一番望ましいわ、ホムンクルスだなんて・・・」

「コレの死が、また我が家の責任にされたらどうするのです? 父上の失態を日々あげつらって、アズカバンから救ってやったと恩を着せられている上に、実験として、伯母上のオモチャとして作ったホムンクルスとは言え、曲がりなりにも闇の帝王が『娘』を、世話が行き届かず死なせたとなれば、また我が家の失態が積み上がることは目に見えているではありませんか」

 

これ以上の失態はご勘弁ください、とドラコは冷たく言った。

 

「ドラコ・・・お父さまのことをそのように・・・」

「父上を責めるつもりは今さら僕にはありません。僕は僕なりに、なんとか穏便に屋敷を取り戻したいだけだ。そうしなければ父上の療養もままならない。とにかくコレの世話をお願いします。伯母上がレストレンジの屋敷で育てる気になればそれでもいい。しかし、我が家にいる間は、コレの世話は我が家の責任になるのですよ、母上」

「母をお姉さまの婢女にするつもりなの?」

 

喚きたくなるのを堪えて、ドラコは辛抱強く言い聞かせた。

 

「今とどう違うのですか。今すでに我が家は、闇の帝王とベラトリクスの婢女ではありませんか。我が家の責任の範囲でコレを死なせるわけにはいかなくなった。それぐらいは御理解ください」

 

ドラコは立ち上がり、腕時計を確かめた。

 

「僕は学校に戻ります。明日また伯母上の治療に来ますので、それまでの間、コレの世話をする体裁を整えてください。僕が赤子の頃の衣類か何かあるでしょう。適当に見繕って」

「・・・なんと嘆かわしい。あなたの子が生まれたらと取っておいた品々を、このような忌まわしい生き物に使うだなんて」

「今のままでは、僕に妻子なんて遠過ぎる蜃気楼だ。我が家に許される現実は、コレを死なせないこと。それだけです」

 

 

 

 

 

階段を下りると、到着したスネイプと行き合わせた。

 

「手柄を立てたようだな。結構」

「・・・死の秘宝の件は吹き込んでやった。あとは好きにしろ。お呼び出しはポッターの動向についてだ」

「なるほど。それはご報告せねばなるまい。君は夜はなるべく学校に戻りたまえ。学校以外にまともに眠れる場所があるというなら別だが」

「戻りますよ・・・校長」

 

舌打ちをして別れると、足早に玄関を開けて、門に向かった。

 

 

 

 

 

スリザリン寮の談話室には、グリーングラスだけが残っている。

 

「・・・それで?」

「逃がした。屋敷から出るにはウィンストンの力が必要だったが、出さえすれば後はボーンズに任せて大丈夫だろう。クソっ・・・馬鹿な真似を」

「最初から捕まってやる気だったんでしょうよ。ウィンストンのフリをしたボーンズの血を使わせることで、あんたの大手柄に出来るから。甘いんだかキツイんだかわからない奴よね。豪華な土産を寄越して、まだトムの懐に入っておけって感じ?」

「どうやらそうらしい。僕に非が及ばないような逃げ方を選択したからな」

 

ところで、とグリーングラスが声をひそめた。「死の秘宝の件は?」

 

「・・・伝えたが、あれはいったい何なんだ? 御伽噺を真に受けるような進言をすると、後々僕の立場が悪くなるんだが。スネイプの指示というのは何なんだ。ガキの使いみたいな伝言じゃないだろうな?」

「『おまえたちがあれこれ画策しているのは我輩も承知している。ついでにニワトコの杖もこの世から消してしまえ。死の秘宝の伝説を吹き込み、ニワトコの杖に誘導しろ』これが伝言全文。言われたの朝よ? 昼過ぎにあんたに死の秘宝伝説の概略を教えるのに、朝からロングボトムを呼び出して、あいつのうろ覚えの頼りない話を繋ぎ合わせて、図書館で本を探して、体裁を整えて・・・大変だったわ。ガキの使いなんて言ったら呪うわよ」

「あの程度の内容に半日かけたのか」

「本題はここからよ・・・ドラコ、ダンブルドアを殺したのはスネイプ、これは間違いない?」

 

