サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第3章 猫と鼠

びろん、とロンの羊皮紙の上に伸びた鼠を羽根ペンの羽根でつつき、蓮は「ロン、スキャバーズはあなたたちの部屋に置いて」と言った。

 

「鼠ぐらい平気だろ?」

「ハーマイオニーのクルックシャンクスを談話室に連れてくるのは咎めるくせに、スキャバーズはいいの?」

「スキャバーズのほうが先にここに住んでる!」

「とにかくハウスよ、スキャバーズ。わたくし、禿げかけた鼠なんて可愛いとは思えない。弱った鼠をポケットに入れて連れ回さないで、きちんとしたケージに入れて刺激を与えないように安らかな余生を送らせればいいじゃない。先が短いんだから」

 

なんて非道なことを、というような目でロンは蓮を睨んだ。

 

「だいたい1年生のときも2年生のときも部屋に放っぽり出していながら、どうしてハーマイオニーがクルックシャンクスを飼い始めた途端に談話室にまで連れてくるのよ」

 

ハリーがロンの肩を叩いた。「ロン、スキャバーズには談話室はストレス過多だ。部屋に連れてってやれよ」

 

わざとドスンドスンと足音を立てて男子寮への階段を上るロンを見送って、ハリーが「ロンはスキャバーズの元気がないから心配なんだよ」と言った。

 

「単なる老衰でしょう」

「ストレス過多なのはスキャバーズだけじゃない、ハーマイオニーもだ。君、何か知らないの?」

 

知らない、と蓮は答えた。

 

「女の子同士って何でも話すのかと」

 

ハリー、と蓮が顔を上げる。「わたくしが例えばパーキンソンと同じ言語を使っていると思うの?」

 

「君とハーマイオニーのことだよ」

「ブラのサイズは測り合うけど体重は知らない」

 

バサバサと教科書や羊皮紙をまとめると、蓮は立ち上がった。

 

取り残されたハリーは「つまり割と秘密のサイズを知ってるじゃないか」と赤くなって呟いた。

 

 

 

 

 

ハーマイオニーのベッドの上でくーかくーかと寝息を立てているクルックシャンクスを見遣り、ハーマイオニーは小さく溜息をつく。

 

クルックシャンクスがスキャバーズを狙うのは猫だから仕方がない。なるべく談話室に連れていかないようにしてはいるが、この狭い部屋に閉じ込めてばかりもかわいそうだ。

 

「ロンさえスキャバーズを連れ回さなきゃいいじゃない」

 

ボソッと呟くと、1人の部屋に存外に響いた。

 

「ハーマイオニー?」

 

教科書や羊皮紙を抱えた蓮が戻ってきた。ルーン文字列表がぴらっとはみ出している。

 

「ハリーやロンと宿題するんじゃなかったの?」

「鼠が邪魔」

 

ハーマイオニーのベッドに教科書と体を投げ出して「クルックシャンクス、君は混血だな?」と蓮が言った。

 

「猫は犬と違ってたいてい混血よ」

「猫とニーズルの」

 

ハーマイオニーは思わず振り返った。

 

「クルックシャンクスが、ニーズル?」

「ハグリッドが言ってたでしょう、去年。この世のものとも思えない賢い猫が生まれるって。クルックシャンクスがたぶんそれよ」

「どうしてそう思うの?」

「ハーマイオニーはここに閉じ込めてるでしょう?」

 

もちろん、とハーマイオニーは頷いた。しかし蓮はけろっとして「自由に外出してる」と笑う。

 

「そんな!」

「今日はわたくしのジョギングを監督してくれたわ。たぶんドアの開け方を知ってると思う」

 

えー、とハーマイオニーは脱力した。「それ、ロンが知ったらまたあの見すぼらしい鼠の衰弱をこの子のせいにされちゃう」

 

「あんなに神経質にならなくていいのにねー、クルックシャンクス?」

 

クルックシャンクスはゴロゴロと喉を鳴らして蓮の体に自分を擦り付けた。

 

「蓮、あなた、意外と動物に好かれるわね」

「嫌われてると思ったことはないわ。あ、違う。ロンの鼠はわたくしを避ける」

「あなたが睨むからじゃない?」

「じゃ、わたくしもそのうちあの鼠の敵とみなされるわね」

 

 

 

 

 

蓮は結局ハロウィンの日のホグズミード行きには参加しなかった。

 

談話室で「アーサー王と円卓の騎士」を読んで過ごすことにしたが、ハリーが「気を遣わなくていいのに」と言うのにうんざりして、部屋に戻ると、どさっとベッドに寝転んだ。隣にクルックシャンクスが横たわった。猫のほうがよっぽどマシだ、と蓮は思った。

 

ロンとハーマイオニーは猫が悪いか鼠が悪いかで言い争いばかり。

ハリーはホグズミード村に行けないぐらいで世界の終わりのような悲愴感。

 

鼠はいつか死ぬものだし、そもそもお下がりの鼠なら猫がいなくても弱って当然だ。クルックシャンクスはまあ若いとは言えないかもしれないが鼠よりは寿命が長く、まだ狩りをする程度の若さがある。

鼠がそんなに大事なら、きちんとしたケージを用意して、ふかふかのベッドと水と消化の良い食事を切らさず、安定した環境に置けば少しはマシかもしれない、という次元の話だ。

 

