嬉し恥ずかしのお年頃であります
「イースター休暇前に魔法省から試験官がお見えになります」
マクゴナガル先生が談話室にいる蓮のもとへやってきて、そう告げた。蓮は「わかりました」と頷いた。
「安定して変身出来ることは、わたくしが保証しますから、安心して臨みなさい。基本的に彼らは、変身出来ることを疑ってはいません。杖を使って変身できる人は少なくありませんからね。目的は杖無しで変身できるかの確認、さらにあなたの変身後の特徴を登録することにあります」
ハーマイオニーの見る限り、蓮はこの言葉に一番がっかりしていた。
「合格すると、あなたは最年少の動物もどきとなります。在学中の動物もどきは初めてではありませんが、3年生は最年少ですので、前例を参考にするならば、雑誌や新聞の取材を受けることになるでしょう」
「それは嫌です」
きっぱりと蓮は言った。マクゴナガル先生は予想していたのか、小さく溜息をついてたしなめるような声色に変えた。
「ウィンストン」
「わたくし、リータ・スキーターなんかを見かけたら噛みつきたくなりますから」
蓮はそう言って犬歯を指で示した。
「あなたが変身して噛みつけばスキーターなど簡単に殺せますが、そういう悪用をしないための登録であることを忘れないように」
「だったら、スキーターなんかをホグワーツに入れないように取材は断ってください。あの女に再びウィンストンの名を綴る機会は与えたくありません」
「スキーターは今は主に日刊予言者新聞の記事を請け負っていますから、日刊予言者を拒否することになりかねませんよ」
「わたくしの家族は誰も日刊予言者を購読しませんので困りません。暖炉の焚き付けにしかならないようなクズ紙のために時間を割く気はありません」
マクゴナガル先生は頭を振り、談話室を出て行った。ハーマイオニーは蓮の近くに膝を進めた。
「リータ・スキーターって?」
「悪意はあるけど能のないフリー・ジャーナリスト。わたくしの父の記事を日刊予言者に売って名を上げた女。おかげで今じゃ日刊予言者のお抱えみたいになってるらしいわ。だから、わたくしの家では日刊予言者新聞は購読しないの」
クルックシャンクスを撫でながら蓮は、膝の上の「アーサーとマーリン」に視線を落とした。
「レン」
ハリーがやってきた。蓮は顔も上げずに「目立つなとかいう文句ならマクゴナガル先生に言ってね。わたくしは登録だの取材だの望んでいませんから」と冷たく言った。ハーマイオニーはその膝を軽く叩き、ハリーに「何か用ならさっさと終わらせて。この人、不機嫌極まりないわ。たったいまマクゴナガル先生が、誰かさんが真に受けた記事を書いたジャーナリストのことを思い出させたところだから」と言った。
ハリーは緊張したように頷いた。
「そのことじゃないんだ。地図のことだよ。僕、ジョージと相談して、あれをルーピン先生に預けた」
「誰かが死ぬ前で良かったわ。あ、死んだわね、鼠が」
「レン!」
また蓮の膝を、今度は強めに叩いた。
「言ったでしょう、ハーマイオニー。あの鼠は鼠じゃないの」
ハリーが怪訝そうに「鼠じゃない? スキャバーズが?」と呟く。ハーマイオニーは頷いた。「レンはそう言ってるの。その・・・クルックシャンクスから聞いたみたい」
「クルックシャンクスと話せるのかい?」
別に信じなくて結構よ、と蓮は言った。
「レン、頼むから聞いてくれ。僕はこんな状態は嫌だ」
「あなたのオトモダチならいるでしょう、最愛の鼠を失って打ちひしがれたオトモダチが。今なら鼠の代わりにベッドに入れてくれるわよ。アレが鼠じゃなかったと知らないのは幸せよね。禿げたオッサンと毎晩ベッドで寝てたなんて」
ハリーがぽかんと口を開けるのを、ハーマイオニーは気の毒に眺めた。クルックシャンクスと蓮が会話出来ることを知らないうえに、スキャバーズが鼠もどきであることを知らされ、さらに禿げたオッサンと狭い部屋で同居していたなんて、いっぺんに開示された情報量が多過ぎる。
「スキャバーズが、禿げたオッサン?」
「クルックシャンクスが言うにはね。話はそれだけ?」
「い、いや、違う。僕は君たちとまた以前のように」
無理ね、と蓮は断ち切った。
「レンったら、話ぐらいまともに聞いてあげなきゃ!」
正論を述べようとするハーマイオニーを制して蓮は冷たい瞳を上げた。