ない、とドラコは断言した。

 

「ダンブルドアの杖はその時どこにあったの? あんたが武装解除した?」

 

ドラコは首を振った。

 

「ダンブルドアは杖を出さなかった。磔の呪文を使えと僕を促した。それだけだ。それが何か?」

「教えない」

 

しばらくぽかんとして、次に腹が立ってきた。

 

「おい・・・人をガキの使いにしておいて『教えない』とは、どういう了見だ」

「知らないほうが安全。違う? とにかく、あんたはこの件では、トムの耳に死の秘宝伝説とニワトコの杖を吹き込んだから、出番はおしまい。あとは、ダンブルドアを武装解除しなかったことをトムに伝えておけば、安全度が少しは上がると思うわ」

「・・・グリーングラス、何を考えている」

「この戦争に勝つこと。あんたが泥舟と一緒に沈まないための方策。グリーングラス家の金庫の整理。以上3点がここ最近のわたしの悩みよ。あと欲求不満」

「・・・君は」

 

手頃な男はみんな逃がしてやったのよ、とグリーングラスがぼやいた。「夜な夜ながんばって、引っかかる男はとりあえず逃がしたわ。あとは、クソ真面目くんと女子ね。どういう手があると思う?」

 

真剣に尋ねられて、曰く言い難い脱力感に襲われた。

 

「そういうことに身体を張ってどうするんだ。もっと自分を大切にするべきじゃないか?」

「ヴァージンなら大切にしたけど、そこは別に今更だもの。使えるものは何でも使うわ。出来ればマグル生まれの女子をもっと逃がしたいの。半純血もね。ウィーズリーの妹やラブグッドががんばって、やたらな逃亡は危険だと思わせてるから、学生に関して人攫いの被害は無いけど、カロー兄妹の体罰をいつまでも女の子に我慢させるのはどうかと思うし。あー、こういうときにはウィンストンのタラシ体質がうらやましい。ウィンストンのポリジュース薬でもあればいいのに」

「なぜ君はそこまでしてマグル生まれを逃がそうとするんだ? それは君の任務じゃないだろう」

「アステリアのためよ。先祖の罪滅ぼしでもいいわね。もっとわかりやすい言い方をすると、自分が乗った馬を勝ち馬にしたいだけ。そのためなら手段は選ばない。ウィンストンたちに、より流血の少ない洗練された勝利を収めさせるのがわたしの目的よ。何か文句でもある?」

 

いや、とドラコは首を振った。「文句などない。僕も同じ馬に賭けたんだから、勝ち馬にして貰えるのはありがたい。ただ・・・」

 

「ただ?」

「僕には、洗練された勝利というものが、自分からあまりにも遠くて・・・屋敷の中がいつも生臭い。人狼たちの息や体臭。蛇。拷問や、それこそ流血。勝った後に残るものがあの屋敷だと思うと、たまに虚しくてたまらなくなる」

 

グリーングラスは溜息をひとつつくと、軽く杖を振った。女子寮から舞い上がってきたのは、1枚のカラフルな紙だった。

 

「なんだ、これは」

「死喰い人側には知られてないの? だとしたら、あんたたちが飼ってるスクイヴは二枚舌ね。両方の馬に賭けてることになるわ。あんたたちに情報を流すスクイヴも、もうこういう家をもらってるのよ、どうせ」

「・・・アズカバンから職場が変わっただけじゃなかったのか? 家をもらった?」

 

ドラコの前に滑らせた紙に印刷された写真を指差してグリーングラスが身を乗り出した。

 

「新しい家、マグル社会での出生証明書、子供たちを行かせる学校、スクイヴが一番欲しいものがここにはあるの。忠誠なんてものは、彼らにとっては贅沢品なのよ、ドラコ。ウィンストンは、端からそんなものは期待してないわ。ついでに言うと、これは魔法省が本来すべきことだから、かかった金のいくぶんかは魔法省から毟り取るつもりよ。本来提供すべきものだけど今まで与えられなかった権利だから、こうして目の前に吊るしてやれば餌になる。ほんの少し言い回しを変えて、見せ方を変えただけ。スクイヴにはこういう形で一番欲しいものをくれてやり、マグル生まれには外国にある安全な避難場所。利を配って労働力を買うの。それを見ている、贅沢を楽しむ余裕のある魔法族は、果たしてどちらに忠誠を抱くかしら?」

