「日記帳を盗んだ人物は限られるわ」
ハーマイオニーが言った。
「グリフィンドール生よね」
パーバティの言葉にハーマイオニーは「厳密には、ホグワーツの女性」と訂正した。
「合言葉を知る方法さえあれば、他の寮の生徒が入ることは可能だわ。でも、男性は女子寮には入れないの。わたしの入学前の学校説明でフリットウィック先生がおっしゃったもの」
「でもまあ、グリフィンドールの女子である可能性が一番高いとみて間違いないんじゃない?」
ハーマイオニーとパーバティの会話を聞きながら、蓮は腕組みをして目を閉じた。
この犯人探しは続けてはいけない、と思った。リドルの日記が目的ならば、自分たちは第2のハグリッドを突き出す瀬戸際にいるのだ。
「犯人探しはやめましょう」
ボソッと呟く。
「レン?」
「日記帳を誰が盗んだかは、この際深く追及しなくていいわ。どうせ中身はヴォードゥモールなんだから。ヴォードゥモールに操られた人を吊るし上げる結果になるほうが怖い。主犯はヴォードゥモールなのに、操られた女の子を吊るし上げたら、相手の思う壺よ」
それはそうだけど、とハーマイオニーとパーバティが顔を見合わせた。
「秘密の部屋のモンスターが確定出来れば一番いいのに、それがわからない」
蓮が指折り数えた。「バジリスクは、雄鶏の生んだ卵を、ヒキガエルが温めて孵化する。蜘蛛はバジリスクを恐れ逃げ出す。逆にバジリスクは雄鶏がときをつくる声を聞くと行動出来なくなる。だから、50年前は鶏が殺された。でも今回は鶏はハグリッドが食用に締めた鶏以外は死んでいない。何羽もの雄鶏がピンピンしている。バジリスクじゃないことは確実」
「でも極めて似た特徴がありそうね。少なくとも蜘蛛が逃げ出している。ロンは快適そうだけど」
「代わりに石にされたくはないものねえ」
そのとき、ドンドンドンドン! と拳でドアがノックされた。
飛び込んできたのは、アンジェリーナだ。
「レン、ハーマイオニー、ちょっと来て。玄関ホールで乱闘よ!」
「わたくし、今日は誰も殴ってないわ。小人しか」
「わかってるわよ、馬鹿ね。ロンとハリーなの」
3人は視線を交わし合い、アンジェリーナについて駆け出していった。
「こいつが、ハグリッド、を」と息を荒げたハリーが、ハッフルパフの男子生徒を指差した。
「僕は何も今回の犯人だとは言ってない! 50年前にはハグリッドが犯人として退学させられたって言っただけだ!」
こいつ! とロンが飛び掛かろうとするのを、フレッドとジョージが首ねっこを引っ掴んで止めた。
蓮は溜息をつき「ハグリッドの退学の理由は別よ」とハッフルパフの男子生徒に告げた。「ハグリッドは確かに50年前にホグワーツを退学になった。でもそれには他の理由があったの。人の名誉に関わることを直接知りもしないで安易に口にするものじゃないわ」
フレッドとジョージが、まだ鼻息の荒いハリーとロンをズルズル引きずりながら「愚弟どもがお騒がせしましたー」と気軽な調子でグリフィンドール塔に戻る。
談話室に放り出された2人を、ハーマイオニーが「騒ぎにするなんて、余計に噂が広がるじゃない!」と叱りつけた。
「いったいどういうきっかけだったの?」
蓮が尋ねると、ハリーとロンが口々に訴え始めた。
「最初は、T.M.リドルっていう名前が耳に入ったんだ。ほら、あの日記帳の」
「あいつが、学校に対する特別功労賞のT.M.リドルはハグリッドを捕まえたから功労賞が貰えたって言うんだ」
「50年前、マグル生まれが1人死んで、そのときハグリッドがモンスターを飼ってたことをリドルが突き止めたんだって!」
「僕ら、別にハグリッドのモンスターが生徒を殺したわけじゃないだろって言ったんだよ。50年前の被害者はマートルだし、マートルはバジリスクに殺されたんだろ? ハグリッドがバジリスクに興味を持っても不思議じゃないけど、可愛がり過ぎてバジリスクに一睨みされてアウトさ。だから言ってやったんだ『秘密の部屋でハグリッドが趣味のペットを飼ってたなんて、スリザリンの継承者しか入れない秘密の部屋にしてはお粗末なセキュリティだな』って」
談話室にいた面々が「確かにな」と苦笑した。
