ジョージから贈られたロディアのブロックメモと革のカバーは、いつもなら一番嬉しいプレゼントだが、 気分が沸き立たない。マグルの文具を手に入れるのはウィーズリー家で育ったジョージには面倒なことだっただろうとは思うのだが。
ジニーからはコリンが撮影したという蓮のプレイ写真だ。これは4人の祖父母も、フラメルの曽祖父母も喜ぶだろう。なんでも去年、スリザリンに300対0の圧勝に終わった試合をペンシーブで覗いた祖父母組は、母が後ずさるほどの熱意で繰り返し繰り返し孫のプレイを観戦したのだから。
フレッドからはだまし杖なる悪戯用品だが、我が家にはあまり必要ない。
ハーマイオニーからは「変身術の歴史」だ。これには母が興味を示した。珍しい。
「あなた、今年は変身術を頑張るの?」
「マクゴナガル先生がね。3年生の間に動物もどきになるようにって」
「あらたいへん。どうしてまた」
ディメンターよ、と蓮は「変身術の歴史」をパラパラめくりながら呟く。「マクゴナガル先生の経験によると、夜に動物に変身して寝れば薬使わなくても熟睡できるから、ディメンター対策になる気がするのですって。・・・うあ、魔女モルガナ」
「モルガナがどうしたの」
「変身術の歴史」の最初の方のページにモルガナの肖像が掲載してある。
「ホグワーツ特急の中で蛙チョコのカードで占ったの。魔女モルガナが出たから、今年は魔法薬学にツキがあると思っていたら、マクゴナガル先生がおっしゃるには、モルガナは動物への変身能力を最初に認められた魔女ですから、蛙チョコカードは間違いなくあなたに動物に変身するように言っています、なんて言うのよ」
「よかったじゃない、動物もどきを先生から指導してもらえる機会なんてまずないわ。しっかり身につけてちょうだい」
ふうん、と蓮は気のない返事をしたが、母からこつんと叩かれた。「あなたには有り難みが理解出来ないようね。独学で高度な魔法を身につけるのは大変なことなのよ。あなたの言う蛙チョコのカードに載る偉人たちと同じぐらいの道無き道を歩むことになるわ。マクゴナガル先生はそれを教えてくださるの。真面目に取り組みなさい」
そんなお説教を残して母はコートを翻し、クリスマスだというのに仕事に出て行った。
蓮から届いた「よく知らない人用」に印刷されたお礼のカードを握りしめたジョージが壁に向かって落ち込んでいるのをよそに、ハリーとロンとフレッドは上気した顔でハーマイオニーを呼んだ。
「君も見なよ、ハーマイオニー! 国際試合級の箒だ!」
「ファイアボルトだ! ハリーのところに贈られてきた!」
あらそう良かったわね、と言いかけてハーマイオニーは固まった。「え、それってすごく高価なんじゃない?」
確か蓮がそうマクゴナガル先生に反対されたと言っていた。「必要ありません。あなたが箒から落ちなければいいのです。いくら高くても量産型で余計な機能が多すぎます」マクゴナガル先生のシルバーアロー40への偏愛はもはや信仰の域に達していると思う。
なぜかロンが胸を張った。「値段も最高級だぜ」
「そんな箒を誰が」
「知らない」ほわんとした顔でハリーが返事をした。「カードをつけ忘れたんだ、きっと」
「なあ、おい。朝飯のあと、乗ってみろよ、ハリー」
フレッドの声も興奮を隠しきれていない。呆れてハーマイオニーは呟いた。「あなたたち、頭の中におがくずでも詰まってるの?」
ジニーがハーマイオニーの後ろから「シリウス・ブラックからだったらどうするの!」と叫んだ。ハーマイオニーもまったく同じ可能性を考えた。
「ハリー、マクゴナガル先生に報告すべきよ」
