サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第3章 ダイアゴン横丁

ロンドンのウィンストン家は、魔法使いの家らしくないチェルシーのテムズ河畔に建つペントハウスだった。

 

そこには、蓮のロンドンの祖父母と日本の祖父母がいて、ハーマイオニーと母は、ホグワーツとボーバトンについて詳しく知ることが出来たのだ。

 

父はレディ・ウィンストンの書斎で、込み入った話をしていた。

 

4人の祖父母の話を聞いた限りでは、レイブンクローかグリフィンドールが望ましいだろうとハーマイオニーは結論づけた。

 

蓮の日本のおばあさまも、蓮の母であるレディ・ウィンストンも、ホグワーツ時代はレイブンクローだったらしく、しかも2人とも監督生と首席だ。

そのうえ2人ともホグワーツ卒業後にマグルの大学も卒業しているという。

蓮のロンドンの祖父はハッフルパフだったらしいけれど、やはり監督生と首席。

どうやらマグルの大学に進学するには、そのぐらいに優秀でなければならないらしい。

 

中でもレイブンクローのモットーは「はかりしれぬ叡智こそ我らが最大の宝なり」というもので、5年生と7年生が受験する魔法界での就職に必要な試験の前には、歴代のレイブンクロー生がまとめた過去の試験問題集を使った模擬試験を独自に繰り返すのだという。

 

「それってすっごくセンスのあることよね。ただ、レイブンクローは実技には少し弱いみたい。実技ならグリフィンドールの勇敢さが有利らしいわ」

 

帰宅してお茶を飲みながらハーマイオニーが言うと、父は「コンラッドはグリフィンドールだったそうだよ」と一言答えた。

 

「だったら、レンはレイブンクローとも限らないのかしら。お母さまとおばあさまがレイブンクロー生だったからレイブンクローだとばかり」

 

ウィンストン家を出る頃から、父の口数は少ない。

 

それを尋ねようとしたハーマイオニーの口元に母が指を当てた。「パパは、レディからたくさんの話を聞いて混乱してるみたい。今日はハーマイオニーも疲れたでしょう? 話し合いは別の日にして、シャワーを浴びたら休みましょう。明日は学校よ」

 

 

 

 

数日経った週末、父と近くのコーヒーショップに出かけた。

 

「レンのパパは、パパのお友達だったの?」

「そうだよ。すごく仲の良い友達だった。でも、電話番号やアドレスの交換はしなかったからね。学校が分かれてしまってそれっきり。男同士なんてそんなもんさ。それでもコンラッドは、パパにたくさんの手紙を書いてくれた」

「住所も知らないのに?」

「住所も知らないのに。でもコンラッドは結局出さなかったみたいで、先日、レディ・ウィンストンが古い手紙の束をくれた」

 

歩きながら父は「ハーマイオニー。パパの友達のコンラッドは、もう死んでしまったそうだ」と呟いた。

 

「え?」

「昔の友達には、心臓発作だと伝えて欲しいそうだよ」

「本当は違うの?」

「・・・魔法使いに殺された」

 

魔法界は決して楽園ではない、とレディ・ウィンストンは言ったそうだ。

マグルの世界と同じように、偏見があり、考え方の違いがある。治らない病気に苦しむ人もいる。感染する病気に苦しむ人もいる。

魔法という手段があっても限界があるし、その手段が大きなトラブルを招くこともある。

 

「ヴォルドゥモールの名前は、イギリス風にヴォルデモートと発音するのだけど、最悪の軍事テロリストとイメージするべきかな。コンラッドはね、そのテロリストの仲間だと勘違いされて殺されたそうだ。レンくん・・・じゃなかった、あの女の子が2歳の時に」

 

ハーマイオニーは何と答えたものかわからなかった。

クラスメイトを亡くした経験はハーマイオニーにはまだない。

 

「レディ・ウィンストンは勇敢な女性だ。コンラッドがそんな目に遭った国で、彼女なりに戦っている。パパとしては、ハーマイオニーには危険な場所に行って欲しくはないが、レディのように勇敢な女性にもなって欲しい。とても矛盾している」

「勇敢なの? 賢いだけじゃなく」

 

今までそのふたつはまったく別々のものだと思ってきた。

ハーマイオニーは、頭は多少冴えているが、勇敢ではないと思っている。

 

「知識が勇気を与えてくれるのか、勇気が知識を求めるのかは、時と場合によるけど、どちらも大切なことだ。わかるかい?」

 

