サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第17章 名付け親

ラムズゲートの家のシービューの窓からは、北海がよく見渡せる。

 

ベッドのヘッドボードに背中を預けた蓮は小さく「荒れてるなあ」と呟いた。

 

「・・・そうね」

「あの3人のことだから、早速今日アズカバンに向かったんだろ? ディメンターがウキウキしてるのが目に見えるよ」

 

スーザンはベッドサイドテーブルに置いてある薬に目を留めた。

 

「レン、あの3人を助けに行きたいなら、お薬をきちんと飲んで肺炎を治して」

 

行かない、と蓮が首を振った。「薬を飲んで欲しかったら、スーザン、この中から適当に一枚選んでくれない?」

 

ニッと唇の片方を上げた蓮が、枕の下から何枚かのくしゃくしゃになった紙片を取り出してキルトの上にばら撒いた。

 

「7歳児の落書きみたいな扱いをしても、私は騙されないわよ? カンジの読み書きは出来ないけど、このデザイン性の高い手書きの線がカンジじゃないかと推測出来る程度には、私、日本好きなガイジンなの。1枚につきひと文字。あなたもあなたのお母様も、カンジひと文字のお名前ですってね?」

「・・・うん。マダムから聞いたことあるの?」

「聞いたというか、見たの。テムズ川を見下ろす位置にある家、たぶん改装前のチェルシーのペントハウスね。まだ生まれて間もない小さな赤ちゃんを大きなベッドの隣の揺籠に寝かせてあって、あなたのお母様がベッドに休んでいらしたわ。ちょうど今のあなたみたいに。おそらく、出産後数日という時期に伯母がお見舞いに行った時の記憶じゃないかしら。その時にあなたの名前を紙に書いて説明してもらっていたから、私、実はあなたの名前、カンジで書けるのよ。意味もわかる。あなたのお母様のお名前もね。レイ、というのは、理知、聡明さ、心が澄んで雑念に騒いでいない様子、他者への慈悲深さ。心を示す部分があるから、とても精神的なお名前だということぐらいは知っているわ」

 

マジかよ、と蓮がスーザンを見上げる。「じゃ、レンは?」

 

「ロータス。モネの絵から名付けられた。植物を表す記号が横棒一本に、縦に短い棒が二本刺さっている部分。東アジアの花の中では比較的大輪で沼地に浮かぶように咲くが、実際にはしっかりと根を張っている。また、仏教ではロータスが釈迦や天国の象徴なので、高貴さや純粋性を連想させる。一般的には力強く根を張ること、その根は食用にもなることから、繁栄を象徴し、女性よりは男性に向く名前とされる。どう?」

「・・・自分でも知らない情報が出てきて驚いたよ。男性名?」

「私も驚いたわ。優美な花の名前を生まれた女の子につけたのかと思って感動したのに、根っこが食べられるから男性名だなんて」

「ハーマイオニーですら知らない知識だ、自慢するといい。そこまでわかってるなら、きちんと説明するよ」

 

蓮がキルトの上を「ここに座れ」と言うようにポンポンと叩いたので、スーザンは蓮にティーカップを渡してベッドに腰掛けた。

 

「マルフォイ家で養育する限り、ホムンクルスを死なせるわけにはいかない。これは共通認識で構わない?」

「そうね。そうなると思うわ。ベラトリクスがさっさとトムくんごとホムンクルスをレストレンジ家に引き取ってくれるならいいのにね」

「そこのところは、ロドルファス自身にもトムくんや他の死喰い人が邸に好きに出入りすることを嫌悪する気持ちがあるだろうから、無理じゃないかな。もちろんベラトリクスは名前だけはレストレンジ家に嫁いだことになってはいるけど、レストレンジ家の女主人とは言えない」

「そうね・・・ろくに家にいたこともないでしょうから」

 

うん、と蓮は苦笑した。「『純血云々以前に、まともな家庭生活を送ってはいかがかな?』ってお手紙を書きたくなるよね」

 

「一般的には純血だろうと半純血だろうと、トムくんにべったりついて回って、十数年をアズカバンで過ごし、脱獄してきたらまたトムくんべったりでは、レストレンジ家のハウスエルフや使用人、近しい親族すら女主人とは認めず、したがってレストレンジの邸にホムンクルスを連れて帰ることは、ベラトリクスも考えないでしょうね」

