サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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閑話53 Chega de saudade

小さなテディをドーラの腕から受け取ったハリーは、肘を張って上半身をカチコチに強張らせ、抜き足差し足で窓辺に向かった。

 

朝日の射す窓辺で、眠っているテディを起こさないようにそっと囁く。

 

「エドワード・リーマス・ルーピン。僕が君の名を預かるよ。僕は君の後見人だ」

 

ハリーの言葉に続き、ドーラの友人である魔女が同じ台詞を繰り返して、テディの柔らかな髪をほんの少し濡らす。

 

その姿を見ていた怜は微かに記憶が胸を刺す痛みを覚えた。ドロメダはその怜の背中をそっと撫でて、リビングに行きましょう、と囁いた。「おばあちゃまたちはお茶でも飲んで待ちましょう」

 

 

 

 

 

「あの時のアリスに比べたら初々しいゴッドファーザーぶりだったこと」

「ハリー? まあ、仕方ないわよ。たぶん赤ちゃんを抱っこするなんて生まれて初めてだったはずだもの。プルウェット家出身のアリスと比べちゃ気の毒よ」

「子沢山家系ですものね」

 

それぞれのカップを持ち、リビングから続くテラスのガーデンチェアに腰掛けた「おばあちゃまたち」は、怜の娘である蓮の命名式の思い出を語らった。

 

「今頃は母が、蓮とスーザンの前で和紙に黒々と『菊池伊織』って書いて庵室で拝ませているでしょう」

「ああ、あれね。コンラッドったら、日本語なんて書けもしないくせに『僕が書きます』なんて言って、早くも挫折していたわね」

「筆と羽ペンは違うから無理だと言ったのに」

「蓮なら筆で我が子の名前書けるんじゃない?」

 

一応はね、と怜は苦笑した。「それほど悪筆ではないけれど、あの母のお眼鏡に適うほどではないと思うわ」

 

ドロメダはガーデンテーブルにソーサーとカップを置いた。

 

「それで? わたくしの孫の命名式だというのに浮かない顔は、いったいどうしたこと?」

 

怜は「バレたか」と小さく舌を出した。

 

「何十年の付き合いだと思うの。そのぐらいわかるわよ」

「言っても栓の無い、単なる郷愁というか慕情というか」

「いわゆるサウダードの感情?」

「そうね。ファドが似合いそうな感情・・・伊織のゴッドマザーがスーザンだと聞いて以来、よくアメリアのことを思い出すのよ。流れてしまった子がもし無事に産まれていたら、わたくしはもしかしたらアメリアにゴッドマザーを頼んだかもしれないな、とか。ね? 言っても仕方ない今更な感情でしかないの」

 

ドロメダは微笑んで「あなたももうおばあさまなのだから、そろそろわたくしにぐらいは白状なさい。アメリアがあなたにダイヤを贈る人だったの?」と怜の肩を小突いた。

 

「それこそあなたはテディのおばあちゃまよ? 孫の命名式でそんな話を聞きたいの?」

「ドーラと婿殿やその友人たちが主役。おばあちゃまたちは、一歩下がって世間話。美しい構図じゃないの」

 

怜は微かに溜息をついた。

 

「相変わらず逃げ道を許さない人ね」

「今まで問い詰めなかったことに感謝なさい」

 

愛していたわよ、と投げやりに怜は言った。「はい答えた。これでいい?」

 

呆れたドロメダは「学生時代のパジャマパーティじゃあるまいし、この程度で済む話じゃないでしょう」とカップとソーサーを手に取る。「今がいい機会だから説明なさい」

 

「いい機会なんて・・・夫は死んだ。アメリアも死んだ。わたくしが惚れる相手はどういうわけか長生きしない。それで全てよ」

「そうやって過去から逃げるのはあなたの悪い癖よ。アメリアとはどんな関係だったの? フィジカルに結ばれていた?」

「全然。愛されている自覚はあったけれど、アメリアは言葉にはしなかった。せいぜいがハグとチークキス程度。これぐらいにしてよ。キングズリーからも問い詰められ、あなたからも問い詰められ・・・何もしてないのにあんまりだと思わない?」

 

何もしてないからよ、とドロメダは撫然と応じる。

 

