サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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閑話11 Let's get married

ロンドンの霧雨が静かに石畳に降りていく。

 

アリスとフランク・ロングボトムの結婚披露のパーティは漏れ鍋で行なわれる。あと2時間だ。

 

漏れ鍋近くのマグルのホテルで、窓からしっとりと濡れた街並みを眺めていた。

和柄をデザインしたドレスローブを着た母が「あなたには誰かいないの」と、化粧をしながら呆れたように言った。

母はフランクの母親の親友代表としてパーティに呼ばれているのだ。フランクの母親の親友の残り2人はホグワーツの教職員だから、学期中にホグワーツを離れるわけにはいかない。

 

「いない」

「嘘はいいわ。ミネルヴァから聞いてるもの」

「だったら聞かないで」

 

溜息をついて母が「別にイギリス人でも構わないわよ、いまさら」と呟いた。「わたくしの母がロシア人を婿にしたときは騒ぎになったみたいだけれど、みんなもう慣れたわ。菊池家の娘が外国人を連れて帰るのには。純血かどうかもどうでもいい、マグル生まれでもね。むしろマグルでも構わないぐらいよ」

 

薄手のショールで冷えてきた肩を覆った。

 

「わかってるわ」

「魔女か魔法使いが産まれさえすれば文句は言わないのだから、さっさと連れていらっしゃい」

 

日本の魔法界は寛容だ。だがその寛容な日本の魔法界も両親も唯一反対するであろう相手がコンラッドなのだ。マクゴナガル先生にさえ、母は自分の立場をはっきりと明かしてはいないのだろう。また、マクゴナガル先生は生徒のプライバシーだと判断すれば、相手の名前を親友にだって明かす人ではない。きっと「誰かいないのかしら?」「いないこともないでしょう」程度の会話だったのだと思う。

 

「さすがに闇の魔法使いは困るわよ? マルフォイの息子なんかやめてね」

「アレはもう結婚したわ。ブラック家の末娘とね。鼻高々よ」

 

あらおめでたいこと、とクシャミに「ゴッドブレスユー」と言うのと同じ調子で応じた母が「お父さまがうちに来たときは、おじいさまが騒いで大変だったわ。ブルガリア人は全員グリンデルバルドの手下だなんて言って」と思い出し笑いをした。

 

「おじいさまが騒いだって、お父さまがぷちっと潰したら終わりでしょう?」

 

魔法薬学者らしい痩躯の祖父を思い出して怜は訝った。

 

「にこやかに迎えてお茶に真実薬を混ぜて尋問したわ」

 

ダームストラングの男たちはみんなウォッカの飲み過ぎね、と母は呟いた。「やることがいちいち大仰で極端。お父さまも何をするかわからないけれど、殺しまではしないと思うから、早く連れてらっしゃい」

 

拙速このうえない催促をする。

 

「結婚する気がないの」

「ないのにお付き合いしたの? 最近の若者はそうだと聞くけれど、お母さま、それだけはやめて欲しかったわ。まさか相手のほうに結婚する気がなかったということ? だったら、お父さまに言って報ふ」

「わたくしのほうにないの!」

 

だったらいい加減に日本に帰ってきなさい、と母が厳しい口調で言った。「魔法界云々を抜きにしても神社を継ぐなら日本の大学を卒業しなきゃいけないのはわかってるでしょう。ロースクールじゃ神職の資格は取れないわよ」

 

言われるまでもなくわかっている。

 

「しかもあなた、今年から魔法法執行部の研修を始めたのですって? お母さまもお父さまも聞いてませんよ!」

 

要するにそれを言いたくてオックスフォードから呼び出したのだろう。

 

「・・・お母さまだって、ホグワーツを卒業してからイギリスの魔法省に入って働いたでしょう?」

「自由に帰国出来なかったからよ。わかってるでしょう。日本の魔法界は、マグル社会で国外との移動が制限される間は姿現しや移動キーにも同じ制限をかけるわ。お母さまはあなたと違ってホグワーツに入学してからずっと帰国出来なかった。帰国したら、お父さままで無理やりついてきて、すぐ結婚してあなたが出来て。だから、お母さまはあなたが小さい頃に大学に通ったの。覚えてない?」

 