「うん。つまり、ヴォルデモートとベラトリクスの捕縛まではマルフォイ家の失態とならないように、ある程度健康に生かしておく必要があるということだね。その後に死のうと生きようと、それは正直なところどうでもいいんだ。ただもし、万が一、そのホムンクルスを生かすことになった場合に備えて、しておきたいことがある」

「読み聞かせ本やテディ・ベアはダフネやハーマイオニーが贈ってるわよ、あなたのお金で。あと、アマイア・キッズやレイチェル・ライリーのベビー服も」

 

蓮が眉を寄せた。

 

「なんだそれ」

「『王室御用達』ロイヤルワラントのついたベビー服。たぶんそのうちオムツかぶれ防止のパウダーもロイヤルワラント品で買ってくるんじゃないかしら」

「・・・今、喉まで出掛かってる」

「言ってみて」

「オムツかぶれ用の魔法薬ぐらい狂犬ベラに調合させればいいだろ! ロイヤルワラントのベビー服? トムの小汚いマントとお揃いにしろとは言わないけどしまむらじゃダメなのか?!」

「シマムラ? とにかく『レンの子に相応しい良質な衣類が必要』『ウィンストンに何かあっても、ウィンストン家の嫡子っぽく育ててればウィンストンが産んだことに出来るから必要な投資』ですって」

 

蓮が額を押さえて頭を振り、スーザンは「ダフネとハーマイオニーの『とりあえず高級品』という発想はどうかと私は思っているわ。あなたのお母様に伺って、小さい頃のあなたの肌に合っていたスキンケア用品や衣服の素材を教えていただくほうが効率的だと思う」と同意らしきものをした。

 

「・・・どいつもこいつも、結局情が移って・・・わかった、スーザン。もうアレ、生かす方向で前向きに検討して欲しい。ロイヤルワラントはハーマイオニーとグリーングラスに任せて、スーザンは名前だ」

「名前? それならもうトムがつけてたわよ、大鍋から取り出す時に」

「なんて名前?」

「デルフィーニア」

 

蓮が近頃剣呑な瞳を光らせた。

 

「・・・考えたのは絶対にベラトリクスだ、間違いない」

「え?」

「いるか座って意味だろ。星座由来の名前をつけるのはブラック家の伝統なんだよ。トムにそんな教養は無いしね。『俺様の娘の名を考える栄誉を与えよーう。ベラトリクス、闇の帝王の姫に相応しき名を選ぶのだー』とかなんとか言って無教養さを誤魔化したんじゃないか? そこが狙い目だ。向こうでホムンクルスを人間だと信じて名前をつけてそう呼ぶのは、どうせ狂犬ベラ。たまにはトムも呼ぶかもしれないけど『俺様の愛娘よー』って場を取り繕うだけだろ。必要なら自分が乗り移る器にしたいんだからさ。だからこちらからは、わたくし、スーザンとマルフォイが名付け親として、マルフォイを通じてホムンクルスという器にまともな意味のある名前をつけて、極力トムが乗り移れないようにしたい。ホークラックスの破壊は順調に進んでるけど、正確な数がわからない以上、乗り移り先を増やさないことも大事だからね」

 

それには日本名がいいと思うんだ、と蓮がレポート用紙を引っ張り出した。

 

「日本名? なぜ?」

「漢字ひと文字には、さっきスーザンが言ったように複数の意味が含まれるから。例えば怜とデルフィーニアを比較してみよう。レイという音から日本人が連想するのは、礼儀正しさ、あるいは冷たさ。レイという音を表す漢字はたくさんあるけど、ママの場合はスーザンが言った通り、精神性に関わる意味合いが強くなる。怜悧、聡明、そんな感じ。デルフィーニア、いるか座? 神話か何かはあるんだろうけど、狂犬ベラがどの程度の意味を込めてつけた名前だろう? 間違いなくママの怜のほうが含まれる願いや祈りは多いと思うよ」

「あなたのおばあさまが名付けたのよね? おじいさまはブルガリア人だし、ゴッドマザーはスコットランド人だし」

「たぶんね。少なくともママのミドルネームをつけたのは間違いなくばあばだ。ばあば以外にマートルのミドルネームを選ぶ人はいない」

「あなたのおばあさま、菊池議長のお名前は?」

「ばあばが生まれた当時は、女の子の名前は末尾に『コ』って音を入れるのが一般的だったから『シューコ』だけど、本体は『シュウ』の部分なんだ。ひいばあから聞いたことがある。柊って意味なんだ。柊は西洋でも東洋でも魔除けの魔法効果がある樹木だから」

