サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第6章 壁の中から響く声

10月がやってきた。

グリフィンドールのクィディッチチームは、オリバー・ウッドの情熱に引っ張られて、嵐の日も練習を重ねた。

スリザリンの練習を偵察に行ったフレッドとジョージの話ではニンバス2001で揃えたスリザリンチームはピッチ上を飛び回る緑色の風にしか見えなかったとか。

それを聞いたメンバーの表情は一様に暗かった。

 

蓮はずぶずぶに泥をつけたまま、3階の女子トイレに行った。いつも水浸しのこのトイレなら、水をはね散らかして髪を軽く洗っても手足を洗っても気にする人間はいないはずだ。

 

トイレには珍しく(マートル以外の)先客がいた。

 

「ジニー?」

 

洗面台に屈み込むようにしていたジニーに声をかけると、ジニーが弾かれたように飛び上がった。

 

「え、あれ? れ、レン?」

「どうしたの? 気分でも?」

 

ジニーは真っ赤になり、返事もせずに飛び出していった。

蓮は肩を竦め、空いた洗面台の蛇口の下に頭を突っ込んで、短い髪をじゃぶじゃぶと洗った。呼び寄せ呪文でタオルを呼び寄せて頭をゴシゴシ拭いていると、ふわふわとマートルがやってくる。

 

「ハイ、マートル」

「また来たの? 最近よく来るわね」

「クィディッチの練習がハードでね」

「わたし、あなたにお願いがあるからちょうどいいわ」

「・・・お願い?」

 

頭を拭く手をぴたりと止めた。嫌な予感しかしない。

 

「もうすぐ、ほとんど首無しニックの絶命日パーティがあるの」

「それは・・・パーティ? だったら、おめでとう?」

 

マートルは蓮の腕に鳥肌が立つのも構わずに擦り寄ってくる。

 

「ま、マートル?」

「わたしとパーティに出席してくれない? パートナーがいないとまたピーブズに馬鹿にされるわ。50年もゴーストでいるくせに友達もいないって」

「あー、マートル。わたくしは一応レディのつもりだから・・・男の子のほうがパートナーには相応しいんじゃないかしら?」

「わたしはあなたがいいの!」

 

マートルは叫ぶと高く舞い上がり、蓮は顔色を変えた。泥汚れを洗い流したいとは思っていたが、トイレの水はかぶりたくない。

 

「わかった! わかったわ、マートル! よろこんでパーティに同伴させていただきます! だから落ち着いて!」

「みんなわたしを馬鹿にして! 太っちょマートル、ブスのマートル、にきび面を抜かしてるよだなんて!」

「わたくし、そんなこと言わないでしょう?」

 

そうよ、といきなり態度を変えてマートルは舞い降りてきた。「だからわたしは昔からあなたが好きなの」

 

肩にマートルのひんやりした頭を感じながら、蓮は「今年もパンプキンパイはお預けか」とうな垂れたのだった。

 

 

 

 

 

「絶命日パーティ?」

 

ハーマイオニーの頓狂な声に、なぜかハリーではなく蓮が、ゴフ、とスポーツドリンクを噴き出した。

 

軽く水洗いして寮に戻り熱いシャワーを浴びて着替えた後のスポーツドリンクは、いつもなら幸せの味がすると主張する蓮だが、今日は喉に詰まるらしい。

 

その背中をトントンと叩きながら「生きているうちに招かれた人って、そんなに多くないはずだわ。面白そう!」と言うと、ロンは顔をしかめて「自分の死んだ日を祝うなんて悪趣味じゃないか?」と反論する。

 

「そんなことない、と思うけど。ねえ、レン?」

「あー。絶命日パーティには、確かにあまり生きている人間は招かれないと思うわ」

「でしょう? みんなで行きましょうよ、ほとんど首無しニックの、なんというか、ものすごさを知らしめるために」

 

ハーマイオニーの提案に、蓮は片手で顔を覆った。「いずれにしろ逃げ道はなかったか」と呻きながら。

 

「レン? どうかしたのかい?」

 

ほとんど首無しニックからの招待にまんまと応じてきたトラブル運び屋ハリーが首を傾げる。

 

「わたくしも行くことになってるの・・・その・・・マートルのパートナーとして」

「・・・あなた、一応女の子よ?」

「わたくしもそう言ったんだけれど、マートルの誘いを断ることがどんなに困難かわかるでしょう?」

「レンって、そのマートルっていうゴーストには弱いのかい? ピーブズでさえ顎で使える君が?」

 

