サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第7章 最初の犠牲者

真っ黒な、ひょろりと細長い蝋燭が真っ青な炎を灯し、地下牢への道を照らしている。

 

制服のローブで隠しているけれど、蓮は家から送られてきたドレスシャツにシルバーのベスト、真っ黒のドレスローブにブラックタイでまとめていて、ハーマイオニーとしては余計にマートルに愛されてしまうのではないかと気が気ではない。

 

だからといって、ハリーやロンのようにただの制服姿では・・・たぶんマートルの機嫌を損ねてしまうだろうから、難しいところだ。

 

「親愛なる友よ、このたびは、よくぞおいでくださいました・・・」

 

沈痛な面持ちのニックが羽飾りの帽子を脱いで、4人を中に招き入れるようなお辞儀をした。しかし、蓮はここで中に入るわけにはいかない。

 

「ニコラス卿、わたくし、本日はマートルのお招きで伺いましたの。マートルはどちらに?」

 

制服のローブを脱ぎ、シックな黒のドレスローブ姿になると、ニックは目を丸くした。「レディ、マートルのために男装まで・・・」

 

ふわふわと白いワンピース姿のマートルが入り口にやってきた。「ハイ、マートル。トイレとお風呂以外で会えて嬉しいわ」

 

「ふうん、やっぱり男の子の格好がよく似合うわ。わたし、昔からそう思ってたの。縮んでなければもっと良かったけど、縮んでもわたしとあまり身長変わらないわね」

 

クスリと嬉しげに笑いながら、恥ずかしげに蓮に寄り添う。

ハリーが無邪気に首を傾げた。

 

「マートル、君にとっての昔っていったい何年前?」

「30年? 50年だったかしら? わたしが生きてた頃よ」

 

ハーマイオニーは何度もハリーの足を踏みつけたが、残念ながらロンには通じなかった。

 

「じゃあ人違いだ! だって僕ら生まれてないもの!」

「わたしだって死にたくて死んだわけじゃないわ!」

 

マートルは高く舞い上がり、ハーマイオニーは額を押さえて溜息をつき、蓮は片手で顔を覆った。

 

「ロン! レンの努力を台無しにして! せっかくマートルが上機嫌だったのに!」

 

いやはや、とニックが頭を振った。「いずれ戻ってくるでしょう。皆さんはどうぞお楽しみください」

 

楽しめる自信はハーマイオニーにはとてもなかった。隣を歩く蓮の腕にせっかくなので腕を置き、エスコートされる気分を味わってみるが、どこからともなく漂ってくる腐敗臭が気分を台無しにする。

 

「レン、この匂い、地下牢独特の何かなの?」

「ディナーの内容は知りたくないって言ったでしょう。だから言わなかったの」

「・・・つまり、ゴーストが味わえるほど強い風味をつけるために、その・・・」

「ハーマイオニー。それ以上は言わないでね。パーバティが持ち帰ってくれるご馳走が台無しになるから」

 

誰かと目が合うたびにニコリと微笑む蓮は確かに社交の経験が4人の中で一番ありそうだが、とにかく蓮に挨拶に来るゴーストが多すぎた。

 

「これは姫、ではありませんかな? ウィンストン家の姫君にお出ましいただいたとニコラスが申しておりましたが」

「少々込み入った事情がありまして、こんな格好ですが、レン・エリザベス・ウィンストンですわ、サー」

「パトリック、パトリック・デレニー・ポドモアと申します、レディ。どうぞお見知りおきを」

 

あああなたが、と蓮が微笑みを深めた。「あなたに是非伺いたいと思っておりましたの。わたくしの友人のニコラス卿がなぜ卿の首無しクラブに参加出来ないのか」

 

ポドモア卿は蓮とハーマイオニーの目の前で、右手で首を持って見せた。

危うく叫びそうになったハーマイオニーだったが、蓮の左腕を掴んで耐えた。

 

「この状態になければ、首投げ騎馬戦や首ポロといったスポーツに参加いただけませんからね」

「なるほど」

「ご理解いただけて何よりです」

「ところで、スポーツは参加するだけに意味があるとお考えですの?」

「・・・は?」

「わたくしもこちらのミス・グレンジャーも、サマーホリデイにはヒースフィールドの乗馬やポロのクラブに参加いたしますが、必ず賭けをしながら観戦なさる紳士淑女の皆さまがいらっしゃるものですわ」

 

ーー乗馬クラブ? 誰が?