「ひいおばあさまはカオルだったわね? それはカンジで何文字?」

「漢字ひとつ」

「『コ』はつけなくてよかったの?」

「それまでの菊池家の魔女にはみんな『子』がついてたけど、日本が近代化して最初に生まれた魔女だから、記念に『子』を卒業してみたらしい。意味は薫り高いとか、匂い立つ美しさとか、そんな感じだね。高級線香・・・インセンス、なんとかって雰囲気かな。で、日本名はそんな風に名前の文字そのものに深い意味があるから、狂犬がブラック家風に星座の名前を流用しただけの名前よりも、個体への影響が強くなるんじゃないかと思う。だからねスーザン、わたくしがあげた候補の中から、ゴッドマザーであるスーザンが選んで、ゴッドファーザーであるマルフォイにこっそりその名前で呼びかけさせてみようと思うんだ。そのホムンクルスはホニャララ・デルフィーニア・菊池・ウィンストン。ファーストネームのホニャララの部分を、スーザンがこの候補の中から選んでくれないかな」

 

スーザンは眉を寄せた哀しげな表情で「アレを育てるの?」と呟いた。

 

「うん。当分の間生かしておかなきゃいけないのは確かなことだ。だろ? その『当分の間』が問題じゃないか。ホムンクルスの成長なんてよくわかんないけど、ただの人形みたいに成長しないままなら、トムが失敗作として破壊するだろう。失敗作と判断されなかった場合には、一定の成長をしているはずだ。その一定の成長を遂げる期間に、ホムンクルスというモノとして扱うか、人間の赤ちゃんに準じる扱いをするかを考えた。少なくともマルフォイ、グリーングラス、ハーマイオニーはもう『赤ちゃん』として扱ってる。抵抗があるのは、どうやらわたくしとスーザンだけみたいだ」

「・・・そうね。でも人間として育てるには10年20年とかかるのよ。マルフォイもハーマイオニーもダフネもそこまで考えているとは思えない。結局はレン、あなたにのしかかってくる負担だわ」

 

蓮は肩を竦めた。

 

「レン・・・」

「それなんだけど、わたくしの家族に頼むつもりだ。ウェンディを含めて。わたくしの血が流れてるわけだから、祖父母4人とママ、プラスウェンディ。6人いればなんとかなるだろ。経済的には全く困らないし。わたくしは2歳の頃はロンドンで家に閉じ込められてた。その後は、日本で育ったから、イギリスのシステムに詳しくはないけど・・・確かパパとハーマイオニーのヒューゴおじさんは2歳の時から同じ学校・・・学校? 幼稚園? とにかく13歳からのボーディングスクールの入学に備えてナーサリースクールやレセプション、プレップスクールまで一緒だったはずだ。ハーマイオニーもそうだと思う。たぶんあの人、生まれた時からラグビー校のウェイティングリストに申し込んでたタイプじゃないかな。パパもグランパも生まれてすぐにイートンに申し込んでたらしいから」

「行かないのに?」

「うん。ホグワーツに進学することはほぼわかりきってたけど、ああいうボーディングスクールは早くから入学申込を受け付けるからね。ホグワーツを卒業する時に付け焼き刃でイートンの卒業生のフリをすることは難しい。プレップスクールやナーサリーでイートンやラグビーみたいな学校に進学する子供達の中で育てば、関係者の記憶をちょっと修正するだけでいいし、本人もそれらしく振る舞うスキルが身につく。まあ、それはどうでもいいんだ。なるべく早く家族に了解してもらって、早めにそういう学校に入学許可されれば・・・えーと、いくつだ? プレップスクールの入学はー・・・プレ・プレップからなら、6歳か7歳ぐらいから寄宿舎にぶち込んでおける。わたくしが無理に同居して育てなくてもなんとかなる見通しだ」

 

スーザンが苦い顔をした。

 