 

ドラコは苦笑して「言うまでもないな。スクイヴさえ掌握出来ていないようでは話にならない」と応じた。「僕だって、いくら狭くてもこういう家が欲しい。たとえ戦いに勝っても、今の屋敷では父上の身体には良くないだろう。僕だって嫌だ」

 

「・・・まだ手土産は必要になりそう?」

「聞かれたら『こんなに肝が冷える手土産はもう勘弁しろ』と伝えてくれ。手土産無しで切り抜けるほうが楽だ。といっても、まだ僕にさせることがあるんだろうから、手土産より褒美が良い。この家を1軒寄越せというのはどうだろう」

「伝えておくわ。でもあんた、人狼病の研究施設に職場を持つ約束になってるんじゃないの? そこには住まないつもり?」

「いや、住み込んで働くつもりだった。だが・・・子連れで満月の人狼島は、問題だろう」

 

グリーングラスは顔色を変えた。

 

「あんた、まさか」

「どうせウィンストンの剣は破壊することになっているからな。どうしても殺さなければならないわけでもない。ウィンストンの許しが得られるなら、僕が責任持って引き取ろうかと思っている。ベラトリクスの肉から生まれた以上、僕の従妹に当たるわけだし」

「ちょっと・・・そんな忌まわしいコブ付きの男は、わたし、ちょっとじゃなく困るんだけど!」

 

ドラコは眉をひそめた。

 

「なぜ君が困るんだ」

「いろいろ事情があるのよ。とにかくやめて」

「しかしなあ・・・いくらホムンクルスでも、あまりに哀れな赤子だし、ウィンストンが果たして殺すことを望むだろうか?」

「まさか、情が移ったわけ? いくらなんでも早くない?」

 

ドラコは顔をしかめた。

 

「正直なところ、気味が悪いとは思う。生き死ににも、実はさほど興味はない。ただ、なんというか・・・母上が、あまりにも疎ましそうにしているのがなぜかとても・・・僕はいったん学校に戻って、また自宅に帰った。それからウィンストンたちを逃がし・・・数時間は時間があったのに、ベラトリクスは血まみれの手首で撫で回し、母上と父上は見ているだけ。赤子に服も着せず、体を洗ってやりもしない。いくら僕が男でもわかる。あんな扱いをしていたら赤子は死に、我が家がその失態を背負わされるに決まっているじゃないか。アレが死ぬのは構わないが、失態を背負わされるのは御免だ。それにだな・・・人の形をしているんだぞ。自分で子を産み育てた母上が、あれほど忌まわしがるのが、いささか衝撃的だった」

「いくら人の形をしていてもね、ドラコ、ソレはホムンクルスよ。赤ちゃんは滾った大鍋で煮込んで作るもんじゃないの。母親のお腹の中で9ヶ月かけて育つのが赤ちゃん。滾った大鍋から出てくるもんじゃありません」

「そのぐらいは知ってる。だが、出来たものをどうするかは考えておく必要がある。トムの捕縛から間を置かずに殺して、なかったことにするというのがベストだとは思うが、アレには3人の親が関わっているんだ。うちトムとベラトリクスは最大級の罪に問われるが、死罪が言い渡されない限りは殺されないし、裁判制度の見直し次第では、異議申し立てをして3回ぐらいは裁判のやり直しが有り得る。つまり数年は生かしてもらえる。なぜアレだけが闇から闇に葬られなければならない? 残る1人の親ぐらいは、生かすことを認めてやってもいい気がするんだが」

 

グリーングラスが右手で顔を覆って俯いた。

 

「なんでウィンストンに責任を負わせるのよ? ウィンストンは被害者でしょう」

「だから、ウィンストンに育てろとは言わない。僕が育てる。僕は知りたいんだ、グリーングラス。忌まわしい生まれは、本当に忌まわしい人間を作るのか? アレはまだ何も知らない赤子だ。トムは『赤子から育てれば出来損ないの血から生まれた子であってもまともに育つ』と言う。トムがまともさを語るのは片腹痛いが、生まれ方が忌まわしくても、赤子のうちからまともな育て方をすればまともな人間に育つんじゃないのか? 僕はそれを確かめたい」

