サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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閑話13 友情ごっこの終着点

「なんて顔してんだよ」

 

シリウスはコーンウォールのウィンストン邸のサンルームで、怜に言った。

 

「ドロメダも死んだような顔してるし、あんたまで」

 

そりゃ気持ちはわかる、と続けた。「間抜けな闇祓いにコンラッドを殺されたんじゃな」

 

焦れったかった。

 

ドロメダもアリスも怜も、ホグワーツに入学したばかりの頃のシリウスには、ただただ眩しい監督生だった。鮮やかな魔法を使いこなし、颯爽とローブを翻す3人の姿は今でも思い出せる。

なのに今は2人ともまるで干からびたしもべみたいだ。

 

「シリウス」リーマスがシリウスの肩を掴んだ。「少しは言葉を選べ」

 

リーマスの制止に気を削がれた。

 

「で、子供は?」

「預けてあるわ」

「どこに?」

 

あなたには絶対に教えない場所よ、と鋭く睨まれた。

 

「僕たちは不死鳥の騎士団の仲間だろ?」

「シリウス! レイの気持ちを考えろ! 今は子供のことを誰にも喋る気分になれないことぐらい少し考えればわかるじゃないか!」

 

シリウスは「はいはい」と椅子の上で伸びをした。「ハリーと同じ学年になるんだろ? 小さいのにすごい箒乗りだってコンラッドが自慢してたよ」

 

「ハリー?」

「ジェームズの息子さ。僕がゴッドファーザー。5歳ぐらいになったら箒で競争させようぜ」

 

そうか、と怜が呟いた。「アリスの息子と同じ頃に生まれたんだったわね」

 

「そうだ、レイからもドロメダに言ってくれないか?」

「・・・何をよ」

「フランクとアリスの息子は、ドロメダのゴッドチャイルドだろ? なのにドロメダときたら、ロングボトムのおばさんに会わせる顔がないって、まだ会いに行ってないんだ」

「シリウス!」

 

シリウスをたしなめるリーマスを制して、怜が薄く笑った。ぞっとするほど酷薄な微笑だ。削げた頬に瞳だけが炯炯と光っている。

 

「わたくしには、むしろあなたがミセス・ロングボトムにどの面下げて会いに行ったのか不思議でならないわ」

「な、なんだよ」

「ブラック家から漏れた情報でわたくしの夫が死ぬきっかけが出来たかもしれないのに、辛抱強くあなたの話相手をしているわたくしの神経をこれ以上逆撫でしないでちょうだい」

 

僕が喋ったわけじゃない! とシリウスが憤慨した。「どうせベラやレギュラスだってわかってるだろ?」

 

「ええ、どうせね。どうせあなたにはわからないでしょうけれど、アンドロメダ・ブラックはブラック家の誇り高さを継いだ女性なの。ブラック家が死守するべき秘密をブラック家の人間が漏らし、それが親友の精神を死に至らしめる遠因になり、さらにそれを拷問したのが自分の姉ならば、死を選んでもおかしくないほどに。今はただ小さな娘のために生きているの、ギリギリの精神状態で」

 

ギラギラする目つきにシリウスはゴクリと息を呑んだ。

 

「そろそろ帰ったら? わたくしがあなたを殺したくならないうちに」

「申し訳なかった、レイ。すぐに連れて帰るよ」

 

リーマスが即座に立ち上がってシリウスの襟首を掴んだ。

 

 

 

 

 

ロンドンのブリクストンの路地裏、フィッグというスクイブの老婆と姪が暮らす家の庭に姿現しすると、リーマスがシリウスを塀に押しつけた。

 

「なんで姿くらましするんだよ、バイク置いてきちまっただろ」

「頼むから、うちのめされかけた人々に発破をかけて回るのをやめてくれないか?」

 

押し殺した声に、シリウスの苛立ちが募る。

 

「凹んだら負けだろ?」

「勝ち負けの次元の話じゃないって言ってるんだ!」

「ジェームズだったらそんなこと言わないぞ!」

 

当たり前だ、とリーマスがシリウスの襟首を放した。「違う人間だからね。だが君は、ジェームズがゴドリックの谷の家にほぼ軟禁状態になってからは、会う人会う人に、ジェームズが言いそうな軽口を期待して挑発している。モリー・ウィーズリーにそれをしたときは絞め殺したくなったよ」

 

「ガキどもは喜んでたじゃないか」

「ギデオンとフェビアンの死を理解出来ていたのは、長男とせいぜい次男までだ。残りは物心もついていない。1人は首も据わっていなかった」

 

リーマスはピシャリと撥ね付けた。

 

