サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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閑話14 地獄から来た魔女

ゴードンは心底から冷え切っていた。

 

戦争帰りの足のないマグルに「痛み止め」と称して、幻覚キノコを売りつけただけでアズカバンにぶち込まれた。大したことじゃないはずだ。少なくともこんな目に遭わされるほどのことではない。

ゴードンにはホグワーツに入学するほどの魔力はなかった。スクイブにしては魔力があり、しかしまともな魔法使いになるには魔力が足りない、中途半端な人間だ。中途半端なりに中途半端らしく生きていくにはそういうやり方しかないではないか。

 

「あなたの人生を聞きに来たわけではありません」

 

寒さに震えながら訴えるゴードンを、目の前の冷たい美貌の魔女は両断した。

 

「わたくしは魔法省魔法法執行部の研修生です。あなたの犯罪について、ディメンターの影響下で聴取に従事する訓練のために来たのです。悲劇的な人生の件は手記にでもお書きください」

 

ひっつめ髪に黒縁の眼鏡をかけた無表情な魔女だが、美人であることに間違いはない。

 

「聴取を再開します。あなたが採集したキノコの作用を理解していましたか?」

 

こんな調子の聴取とやらが、もう5時間も続いている。

 

普通は研修生の聴取は2時間がせいぜいだ、と雑用係を兼ねたスクイブの看守が言うから受けたのだ。こういう魔法省に協力的な囚人は、国王あたりにめでたいことがあれば恩赦が与えられる。エリザベス王女がそろそろ戴冠しそうだから点を稼いだらどうだ、とその看守が言ってくれた。「なに、大したことじゃない。法執行部のエリート様がこんな掃き溜めに何時間もいられやしないさ。せいぜい2時間だな。それに2回か3回付き合ってやるだけでいい。あいつらは既定の53時間の聴取を経験するために来るんだ。せいぜい世間話でもしてやればいいのさ」

 

嘘をつきやがった、とゴードンは舌打ちをした。こほん、と咳払いをしたスクイブの看守が「ミス・マクゴナガル、時間はよろしいのでしょうか? イングランド本土まで、アズカバン上空の嵐の中を帰るには3時間ほどかかりますが」と助け船を出した。

 

問題ありません、と「ミス・マクゴナガル」は冷たい声で答えた。「わたくしは研修終了までこちらの職員待機室に宿泊しますので。ディメンター影響下での業務は6時間以内と定められていますから、あと1時間です」

 

唖然と口を開けてゴードンと看守は顔を見合わせた。

 

「なにか?」

「あ、あんた、ここに泊まるなんて、本気かよ?」

「もたもたと1ヶ月近くこんな嵐の中を箒で通勤するより、一気に終わらせたほうが安全です。聴取を再開します」

 

 

 

 

 

職員待機室のなかなか温度が上がらないシャワーを浴びながら、浴室内の温水器をガンと殴った。

ここではあらゆるものが、なにかしらの不備を備えている。

 

「チョコレートだけでは死ぬわね」

 

さすがのミネルヴァも6時間のディメンター影響下にあっては心身共に凍えそうだ。

ロンドンのフラットをシェアしている柊子ならば、おそらく過敏過ぎて倒れてしまうだろう。あの女は闇の魔術に敏感だが、それが役に立つのはその闇を吹っ飛ばしていいケースにおいてだ。ディメンターを吹っ飛ばしたら逆に犯罪者にされてしまう。

 

ガタガタ震えながらネグリジェの上からウールのタータンを体にぐるぐると巻きつけた。豆のスープを流し込み、チョコレートを食べて、報告書専用の羊皮紙を取り出した。

 

「聴取時間6時間、受刑者の体調はディメンター影響下の範囲において正常、と。非魔法族の復員軍人に売却したキノコの作用の概要は理解していたが、副作用として精神疾患を招く危険性の理解に乏しく」

 

そこまで書いたところで、ミネルヴァは体をぶるっと震わせた。

 

杖を振り、簡易ベッドの上に寝支度を整えたが、このまま寝るより猫になって布団に潜り込むほうが温かいのではないかと思う。

 

「アズカバンには夜勤の看守はディメンター以外にいないのだから、まあ問題はないでしょう」

 

 

 

 

 

翌朝、目を覚ましたミネルヴァは、ふむ、とひとつ頷いた。昨夜感じた体力や気力の消耗は回復している。この調子なら予定通りの期間で研修をクリア出来そうだ。

 

「つまりきちんと熟睡すればディメンター影響下でも継続活動は不可能ではないのね」

 

報告書に付記しておかなければ、と思いながら人間に戻った。

 

 

 

 

 

×××××

 

 

 

 

 

「地獄から来た魔女、ですか?」

 

ウィゼンガモット法廷のインターンをしている怜は、思わず吹き出した。

 

