魔法史のレポートを書いていると、ハーマイオニーが「それから?」と話の続きを促した。
ハリーの誕生日の翌日からフランスに出かけてしまったハーマイオニーはまだ詳しいことを聞かされていないのだ。
「あなたのお父さまには内緒よ」
言わない、とハーマイオニーは宣誓証言をするように右手を挙げた。「お宅のジャガーに妙な改造を施したなんてパパが知ったら泣き叫ぶわ」
「改造したのは母じゃなくて、フラメルのおじいさまよ。母がミスタ・ウィーズリーから提案していただいた魔術式にちょっと改良を加えて、フラメルのおじいさまに見せたの。そうしたら、おじいさまったら、一晩で改造してしまったみたい。内緒だけれど、ドクタ・フィリバスターの正体はフラメルのおじいさまなの。悪戯用品は芸術だ! って言ってる」
「・・・絶対にウィーズリー兄弟には言わないわ」
ハーマイオニーは宣誓証言の右手のままだ。
確かにくだらない悪戯用品の中に含まれている魔法には、素晴らしく複雑な発明と言うべきものがあるのはハーマイオニーも認めるのにやぶさかではない。なぜその才能をもっと建設的なことに使わないのか不思議だが。
そう言うと蓮は首を傾げた。「フラメルのおじいさまは、誰でも買える値段で、誰でも少し知恵を絞れば闇の魔術に対抗する手段になり得るものと言ったら悪戯用品に決まってるって言うわよ」
「・・・ドクタ・フィリバスターの長々花火が?」
「というより、悪戯用品でその場を切り抜ける才覚が必要なんですって。強大な魔法で戦うのは闇の魔法使いのすることだって」
ハーマイオニーは「まさか」という顔をした。
「フラメルのおじいさまによれば、その才能が一番あったのはマクゴナガル先生らしいわ」
「・・・マーリンの髭、ってこういうときに使う言葉よね?」
蓮が頷いた。「50年前には大した悪戯用品はなかったと思うから、大げさよね」
そういう問題じゃなくて! と叫びたかった。
「マクゴナガル先生の冒険の話を全部聞かせてあげたいけれど、それは卒業するまで待ちなさいって言われたわ」
「・・・その、サー・フラメルはわたしたちが卒業するまで、お元気でいられるの? 賢者の石はもう・・・」
「命の水の在庫が山のようにあるわ。日本の祖母やマクゴナガル先生や、ネビルのおばあさま、マダム・ポンフリーに配ろうとしたら、全員が要らないって突っ返したから、憤慨してた」
「誰にも譲らないんじゃなかった?」
それが、と蓮がコーヒーテーブルに頬杖をついてストローでアイスティを飲んだ。「在庫があるのは、デヴォンの家だけだと思っていたらしいの。でもリヴァプールの家にまだ山のように残っていて、あと300年生きてしまう計算に・・・」
さすがに蓮が顔を背けた。
「そ、その命の水の保管には十分な注意が払われているの? 万が一ヴォードゥモールに見つけられたら」
「秘密の守り人がうちの母なの、リヴァプールの家。うちの母を拷問にかけて口を割らせることが可能ならば危ないわね」
全然危なくない気がするのはハーマイオニーの気のせいだろうか。
「あなたのおばあさまは娘代わりだからわかるけど、マクゴナガル先生たちはどうして?」
「祖母の親友なら、フラメルのおじいさまにとっては娘と同じよ? だから、マクゴナガル先生やマダム・ポンフリーやネビルの話が大好きなの。特にネビルの失敗談を聞くと寿命が延びるって喜んでるわ。あれ以上寿命を延ばしてどうするつもりかしらね」
「・・・ネビルの失敗談で寿命が延びるなら、あと1000年は死ねないわよ」
まったくだわ、と蓮が深く頷いた。「でね、母の空飛ぶジャガーでデヴォンのロンの家に行ったの。オッタリー・セント・キャッチポール村のはずれにある、隠れ穴って名前のついた家よ。あの村の人たち、あんな芸術的な家が村はずれに建ってるのを知らないなんてもったいないわね」
「芸術的?」