 

頭に疑問符をいっぱいに浮かべながらもハーマイオニーは微笑み続けた。

 

「この紳士の国では、観戦して賭けをすることに意味を見出せないクラブに存在価値はありませんの。おわかりかしら?」

「は、いや、しかしですな」

「あら、わたくしに『しかし』とおっしゃる?」

 

ポドモア卿がぎゅっと目を閉じた。「特別にニコラス卿の参加を認めざるを得ませんでしょうな!」

 

「あら、特別とおっしゃらず『ほとんど首無し』の紳士方や、あらゆるゴーストの紳士淑女の参加をお認めになれば卿のクラブももっと繁栄いたしましてよ」

 

ポドモア卿が去り、しばらくするとハリーとロンを連れてニックがスルスルとやってきた。

 

「素晴らしい! 素晴らしいお手並みですぞ、姫さま!」

 

ありがとうニック、と蓮が震える声で囁いた。「失礼だったらごめんなさい、わたくし、ちょっと気分が・・・」

 

「これはいかん! ゴーストの集団にあれだけ囲まれていては生者の体に良くないことを忘れておりました。どうぞ寮にお戻りになってお休みください」

 

ハーマイオニーは軽く首を傾げた。ずっと蓮と並んでいたが、ハーマイオニーの気分はそれほど悪くない。良くもないが。

 

「蓮?」

「ごめんなさい、ハーマイオニー。わたくし、寮に戻るわね」

「だったらわたしも戻るわ。ハリーもロンも、たぶん戻るって言うわよ。なにしろ目的は達成したんだから。あなたが」

 

クローク代わりの手錠コレクションの中からレンの制服のローブを取り出して着せると、蓮が青い顔で「ありがとう」と微笑んだ。

 

 

 

 

玄関ホールに出る階段を歩きながらロンが「マーリンの髭にもほどがあるぜ」と嘆息する。

 

「ありがとう、レン。僕らもポドモア卿に頼んだんだけど、首が落ちてないからダメの一点張りだったん」

 

言いかけたハリーが足を止めた。

 

『引き裂いてやる・・・八つ裂きにしてやる・・・殺してやる』

 

「ハリー」

 

蓮が声をかけるがハリーは「ちょっと黙ってて」と石の壁に耳をつけた。

 

『腹が減った・・・』

 

「聞こえる?」

「ハリー、聞かなくていいから!」

 

蓮が苛立った声をあげる。ハーマイオニーとロンがわけもわからず顔を見合わせていると、ハリーが「こっちだ!」と叫びながら階段を駆け上がっていった。

 

「ハリー!」

 

蓮がそれを追い、ハーマイオニーとロンが戸惑いながらついて行った。

 

 

 

 

3階をあちこち駆け回るハリーが、最後の誰もいない廊下に出たとき、やっと立ち止まった。蓮がその肩に手をかける。

 

「ハリー、説明するから、とにかく今夜は寮に」

 

そのときハーマイオニーが奥の壁を指差した。「見て!」

 

 

秘密の部屋は開かれたり

継承者の敵よ、気をつけよ

 

 

「なんだろう、下にぶら下がってる」

 

微かに震える声でロンが呟いた。

壁の文字に少しずつ近づきながら、4人は文字の下の暗い影に目を凝らした。

 

真っ先に気づいたのは蓮だ。「離れて!」

 

残りの3人を腕で押し留め「ミセス・ノリスよ」と囁く。

 

「・・・ここを離れよう」

 

しばらくの沈黙のあと、ロンがきっぱりと言った。「ここにいるところを見られないほうがいい」

 

しかし、既に遅かった。

 