「アズカバンにはスクイブの看守がいるのは知っているでしょう? 彼らの間の伝説なの」ランチを食べながら、判事補のアメリア・ボーンズが頭を振る。「通常は1ヶ月程度かかる地獄のアズカバン研修を10日足らずで終わらせた魔女がいるそうよ」

 

「どなたでしょう?」

 

わたしじゃないことは確かね、とアメリアが笑った。「頑張っても1日4時間が限界だったわ。翌日は箒に乗る余力もなかった」

 

確かに、と怜は頷く。先輩インターンの話ではアズカバン上空は常に嵐だ。スクイブの看守の送迎のために空飛ぶ車があるが、それを使うならば最低6時間はアズカバンに滞在しなければならないので、インターンは箒でアズカバンに通うのだ。

 

「淡々と冷徹に聴取を続ける様は、それそのものがもはや拷問のレベル。それを毎日6時間コンスタントに続ける魔女。人間技じゃないわ」

 

フォークを握ったまま怜は「スクイブの看守を施設管理に雇用するようになってからの研修生ですよね。確かスクイブの看守には魔法睡眠薬が支給されます。完全な熟睡が出来れば継続活動は可能なのでは?」と考えを口にした。

 

「真面目に考えればそうなるわ。でもただの伝説だと思うわよ。ディメンター影響下で完全な熟睡が出来るなんて人間技じゃないもの」

 

そうですね、と怜は苦笑した。

 

ーー人間技じゃない

 

その言葉が妙に耳に引っかかった。

 

 

 

 

 

人間技じゃないことが出来る魔法法執行部職員研修生なら1人だけ心当たりがある。

 

「ミネルヴァ・マクゴナガル」の名前を資料庫から探すのは大した労力ではなかった。

 

「ビンゴ」

 

パラパラと研修レポートをめくった怜は満足げに口角を上げた。「人間技じゃないことをするならば、人間じゃなくなればいい」

 

 

 

 

 

スクイブの看守は、驚きを顔に出さないように拳を腰の後ろでぎゅっと握りしめた。

 

ーー地獄から来た魔女の伝説はガセじゃない

 

先輩の先輩の先輩の先輩の先輩の同僚が見たんだってよ!と同僚が話す「伝説」など鵜呑みにしたことはなかった。

 

もう3日目だ。

 

「あなたの罪状は非魔法族の若者が死亡した問題に留まりません。あなたが売った『葉っぱ』に魔法をかけたことでもない」

 

優雅な立ち居振る舞いの美しい魔女だが、にこりとも笑わない。

笑わない研修生なら掃いて捨てるほどいるが、アズカバンに泊まり込む研修生なんて前代未聞だ。

 

「1番重い罪を理解していますか?」

「わ、わかってるよぉ」

 

受刑者のマルコムはガタガタと震えている。奥歯まで震えているせいで、呂律が回っていない。

 

「あなたの罪状の中で1番重い罪とは?」

「だからよ、頼むよ・・・『葉っぱ』がアメリカのやつだったからだろぉ?」

 

そう、と魔女は顔の前で両手の指を組んだ。

 

「アメリカ産の『葉っぱ』ですが、それだけではない。あなたが接触したアメリカ人、つまり『葉っぱ』を仕入れた相手は魔法族でしたか、それとも非魔法族でしたか?」

「・・・う」

「答えてください」

「な、なんでだよぅ、そんなことウィゼンガモットじゃあ聞かれやしなかったのによぅ」

 

ああ安心してください、と魔女は顔色ひとつ変えずに言った。「いまさらあなたが何を喋ろうと、あなたの刑期が延びることはありません。わたくしが判事ならば必ず確かめるべきだと考える質問をしているだけです。国際魔法族法により、自国から出荷してはならない品目に指定された『葉っぱ』を出荷した者が魔法族か非魔法族かで意味は大きく変わりますので」

 

「ま、魔法使いだ! アメリカの魔法使いの間で使われている『聖なる葉っぱ』だって言ってた!」

「あなたはそれが魔法植物だと理解していましたか?」

「魔法使いが売りつけてきたんだ、魔法植物に決まってら」

 

そうでしょうね、と魔女は頷いた。「ドラゴン革の手袋で手を保護した状態で逮捕されたようですから。つまり、あなたは『葉っぱ』に火をつけて吸引する場合のみならず、成分の皮膚浸透を予防していた。違いますか?」

「ち、ちちちち、違わねえ・・・手から汁が入ると頭がイカれちまう」

「それを非魔法族の若者に『ぶっ飛ぶのにぴったりの葉っぱ』として売却する危険性は?」

 

マルコムはガタガタと震え過ぎて、椅子から滑り落ちた。

 

「た、頼むよ、もう無理だ!」

 