「・・・魔法薬の実験じゃないのよ? あんたの好奇心を満たすためならまともな人間なんて育つわけがないわ。その子のことを少しでも考えてやる気があるなら、殺してやりなさい。トムとベラトリクスの子として生きていけだなんて、よくそんな残酷なこと考えられるわね?」

 

君だってもう人間として認めてるじゃないか、とドラコは皮肉に唇の端を上げた。

 

「あんた、正気なの? 骨だの手首だの血だのを混ぜ合わせて煮込んだら出てきたホムンクルスを、あんたが実験するような目つきで育てたら、絶対にろくなことにならないわよ。これは断言するわ。絶・対・に、ろ・く・な・こ・と・に・な・ら・な・い!」

「じゃあ君が殺すか? 出来れば僕は証明したいと思うんだが・・・」

 

証明、と呟いてグリーングラスが両のこめかみを揉み始めた。

 

「あの赤子がそれなりに立派な人間になれば、マグルやマグル生まれでもまともだという証明になるじゃないか」

「っだからっ! そういう態度じゃ育つもんも育たないって言ってんのよ! あんたトムに似てきたんじゃないの? 実験じゃないのよ、これ。誰かが育てるとしたらウィンストン。間違ってもあんたじゃないわー」

「ウィンストン? しかし、被害者だから悪感情を持つだろう。そういうバイアスのない状態でなければ正確な結果は出ない」

「あんたがすでにバイアスをかけてんの! あのね、魔法薬じゃないんだから。材料すり潰して決まった攪拌回数でまともに出来ましたー、じゃないの。細々した世話はハウスエルフに頼むとしても、愛情とか人間らしさは、あんたが教えてやらなきゃいけないのよ。あんたはトムとベラトリクスの子を抱っこしてキスして、どろっどろの離乳食をスプーンで食べさせたり、病気の時に寝ずに看病したり、出来るわけ? 出来ないでしょう。だから、や・め・な・さ・い」

 

君は? とドラコは口を開いた。

 

「は? わたしが何よ」

「君はそういうことが出来るのか?」

「アステリアが妹として生まれてからというもの、わたしの愛情はふんだんに注いできたわ。その年齢で可能な限りの世話はした。これでも姉ですからね。でもそれはアステリアだからよ。他人の子でも、ちゃんと人間らしい生まれ方をした哀れな赤ちゃんなら、育てる自信もなくはないわ。この戦争で親を失った子だとか、1人か2人なら引き取ってもいいとは思うけど、ホムンクルスは別よ。トムとベラトリクスの子なんて御免だし、薄気味悪い材料を大鍋で煮込んで出来た子はもっと御免よ。ホムンクルスは闇に染まりやすい擬似生命だと言うけど、わたしに言わせれば大鍋から出てきた肉の塊に愛情を注げるかどうかの問題だわ。愛情なんて持てないから闇に染まる子が育つのよ。ウィンストンが自分の子として受け入れて、自分の子として育てると言うなら反対はしない。ウィンストンはああ見えて人間らしい情のある女だし、グレンジャーやボーンズから無駄に愛情を注がれて育ち直してからは、ますます情を垂れ流すようになったわ。そのウィンストンが自分の子として育てるのなら、まともな人間が育つと思う。ウィンストンが親。これは絶対条件よ」

「無理なことを言うな。いいか? 材料としての『血』は『敵の血』なんだ。敵対関係が前提なんだよ。『血の提供者』が愛情なんて持てるわけがないだろう」

「その子がまともな『人間』に育つには、それぐらい馬鹿げた愛情が必要になるという意味よ。もっとはっきり言うと、ウィンストンの感情が鍵ね。ウィンストンが我が子と認識したら、グレンジャーもボーンズも、不本意ながらわたしも、愛情を注ぐことになると思うわ。この場合の『敵の血』は『性別を決定する』じゃないの。『生きていていい生命かどうかを決定づける』のが『敵の血』よ。空っぽの器を満たすだけの愛情を注ぐ必要があるんだから。空っぽのまま成長した器は危険過ぎて認められない。あんたじゃ、ホムンクルスを満たすだけの愛情は与えてあげられない。ウィンストン抜きじゃ、誰にも無理」