ハロウィンパーティが終わって、大広間から生徒が出てきたのだ。パーティの高揚からくるざわめきが潮騒のように4人を包み、動けずにいる一瞬に生徒たちが廊下に溢れた。

 

生徒の1人がぶら下がった猫に気づいた途端、沈黙が生徒たちの群れに広がった。その傍らで、4人は廊下の真ん中に取り残されていた。

 

そのとき、重苦しい沈黙を破って誰かが叫んだ。

 

「継承者の敵よ、気をつけよ! 次はおまえたちの番だぞ、『穢れた血』め!」

 

ドラコ・マルフォイだった。

人垣を押し退けて進み出たマルフォイは、ぶら下がったままびくともしない猫を見て、ニヤっと笑った。

瞬間に、口に大きな×印を記されて声が出なくなった。

 

「使うべきでない言葉を何回使うの? トロール・ボーイ」

 

 

 

 

 

第一発見者ということで、フィルチや教職員に囲まれながらダンブルドアに呼ばれてロックハートの部屋に入った。

 

ミセス・ノリスの動かない体をダンブルドアとマクゴナガル先生がくまなく調べている間、蓮は頭痛と戦っていた。なにしろロックハートが異形変身拷問だの、ウグドゥグの事件だの、未然に防いだ殺人事件だのを自慢げに語るのを延々と聞かされているのだから。

 

取り乱すフィルチにダンブルドアは「アーガス、猫は死んでおらんよ、石になっただけじゃ」と教えた。

 

「あいつがやったんだ!」

 

フィルチはハリーを指差した。

 

ハリーが強張った表情で「僕がやったんじゃありません!」と大声で言うのを、皆が見つめていた。

 

「校長、一言よろしいですかな?」

 

スネイプの声にハリーの緊張がますます高まるのがわかる。

 

「ポッターもその仲間も、単に間が悪くその場に居合わせただけかもしれませんな。とはいえ、一連の疑わしい状況は存在します。だいたい彼らはなぜ3階の廊下にいたのか。なぜドラコ・マルフォイに、あのような、軽微とはいえ不名誉な、マグルの幼児が好むウサギのような×印を記したのか」

 

蓮は肩を竦めて立ち上がった。

 

「わたくし、なぜか3階女子トイレのマートルから、ニコラス・ド・ミムジー・ポーピントン卿の絶命日パーティに招かれましたの、パートナーとして。さすがに生者が1人では心許ないので友人も誘いました。ですが、マートルがちょっとしたことで気分を害してしまったので、探していたのですわ。そして、あの現場に遭遇しました。すると、マルフォイがなぜかわたくしの友人を指して『穢れた血』などと良識ある魔法使いとも思えない言葉を叫びましたの。確かわたくしの記憶する限り、新学期が始まって2回目です。いささか悪質だと思い、黙らせました」

「黙らせる? そのような罰を与えるのは我輩の仕事だが?」

「あんなことが罰のうちに入ります? 邪魔だから黙らせただけですが? キャンキャンキャンキャンとチワワみたいに騒ぐしか能のない輩が、あのような犯罪が行われた現場を個人的な偏見から混乱させるのは先生方にもご迷惑でしょう。黙らせるのがスネイプ先生のお仕事だとおっしゃるならば、間違いなく黙らせてくださいませ。よろしいですか? スリザリンの少年が、グリフィンドールのマグル生まれの少女を『穢れた血』と罵ったのですよ。スネイプ先生、お許しになりますの?」

 

スネイプと蓮はしばらく睨み合っていた。

 

「・・・いや、許さぬ。スリザリン寮の名誉を汚す行為であることに違いはない」

 

ふっとスネイプが不敵な笑みを見せた。

 

「しかし、校長。ウィンストンが全て真実を話しているようには我輩には思えませんな。全てを正直に話す気になるまで、4人のうち、ポッターとウィンストンをクィディッチチームから外すのが妥当かと」

 