マルコムが叫ぶと、魔女は「看守」と静かに呼んだ。「彼のバイタルチェックを。規定範囲内ならば聴取を続行します」

 

鬼だ! とマルコムが怯えて叫んだ。

 

「鬼じゃあないさ、マルコム」魔女に指示されてマルコムを独房まで送りながら、スクイブの看守が言った。「あれは『地獄から来た魔女』だ。俺も初めて見た。あいつらにはディメンターの冷気が効かねえんだとよ」

 

 

 

 

 

職員待機室の3つの鍵をいっぺんに施錠呪文で施錠すると、怜は急いでチョコレートを口に詰め込んだ。

 

ーー確かに人間技じゃないわ

 

ミネルヴァ・マクゴナガルの記録に迫る方法にはすぐに気づいた。しかし、自分の体質を忘れていた。

 

「死にそう」

 

チョコレートを咀嚼して、僅かに寒さを払いのけると、魔法法執行部インターンの制服(濃紺のローブに空色の肩帯)を脱ぎ、大学のロゴの入ったスウェットのパーカーをかぶった。

 

報告書を書くのは無理だ。要点だけメモしたら、すぐに熱いシャワーを(温水器の機嫌が良ければ)浴びて猫にならなければならない。

 

ーーキャットフードを持ってくれば良かった

 

味のしない豆のスープを顔をしかめて押しやった。

 

 

 

 

 

ひと回り痩せて「地獄のアズカバン研修」を終え、ペレネレおばあさまの看護で週末を過ごしてから魔法省に出勤すると、アメリア・ボーンズに捕まった。

 

「地獄からおかえりなさい。ちょっと来てくれる?」

 

アメリアのオフィスに引っ張り込まれ「いったいどうやってこんな無茶を」と睨まれた。

 

「アメリア、報告書に書いたほうが良いでしょうか?」

「・・・何を?」

「動物もどきにアズカバンはあまり意味がないということを」

 

怜はアメリアに説明した。「地獄から来た魔女」の伝説の真偽を確かめるために、過去のインターンの報告書を読んだこと、ミネルヴァ・マクゴナガルがそれに相応しい短期間で精度の高い聴取をしていたことを。

 

「マクゴナガル先生は、動物もどきです。人間技を超える手段を持っています」

「だからって、あなた・・・え、あなたも動物に変身したっていうの?」

 

怜は頷いた。「登録はしていません。杖無しで使うことがあるとは思いませんので」

 

「それで?」

「アメリア、ディメンターに耐える手段は存在するということです。ディメンターが気力を失わせる性質に依存する現在の収監システムは危険です」

 

アメリアはじっと怜を見つめた。

 

「収監システムが危険なら、犯罪者に生存権が認められなくなるわ」

「それは・・・」

「動物もどきになれる人間はそう多くはない。あなただって杖を使って変身した。受刑者に杖の携帯は認めない」

「はい・・・」

「NEWTの範囲にさえ含まれない困難な、完全な動物もどきの術を独学で訓練する犯罪者が何人いるかしら」

 

怜は黙った。

 

「その報告は、わたしが口頭で受理したわ。報告書に記載する必要はない」

 

アメリアはきっぱりと告げた。

 

「ですが、アメリア」

「あなたは受刑者の命を奪いたいの? イギリスの魔法族はディメンターがアズカバンを守ることで安心して暮らしているわ。ディメンターに弱点があるとわかったら、受刑者の刑罰は極刑しかなくなる。もちろんそのシステムはいつかは変えなければならない。でも今じゃない。安全に魔法族を収監出来る別の手段が見つからない限り、絶対に知られてはならない」

 

アメリアの言いたいことは痛いほどに理解出来た。

 

「おそらくマクゴナガル先生もそう思って報告なさらなかったのよ」

 

それは疑わしい、と怜は思った。こんなことをやってのけたのは、ミネルヴァ・マクゴナガルが最初だ。気づいていないだけだという可能性が高い。

 

アメリア・ボーンズのオフィスを出て、聴取した受刑者の資料を資料室に返却に向かいながら、怜は小さく溜息をついた。

 

杖無しで変身出来ることを知られるわけにはいかないので、ああは言ったが、怜にとって動物もどきの術の習得は、さほど困難なものではなかった。怜の祖母は度々怜をあやすのに庭石を動物に変身させて見せてくれた。怜自身を動物に変身させるのも頻繁なことだったのだ。

変身術の7年生までのカリキュラムを先取りして習得したあとに、新たな研究として手をつけたら、あっさりと出来てしまった。

 

窓に映し出された空の景色を模した魔法を眺めやり「ディメンターを廃した受刑者の収監の手法」と呟いた。

おそらくそれは職業人生をかけたテーマになるはずだ、と思った。


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