サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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第5章 変身術の補習

窓の外は吹雪なのだろう。

マクゴナガル先生の部屋の窓をびっしりと白い雪が塞いでいる。

 

「体調は?」

 

マクゴナガル先生の端的な質問に「あまり気分が良くはありませんが、日中の活動は支障ありません」と答えた。

 

「夜は魔法睡眠薬を飲んでいますか?」

「はい。マダム・ポンフリーから処方していただいています」

 

ふむ、とマクゴナガル先生は頷きながらも、何か考え込んでいる。

 

「ウィンストン、気休めかもしれませんが、試してみませんか?」

「何をでしょう?」

「動物もどきになりなさい」

 

蓮はぽかんと口を開けた。

 

「魔法睡眠薬の服用期間があまり長くなるのは歓迎できません。かといって、あなたの一族の体質を考えると、ディメンターに包囲された校内では体力や気力が人より早く削られてしまいます。ディメンターの包囲期間がこれほど長くならなければ良かったのですが、それは今言っても仕方がありませんからね。わたくしの経験上、動物に変身している間はディメンターの影響をあまり受けないような気がします。あなたが動物に変身して眠るようにすれば睡眠薬を使う必要がなくなります」

 

マクゴナガル先生、と蓮はぽかんとしたまま尋ねた。「動物もどきにはそんなに簡単になれるものでしょうか?」

 

「普通はなれませんし、大して役に立つ能力でもありませんから、たいていの人は習得の努力をしません。わたくしの場合は2年かかりました。2年生から始めて4年生のときには変身出来るようになりましたから、あなたに無理なことではないと判断しています。わたくしは、2年生から独学で理論を学び、独学で訓練をしました。あなたの場合は、わたくしが最短距離の理論を教え、訓練しますから、すぐに出来るようになるでしょう」

 

蓮は疑わしげに首を捻った。「いや、それは」

 

「ウィンストン、あなたには素質があるのに欲がないという困った悪癖があります」

「はあ・・・」

「ミス・グレンジャーのような貪欲な知識欲があなたにはなさすぎる。そのくせ、実習してみればすぐに出来てしまうから、欲を感じる暇もない。もって生まれた素質だけで世の中を渡るつもりですか?」

 

蓮はお説教の気配を感じて姿勢を正した。

 

「あなたは、魔法族としてもマグルとしても非常に恵まれた環境に生まれ育ちました。ですが、それだけです。持って生まれた素質や家族の財産があれば、自分自身の将来に不安はないでしょう。ですが、本当にそれだけで満足出来るほど人生は短くない。もっと欲を持ちなさい。どんな魔女を目指していますか?」

「えーと、普通の」

「・・・無理なことを言うものではありません」

 

マクゴナガル先生は頭が痛いと言わんばかりに眉を寄せて頭を振った。

 

「現時点ですでに普通ではありません」

「・・・わたくしは将来は日本に帰ってマグル界で暮らすので」

「あなたはまったくわかっていませんね。国際魔法使い連盟の日本代表上級大魔女が、マグル界の神主の仕事しかしていないと思っているのですか!」

 

怒声に蓮はビクっと身を竦ませた。

 

「そもそもあなたは自分のことすらわかっていない! どこがどう普通だと思っているのです! 普通のホグワーツの女子学生は1年生で賢者の石を粉々にしたり、2年生で妙な大蛇を凍結させたうえに爆破などしません!」

 

蓮は溜息をついた。「客観的に聞くとひどい有様ですね」

 

「ならば3年生で動物もどきになるぐらい、まともに名誉なことをなさい」

「め、名誉? マクゴナガル先生、まさか・・・」

「変身術の教授が個人指導をしたのに未登録で済ませられると?」

「あの、わたくし、たぶん大した動物にはなれないと思うのです。アラスターおじさま、いえ、ミスタ・アラスター・ムーディに変身させられたときは三毛猫でした。ですから、ほら、どこにでもいる野良猫でしょう? 登録する意味が」

「あるかないかは問題ではないのです。規則です、規則!」

 

憮然としてマクゴナガル先生は言い放った。

 

「わたくし、今年は魔法薬学を頑張ろうかと」

「それほどスネイプ先生を尊敬しているのですか? まったくそうは見えませんが」

「えーと、ホグワーツ特急の中で蛙チョコカードで占ったら魔女モルガナだったので、今年は魔法薬学が伸びる年ではないかと思います」

 

マクゴナガル先生は「ウィンストン」と呟いた。

 

「は、はい?」

「魔女モルガナは、知識に長けていたことから魔法の大鍋の守護者と言われますが、動物への変身能力を最初に認められた魔女なのです」

 

つまり、と返す言葉に詰まる蓮にマクゴナガル先生は無慈悲に言った。

 

「わたくしは占いなどまったく信じない人間ですがあえて言います。蛙チョコカードはあなたに動物に変身しろと言っています。間違いなく」

 

 

 

 

 

マクゴナガル先生の部屋からとぼとぼと帰ってきた蓮にハーマイオニーが「罰則は終わった?」と尋ねると、力無く首を振り「明日からこの時間はずっと補習」と返事が返ってきた。