ハリーにしたって、ホグワーツ特急では深刻そうに「シリウス・ブラックが僕を狙ってるらしい」なんて言ってたくせに、ホグズミードに行きたくてたまらないなんて矛盾している。ホグズミードはホグワーツではない。大人の魔法使いなら姿現しですぐに来られる村なのだ。

 

「クルックシャンクス」蓮は隣のクルックシャンクスを睨んだ。「わたくし、猫語の能力はないけれど、あなた、何か企んでるでしょう」

クルックシャンクスがスキャバーズを狙う執着心も尋常とは言えない。猫が鼠を捕るのと同じならば、スキャバーズばかりでなく、他の鼠を捕獲してハーマイオニーに見せに来るはずだ。

 

「あのいけすかない禿げの鼠が嫌いなのはわたくしも同じだけれど、もう少し控えたら?」

 

クルックシャンクスは「知ったことかよ」という目つきでジロっと蓮を見遣ると狸寝入りを始めた。

 

 

 

 

 

ハリーと蓮にお土産をあちこちで買って、本場のバタービールを飲みに「三本の箒」に立ち寄った。

 

「レンはまだイライラしてるの?」

「してる」

「事情は聞いたの?」

 

聞かないわ、とハーマイオニーは答えた。「レンってもともと自分の感情をあれこれ訴えない人だもの。必要なことは言うけど、必要だと思うまでは言わないの」

 

「僕なんかなんだってハリーに話すけどなあ」

 

でしょうね、とハーマイオニーは胸の中で思った。

 

「必要だと思ったときが緊急事態になってからだから言葉足らずになることは多いけど、必要なときには話してくれるから別にいいわ」

 

僕さあ、とロンが口ごもる。「ボガートのアレが気になってるんだ。ボガートが自分のパパになるってなんでだい?」

 

「レンのお父さまが早くに亡くなってらっしゃるから、それに関係するとは思うけれど、聞くに聞けないわよ」

「僕の蜘蛛のことはからかうくせに」

「蜘蛛嫌いは前からわかりきってますからねー」

 

鼻につく発音の生理的嫌悪感を誘う声が聞こえたのはその時だった。

 

「なあんだ、知らないのか、君たち」

「失せろマルフォイ」

「ウィンストンが父親の話なんかするもんか」

「うるさいわよ、チワワ」

「闇祓いに殺された闇祓いの恥晒しだからな」

 

行こう、とロンがハーマイオニーの腕を引いて立ち上がった。

 

「逃げるのかい? ポッターとウィンストンがいなかったら」

「いいかマルフォイ。僕たちは友達のプライバシーは本人から聞くまで何も信じない。おまえの言うことが本当かどうかには意味がない。耳に入れる価値もない。聞く意味がないんだ」

 

ロンがそうきっぱりと言い、ハーマイオニーは少しだけロンに対する認識を改めた。スキャバーズとクルックシャンクスのことでは、器の小さいつまらない男だと思っていたけれど、通すべき筋はきちんと通っているらしい。

 

 

 

 

 

ハーマイオニーとロンが買い込んできたお菓子を食べながら、ハリーがルーピン先生の部屋での出来事を話すのを黙って聞いていた。スネイプが魔法薬を煎じてゴブレットでルーピン先生に持ってきたというのだ。

 

「その薬を調合できる魔法使いは少ないからスネイプと同じ職場なのはラッキーだ、なんて言いながら飲むんだ。僕、よっぽどゴブレットをルーピン先生の手から叩き落とそうかと思ったよ」

「スネイプは、態度はアレだけれど魔法薬学者としては優秀だから、それは当然だと思うわよ」

 

蓮は肩を竦めて言った。ハリーのスネイプ嫌いは仕方ないが、生徒の目の前で毒殺騒ぎを起こすほどスネイプは愚かではないだろう。

 

「君、スネイプの味方するの?」

「味方とかじゃなくて、客観的事実を述べただけ」

 

ハーマイオニーが「そろそろ大広間に行かない? あと5分でハロウィンパーティよ」と言った。

 

途端に蓮の表情が幸せそうな微笑に変わる。

 

「レン、いつも言ってるでしょう。そういう顔はパンプキンパイじゃなくて男子に見せなさい」

「3年生にして初めてハロウィンパーティに参加出来ると思うと幸せで」

 

まったくだ、とロンが頭を振った。「1年目はトロール、2年目は絶命日パーティだもんな」

 

「僕、ハロウィンは呪われた日だと信じるところだった」

 

ハリーがしみじみと言ったのだった。

 

 

 

 

 

素晴らしいご馳走に楽しいゴーストの余興。

パーバティが「3年生にして初めてあなたたちのテイクアウトの心配をしなくていいかと思うと感無量よ」と言った。

 

そんなパーバティも、ハーマイオニーも蓮も手ぶらで満足しながらグリフィンドール塔へ上がろうとすると、生徒たちが立ち往生していた。

 

「なにこれ、渋滞?」

 

蓮がパーバティに尋ねるが、パーバティは「こんなの初めて」と首を振る。

 

「通してくれ!」

 

言いながら人波を掻き分けて前へ進んだパーシーが、突然鋭く叫んだ。

 

「だれかダンブルドア先生を呼んでくれ! 急いで!」

 

ハーマイオニーは隣に立つ蓮が「ハーマイオニー、占い学の教科書にメモしておいて」と呟くのを聞いて溜息をついた。「『我々のハロウィンは常に呪われている』のよね、どうせ」


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