「ホムンクルスを曽孫や孫として育てろと? おじいさまおばあさまやお母様にそんなことを頼むつもり?」

「アレが育つならどうせ隠してはおけないよ。グランパとばあばは嫌がるかもしれないけど、グラニーはたぶん平気だ。じいじも。ママは・・・ドーラお姉ちゃんのところのテディを見て孫が欲しくなってるらしいから、別にいいんじゃないかな。『ママが孫欲しがるから、トムくんにわたくしの血を使って調合して作ってもらった』って言えば」

「一般的な孫は調合して作るものじゃないわよ・・・それに、育て方や環境なんてどうだっていいんじゃないかしら。闇の魔術の成果物よ。事態の収束後、速やかに・・・なかったことにするべき存在だと思うわ」

 

スーザンの言葉に蓮は小さく首を振る。

 

「レン?」

「なかったことにはならないよ、スーザン。わたくしだって本音はなかったことにしてしまいたい。直視したくない現実だ。でもさ、バジリスクはなかったことになった? ディメンターは? 存在しちゃったものは闇だろうとなんだろうと存在しちゃってるんだ。出来ることは『対処』でしかないんだよ。バジリスクやディメンターには言葉が通じないし、本能的に人間を害する生態だから、対処法が限られる。でもホムンクルスに関しては、その生態が即ち人間を害する存在とまでは断定出来ない」

「闇の魔術の成果物よ・・・」

「そうだね。ウィンストン家はホムンクルスの存在は知ってたけど、そのホムンクルスがイギリス魔法界に知られることもなく、数百年無事にイングランドの片隅で命を繋ぐだけだったことも知ってるんだ」

「でも結局はトムくんを産出したでしょう?」

「貧しく、教養に乏しく、生殖だけを生存理由にするゴーント家がホムンクルス精製と近親相姦を続けたのがトムくんが生まれた背景にある。ホムンクルス自体の生態とは言えない。ゴーント家で育てばホムンクルスじゃなくたってろくな人間が育つわけがないことは明らかじゃないか。トムくんの頭のおかしさの原因をホムンクルスだけに求めるのは短絡的過ぎる。千年かけて血族間の交配を続ければ、どんなに偉大な家系からだってトムくんレベルにおかしな奴が生まれてきても不思議じゃないだろ」

 

わたくしはウィンストン家の当主なんだ、と蓮が苦々しく呟いた。

 

「レン・・・」

「今確実に『ゴーント家以外の肉と血で精製されたホムンクルス』が存在しているとわかってて、自分のミスから目を背けるためだけにアレを破壊するわけにはいかない。出来てしまったホムンクルスなら『どうすればトムくんにならないように育てるか』を検討する義務がある」

「・・・精製されたものとはいえ、その種の実験は非倫理的ではないかしら」

「どうせ闇の魔術の産物じゃないか。非倫理的なのは闇の魔術を弄ぶ奴らであってわたくしのほうじゃないだろ。わたくしは闇の魔術の後始末の手法について検討する側だ。スーザン、わたくしこそアレをさっさと始末して『なかったこと』にしたいよ! わたくしが馬鹿だったせいで出来ちゃった不気味なモノなんだ! なかったことに出来るなら今すぐ破壊したい! 家族の誰にも知られてない今のうちに破壊して忘れてしまいたい! そんな卑怯な真似をして本当に忘れられるものなら忘れちゃいたいに決まってるだろ! でも無理なんだ! 他の誰が知らなくても、わたくしは自分が馬鹿な失態を犯した上に、それをなかったことにした卑劣さを忘れられないんだから! わかってるよ! アレの存在は将来的に危険を招きかねないことぐらい! でも、だからってこの時点で『なかったこと』にするのは、ただわたくしの罪の上塗りをするだけだ・・・アレを作らせちゃダメだったのに、わたくしが馬鹿で作らせちゃったんだ・・・ミスを冒したら、そのミスを『なかったこと』にするんじゃなくて、ミスを上回る成果に転換するしかない・・・この場合、それは『ゴーント家以外で育てたらホムンクルスでも無害になる』という仮説を検証することしか無いし、その仮説が成り立たないとわかった時点でアレを破壊することまでがわたくしの義務だ。それを回避するほど愚劣な真似は出来ない」

 

 

 

 

 

ハーマイオニーは「エクスペクト・パトローナム!」と叫んで、黒猫を抱えてアズカバン島に降り立った。

 

黒猫はいやだいやだききたくないと言わんばかりの態度で、前脚で耳を塞いでいる。

 

「お察しします。でもおばさま、初孫ですよ?」

 

