サラダ・デイズ/ありふれた世界が壊れる音   作:杉浦 渓

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閑話16 冷戦終結への道程

ジョージがトレーニングウェアを着て、玄関ホールに立っている。ハリーはその姿をしばらく眺めた。

 

「・・・ああ、ハリーか」

 

ハリーの姿に気づいたジョージは微かに笑った。ハリーは階段を駆け下りて、ジョージの隣に並んで立った。

 

「レンを待ってるの?」

「すっかり嫌われちまったけどなあ」

「僕、ロンに謝れって説得してるんだけど」

 

ロンのアレは関係ないんだよ、とジョージは小さく首を振った。「その前から嫌われてる」

 

「何が原因なの?」

 

ジョージは自嘲するように笑って首を振った。

 

「君には関係ないんだ」

「ジョージ、僕、その『あなたには関係ない』ってセリフは聞き飽きた。関係なくても知りたい。心配なんだ」

 

ジョージはまた微かな溜息をついた。

 

「言ってもいいけど、君が気にするといけないからさ」

「やっぱり僕に関係あるんだね」

「俺が君に地図をやったことが、レンには許せないのさ。レンに最初に地図のことを教えたら、先生たちに渡せ、報告しろと言われたんだ。ブラックがその抜け道を使っている可能性があるかもしれないのにこんな時に隠すなって」

 

それは僕もハーマイオニーから言われた、とハリーは呟いた。

 

「だろうな。でもなあ、もう君にやろうってフレッドやリーと話が決まってたんだ。だいいち、レンには俺とホグズミードに行く気はなかった。ディメンターの近くを通りたくないなら抜け道があるとまで打ち明けたのにだぜ。ハリーの命を狙ってるブラックが校内に入り込んだのが事実だとわかってるのに、そんな地図を隠すなって言われたってなあ。君の命を狙ってる奴がいるのは昔からだ。今に始まったことじゃないだろ? そんな奴らのために毎回毎回先生たちに秘密を渡せると思うか?」

 

ハリーは首を振った。そうなんだ、女の子たちにはわからなくても、僕らにとって守るべき秘密というものは時に命より大事だ。女の子のために秘密を売り渡す真似なんて死んでも出来ない。

 

「ブラックなんかのためにそんなことしなくたっていいんだ。でもジョージ、君はこのままでいいの?」

 

良かないさ、とジョージは力無く笑った。「ハーマイオニーが言うには、俺はレンの信頼を裏切ったらしい。愛すべき我がクソ弟が腐れマルフォイの言い分をレンの前でぶちまける前から、レンにとっちゃ俺が裏切り者だったってわけだ」

 

「僕、君がレンと仲直りするためなら、地図を手放せるよ」

「ハリー?」

 

ハリーは大きく息を吸った。

 

「僕がルーピン先生から守護霊の呪文を習ってるのは話したよね。ルーピン先生に言われた。僕は幸せな思い出に本当に集中出来てないって。集中出来るわけないんだ、だって僕の大事な人たちがみんなバラバラなんだもの。幸せな思い出は大事だけど、今が幸せだと思えなきゃ、集中なんか出来ない。僕は僕の周りの人たちも幸せでいて欲しい。僕はそのためなら、あの地図を手放したって構わない」

「ハリー、君がそんなことまでしなくていい!」

「ジョージのためじゃない、僕のためだ!」

 

ジョージが黙った。ハリーはその隙に畳みかけた。「それに僕、マクゴナガル先生には渡さないよ。誰に渡せばいいか心当たりがある。グリフィンドールの女の子たちに困らされた経験のある先生にこっそり渡せばいいんだ」

 

「なんだそれ」

「ルーピン先生は言ってた。ホグワーツのモットーを変えるべきだって。眠れるドラゴンなんかより雌グリフォンのほうが手に負えないって。グリフィンドールの女の子たちは、たまに手に負えなくなるんだって。僕たちにはわからないことで勝手に怒って話を聞いてもくれなくなる。話をしてもくれなくなる。謝ったって『あなたは何もわかってない』って言われるだけだ。たぶん行動で表すまで許さないよ。そういうことをちゃんとわかってくれる先生に渡せばいい。何もディメンターを配備する必要はない。ルーピン先生にあの地図の使い方を教えて、警戒してもらうだけでいいんだ、そうだろ?」

 