「は?」

「何もしてないことが信じられないほど、あなたと彼女の結びつきの印象が強い。わたくしはあなたがよく新しいダイヤのアクセサリーを身につけていることで誰かの存在を感じたわ。キングズリーは魔法省におけるあなたとアメリアの様子を知っているからでしょう。怜、ダイヤのアクセサリーだなんて友人が友人に贈るものではないでしょう? アメリアがあなたに贈ったダイヤだけでエタニティリングぐらい今すぐ作れるわよ。わたくしの計算では」

「人のアクセサリー見てそんな計算してたの? もうあなたの前にはわたくしのアクセサリーボックスは絶対持ち出さないことにする」

「茶化さないの」

 

怜は深い溜息をついた。

 

「ダイヤの意味ぐらいわかるわよ。でもわたくしはコンラッドが亡くなって、蓮が成人するまでの間はウィンストン伯爵の代理を務めなければならなかった。義父母にそこまで甘えるつもりは無かった。もちろん、アメリアとメンタルだけでなくフィジカルに結ばれても、その形を維持することは出来たでしょう。でも完全に独身のアメリアに対して、わたくしの側からそんな提案をするのはフェアじゃないわ。選択権はアメリアの側にあると思っていたから、アメリアからの行動や意思表示に委ねていた。これでいい?」

「・・・よくないわ。ねえ、怜? アメリアは本当に意思表示をしなかったの? ダイヤのアクセサリーばかり贈るなん」

 

香水もあったわよ、と怜がドロメダの言葉を遮った。

 

「わたくしがあなたにダイヤや香水を贈ったら、あなたはどう反応する?」

「普通にお礼を言って受け取るわよ。まあ、内心では? 『テッドのボーナスが高かったから大盤振舞いなのかしら?』ぐらいの疑問は感じるけれど」

「テッドのボーナスであなたなんかにダイヤは贈らないから安心なさい。あなたからは?」

「ドロメダに? アメリアに?」

「アメリアに」

「ダイヤほどではないけれど、それなりのアクセサリーや、ワイン。ちなみに、ドロメダ、アメリアからわたくしに贈られた最悪のプレゼントも聞いてくれない?」

 

ドロメダは怪訝に眉を顰めた。

 

「最悪のプレゼント? コンラッドのタランチュラのゴム模型以上に最悪なものなんて」

「タランチュラ以上に最悪ね。『新しいパートナーと共同名義で購入する不動産売買契約の委託依頼書』『不動産名義変更依頼書』最後の贈り物は『遺言執行契約書』タランチュラなんて可愛いものよ。わたくしはね、アメリアと新しい恋人の愛の巣を購入するマグル側の代理人だったし、その愛の巣をパートナーの単独名義に書き換えるマグル弁護士。最期にはアメリアの御親族の知らない財産や人間関係を整理する弁護士にさせられたの。ああ、言わなくていいわ。わたくしとの関係が行き詰まりにあると考えたアメリアが、魅力的な人と出会って、きちんとした関係を結んだことを責めるつもりなんてない。それからもダイヤの贈り物が続いたことも責めない。それはそれ、これはこれ、双方に誠実であろうとした人間性を愛していたし、愛しているわよ。腹立たしいことに。もっとみっともない、単純な恋愛をしたかったけれど、アメリアがそういう性格じゃないからこそ愛しているわ。コンラッドだってそうよ。わたくしはコンラッドと婚約するまでの間に何度も言ったわ。日本もイギリスも捨てて、アメリカで自由な魔女と魔法使いとして家庭を持つというなら今すぐにプロポーズに頷くって。まったく、どいつもこいつも、わたくしをイギリスに縛りつけておきながらさっさと死ぬのよ。はい、おしまい。今度こそ全部喋ったわよ」

 

ドロメダはしばらく黙った。

 

リビングにガヤガヤと若者たちが入って来るのが聞こえた時、やっと口を開いた。

 

「腹立たしいことにね、怜」

「なによ」

「今、うっかりするとあなたを抱きしめて『その分までわたくしがあなたを愛してあげる』と、気持ち悪いことを言いたくなったわ」

「・・・絶対やめてね。おばあちゃま同士でそんな湿っぽいことしたくないから」

「気の迷いだから、安心なさい。でもアメリアがあなたを愛し続けていた理由は、完全に理解出来た。ハーマイオニーやスーザンがレンから離れたがらない理由も芋蔓式に理解出来てしまったわ。魅力的過ぎて罪作りな親子よ、あなたたちは」

 

怜は肩を竦めた。

 

「サウダードはもうお腹いっぱいですからね。あの子たちにはもっとシンプルに生きてもらいたいわ」

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