ちがーうとばかりにふぎゃおうと鳴く。

 

ハーマイオニー流に捕捉すると「大鍋で煮込んで出来た子は初孫じゃないわ!」であろうか。

 

「じゃあ試験管の中やプレパラートの上で出来たマグルの赤ちゃんはホムンクルスですか? 違いますよね?」

「・・・ふみぃ」

「プレパラートの上で出来た受精卵を赤の他人のお腹に入れて10ヶ月かけて育ててもらう代理母出産なんて真っ暗闇の術ということでよろしいのでしょうか?」

「・・・ふむ゛う」

「もちろん『しもべの肉』だの『敵の血』だのおぞましい表現は、これが闇の魔術であることを示していますけれど、ウィンストン家はそこに致命的な悪質性を見てはいませんでしたよね? ゴーント家を急いで壊滅させようとまではしなかった。レンはウィンストン家の義務として、もう一歩先に進んでみることにしたんです。ゴーント家の貧困や無教養の只中で育つホムンクルスと、ウィンストン家の豊富な財産を使って保護して高い教育を与えるホムンクルスの違いを検証しようとしています。ただわたしたちとしては、なにしろまだ自分自身の精神年齢が不安定なレンだけではこの検証は無理で、ご家族の全面的なサポートが必要かな、と。おばさま、いかがですか? 孫がなぜか出来たというよりも、幼い頃に日本に預けて手放さなかったレンに代わって、おばさまの手で現代的な倫理観を踏まえた紳士やレディを養育出来るんですよ? ちなみにマルフォイによると、『親』3人のうち、レンに一番似ているそうです。まあ、トムくんに似る要素なんてほとんどありませんけれど、とにかく手首から先を提供した狂犬よりもレンに似ているようですね。『ウィンストンの髪の色だし、やっと目が開いたが、ウィンストンの切れ長の目をしている。瞳の色は薄い茶色だ。白目の部分は眩しいほどに白い。あれがまさに純白というものだな!』だそうです」

 

黒猫の尻尾がピンと立った。

 

「・・・養育、お願いしても?」

 

渋々という風を装って頷いたが、真っ黒のしなやかな尻尾はピンと立ったまま、ゆらりと揺れていた。

 

 

 

 

 

23階分ほど降りた地下に魔法陣がうっすらと残っていた。

 

黒猫がハリーの脚をカリカリと引っ掻く。

 

「なんですか、おばさん?」

 

チョイチョイと前脚で魔法陣に触れ、尻尾をくねらせた。

 

「おばさま、これをメモするんですか?」

 

ハーマイオニーの問いに、黒猫はコクリと頷いた。

 

一辺が5メートルぐらいのほぼ正方形の小部屋である。その床いっぱいに展開された魔法陣が薄く消えかかっているのだ。

 

「ロン、灯消しライター持ってきている? 灯りをつけて。ハリー、この中心から右上の4分の1の魔法陣の記述をメモして」

 

パースの中からボールペンと、広めの羊皮紙を引っ張り出してハリーに押しつけた。

 

「ルーン文字よ。見えた通りに書き写していって。消えかかっているところは、空けておいていいわ。後からわたしとおばさまとで穴埋めしてみるから。ロンは灯りを維持したまま、こっちの4分の1をお願い」

 

ハリーとロンはボールペンと羊皮紙を握って項垂れた。

 

 

 

 

 

オズボーンハウスに戻るとやっと怜が変身を解いてくれた。

 

「おばさん、お茶飲んでいきますよね。熱くて濃いお茶煎れてきますよ」

 

ハリーとロンは説教の気配を感じてか、そそくさとキッチンに消えた。なにしろ2人が書写した部分に目を通した黒猫が「シャーッ」と背中を丸めて威嚇の声を上げる出来栄えだったのだ。

 

逃げたな、と思ったハーマイオニーは溜息をついて、羊皮紙3枚を更に別の1枚ものの広用紙に統合して書き写し始めた怜に「ひと休みしませんか?」と声を掛けた。「アズカバン滞在でお疲れですよね? 温かい飲み物と甘いものでお身体を休めてからにしましょう」

 

いただくわ、と頷いた怜は不機嫌そうな顔のままソファに座った。

 

「おばさま、菊池家の魔女の名前の付け方について注意事項はあります? ウィンストン家はイギリス貴族ですから、ある程度命名法則はわかるんですけど、ファーストネームは日本名だとレンが言うので、スーザンが悩んでいるんです」