これに素早く反応したのはマクゴナガル先生だった。「わたくしには、ウィンストンとポッターが箒の柄で猫を叩いたわけでもなければ、石化の呪いをかけた証拠があるわけでもないのに、クィディッチの参加を議論のテーブルに載せることは、あまりに恣意的に思われますわ。ご立派な箒を7本もお持ちなのですから、クィディッチにまで口を出さずともよろしいと思いますがね」

 

「私の猫が石にさせられたんだ!」

 

ダンブルドアがマクゴナガル先生とスネイプを見て嘆息すると、フィルチに「アーガス、君の猫は治してあげられますぞ」と優しく言った。「スプラウト先生が最近やっとマンドレイクを手に入れられてな。十分に成長したら、すぐにもミセス・ノリスを蘇生させる薬を作らせましょうぞ」

 

「私がそれをお作りしましょう」ロックハートが口を挟んだ。「何百回作ったかわからないくらいですよ、マンドレイク回復薬なんて眠ってたって作れます」

 

「お伺いしますがね」スネイプが冷たく言った。「この学校では我輩が魔法薬の担当教師のはずだが」

 

とても気まずい沈黙が流れた。

 

 

 

 

 

「ジニーが猫好きだからさ、ひどく気落ちしてるんだ」

 

朝食の席でロンはジニーを隣に座らせて、あれこれとミセス・ノリスの所業を挙げ連ねた。

 

気落ちした妹への配慮のつもりが、まったく配慮になっていない。

ハーマイオニーが何度かロンの足を蹴ったところで、蓮にフクロウが和紙の封筒を落としていった。

 

自分が学生時代にバジリスクの声を聴いたのは3階女子トイレ付近が一番多かった、と祖母は日本語で記していた。

ただし、バジリスクはもうホグワーツにはいない、それだけは確実なことだ、とも。

《詳しいことが聞きたかったら、ミネルヴァにお聞きなさい。わたくしと同じ経験を50年前にミネルヴァも一緒に経験したのですから。ミネルヴァが忙しければマダム・ポンフリーに。

秘密の部屋が開いたときの話を聞きたい、と言えばあなたになら話すでしょう。

ホグワーツ城のゴーストは皆、中世以前の人ばかりですから、近年の出来事を細かく記憶しているとは思えません。あまり参考にはならないと思います。

ただ、もし3階女子トイレに新しい世代のゴーストがいたら、50年前に何があったか聞いてみてもいいかもしれません。

50年前に、わたくしが監督生をしていた時代、そのトイレで亡くなった女子生徒がいました。彼女のミドルネームを怜に、そしてあなたにつけています。それが目印です。》

 

レンは手紙をくしゃくしゃにポケットに突っ込むと、大広間から駆け出していった。

 

3階女子トイレに入って叫ぶ。「マートル! マートル、出てきて!」

 

絶命日パーティで怒って帰って以来会っていないが、もし50年前に何があったか知っている人が教職員以外にいるなら、それはマートルだと思ったのだ。

なぜか蓮の顔とレイブンクローにこだわるマートル、縮んだ縮んだと主張するマートル。

それは、レイブンクローの監督生時代の祖母と比較されていたからに違いない。

 

「マートル! マートル・エリザベス!」

 

ミドルネームまで呼ぶと、ひゅるんと天井から宙返りしながらマートルが現れた。

 

「わたしのミドルネームを知ってる人がいるなんて」

「マートル・エリザベス、あなたが探していた人は、わたくしの祖母だと思うの。レイブンクローの監督生で、菊池という名前だったわ」

「ミス・キクチ! そうよ、その人だわ!」

「祖母は、自分が監督生のときにあなたが亡くなったことを悔やんであなたのミドルネームを、母とわたくしのミドルネームにつけたの」

「わたし、ずーっと待ってたのよ」

「ごめんなさい。祖母にとって、この場所はあまり良い思い出の場所ではないの。なにしろあなたが亡くなったのがここだったから」

 

気にすることないのに、と涙声になったマートルがトイレに飛び込んだ。

天井まで跳ね上がった便器の水が蓮の頭の上から降ってきた。

 

「ま、マートル。今日中にまた来るから、その時は水をぶっかけずにお話ししましょう。ね?」

 

返事はなかった。


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