「前衛芸術。たぶん子供が増えるたびに上に上に増築していったんだと思うわ。1階は割と広いの。だけれど、あっちこっちに部屋がくっついたみたいな感じで数階建てになってて、くねくね曲がってるの。ガウディが見たら絶対にサグラダファミリアをぶっ壊して、隠れ穴の拡大版を建てると思う。50世紀ぐらいかけてね」
「それ、ウィーズリー家の人たちに言ってないわよね?」
「どうして? ジョージに言ったら喜んでたわよ」
ジョージはガウディもサグラダファミリアも絶対知らないとハーマイオニーは思った。ただ、蓮がすごく感心しているのだけは感じ取ったらしい。
「わたくしと母はその夜のうちにロンドンに帰らなきゃいけなかったから、お茶だけ飲んでお暇したけれど、ハリーはホグワーツ特急に乗り込むまで隠れ穴に滞在するの。マグルからは見えない丘があるから、ジョージたちとクィディッチのワンオンワンやツーオンツーが出来るって喜んでたわ」
「魔法省から警告が来たっていうのに!」
「ハーマイオニー。厳密には箒に乗ることは禁じられていないわよ。マグル避けの魔法をかけるのが禁じられているから、ウィンブルドン・コモンで箒の練習が出来ないだけ。箒の練習したいなら、明日はコーンウォールの邸に行きましょう。ちゃんと庭までマグル避けしてあるから、いくらでも箒に乗れるわ。それにフランス旅行の間に、ハーマイオニーにグラニーって呼んでもらえるようになったって、グラニーが喜んでるし」
そうなのだ。
蓮のイギリスの祖母クロエは、なんとマグルの飛行機に乗って、ランスまでついてきた。もちろんマグルの伯爵家の夫人なのだから、優雅なマグルの服装だ。
そして、自分の実家とハーマイオニーの祖母の家がごく近所にあることを確かめて、祖母に優雅なフランス語の挨拶をして実家に帰った。正真正銘のデラクール家出身の美しい魔女に会えて祖母は大喜びし、一家がデラクール家の夕食に招かれたときには、奮発してハーマイオニーにだけはドレスローブを着せた。
クロエは何度も祖母の家を訪ね、祖母とお茶をして、イギリス料理の悪口を言い、ハーマイオニーを魔女にしか見えない観光地へ連れ出してくれた。
「蓮がランスに行ったことがないのは不思議なんだけど」
「そうね。たぶん、わたくしがランスに行くと、今度はブルガリアだのロシアだの東欧歴訪が始まるからよ。日本のおじいさま」
「シメオン・ディミトロフ」
「がライバル心むき出しになるから。おばあさまとグラニーはブルガリアにわたくしを行かせたくないの。だからグラニーはハーマイオニーと一緒にランスに行くのが嬉しいの。娘代わりもしくは孫代わりね」
「フランスのおばあちゃまとグラニーはすごく気が合うみたい。記憶にないほど昔に同じ幼稚園にいたらしいわ。それで2人とも結婚してイギリスに住んで、イギリスの、人間の食べ物とは思えない食事に耐える半生を送ったそうだから」
「フランス人はみんなそう言うわね。ペレネレおばあさまも同じ」
ハーマイオニーはしばらく考えた。
イギリス生まれのハーマイオニーとしては「そこまでひどくない」と言いたいのだが、ニコラス・フラメル夫妻がイギリスに渡ってきた400年前のイギリス料理に何か期待が持てるかと言われたら「絶望的」と答えざるを得ない。
「教科書のリストが届いていたけれど、ダイアゴン横丁にはもう行った?」
蓮は首を振った。「ハーマイオニーの予定を聞いてからにしようと思って」
「もうあまり残り日数がないから、今夜にでもパパとママに聞いてみるわ。そしたらフク・・・電話する」
グリンゴッツの前で待ち合わせた時間には、ハーマイオニーと両親はもう両替も金庫への貯金も済ませていた。
「ああ、アーサーの好奇心の餌食に・・・」
見ると、ミスタ・ウィーズリーが「エスカペーター」の利用法について盛んにグレンジャー夫妻に話しかけ、その傍らに赤毛の一族がひとかたまりに立っている。