「ハリー、あなたはそう言うけれど、ウィーズリーがわたくしたちに一言でも謝罪したかしら? なぜあなたがウィーズリーの代弁をして回るの? クルックシャンクスのことでハーマイオニーを攻撃して、箒のことでジニーを攻撃して、わたくしの父の名誉を再び傷つけておきながら、謝るのは人伝て? まさかね。あなたが勝手に間を取り持っているなら、無駄だからやめるべきだわ。全員が不愉快になる。ウィーズリーの意思を踏まえてのことなら、その卑劣さに虫酸が走る。以上」
「レン、頼むよ。スキャバーズのことをハーマイオニーだって謝ってない」
なんですって! と、今度はハーマイオニーの目つきが険しくなった。
「ご、ごめん。でもロンはそう言って、謝る気がないって言うんだ。どちらかが譲歩しなきゃまとまるものもまとまらないだろう?」
「ハリー、もう一度言うわ。まとめたいのは、あなただけ。わたくしはまとめていただきたいとは、さらさら思っていない」
「わたしもよ。クルックシャンクスを蹴ったのよ、あの人」
ハーマイオニーと蓮の肩に手をかけたパーバティが「ハリー、地図1枚で納得させるのは無理ね」と苦笑した。
「パーバティ、頼む、君からもなんとか言ってくれないか?」
「頼む相手を間違ってるわ、ハリー。あなたが説得すべきは、わたしじゃない。もちろん、レンでもハーマイオニーでもない。ロンよ。なのに、それを放っといて、この人たちに譲歩させようっていうのが間違いだわ。甘え過ぎよ。どこまでロンを甘やかすの?」
パーバティ、とハリーが頭を抱えた。「ロンはスキャバーズのことをサマーホリデイでエジプトにいた頃からずっと心配してたんだ。ナーバスになって当然じゃないか。クルックシャンクスがスキャバーズにストレスを与えたのが原因なんだから、そこは譲歩してくれてもいいだろ?」
蓮が顔を上げてハーマイオニーを見た。
「なに?」
「あなた、サマーホリデイはフランスじゃなかった?」
「フランスだったわよ」
「ウィーズリー家と一緒にクルックシャンクスを連れてエジプトに行ったのかと」
ハーマイオニーは、ハッとしてハリーを睨んだ。
「お忘れなら言っておきますけど、わたしがクルックシャンクスを買ったのは、新学期が始まる前日よ。スキャバーズはその時点で弱ってたわ。鼠栄養ドリンクを買うときに、一緒にクルックシャンクスを買ったんですもの」
「それでいて、鼠が弱ったのまでハーマイオニーとクルックシャンクスのせいだと思ってるなんてね」
蓮が肩を竦めた。
変身術の教室の隣にある研究室に3人の試験官と、ダンブルドア校長、マクゴナガル先生が並んで座った。動物もどき試験は、まず面接から始まる。
「それにしてもずいぶん早くから難しい課題に取り組みましたね」
アメリア・ボーンズが片眼鏡の奥から、厳しい視線を寄越した。なぜ魔法法執行部部長が? とマクゴナガル先生に尋ねたら、動物もどき登録は魔法法執行部の管轄になるのだそうだ。しかも人格的に問題のないことを確かめるため尋問のエキスパートであるウィゼンガモット法廷の判事が来るのが当然らしい。「普通は副部長で良いのですが、副部長が母親ですからね」と溜息交じりに説明された。
魔法法執行部に管理されるなんて犯罪者扱いみたいで気分が悪い。
「マクゴナガル先生から叱られたものですから」
「叱られた?」
こほこほこほこほ、と執拗な咳払いをするマクゴナガル先生を無視して蓮はアメリア・ボーンズに微笑んだ。
「わたくしには挑戦する意欲が足りないと叱られました。学校で学ぶことだけに満足していては、持って生まれた素質を100%活かすことは出来ないと。ですから、それならばマクゴナガル先生に挑戦します、と申し上げました」
「マクゴナガル先生から学んだのでは?」
「もちろんそうです。『変身術の歴史』を読んだ上で、独学は危険だと考えました。マクゴナガル先生は生徒の意欲に対しては惜しみなく応えてくださる方です。そのことに感謝と尊敬の念を抱いています。マクゴナガル先生を抜きにこっそり独学するよりも、マクゴナガル先生を超えたいという気持ちを打ち明けて指導していただきたいと考えたのです」
痩身の年老いた魔法使いが「変身術を順番に学んだのかね?」と質問した。
「いいえ。それでは間に合いませんから、動物もどきに絞って時間外に補習していただきました。もちろん正規の授業の変身術は、これからまだまだ学ばなければならないことばかりです」