「君も誰かと結婚して子供を持っていれば、ジェームズがゴドリックの谷から出ないように自分を律していることも、ドロメダの罪悪感も、レイの怒りも理解出来ただろうに。まるでホグワーツの頃から成長していない」

「いいから、人狼の穴倉に帰れよ」

 

シリウスは犬を追い払うようにリーマスを追い払った。

 

振り返りもせずにリーマスが擦り切れかけた古臭いローブを翻して、治安の悪いマグルの路地裏に消えると小さく舌打ちをした。

 

「あいつに頼もうと思ってたんだけどな」

 

僕だってそれほど馬鹿じゃない、とシリウスは自嘲するように小さな笑みを口元に浮かべた。ブラック家の人間が知り得た情報をヴォルデモートに暴露し続けていることぐらい、もちろん理解している。だからといって自分にそれを止められたはずがない。シリウスが死喰い人のことを理解したときには、とっくにベラはヴォルデモートに取り入っていたのだから。

自分に出来ることは、櫛の歯が抜けるように欠け落ちていく不死鳥の騎士団の面々を鼓舞し続けることしかない。目の前にベラが現れれば殺してやる。レギュラスだって構わない。だが、あいつらは護衛無しにシリウスの前をウロつく立場ではない。

 

ブラック家は、名家中の名家、魔法界の王族とまで一般の魔法使いからは思われているのだから、血統の不確かなヴォルデモートにとって重要な切り札なのだ。

 

そんなブラック家の血を引く自分が秘密の守り人でいるのは、そろそろポッター家にとって安全だとは言いきれなくなってきた。

 

ダンブルドアから聞いたコンラッドの最期はあまりに無惨だ。自分がそんな目に遭ったなら、喋らない自信がなくなるほどに。幸いにして、シリウスはコンラッドが若くして落命した場合に『女王の代理人』がどうなるのかを知らない。少なくとも、自分を拷問したってそのことを喋る心配だけはないから、怜には殺されずに済みそうだ。

 

しかし。

 

ギデオンとフェビアンのプルウェット兄弟と同じように、ポッターとブラックはホグワーツでは常にセットの名前だった。ポッター家の秘密の守り人として、シリウスは絶対に狙われている。

 

ジェームズとリリー、そしてハリーを絶対に守らなければならない。

 

「あいつしかいないか」

 

もう一人の親友の頼りない顔を思い浮かべ、むしろそのほうが安全だと独りごちた。

 

リーマスは監督生としてそれなりに人望もあったし、ダンブルドアの信頼は厚い。しかし、人狼だ。リーマス個人の人格とは無関係に、人狼の集まる場所を転々と渡り歩く不安定な暮らしだ。信用できる人狼が果たしてどれほどいるのかまったく当てにできない。

 

あいつはそうじゃない、とシリウスは思った。誰がポッターとブラックの腰巾着のペティグリューに秘密を預けると考えるだろう。

 

 

 

 

 

「リリーに会って話したいことがあるの。会えるように取り計らってくれない?」

 

龍の形のパトローナスが怜の声でそう伝えてきたとき、シリウスは街でひっかけたマグルの女の子をベッドに残して、遅い朝のシャワーを浴びているところだった。

 

今日はハロウィンだ。

コーンウォールにはどうせバイクを取りに行かなくてはならない。追い出された気まずさから先延ばしにしていたが、良い機会だ。

怜からの連絡があったのだし、ハロウィンなのだし。怜の娘に大量のお菓子でも買って行ってやろう。怜のご機嫌とりを兼ねて。

 

タオルで頭をゴシゴシ拭きながら、杖を振った。現れた自分のパトローナスに向かい「今夜夕食に招待してくれよ。バイクを取りに行く」とメッセージを送った。

 

小さな女の子にはチョコレートだ、と考えながら服を着た。

 

「どうせレイのことだから、マグルの高級品しか食べさせないだろうな」

 

百味ビーンズは人間の食べ物では絶対にない、と真顔で突き返されたことはまだ覚えている。

 

「よし、ハロッズだ」

 

 

 

 

 

「なんなの、そのふざけた格好は」

 

笑いの欠片も見当たらないキツい視線で頭から足までジロリと見られた。

 

「ハロウィンだから、あんたの子供を喜ばせに来たんだよ」

 

ああハロウィン、と呟いて髪をかきあげた。

先日より更に痩せたな、と思った。細い銀のチェーンが鎖骨の窪みの深さを際立たせる。コンラッドが見たら泣くぜ、と思った。

 

「気を遣ってくれたのに悪いけれど、娘はいないの」

「まだ預けてんの?」

「悪い? わたくし、しばらく忙しいのよ」

「気も立ってるしな」

「わかってるなら、その忌々しい口を今すぐ閉じなさい」

 