双子の片割れ、ジョージ・ウィーズリーが目ざとくこちらに駆け寄ってきた。
「やあ、レン、それからレディ・ウィンストン、お久しぶりです」
「久しぶり、ジョージ。なんだかあなたたち薄汚れてない?」
「フルーパウダーさ。煙突飛行粉。ロンドン住まいの君たちと違って僕ら全員がデヴォンからマグルの交通機関使ってたら破産しちまうよ」
「ターコイズブルーの車がなかった? あれ、検知不可能拡大呪文も使ってあるから、あなたたちご家族全員乗れるでしょう?」
母の疑問にジョージは礼儀正しく「お言葉ですが、レディ。僕らの親父殿の運転技術が、真昼のマグルのロンドンで人に見られず降り立つことが出来るレベルかどうか、母が甚だ疑問だと主張しまして」と言いながら、グレンジャー夫妻を問い詰めるミスタ・ウィーズリーを指差した。今度はグレンジャー家に何台のエスカペーターがあるのか調査している。「我々がいくら忠実な息子でも、止めざるを得ない」
「確かにそうね。賢明なご子息大勢に恵まれて羨ましいこと」と母が可笑しそうに笑った。
グレンジャー夫妻の救出に母が向かうと、ジョージが「君には魔女っぽい服装より、マグルの格好が似合うな」と声をかけた。
「それ制服が似合わないという意味?」
「いや、制服は似合ってるよ。でも、ダイアゴン横丁を見てみろ。時代錯誤なのばっかりだ」
「そういえば、去年マルフォイの母親を見たけど、さすが歴史あるマルフォイ家、中世から進化していなかったわ」
「君にああいうドレスは似合わないって意味だよ。スタイルの良さが隠れる」
「・・・ありがとう? ね、何か企んでる?」
蓮は手早くジーンズのポケットに手を入れて、ドクタ・フィリバスターの新商品「時限スイッチ付き花咲か花火」が隠れていないか確かめたのだった。
「何も隠してなんかないよ!」
「時限スイッチ付き花咲か花火をいち早く試す実験台にされたかと」
「ドクタ・フィリバスターの新作か? あとでフレッドと一緒にギャンボル・アンド・ジェイプスに行かなくちゃ」
1時間後にまた書店で待ち合わせる約束をして、一団は解散した。
グレンジャー夫妻をミスタ・アーサーから護衛する役目を母が引き受けてくれたので、蓮もハーマイオニーもハリーやロンと一緒に横丁を散策することにした。
「そういえば、レンは新しい箒を買わないのかい? ばあさんのお古だって言ってたろ」
馬鹿ねロン、とハーマイオニーがロンの肩を小突いた。「レンの飛びっぷりを見て新しい箒が必要だと思う?」
ハリーが「思わない」とキッパリ言った。「あの箒は最高だ。僕、わかるよ。うまく言えないけれど、新しい箒だからすごいってわけじゃないんだ。乗りこなすのも相当体力使いそうだけどね」
「そうかな? レンが最新の箒に乗ったらもっといいんじゃないか?」
「違うんだ、ロン。レンのクィディッチの才能は確かだけど、レンの場合、箒とレンが完璧に一体になってるのがわかるんだ。今さらニンバスに替えたってレンには物足りないと思う」
ハーマイオニーがウンウンと頷いた。
「あ、ぶらぶらしてるうちにもうすぐ1時間よ。フローリシュ・アンド・ブロッツに行かなきゃ」
ハーマイオニーは書店の中で蓮が行方をくらましたことに気づかず、ハリーやロンと一緒にミセス・ウィーズリーの近くに陣取っている。
「君はサイン会に行かないのかい?」
背の高いジョージのローブを後ろから掴んで隠れていると、ジョージが戸惑いがちに声をかけた。「魔女はみんなロックハートのファンだと思うけど?」
「わたくし、挿絵写真の胡散臭い作り笑いが吐きそうなほど嫌い。こんなの教科書にされたら、毎時間闇の魔術に対する防衛術では吐き気と戦うしかないと絶望してるわ。サイン会だなんて絶対に無理」
「あ、ハリーが捕まった」
「・・・ロックハートに?」