 

「補習?」

「あなたいったいどんな失敗をしたの? マクゴナガル先生はネビルにさえ滅多に補習なんてしない先生なのに!」

「毎日だなんて!」

 

ハーマイオニーとパーバティは叫んだ。

マクゴナガル先生は「変身術はホグワーツで学ぶ魔法のうちで最も難しい学問」だと言って憚らない。なので5年生で受けるOWL試験の成績が一定レベルに達していない生徒にはそれ以上の履修を認めないし、明らかに成績が劣っている生徒であっても当人が申し出ない限り補習をしない。能力と努力と意欲が足りない者に時間は割かない、というタイプの先生なのだ。逆に多少能力が足りていなくても、意欲的に努力するべく扉を叩けば間違いなく水準レベルまで個人指導をしてくれる。ただし、冷淡な罵倒に耐える覚悟が必要になる。

 

「あー。ちょっといろいろ表現を間違って、怒らせたみたい」

「表現?」

「わたくしには意欲と努力が足りないそうなの」

 

苦笑した蓮はパジャマ代わりの長袖のTシャツに着替えた。

 

「意欲と努力、ねえ。確かにレンにはあまり感じないかも。ハーマイオニーからは痛いぐらい感じるけど」

「マクゴナガル先生はあなたのそういうところをどうにかするとお考えなの?」

「うーん、ディメンター対策も兼ねてね」

 

ハーマイオニーとパーバティは顔を見合わせた。

 

「わたくし、最近よく寝るでしょう?」

「もともとよく寝る人だから、最近は寝てばかりと表現するべきよ」

 

律儀なハーマイオニーは訂正し、パーバティは頷いた。

 

「それ、ディメンターのせいなの。穢れた生き物だから、わたくしの体質が受け付けないというか。神経過敏になって、体力や気力に影響してしまうの。それでマダム・ポンフリーから魔法睡眠薬を処方していただいてる」

 

ハーマイオニーは目を見開いた。「そんなお薬まで?」

 

「気力体力が減退した人はディメンターにとってはご馳走なのよ、ハーマイオニー。先日のクィディッチのときみたいに興奮したディメンターが、弱った人間を感知すると、襲いかかってくるわ」

 

パーバティがハーマイオニーに説明し、蓮が頷いた。

 

「だからチョコレートが一番手軽な対策なの。幸せな気分になるし、甘いものはすぐにエネルギーになるから。まあ、一時的なものだから、これだけ長期間になるとさすがに参ってきちゃうし、あまり薬を長く使うのも良くないから対策を考えましょうって言われたってわけ」

 

ハーマイオニーは勢い込んで「それ、ハリーにも必要だと思わない?」と尋ねたが、蓮は首を振った。

 

「ハリーの場合は、わたくしみたいにじわじわと体力気力が削られるんじゃなくて、ディメンターが至近距離に近づくと急に意識を失うパターンよね。ハリーに必要なのはもっと直接的な手段だと思うわ」

 

パーバティも頷いた。

 

「あれは体質というより、もっと無理やりな感じだものね」

 

それに、と蓮がベッドに潜り込みながら「ハリー自身がたぶん一番イヤなはずだから、あんまり周りがいろいろ言わないほうがいいと思う」と呟いた。

 

「レン」

「んー?」

「あなた、お薬は飲んだの?」

 

ほらそれ、と蓮がベッドから顔を出して言った。「ハーマイオニー、歯列矯正の話題は嫌がるのに、人の体質や心配事は細かく注意するでしょう」

 

パーバティがプッと噴き出した。それをハーマイオニーは、ジロリと睨む。

 

「お薬はちゃんと飲んだわ。もう眠い。今度魔法睡眠薬のこと言ったら、あなたのパパとママに予約を取るわよ、歯列矯正の」

 

 

 

 

 

「動物もどきでは、変身する動物は選べません。守護霊の呪文で出現するパトローナスや、他者から変身させられる場合と同様に、本人の資質に応じた動物の形を取ります」

 

マクゴナガル先生の説明に蓮は小さく頷いた。

 

「つまりわたくしは三毛猫になるわけですね。アラスターおじさまから変身させられたときは三毛猫でしたから」

「そうとばかりも言えません。パトローナスが途中で違う動物に変わることがあるように、動物もどきの変身後の姿も変わる場合があります。例えばわたくしですが、最初は茶トラの猫でした」

「はい」

「眼鏡を日常的に使用するようになってからは、茶トラの猫で目の周りに眼鏡のフレームのような模様が出るようになりましたし、わたくしのパトローナスは増えました」

「・・・増えるものなのでしょうか?」

 

増えたのです、とマクゴナガル先生は厳格に断言した。

 

「内面に大きな変化が起きれば、資質が変化するのですから、パトローナスや変身後の姿に変化が出るのは当然です」

 

眼鏡が内面に変化をもたらしたとは思えないが、蓮は頷いた。

 

「あなたのお母さまのパトローナスも途中で変わったのですよ」

「母が?」

「学生時代に守護霊の呪文を覚えたばかりの頃は、短毛種のしなやかな動きをする猫でした。ちょっとだけ大き過ぎましたが」

 