なんでだよ、と口々に文句を垂れる面々にハーマイオニーは「2年生のジニーだってわかるのに」と呟いた。「地図のことはフレッドとジョージを巻き込むから言いたくない、贈り主のわからないやけに高価な箒のことも言いたくない。あなたたち、お願いだからホグズミードやクィディッチ以外のことも合わせて考えてよ。どちらも先生方に報告して安全を確認していただくのが今は一番大事なことのはずよ、シリウス・ブラックを捕まえるには」
「これはそんなに悪いものなんかじゃない!」
「だいいち逃亡中のシリウス・ブラックが高級クィディッチ用品店に現れて箒を買ったなんて日刊予言者だって書いてないぜ」
「フクロウ通販とか何かしら方法はあるわ」
ジニーの言葉を兄たちは笑い飛ばした。
「おまえはコメットしか知らないだろ! コメットなら通販で買うだろうけど、ファイアボルトだぜ!」
話にならない、とハーマイオニーとジニーは目を見交わした。
お昼前に母から電話がかかってきた。出掛けのコートから考えて、今日はマグル側のオフィスに出勤しているはずだ。
「お母さまの寝室にドレスローブがあるから魔法省のオフィスまで持ってきてくれない? ランチを頼んでおくから」
「魔法省? どこにあるかも知らないわ」
「ダウジング街ぐらいわかるでしょう。ホワイトホールよ。テムズ河沿いでもバッキンガム宮殿経由でも自転車で20分もあれば着くわ。ダウジング街の電話ボックスから入館許可を取ってね。法執行部は地下2階よ。地下2階のウィンストンのオフィスに用があると言えばいいわ」
言いたいことだけ言うと母は電話を切った。ドレスローブということは魔法省絡みのパーティがあるのだろう。
蓮は振り返り、ウェンディに「ごめんなさい、ウェンディ。ランチはお母さまと魔法省で食べることになったわ。たぶんお母さまは夜もいないから、わたくしはファストフードを買ってくる。クリスマスディナーは明日にしましょう」と言った。
「ウェンディは知っております。奥さまはアメリア・ボーンズに誘われてファッジのパーティに行きます!」
「ボーンズにファッジね、わかった。お母さまのドレスローブを持ってきてくれる?」
「かしこまりました!」
大きな耳をパタパタと揺らすウェンディを見送り、蓮はマグルのポンドの入った財布をジーンズのポケットにねじ込み、ダウンのインナーをつけたマウンテンパーカーを羽織ると、ファスナーを首まで引き上げて革の手袋をはめた。
自転車で20分なんて簡単に言ってくれる、と思った。自分はジャガーか姿現しで移動するからいいだろうけれど、こちらはこの寒い中を人力移動だ。クリスマスなんだから交通機関は全部ストップしている。
「ファッジのパーティ、ね」
自転車を壁から下ろしながら呟いた。「僕の父上はファッジとも懇意なんだ」と自慢げに言うマルフォイを思い出し、溜息をついた。
魔法省なんて辞めてしまえばいいのに、と思う。
魔法省なんてつまらない役所だ。魔法大臣がマルフォイの言いなりなら、魔法省だって信頼には値しない。母はともかく自分は魔法界の仕事なんてする気はない。なるべく魔法界とは無関係に暮らしたいぐらいだ。ホグワーツを卒業したら、マグルになって暮らすのだ。そんな蓮のささやかな夢は、だいたい誰からも支持はされないのだが。
ウェンディが持ってきてくれた袋を指に引っ掛けて、オールドチャーチストリートに立つと、しばらく考えてからバッキンガム経由に決めた。川沿いのサイクリングなんてクリスマスには不向きだ。
バッキンガム宮殿にはクリスマスの飾りつけが控えめにされている。チャールズは今頃エリザベス2世女王陛下から叱られているに違いない。不倫騒ぎを起こす次期王位継承者なんてみっともない。
ダウジング街に自転車を停めて鍵をかけると、辺りを見回した。
「怪しい電話ボックス怪しい電話ボックス、と。あれか」
見るからに怪しいローブ姿の人が中に入っている。