「そしたらあいつ! 現にハグリッドは退学になったじゃないかって言うんだ! ハグリッドの飼ってたペットが生徒を殺して、T.M.リドルがそれを突き止めたから、リドルは特別功労賞、ハグリッドは退学なんだって!」
はあ、とハーマイオニーが溜息をついた。
「呆れた。生徒を殺すようなペットを飼ってた人をダンブルドアが森番として学校に置くと思う?」
「殺しかねないペットは大好きだけどな」
フレッドが笑い混じりに指摘した。
「そりゃあ確かにハグリッドのその・・・愛する生き物たちは、万人受けはしない可能性があるけど」
「100%万人受けしないわよ」
蓮が苦笑した。ケルベロスとドラゴンを飼いたい人が1万人いたら世界は大惨事だ。
「なんだよ、フレッドもレンも。あいつの肩持つのか! ハグリッドを疑うの?」
「ハリー!」
叱りつけようと口を開いたハーマイオニーの肩を叩いてハリーに「真相を知りたい?」と尋ねた。
「当たり前だろ!」
「ハグリッドはね、ハメられたのよ。T.M.リドルに。真犯人はリドル。リドルは最初から騒ぎが大きくなったらハグリッドに罪を着せるつもりで、ハグリッドにちっちゃなペットをプレゼントしていたの」
「ちっちゃな?」
疑わしげにハリーが確かめる。
「ちっちゃなノーバートちゃん的なペットよ。だから、リドルは50年前の秘密の部屋の事件の犯人としてハグリッドを密告したの」
とんだマッチポンプ野郎だな、とフレッドが笑い飛ばした。
「密告してハグリッドを拘束した時点でリドルは特別功労賞。でもダンブルドアが、死んだ生徒を殺したのはハグリッドのペットじゃないという証拠を示したから、ハグリッドはマートル殺しでは無罪。もちろんハグリッドのペット自体、学校で飼うべきでないペットだったから、復学はさせずに森番見習いにしたの」
「だったら、やっぱりあいつが言ったのは嘘だったんだ!」
蓮はひらひらと手を振って「嘘かどうかは今更問題じゃないわ」と言った。ハーマイオニーも頷く。
「え? どういうこと?」
「この喧嘩騒ぎで、ハグリッドが50年前に退学処分にされたということと、それが秘密の部屋に関する事情だということが、学校中に一気に広まるのよ」
腰に手を当てて不吉な予言をするハーマイオニーを、ハリーとロンは呆然と見上げていた。
「僕ら、ハグリッドに合わせる顔がないよ」
翌日の放課後だ。
馬鹿ね、とハーマイオニーは項垂れるロンとハリーに、ふん、と鼻息を荒くした。
「だってハーマイオニー」
「『だって』なんて言い訳用語は禁止よ! いいこと? 謝るべきことをうやむやにしたまま、ハグリッドをこれからずっと避けるつもりなの? それってずいぶん卑怯じゃない?」
ねえレン、と同意を求めるが、肝心の蓮は、腕組みをして考えに耽っている。
「バジリスクである可能性は極めて低い。50年前に別の個体もいなかったはず。地下水路を箒で飛び回ったんだし、巣穴まで近づいて・・・」
「レン?」
「ん? ああ、ハーマイオニー」
「秘密の部屋のモンスターを心配するより先にハグリッドを心配してくれない? あなた、日記帳のことも考えなくちゃいけないのよ?」
重たいものを飲み込んだ顔で蓮が力無く頷く。
日記帳を盗んだ犯人にはたぶん見当がついた。グリフィンドールの女子寮にいて不審がられないこと、マートルのトイレの惨状を知っていること、入学してからこちら兄たちによれば「秘密の部屋の事件のせいで気が塞いでいる」こと。パーバティの発言を聞いたときの顔色の悪さが神経過敏のせいでないとしたら、あのとき、パーバティに何があったか理解したからだとしか思えない。
ーー誰にも言わずに日記帳を取り戻すのが一番いいのだけれど
考えることが多過ぎて頭が痛い、と思いながら、当面の提案をした。
「ハリーとロンが、ハグリッドに謝りに行くなら、わたくしたちも行かない? 話のきっかけがないと、なかなかね」
「そうそう! そうなんだよ!」
「小さなことからコツコツと」
言いながら、蓮はジーンズのホルダーに杖を差した。
気にすんな、とハグリッドは笑った。
「ハグリッド」
「そういう噂はなあ、ハリーにロン、似たような出来事があるたんびに蒸し返されるもんなんだ。ハーマイオニー、おまえさんは頭のええ子だ、俺がどんな生まれか、わかってるだろ?」