ジョージはしばらくハリーを黙って見つめていたが、やがてニヤっと笑った。

 

 

 

 

 

その日の夕食前、ロンが舌打ちしながらスキャバーズを探しているのを横目に、ハリーは最後の見納めに忍びの地図を眺めていた。

 

小さな足跡が動いている。足跡の脇には「ピーター・ペティグリュー」の文字。

 

「ピーター? いたっけ、そんな奴」

 

ハリーが独り言を呟いたとき、ロンが「あのブス猫だ!」と叫んだ。

 

「ロン、やめろよ。いつまでハーマイオニーのせいにする気だ」

 

ハリーが振り向くと、かけていた毛布をカバーごとベッドから引っ剥がしたロンが、血のついたシーツと茶色の毛を指差した。

 

「証拠だ。あのブス猫がスキャバーズを喰っちまった」

 

言うとロンは毛布を放り出して部屋を駆け出した。

 

「ロン!」

 

 

 

 

 

「やめろ、ロン! 茶色の猫はクルックシャンクスだけじゃない!」

 

ハリーが羽交い締めにしていないと、今にもハーマイオニーを殴りかねない勢いでロンは怒鳴っていた。

 

「あのクソ猫を出せ!」

「今はいないって言ってるでしょう!」

「あれだけ見張ってろって言ったのに、行き先もわからないのか! 君が目を離した隙にスキャバーズを喰ったに決まってるんだ!」

 

そのとき、肖像画の扉が開いて、蓮と、間の悪いことにクルックシャンクスが入ってきた。

 

「ハーマイオニー?」

 

何事かというように蓮が声を掛けると、ロンが「やっぱりグルじゃないか! レン、君がそのクソ猫をいくら庇ったってもうおしまいだ! そいつは僕のスキャバーズを喰った!」と叫んだ。

 

「ロン!」

 

しかし蓮は冷え冷えとした微笑を浮かべ「いつ?」と逆に尋ねる。

 

「れ、レン。穏便に」

 

ハリーは思わずロンを引き寄せた。

 

「鼠を最後に見たのはいつよ」

「授業が終わって、寮に帰って占い学の宿題をやってたときまでは部屋にいた。僕はちゃんとスキャバーズの様子を確かめてから、談話室に下りてディーンとシェーマスのチェスを見てたんだからな!」

 

鼠が弱ってるのは年寄りだからだし、そんなに鼠が大事ならもっときちんと世話をしろとパーシーに叱られたロンは意地になっている。

 

しかし、だったら犯人がクルックシャンクスのはずがないわ、と蓮は肩を竦めて、足元のクルックシャンクスを抱き上げハーマイオニーに渡した。「ディーンとシェーマスがチェスを始める頃にわたくしはクルックシャンクスと外に出たの。でしょう? ディーン」とディーンに声をかけるとディーンは頷いた。「それは確かだ。俺は最初、レンをチェスに誘ったら、外に出かけるって断られた」ディーンの答えを確かめ、蓮は「それからずっとクルックシャンクスと湖にいたわ」と続けた。

 

「そりゃ嘘だな」フレッドの声が聞こえた。「フレッド!」

 

「君は湖になんかいなかった。ジョージはいつも待ちぼうけを喰らってるじゃないか。俺が湖で見たのは、馬鹿でかい犬だけだ」

 

馬鹿でかい犬、と蓮は繰り返した。

 

「馬鹿でかい犬が茶色の猫と一緒に湖のほうに行くのは見たぜ。あんなペット、学校に連れてきたのは誰だと思って眺めてたから確かだ。だが、君はいなかった。クルックシャンクスの証人にはなれない」

「その馬鹿でかい犬って、この犬のこと?」

 

ニヤっと笑った蓮が、一瞬のうちに真っ白の犬に変身した。

ハーマイオニーが額を押さえた。「試験まで秘密にするんじゃなかったの?」と呟いている。

 

しゅる、と音を立てて、再び蓮が現れた。

 

「どうなの、フレッド?」

「・・・あー、悪いな、ロン。余計なことしちまった」

 

謝る相手が違うでしょう! とアンジェリーナがフレッドをひっぱたいた。

 

「なにすんだよ、暴力女!」

「あなたたちにはもううんざり。たかが鼠のことで騒ぎ過ぎよ! あんな鼠、見かけたらわたしが踏み潰してやるわ!」

 