あんなマグルらしからぬ人物がうろつくなんて首相官邸の警備は大丈夫だろうかと蓮は頭を振った。
「なんてことするんだ!」
談話室では、なぜかハリーではなくロンが、顔を真っ赤にしてハーマイオニーとジニーを責めた。
がらんとした大広間で朝食を終えてすぐに、ジニーはその場でマクゴナガル先生にファイアボルトの件を訴えた。
「あなたたちが先生に報告する必要はないと言い張るからよ」
「箒より大事なことは、世の中にはちゃーんとあります!」
ハリーがロンの後ろから言いにくそうに口を開いた。
「君たちが僕を心配してくれるのはわかるんだけど、ちょっと大袈裟じゃないかな?」
ハーマイオニーはハリーをキッと睨んだ。
「あなたにはあんな高価な箒をポンとプレゼントしてくれて、お礼のカードを寄越さなくても気にしない知人に心当たりがあるっていうの? だったらまずその人に確認しなさいよ。すみませんが僕にファイアボルトをプレゼントしてくれましたかって。それもしないで乗ってみるだなんて無用心にも程があるわ」
うぐ、とハリーが口を噤んだ。
「なあハーマイオニー」とジョージが沈んだ声を出した。「ジニーも。君たちはいったい何が不満なんだい? レンもそうだ。確かに抜け道を使ってホグズミードに行くのは褒められたことじゃない。でもハリーはあのマグルの家族と暮らしてるんだ。ホグワーツにいる間ぐらい楽しんだっていいだろ? 箒にしたって。箒に何の罪がある? シリウス・ブラックが箒を贈ってきたら困るのかい? 箒は箒だ。しかも最高級の。ハリーの両親への罪滅ぼしかもしれないだろ? 別に箒まで犠牲にしなきゃいけないほどのことか? 少しは理性的になれよ」
ジニーが赤い髪の下の顔をさらに真っ赤にした。
「理性的になるのはあなたたちのほうよ!」
そのジニーの肩を叩いてハーマイオニーは、極めて理性的に冷たく言った。
「ハリー、あなたが先日シリウス・ブラックの裏切りを知ったとき、許せないって言ってたのは、国際試合級の箒1本で片がつくことだったの? シリウス・ブラックがアズカバンに逆戻りするべきだと思ったんじゃなかったの? だったらシリウス・ブラックが捕まるように、あなたの知り得る情報を先生方に伝えることがあなたに出来る一番のことじゃないの? 杖を握って探しに飛び出して片を付けるつもりなら大間違いよ。あなたの指1本残ればいいほう。シリウス・ブラックはそれが出来る魔法使いなの。高価な箒に呪いをかけてあなたに贈って、あなたが吹っ飛んだら大喜びでしょうね。そうならないための警戒は、絶対に、必要なのよ」
ハリーは顔を赤くして押し黙ったままだった。
ずいぶん立派なオフィスをお持ちだこと、と蓮は頭を振った。
「なにか珍しい?」
ジロジロ見回す蓮に椅子を出しながら母が尋ねた。
「あまり出勤しない割に良いオフィスをお持ちだと思って」
「今年はこれでも毎日顔は出してるわ。魔法族生まれの人がマグル社会に出るための出生証明書の作成とか」
「それ偽造って言わない?」
マグルならね、と母が簡単に言う。
「そういう窓際族のオフィスにしちゃ広過ぎ」
「お母さまには一応立派な肩書きがあるの」
「肩書き?」
「『魔法省魔法法執行部副部長』」
「・・・もしかして、割と偉い? ハグリッドの専属弁護士じゃないの?」
あなたね、と母が呆れた声を出した。「自分の母親を何だと思ってるの。確かに法廷に出るのはハグリッドのペット問題の時だけだけれど」
座り心地の良い空色のソファに腰掛けて蓮が「同じフロアに闇祓い局もあるのね」と何気ない風を装って尋ねた。
「あるわ」
「パパもオフィスを?」
母は溜息をつき「闇祓いにはこういうオフィスはないわ。同じフロアを狭いパーティションで仕切って、その中で1人で処理するのよ。局長クラスになればこのぐらいのオフィスだけれど」と答えてくれた。