 

ドラコは腕組みをしてグリーングラスの言葉を咀嚼してみた。

 

「・・・ベラトリクスの子という認識は、あるな。母親なのに世話らしい世話をしようともしてないことに呆れたから、ベラトリクスの子だと僕は認識している。しかし・・・なあ、グリーングラス。アレはトムの子だと思うか?」

「はあ?」

「トムとアレとの間に有機的な繋がりを見出せない」

 

グリーングラスは心底呆れた顔をした。

 

「・・・普通は、大鍋に材料を入れて煮込む係を父親とは呼ばないわよ、もちろん」

「だろう? アレは『しもべの肉』と『敵の血』が成立条件だ・・・グリーングラス、君は天才だな。そう、そうだ、この場合、真実『親』と呼べるのは『敵』だけだ。『しもべ』は狂信者だから、最初から愛情を期待出来るわけがない存在だ。『敵』次第なんだよ、グリーングラス。『親』と呼べるのは『敵』だけなんだ。もちろんこれも極めて困難な可能性だ。そもそも中世の昔ならば、この程度の僅かな血のことはイメージされなかっただろう。『血』というからには、敵を殺すことを意味したはずだ。だから、『親』が予め奪われた状態で育つことになる。煮込む係と狂信者の手によって。それではまともな人間にはならない。しかし、『敵』が生きているなら話は別だ。グリーングラス、アレをまともに育てるための仮説は立った」

「・・・さっきわたしが説明したことを、よりグロテスクに表現しただけでしょ。わかったなら諦めなさい」

「なぜ?」

「っこのっ! まだわからないの? あんたはウィンストンに、こんな馬鹿げたことを期待するわけ? 『滾った大鍋で煮込んだら出来た君の子だ。認知してくれ。僕が育てるから』? 勘弁して! わたし、自分が男だったら将来あり得たかもしれない悪夢として、元ガールフレンドが赤ちゃん抱いて現れて認知を迫るってことは割と真剣に考えたことあるけど、サイテーの気分よ? しかも鍋で煮込んで出来た? 認知なんてするわけないじゃない、そんなの」

「君の乱脈な私生活の話はしてない」

「同じことよ! とにかく、ウィンストンにはあんたの馬鹿げた実験に付き合う謂れがないわ。仮説が立ったんだから、その件はもう忘れて、現実的な対処の仕方を考えなさい。ベラトリクスはハウスエルフに子供を託すタイプ?」

 

ドラコは首を振った。

 

「ブラック家の昔馴染みのハウスエルフが、ベラトリクスの呼び出しに応じなくなったものだから、ハウスエルフへの不信を募らせている」

「屋敷に女手は? 死なないように最低限の世話はしなきゃ、あんたにとってマズいことになるわ」

「だから母上しかいない。母上には同じように言ってきた。死なないように世話をしなければ我が家の失態が積み重なるだけだから、と。しかし、母上は僕に対して愛情は与えてくださったが、おそらく世話はハウスエルフ任せだったと思う。君の家もそうだろう」

「そうね・・・任せっきりじゃないけど。っていうか、その子には何を食べさせるの?」

「は?」

「普通は、生まれたばかりの赤ちゃんには母親の母乳が唯一の栄養補給よ。オムツやお風呂の世話はハウスエルフでいいけど、授乳だけはお母さまにしか出来ないことだったわ。アステリアの時も。ベラトリクスはこう・・・狂信者パワーで出せないかしら?」

「・・・君の頭はどうなってるんだ。出るわけがないじゃないか。鍋から生まれた赤子だぞ」

「言ってみただけよ。だとしたら、乳母。死喰い人の妻か娘に授乳中の魔女はいないの?」

「いたとしても隠しているだろうな。僕ならそうする」

 