フレッドは頬を押さえたまま、アンジェリーナを睨んでいる。

アンジェリーナは蓮を可愛がっているし、ハーマイオニーのことも気に入っている。潜在的に蓮やハーマイオニー、ジニーの味方だったのが、今まさに蓮たちの側につくと表明してしまった。

 

「ハリー」

 

ジョージが小声で囁きながらハリーのスウェットを引っ張った。

 

「ジョージ」

「さっきの話、本気でやってくれるか? このままじゃ、いろいろダメになっちまう」

 

ハリーは深く深く頷いた。

 

 

 

 

 

ルーピン先生は古びた羊皮紙を見て、しばらく声も出ないぐらいに驚いていた。

 

「先生?」

「なぜ君がこれを?」

 

えーと、とハリーは頭を掻いた。「そ、そのう、グリフィンドールに代々受け継がれてきた地図で、今はたまたま持ち主が僕なんです」

 

ルーピン先生は溜息をつき「嘘は良くない」と言った。

 

「嘘じゃありませ」

 

ん、と言いかけてハリーは息を呑んだ。

 

「我、此処に誓う。我、良からぬことを企む者なり」

「せ、先生」

「これは、フィルチさんのオフィスに厳重に仕舞ってあったはずのものだ。没収されたのは私の友人だからね、間違いない。もちろん私も使い方を知っているという意味で同罪だとわかるだろうが、今はそんなことは問題ではない」

 

ルーピン先生はハリーに厳しい目を向けた。

 

「君が持ち主だったというなら、なぜこれをもっと早く提出しなかったんだい?」

 

ハリーは黙ってしまった。

 

「ハリー?」

「僕、その・・・これがあればホグズミードに行けると・・・」

「呆れたね、ハリー。蛙チョコや百味ビーンズやナメクジゼリーのほうが友人の命より大事だとは」

「そんな! そんなことじゃありません! ただ、僕はシリウス・ブラックのことを怖がってるって思われたくなくて!」

「君のプライドの問題じゃない、友人の命だ。シリウス・ブラックが君を狙って侵入してきた場合、妨げになるなら君の友人を殺すのを躊躇うとでも?」

 

ルーピン先生はどこかが痛むような表情を浮かべていた。

 

「自分の親友を2人殺した男だよ。今さらホグワーツの生徒を数人殺すのを躊躇うと思うのかい? 君がしたことは、友人たちの命をシリウス・ブラックの目の前にぶら下げたようなものだ」

「・・・ごめんなさい」

 

ふう、とルーピン先生は息を吐いた。

 

「君のお父さんはね、ハリー、友人を何よりも大事にする男だった。友人を信じることが最大の名誉だと考えていたし、友人を傷つける結果を招くぐらいなら敵を助けることも厭わない男だったよ」

 

ぐっとハリーは何かが込み上げてくるのを我慢した。

 

「幸いにして、私もこの地図の使い方を知っていることからわかるように、この抜け道のすべてを知っている。無論、私なりに警戒はしてきたつもりだ。だから、君に罰則は課さない。しかし、君はもっと反省すべきだ。軽率過ぎる」

「・・・はい」

「自分の命を大事にすることは臆病などではない、決してない。君のご両親や、君の友人を守ることなんだ」

「両親?」

 

そうだ、とルーピン先生は重々しく頷いた。「君の中には間違いなくご両親の血が流れている。ご両親が遺した何より大切なものだ、違うかい? 君はジェームズとリリーの声を毎週聞いているじゃないか」

 

ハリーは頷いた。

 

「・・・先生は僕の両親と親しかったんですか?」

「親しかったよ。もし君が尋ねたいなら、先に答えてあげよう。ジェームズ、私、シリウス・ブラック、ピーター・ペティグリューの4人は、ほとんど常に行動をともにしていた。親友と言って良い関係だった。私は少なくともそう信じていた」

 

早口に言うルーピン先生から、ハリーは目を逸らした。そしてふと思い出した。

 

「あ! そうだ! 先生、もしかしたら、その地図、ちょっとおかしくなってるかも」

 

おかしく? と言いながら、ルーピン先生はいくつかの動作をして機能を試していた。「特におかしいとは思えないけど、なぜだい?」

 

「僕さっき、ピーター・ペティグリューっていう名前を見たんです」

 

ルーピン先生の顔から、完全に表情が抜け落ちた。


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