散々な決闘クラブの翌朝には、あたり一面が真っ白な雪に覆われた。
そのおかげで午前の薬草学の授業が休講になったのは、蓮にはありがたいことだった。
「おはよう、ウィンストン。ずいぶん大きな絆創膏ね。おかげであなたの醜い顔の半分が隠れてるわ」と朝食の大広間の入り口で勝ち誇るグリーングラスに「あら、おはよう、グリーングラス。無事に整形魔法が再現できて良かったわね。以前の顔と形が変わってたら大変だもの」と言い返すだけで、顔の筋肉が痛みを訴えたぐらいだ。減らず口を叩きたくて頭を回転させても口が追いつかないのはひどく屈辱的なものだ。
談話室の暖炉の前のソファでハーマイオニーに魔法史のレポートを見直してもらいながら、クッションを抱えて座っていると、フレッドと一緒に授業に向かうジョージが「今日は誰とも殴り合うな。ジョギングも禁止」と言い置いて行った。
「命令形ですかー」
聞こえもしない文句を呟くとハーマイオニーが「ジョージが心配して、その打撲用の絆創膏を見つけてきてくれなかったら、マグル流の治療で2週間は赤や青や黄色の痣だったことを考えなさい」とピシャリと遮った。
今度は、もこもこにマフラーを巻いたネビルが男子寮の階段を下りてくる。
「ネビル? 薬草学は休講よ?」
「知ってるよ、レン。顔は良くなったかい?」
「もともと悪かったみたいに言わないで。元の顔がおかしいのはグリーングラスよ。そんな格好でどこへ?」
「スプラウト先生が手伝わせてくれるんだ! マンドレイクに靴下を履かせてマフラーを巻くのは1人じゃ大変だからって! じゃあね、ハーマイオニー。じゃあね、レン、女の子なんだから殴り合いは禁止だよ!」
肖像画の穴を潜って出て行くネビルを見送り「釈然としない」と呟いた。
「なにが?」
「わたくしがボクシングが趣味みたいに言われるのが。もともとブルストロードとレスリングを始めたのはハーマイオニーなのに」
「・・・ごめんなさい」
マンドレイクの世話は今はホグワーツで一番重要な作業と言える。それに参加させてもらえるネビルの表情が、1年前よりずいぶん自信に溢れていた。
「やあ、レン。顔は良くなった?」
ロンとハリーに、レンはとうとうクッションを投げた。「顔はもともと良い! 傷の具合を尋ねるならまだしも顔の具合なんか聞かないで!いてて」
「大声出すからだよ。あまり喋るのも良くないんだから」
「顔が良い件、あなたが言うと嫌味だから、スリザリン生の前では控えなさいね」
「またブルストロードとグリーングラス相手に殴り合う羽目になるぜ」
胡座をかいてソファに座る蓮の腹の前にロンがクッションを投げ返した。
「あなたたちもマンドレイクの世話?」
外出の支度をしている2人にハーマイオニーが尋ねた。
「いや。せっかく時間が空いたからハグリッドのところに行こうかって。君もどう?」
「やめとくわ。この人を寮から出さないほうがいいと思うの。平気そうだけど、一応頭部打撲ですもの」
羽根ペンで蓮を示しながらハーマイオニーが言うものだから、自分も行くとは言えなくなった。
「わかりました。寮で誰とも殴り合わずにおとなしくしてるわ。だから、わたくしの代わりにハグリッドに確かめてきてくれない?」
「なにを?」
「最近、鶏に異変はないか、特に雄鶏にね」
オーケー、とハリーが頷いた。「鶏が元気でみんないるかい?ってことだね?」
泡を食ってロンとハリーが談話室に駆け込んできたのは間もなくのことだった。
「た、たいへんだ!」
「ネビルが!」
蓮は急に立ち上がり、打撲の痛みと眩暈ですぐにソファに座った。
「ネビルがどうしたの!」
ハーマイオニーが鋭く問うと、ハリーとロンが唾液を飲み込み「ネビルが見つけたんだ!」と叫んだ。
「なにを?」
「ハッフルパフのあいつだよ、イートインに行くはずだったあいつ! 石になってた!」
イートイン、と呟いた蓮と違ってハーマイオニーが両手を口に当て「ジャスティン? ジャスティン・フィンチ-フレッチリーなの? それからロン、イートインじゃなくてイートン校よ」と返したので、蓮の鈍くなっていた頭の中も記憶を掘り出した。
「・・・またマグル生まれ」