ハーマイオニーは頷いた。

 

「パパとママはいろいろ話し合ったけど、ハーマイオニーをホグワーツに行かせることに決めた。持って生まれた才能は活かすべきだ。危険なのは、何も魔法界だけの話じゃない。マグルの世界だって十分に危険だ。危険と戦う知識や手段は絶対に必要だから、パパとママは君に十分な教育を与えたい。ホグワーツに行くことは、君の才能を伸ばすことになると思う」

 

イースターホリデイにはダイアゴン横丁に行こう、と父が言った。

 

「ダイアゴン横丁?」

「そう。ロンドンにある、魔法族しか知らない街だ。レディ・ウィンストンが案内してくれる。魔法界の銀行口座も準備しておきたいし、なによりハーマイオニーには魔法界の本が必要だろう? 教科書のリストはサマーホリデイになったら届くらしいけれど、その前に知っておくべき知識もきっとあるだろう」

 

少し寂しそうに父が微笑んだ。

 

 

 

 

漏れ鍋という不思議なパブの近くで待ち合わせたときに、近くに蓮はいなかった。

きょろきょろするハーマイオニーに、レディ・ウィンストンは「ごめんなさいね。蓮はまだ日本の小学校に通っているから、イースターホリデイがないの」と笑った。

 

「サマーホリデイには会えますか?」

「もちろん。教材のリストが届いたら一緒に買い物に来ましょう」

 

まずは魔法族の銀行に行く、とレディ・ウィンストンは言った。

 

「グリンゴッツ銀行では、口座というシステムがございませんから、貸金庫をイメージしてください。わたくし名義の金庫がいくつかあります。そのうちの一つをお貸ししますから、機会あるごとにマグル通貨をまとまった額ずつ両替して金庫に入れておかれるとよろしいですわ」

「いくつも金庫をお持ちとは?」

「金庫は、中身ごと相続されていきますの。血統が続かなかった家系の金庫は親族に相続されますから、古い一族にはいくつかの金庫があるのですわ。ウィンストン家にいくつか、菊池家にもいくつか。その他に、わたくしの母はフラメル家の相続人に指定されていますから、フラメル家の金庫がいくつか。数だけあっても仕方がないので、ハーマイオニーが成人するまではお貸しして、ハーマイオニーの成人後には名義を変更することにいたしましょう」

 

そう言いながら、ピカピカに磨かれたカウンターの上に「712」と刻まれた鍵を置いた。

 

「フラメル家の金庫ですね、奥様」

「ええ。今は712は空だったはずですわ。鍵をこちらのグレンジャー家に預けますから、マグル通貨を両替して金庫に収納してください」

 

ゴブリンとそんな会話を交わすと、小さな声で「それから、隣の713はダンブルドアに鍵を預けてありますから、いずれホグワーツから連絡があるはずです」と付け加えた。

 

「確かに。712番金庫はフラメル家の所有ですが、菊池家が管理し、現在は空いております。713番金庫には小さな包みだけがあります。これがホグワーツ管理なのですな?」

「ご確認ありがとう。その通りですわ。今後は712番金庫の管理はグレンジャー家にお任せしますから、そのおつもりで」

 

父がいつになく膨らんだ財布から紙幣の束を取り出すと、ゴブリンが「カウンターの上に」と言って、ピカピカのゴールドの受け皿を出した。

 

「ふむ。確かにマグル紙幣に間違いないようです。ガリオン金貨と、端が銀貨、銅貨でよろしいですか?」

「はい」

 

どうやらあの受け皿にも魔法がかかっているらしい。

 

「魔法界では紙幣がないものですから、両替にはゴブリンが慎重になります。たまに不愉快なこともありますから、頻繁な両替はお勧めできませんの」

 

レディ・ウィンストンが首を振りながら説明してくれた。

 

「ですが、ゴブリンという種族は宝の管理に対する本能的な才能を有していますから、グリンゴッツ銀行ではゴブリンを重用します。マグル界の銀行は、金融機関として、お金を出し入れするばかりではなく、口座間の取引や投資に利便性がありますが、グリンゴッツは金庫を完璧に維持します。投資的損失はあり得ませんから、ハーマイオニーの学費の保管先としては最も安全ですわ」

 

なにしろドラゴンを守衛に置いていますからね、と付け加えられたのはジョークなのかどうか今ひとつ自信が持てなかった。

 

 

 

 

 