ロンの言葉にハーマイオニーが頭を振った。

 

「マートルは、レンに対してなんだか他のゴーストと違うのよ。他のゴーストはレンに対して、礼儀正しい感じだけど、マートルはたぶんレンのことを、愛してるんじゃないかとさえ思うわ」

 

ハーマイオニーの説明に、当の蓮は遠い目になった。「ふっ。生まれて初めてのパーティのパートナーが、嘆きのマートル・・・わたくしの人生の先行きは明るいわ・・・」

 

あまりに気の毒で、ハーマイオニーはその肩をポンポンと叩き、ハリーとロンは急いで「僕たちも一緒に行くんだから、まだいろいろ終わったわけじゃない! 絶命日パーティのパートナーなんてノーカウントだ!」と慰めるしかなかった。

 

 

 

 

ハロウィンが近づいた日の朝食の席に、フクロウが落としていった包みは、グランパのドレスローブを、魔法で蓮のサイズに合わせたという包みだった。

 

ついてきたメモの字は震えている。

母は大爆笑しながらドレスローブを準備したに違いない。頼んでもいないドレスローブを送ってくるなんて。

 

「・・・そんなに娘の不幸が嬉しいですかそうですか」

 

あら違うわよ、とドレスローブの包みを開けていたハーマイオニーとパーバティが口を揃えた。「面白いのよ」

 

「顔がそれなのに、いや、それだからこそかしら、マートルに愛され過ぎて面白い」

「よくグリフィンドールの寮の女子浴室にも来るわよね。最近、監督生の浴室には出なくなったってレイブンクローのペネロピー・クリアウォーターが喜んでるらしいわ」

「あ、それ、わたしも聞いたことあるわ。レイブンクローの監督生や首席になると、なぜかマートルにお風呂を覗かれるって」

「覗いた挙句に『あなたじゃないわ!』って怒り出すんでしょう? いい迷惑よね」

「今はレンが『なぜグリフィンドールなの?』ってお風呂で問い詰められてるけど」

 

他人事だと思って言いたい放題だ。蓮は溜息をついて「紅茶を」と呟いた。すると目の前に程よく茶葉が開いた、飲み頃の紅茶が1人用のガラスのティーポットで出てくる。

まったくホグワーツのハウスエルフは優秀だ、と蓮は思い、重要なことに思い至った。

 

ーー絶命日パーティの食事はいったい?

 

慌ててグリフィンドールのテーブルを見渡す。

リー・ジョーダンやフレッド・ウィーズリーと談笑するジョージが目に入った。きっとあの3人ならばハウスエルフから食べ物を頂戴するぐらいのことは経験があるはずだ。

 

 

 

 

 

寝室を抜け出す蓮の気配にハーマイオニーはベッドの中でパチリと目を開けた。

 

朝からジョージと話し込んでいたと思えば、今度は夜間外出とは。パーバティを揺り起こし「レンが出てったわよ、きっとジョージだわ」と囁き、2人で談話室への階段を降りる。途中で足を止め、耳を澄ますと「ジョージ、ありがとう」と囁く声が聞こえてきた。

 

「いや大したことないさ。ところで君、夜に外出して平気なのかい?」

「透明になれるから」

「もう目くらましが使えるのか?」

「ジョージにもかけましょうか?」

「いや、いい。2人とも透明だと危ないだろ? 俺はこのままで、フィルチやミセス・ノリスにでくわしそうな時だけ頼むよ」

 

ひゅう、とハーマイオニーの後ろでパーバティが小さな息を立てた。「ジョージったらエスコート気分よ」

 

ハーマイオニーも軽く頷き、2人が出ていく肖像画の扉が閉まったあとで階段を上って部屋に戻った。

 

「で、レンとジョージ・ウィーズリーってどうなってるの?」

 

寝室に戻った途端、パーバティがハーマイオニーのベッドに枕を抱えて上がりこむ。

 

「どうにもなってないわよ。少し距離が縮まった感じはあるわ。何か気にかかることをジョージに質問するぐらいには。でもレンって、あのとおりの朴念仁だし、ジョージも別に女の子と簡単に付き合いたがるタイプでもないから、ただそれだけよ」

「ウィーズリーの双子の見分け、つく?」

 