覚えている。怜は幼い頃は祖母に育てられたのだから。変身術の得意だった祖母が庭石をいろいろな動物に変身させてくれたし、魔法薬学者の祖父の研究室で絵本を読んで過ごした。

 

「結婚する気がない人とイギリスでズルズルお付き合いするより、日本に帰ってきて、大学に入りなさい」

 

返す言葉もなかった。

 

 

 

 

 

狭いパブを拡大呪文で盛大にスペース拡大してある会場で、ドレスローブを着たコンラッドがこちらをちらちら見ているのがわかる。今日は母と一緒に出席するんだからあなたは近寄らないで、ときつく言っておいた。

 

アリスの晴れの日に、妙なケチはつけたくない。ただでさえドロメダが出席出来ないのだから。

 

もしヴォルデモートなどという奴がいなかったら、と毎日のように考える。

ベラの頭がおかしいのは治らないにしても、純血の親友が純血の男性と結婚するパーティを欠席させるほどブラック家がおかしくなりはしなかっただろう。ドロメダと怜は、ここに同席してアリスを祝福できたはずだ。ドロメダとテッドの間に生まれた小さなドーラがブライドメイドをつとめたかもしれない。カラフルにひらひら変わる気紛れな髪を見て、ブラック家の人々の純血意識も和らいだかもしれない。

 

そしてもしヴォルデモートなどという奴がいなかったら、コンラッドの義務はもう少し緩やかなものだったかもしれない。

 

「かもしれない」をいくつ並べても現実は変わらない。

 

5年間、何度も何度も話し合った。気が狂うほど何度も。でも結論はいつも同じだ。

コンラッドはウィンストン家の血を継ぐ子供を作らなければならない。ヴォルデモートの勢力が勢いを増している今、それは喫緊の課題とさえいえる。今コンラッドに何かあったら、イギリス魔法界の混乱がマグル社会に波及しかねない。さらには他国にも。イギリス魔法界だけで事を済ませるためにはウィンストン家が磐石であることは不可欠なのだ。

しかし、怜も同じ立場だ。日本にはイギリスと違って喫緊の課題があるわけではないが、血を残さなければならないのは同じことだ。

 

別れて互いに別の人と結ばれるべきだ。

 

なのに、そう結論を出した翌日には、いつもコンラッドは現れてしまう。「家に帰るために姿くらましすると君の前に出てしまうから仕方ないじゃないか。僕の3つのDが全て君なんだから」と、基本的なところに話を戻してしまう。ぐるぐると回り続ける。

 

フェビアンとギデオンが、怪訝な顔でやってきた。母は幸いフランクの母親と話し込んでいる。

ギデオンは1学年上のフランクの同級生だ。フェビアンと年子の兄というより、双子のようによく似ている。

 

「今日はどうしたんだい、君たち」

「主役はアリスとフランクよ。コンラッドの悪ふざけは相応しくないわ」

 

そりゃそうだけどさ、とフェビアンが口ごもる。

 

「せっかく君のママが日本から来てるのに、紹介しないつもり?」

「必要ないもの」

 

ひでえなあ、とギデオンが笑った。「コンラッドじゃないよ、俺たちぐらい紹介してくれよ」

 

「怜、ホグワーツのお友達?」

 

タイミング悪く母が戻ってきてしまった。「ええ、お母さま。ギデオン・プルウェットとフェビアン・プルウェットよ」

 

「まあ、プルウェット家の。あなたがたもレイブンクロー?」

「いえ、僕たちはグリフィンドールでした」

「お母さま、アリスもフランクもグリフィンドールだったのよ。今日招待されたお友達はグリフィンドールがほとんどだわ」

 

それはそうね、と母が小さく笑った。「グリフィンドール出身者の結婚式は楽しくていいわ。気質が明るいのがよくわかるもの。おかしなわるふざけもこんな日には悪くないわね」

 

「お母さま!」

「楽しませるなら、僕らにおまかせを!」

 

陽気なプルウェット兄弟が芝居がかったお辞儀をして去るのを、怜は頭痛をこらえて見送るしかなかった。母が怪訝な顔で怜の顔を覗き込む。「なにかいけなかったかしら?」

 

「絶対あの2人、ギャンボルアンドジェイプスに行ったわ」

「悪戯用品店?」

「おかしなわるふざけにゴーサインを出してもらったようなものですもの。大手を振ってわるふざけするに決まってるわ」

 

あらまあ、と母がのんびりと笑うが、ミセス・ロングボトムの怒りを想像すると血の気が引く。漏れ鍋の結婚式でさえロングボトム家の格式にそぐわないとご不満だったのだから。ーーロングボトム家は代々湖水地方のロッジを借りて式を挙げたものです!