グリーングラスが頭を抱えてしまった。

 

「・・・じゃあ、いっそのこと、調合する?」

「はあ?」

「調合! それよ。ちょっと待ってなさい。グレンジャーに聞いてみるから」

 

グリーングラスがエクエスを使ってグレンジャーに質問を送ると、返答にはこうあった。

 

『マグルのドラッグストアに行けば、人工乳が手に入るわ。哺乳瓶に粉末を入れてシェイク。それを調合という表現で押し通しなさい』

 

 

 

 

 

悪態をつきながら寮に戻ってきたグリーングラスから、マグルの人工哺乳に使用する一式を受け取った。

 

「こんな恥ずかしい買い物生まれて初めてよ」

「手間をかけさせた。調合レシピはあるか? ああ、ここに書いてあるな・・・なんだ、簡単じゃないか」

「店員に生後何ヶ月ですか? なんて聞かれて・・・生後1日だと答えたらなぜか通報されそうになったわ。 何が悪かったのかしら? どこから攫ってきたのかって聞かれても答えられないわよ。鍋から生まれたんです、なんて。機密保持法違反になるわよね?」

「おい、煮沸消毒はわかるが、僕の大鍋で煮沸消毒になると思うか? 煮沸消毒用のクリーンな鍋が必要なんじゃないか?」

「仕方ないから、適当に忘却術かけて、品物の代金として500ポンド置いてきたけど足りると思う? ああオムツも買ってきたわ。汚れたら捨てればいいそうよ。大きさなんてわからないから一番小さいのにした。ていうか、男性用と女性用・・・やだ何これ! 老人用紙オムツって書いてある! マグルって老人にオムツが必要なの?」

「知るか。僕はレシピの暗記に忙しい。グレンジャーに聞け」

 

レシピを暗記すると、グリーングラスが仕入れてきた一式を抱えて自宅に戻った。

 

赤子の泣き声が耳につく。

 

「あー、待て。泣くな。腹が減ったのだな? 母上、赤子の乳の手配は?」

「・・・つくわけがないでしょう。ドラコ、なんとかしてちょうだい。お姉さまが半狂乱なの」

「調合でなんとかなれば良いのですが。とにかく材料を用意してきました。いささか大き過ぎますが、洗濯の手間が省けるオムツもあります」

 

ドラコ! とベラトリクスの甲高い声が聞こえた。「姫君が死んだらおまえたちのせいだからね! なんとかおし! どこか悪いのかい?! 死なせたら承知しないよ!」

 

「伯母上。大丈夫です。マルフォイ家の責任において、姫君に不自由はおかけしません。伯母上のお手の治療もしますので、お部屋でお待ちください。姫君のお世話が済み次第伺います」

 

 

 

 

 

ほぼ1日を自宅で赤子の世話にかかりきりになった。

 

「グレンジャーに会いに行ってきたわ。グレンジャーと一緒に、とにかく買える限りの物資は買い込んできた。そっちは?」

「母上に人工乳の調合を覚えてもらい、紙オムツの説明をして、とにかく乳とオムツの問題はお引き受けいただいた。オムツの捨て方について何やら細かい規則があるようだが、オムツを捨てるぐらいはハウスエルフに頼んでも大丈夫だろう」

「グレンジャーも人が良いっていうか。何かオモチャを買って行けだとか、赤ちゃんの頃から教育に良い絵本を与えるべきだとか、素っ頓狂なこと言うのよ・・・まだ死なせるわけにはいかないから最低限の世話をするだけで、相手はホムンクルスよ! って10回は言ってやらなきゃいけなかった。ボーンズはやっぱり鍋から生まれたところを見てるからか、微妙な顔してたわ」

「ボーンズにも会ったのか? ウィンストンの具合は?」

「ひと晩テンテキっていう治療をして、今は安静にしてるって。でもまだホムンクルスのことについてはストレスになるといけないから、話題に出さないようにしてるそうよ。それが賢明ね。グレンジャーとボーンズに状況を知らせておけばいいでしょう。あんた明日アレ自宅に持って行きなさいよ」

 

グリーングラスが指差す先には、こんもりと積み上げられた、やけにカラフルな乳児用品の山があった。

 