厳格そうな老年の魔女が首を傾げた。
「動物もどきは困難な術と言われますが、変身に至る理論を理解して、変身するだけの強い意思があれば、そう難しいものではありませんよ。問題はあまり若いうちに動物もどきとして定着した変身を続けていると、最終的な本人の資質を反映し、魔力を解放しやすい形態にならないことが挙げられます。例えば、小さなうさちゃんの体に成熟した大人の、仮にダンブルドアのような魔法使いの魂を押し込むのは不自然極まりないことですからね。あなたがあまりにも愛らしさを求めて変身したのであれば、我々はあなたの将来のために不合格にすることもあり得ます。その点を踏まえてもやはり試験を受けますか?」
はい、と蓮は答えた。「たぶんその心配はないと思うので、大丈夫です」
「明らかに大き過ぎる動物ですよ、みなさま」
マクゴナガル先生が準備した資料に目を通したアメリア・ボーンズが呟いた。
「なになに、ほう! ピレニアン・マウンテン・ドッグときたか!」
「優美で品格を保ちながら、敵と戦う時にはオオカミすら撃退する闘争心、魔女にあらまほしき資質ですよ」
熱を込めた眼差しで、アメリア・ボーンズが「では始めてください」と言った。
3回動物と人間に変身したり戻ったりを繰り返す。それからさらに1回動物に変身する。この時には、身体的特徴を逐一観察される。肢の指の数まで。
「人間に戻ってよろしい」
アメリア・ボーンズに言われて変身を解き、元の椅子に腰掛けた。変身後の面接が始まる。
「犬に変身していた間の感覚について説明してください」
「犬に変身していた間は、人間としての思考力は完全に保持しています。例えば、肢の指の数を数えていらっしゃいましたが、これが身体的特徴を登録するためであるという理解は出来ます。ですが、感情はいくらか動物寄りになっていますから、初対面の方々の前で肢を弄られることに対しては攻撃的な感情を抱きました。もちろん人間の思考力が『これは攻撃すべき場面でも相手でもない』と判断していますので、感情に身を委ねることはありません」
「ふむ、正確な反応ですな」
「その犬としての感情を解放する必要はあると思いますか?」
蓮は静かに「仮に友人が敵対関係にある者に暴力を加えられているなど、極端なケースがあれば、こういう種類の犬ですから、護衛犬としての順応をして問題ないと考えています」と答えた。
「動物もどきになりたいという意思にお母さまの影響はありますか?」
「ありません。母とはクリスマスホリデイの帰省の際に、動物もどきを学んでいることは話しました。そのとき、マクゴナガル先生のお時間をいただくのだから真剣に取り組むように注意されただけです」
アメリア・ボーンズが片眼鏡の奥から厳しい目つきで蓮を見ている。母は副部長として部長から嫌われているのではないかと思いたくなった。
試験が終わると、隣の変身術の教室で授業に戻った。
「レン、どうだった?」
「変身はうまくいったわ。あとは面接内容をどう判断されるかがポイントになると思う」
「アンジェリーナたちに教えなきゃ」
「どうして?」
「試験の結果は別にして、変身がうまくいったらあなたを労うパーティをするのよ」
ハーマイオニー、と蓮が顔をしかめた。「パーティっていう雰囲気ではないでしょう」
「男子は好きなだけ箒や鼠で遊んでいればいいわよ」
「そういうことなら構わないわ」
ハリーは2人の席の後ろで教科書で顔を隠していた。
談話室でアンジェリーナとケイティとアリシアとジニーが代わる代わる蓮をハグした。
「本当によくやったわ! あんなこと言われても、これだけの結果を出したことを誇るべきよ!」
「アンジェリーナ、結果はまだだから」
「馬鹿ね、レン。変身できる人を野放しにはしない。ちゃーんと魔法省に登録されるわ」
ケイティに肩を叩かれて蓮は苦笑した。
そこへ、ジョージが現れた。アンジェリーナが黙ってジョージを突き飛ばす。
「お呼びじゃないわ、ウィーズリー」
「ジニー以外のウィーズリーは邪魔」
頼むレンと話をさせてくれ、とジョージが途方に暮れた声を出した。
「なによ、ここで言いなさい。これ以上レンの名誉を傷つけるのは許さないわよ」
「・・・わかってる」
ジョージは蓮に向き直った。