フランクはロングボトム家の財産で盛大なパーティを開くより、自分とアリスの闇祓いの収入で賄う範囲のパーティにしたがった。もちろんそこにもヴォルデモートの陰が落ちている。警備の問題だ。出席者に万が一のことがあってはならない、と気真面目なフランクは主張した。

 

今、ミセス・ロングボトムはコンラッドと話している。けばけばしい色柄の奇抜なデザインのドレスローブではなく、きちんとしたブラックタイのドレスローブを着たコンラッドならロングボトム家の格式に相応しいと思ってくれることを願うしかない。

 

その時、パパパパパーン!と爆竹が鳴った。

 

「・・・始まった」

 

怜はこめかみを押さえた。

 

「少しは楽しみなさい。魔女のくせに遊び心のない子ね」

「7年間付き合わされたら、遊び心も尽き果てたわ」

「ミネルヴァをゴッドマザーにしたせいね。融通の利かないクソ真面目。最初のボーイフレンドに操を立てて結婚しないと言い出すところまで、まあそっくり」

「・・・え?」

 

行くわよ、と母が怜の肘を取った。

 

 

 

 

 

 

漏れ鍋の裏庭に打ち上がった花火のドラゴンが火を噴く。

 

「なになに?」

 

騒がしさに目を閉じる怜の横で、母が楽しげに呟く。「ロングボトム家に・・・クィディッチチーム、ほどの、ジュニア、を。ですって。まあ大変」

 

「わたしを殺す気?」

 

白い花嫁のローブをまとったアリスが怒鳴った。

 

「なにをおっしゃる、アリス・ロングボトム。プルウェット家の血を引く花嫁なら、子沢山間違い無しだ!」

「うちのモリーを見てみろよ!」

 

招待客が笑い出した。ウィーズリー家の子沢山は近年の数少ない温かい話題だ。

 

「男ばっかり3人産んで、今度こそ女の子かと思えば、また男がまとめて2人だ!」

 

また男!しかも2人!と叫んで卒倒したプルウェット家の長老格の大叔母さまの逸話まで込みで。

 

「あと2人でクィディッチチームに手が届いちまうぜ!」

「やめてちょうだい、ミュリエル大叔母さまが心臓麻痺を起こすわ!」

 

アリスの叫びに、酔った叔父さまの1人が「うるせえ婆が早く片付いていいだろ?」などと言い出して収拾がつかない。

 

「ねえ怜」

 

騒がしさに耳を塞ぐ怜の耳元で母が叫んだ。「数が多ければ解決する問題だって世の中にはあるわよ!」

 

「え?」

「お母さまは、まだ死ぬ計画はありませんからね。クィディッチチーム分の孫が出来るまでぐらいは待ちましょう。だから頭を柔らかくなさい。とにかく早く片付いてちょうだい」

 

 

 

 

 

 

囃し立てられるオックスフォードのクライストチャーチの図書館から、ほうほうの体で脱出してきた2人は、小さなカフェでお茶を飲んだ。

 

「プルウェット兄弟のおかげで解決策を思いついたんだ」

「あの2人、そのためにやったのね。アリスも」

「クィディッチチームほどとまでは言わない。僕はクィディッチプレイヤーじゃないからね」

「言われても困るわ。人間業の範囲にして」

「君が家名を捨てることもない。ただ、僕の子供を2人以上産んでくれたら解決する」

 

その前に、と怜はコンラッドの前に顔を突き出した。

 

「なんだい? あと3日間なら僕は舞い上がってるから、なんでもするよ」

「じゃ、3日のうちに、わたくしの父からわたくしを攫いに来て」

「え?」

「お忘れかもしれませんが」

「君のパパって・・・シメオン・ディミトロフ?」

 

そうよ、と怜は言って立ち上がった。「ちなみに、父が母との結婚を許してもらいに来たときは、祖父がお茶に真実薬を入れて尋問したらしいわ。父が何をするか考えたくもない。一応、今からわたくしが実家の両親に説明はしておくけれど」