パーバティの質問にハーマイオニーは肩を竦めた。「2人並んで会話してると区別出来るわよ。少し性格が違うから。でもたぶんあの2人が本気で入れ替わったら区別出来ないと思う」

 

「レンってジョージを見分けてる気がしない?」

「そうなの。わたしもそれが不思議。見分け方を聞いたけど、特別な見分け方はないみたい。ただわかるんですって」

「変に勘の鋭いレンならわからないでもないけど、やっぱりジョージってレンの中でも特別な気がするわ。わたしとパドマは、そんなに似てないでしょう?」

「まあ、似てないわけじゃないけど、フレッドとジョージほどじゃないわね。あの2人は、自分たちでも見分けられないように似せ合ってるところもあるし。あなたとパドマはそもそもレイブンクローとグリフィンドールに分かれるぐらいだから、どこかタイプが違うわ」

「レンってたまにパドマに着替えを持ってきてって頼むのよ」

「はい?」

「まあ、クィディッチの練習中に遠目に見て咄嗟に頼むからでしょうけど。『パーバティ! 更衣室に替えのローブ置いといて!』って」

 

ハーマイオニーはベッドに転がって笑い出してしまった。

 

 

 

 

「はい姫さま。ニコラス・ド・ミムジー・ポーピントン卿の絶命日パーティのお料理はハウスエルフがお引き受けなさいました!」

「ハロウィンパーティの支度もあるのに大変ね。絶命日パーティのお料理はいったいどんなものを?」

 

隣のジョージは、ふかふかと座り心地の良い椅子の背に背中を預けて、かぼちゃジュースやサンドイッチを堪能している。

 

「はい! 魚を腐らせ、真っ黒焦げに焼き上げたケーキ、スコットランドのハギスは香辛料のせいで腐るのに時間がかかりますから蝿をたからせて蛆が湧くようになさいました! もちろんチーズは青カビでなく緑のカビをふわふわに育てていらっしゃいます!」

 

ジョージが、ボトッと食べかけのサンドイッチを落とし、慌てて他のハウスエルフがそれを片付け、新しいサンドイッチの皿を用意しようとしたが、ジョージが止めた。「ああ、もういいよ。十分食べたから」

 

もう何時間も前に夕食を済ませた蓮も、胃の中で何かが踊り出しそうな気がした。

 

厨房を出ると、ジョージはローブの背中を掴んでいる透明の蓮に向かい「人間の食べ物は出ないと覚悟しとくべきだな」と囁いた。

 

「パーバティに今年もテイクアウトを頼むことにするわ」

 

そのとき、蓮の比較的性能の良い耳が遠くから響く声を聞き取った。

 

『引き裂いてやる・・・八つ裂きにしてやる・・・殺してやる!』

 

体中が粟立つ。氷のように冷たい声だ。

蓮がよく知る蛇は、こんなに冷たい声では話さないが、間違いなく蛇語だ。

 

ジョージを急かして、2人はグリフィンドール塔に駆け戻ったのだった。

 

「な、なんだい急に」

 

息を荒げたジョージに「ピーブズが血みどろ男爵に怒鳴られてるのが聴こえたの。八つ当たりされちゃたまらないわ」と嘘をついた。

 

 

 

 

部屋に戻ってきた蓮は顔色が悪かった。

 

「ちょっと! なんて顔よ? ジョージ・ウィーズリーに何かされたの?」

「え、ジョージ? いいえ、何も。ただ、そうね。絶命日パーティのメニューがわかったから」

 

ハーマイオニーはパタパタと手を振った。「そんな顔色になるメニューは聴きたくない」

 

「わたくしもあまり言いたくはないけれど、これだけは言わせて。パーバティ、ハロウィンパーティのご馳走のテイクアウトが今年もわたくしとハーマイオニーには絶対に必要みたい」

 

はあ、とパーバティが溜息をついた。「手のかかるルームメイトだこと」

 

その夜、蓮は遅くまで手紙を書いていた。

 

机のランプの灯りに目を細めながら、ハーマイオニーは今年もトラブルに見舞われるのだろうな、と諦観の溜息をつく。

 

「レン?」

「ああ、眩しい? ごめんなさい、もうすぐ終わるわ」

「いいけど、急ぎの手紙?」

「ええ。ちょっと日本の祖母に聞きたいことがあって。さすがに日本まで飛ぶとなるとフクロウにも早めに持たせなきゃ」

 

よし、と手紙を読み返した蓮がランプを消した。


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