「俺は君をホグズミードで連れ回すことしか考えてなかった。でもそれは間違いだった。数ヶ月間、ずっと1人でジョギングをやってみたよ。いろいろ考えるんだな、あれ。ホグズミードであちこち回りたいっていうのは俺の願望だ。でもそんなことどうでもいいことなんだ。この前みたいに、君が血まみれになって現れたら、一番に駆け寄りたいし、君と1日の出来事を話し合いたい、俺が一番したいことは君の近くにいることなんだ。それだけは許してくれないか? 俺のやることなすことが許せなくて構わない。でも、俺を近くにいさせてくれ。君が嫌なことは何か教えてくれ。じゃないと俺はもうあらゆることを間違っちまう。それもダメか?」
アンジェリーナが蓮の肩を抱いて「嫌なら嫌って言いなさい」と囁いた。
「アンジェリーナ」
途方に暮れた蓮にアンジェリーナが「許さなくていいから一緒にジョギングしたいらしいわ。どうする? 嫌?」と解説した。
「それだけなら別に嫌じゃない」
その言葉を聞いてジョージが気が抜けたように、ソファに座り込んだ。
「フレッド、あなたはどうするの?」
アンジェリーナに呼び出され、フレッドがしぶしぶといった体で現れた。
「レン、頼むから俺の失言を許すといってくれ。アンジェリーナまで俺とまともに口を聞いてくれないんだ」
「アンジェリーナ?」
再びアンジェリーナを見つめるとアンジェリーナは「レン、わたしの大事なチェイサーにブラッジャーを叩きつけかねないビーターを近寄らせるわけにはいかないのよ」と澄まして言った。
「・・・ブラッジャーを叩きつけないなら、別に嫌じゃないわ」
そこへハリーがロンを引きずってきた。
「レン」
今度は何? とうってかわって迷惑そうだ。
「ロン、ほら。自分で言えよ」
「あー、レン。き、君のパパを侮辱したのは、その、僕の間違いだった。一番やっちゃいけないことだった。だから、その・・・提案なんだけど、こないだマクゴナガル先生が言ってた取材、要請が来たら受けたらいいと思ったんだ! その、僕みたいな奴に見せてやれよ。パパの汚名を濯ぐために動物もどきになったんだって、嘘でいいから利用してやればいい。ウィンストンの名前を、すごい奴だっていう評判で上書きするためには、取材を受けるのが一番だと、思う」
蓮はじっとロンを見つめ「・・・わかった」と答えた。「要請が来たら考えるわ」
「まだ言うことあるだろ!」
「あー・・・その、ハーマイオニーのスキャバーズのことも。クルックシャンクスだけを疑い過ぎた。あいつをきちんとしたケージの中で過ごさせていれば、それ以上弱りはしなかっただろうし、何よりも猫の前でスキャバーズを自由にさせていたら、猫なら動く小さな動物を捕まえたがるのが当たり前なんだから、僕がクルックシャンクスに襲わせたようなものだ。それに、ハリーが何か言ってたけど、動物もどきになるとクルックシャンクスと話せるようになるって。だから、君がクルックシャンクスの仕業じゃないっていうのを信じるよ」
蓮は頷き、それはハーマイオニーにも言ってね、と念をおした。
「ハリー」
「ん」
「企んだでしょう」
「いい機会だろ? ほら」
ハリーは蓮の陰に隠れていたジニーの腕を引っ張り出した。
「ジニーが謝ることは何もないはずよ?」
「お礼を言いたいの。みんなを許してくれてありがとうって」
向こうでは、ハーマイオニーにロンがしきりに話しかけている。
「・・・行かなきゃ」
「君は行っちゃダメだ。君の席はここ」
強引にジョージの隣に座らされた。
「なあ、レン。俺は君とジョギング以外にもデートしたいんだ。それで考えたんだけど、厨房にたまに行かないか? ハウスエルフに夜食を作ってもらうんだ。それもダメかい?」
「ダメじゃ、ないけど。デート?」
「俺にとってはね」
「わかった」
「クルックシャンクスばかりを疑って君を責めたのは僕の間違いだったんだ。許して欲しい」
「・・・わ、わたしもクルックシャンクスをかばい過ぎたわ」
「それは、どっちもどっちだろ? スキャバーズがいない上に君までいなくなると、僕はすごく困ると思う」
「わ、かったわ」
なぜかハーマイオニーは顔を赤くしている。
「・・・クルックシャンクスが今度はロンを襲いそう」
蓮が呟くとハリーがびくっとした。「な、なんでだい?」
「クルックシャンクス、雄だもの。『俺のハーマイオニー』ってハーマイオニーのこと呼ぶの」
「・・・クルックシャンクスはハーマイオニーに恋をしてるのかな?」
「『ハーマイオニーは俺の嫁』だそうよ」