サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第24章 望んだわけではなく生まれ落ち

ウェンディの姿現しで連れて来られた怜は、出迎えたスーザンと蓮に「しばらく休ませてもらうわ。蓮は静かにしていてね」とだけ言って、縁側から家に入った。

 

「ママ!」

 

スーザンは、それを追いかけようとした蓮のシャツを引いて止めた。

 

「おばさま。お台所のお鍋やマイクロウェーブの中に入っている料理は召し上がってくださいね。座敷にお布団も用意してあります」

 

ん、と短く答えた怜が周り縁を廻って屋敷の中に消えていく。

 

「スーザン!」

「静かに。お疲れなのよ。あなたと同じで休息が必要」

「別に疲れさせるつもりはないよ。でも話ぐらい」

「あなたもわたしも休暇。レイおばさまは休息。それを守れないなら、あなたひとりでイギリスに帰って」

 

スーザンは蓮を見つめた。

少し後ずさった蓮が「なんか変だよ、スーザン」と眉を寄せる。「ばあばに何か言われた?」

 

「おばあさまが何か指示なさったわけではないわ。わたしがそうしたいの。わたしに必要なの。おそらくあなたにも」

「わたくしに?」

「ね、日本という国に育ったあなたは、その価値がわからないのかもしれないけれど、あなたの菊池家はいったい何年前からこの土地を守ってきたの?」

「はあ? 知らないよ、そんなこと」

「じゃあ、菊池家はいつからある一族?」

「んー? 十二単からだから・・・1,000年ぐらいじゃないかな。それが?」

 

スーザンは小さく笑った。

 

「1,000年も続く一族なのに、『それが?』って・・・あなたらしくて笑ってしまうわ」

「わたくしには関係ない話だからだよ」

 

「本当に?」とスーザンは微笑を浮かべた。

 

「え・・・」

「わたしはボーンズ家に生まれた。あの伯母の姪に生まれた。菊池家やウィンストン家ほどの歴史がある家ではないけれど、わたしがボーンズ家に生まれていなかったら、ということを考えるようになったわ」

「何の話?」

「原生林を走り回って育ったあなたが、トムくんなんかのために消耗していることが滑稽に思える。そういう話」

 

そう言い置いたスーザンは昼食の支度をするために家の中に入った。

 

その時、蓮が小さく「好きでこんなことをしてるわけじゃ」と呟いた気がした。

 

 

 

 

 

台所にウェンディが入ってきた。空の食器を載せたトレイを魔法で捧げ持って。

 

「スーザンさま。奥さまはこの通り、きちんと召し上がりましたわ」

「よかった。ウェンディさえ気にしないなら、数日間はわたしが食事を用意しようと思っているけれど、あなたはどう思う?」

「ウェンディは自由なしもべですから、今はホグワーツ城の仕事をしております。スーザンさまにお願い出来るなら、とてもお喜びですわ」

 

ホグワーツの? とスーザンは玉ねぎを切る手を止めた。ウェンディが大きな耳を揺らして頷く。

 

「物事が動く時にはホグワーツで起きると思われますもの」

「・・・そうね。うん、きっとそうだわ。それはレイおばさまもご承知なのね?」

 

スーザンはスライスした玉ねぎを鍋の中で湧き立つお湯に入れた。

 

「もちろん。奥さまとご相談の上ですから、ホグワーツのハウスエルフに紛れて働いていても、お給料は奥さまからいただいておりますわ」

「だったら、ウェンディはホグワーツのお仕事を続けたほうがいいと思うわ。昨夜、シュウコおばあさまからレイおばさまがお疲れの時にはなるべく放っておくように言われているの。だからわたしは、レイおばさまがいつ起きてもいいように、今日みたいにお料理を作って台所に置いておくつもり。それ以外ではレイおばさまを煩わせない。それでどうかしら?」

 

ウェンディが魔法で出した踏み台の上に立って流しで食器を洗い始めた。

 

「そうしていただけるとウェンディは大助かりですわ。でも姫さまのお相手は?」

 

戸棚の中からコンソメを探しながら、スーザンは「姫さまのお相手をするとね、姫さまは自分のことに頭を使わず、反射的にトムくん問題の作戦ばかり考えるから、しばらく放っておきたいの」と答えた。

 

かちゃかちゃと手早く食器を洗い桶の水に漬けたウェンディが「姫さまの悪い癖がまた出ておりますのね」と笑った。

 

「また? あ、あった」

 

発見したコンソメの瓶を取り出して、蓋を開ける。

 

「だったらそうしましょう。レイおばさまのお世話はわたし。レンを無理矢理休ませるにも、レンに自分の立場を考えさせるにもちょうどいい」

「よろしくお願いいたします。姫さまが駄々をこねるようなら、そこらへんの川に放り込んでくださいませ。河童に育てられたマーメイドですから、死ぬことはございませんわ」

 

スーザンは思わず笑ってしまった。

 

鍋に顆粒のコンソメを入れて、少し皿に取って味見をする。

 