 

顔色をなくしたコンラッドをその場に残して姿くらましをした。

 

 

 

 

 

「うちの婿を廃人にする気?」

 

母の怒鳴り声に怜は耳を塞いだ。

 

「ダームストラングでは当たり前だとしても、磔の呪文だなんて!」

 

顔色を変えて、慌てて立ち上がって庭に駆け出した。「お父さま!」

 

「・・・許す」

 

父がぎりぎりと食いしばった歯の間から、死ぬほど言いたくなさそうに言葉を絞り出した。

 

「え?」

「最初からの条件だ・・・20回の磔の呪文の間に気が変わらなかったら、嫁にやる、と。23回耐えおった」

「何こっそり数を増やしてるのよ!」

 

更に母が怒鳴りつけると、父は大きな体を縮めて呟いた。

 

「・・・50回にしておけば良かった」

 

倒れたコンラッドが、親指を立てた。

 

「コンラッド! ごめんなさい、馬鹿な父が!」

「・・・大丈、夫だ、132回、まで、はね」

「は?」

「僕、は、君に、132回、フラれ、たん、だから、磔、の呪文、も、132回、まで、は耐え、られる」

 

ほう、と父が母を押し退けた。「その言葉に嘘がないか」

 

「おやめなさい!」

 

母が父に失神呪文を当てた。

 

「この人がいると話がややこしくなるわ」

「お母さま・・・」

「だからダームストラングの男はイヤなのよ。やることがいちいち尋問や拷問なんだから。冬が長くて暇なせいね」

 

さて、と怜が助け起こしたコンラッドの前に、膝をついて視線を合わせた。

 

「結婚自体に反対するつもりはないわ。ただ、娘から聞いていると思うけれど、わたくしたちの側にも事情がありますからね。そのことをどう考えているか聞かせてちょうだい」

「お母さま、わたくしから話したでしょう?」

「いや。僕の、口からも、言う、べき、ことだ」

「そうよ」

「僕、たちは、モリー、ウィーズリーを、目標、に」

 

馬鹿じゃないの、と怜がコンラッドから手を放した。

 

「ってえ!」

「誰が子沢山の話をしろと言ったのよ!」

 

 

 

 

 

「まさか、レイがアリスより先に子供を産むなんてね」

 

コーンウォールの邸にアリスとドロメダが訪ねてきてくれた。

 

「コンラッドが急ぐから」

「本気でモリーを目標にするの?」

 

怜は真顔で「人間業の範囲に留めてと言ってあるわ」と答えた。

 

「男ばっかり4人?」

「5人よ、今のところ」

 

同じデヴォンに暮らすドロメダが訂正したが、聞き捨てならない単語が聞こえた。

 

「『今のところ』?」

「もう少ししたらまた生まれるわ」

「・・・モリーったら、本気でクィディッチチームを作る気?」

「女の子が欲しいのよ」

 

ドロメダが蓮のふくふくした頬をつつく。「このレンみたいな可愛い女の子がね」

 

「ハイ、レン」

 

小さなドーラが蓮の頬をつついた。さっきまでピンクだった髪が、蓮を見ると思慮深い緑に変わった。本人が言うには、お姉ちゃんとしての「イゲン」が必要なのだそうだ。どうやら意識的に髪色をコントロールするようになったらしい。

 

「たまにドーラを連れて遊びに行くわ。あそこの2番目のチャーリーがドーラの同い年だから。モリーはドーラを見るたびに女の子が欲しい欲しいって言ってるもの」

 

アリスが苦笑し「産んでも産んでも男ばっかりじゃない。次もどうせ男よ」と言った。

 

「さて、そろそろ時間だわ」

 

怜はベッドから蓮を抱き上げた。

今日は蓮の命名式だ。義父母は盛大なパーティにしたがったが、コンラッドが止めた。親族とゴッドファーザー、ゴッドマザーの関係にある者しか呼んでいない。

誰が誰のゴッドチャイルドであるかは、こんな時代に広く知らせるべきことではない。

 

「蓮・エリザベス・菊池・ウィンストン、あなたのゴッドマザーのアリスおばちゃまよ。ロングボトム家があなたの名を預かるわ」

 

そう言ってアリスが怜から蓮を受け取った。


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