マクゴナガル先生はそっと目を逸らし、蓮は、それはもう虎とか豹ではないかと思った。

 

「成人を迎えた頃から、今の龍のパトローナスに変わったのです。このように心境の変化が資質を変化させることもあります」

 

ですから、とマクゴナガル先生は声を厳しくした。「あなたが三毛猫でいいのならそれでも目的は達成されますので問題はありませんが、あなたのお母さまのパトローナスを想定すると、三毛猫程度で済むかどうか、甚だ疑問なのです。三毛ライオンなどになったら目も当てられません」

 

「母は何の動物に変身したのですか?」

「わたくしは生徒を動物に変身させたことはありません。あなたのお母さまも能力から言えば動物もどきになる素質はあったと思いますが、わたくしは教えていません」

 

ふーむ、と蓮は腕組みをした。「やっぱり猫が一番使い道がありそうですね」

 

「何に使う気か知りませんが、魔法省に登録されることを忘れないように。登録されたら大した使い道はありません。たとえ猫でも」

 

項垂れた蓮は「嘘でも構いませんから、もう少しやる気の出る表現をお願いします」と訴えた。

 

「いろいろ役立てようと考えて習得しましたが、ダンブルドアに見つかり登録を強要されたのです。一般に魔法戦争と呼ばれる、以前にヴォルデモートの勢力が拡大していた時期には諜報活動に使いました。猫がそのあたりで箱座りしていても室内での会話に気を使う人はあまりいませんから重宝しましたが、それだけです。動物もどきの習得者が少ない理由はそこにあります。難易度の割に使い道が極めて限定的、平たく言えば使い道がないのです」

「・・・マクゴナガル先生、それは励ましですか?」

「単なる事実です」

 

 

 

 

 

「クリスマス休暇が明けたら、ルーピン先生がディメンターを追い払う方法を教えてくれるんだ」

 

ハリーがそうロンと蓮を相手に声を潜めて話している横に、ハーマイオニーは急いで駆け込んだ。

 

「ハーマイオニー?」蓮が目を瞬いた。「あなた、さっき一番に教室を出ていかなかった?」

 

ハーマイオニーは、まさか、という顔をしてみせた。

 

「ハリーはクリスマス休暇も残るとして、蓮とロンはどうするの?」

「僕は残るよ。家に帰ってパーシーと顔突き合わせて休暇を過ごすなんてうんざりだ」

「わたくしはロンドンに帰るわ」

 

たまには薬抜きで寝なきゃ、とハーマイオニーにだけ聞こえるように言った。ハーマイオニーは小さく頷き「わたしはホグワーツに残るわ、宿題が山のようにあるんだもの」と宣言した。

 

「ねえ、ハーマイオニー。君、いったいどうやってそんなにたくさんの授業を履修してるんだい?」

 

ロンが心底不思議そうに言ったが、ハーマイオニーは「マクゴナガル先生と相談してやってる方法なの。あなたもマクゴナガル先生に相談してみたら?」としか答えなかった。

 

「今日の練習、君たち、見に来る? 今日からジニーがチェイサーとして参加するよ」

 

マジかよ、とロンが呻いた。「グリフィンドールのチェイサーはもう十分いるじゃないか」

 

これには蓮が「とんでもない」と顔をしかめた。

 

「アンジェリーナもケイティもアリシアもホグワーツのチェイサーの中ではトップレベルの選手だけど、男子との体格差を考えたら、控え選手は必ず必要なの」

「グリフィンドールだけだぜ、チェイサーの層を厚くするなんて言うの。シーカーがスニッチを取ればいいんだ」

 

ロン、とハリーが呼びかけた。「僕、そうは思わないよ。シーカーは試合を終わらせるタイミングを決めるんだ。キーパーとビーターとチェイサーがいなかったら、スニッチ出現前に試合には負けるんだよ。だから僕は、どうしてもディメンターの問題をどうにかしなきゃいけない」

 

「チェイサーと君のディメンターに何の関係がある?」

「僕がスニッチを取って試合を終わらせなかったら、みんなの働きが無駄になる。クタクタになるまで飛ぶだけで終わってしまうだろ? この前の試合、レンとアンジェリーナで80点リード出来てたのに、僕が気を失ったせいで負けたじゃないか」

 

ハーマイオニーは「だからって無理しちゃダメよ、ハリー」と言った。しかし、ハリーは頑なに首を振る。

 

「僕はディメンターに負けるような臆病ものじゃない」

 

ハーマイオニーは蓮を見た。蓮は、仕方ない、というように肩を竦めた。

 

なにしろホグワーツ特急で気を失い、クィディッチの試合で気を失って箒から落ちたのだ。そのたびにマルフォイはじめスリザリンの生徒から、ディメンターに耐えられない腑抜け扱いされれば、臆病者じゃないことを証明したくなって当然だろう。

 

なんにせよ、ハリーが奮起するのは悪いことでは決してない。頭に血が上ってシリウス・ブラック探しに飛び出すよりはずっとまともな努力なのだから。

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