「有名人だからな。一緒に日刊予言者新聞の記者に写真撮られてるよ」
同行していなくてよかったと蓮は心底から思った。
「この9月から、私はホグワーツ魔法魔術学校にて、闇の魔術に対する防衛術の担当教授職をお引き受けすることになりました!」
安心は長くは続かなかったが。
「なんですって?」
歓声にかき消されそうな声だったが、ジョージは聞き取って「あいつが防衛術の教授だってさ。君、洗面器抱えて授業受けろよ」と肩を叩いてくれた。
「なにやってるの」
やってきたハーマイオニーがジョージの背中に貼りついた蓮を見て怪訝な顔をする。
「ハーマイオニー、そっとしといてやってくれ。レンは今、ロックハートの授業に1年間耐えなきゃいけない絶望と戦ってるんだ」
「絶望ですって! まあいいわ、レン、マルフォイが来てるの、またハリーやロンと喧嘩になるといけないから、来てくれない?」
そのとき、鼻にかかった気取った発音の男の声が聞こえてきた。
「これは、これは、アーサー・ウィーズリー」
ルシウス・マルフォイだった。
蓮は天井を仰いで片手で顔を覆った。
「ウィーズリー、こんな連中と付き合っているとは」
「黙れ!」
ミスタ・ウィーズリーがマルフォイに飛びかかった。
「やるな、パパ」
「アーサー、ダメ! やめて!」
書店じゅうが、突然の乱闘に沸いた。
「静まりなさい!」
毅然とした声が響くと、蓮は首を縮めた。
ひゅひゅっと鮮やかな杖捌きで、掴み合っている中年男性2人を引き離すと「いい年したオッサンが公衆の面前で乱闘だなんて見苦しい。アーサー、身なりを整えなさい。マルフォイ、クズは失せなさい」と端的に指示した。ギラギラする目で睨まれてもどこ吹く風だ。「聞こえなかった? わたくしが命じたの、マルフォイ。失せなさい」
マルフォイは、唇から血を流しながら、くるりと踵を返した。
フレッドとロンが口笛を吹いた。ジョージは「君のママ、マジでクールだ」と頭を振る。
もちろんそうは思わなかったミセス・ウィーズリーが金切声をあげる。
「アーサー! 子供たちの前でなんて良いお手本を見せてくれたの! しかもグレンジャーご夫妻の前でなんて! 魔法使いが野蛮だという印象を与えたら取り返しがつかないことよ!」
「奥さま、ご主人は我々の名誉のために憤ってくださったのですから、そうお責めにならず。さあ、気分直しに子供たちを連れてパブに行きませんか? ファイア・ウィスキーで乾杯しましょう。子供たちはバタービールで」
ミスタ・グレンジャーがミスタ・ウィーズリーを立たせ、ローブの襟を立ててやりながら、明るく提案した。
「君のパパもなかなかだな」
にやっとロンがハーマイオニーに笑いかけた。
「ハーマイオニー」とハリーが漏れ鍋で声をかけてきたとき、何を尋ねられるのかハーマイオニーにはわかっていた気がした。
「さっきからジョージとレンがずっと一緒なんだけど?」
「ジョージの努力の成果だから、放っておきましょうよ、ハリー」
「やっぱりそうなの?」
「ジョージのほうからはね。レンはそんなこと気づいてないわ。書店でも一緒にいたけれど、2人仲良くというよりも人混みからの肉盾にしていた感じね」
ロンが「マーリンの髭だぜ、まったく」と呟いた。「あの2人が結婚したら、僕はレンを姉ちゃんって呼ぶのかい?」
気の早い、とハーマイオニーは思ったが、ハリーはそうは思わなかったようだ。
「いいなあ。僕、君の兄さんたちみたいな兄弟も欲しいけど、レンやハーマイオニーみたいな姉さんも欲しい」
ゴフッとハーマイオニーはバタービールを噴き出した。
隣でジニーはジョッキごと床に転がった。
「えーと、ハリー?」
「ん?」
「それ全てが可能になる方法・・・もちろんそんな深いこと考えていないわよね。いいの、気にしないで」
「僕、何か変なこと言った?」
ハリーとロンが顔を見合わせたが、2人とも互いに首を傾げるだけだった。