「レンは以前にも、なんというか、視野が狭くなったことがあるの?」

「大奥さまや奥さまのように観念しておりませんもの。お小さい頃はしょっちゅう『わたくしはふつうがいい!』と言ってお勉強せずに河童と泳いでおりました。河童と泳ぐ時点で普通から大きく離れているとウェンディは思うのですけれど」

 

まったくだ。スーザンはほんの少しコンソメを追加して、冷蔵庫の野菜室からパセリを取り出した。

 

「ね、ウェンディ、このパセリをほんの少し乾燥させてくれないかしら?」

「お安い御用でしてよ」

 

ウェンディが長い指でパセリの先端に触れると、1センチほど乾燥パセリになった。

 

「オニオンスープの香り付けならこのくらいですわね。仕方ないところもありますわ。奥さまも、今の姫さまぐらいの頃には、ホグワーツを卒業しても日本に帰らずにイギリスで大学に行くことで、女王の責務から逃げておいででした。ウェンディはしもべに生まれて、しもべとしてやって行くことに疑問はないのですけれど、魔女は迷うものでしてよ」

 

スーザンは冷蔵庫の最上段の冷凍室からハンバーグの写真がプリントされたパッケージを取り出してウェンディに見せた。

 

「これはマイクロウェーブで調理できるハンバーグ?」

「ご名答ですわ。800で3分加熱でございます」

 

ありがとう、と言ってスーザンはパッケージから冷凍ハンバーグを取り出し、皿に並べた。

 

「レンがそんな風に、責任から逃げて河童と泳いでいるとき、おばあさまやレイおばさまはどう接していらしたの? お説教?」

 

ウェンディは踏み台から降りて「とんでもない」と耳を揺らして首を振った。「どんなに嫌がっても、結局は自分の血から逃げることは出来ません。奥さまもそうでしたから、姫さまもそのうち諦めますでしょう」

 

スーザンはマイクロウェーブの中に皿を入れて、ウェンディに言われた通りの設定で加熱を始めた。

 

「レンはね、今はトムくんとの戦いだけを見て、自分の立場から逃げていると思うの。本来ならあんなに消耗しなくていい相手だと思うのに」

「その通りですわ。闇の帝王さんは帝王さんじゃありませんもの。自称帝王さん。奥さまや姫さまは本物の女王。自称帝王さんの始末は、たくさんある女王のお仕事の中の、乾燥パセリに過ぎません」

「わたしもそう思う。ウェンディだったら、レンをどう扱う? 自称帝王さんの始末を優先させる? それとも、今わたしがしたみたいに、乾燥パセリの問題はウェンディにお任せしてハンバーグを作りなさいって言う?」

 

ウェンディは長い指を顎に当てて「ふうむ」と思案した。

その指を1本立てる。

 

「まず第一に、ウェンディは姫さまのことを姫さまとお呼びします」

「ん? ああ、立場で呼ぶのね」

「ええ。うっかりさっぱり忘れてしまわないように、ですわ。スーザンさまはボーンズ家のお嬢さまですから、スーザンさまのお宅のハウスエルフからはお嬢さまや姫さまと呼ばれるのでは?」

「うちにはハウスエルフはいないけれど、そうね。ホグワーツのハウスエルフはわたしのことをお嬢さまと呼ぶわ。女子生徒はみんなお嬢さまよね」

 

ウェンディはチッチッと指を振った。

 

「ホグワーツ城のハウスエルフから『呼ばれる』生徒は、そうそうおりませんわよ。ハウスエルフは古い魔法種族ですから、魔法界の旧家のことは全て承知しております。ホグワーツ城のハウスエルフがお嬢さまと呼ぶのは、そういう意味です」

「・・・あ、ああ、なるほど。じゃあレンが『姫さま』なのは」

「『姫さま』は、ウェンディは菊池家のしもべとしてお呼びしますけれど、ホグワーツ城のハウスエルフはウィンストン家の影響を受けて『姫さま』と呼ぶのですわ」

 

そうね、とスーザンは溜息をついた。「そちらも旧家の中の旧家だわ」

 

マイクロウェーブの中でハンバーグを載せた皿がぐるぐる回っている。

 

「ウェンディは生まれはイギリスですから、帝王さん問題の責任がウィンストン家にあることは存じております。ウィンストン家の歴代王子が『普通』でいたがったから悪いのです」

「・・・そう」

「ウィンストン家の王子たちが王子らしくしていれば、おかしな純血妄想が蔓延ることはございませんでしたわ。『フランス宮廷に仕えた護衛魔女』や『ロシア帝室に縁のある魔女』と結婚しているくせに『ただ恋に落ちただけ』などとほざきやがる」

 

スーザンは首を傾げた。もうウェンディの口の悪さには不本意ながら慣れてしまった。

 

「本当に恋に落ちただけでは?」

「そうです。ウィンストン家の王子たちは非常にわかりやすく女好きです。それも『優秀で美しい魔女』限定で」

「あ・・・能力も含めて美しくなければ視界に入らないの?」

「そういうことですわね。王室護衛の闇祓いですから、王室の社交に出ますでしょう? そういう場所で出会う魔女はだいたい美しくて優秀です。だから『普通の男だから普通に恋に落ちた』と言わずに『外国からやってきた美しくて優秀な魔女に恋をした』と言うべきでした。そうすれば人々は『外国』を忘れることはなかったのです」