「犯人はグリフィンドールの奴だって、ハッフルパフの奴が言い出したから、マクゴナガルが発見者のネビルを校長室に連れてくところに僕らが行き合わせたんだ!」
「あいつ、ムカつくよ! なんでグリフィンドールのせいなんだ!」
ロン、とハーマイオニーが震える声で呟いた。「疑われるのは、当然かもしれないわ」
蓮がくしゃりと短い髪を掻き上げ、ロンに説明した。
「イートン校はマグルの名門校なの。その会話をハーマイオニーと彼がしていたとき、温室内にはグリフィンドールとハッフルパフしかいなかったわ」
「へ?」
まあイートインと叫んだ今のあなたを見て疑う人はいないでしょう、と言って蓮は立ち上がった。
「レン?」
「スプラウト先生も呼ばれていらっしゃるでしょうけれど、ネビル1人じゃね」
「僕らが行くよ!」
ロンが再度蓮をソファに座らせた。
「ロン?」
「君は今日は絶対安静だ。君を動かしたら僕、ジョージに殺される」
「最初からそのつもりだったんだ。君たちに知らせに来ただけ。ハーマイオニー、レンをよろしくね!」
出ていきざま、ロンが「レン、ジョージが心配してるのは君の顔じゃなくて頭のほうだよ」と叫んだ。
あらまあ、と女子寮の階段を下りてきたパーバティが肩を竦めた。「うるわしい兄弟愛ね」
「・・・今度は頭?」
「レン、頭が悪いと言ってるわけじゃないの。顔をそれだけ殴られたら、脳にも衝撃があって当然なのよ、怒らないの」
べそをかいたネビルがハリーとロンに支えられ、マクゴナガル先生に連れられて戻ってきたとき、蓮の顔つきが剣呑なものになったのを見て、ハーマイオニーは「落ち着いて」と小さな声で言った。眩暈がするらしく、ソファに横になっているくせに、頭をフル回転させているのだから。
「本日の授業はすべて休講になりました。ミスタ・ロングボトムがハッフルパフのジャスティン・フィンチ-フレッチリーを発見したことは皆さんももう知っているでしょう。ピーブズの馬鹿が馬鹿騒ぎをしましたからね。もちろん、ロングボトムは発見しただけです。こちらに名簿を置いておきますから、クリスマス休暇に居残るか否か記入しておきなさい。1週間以内に回答すること。よろしいですね!」
それからウィンストン、と見回してソファに横になっている姿を見つけると目を瞠った。
「その有り様はどうしたことです!」
「昨夜の決闘クラブで」
ハーマイオニーが説明しようとするとマクゴナガル先生が鼻息荒く「魔女の決闘でそんな姿になるはずがありません! どこのトロールと相撲を取ったのです!」と声を張り上げた。
笑ってはいけない、と皆わかっていたはずだが、ブルストロードとトロールの取り合わせがあまりにピッタリ過ぎた。
「スリザリンの女トロールです」
へなへなの声で蓮が答えると、マクゴナガル先生は、ふん!と鼻息を荒くした。
「よろしい、ミス・グレンジャー、その馬鹿娘を連れてわたくしの部屋に来なさい。マダム・ポンフリーを呼びます」
顔が悪い頭が悪い今度は馬鹿娘か、と蓮がぼやく。背の高い蓮がふらつくのを支えるのは身体能力の低いハーマイオニーには決して楽なことではない。しかし、蓮がどうしてもパーバティやあるいはアンジェリーナたちの手を借りるのを嫌がったのだ。
「お入りなさい」
ノックに応えてマクゴナガル先生がドアを開けて招き入れてくれた。
「あなたは柊子から決闘の仕方を学んでいないのですか、情けない!」
「・・・敵がトロールの場合、魔女の決闘の流儀が通用しませんので」
「ポピー・・・マダム・ポンフリーが見えますから、しばらくお待ちなさい。ミス・グレンジャー、今日ここで話すことは他言無用です」
「は、はい」
マクゴナガル先生はマダム・ポンフリーを待たずに、蓮の頬に貼り付けた「ドクタ・バグノルドの打撲治療薬」を剥がした。
「ミス・グレンジャー、これは?」
「昨夜、ロンのお兄さまのジョージが誰かから貰ってきてくれました。おかげで、これでもだいぶ腫れが引いたんです」
なるほどなるほど、となぜかマクゴナガル先生はニヤリと笑った。
「医務室には行かなかったのですか?」
「最初に殴られたあとにすぐハリーが氷と氷嚢を借りに行きましたが、すごく腫れてきたのはもう門限を過ぎていたので、ジョージが先にお友達から貰ってきておいてくれたこの絆創膏を貼ってしのぎました」