「・・・菊池家の命名法則なんて・・・ああ『男でも女でも通用する名前』ぐらいね」

「え、でもレンのおばあさまは女の子の名前である『コ』がついていますよね?」

「あの年頃の日本女性にはほとんど『子』がついているわ。あの人の名前の本体は『シュウ』なの。男が生まれたらそのまま『シュウ』とか、あるいは『タロウ』をつけて『シュウタロウ』の予定だったそうよ。わたくしもあやうく『レイコ』にされるところだったけれど、母は自分がホグワーツに留学していたからもしかしたら娘、つまりわたくしも留学する可能性があると考えて、あえて『子』をつけずに本体の『怜』だけの名前にしたの。『レイコ』より『レイ』のほうが英語圏では発音しやすいでしょう?」

「レンの名前は?」

「あれは夫が・・・いえ、いくつかの候補の中に入れたのはわたくしだけれど。『ビャクレン』というカジン・・・いえ、詩人がいるの。意味はホワイトロータス。女の子だから花の名前でもいいかと思って、候補は花の名前ばかりだったわ。わたくしのお勧めは『薔子』だった。ウィンストン家のお抱えの庭師がやたら薔薇が好きな人だから」

「ショーコ? おばあさまと音が似ていますね」

「そう言って夫が却下して『蓮』を選んだのよ・・・わたくしは男の子につけられることが多いからどうかと思ったけれど、レンコもねえ。何かの理由で日本で育つことになったら絶対に『レンコン』ってからかわれそうだし、蓮が気に入らなければミドルネームを名乗ればいいかと思ってミドルネームをエリザベスにしておいたの」

「・・・こ、効率的ですね」

 

意外と適当ね? という本音は仕舞っておくことにした。

 

「そうよ。菊池家の命名法則は『男でも女でも通用する本体の漢字ひと文字を選んでおく。姓別がはっきりしたら、『子』や『太郎』をつけても構わない。蓮だって男の子だったら別に蓮太郎にしてもよかったわ」

「レンのひいおばあさまは? 薫り高いというのは女性的ですけれど」

「薫は普通に男性にも女性にもよくある名前ですもの。あれも薫子にしようとしたけれど、当時は日本が開国して間もない時代でね。身分ある子息子女の外遊が奨励されていたから、当然ながら薫も生まれた時から海外留学させる予定があったのよ。カオルコだと音が多過ぎて、変な抑揚がついてしまいそうでしょう? あ、そうね、菊池家の命名の特徴は『男女どっちでも通用する』と『日本語圏以外の国でも違和感がないように音節を少なくする』でいいと思うわ」

「あ、あの! イギリスだと、例えばファーストネームがエリザベスだったとして、孫のファーストネームもエリザベスだったりとかあるんです。レンのひいおばあさまは偉大な方ですから、グレート・・グランド・グランド・チャイルドに同じ名前を使ってもいいような気がするのですけれど」

「日本では、まったく同じ名前は使わないわね。漢字はたくさんあるから、あえてまったく同じ名前にする意味がないもの」

「確かに・・・」

「まあ、スーザンが悩んでいるのは理解出来るわ。ボーンズ家の伝統的な女性名は2種類しかないから」

「え?」

「そのボーンズ家のスーザンに、菊池家風な名付けを強制はしない。薫という名前そのままは蓮が嫌がるだろうけれど、カオルじゃなくカオリでも構わないわよ。カオリだけでも山のように漢字があるから、蓮に提案させればいいんじゃない? ただしカオリという音になると、女性限定になるわね」

 

そこへハリーとロンが山盛りのチョコレートとティーセットを捧げ持って入室してきた。

 

「ハリー、ロン。ちょっとそこに座りなさい」

 

ひっ、と2人は息を呑んだ。

 

 

 

 

 

「カオリ? アレはメスなのか?」

 

いまさら根源的な疑問である。

 

スーザンは考え過ぎて鈍く痛む頭を押さえて「一応今のところ男性器はぶら下がっていないそうよ」と答えた。「でもあなたの子だから将来的にどっちになるかは皆目わからないわね」

 

「・・・わたくしは狂犬と交配活動はしてないからな! 鍋を孕ませた記憶もない!」

 