「・・・なんとかしよう。子の処遇についての意見は聞いたか?」

「聞いたわ。昨夜話したことを踏まえてね。2人とも、やっぱりウィンストンが決めることだと言ってた。ただ、あんたに伝言を預かってきたわ。えーと、これ。読むわよ? 『剣を破壊する以上、ウィンストンの血は気にする必要はない。東欧のディミトロフの血も問題にはならない。しかし、菊池家の血が流れている以上、闇の魔術の真っ只中では生きられなくなる日が来る。さらにデラクール家の血も流れているので、一般的なヒトたる魔法族の薬が効かない場面もある。当分の間死なせないためにも、それは念頭に置いておくべき』ですって」

 

ドラコは髪を両手で掻き毟った。

 

「しまった・・・! それがあったな・・・よし、薬だ。マダム・ポンフリーのところに行ってくる!」

 

 

 

 

 

昼間はドラコの部屋にベビーベッドを置き、その傍らでせっせとマダム・ポンフリーのレシピに従って、魔法薬を調合する日々が始まった。

 

「あー。泣くな、デル。あと3回攪拌したら・・・よし。さて、今度はどっちの要求だ? 1時間前に粉ミルクを飲んだな。ではオムツか。ふむ。正解だったな。僕の学習能力をもってすればこの程度は造作もない。しかし、せっかくだから、ミルクを飲んでまた寝るといい」

 

ベビーベッドの脇のロッキングチェアに、デルフィーニアを抱いたまま深く座った。

 