わかっている。おそらくハグリッドは巨人と人間のハーフだ。体の大きさや危険生物を好む性質は巨人族に由来するのだろう。
「んだからな、ある意味慣れっこなんだあ」
「慣れちゃダメよ、そんなこと、そんな理不尽なこと許しちゃダメ」
「おまえさんは、蓮の母さんに似てるなあ」
「レディ・ウィンストンに? 嬉しいけど、どこが?」
ハグリッドが目を細めた。
「あいつぁ、理不尽がきれえだから法律やっとるんだ。俺みてえな奴は何するかわからねえって誰かが言い出すたんびに、法廷に出てきちゃあ、相手を黙らせちまう。俺ぁな、少しばかり友達が少なくたって気にゃなんねえ。おまえさんや蓮の母さんみてえに、理不尽は許さねえって言ってくれる奴がちびーっといれば楽しくやれるんだよ」
ハグリッド、とハーマイオニーが言葉に詰まったとき、蓮が「ハグリッド」とキリッとした顔で呼びかけた。
「なんだあ?」
「雄鶏が生んだ卵をヒキガエルが抱卵してバジリスクが孵化する。バジリスクは雄鶏の声に弱い。間違いない?」
「んだな」
今その話題なの? とハーマイオニーがぷすぷす言うが蓮の耳には入っていない。
「バジリスクに似たような生き物知らない?」
ハグリッドがもじゃもじゃの髭を撫で回した。
「俺あ知んねえ。バジリスクも直に見たわけじゃねえからな」
見てたら今頃ここにいないさ、とロンが軽口を叩きハーマイオニーに蹴られた。
「あなたたち、何しに来たか忘れたの?」
項垂れたハリーとロンが「ごめんなさい、ハグリッド」と謝った。
「わたくしもごめんなさい。早くに全部説明しておけば良かったわ」
大きな手を顔の前で振って「気にすんなって言ってっだろ」とハグリッドが慌てた。
ハグリッドの小屋からの帰り道、蓮は湖のほとりを歩くジニーを見かけた。
「レン?」
「先に帰ってて」
言うと、ジニーに向かって駆け出した。
「ジニー!」
「・・・れ、レン?」
「1人でこんなところにいちゃいけないわ。一緒に帰りましょう」
「へ、平気よ」
そう言うジニーの肩を引き寄せ、強引に学校へ後戻りさせる。
「ジョージのルールなの。湖に1人で行かないこと。わたくしも1年生のときにさんざん言われたわ」
背中を押して歩きながら蓮は囁くように言った。「ジニー? あの日記帳、わたくしにくれない?」
足を止めてジニーは後ずさる。
「な、なんで!」
「あの日記帳を不用意に手元に置いてるとどうなるか、あなたは知ってると思うの。だとしたら、マートルのトイレに捨てたことも当然だし、パーバティが記憶がないとか教科書の順番が違うとか騒いでたときに、あの日記帳がわたくしたちの部屋にあるとわかったはず」
ぶるぶる震えながら首を振るジニーに、蓮は必死で説明した。
「ハーマイオニーにもパーバティにも言ってない。他の誰にも。今ならわたくしが置き場所を間違えていたと言えば済むわ」
「だ、ダメ・・・」
「ジニー?」
「あんなの、だ、誰も持ってちゃいけないの!」
そうよ、と蓮が落ち着かせるようにゆっくり言う。「それはこの世にあってはいけないの。湖に捨てちゃダメ。大イカやグリンデローが凶暴化してしまうわ」
「で、でも! 破れないし、ナイフで突き刺してもダメなの」
「特別な方法が必要なの。わたくしはその方法を探してる。だから、それはわたくしに預けてくれない?」
しばらく考えていたジニーはゆっくりと首を振った。
「パ、パパが言ってた。危ないとわかってるものを友達に持たせちゃいけないの。前にルーナがお守りだって言って、しわしわ角スノーカックの角のレプリカをくれたけど、パパったら怒って捨てちゃったわ」
「・・・しわしわ角スノーカックについては何も知らないけど、それはしわしわ角スノーカックより危険だと思うわ。普通に保管していちゃダメなの」
しかしジニーは頷かない。「絶対に渡せない」
蓮は溜息をついた。
「だったら、ジニー、あなたが持っていて。でも、わたくしの言うような形で保管して欲しいの」
「お、教えてくれる?」
「もちろん」
2月の寒い日のこの判断が間違いだったと蓮が思い知るのは、イースターを過ぎた頃だった。