わかってるわよ! とハーマイオニーが喚いた。「もうそこはわかってるから、建設的に考えて! 名前よ名前! 音はカオルじゃなくてカオリなのね?!」

「ダメだよ、それは女の子限定の名前だ。基本的に音節の最後がリは女の子で男はルだ、トオルとかサトルとか。でもルなら女の子でも通じる」

「ややこしいわね・・・とにかくリなら男の子にはならないのは確かね?」

 

蓮は唇を尖らせて「・・・リでも男の名前でおかしくないのもある」と呟いた。「イオリとかは、漢字にもよるけど男でも女の子でもいい」

 

「・・・わけがわからないわ。どうしてそうなるのよ、原則は何なの!」

「イオリもこの字なら『小屋』とか『粗末な建物』とか『信仰上の修行小屋』みたいな意味だからゴーント的だな。あと、こっちの字は本来はサムライの役職だったから、男でも使える。でも下の字は布地を織ることを表す。中国の伝説で彦星と織姫っていうのがいるんだ。オリヒメが女の子でこの字。だから、カオリって名前でもこの字を使うことが多くて女の子的だから、この2文字の伊織なら男でも女の子でもいいよ」

「サムライで、しかも伝説のプリンセス?」

「いや、織姫はプリンセスってほどの身分じゃないと思う。もともとは働き者だったのに牛飼いの彼氏が出来たら働かなくなったダメ女だ」

「イオリだとしたら・・・愛称は・・・『イオ』? あらいいじゃない。ギリシャ神話にも出て来るわよ、イオ」

「ああ・・・ゼウスの好色の犠牲になって、エジプトまで逃げた人。イオリ・デルフィーニア・キクチ・ウィンストンがフルネームで愛称がイオ? 不思議ね、なんだか愛着が湧いてきたわ。カンジはこちらの2文字にしましょう。中国の伝説に登場する女性で、サムライの意味も含む。小屋はあんまりだわ」

「そうよねえ・・・生まれたばかりの赤ちゃんに掘立小屋を意味する名前なんて。センスを疑うわ」

「ちが・・・庵っていうのは、小屋は小屋だけど風情のある小屋のことだよ! 座禅・・・つまり・・・瞑想? 瞑想をしたり、ティーパーティを開いたりするんだ!」

「どうして小屋でティーパーティなのよ!」

「だから、日本のティーパーティはセレモニーなんだよ。リーガンのゲロみたいなお茶を飲むための、もはやセレモニーに近い、しちめんどくさい作法がたくさんあって、そのセレモニーのために、毎回建物を建てるんだ。現代ではそこまではしないけど、大昔にはそうだったんだよ。一度限りのティーセレモニーのために、あえて粗末っぽい小さな建物を建てて、その中ではアストンマーチンより高価な道具をあれこれ使って・・・」

「・・・理解出来ないわ。どうしてたかがお茶のために」

「ハーマイオニー、レンの言っているティーセレモニーは日本の中でも上流階級の嗜みなんだと思うわ。そうでしょう、レン? あなたの書いたこのカンジ、見たことがあるわ。古い寺院などにある瞑想室を示すカンジよね? 国宝級の小屋にも使われていると思う」

 

スーザンの表現にハーマイオニーは頭を抱えた。

 

「なんなの、日本! なぜ掘立小屋が国宝なの!」

「瞑想に相応しい静謐な空間だからよ。そうでしょう、レン?」

「そういうことになる・・・気がする」

「ハーマイオニー、大丈夫よ、カンジ1文字のイオリは今回は理解しなくていいわ。わたしはカンジ2文字のイオリに決めたから。愛称もイオ。ギリシャ神話のイオが、エジプトまで逃げて、エジプト文明のイシスになった。女神の名前よ。掘立小屋は無関係」

「・・・理解出来ないわ。納得も出来ないけれど、とにかく掘立小屋は無関係なのね?」

「無関係よ。レン、そうよね? この2文字のカンジを説明して、ハーマイオニーに納得させて。ゴーントの小屋のことを忘れさせてあげて。それと、日本滞在のことも話しておかなきゃ」

 

ハーマイオニーは「は?」と顔を上げた。

 