肩を竦めて、真っ白のヘルメットを脱いだ。マグルの映画に出てくる帝国兵だ。

小脇に抱えたゴディバのチョコレートを渡す。「娘にだからな」

 

「ありがとう」

「ちゃんと人間の食い物だ」

「見ればわかるわ」

 

ダイニングに案内されたが、テーブルウェアが何も用意されていない。

 

「なあ」

「なによ」

「食いモンは?」

 

ああ、と怜が杖を振った。瞬時にテーブルに1人分の食事が現れる。

 

「あんた、飯食ってんの?」

「食べてるわよ」

 

絶対嘘だ、とシリウスは思った。

 

食が細いんだよな、とコンラッドが心配していたことを思い出した。ただでさえ食が細いのに悪阻がひどくて何も食べられないって言うんだ、と。

どうしようどうしよう、と柄にもなくシリウスは混乱した。口に突っ込めば食うかな? いや、その前に僕が殺される。

 

「・・・コンラッドの両親は?」

「3日前からロンドンよ」

「何しに?」

「わたくしたちの家の改装の手配よ」

「つまり3日前から食ってないの?」

 

頼みの綱は留守だった。

 

「いいから、あなたは食べなさい」

「・・・はい」

 

食事を(シリウスだけが)始めると、怜がリリーに会う目的を切り出した。

 

「リリーが研究しているものがあるはずなのよ。ジェームズと結婚する頃に、わたくしはその件について相談を受けていたわ。もう一度、詳しく話を聞きたいの」

「リリーが研究?」

「魔法薬の新薬の構想を練っていたの」

 

まぁだそんなこと言ってんの? とシリウスは呆れた。「今はそれどころじゃないだろ、あんた」

 

「今の問題じゃないわ、これからの問題よ。絶対に必要なの」

「あんたの、なんていうか、こう・・・寒々しい発想とリリーの研究じゃ合わない気がするけど」

「リリーのは天使のような構想よ、もちろん。精神不安定な患者の魔力暴発に関わる新薬。名前だけは確か決まってるの・・・何だったかしら・・・アンナ、違う・・・アイリス、アリ、アリス、アリアナ。そうだわ、アリアナの安らぎという名前の薬にするって言ってたわね。リリーに聞けば間違いないと確認出来るはずよ」

 

んで、と腹を撫でながらシリウスは尋ねた。「アリアナの安らぎがあんたの仕事と関係あるの?」

 

「あるわ。その件でリリーに会う必要があるの。連れて行って」

「そりゃ無理だ」

 

怜が不審そうに眉を寄せた。

 

「だって秘密の守り人は僕じゃないもん」

「リーマス?」

 

シリウスは首を振る。

まさか、と怜が掠れた声を出した。

 

「ピーターだよ」

 

誰もピーターが守り人だなんて思わないだろ? と得意げに笑ってみせる間に、怜がつかつかと歩いてテーブルを回り、シリウスの頬を火花が散る勢いで叩いた。

 

「あなた、ジェームズの一家を殺す気なの?」

「なんでそうなるんだよ」

 

いてて、と頬を撫でた。

 

「今すぐに秘密の守り人を変えなさい。なんならわたくしでもいいわ」

「出来るわけないだろ!」

「いいこと、シリウス・ブラック。人間には出来ることと出来ないことは厳然としてある。ピーター・ペティグリューはダメ」

「ピーターは僕たちの親友だ!」

 

そういう問題じゃないわ! と久しぶりに頭ごなしに怒鳴りつけられた。

 

「なんでだよ。ピーターだってスリザリンの奴らに負けやしなかったよ」

「あなたやジェームズやリーマスの陰にいられればね。今は違うでしょう! 不死鳥の騎士団員でさえ常に行動を共にすることは出来ない。連絡もままならない。そんな不安の中で秘密を抱えるプレッシャーに耐えられる男じゃないわ! いくつもの命が懸かってるの、友情ごっこを持ち込むのはやめなさい!」

「なんでだよ! 決めつけんなよ! ピーターだってわかってるよ!」

「あなたがわかっていないのよ! 親友だというのなら、ペティグリューに出来ることと出来ないことぐらい弁えなさい!」

「ピーターだって秘密は死んでも守るさ!」

 

あなたは? とひどく冷たい眼差しで聞かれた。

 

「え?」

「秘密を死んでも守る自信があったなら、あなたが守り人のままでよかったはずよ」

「それは・・・」

 

シリウスは目を逸らした。

 