「見てみたい」
「却下します。パパのパーティションはもう別の闇祓いが彼自身の秘密の捜査のために使ってるもの。どうして急に?」
蓮は少し黙った。
「蓮」
「・・・ボガートと対決したら、ボガートがパパになったの」
「ボガートがパパに?」
「わたくし、なんだかパパが怖いみたい」
肩を竦めて蓮はなんでもないことのように言った。
「ボガート・パパはあなたに何かメッセージを?」
「期待外れだ、って」
「何が期待外れなの?」
「わからないわ」
蓮、と母が静かに言った。「成績のことならあなたは学生時代のパパより優秀よ。もちろん多少の校則違反はあるけれど、それはあなたたちのヴォードゥモールのせいだった。少なくとも本物のパパは今のあなたに期待外れだとは言わないわ。言う資格もない」
「本物じゃないことはわかってる!」
「パパのことは誰も隠していないでしょう? おじいさまもおばあさまもグランパもグラニーも」
「でもお母さまは何も言わない。ルーピン先生から言われた。パパのことを一番良く知ってるママがパパの話をしないからわたくしの中でパパのことがすごい人みたいになってるって」
母が困ったように髪をかきあげる。
「パパの名誉を傷つけたくないの」
「パパは何をしたの?」
「・・・あらゆる悪戯を」
は? と蓮は間抜けな声を上げた。
「グラニーは最愛の息子が優等生だったと思ってるし、ホグワーツの生徒、特にグリフィンドール生の気質を知らないから、監督生で首席だっていうだけで自慢の息子なの。でも、あの人ときたら、夜中に寮を抜け出してホグズミードのパブに行ったり、ハグリッドとファイアウィスキーで飲み明かして二日酔いになったり、あと、3年生のときにはお母さまとお付き合いするために夕食の最中にダンブルドアに土下座して、髭を抜かせてくださいとか・・・」
蓮は顔をしかめた。「わたくし、ダンブルドアの髭のおかげで生まれたなんて知りたくなかった」
「そんなことで付き合うわけないでしょう」母が真顔になった。「ただの度重なる迷惑行為の一環よ」
「なんでそんな人と結婚したの?」
蓮は途方に暮れた。
「大人になったからよ」
「は?」
「あの年頃の男の子は馬鹿みたいなことにこだわって勇気を試したがる、グリフィンドールの生徒は特にね。お母さまはそういうのが大嫌いだったわ。でも、そういうものだとわかった途端に、馬鹿みたいな真似は全部お母さまのためだったとわかった。だからお付き合いしたの。パパも馬鹿みたいな真似を控えるようになっていたし」
だからそろそろジョージを許してあげなさい、と母が言った。
「ジョージ?」
「毎日のようにあなたが暖炉に投げ込んでる手紙はジョージからでしょう?」
蓮は唇を尖らせた。「馬鹿みたいなことにこだわって、ハリーをホグズミードに行かせたんだもの」
母は目を丸くして「ホグズミードにハリーが行っちゃいけないの?」と言った。
「学校がディメンターに包囲されているのは知っているでしょう?」
「一応理事ですからね」
「それはハリーのためなの」
ああ、と母が窓の外の魔法の景色に目を向けた。「そういうことになってるわね」
「なのに、ハニーデュークスのためにホグズミードに行くなんて」
「ね、蓮」
母が蓮に視線を戻した。「お母さまは、シリウス・ブラックのために今年は毎日魔法省に出勤しているわ。今度こそ彼を裁判にかけるために準備してるの。その場合、お母さまは被告側証人に立つことになる。それは覚悟してちょうだい。それがお母さまの仕事なの」
軽く頷きながら「そんなに改まらなくてもわかってる」と蓮は言った。
ダウジング街からの帰り道、テムズ河沿いを走っていると雪が降り始めた。
「『今度こそ裁判にかける』なんて変な言い方」
呟いて、再び自転車を走らせた。