フローリシュアンドブロッツが書店だ。

成人までに読んで良いのはここからここまで、と示された範囲は十分に広いのでハーマイオニーとしては不満はなかったが、なぜ年齢制限があるのかは疑問だ。

 

「魔法には、微笑ましい魔法から、まったく微笑ましくない魔法があるわ。小さいうちから微笑ましくない魔法の本を読むのはいかがなものかしら」

「・・・よくわかりました」

 

そのとき、いわゆる微笑ましくない魔法の本が並んだ棚の陰から、プラチナブロンドの紳士が現れた。「これはこれは。マグルの弁護士殿」

マグル、という単語にアクセントを置いた不快な挨拶だ。

 

「・・・あらマルフォイ。久しぶりに見たけれど、少し海岸線が後退したわね。だからたまには髪型を変えなさいって言ってるのに」

 

うぐ、となぜかハーマイオニーの父が呻いた。気にするほどではない、という意味でハーマイオニーは父の肘を軽く叩く。

 

「ゴブリン教師の尻拭いでマグル一家のご案内か。マグルの弁護士殿は魔法界で小遣い稼ぎをしないと生活費に事欠くようだな」

「ええもうたいへん。なにしろわたくし、マグルのためにパナマの法律事務所から顧客名簿のジェミニオを作り出してばら撒くような裏のお仕事はしたくないから。ずいぶん多額のお金が動いたでしょうね。羨ましいこと」

「! ・・・なんのことかわからんな」

 

すごくよくわかってる顔だ、とハーマイオニーは思った。

 

 

 

 

書店を出ると父が強張った表情で「先ほどの会話は・・・」と言いかけた。

 

「先日お話しいたしました、後ろ暗い魔法使いのお金の稼ぎ方の一例ですわ」

「取り締まることは?」

「不可能ではありませんが、法律が整っていませんから、一つ一つは軽微な罪にしかなりません。マグル界に与える影響の大きさを基準にすれば大罪、ですが、使った魔法の規模からすれば微罪。マグル界と魔法界が断絶している現状では、このように裁き辛いケースが多いのです。ああいう人間が資産家であるのは、マグルからの後ろ暗い依頼に莫大なマグル通貨での報酬を得ているから。先ほどの両替でおわかりのように、マグル通貨から魔法界の通貨への両替は有利なレートになります」

 

父が「マグルがパナマで資金洗浄するように、魔法使いはマグルで資金洗浄するわけですな」とぼやくと、レディ・ウィンストンは肩を竦めた。

 

「マグルを軽視するあまり、自分たちがマグルからいかに便利に利用されているか理解できない無能ですわ」

「これは手厳しい。しかし、マグル側も同じことでしょう。魔法使いを利用しているつもりが、魔法使いからも利用されているわけだ。相互理解のないところには敬意や誠意を土台とした関係は成立しない」

 

おっしゃる通りですわ、とレディは微笑んだ。

 

「コンラッドは、そういう意味でマグルの小学校に入学したのでしょうか」

 

レディが頷く。

 

「人として正しい行いかどうか迷ったときは、誰でも友人の顔を思い浮かべるのではありませんかしら。魔女の友人だけでなく、マグルの幼馴染や、自分を育んだ自然の中の生物たち、マグルの大学で議論した仲間たち。魔法界の中だけで育てば、価値観はどうしても偏ります」

「私も先日からコンラッドのことをよく考えます」

「まあ、なぜ?」

「コンラッドならば娘がマグルとして生まれたとしても、マグルの中で最高の教育を受けさせようと、たとえ無様に見えてもジタバタしたに違いない」

 

可笑しそうに笑うレディに父が得意げに笑った。

 

「ああ、やっぱりだ。コンラッドは、あなたをさんざん笑わせて射止めた、違いますか?」

「よくおわかりですのね」

「我々は、クラスで一番の美人やクラスで一番クールな女の子の興味を引くのに、かっこいいところを見せようというありきたりの手段は取りませんでしたから。妻にプロポーズするときもコンラッドの真似をしました」

「・・・奥様もお気の毒に」

「イエスと答えるまで逆立ちをやめませんでしたの、トラファルガースクエアの噴水の前で」

 

ハーマイオニーは真剣に訴えた。「わたし、パパみたいな人とは結婚しないわ、本当よ」

 

「ハーマイオニー、パパみたいなプロポーズが嫌なら最初からイエスと答えることだ。映画やドラマみたいなプロポーズを期待して、何度もリテイクさせるからこうなる。絶対にノーと言えない状況を作り出す必要があったんだ」


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