「自分に出来ないことをペティグリューに期待したの? あなたの言う友情や親友って昔から薄っぺらいわね」

「僕とピーターは違うだろ! 僕はブラック家を捨てたシリウスだ! 死喰い人は絶対に僕を秘密の守り人だと思って狙ってる!」

 

だから? と怜が押し殺した声を出した。「自分の代わりにペティグリューを死喰い人に差し出しただけだわ」

 

「違う! 僕と違って誰もピーターが守り人だなんて思わない!」

「馬鹿じゃないの! 死喰い人が何人いると思うの! あなたもリーマスもペティグリューも、全員をいっぺんに拷問する数ぐらい揃えてるわよ!」

 

そのときだった。

不死鳥のパトローナスが、ウィンストン家の磨き上げられたダイニングテーブルに舞い降り、ダンブルドアの声でポッター家が襲撃されたことを告げた。

 

 

 

 

 

 

杖を奪われ、拘束されて、アズカバンに送られる間、シリウスは自己弁護さえしなかった。ピーターを殺せただけで十分だ。今さら救われようとは思わない。

 

「被告側証人の出廷は拒否されたわ」

 

アズカバンの面会室で、濃紺のローブに赤の肩帯を垂らした魔法法執行部職員が法廷に出るときの正装のまま、怜が言った。

 

「いいよ、もう」

「シリウス」

「自分のしたことぐらい、もうわかってる。僕がジェームズとリリーを殺した」

「感傷に浸るなら後になさい」

 

きっぱりと怜がシリウスの甘えを断ち切った。

 

「すぐには出してあげられない」

「ここで死ぬだけさ」

「ハリー・ポッターの名を握る者は、もうあなたしかいないのに? 誰が彼を守るの」

「・・・ダンブルドアが全部うまくやってくれる。ハグリッドがそう言ってハリーを連れて行ったよ」

「ダンブルドアにも、ハリーのために出来ることと出来ないことがあるわ。あなたはハリーのゴッドファーザーよ。生きるために足掻きなさい」

 

こんなところでどうやって、とシリウスは呟いた。

 

「シリウス、昔言ったことを覚えてる?」

「昔?」

 

すっ、と怜が長い指を立てた。すぐにわかって、シリウスは苦笑した。

 

「ここじゃ空は見えないよ、レイ」

「リーマスのために自分たちがしたことを思い出しなさい。友情ごっこをごっこで終わらせないために」

 

命令よ、と言って怜は帰っていった。

 

 

 

 

 

 

僕は怜にもドロメダにもアリスにも甘えてばかりだった、と独房に横たわり、シリウスはぼんやり考えた。

 

最初に怜からマクゴナガル先生に突き出されたあとのことを思い出して、小さく笑って、目尻から涙が零れた。アリスは小さな弟にそうするようにシリウスの鼻先を弾いたのだ。あのアリスはもうどこにもいない。

 

謎のような言葉だけを残して精神が焼き切れたと聞く。

 

ーーウロボロス

 

また蛇の名前か、とうんざりしながらも、あることに気づいた。

 

「輪?」

 

ドロメダがアリスの息子のゴッドマザーだ。だったらドロメダは誰に頼んだ? 怜は?

アリスの最期の言葉を聞いたのは誰だ?

 

ーーあなたはハリーのゴッドファーザーよ

 

「なんてことだ・・・」

 

シリウスは汚い床の上で頭を掻きむしって羞恥と後悔にのたうった。

 

ドロメダはロングボトム家に足繁く通うことなどなくても、生きることで守っているのだ。おそらく、怜も、アリスもそうだ。互いの子供たちを守るシステムがそこにあるに違いない。

 

名前を考えるのは両親なのに「名付け親」だなんてただの儀礼に過ぎないと思っていた。ジェームズの一番の親友としてゴッドファーザーに指名されたに過ぎないと。

ハリーが生きていくのに必要な財産はポッター家にいくらでも遺されている。自分が手を出さなければ生きていけないわけではない。「生き残った男の子」だ。ダンブルドアがその財産で誰かに預けるだろう、と。

 

「違う。ハリーに関しては、むしろ僕こそが生き残らなくてはいけない」

 

シリウスは頬を拭い、独房を見回した。脱獄不可能な監獄だ。杖さえない。でも怜は言った。「生きるために足掻け」と。

あの人たちの言うことに間違いは今まで一度もなかった。ドロメダも怜も、はぐらかしはしたけれど、間違いをシリウスに教えたことは一度もない。アリスのマンドレイク問題さえ間違いではなかった。スプラウト先生からは盛大な罰則を喰らったけれど。

 

「足掻けば生きられるに決まってるんだ」

 

それは希望ですらなく、シリウスにとっては明らかな事実なのだった。

 


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