「デル、君のこの髪は誰に似たんだ? 言うまでもなくウィンストンの髪の色だな。あー、ウィンストンというのは、君の・・・母上、いや・・・父上、どっちかは知らないが、とにかく親のひとりだ。あれはあれでまともとは言い難いところはあるが、親の中では比較的まともだと思う。良かったな、デル。ウィンストンに似ていると思われたほうが、君の処遇は良くなる。いいか? グレンジャーとボーンズとグリーングラスに媚を売るのだぞ。ハーマイオニーおばさまとスーザンおばさまとダフネおばさまが、君の生殺与奪を握っている。その場合、ウィンストンに似ているほうが有利だ。君は、何ひとつ悪いことはしていない。していないのに、申し訳ないとは思うが、いつか来る面接に備えて、ウィンストンに似ておけ。あの3人にはウィンストン似の赤子は殺せないだろうし、他の円卓騎士は、あの3人に倣うはずだ。僕からも口添えはしてやる。君は善も悪もなく、ただこの世に生まれ出た生命だ。いいか? 媚を売る相手を間違うなよ? ハーマイオニーおばさまとスーザンおばさまとダフネおばさまだ。ウィンストンには媚を売っても無駄だと思う。奴は自分似の赤子を愛おしむ柄ではないからな。ハーマイオニーおばさまとダフネおばさまは簡単に籠絡出来るはずだ。君のミルクもオムツもオモチャも絵本も、あの2人が買ってくるんだ。難敵はスーザンおばさまだ。なにしろ君が鍋から生まれた場面を見てしまった。彼女は見た目こそ優しげだが、なにしろハッフルパフだ。ハッフルパフというのは、非常に闇の魔術を毛嫌いする。グリフィンドールは実はそうでもない。戦うのに必要なら、闇の魔術も利用するところがある。ハッフルパフはその点において融通が利かない。今のところ、スーザンおばさまが君の最大の難敵だと思う。だからな、デル、見た目だけでもウィンストンに似ておくのだ。ウィンストン似の無邪気な赤子としてスーザンおばさまに抱きついてやれ。君が大鍋から生まれた事実も頭から吹っ飛ぶだろう。ふむ。狡猾か? 仕方ないではないか。僕はスリザリンだ。力関係を把握して、強い者に賭けるのが僕の習性だ。その僕の観察を信用しろ。ハッフルパフが最大の難敵だ。僕の計画を聞くか? 眠いか? そうかまだ眠くないか。ならば聞け。君がこのように幼い姿に生まれたことは幸運なことだ。世話が必要な赤子だからな。トムやベラトリクスが連れ回すことが出来ない。我が家の中でひっそりと育つ。トムとベラトリクスが捕縛され、死喰い人のほとんど全員がやはり捕縛されると、君の存在を知る人間は限られる。ウィンストン家、円卓騎士団。その程度で済むはずだ。ウィンストンの祖父母や母上の判断は僕にはまだ予測が難しいが、ウィンストン自身が認めたならば殺しまではしないと思う。ウィンストンをその気にさせるには、ハーマイオニーおばさまスーザンおばさまダフネおばさまの後押しが必要だ。捕縛後、早々に円卓会議を招集し、君の披露目をして、君の生存の是非を問うことにする。この時に媚を売るのだぞ? 一生分の媚態を使い果たしても良いから、ハーマイオニーおばさまスーザンおばさまダフネおばさまの心を奪うのだ。君の生存を円卓会議が認めたら、僕が育てると申し出る。僕は人狼島で働くことになるから、あまり一般の魔法族と関わりを持たずに済む。君の素性を隠して育てるには好都合だ。ウェンディ・ザ・慎重に頼んで、優秀なハウスエルフを紹介してもらう。優秀だが、あそこまでクセの強くない穏やかなハウスエルフをな。そう高い給金は渡せないが、きちんと雇用しよう。君の世話をきちんとしてもらえるように。そうして君が11歳になったら、ホグワーツに行くことになる。安心しろ? スクイヴならグレンジャーに頼んで、それなりの学校を紹介してもらうからな。とにかくホグワーツに行く場合が問題だが、いや・・・君はウィンストンの子だな。ということは、言葉の問題さえクリアすれば、外国の魔法学校でもいいはずだ。いいぞ、デル。そうしよう。是も非も超えて生きて行け。僕が応援する。そのためにもスーザンおばさまだ。いいか? 彼女は君が大鍋から生まれた瞬間を目撃した厄介な人物だ。その上ハッフルパフ。弱ったな。ハッフルパフは、人のことは分け隔てしないが闇の魔術を忌み嫌うのだ。ハッフルパフ出身の闇の魔法使いはいまだかつて存在しない。つまりだ、スーザンおばさまが君のことを、闇の魔術の産物だと思っていたら絶対拒否の最右翼となる。だが、君のことを人間だと再認識したら180度変わる。言っただろう。人のことは分け隔てしない。人間だと思わせるのだ。良いな、デル。だからウィンストンに似ておけ。それが生きていくのに有利なら、気合いで似せるのだ。難しいか? だが、ウィンストンに似た赤子となれば、君の世話をしたがるおばさまが山のように出来るのだぞ? あのミルクやオムツやオモチャの山を見ろ。毎日あれを担いで来る僕の身になってくれ。ハーマイオニーおばさまとダフネおばさまは、もうすっかりベビー用品を買うのが趣味になってしまった。君はまだ読めもしないというのに絵本まである。寝る前に読んで聞かせろと言われているが、君はしょっちゅう寝ているからな。あれはいくらなんでも先走り過ぎだと僕は思う。しかし、スーザンおばさまはあまり協力的ではない。ウィンストンを最優先に考える傾向があるから、ウィンストンの血を奪って出来た憎むべき闇の魔術の産物だと認識しているのだ。まだ今はな? 円卓騎士団の面接に際しては、ダフネおばさまに頼んで、ウィンストンが着用しそうな上等な衣類を手配する。きちんと世話をされ、清潔で上質な衣類を着てスーザンおばさまに笑いかけて抱きついてやれ。ハーマイオニーおばさまよりダフネおばさまより、スーザンおばさまに集中して媚を売るのだぞ? それが生き延びるための技術だ。僕はろくなことは教えてやれないが、そういうコツにはいささか自信がある。む? コツを話す前に眠くなってしまったのか? じゃあ、また明日だ」

 

ベビーベッドにデルフィーニアを寝かしつけ、小さな身体にタオルケットをかけてやる。

作りかけの魔法薬の大鍋には、劣化を防ぐ魔法陣の覆いをかけた。

 

火を消し、窓の戸締りを確かめて、ドラコは上着を腕にかけて部屋を後にした。


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