そのとき、ドアがノックされ「開いていますよ!」とマクゴナガル先生が声を張り上げると、蓮が顔をしかめた。
「バジリスクが生きている可能性? ありませんよ」
「腹を爆破されて、脳天から床に刺さるほど深々と剣を突き立てられ、鱗をむしられ、牙を爆破されて生きていられる生物はもう生物ではないわね」
マダム・ポンフリーが紅茶を飲みながら、アンニュイに呟いた。
「ウィンストンの祖母と、このマダム・ポンフリーが念入りに牙の毒を回収する間、ピクリともしませんでしたからね。質問をするのはこちらです、ウィンストン」
「・・・はい」
「一連の事件であなたはわたくしたちに報告することはありませんか?」
ソファに横になったまま、蓮が「蛇がいます」と答えた。「バジリスクとは思いませんが、殺意を訴える蛇の声は聞こえます」
マクゴナガル先生とマダム・ポンフリーが目を見開いた。
「誰が秘密の部屋を開けたのかはわかりません。バジリスク以外のどんな蛇がいるのかもわかりません。そもそも石化だけなら、魔法でも不可能ではありませんから、何もわからないのと同じです」
「あなたもパーセルマウスなのですね? 柊子だけでなく。あなたのお母さまは違ったと思いますが」
「母は違いますが、わたくしはパーセルマウスです」
「この学校にあなた以外のパーセルマウスは?」
「今のところ存じませんが、新たなパーセルマウスより、秘密の部屋に蛇を置きたがるパーセルマウスが何かの形で干渉していると考えるのが自然だと思います。そんな変質者は1世紀に1人いるだけで充分うんざりしますから」
同感ね、とマダム・ポンフリーが欠伸をした。
「ほんとに祟るわね、あの変態。闇の魔術に対する防衛術の教授が長続きしないのもあいつのせい。引いては、あの無能が教授になったのもあいつのせいだわ」
「生徒の前ですよ」
「構うもんですか。出来もしない骨折の治療にしゃしゃり出て生徒を骨抜きにする馬鹿よ。この学校では生徒を治療するのはわたしだったと思いますけどね!」
治療といえばあなた、とマダム・ポンフリーは蓮の頬の打撲痕を確かめ、下瞼を引っ張り、左右の手で自分の指を握らせ、簡易な検査をしてくれた。
「今のところ、ごく軽い脳震盪と顔の打撲だけだわ。今日は部屋で安静にしていなさい。それからあなた、ミス・グレンジャー? あとから、今日の分の打撲治療薬、顔に貼るお薬を出しますから、取りに来てあげてちょうだい。面倒だと思うけど、明日の朝もね。よく効く絆創膏だけど、保管に冷蔵庫が必要だから、まとめて出せないの。お願いね」
さていったいジョージはどこでそんな治療薬を手に入れたのか、という疑問が顔に出ないように、ハーマイオニーは「喜んで」という顔をしてみせた。
「クリスマスよ」
ベッドに倒れ込んだ蓮が呟いた。
「え?」
「クリスマス休暇にスリザリンに忍び込めるだけの準備が必要だわ。ポリジュース薬」
「マルフォイは家に帰るんじゃない?」
「それなら休暇明けに実行するだけ。薬の準備だけは先に」
じゃないとネビルが、と言いかけると、蓮の声は途切れた。
眠ったらしい。
パーバティと一緒に階段を下りるとハリーとロンが駆け寄ってきた。「レンはどうだったんだい? マダム・ポンフリーの診察だったんだろう?」
「軽い脳震盪と、顔の打撲ですって。今、あっという間に眠っちゃった。それで、なんだかうわ言みたいにポリジュース薬を急ぎたがるんだけど」
「ジョージに頼んでおいた。ついさっき頼んだところだから、まだいつから空くとは言えないけど、無理なことじゃないみたいだ」
「ネビルはどう?」
ロンが肩を竦め、ハリーが「無理もないけど、ずっと泣いてるよ。マンドレイクを育てる手伝いが出来れば、ミセス・ノリスやコリンを助ける手伝いになるって張り切ってたから」と答えた。
「あいつ、出来ない奴じゃないのに、自分がスクイブだって思い込んでたんだ。薬草学だけは自信あるから、薬草学で助けになれるなら一番嬉しいって言ってたのに、これだろ? ほんとツイてないよ」
パーバティが「ネビルが役に立てること、ちょうどあるじゃない」とハーマイオニーに笑いかけた。「ポリジュース薬は3人の部屋で作るのよ。もちろんネビルにも手伝ってもらって」