 

その時、チン、と音を立ててマイクロウェーブが止まった。

 

「つまりレンは、ウィンストン家の王子と菊池家の姫さまの間に生まれた娘。そして河童と泳いで、原生林を走り回るターザン」

「・・・嘆かわしいことにそうなのです」

 

スーザンはキッチンタオル越しに皿を掴んで取り出した。

 

「だからウィンストン家の責任としてトムくんのことを考えているけれど、乾燥パセリを他の人に任せることが出来ていない。ターザンだから」

「ターザンと河童ではお勉強が致命的に足りないのですわ!」

 

ウェンディの地雷を踏んだ。踏んでしまった。ウェンディは床に突っ伏しておいおいと号泣を始めた。

 

「ウェンディ、落ち着いて。奥さまの休養の妨げになってはいけないでしょう?」

 

すん、すん、と鼻を鳴らしてウェンディが起き上がった。

 

「ウェンディは姫さまの教育にしくじりました。本来ならこれは『ようふく』に匹敵する罪です。でも! ウェンディはもともと『ようふく』なので自分を罰することも出来ないのですわ!」

「しくじってはいないわ、ウェンディ。レンはウィンストン家の王子たちと違って、トムの問題を解決しようとしているもの。その・・・ヒトとしてのお勉強は少々不足しているけれど」

 

 

 

 

 

午後は不機嫌な蓮を連れ出し、田園地帯の散歩(という名の視察)に繰り出した。

 

「・・・なにが面白いんだ」

 

ぼそっと口にする不平にスーザンは笑って応じる。

 

「わたしがハッフルパフ生だということを忘れてない? 土地にそのまま水を張って植物、しかも主食となるオコメを栽培して収穫するなんて、とても新鮮に感じるの。大地のエネルギーに加えて水のエネルギーもオコメには蓄積されるスタイルよ。素晴らしいわ」

「日本人には当たり前のど田舎の風景だ」

「そうでしょうね。きっと1,000年前から続く景色なんだと思う」

 

スーザンは蓮の実家のある鎮守の杜を見上げた。

 

「とても効率的な構造になっているの。人類の誕生以前からある原生林、そしてそのエネルギーを受け止める祠、神に祈りを捧げる拝殿。そこから神々のエネルギーが広がり、農地を潤す」

「・・・まあ、構造はそうだけど」

「洗練された構造は、1,000年続く」

 

蓮が黙って杜を見上げる。

スーザンはその隣で静かにその横顔を眺めていた。

 

 

 

 

 

夕食を済ませて食器を洗っていると、蓮がのそりと台所に入ってきた。

 

「洗うよ」

「・・・おでこ出して」

 

ん、と蓮が前髪を上げてスーザンに向けた。その額に右手を当て、自分の額の温度と大きな違いが無いことを確かめて「調子は悪くないわね。じゃあお願い。わたしは拭いて仕舞うわ」と持ち場を譲った。

 

パジャマ代わりの長袖のTシャツの袖を捲った蓮がスポンジをぎゅっぎゅと泡立てる。

 

「スーザンの言いたいことは、全然わからないわけじゃないよ」

 

かちゃかちゃと食器を洗いながら、蓮が静かに口を開いた。

 

「トムなんかより、もっと大きな社会の仕組みを整える仕事にわたくしのリソースを使え。そういうことだよね」

「・・・そうね」

 

2人分の洗い物はすぐに終わる。

 

温水器を停めた蓮は、キッチンタオルで手を拭いた。

 

「それはよくわかってる。でもさ、トムくんが痛めつけているヒトたちは『早くコイツをどうにかしてくれ』って思ってるんじゃないかな」

「もちろんそうでしょうね」

「わたくしはどちらを選べばいいかわからないんだ」

 

蓮が小さな声で呟いた。

 

スーザンは頷く。そして言った。

 

「円卓騎士団は何のためにいるの?」

「それは・・・それぞれみんなの問題意識を提言してもらうためだよ」

 

スーザンは小さく笑った。

 

「それだけのためにいるわけじゃないわ。少なくともわたしもハーマイオニーも、それからジャスティンも、自分の未来のためだけに円卓に参加しているわけじゃないの。レンを手伝うためよ。円卓ってそういうことでしょう?」

 

 

 

 

 

それから3日、蓮はおとなしくスーザンの言う通りの規則的な生活に従った。

 

いくらか落ち着きを取り戻し、熱も出さず、咳もしなくなった頃、怜がダイニングで一緒に食事をするようになったが、蓮はもうアズカバンのことを焦って問いただすことはしなかった。

ただひと言、怜が「アズカバンは片付いたわ」と言っただけだ。

 

 

 

 

 

ブルガリアに戻った蓮の祖父からのパトローナスが来た時、スーザンは晴れ晴れと蓮に言った。

 

「そろそろイギリスに戻りましょうか。その途中でヌルメンガードに寄ればいいわ。グリンデルバルドさんにもご挨拶は必要ね」

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