「あのね、ハーマイオニー、この人、まだ本調子じゃないでしょう? 日本の実家近くのサンクチュアリで数日療養したほうが確実に回復出来るんですって。東洋医学的な魔法癒の主治癒もいらっしゃるし、アレクサンドル・アンドリアーノフ博士のお弟子さんだから、実家の研究室でお薬を調合してもらうことも出来るし。マルフォイ家のホムンクルスについては、とりあえず命名だけ済ませれば当分はマルフォイとダフネに任せておけるし、アズカバンに関してはあなたたちに任せるしかないわよね。難民もほとんど国外に逃がせたから一段落でしょう? いっそのこと一時的にイギリスを離れて、治療に専念したほうがいいと思うの」

「それは、そうね。そういえばマルフォイも以前言ってたわね。サクシフラガ薬のほうが魔法睡眠薬より効き目が強いのは、薬草酒や東洋医学的なものが体質的に合うんじゃないかって」

 

話題の張本人は不服そうに黙っているのでベッドに放置してスーザンが使っている個室に移った。

 

「ね、ハーマイオニー、あのホムンクルスに名付け親なんて本当に必要だと思う?」

 

スーザンが渋い表情を浮かべる。ハーマイオニーは肩を竦めた。

 

「レイおばさまにもこの件はもう報告したわ。黒猫に変身して私の抱えたバスケットの中でアズカバンへ向かう時に無理矢理聞かせたの」

「ご、強引ね?」

「とにかく一部始終を説明し終えるまで結論を口に出して欲しくなかったから。その結果、ボーンズ家の命名規則は一切使わなくていいから、とにかくレンが何か適当に付ける名前の意味を追認してあげるだけでいい・・・だそうよ? ボーンズ家の命名規則ってどんなの?」

「・・・女の子だったらスーザンかアメリアよ」

 

ハーマイオニーは黙ってしまった。

 

「だから私はスーザン・アメリア・ボーンズで、伯母はアメリア・スーザン・ボーンズなの・・・言いたいことはわかるから言わなくていいわ。短絡的よね。そういうハーマイオニーは?」

「シェイクスピアの『冬物語』の登場人物だけど、語源はギリシャ神話か何かだった気がする。単にママの好みね。ちょっと古風な雰囲気が好きなママなの」

「・・・名前なんてそんなものでよくない? あんなにいろいろ書き散らかしてまで悩むもの?」

 

そこが勝算なのよね、とハーマイオニーは苦笑した。

 

「え?」

「『名前の魔法』の応用編よ、スーザン。デルフィーニアという名前には祈りも愛も込められていない。ベラトリクスが、トムから貰ったオモチャにブラック家で使いそうな星座の名前を当て嵌めただけ。でもあのホムンクルスを一個の人格と看做して、その将来への祈りを名前に込めるのは、ホムンクルスが人間らしく育つために必要不可欠な行為だと思うわ。あのね、スーザン、1年生の時、トムくんはクィレルに取り憑いた状態でハリーに触ることが出来なかったの。ハリーの中にはお母様の血が流れているからだとダンブルドアは言ったそうよ。愛とは対極にいるトムくんは、ハリーの血の護りを突破出来なかった。この場合、トムくんが乗り移る器にレンの血が流れていることは、わたしたちにとって有利に働くとわたしは思うの。ああやってまるで新米パパみたいに名前をああでもないこうでもないって悩んじゃうような、あれはあれでもう既に一種の愛情なんじゃないかしら。その新米パパだかママだかわからないレンの血が流れているホムンクルスにトムが乗り移れる気がしないのよね」

 

スーザンは「それは・・・そうね」と諦めたように頷いた。

 

「でしょう? レイおばさまにも話は通っているから、養育の問題もかなりの部分が解決出来ると思う」

「わたしがゴッドマザーになる必要はあるの? ハーマイオニー、あなたのほうが相応しいんじゃないかしら」

「まあ、今後レンが産むか産ませるかはわからないけれど、今後子どもが出来るなら、わたしにも順番が回ってくるかもしれないわ。でもイオリのゴッドマザーはスーザン、あなたであるべきよ」

「どうして? わたしはあの子をこの世から消したいと思っているのよ?」

 

ハーマイオニーは小さく笑った。

 

「ハーマイオニー?」

「だって『あのホムンクルス』から、いつのまにか『あの子』に昇格してるんだもの。ま、つまり、そういうことよ。滾った大鍋から出てきた塊を見てるのに『あの子』って呼んじゃう人が、『あの子』には一番必要だってこと」

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